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橋口収

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋口 収
はしぐち おさむ
生年月日 1921年9月8日[1]
出生地 東京府東京市
没年月日 (2005-07-13) 2005年7月13日(83歳没)
出身校 東京帝国大学法学部
前職 広島銀行会長
広島商工会議所会頭
公正取引委員会委員長
国土事務次官
称号 従三位(2005年)
勲一等瑞宝章(1995年)
法学士(東京帝国大学・1943年
配偶者 あり
子女

在任期間 1977年9月13日 - 1982年9月12日

在任期間 1974年6月26日 - 1976年6月11日
国土庁長官 西村英一
丹羽兵助
金丸信

在任期間 1973年6月26日 - 1974年6月26日
大蔵大臣 愛知揆一
田中角栄(臨時)
福田赳夫

日本の旗 大蔵省理財局長
在任期間 1971年6月11日 - 1973年6月26日
大蔵大臣 福田赳夫
水田三喜男
植木庚子郎
愛知揆一

日本の旗 大蔵省主計局次長(筆頭)
在任期間 1970年6月25日 - 1971年6月11日
大蔵大臣 福田赳夫

その他の職歴
日本の旗 大蔵省主計局次長(次席)
1969年8月15日 - 1970年6月25日)
日本の旗 内閣官房内閣審議室長
総理府内閣総理大臣官房審議室長

1967年8月4日 - 1969年8月15日)
日本の旗 東京税関長
1966年8月1日 - 1967年8月4日)
日本の旗 大蔵省大臣官房文書課長
1964年7月3日 - 1966年8月1日)
日本の旗 大蔵省銀行局銀行課長
1962年6月1日 - 1964年7月3日)
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橋口 收(はしぐち おさむ、1921年大正10年)9月8日[1] - 2005年平成17年)7月13日)は、日本大蔵官僚。初代国土事務次官公正取引委員会委員長広島銀行頭取・会長、広島商工会議所会頭を歴任した[2]

来歴

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学習院初等科中等科(旧制)を経て、高等科(旧制)を卒業。中等科3年次から高等科卒業までは首席で通していた。模擬試験も上位に進出し、第一高等学校(旧制)在学生にも「学習院のすごい奴」として知られていた[3]1943年(昭和18年)に東京帝国大学法学部を卒業[2]。当時助教授だった川島武宜ゼミでも抜きん出た存在であり、川島からは大学に残るように勧められていた。しかし、橋口は「象牙の塔にこもるのは性に合わない」と振りきった[4]。東京帝大法学部卒業後、大蔵省に入省する。理財局に配属[5]。同年9月、大蔵省を一旦辞し、短期現役制度(二年現役主計科士官)に志願した。海軍主計見習尉官に任じられ、海軍経理学校にて初任教育を受ける。1944年(昭和19年)3月、海軍主計中尉に任官[1]。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に進み、終戦後の同年9月、予備役となり[1]、大蔵省に復職。

1957年(昭和32年)8月 大蔵大臣秘書官(事務担当)。1958年(昭和33年)6月から1964年(昭和39年)7月までの6年間は銀行局課長として過ごす[6]。筆頭課である総務課長こそ経験していないものの、特別金融課長(特金課長)中小金融課長銀行課長をそれぞれ務めた。「都銀地銀信託銀行など、各金融機関との調整は良い経験になった」と橋口は述べている[6]。1964年7月、大臣官房文書課長1966年8月 東京税関長1967年(昭和42年)8月 東京税関長から銀行局担当の大臣官房審議官に内定していたが、木村俊夫官房長官が橋口を内閣に引っ張り、橋口は内閣官房内閣審議室長となった[7]

大蔵官僚でのキャリアは銀行局が中心であるが、フランチャイズ制打破の人事の一環として、1969年(昭和44年)8月15日 主計局次長(次席)として送り込まれる[8]1971年(昭和46年)6月11日 理財局長1973年(昭和48年)6月26日 主計局長兼会計事務職員研修所長に就任、事務次官に昇格するものと思われたが、田中角栄内閣下で編成した1974年度予算が首相の指示で放漫財政になったためこれに反対、角福戦争に半ば巻き込まれる形で事務次官に就任できず、新設の国土事務次官に押し込まれた(事務次官に就任したのは、田中角栄が推した大蔵省同期の高木文雄主税局長)。主計局長になりながら事務次官の座を逃したのは、福田赳夫以来のことであった[9]

