根津美術館
根津美術館 Nezu Museum | |
---|---|
施設情報 | |
専門分野 | 初代根津嘉一郎の収集品を主とする日本・東洋の古美術品 |
館長 | 根津公一 |
開館 | 1941年(昭和16年) |
所在地 |
〒107-0062 東京都港区南青山6-5-1 |
位置 | 北緯35度39分44秒 東経139度43分1.5秒 / 北緯35.66222度 東経139.717083度座標: 北緯35度39分44秒 東経139度43分1.5秒 / 北緯35.66222度 東経139.717083度 |
プロジェクト:GLAM |
根津美術館(ねづ びじゅつかん)は、東京都港区南青山に所在する私立美術館である。現在の英称は Nezu Museum、以前は Nezu Institute of Fine Arts であった。
紹介
[編集]1941年(昭和16年)11月に、前年に没した東武財閥創設者の初代根津嘉一郎[1]の古美術コレクションを引き継く形で、邸宅を改装し財団法人根津美術館として開館した[1]。
藤井斉成会有鄰館、大倉集古館、白鶴美術館、大原美術館などと並ぶ、日本で第二次世界大戦以前からの歴史がある数少ない私立美術館の一つである。なお根津家は現在の武蔵大学・武蔵高等学校・武蔵中学校の創立者でもある。
概要
[編集]初代根津嘉一郎は東の鉄道王として知られる実業家で、政治家・茶人だった。旧蔵の日本・東洋の古美術品コレクション 全4,643点を、保存・展示するために造られたことに始まる[1]。その後も収蔵品は増加し、2009年(平成21年)時点で 6,874件[2]、2016年(平成28年)3月末の時点で 7,420件[1](国宝 7件、重要文化財 87件、重要美術品 94件を含む[1])を数える。
江戸時代、現在の根津美術館がある敷地は、江戸定府を務めた河内国丹南藩藩主・高木家(美濃衆の一家)の江戸下屋敷だったが、江戸幕府が滅びた後、高木家は明治2年(1869年/1870年)に定府の任の免除を朝廷に願い出るべく京都に赴き、これを認められ、二度と東京に戻ることがなかったため、主に打ち捨てられた江戸下屋敷はすっかり荒れ果ててしまうこととなった。初代根津嘉一郎は、故郷から東京へ本拠を移した[* 1]ちょうど10年後の1906年(明治39年)になってこれを取得し、ただちに邸宅の建設を始めると共に数年がかりでの造園にも着手した[1]。初代の没後、家督を継いだ2代目の長男がこの邸宅を美術館に改装し母屋を本館とした[1]。詳しい経緯については「施設」節を参照のこと。
収集品は主に日本・東洋の古美術で、その高い質と幅の広さに特色がある。第二次世界大戦前の実業家の美術コレクションは茶道具主体のものが多いが、根津コレクションは、茶道具もさることながら、仏教絵画、写経、水墨画、近世絵画、中国絵画、漆工、陶磁器、日本刀とその刀装具、中国古代青銅器など、日本美術・東洋美術のあらゆる分野の一級品が揃っている。刀装具においては光村利藻が収集した光村コレクション3000点のうち約1200点を収蔵している。嘉一郎の豪快な収集ぶりは、「根津の鰐口(ねづのわにぐち)」と称されたという。
2006年(平成18年)5月8日から改築工事のために休館していたが[1]、建築家・隈研吾の設計による新展示棟が竣工し、2009年(平成21年)10月7日に新装開館した[1]。新しいロゴタイプは、ドイツのデザイン会社ペーター・シュミット・グループが手掛けた[1]。
施設
[編集]- 本館(初代)
- 非現存。初代根津嘉一郎の家督を継いた2代目根津嘉一郎は、先代の古美術コレクションも継承し、1940年(昭和15年)に財団法人根津美術館を設立[1]、根津嘉一郎邸を改装したうえで翌1941年(昭和16年)11月に当館を開館した[1]。邸宅の母屋は美術館本館として利用されることとなった[1]。
- 根津嘉一郎邸は、明治維新以降荒廃していた高木家江戸下屋敷を1906年(明治39年)に取得した嘉一郎が[1]、屋敷を取り壊したうえで間もなく着工させた邸宅であった[1]。
- 1945年(昭和20年)5月には、所蔵品を疎開させた後の美術館が戦災に遭い、本館は展示室など施設の大部分を焼失した[1]。
- 本館(2代目)
- 非現存。戦禍を受けた旧本館を取り壊したうえで、1954年(昭和29年)9月に竣工・開館した[1]。設計は今井兼次と内藤多仲による。1964年(昭和39年)9月に増築された[1]。2006年(平成18年)5月8日から取り壊し工事に入り[1]、美術館は新たな本館の開館まで休館することとなった[1]。
