岩知志駅
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岩知志駅 | |
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いわちし Iwachishi | |
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所在地 | 北海道沙流郡平取町字岩知志 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 富内線 |
キロ程 | 68.6 km(鵡川起点) |
電報略号 | チシ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1964年(昭和39年)11月5日[1] |
廃止年月日 | 1986年(昭和61年)11月1日[2] |
備考 | 富内線廃線に伴い廃駅[1] |
岩知志駅(いわちしえき)は、北海道(日高支庁)沙流郡平取町字岩知志にあった日本国有鉄道(国鉄)富内線の駅(廃駅)である[1]。電報略号はチシ。事務管理コードは▲132312[3]。
歴史
[編集]- 1964年(昭和39年)11月5日 - 国有鉄道富内線振内駅 - 日高町駅間延伸開通に伴い開業[1][4]。旅客のみ取扱い[1]の無人駅[5]。
- 1968年(昭和43年)10月1日 - 無人化[6]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 富内線の廃線に伴い廃止となる[2]。
駅名の由来
[編集]「地元の人々の希望により[7]」、所在地名より命名された。地名はアイヌ語の「イワチㇱ(iwa-tis)」(山の・中の窪み)に由来するとされる[8][9]。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(日高町方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていたが[10]、開業当初は島式ホーム1面2線の交換駅であった。無人化の際に転轍機は両側共に撤去されたが、使われなくなった駅舎側の線路は残っていた。転轍機の形状は片開き分岐であった。
無人駅となっていたが、有人駅時代の小さな[11]駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホーム西側とを結ぶ通路で連絡した[10]。
利用状況
[編集]- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は4人[10]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]2011年(平成23年)時点では更地になっているが、線路跡は砂利道として再利用されていた[11]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日)
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 「日本国有鉄道公示第527号」『官報』1964年10月31日。
- ^ 「通報 ●富内線振内・日高町間の開業について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1964年10月31日、6面。
- ^ 「通報 ●富内線岩知志駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1968年9月30日、13面。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、99頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、367頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 23. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年11月14日閲覧。
- ^ a b c 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、108頁。
- ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、91-92頁。
- ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、11頁。