押谷富三
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押谷富三 おしたに とみぞう | |
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生年月日 | 1893年2月5日 |
出生地 |
日本 滋賀県東浅井郡浅井町 (現・滋賀県長浜市) |
没年月日 | 1985年4月15日(92歳没) |
出身校 | 関西大学法科卒業 |
前職 | 弁護士 |
所属政党 |
(民主自由党→) (自由党→) 自由民主党 |
称号 |
従四位 勲二等瑞宝章 |
選挙区 | 旧大阪2区 |
当選回数 | 5回 |
在任期間 |
1949年1月23日 - 1955年1月24日 1958年5月22日 - 1960年10月24日 1963年11月21日 - 1966年12月27日 |
第40代 大阪府会副議長 | |
在任期間 | 1946年12月29日 - 1947年4月29日 |
選挙区 | 大阪市北区選挙区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
1931年 - 1936年1月25日 1939年 - 1947年4月29日 |
押谷 富三(おしたに とみぞう、1893年〈明治26年〉2月5日[1] - 1985年〈昭和60年〉4月15日[1][2])は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(5期)。幕末出石藩家老、河合長孝の孫にあたる。
来歴
[編集]滋賀県東浅井郡浅井町(現・長浜市)出身[1]。1916年(大正5年)関西大学法科を卒業[1][2]。弁護士となる[1]。
1931年(昭和6年)9月25日、大阪府会議員選挙に大阪市北区選挙区から立候補して当選した[3]。その後、再選して1936年(昭和11年)1月25日に辞職した[3]。1939年(昭和14年)9月25日に3選を果たした[3]。1946年(昭和21年)12月29日から1947年(昭和22年)4月29日まで第40代大阪府会副議長を務めた[4][5]。同日、任期満了で府会議員も退任した[3]。
1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙に大阪府第2区から出馬し当選[2]。その後、第25回、第26回、第28回、第30回総選挙で当選し、衆議院議員を通算5期務めた[1][2][注釈 1]。この間、 第4次吉田内閣・法務政務次官、第3次池田内閣と第1次佐藤内閣の文部政務次官、衆議院行政監察特別委員長、自由党総務、同政調会法務部長、自由民主党全国組織委員会副委員長兼文化部長、同総務、同在外資産問題議員懇談会副会長、同大阪府連会長などを歴任した[1][2]。
1985年(昭和60年)4月15日死去、92歳。死没日をもって従四位に叙される[9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』142頁。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』156頁。
- ^ a b c d 『大阪府会史 第4編 上巻 849コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『大阪府会史 第4編 上巻 864コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “大阪府議会歴代議長・副議長一覧”. 2024年10月17日閲覧。
- ^ 『衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 26コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員党籍録 自第1回国会至第26回国会 37コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『日本国・国会全議員名鑑 中 141コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第17461号10-11頁 昭和60年4月24日号
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 塚原俊郎 |
衆議院行政監察特別委員長 | 次代 篠田弘作 |