- 本館(3代目)
- 現在の本館。先代の本館を取り壊したうえで、2009年(平成21年)2月28日に竣工[3][4][1]、10月7日に開館した[1]。設計・監理は隈研吾[1][3][5]、施工は清水建設による[1][3]もので、「根津美術館」名義で、第52回(2009年度)BCS賞を受賞[3](2010年〈平成22年〉に受賞)、第51回(2009年度)毎日芸術賞を受賞(2010年1月に受賞[6])している[4]。敷地面積15,372m2、建築面積1,947m2、延床面積4,014m2[3]、展示室床総面積1,288m2[7]。鉄骨鉄筋コンクリート構造および鉄骨構造で、地上2階・地下1階[3]。切妻造の屋根は寺院建築を思わせる。
- 1階にはホールと展示室1・2・3、ミュージアムショップがあり、2階には展示室4・5・6がある。1階のホールは、庭園に面した南側壁面を全面ガラスとし、白大理石製の如来立像(北斉時代、総高291cm)をはじめ、中国の石仏が常設展示されている。展示室1は企画展示室であり、展示室2は絵画・書跡、展示室3は仏像、展示室4は中国青銅器、展示室5は工芸品、展示室6は茶道具をそれぞれ展示する。
- 新館(現・事務棟)
- 創立50周年記念事業の一環で企画展示室として1990年(平成2年)2月に竣工・開館した[1][8]。しかし2009年(平成21年)2月に美術館がリニューアルオープンした際、新館の役割を終え[1]、以後は事務棟として利用されている[8]。事務室と収蔵庫がある[8]。
- 庭園
- かつては根津嘉一郎邸の庭園であった。自然の傾斜を生かし、池を中心とした日本庭園で、庭内には4棟の茶室や薬師堂などの建物のほか、石仏・石塔・石灯籠などが点在する。また、当館は尾形光琳の燕子花図屏風を所蔵することで知られるが、庭園の一角にはそのカキツバタが群生の形で植えられていて、花の季節には作品と実物を共に鑑賞することができるようになっている。
施設のギャラリー
[編集]-
玄関までのアプローチ(2018年5月撮影)
-
1階ホールから庭園を見る(2018年5月撮影)
-
M2階(2018年5月撮影)
-
庭園(2018年5月撮影)
-
雪景色の庭園を見る(2010年2月18日撮影)
指定文化財
[編集]国宝
[編集]- 那智滝図 絹本著色 1幅
- 江戸時代(18世紀)、1951年(昭和26年)6月9日国宝指定[10]
- カキツバタの開花する季節に合わせて、毎年4月下旬から5月上旬にかけて公開される。館内の庭園にはカキツバタが栽培されているので、作品と実物を共に鑑賞できる時期がある[11]。
- 漁村夕照図 伝牧谿筆 紙本墨画 1幅
- 鶉図 伝李安忠筆 「雑華室印」あり 絹本著色 1幅
- 南宋時代、1953年(昭和28年)11月14日国宝指定[13]
- 禅機図断簡(布袋図) 因陀羅筆 楚石梵琦賛 紙本墨画 1幅
- 根本百一羯磨 巻第六 1巻
- 奈良時代(8世紀)、1951年(昭和26年)6月9日国宝指定[15]
- 無量義経・観普賢経(装飾経) 2巻
- 平安時代(11世紀半ば)、1952年(昭和27年)11月22日国宝指定(観普賢経)、1975年(昭和50年)6月12日国宝追加指定(無量義経)[16]
重要文化財(絵画)
[編集]
(仏教絵画)
(垂迹画)
|
(絵巻) (水墨画)
(近世絵画) (中国画) |
重要文化財(彫刻)
[編集]- 木造地蔵菩薩立像 久安3年(1147年)快助作 1躯
- 銅造釈迦如来・多宝如来並坐像 北魏時代 太和13年(489年) 1基 総高23.5cm
- 石造浮彫十一面観音龕(唐) 1面 - 総高107.4cm、石は石灰岩。西安花塔寺(宝慶寺)請来[* 3]
重要文化財(工芸品)
[編集]
(中国・朝鮮陶磁)
|
(日本陶磁)
(漆工)
(金工) |
重要文化財(書跡典籍)
[編集]
(仏典)
|
(書跡典籍) (墨跡) |
重要文化財(考古資料)
[編集](中国考古)
- 饕餮文方盉(とうてつもん ほうか) 3箇 伝河南省安陽侯家荘出土
- 饕餮文斝(とうてつもん か) 1箇 伝河南省安陽侯家荘出土
- 饕餮虺龍文尊(とうてつきりゅうもん そん) 1箇 伝河南省安陽侯家荘出土
- 饕餮夔鳳文瓿(とうてつきほうもん ほう) 1箇 伝河南省安陽侯家荘出土
