岐阜カンツリー倶楽部
岐阜カンツリー倶楽部 Gifu Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 岐阜県各務原市蘇原北山町2-8 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1960年(昭和35年)4月17日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 上田 治、佐藤 忠志(改修設計) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社 岐阜カンツリー倶楽部 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 岐阜カンツリー倶楽部 |
岐阜カンツリー倶楽部(ぎふカンツリーくらぶ)は、 岐阜県各務原市蘇原にあるゴルフ場である。
概要
[編集]1955年(昭和30年)、岐阜県にはゴルフ場が一つもなかった、ゴルファーは「名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース」(1929年(昭和4年)開場、設計・大谷光明)、「愛知カンツリー倶楽部・東山コース」(1954年(昭和29年)開場、設計・井上誠一)、「森林公園ゴルフ場」(現・ウッドフレンズ森林公園ゴルフ場)、1955年(昭和30年)開場、設計・上田治)まで出かけて行ってプレーした[1]。
「しかし岐阜にも」と県内ゴルファーの切実な願いであり永年の夢だった[1]。1958年(昭和33年)、コースの建設候補地探しが始まった、金華山麓など岐阜市近郊で2、3の候補地を検討した[2]。辿り着いた用地が各務原市蘇原の権現山の山麓で、旧陸軍歩兵68連隊飛島実弾射撃場跡地の一画だった[1]。戦前の各務原は、陸軍の小軍事都市で、飛行場(現・岐阜基地)や飛行学校(現・岐阜陸軍飛行学校)などの軍施設が集まっていた[1]。
1958年(昭和33年)3月1日、政財界をあげての力強いバックアップを得ながら、建設用地の買収が開始された[1]。しかし、買収交渉は伊吹[要曖昧さ回避]地区の反対があったが、岐阜県・和田土木部長、大日本土木株式会社・安田社長、岐阜いすゞ自動車株式会社・中嶋社長などの支援と、地元の清水町長や農業会・横山委員長などの協力を得て解決することができた[2]。同年6月、会員募集を開始したところ、300名の募集に911名の3倍以上の申込があった[1]。募集キャチコピーは「昼はゴルフ、夜は鵜飼い」だった[1]。
1958年(昭和33年)7月21日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「岐阜カンツリー倶楽部」を設立、代表取締役・桑原善吉、理事長・小寺勝昌、副理事長・田口利八が就任した[2]。コース設計は、関西の第一人者上田治に依頼した[1]。1958年(昭和33年)11月12日、コースの造成工事の起工式が行われた[1]。
コースの造成工事は順調に進んだが、1959年(昭和34年)9月26日、中部地方を伊勢湾台風が襲った、コースの法面は崩壊、大木は倒れ、コースとグリーンの芝は泥水に流され、バンカーは土砂に埋まって、手の施しようがなかった[1]。だが、幸いだったのが、ゴルフ場周辺の畑への土砂の流出が回避されたことである、上田治のコースレイアウトの結果である[1]。コースの1番、9番、17番、18番ホールなど、権現山からの流出方向に対してコースを横断方向にレイアウトしていたからである[1]。1960年(昭和35年)4月17日、コースが完成し、開場された[1]。
所在地
[編集]〒504-0801 岐阜県各務原市蘇原北山町2-8
コース情報
[編集]- 開場日 - 1960年4月17日
- 設計者 - 上田 治、佐藤 忠志(改修設計)
- 面積 - 820,000m2(約24.8万坪)
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,809ヤード、コースレート73.6
- フェアウェー - コウライ
- ラフ - ノシバ
- グリーン - 1グリーン、ニューベント
- ハザード ^ バンカー97、池が絡むホール5
- ラウンドスタイル - 全組キャディ付、全組電磁誘導カート、希望すればツーサム、ワンバック可
- 練習場 - 13打席150ヤード
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[3][4]
クラブ情報
[編集]- ハウス面積 - 4,422m2(1,337.6坪)
- ハウス設計 - 株式会社安井建築設計事務所
- ハウス施工 - 大日本土木株式会社[3][4]
ギャラリー
[編集]交通アクセス
[編集]鉄道
道路
エピソード
[編集]- 1967年(昭和42年)4月20日、旧皇族の朝香宮がゴルフ場に訪れ、プレー後「7番グリーン前のバンカーは隠しバンカーというやつだ、直ぐに改善したまえ」といって帰った。だが、その隠しバンカーは今でも健在である[8]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「「純血岐阜」をめざして昭和33年、個人正会員20万円で募集。予定人数の3倍以上が殺到した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月3日閲覧
- ^ a b c “用地の選定”. 岐阜カンツリー倶楽部の歴史. 2021年4月1日閲覧。
- ^ a b “ゴルフダイジェスト”. 岐阜カンツリー倶楽部. 2021年4月3日閲覧。
- ^ a b “岐阜カンツリー倶楽部”. ゴルフホットライン. 2021年4月3日閲覧。
- ^ “コース紹介”. 岐阜カンツリー倶楽部. 2021年4月3日閲覧。
- ^ “施設案内”. 岐阜カンツリー倶楽部. 2021年4月3日閲覧。
- ^ a b “アクセス”. 岐阜カンツリー倶楽部. 2021年4月3日閲覧。
- ^ 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「「純血岐阜」をめざして昭和33年、個人正会員20万円で募集。予定人数の3倍以上が殺到した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月3日閲覧
関連文献
[編集]- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える 217回 岐阜カンツリー倶楽部の創設」、著者井上勝純、東京 一季出版、2004年5月、2021年4月3日閲覧
- 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「岐阜カンツリー倶楽部」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年4月3日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「「純血岐阜」をめざして昭和33年、個人正会員20万円で募集。予定人数の3倍以上が殺到した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年4月3日閲覧