民間人閣僚
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民間人閣僚(みんかんじんかくりょう)とは、議院内閣制を採用する日本国憲法施行後に成立した内閣において、任命時に国会議員ではない国務大臣を指す。なお、衆議院解散などにより任命後に国会議員の身分を失っている国務大臣は民間人閣僚とは呼ばれない[注釈 1]。
概説
[編集]日本国憲法第68条において、「その(国務大臣の)過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない」とされている。
これは裏を返せば、半数未満であれば国会議員の中から選ばなくともよい事を意味する。現在、閣僚は最大19人任命できるため、9人までは民間人でもよいことになる[注釈 2]。
→詳細は「日本国憲法第68条」を参照
例として、岸内閣の藤山愛一郎や小泉内閣の竹中平蔵など著名人の起用例があり、藤山・竹中や川口順子など、後に国会議員に転身した者もいる。
また、竹下内閣の高辻正己法務大臣の場合は、前任者の長谷川峻がリクルートから政治献金を受けたことにより法相を辞任し、内閣法制局長官や最高裁判所裁判官などを歴任した非国会議員の高辻が起用された。
仮に、国会議員たる国務大臣が改選時に落選したり引退しても、任命時に国会議員であった以上は憲法第68条による制限を受けないが、衆院選後の組閣又は内閣改造により退任することが多く、そのまま民間人閣僚として在任し続ける例は少ない。
主に官僚、大学教員、実業家、地方公共団体の首長経験者などで、実績のある人物が任命されることが多い。
2023年現在、野田内閣で防衛大臣を務めた森本敏が2012年12月26日に退任して以降は、約10年にわたり民間人閣僚は起用していない。
民間人閣僚の一覧
[編集]- ここでは任命時に国会議員経験がない閣僚について記載する。
- 「※」は大臣在任中に国会議員となったことをしめし、国会議員となった時点で民間人閣僚の期間を終了としている。
- 前職などに関しては、任命直前についていた職を除き、「前」は職を辞してから大臣任命まで短期間であり、その間主要な職についていない場合、「元」は職を辞してから大臣任命まである程度期間があり、その間、他の職についている場合を示す。
備考
[編集]→「国務大臣 § 在任中の落選」も参照
- 1965年7月の任期満了まで参議院議員を2期務めた宮澤喜一は衆議院議員への鞍替え立候補を予定しており、国会議員でなかった時期の1966年12月3日に経済企画庁長官に就任している。宮澤は経企庁長官在任中に翌1967年2月17日に衆院選で当選を果たした。
- 日本国憲法施行下で、衆議院・参議院議員の閣僚が選挙で落選(衆議院の場合は解散後の落選も含む)または選挙に立候補せず任期満了により非国会議員となったが、次の組閣や内閣改造までに大臣に一定期間留任して「形式上、民間人閣僚」になった事例は以下の通りである。
- 1949年:第2次吉田内閣の工藤鐵男行政管理庁長官(24日間)- 落選
- 1953年:第4次吉田内閣の林屋亀次郎国務大臣(19日間) - 落選
- 1955年:第1次鳩山一郎内閣の武知勇記郵政大臣(20日間)- 落選
- 1958年:第1次岸改造内閣の唐澤俊樹法務大臣(21日間)- 落選
- 1976年:三木改造内閣の大石武一農林水産大臣、天野公義自治大臣、前田正男科学技術庁長官(19日間)- 落選
- 1983年:第1次中曽根内閣の瀬戸山三男文部大臣、大野明労働大臣、谷川和穂防衛庁長官(9日間)- 落選
- 1990年:第1次海部内閣の江藤隆美運輸大臣(10日間)- 落選
- 1995年:村山内閣の浜本万三労働大臣(16日間) - 立候補せず
- 1996年:第1次橋本内閣の田中秀征経済企画庁長官(18日間)- 落選
- 1998年:第2次橋本内閣の大木浩環境庁長官(5日間) - 落選
- 2000年:第1次森内閣の玉澤徳一郎農林水産大臣、深谷隆司通商産業大臣(9日間) - 両者とも落選
