新川二朗
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(新川二郎から転送)
新川 二朗 | |
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新川二郎[注 1](1963年。キングレコードの広告) | |
基本情報 | |
出生名 | 沢田 幸雄 |
生誕 | 1939年11月2日 |
出身地 | 日本・石川県羽咋郡志雄町(現:宝達志水町) |
死没 | 2022年8月21日(82歳没) |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1963年 - 2022年 |
レーベル | キングレコード |
事務所 | 新栄プロダクション |
新川 二朗(しんかわ じろう、1939年11月2日[1] - 2022年8月21日)は、日本の演歌歌手。旧芸名は新川二郎。
経歴
[編集]石川県羽咋郡志雄町(現在の宝達志水町)出身[2]で、実家は商店街にあった小さな商店。
明るい性格のムードメーカーで、羽咋高校では伝説のボクシング部員であった。
金沢ヘルスセンターで歌っているところを、村田英雄にスカウトされ[3]、1962年にキングレコードから『君を慕いて』でデビュー[4]。
1964年、『東京の灯(ひ)よ いつまでも』が大ヒット(年末までに50万枚を越える売上[5])し[4]、当時では破格の400万円の年収を上げた。 また、この曲で同年の「第15回NHK紅白歌合戦」に初出場した[4]。
2020年にNiziUのメンバーとしてマヤが出場するまで石川県出身者では唯一の紅白出場歌手であった。晩年まで地方のステージをこなすなどし、所々で懐メロ番組に出演していた。
2014年1月26日放映の「BS日本のうた」(NHK BSプレミアム)に出演、2022年4月11日放送(番組HPでは何故か5月3日となっているが実際の放送日は4月11日)の「歌謡プレミアム(BS日テレ)」が最後のTV出演となった。
2022年4月に脳梗塞で倒れて療養していたが、同年8月21日夜に千葉県松戸市内の病院で脳梗塞からくる気管支炎のため死去[3][4]。82歳没。
代表曲
[編集]テレビ番組
[編集]- 青空に叫ぼう 第38話「甦える青春」(NETテレビ、1968年3月20日)
- NHK歌謡コンサート(NHK総合、2011年4月19日)
- 木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜(テレビ東京、2012年4月26日、2013年12月12日)
- 第44回年忘れにっぽんの歌(テレビ東京)
- BS日本のうた(NHK BSプレミアム、2012年5月20日、2014年1月26日)
- 第45回年忘れにっぽんの歌(テレビ東京、2012年12月31日)
- 第46回年忘れにっぽんの歌(テレビ東京、2013年12月31日)
- 歌謡プレミアム(BS日テレ、2015年11月16日)村田英雄、北島三郎、美空ひばりとの秘話を語る
他、数々の歌番組に出演
映画
[編集]NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
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1964年(昭和39年)/第15回 | 東京の灯よいつまでも | こまどり姉妹 |
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ デビュー当時の芸名。
出典
[編集]- ^ "「東京の灯よ-」の新川二朗3歳サバ呼んでいました". ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. 25 June 2016. 2016年6月27日閲覧。
- ^ “新川二朗さん死去 旧志雄町出身、82歳 紅白出場、「東京の灯よいつまでも」大ヒット|文化|石川のニュース|北國新聞”. 北國新聞. 2022年8月23日閲覧。
- ^ a b "演歌歌手の新川二朗さん死去 82歳、64年「東京の灯よいつまでも」がミリオンセラー". Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 22 August 2022. 2022年8月22日閲覧。
- ^ a b c d “演歌歌手の新川二朗さん死去 「東京の灯よいつまでも」が大ヒット:時事ドットコム”. 時事ドットコム. 2022年8月23日閲覧。
- ^ LPレコード『キングレコード40年の歩み 昭和の流行歌〈後編〉』(1971年、SKM1085〜6)付属のライナーノーツ、4頁。