コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩﨑哲也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岩﨑 哲也
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 埼玉県行田市
生年月日 (1982-10-13) 1982年10月13日(42歳)
身長
体重
190 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 NPB / 2007年3月24日
最終出場 NPB / 2011年5月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 国士舘大学

岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )は、埼玉県深谷市出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投右打。

経歴

[編集]

高校・大学時代

[編集]

埼玉県立行田工業高等学校時代は、春日部共栄高等学校とともに夏の埼玉大会優勝候補だったが、埼玉栄高等学校と初戦で対戦して惜敗。その後、国士舘大学では小島紳二郎が同期のエースで4年春の2部開幕戦で先発し初勝利をあげたが主にリリーフであった。三菱重工横浜硬式野球クラブに入部した。

三菱重工時代

[編集]

2005年第76回都市対抗野球大会神奈川2次予選で好投し、三菱ふそう川崎の補強選手として出場した。5試合中4試合に登板して三菱ふそう川崎の優勝に大きく貢献、新人賞に当たる若獅子賞を受賞した。2006年東芝に補強されて第77回都市対抗野球大会に出場。補強選手ながら開幕戦の先発投手を任された。

同年の大学・社会人ドラフトで西武ライオンズから5巡目指名を受けて入団。背番号35は、東芝に補強された時に着けていた番号でもある。

西武時代

[編集]

2007年は新人として唯一の開幕一軍に登録された[注 1]。開幕戦で西口文也を救援し、1イニングを無失点に抑えたが、翌日は9回に登板して2/3回6失点とプロの洗礼を受けた。同年6月14日に中継ぎでプロ初勝利を達成。7月4日の対北海道日本ハムファイターズ戦では小野寺力の不調で抑え投手が不在になり、それまでチーム最多ホールドを挙げていた岩﨑が登板、プロ初セーブを挙げた。序盤こそ不安定だったが、オールスター以降の防御率は1点台と大きく安定した。右のセットアッパーとして主に7回を任され、最終的に新人ながらチームトップの55試合に登板、防御率2.82・3勝1敗2セーブ、チーム2位となる16ホールドポイントの好成績を収めた。

2008年はキャンプで制球難を指摘されて二軍スタート。4月9日に昇格するが被安打が多く、降格と再昇格を繰り返した。7月20日の対千葉ロッテマリーンズ戦では打者9人に対して7安打5失点と打ち込まれ、8月末に降格してシーズンを終えた。8月18日の対オリックス・バファローズ戦では1球三振を記録した[注 2]

2009年は6月まで無失点投球を続け、2年ぶりのホールドを挙げた。一時は勝ち試合で登板し、7月にはリーグトップの13試合に登板して、チーム3位の9ホールドをマークした。しかし26回で28被安打と不安定な内容の投球が続き、8月10日に降格した。

2010年から背番号が25に変更されたが、プロ入り最少となる1試合の登板に終わった。

2011年は、二軍で22試合に登板し防御率1.96を記録したものの、一軍ではわずか2試合の登板に終わり、10月9日、戦力外通告を受けた[1]。12月2日自由契約公示された。

西武退団後

[編集]

2012年2月にロングビーチ・アーマダに所属しアリゾナ・ウィンターリーグに参加。同シーズンよりプロ野球独立リーグノース・アメリカン・リーグエディンバーグ・ロードランナーズに移籍。22試合(うち先発1試合)で5勝0敗、防御率2.20の好成績を残した。

2013年4月、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルキンタナロー・タイガースと契約した。その後帰国し、7月からは日本国内の独立リーグ・四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツと契約した[2]。シーズン後は12球団合同トライアウトを受験し、愛媛で同僚の金森敬之らとともに千葉ロッテマリーンズの入団テストも受けた。しかし、金森は合格したものの岩﨑の獲得は見送られ[3]、同年限りで引退した[4]

現役引退後

[編集]

引退後の2015年1月30日に学生野球資格を回復し、学生・生徒への指導が可能になった[5]

同年、G.G.佐藤の父親が社長を務める株式会社トラバースに入社し、同社の軟式野球部でプレー[6]

その後退社し、2017年12月1日に母校である国士舘大学硬式野球部のコーチ就任が発表された[7][8]2020年をもって退任[9]