- 犧首饕餮虺龍文尊(ぎしゅとうてつきりゅうもん そん) 1箇 伝河南省安陽大司空村出土
- 犧首饕餮虺龍文方罍(ぎしゅとうてつきりゅうもん ほうらい) 1箇伝河南省安陽大司空村出土
- 饕餮夔鳳文方彝(とうてつきほうもん ほうい) 1箇
- 双羊尊 1箇
ギャラリー
[編集]-
大日如来像
-
鶉図 南宋時代
-
金剛界八十一尊曼荼羅図(鎌倉時代、滋賀・金剛輪寺伝来)
-
愛染曼荼羅図
-
愛染明王像(1942年重文指定)
-
愛染明王像(1960年重文指定)
-
観瀑図 芸阿弥筆
-
山水図 祥啓筆
-
藤花図(部分)円山応挙筆
-
阿弥陀如来像(高麗)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z “根津美術館について”. 公式ウェブサイト. 根津美術館. 2018年8月17日閲覧。※下層の「略年表」も出典に含む。
- ^ 『芸術新潮』719号、p.125
- ^ a b c d e f “BCS賞 第52回受賞作品(2011年) 根津美術館”. 公式ウェブサイト. 日本建設業連合会. 2018年6月17日閲覧。
- ^ a b “根津美術館”. 公式ウェブサイト. 隈研吾建築都市計画事務所. 2018年6月17日閲覧。
- ^ “根津美術館本館”. 公式ウェブサイト. 清水建設. 2018年6月17日閲覧。
- ^ “隈研吾”. 文学賞の世界(個人ウェブサイト). 個人. 2018年6月17日閲覧。
- ^ 施設概要 根津美術館
- ^ a b c 『芸術新潮』719号、pp.119 - 125
- ^ 絹本著色那智滝図 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 紙本金地著色燕子花図〈尾形光琳筆/六曲屏風〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ “今の時期だけ!根津美術館で、国宝のカキツバタと本物のカキツバタが咲く”. OZmall (2019年4月20日). 2019年4月22日閲覧。
- ^ 紙本墨画漁村夕照図〈伝牧谿筆/〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 絹本著色鶉図 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 紙本墨画禅機図断簡〈因陀羅筆/(布袋図)〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 根本百一羯磨〈巻第六/〉 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 無量義経・観普賢経 - 文化遺産オンライン(文化庁)
- ^ 華厳五十五所絵(不動優婆夷) - e国宝
- ^ “文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~”. 文化庁. 2020年3月19日閲覧。
- ^ 令和2年9月30日文部科学省告示第118号
参考文献
[編集]- 根津美術館編集 『根津美術館名品聚成』 講談社、1986年3月、ISBN 4062026341
- 「特集 根津美術館今昔ものがたり」- 新潮社『芸術新潮』第719号、2009年11月号
- 『根津美術館』世界文化社、2010年10月、ISBN 4418102264。ガイドブック
- 所蔵品図録
- 根津美術館学芸部編集 『根津美術館蔵品選 書画編』 根津美術館、2001年4月27日
- 根津美術館学芸部編集 『根津美術館蔵品選 仏教美術編』 根津美術館、2001年6月29日
- 根津美術館学芸部編集 『根津美術館蔵品選 工芸編』 根津美術館、2001年
- 根津美術館学芸部編集 『根津美術館蔵品選 茶の美術編』 根津美術館、2001年
外部リンク
[編集]- 根津美術館
- 根津美術館 - artscape
- 根津美術館 - インターネットミュージアム
- 根津美術館 (@nezumuseum) - X(旧Twitter)
- 根津美術館 (NezuMuseum) - Facebook
- 根津美術館 - YouTubeチャンネル
- "根津美術館". TripAdvisor. 2020年4月22日閲覧。
- ウィキメディア・コモンズには、根津美術館に関するカテゴリがあります。