島貫省一
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福島県福島市瀬上町[1] |
生年月日 | 1957年7月24日(67歳) |
身長 体重 |
177 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1979年 ドラフト外 |
初出場 | 1982年4月10日 |
最終出場 | 1983年7月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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島貫 省一(しまぬき しょういち、1957年7月24日 - )は、福島県福島市出身の元プロ野球選手(外野手)。
来歴・人物
[編集]福島商業高では、2年次の1974年に夏の甲子園に出場[1]も、初戦(2回戦)で大石大二郎や久保寺雄二らがいた静岡商に1-6で敗退している。
1976年に高校卒業後、早稲田大学へ進学[1]。東京六大学野球リーグでは、1978年秋季リーグ、1979年春季リーグで2回の優勝を経験。1978年秋の明治神宮大会は、準決勝で3年中本茂樹投手に抑えられ優勝した同大に1-4で敗退。1979年春の全日本大学選手権は、同期の向田佳元、2年下の三谷志郎(プリンスホテル)両投手の好投もあり決勝まで進んだが、中大の4年香坂英典投手から序盤に島貫が2ラン本塁打を放つものの後続を抑えられ3-7で敗れ準優勝に終わる。同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選ばれた。リーグ通算27試合出場、110打数36安打、打率.327、6本塁打、28打点。ベストナイン1回。向田以外の大学同期に岡田彰布、有賀佳弘らがいた。
1979年オフに、ドラフト外で読売ジャイアンツに入団[1]。
1982年には一軍に定着し、外野手として16試合に先発出場を果たす。
1984年にはイースタンリーグの本塁打王を獲得するが、同年12月、佐野元国捕手との交換トレードで近鉄バファローズに移籍[1]。
1985年オフに現役を引退[1]。翌年から千葉県にある運送会社に就職し、現在は社長を務めている。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1982 | 巨人 | 60 | 84 | 76 | 8 | 20 | 4 | 0 | 3 | 33 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 17 | 2 | .263 | .333 | .434 | .768 |
1983 | 24 | 22 | 22 | 1 | 5 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | .227 | .227 | .364 | .591 | |
通算:2年 | 84 | 106 | 98 | 9 | 25 | 7 | 0 | 3 | 41 | 10 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 21 | 3 | .255 | .311 | .418 | .730 |
タイトル
[編集]- イースタン・リーグ本塁打王:1回(1984年)
記録
[編集]- 初出場:1982年4月10日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、9回表にロイ・ホワイトの代走として出場
- 初先発出場:1982年4月17日、対阪神タイガース2回戦(後楽園球場)、7番・中堅手として先発出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、1回裏に山本和行から2点適時打
- 初本塁打:1982年7月31日、対阪神タイガース19回戦(阪神甲子園球場)、3回表に益山性旭から2ラン
背番号
[編集]- 37 (1980年 - 1984年)
- 23 (1985年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 島貫省一 - NPB.jp 日本野球機構