- 2004年:第2次小泉内閣の野沢太三法務大臣(64日間) - 立候補せず
- 2010年:菅直人内閣の千葉景子法務大臣(49日間) - 落選
- 2012年:野田第3次改造内閣の樽床伸二総務大臣、滝実法務大臣、城島光力財務大臣、田中真紀子文部科学大臣、三井辨雄厚生労働大臣、藤村修内閣官房長官[注釈 3]、小平忠正国家公安委員長、中塚一宏内閣府特命担当大臣、下地幹郎内閣府特命担当大臣(10日間) - 滝は立候補せず、これ以外の者は全員落選
- 2016年:第3次安倍内閣の岩城光英法務大臣、島尻安伊子内閣府特命担当大臣(9日間) - 両名とも落選
- 2022年:第2次岸田内閣の金子原二郎農林水産大臣、二之湯智国家公安委員長(16日間) - 両名とも立候補せず
- 2024年:石破内閣の牧原秀樹法務大臣、小里泰弘農林水産大臣(15日間) - 両名とも落選
- 第2次小泉改造内閣の農林水産副大臣であった岩永峯一(衆議院議員)は、2005年8月8日の衆議院解散にともない、国会議員の地位を失いつつも引き続き同副大臣を務めていたが、先に農林水産大臣の島村宜伸が解散に反対して罷免されたことにより小泉純一郎が同職を兼務しており、同月11日に小泉に代わり農林水産大臣に就任し、形式上の民間人閣僚となった。その後、岩永は9月11日の衆院選で当選した。
- 歴代の内閣において民間人閣僚の割合が最多なのは第1次小泉内閣のうち2002年1月30日-2月7日の期間。首相を含めた閣僚17人に対し、民間人閣僚は3人(川口順子・遠山敦子・竹中平蔵)で17.6%(議員任期満了または衆議院解散により途中から形式的に民間人閣僚となった事例は除く)。
- 「民間人閣僚」とはいっても純然たる民間出身者(民間企業のみでの職歴を持つ者や大学等での研究者など)は少数であり、官僚出身者が目立つことがわかる。野田内閣までに全24人存在する「民間人閣僚」中、中央省庁での官僚経験を持つものは13人と半数を超えている[注釈 4]。
- 佐藤栄作は国会議員初当選前(官僚であったころ)の1948年10月17日に第2次吉田内閣で当時国務大臣の充て職ポストではなかった内閣官房長官[注釈 5]に任命されたことがある。佐藤は官房長官在任中に翌1949年1月23日に衆院選で当選を果たした。
- 日本国憲法下で民間人閣僚がいなかった最長期間は、第1次岸内閣で外務大臣だった藤山愛一郎が衆院選で当選をした1958年5月22日から、三木内閣で永井道雄が文部大臣に任命される前日の1974年12月8日までの5830日間(約16年6ヶ月)である。
- 大臣を補佐する副大臣、大臣政務官も、法律上、民間人を起用することは可能とされているが、これまでに民間人が起用された例はなく、すべて国会議員から起用されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ただし、野田第3次改造内閣では、現職閣僚8人が2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で落選し、参議院議員以外で選挙に立候補しなかった閣僚2人を含め、閣僚18人中10人が民間人となり、同日から総辞職した同年12月26日までは民間人の閣僚が最多となった(閣僚の過半数が民間人となった唯一の事例)。
- ^ 本来は最大17人(民間人は上限8人)だが、現在は復興大臣及び国際博覧会担当大臣設置のため、閣僚枠が2人増員されている。
- ^ 1963年の認証官制以降、内閣官房長官が国政選挙落選による形式上の民間人閣僚となった初の事例であり、2023年7月現在でも唯一の事例である。
- ^ 中央官庁官僚経験者は検事経験がある木村篤太郎や日本銀行出身の一萬田尚登を除く。なお、この2名のほか、研究者出身5名、民間企業出身4名となっている。
- ^ 1966年6月の内閣法改正で、内閣官房長官は国務大臣を充職する規定になった。
出典
[編集]関連項目
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