撫養駅
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撫養駅 | |
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駅入口(2007年7月) | |
むや Muya | |
◄N08 金比羅前 (1.5 km) (1.3 km) 鳴門 N10► | |
所在地 | 徳島県鳴門市撫養町南浜権現4 |
駅番号 | ○N09 |
所属事業者 | 四国旅客鉄道(JR四国) |
所属路線 | ■鳴門線 |
キロ程 | 7.2 km(池谷起点) |
電報略号 | ムヤ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
492[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)7月1日[2] |
備考 | 無人駅 |
撫養駅(むやえき)は、徳島県鳴門市撫養町南浜権現にある四国旅客鉄道(JR四国)鳴門線の駅。駅番号はN09。
歴史
[編集]- 1916年(大正5年)7月1日:阿波電気軌道(のちに阿波鉄道)の終点、撫養駅として開業[2][3]。
- 1928年(昭和3年)1月18日:当駅 - 撫養(2代目)間延伸に伴い、ゑびす前駅に改称[4]。
- 1933年(昭和8年)7月1日:国有化され、国鉄の駅となる[4]。同時に蛭子前駅(えびすまええき)に改称[4]。
- 1948年(昭和23年)8月1日:撫養駅が鳴門駅に改称されたのに伴い、撫養駅に駅名を戻す[5]。
- 1956年(昭和31年)12月1日:貨物取扱廃止[4]。
- 1963年(昭和38年)4月1日:業務委託駅となる(日本交通観光社に委託)[6]。
- 1972年(昭和47年)10月1日:荷物扱い廃止[7]。無人駅化[8](簡易委託駅化)。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR四国に継承[4]。
駅構造
[編集]単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎はプレハブのような簡易なもので、国鉄時代(1975年〈昭和50年〉建築)から使用されている。
以前はトイレを併設していたが、2019年に廃止された[9]。
駅周辺
[編集]- 事代主神社 - 一時期名乗った駅名「ゑびす前」および「蛭子前」はこの神社に由来する。
- 市杵島姫神社
- 岩崎神社
- 鳴門中央公園
- 徳島県立鳴門渦潮高等学校撫養キャンパス
- 鳴門市第一中学校
- ハローワーク鳴門
- 鳴門労働基準監督署
- 大塚包装工業第一工場 - 本社は新池川の対岸、鳴門市大津町木津野東辰巳にある[10]。
- 国道28号
- 旧撫養街道
- 徳島バス「斉田発(さいたばり)」、「祇園通り」停留所
- 新池川
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ “徳島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- ^ a b 「通運」『官報』1916年7月6日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “別紙2 高徳線の歴史” (PDF). 四国旅客鉄道. 2024年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月3日閲覧。
- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、653頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「運輸省告示第193号」『官報』1948年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「11駅業務を民間委託 四国支社の経営合理化」『交通新聞』交通協力会、1963年3月6日、1面。
- ^ 「日本国有鉄道公示第254号」『官報』1972年9月30日。
- ^ 「通報 ●羽越本線南鳥海駅ほか17駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1972年9月30日、11面。
- ^ 「無人駅トイレ姿消す JR四国、経費削減で券売機も廃止」『徳島新聞』2019年6月22日、27面。オリジナルの2023年11月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “企業情報”. 大塚包装工業. 2023年3月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月21日閲覧。