退官後は、公正取引委員会委員長広島銀行頭取、同会長を歴任した。広島銀行会長在任中に、広島に本社のあるマツダフォードとの提携事業をまとめた。

略歴

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人物

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著作

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  • 『饒舌と寡黙 愚痴の随想』サイマル出版会、1976年、新版1995年
  • 『新財政事情 大蔵官僚がみた国家財政の実像』サイマル出版会、1977年
  • 『美のフィールドワーク』創世記、1980年
  • 『若き官僚たちへの手紙』日本工業新聞社〈大手町ブックス〉、1983年
  • 『二十一世紀へのメッセージ 若きビジネスリーダーへ』金融財政事情研究会、1991年
  • 『「近代」の座標軸を求めて 文明・文化そぞろある記』金融財政事情研究会、1997年
  • 『[小説]銀行頭取』 経済界、2005年 没後に刊行

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』135頁。
  2. ^ a b 橋口収|コトバンク
  3. ^ 栗林良光『大蔵省主計局』講談社文庫、1990年2月発行、159頁
  4. ^ 栗林良光『大蔵省主計局』講談社文庫、1990年2月発行、160頁
  5. ^ a b 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年、361頁。
  6. ^ a b 『第4部エリート官僚の流儀(3) “非常時”が作る大物局長(大蔵省の研究)』日経金融新聞 1991/7/4付 1頁
  7. ^ 『[官僚からバンカーへ] 橋口収のざっくばらん人生/3 土地対策で国土庁発足』毎日新聞 1992.12.6 東京朝刊 経済 9頁
  8. ^ 中央公論,第11~12号』反省社、1971年発行、220頁
  9. ^ 倉山, p. 176.
  10. ^ 『新財政事情 大蔵官僚がみた国家財政の実像』サイマル出版会、1977年発行、106頁
  11. ^ 坂野常和『証券不況いつ晴れる?』毎日新聞社、1993年4月発行、16頁
  12. ^ 高本光雄『大蔵官僚の秘密:張り巡らされた人脈と出世レース』潮文社、1982年1月1日発行、53頁
  13. ^ 『職員録 上巻』大蔵省印刷局、1956年発行、320頁
  14. ^ 『日本官僚制の連続と変化:ライフヒストリー編』ナカニシヤ出版、2007年3月発行、20頁
  15. ^ 『週刊金融財政事情 第20巻、第28~39号』金融財政事情研究会、1969年7〜9月発行、32頁
  16. ^ 「95年秋の叙勲 勲一等・勲二等」『読売新聞』1995年11月3日朝刊
  17. ^ 驛賢太郎「官僚の専門性とキャリアパス : 大蔵省を事例として」『神戸法學雜誌』第63巻第2号、神戸法学会、2013年9月、39-111頁、doi:10.24546/81005335hdl:20.500.14094/81005335ISSN 04522400CRID 1390572174881628160 

参考文献

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  • 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年。
  • 倉山満『検証 財務省の近現代史』光文社新書、2012年3月。ISBN 978-4-334-03674-4 
  • 真渕勝『大蔵省統制の政治経済学』中央公論社〈中公叢書〉、1994年。
  • 栗林良光『大蔵省主計局』講談社文庫、1990年2月
官職
先代
新設
国土事務次官
1974年 - 1976年
次代
中橋敬次郎
先代
相澤英之
大蔵省主計局長
1973年 - 1974年
次代
竹内道雄
先代
相澤英之
大蔵省理財局長
1971年 - 1973年
次代
竹内道雄
先代
湊良之助
東京税関長
1966年 - 1967年
次代
下条進一郎
非営利団体
先代
鈴木太郎
公正取引協会会長
1994年 - 2004年
次代
柴田章平