桂川寛
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桂川 寛(かつらがわ ひろし、1924年8月20日[1] - 2011年10月16日)は、日本の画家。
戦後、安部公房、勅使河原宏らとともに「世紀の会」に参加し、アバンギャルド運動に大きく関わる[2]。また、小河内ダム建設反対運動に加わり、ルポルタージュ絵画を製作した[3]。
その後も、鋭い批判精神で社会を見据えた作品を発表し続けた[4]。
経歴
[編集]- 1924年、北海道札幌市生まれ。
- 1937年、札幌商業学校入学。在学中より北海道美術協会主催の道展に入選。卒業後、札幌気象台に勤務[5]。
- 1948年、上京[6]。多摩美術専門学校入学[6]。
- 1949年、勅使河原宏、関根弘、瀬木慎一、安部公房らが結成した「世紀の会」に参加。同年、関根弘の第一詩集『沙漠の木』の表紙絵を担当。扉絵は安部公房。挿絵を勅使河原宏も描いた。この頃、多摩美術専門学校を中退[7]。
- 1950年、第2回読売アンデパンダン展に「開花期」を出品。安部公房、勅使河原宏らの人民芸術家集団にも関わる。
- 1952年、前衛美術会(1947年に井上長三郎、丸木位里、吉井忠らが結成)に入会し、小河内ダム建設反対運動の山村工作隊の文化工作隊として、山下菊二らと小河内村に2ヶ月滞在[8]。山下菊二らとルポルタージュ絵画制作。同年、美術家平和懇話会主催の第1回平和美術展に出品[注 1]。
- 1953年、日本美術会主催の第6回日本アンデパンダン展に「小河内村」を出品[9]。中村宏、河原温、池田龍雄、福田恒太、山下菊二らの青年美術家連合結成に参加。1956年まで。同年、前衛美術会の主催する第1回ニッポン展開催に参加。
- 1957年、日本美術会主催の第10回日本アンデパンダン展出品。以後、1964年まで毎年、出品[10]。
- 1958年7月から翌年2月まで日本美術会の事務局長を務める[11]。
- 1960年、前衛美術展(東京都美術館)に出品。1963年まで毎年、出品。
- 1961年、東京都豊島区千川に転居[9]。
- 1963年、日本美術会を退会[9]。
- 1964年、前衛美術会事務局を担当[9]。
- 1967年、「戦争展」開催[10]。
- 1968年、「反戦と解放展」開催[10]。
- 1975年、「天皇・戦争・アジア展」開催[10]。
- 1978年、第1回「第三世界とわれわれ展」(東京都美術館) [10]。
- 1984年、「アジアのなかの日本展」開催[10]。
- 1987年、「パレスチナ連帯展」開催[10]。
- 1994年、『桂川寛作品集 -戦後から世紀末へ1950〜1994-』(アートギャラリー環)刊行。
- 2004年11月、桂川潤の装丁、自らの装画で『廃墟の前衛──回想の戦後美術』(一葉社)[12]刊行。11月4日〜11月20日、同書の出版を記念して、東京・神田のアートギャラリー環にて、桂川寛個展を開催[13]。
- 2008年5月11日、「桂川寛展 《漂白(さすらい)の日の記録》“走り描いた古き街々の面影”」。同年、8月4日〜8月11日、展示会「『靖国』の闇に分け入って —アートで表現する YASUKUNI—」に池田龍雄、富山妙子らとともに出展。
- 2009年7月25日〜7月29日、開催された「池袋モンパルナス展」に作品を展示。ギャラリートークで講演。
- 2010年、代表的な油彩作品50余点を東京都豊島区に寄贈・寄託[14]。同年11月4日〜11月13日、青木画廊にて「桂川寛 回顧自選展」を開催[14]。翌2011年2月17日〜3月16日、豊島区に寄贈・寄託した作品を中心に、区立熊谷守一美術館において、「桂川寛展」を開催[4]。
- 2011年10月16日、肺炎のため死去[2]。
著作
[編集]- 『桂川寛作品集 -戦後から世紀末へ1950〜1994-』(アートギャラリー環、1994年)
- 『廃墟の前衛──回想の戦後美術』(一葉社、2004年)
表紙・挿絵を描いた主な出版物
[編集]- 『砂漠の木』(関根弘詩集、世紀群叢書、1949年)
- 『カフカ小品集』(花田清輝訳、世紀群叢書、1950年)
- 『壁』(安部公房、月曜書房、1951年)
- 『蘭』(安東次男詩集、月曜書房、1951年)
- 『きつねのさいばん』(ゲーテ、あかね書房、1952年)
- 『せむしの子馬』(エルショーフ、あかね書房、1952年)
- 『水晶の宮殿』(A.コレノ、あかね書房、1967年)
- 『母と子の世界の文豪童話シリーズ. 第12巻』(ドストエフスキーほか、研秀出版、1969年)
- 『分離の時間』(松本清張、光文社、1969年)
- 『世界終末十億年前』(ストルガツキー兄弟、群像社、1989年)
- 『月曜日は土曜日に始まる』(ストルガツキー兄弟、群像社、1989年)
- 『地獄から来た青年』(ストルガツキー兄弟、群像社、1994年)
所蔵・展示
[編集]家族
[編集]- 桂川潤(長男、装丁家)
関連人物
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『現代物故者事典2009~2011』(日外アソシエーツ、2012年)p.164
- ^ a b 「訃報:桂川寛さん87歳=画家」 毎日新聞 2011年10月19日付
- ^ a b 池上善彦「絵画的抵抗と二重の挫折」美術運動 artmovement
- ^ a b 東京都豊島区ホームページ「池袋モンパルナスの前衛精神を引き継ぐ 桂川寛」
- ^ 『廃墟の前衛──回想の戦後美術』、19頁
- ^ a b 『廃墟の前衛──回想の戦後美術』、15頁
- ^ 『廃墟の前衛──回想の戦後美術』、42頁
- ^ 毛利嘉孝氏 Nadiff talk 配布用レジュメ新宿区ダンボール絵画研究会
- ^ a b c d 「池袋モンパルナス」を1日楽しもう 桂川 寛氏が語る 池袋モンパルナスの戦後AYS:ブログ内
- ^ a b c d e f g 桂川 寛アートギャラリー環
- ^ 日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴日本美術会サイト内
- ^ 「論座」の批評・紹介ページ桂川潤サイト内
- ^ 「展覧会 ― 桂川寛個展」 朝日新聞 2004年11月2日付
- ^ a b 青木画廊2010年スケジュール「桂川寛展」