秋元春朝
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(毛利寛三郎から転送)
秋元春朝 あきもと はるとも | |
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『貴族院要覽』より | |
生年月日 | 1881年9月10日 |
出生地 |
日本 東京府 (現・東京都) |
没年月日 | 1948年5月13日(66歳没) |
出身校 | バーミンガム大学商科卒業 |
前職 | 実業家 |
所属政党 | 研究会 |
配偶者 | 秋元光子 |
親族 |
伯父・毛利元徳(貴族院議員) 弟・宍戸功男(貴族院議員) 義弟・立見豊丸(貴族院議員) 義弟・鍋島直縄(貴族院議員) 義弟・細川利寿(貴族院議員) 甥・鍋島直紹(科学技術庁長官) 従兄・毛利元昭(貴族院議員) 従兄・毛利五郎(貴族院議員) |
在任期間 | 1925年1月24日 - 1947年5月2日 |
秋元 春朝(あきもと はるとも、1881年〈明治14年〉9月10日[1] - 1948年〈昭和23年〉5月13日[1])は、大正から昭和前期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・毛利、旧名・寛三郎[1]。
経歴
[編集]東京府出身。子爵・毛利元功の三男として生まれ、子爵・秋元興朝の婿養子となる[1][2]。1904年(明治37年)学習院高等科を卒業[3]。イギリスに留学し、1908年(明治41年)、バーミンガム大学商科を卒業した[2][3]。養父・興朝の死去に伴い、1917年(大正6年)5月15日、家督を相続して子爵を襲爵した[1][4]。
1912年(明治45年・大正元年)以降、拓殖局嘱託、拓殖局総裁秘書官兼逓信大臣秘書官、鉄道大臣秘書官、日英博覧会事務局嘱託、英皇太子接伴準備委員、帝都高速度交通営団監事、鉄道会議議員、海事審議会委員、上毛電気鉄道相談役などを務めた[2][3]。
1925年(大正14年)1月24日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[5]、研究会に属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[3]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
関連項目
[編集]- ^ 中央大学史料委員会専門委員会・中央大学入学センター事務部大学史編纂課 『タイムトラベル中大125:1885→2010』 中央大学、2010年、254-255頁
外部リンク
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 秋元興朝 |
子爵 (館林)秋元家第2代 1917年 - 1947年 |
次代 (華族制度廃止) |