柿元嘉和
柿元嘉和 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県 |
生年月日 | 1966年1月23日 |
死没 | 2004年2月5日(38歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会(JRA) |
初免許年 | 1985年3月9日 |
免許区分 | 平地(初期には障害の免許も保持) |
騎手引退日 |
2004年2月5日 2003年4月25日(最終騎乗) |
重賞勝利 | 0勝 |
通算勝利 | 2411戦109勝 |
柿元 嘉和(かきもと よしかず、1966年1月23日 - 2004年2月5日)は、滋賀県出身の元騎手。
来歴
[編集]競馬学校第1期生では柴田善臣・石橋守・須貝尚介・田島裕和・林満明・武藤善則・岩戸孝樹・上籠勝仁・谷口一明と同期になり、1985年3月に騎手免許を取得[1]。
1年目の1985年は同9日の小倉第1競走・シンリョクエース(16頭中14着)で初騎乗を果たし、翌10日の小倉第4競走・ラッキーナムラで初勝利を挙げる[2]。5月12日の京都第5競走4歳未勝利ではローベルタイカンに騎乗して3着に入ったが、勝ったレデイライアンは鞍上の田島が初勝利で、3馬身差2着には須貝が騎乗するラブリーライラックであり、同期の上位独占となった[3]。6月29日・30日の中京では初の2日連続勝利、7月6日の中京では初の1日2勝[4] [5]を挙げるなど、初年度から2桁の14勝[6]をマーク。1988年まで4年連続2桁勝利を記録するが、結局この年の14勝が自己最多となった[6]。
1992年には5月2日の京都第3競走4歳未勝利を16頭中14番人気のウインクエルフ、10月25日の福島第12競走4歳未勝利8番人気のコンコルドホーラーで逃げ切り、共に万馬券の波乱となった[7] [8]。
1996年には「九州産馬の天皇賞」と形容される[9]霧島賞を須貝彦三厩舎のカシノリュウジンで逃げ、同厩・同馬主で須貝尚が騎乗したカシノテンリュウとクビ差2着に粘る[10]。枠連・馬連は万馬券[10]となり、中央で行われた最後の霧島賞[11]は1期生のワンツー[10]となった。
1997年には秋の福島で岩元市三厩舎のファンドリロバリーに和田竜二から乗り替わり[12]、10月18日の福島第11競走飯坂特別ではスノーエンデバーに勝利[12]したほか、福島記念ではヤシマソブリン・アロハドリームを抑えてテイエムオオアラシ・マイネルブリッジの間に割って入る2着[13]であった。
1997年は9年ぶりで自身最後の2桁勝利となる10勝[6]をマークし、1998年11月29日の京都第8競走4歳以上500万下・セフティーフェローで通算100勝[14]を達成。
1998年にはコマンダーインチーフ産駒タイクラッシャーで新馬はマイケル・ロバーツ騎乗のアドマイヤコジーンから9馬身差の2着[15]に入り、500万下ではワンダーファングに勝利し、明けて1999年にはシンザン記念でフサイチエアデールの5着に入った[16]。
1999年には土門一美厩舎のシアトルブリッジで条件戦を3連勝し[17]、2000年の平安ステークスではウイングアロー・バトルライン・マイターンを抑えてオースミジェット・ゴールドティアラに割って入る2着であった[18]。
2000年と2001年は2年連続0勝に終わったが、2002年は2勝を挙げる[6]。
2003年は3月9日の阪神第5競走3歳未勝利・ゼンノストライカーが中央での最後の勝利、翌10日の高知第10競走龍馬盃(JRA指定交流)・スリーフラッシュが地方を含めての最後の勝利となる[19]。
2003年4月25日の福島第12競走文知摺特別・スターペスシンタ(14頭中2着)が最後の騎乗[19]となり、その後は病気療養のため入院[1]。
2004年2月5日、兵庫医科大学病院で死去。享年38歳[1]。
騎手成績
[編集]通算成績 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着以下 | 出走回数 | 勝率 | 連対率 |
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平地 | 108 | 161 | 143 | 1980 | 2392 | .045 | .112 |
障害 | 1 | 1 | 0 | 17 | 19 | .053 | .105 |
計 | 109 | 162 | 143 | 1997 | 2411 | .045 | .112 |
脚注
[編集]- ^ a b c “柿元嘉和騎手が死去”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “JRAホームページ|データファイル|騎手・調教師データ”. jra.jp. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “4歳未勝利|1985年5月12日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|柿元嘉和の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|柿元嘉和の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c d “柿元嘉和の年度別成績”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “4歳未勝利|1992年5月2日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “4歳未勝利|1992年10月25日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ 「藤岡厩舎の躍進を支える今年JRA未勝利の大下」『スポーツニッポン』2015年8月21日。2025年1月6日閲覧。
- ^ a b c “4歳未勝利|1996年8月18日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “レース名[霧島賞]のレース検索結果|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ a b “ファンドリロバリー (Foundry Robbery)”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “福島記念|1997年11月16日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “抽出[通算 1着レース]|柿元嘉和の騎手成績|競馬データベース - netkeiba.com”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “3歳新馬|1998年11月1日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “タイクラッシャー (Tai Crusher)”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “シアトルブリッジ (Seattle Bridge)”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ “平安ステークス|2000年1月23日”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。
- ^ a b “柿元嘉和の近走成績”. netkeiba.com. 2025年1月6日閲覧。