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日高町駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日高町駅
駅跡に富内線の記念碑が設置されている
ひだかちょう
Hidakachō
日高三岡 (4.4 km)
所在地 北海道沙流郡日高町字日高
北緯42度52分54.60秒 東経142度25分56.48秒 / 北緯42.8818333度 東経142.4323556度 / 42.8818333; 142.4323556
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 富内線
キロ程 82.5 km(鵡川起点)
電報略号 ヒカ
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線(旅客)/1面1線(貨物)
乗降人員
-統計年度-
94人/日
-昭和56年-
開業年月日 1964年昭和39年)11月5日[1]
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 富内線廃線に伴い廃駅[1]
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1977年の日高町駅と周囲約750m範囲。下側が鵡川方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

日高町駅(ひだかちょうえき)は、北海道日高支庁沙流郡日高町字日高に存在した、日本国有鉄道(国鉄)富内線廃駅)である[1]電報略号ヒカ事務管理コードは▲132315[3]

歴史

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駅名の由来

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町民の希望により、町名をそのまま駅名とした[5]

駅構造

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廃止時点で、1面2線の島式ホームを有する地上駅で、富内線の終端駅であった[6]。駅舎側(東側)、外側(西側)共に上下共用(番線表示なし)となっていた。両線はホーム端で収束していた。そのほか旅客の本線それぞれの外側に副本線を各1線ずつ有し、駅舎側の副本線の駅舎傍には貨物用の単式ホームを有し[6]途中で分岐し、本線に合流するほか、行き止まりの側線ともなっていた。

職員配置駅となっており、駅舎は構内の東側に位置し、ホーム北側とを結ぶ構内踏切で連絡した[6]。駅舎は鉄骨ブロック建て平屋の、明るく広い近代的な建物であった[7]

駅前には左手側に公園が設置され、樹齢1,500年のイチイの巨木、池、日高町特産の銘石による庭石が配置されていた[7]

予定では当駅から延伸し、占冠駅を経由して根室本線金山駅附近に接続することになっていたが、延伸部分の新線建設は凍結中で[7]、当線はそのまま廃線となった。

貨物列車は木材の搬出が主体であった[6]

利用状況

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  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は94人[6]

駅周辺

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駅跡

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駅廃止後しばらくは駅舎が農協の施設として再利用されていたが[10]撤去され、1999年(平成11年)時点では草原の空き地となっており、敷地の一部が農協に利用されていた[11]。2011年(平成23年)時点では、駅跡地に「国鉄富内線の跡」と記載された石碑が建立されている[10]。駅前通りの雰囲気も残っている[10]。2018年(平成30年)時点で、日高町駅で供用されていた駅備品(時刻表や運賃表など)の一部は、沙流川温泉ひだか高原荘の別館ロビー近くに展示保存されている。

また1999年(平成11年)時点では、駅跡の鵡川方の線路跡に「14」の勾配標が残存していた[11]

隣の駅

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日本国有鉄道
富内線
日高三岡駅 - 日高町駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 「日本国有鉄道公示第527号」『官報』1964年10月31日。
  5. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、99頁。ASIN B000J9RBUY 
  6. ^ a b c d e 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、108頁。 
  7. ^ a b c 『終着駅 国鉄全132』雄鶏社、1980年10月、56頁。 
  8. ^ a b 『蒸気機関車完全名鑑 ビジュアル改訂版』廣済堂ベストムック、2011年1月、55頁。 
  9. ^ a b 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、11頁。 
  10. ^ a b c 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、92-94頁。 
  11. ^ a b 『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング、2000年1月、66-67頁。 

関連項目

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