武石胤盛
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時代 | 平安時代後期 - 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 久安2年(1146年) |
死没 | 建保3年6月13日(1215年7月11日) |
別名 | 三郎 |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 源頼朝 |
氏族 | 千葉氏→武石氏 |
父母 | 父:千葉常胤、母:秩父重弘娘 |
兄弟 |
千葉胤正、相馬師常、胤盛、 大須賀胤信、国分胤通、東胤頼、日胤 |
子 | 胤重 |
武石 胤盛(たけいし たねもり)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての武士・御家人。武石氏(後の亘理氏)祖。
略歴
[編集]久安2年(1146年)、千葉常胤の三男として誕生。下総国千葉郡武石郷[1]を領したことから、「武石三郎」を称する。
素加天王社(現花見川区幕張町一丁目の子守神社)の伝承によれば、胤盛は気が短く、父親の常胤と折り合いが悪かったので、しばらく山ごもりをしていたが、弟の大須賀胤信が気の毒に思って所領を分けてやり、武石に住まわせたという。
源頼朝が挙兵をすると、父と共に従い源義仲・伊勢平氏・奥州藤原氏と戦った。奥州合戦の後、父の常胤が頼朝から恩賞として受けた陸奥国の所領のうち、宇多郡・伊具郡・亘理郡の一部を譲られた。
子孫は拠点を亘理郡に移し、延元4年/暦応2年(1339年)頃に「亘理」を称し、武石に残った系統は千葉氏・里見氏に仕えたとされている。長野県上田市武石にも武石氏に関する伝承があり、武石小沢根の子檀嶺神社には胤盛の名を刻んだ石碑が立っている。
画像集
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胤盛を祀る武石神社
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子檀嶺神社の石碑
脚注
[編集]出典
[編集]- 岡田清一「武石胤盛」(安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1990年) ISBN ISBN 978-4-404-01757-4)
- 野口実「平胤盛」(『平安時代史事典』角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7