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木下重範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
木下重範
きのした しげのり
生年月日 1906年1月3日
出生地 日本の旗 日本 大分県旧西国東郡岬村
(現・大分県豊後高田市
没年月日 (1977-08-13) 1977年8月13日(71歳没)
出身校 日本大学専門部法律科卒業
前職 弁護士
所属政党無所属→)
自由民主党

選挙区 旧福岡4区
当選回数 1回
在任期間 1952年10月 - 1953年3月14日
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木下 重範(きのした しげのり、1906年明治39年)1月3日[1] - 1977年昭和52年)8月13日[2])は、昭和期の弁護士政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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大分県[2]西国東郡[3]岬村(のち香々地町、現豊後高田市)で生まれる[4][注釈 1]。1926年(大正15年)日本大学専門部法律科を卒業した[2][3]

弁護士を開業し[2]日本弁護士連合会理事、同代議員、福岡県弁護士会小倉部会長、小倉市信用組合監事などを務め[2]、日本水産、朝日新聞西部本社、三菱化成工業などその他多くの企業の顧問弁護士を務めた[2][3]

1952年(昭和27年)10月、第25回衆議院議員総選挙福岡県第4区から無所属で出馬して当選し[3][5]、同友会に所属し衆議院議員に1期在任した[2]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 『北九州名士録 : 五市合併記念』88頁では出身地を「福岡県」と記載。

出典

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  1. ^ 新九州新聞社事業部 編『北九州名士録 : 五市合併記念』新九州新聞社、1962年、88頁。NDLJP:2986533 
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』204頁。
  3. ^ a b c d 『ふるさと人物記』408頁。
  4. ^ 『国会総覧 昭和27,8年(第15回国会)』国政審議調査会、1953年、13頁。NDLJP:3044819 
  5. ^ a b c 『国政選挙総覧 1947-2016』351頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』352頁。

参考文献

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  • ふるさと人物記刊行会編『ふるさと人物記』夕刊フクニチ新聞社、1956年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 『国会総覧 昭和27,8年(第15回国会)』国政審議調査会、1953年。
  • 新九州新聞社事業部 編『北九州名士録 : 五市合併記念』新九州新聞社、1962年。NDLJP:2986533