選手としての特徴

[編集]

始動からリリースの間に後ろを振り返る変則的なサイドスローフォームで投げる[10]

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
2007 西武 55 0 0 0 0 3 1 2 13 .750 220 54.1 43 5 17 1 5 33 1 1 19 17 2.82 1.10
2008 20 0 0 0 0 2 0 0 0 1.000 99 21.0 32 2 4 0 5 10 0 0 16 13 5.57 1.71
2009 27 0 0 0 0 2 4 0 9 .333 115 26.0 28 2 13 2 2 15 1 1 14 13 4.50 1.58
2010 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 1.2 4 1 0 0 1 2 0 0 3 2 10.80 2.50
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 12 2.1 5 0 1 0 1 0 0 0 1 1 3.86 2.61
通算:5年 105 0 0 0 0 7 5 2 22 .583 456 105.1 112 10 35 3 14 60 2 2 53 46 3.93 1.40

年度別守備成績

[編集]


投手












2007 西武 55 1 11 0 3 1.000
2008 20 0 3 0 0 1.000
2009 27 4 5 0 2 1.000
2010 1 0 0 0 0 ----
2011 2 0 0 0 0 ----
通算 105 5 19 0 5 1.000

記録

[編集]
NPB

独立リーグでの投手成績

[編集]
四国アイランドリーグplus











































2013 愛媛 2.20 16 3 1 0 0 0 0 16.1 66 9 0 5 6 1 5 4 1 0
通算:1年 2.20 16 3 1 0 0 0 0 16.1 66 9 0 5 6 1 5 4 1 0

背番号

[編集]
  • 35 (2007年 - 2009年)
  • 25 (2010年 - 2011年)
  • 22 (2012年)
  • 14 (2013年)

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ この年のパシフィック・リーグ新人投手で開幕一軍登録されたのは山本一徳(日本ハム)、荻野忠寛(ロッテ)と岩﨑だけで、岸孝之は先発投手陣の関係で開幕を二軍で迎えた。
  2. ^ 2ストライク2ボールで登板し、初球で空振り三振を奪った。野球規則10.18(h)に基づいて岩﨑による奪三振が記録された。また、この場面は9回2死だったため、岩﨑が投じた1球でイニング終了となった。

出典

[編集]
  1. ^ 埼玉西武ライオンズ選手来季契約について 埼玉西武ライオンズ公式サイト 2011年10月9日閲覧。
  2. ^ 愛媛MP 元西武 ・岩崎選手の入団決定 - 四国アイランドリーグplusリーグニュース(2013年7月16日)
  3. ^ “ロッテ 前カージナルス3Aのハフマンが入団テスト合格”. SANSPO.COM. (2013年11月21日). https://web.archive.org/web/20140201204206/https://www.sanspo.com/baseball/news/20131121/mar13112113370000-n1.html 2021年2月16日閲覧。 
  4. ^ 退団選手のお知らせ - 四国アイランドリーグplusリーグニュース(2013年11月29日)
  5. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会 (2021年2月5日). 2021年2月16日閲覧。
  6. ^ 新入団選手 トラバース野球部”. TRAVERS(トラバース)野球部のブログ (2018年1月23日). 2021年2月16日閲覧。
  7. ^ 【東都】国士舘大コーチにOBの元西武投手・岩崎哲也氏が就任 - スポーツ報知(2017年12月1日)
  8. ^ “元西武投手の岩崎哲也氏が母校・国士舘大コーチ就任”. デイリースポーツ online. (2017年12月1日). https://www.daily.co.jp/baseball/2017/12/01/0010780291.shtml 2021年2月16日閲覧。 
  9. ^ 一般財団法人 東都大学野球連盟[大学一覧-選手情報]”. 2020年8月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月16日閲覧。
    一般財団法人 東都大学野球連盟[大学一覧-選手情報]”. 2020年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月16日閲覧。
    2020年8月にはコーチとして名前が載っているが、11月には名前が無くなっている。
  10. ^ 小関順二『プロ野球スカウティングレポート2008』アスペクトムック、2008年、409頁頁。ISBN 978-4-7572-1439-2 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]