板倉重郷
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板倉重郷像 | |
時代 | 江戸時代前期 |
生誕 | 元和5年(1619年) |
死没 | 寛文元年12月17日(1662年2月5日) |
戒名 | 恵日院殿徳峯源清大居士 |
墓所 | 愛知県西尾市貝吹町入の長圓寺 |
官位 | 従五位下、長門守、阿波守 |
幕府 | 江戸幕府 奏者番兼寺社奉行 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 下総関宿藩主 |
氏族 | 板倉氏 |
父母 | 父:板倉重宗、母:戸田氏鉄の娘 |
兄弟 | 重郷、重形 |
妻 | 正室:酒井忠吉の娘 |
子 |
亀、重常、隼(堀田正休正室)、三十郎 養子:養女(内藤忠次室のち中山信行室) |
板倉 重郷(いたくら しげさと)は、下総関宿藩の第2代藩主。板倉家宗家3代。
生涯
[編集]元和5年(1619年)、京都所司代である初代藩主・板倉重宗の長男として生まれる。寛永13年(1636年)12月29日に従五位下・長門守に叙位・任官し、寛永14年(1637年)に阿波守に遷任する。
慶安元年(1648年)に京都所司代を務める父・重宗が病に倒れたため、その看病と補佐のために京都に上る。明暦2年(1656年)12月に父が死去したため、明暦3年(1657年)3月23日に家督を継ぐ。明暦4年(1658年)4月4日に奏者番に任じられ、7月4日に寺社奉行を兼任する形で任命された。寛文元年(1661年)11月26日に全ての職を辞職し、12月13日には弟の重形に5000石と新田4000石を分与したため、板倉氏は4万5000石の大名となる。それから4日後の12月17日に死去した。享年43。跡を長男の重常が継いだ。
系譜
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