池田太
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名前 | ||||||
カタカナ | イケダ フトシ | |||||
ラテン文字 | IKEDA Futoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1970年10月4日(54歳) | |||||
出身地 | 東京都小金井市 | |||||
身長 | 177cm[1] | |||||
体重 | 70kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1986-1988 | 武南高校 | |||||
1989-1992 | 青山学院大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1993-1996 | 浦和レッズ | 53 | (1) | |||
通算 | 53 | (1) | ||||
監督歴 | ||||||
2000-2001 | 浦和レッズユース | |||||
2012 | アビスパ福岡(代行) | |||||
2017-2022 | 日本女子U-20 | |||||
2021-2024 | 日本女子 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2011年12月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
池田 太(いけだ ふとし、1970年10月4日 - )は、東京都小金井市出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはDF。JFA 公認S級コーチ[2]。
経歴
[編集]武南高校時代からセンターバックを務め、3年次の1988年には川合孝治、石川康らと共に高校総体ベスト4進出、高校サッカー選手権ベスト8進出に貢献し大会優秀選手に選出された。
1989年に川合と共に関東大学リーグ2部の青山学院大学へ進学。1年次からレギュラーを務め1部昇格に貢献。バルセロナ五輪代表候補にも選出された。
1993年にJリーグ開幕の年に浦和レッズへ入団。連敗が続き守備の建て直しが図られた事情から1stステージから出場機会を掴み、主に左サイドバックを担当した。1994年にはサンフレッチェ広島から田口禎則、柏レイソルから曹貴裁が加入しポジション争いが激しくなったが、セカンドステージではレギュラーの座を獲得。曹やドイツ代表のギド・ブッフバルトらと共に守備陣支え、1994年シーズンのレッズで最も成長した選手との評価を得た[3]。
1996年限りで現役を引退。引退後は指導者の道へ進み、翌1997年からは浦和のユースチームのコーチ、2002年から2008年までは浦和のトップチームのコーチを務めた。2009年からは浦和レッズハートフルクラブのコーチを務めている。
2012年シーズンよりアビスパ福岡のトップチームのヘッドコーチに就任した[2]。10月29日、成績不振による前田浩二監督の解任に伴い、監督代行に就任。11月4日の京都サンガF.C.戦と11月11日のガイナーレ鳥取戦の指揮を執る。
2017年からは2018 FIFA U-20女子ワールドカップ出場を目指すU-19サッカー日本女子代表監督に就任[4]。同年のAFC U-19女子選手権2017にて優勝に導く[5]。2018 FIFA U-20女子ワールドカップ初優勝に導く。同年のAFCアニュアルアワードでAFC会長特別賞を受賞[6]。
所属クラブ
[編集]- 小金井市立小金井第四小学校
- 小金井市立南中学校
- 武南高校
- 青山学院大学
- 1993年 - 1996年 浦和レッズ
個人成績
[編集]1996年シーズン終了時の成績[8]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1993 | 浦和 | - | J | 18 | 1 | 5 | 0 | 0 | 0 | 23 | 1 |
1994 | 27 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |||
1995 | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | ||||
1996 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
通算 | 日本 | J | 53 | 1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 61 | 1 | |
総通算 | 53 | 1 | 7 | 0 | 1 | 0 | 61 | 1 |
指導歴
[編集]- 1997年 - 2011年 浦和レッズ
- 1997年 - 1999年 ユース コーチ
- 2000年 ユース 監督
- 2001年 ユース コーチ
- 2002年 - 2008年 トップチーム コーチ
- 2009年 - 2011年 ハートフルクラブ コーチ
- 2012年 - 2016年 アビスパ福岡
- 2012年 - 2014年 トップチーム ヘッドコーチ
- 2012年10月 - 12月 トップチーム 監督代行
- 2015年[9] - 2016年 トップチーム コーチ
- 2017年 - 2022年 U-19/U-20日本女子代表監督[4] 兼 U-17日本女子代表監督代行
- 2021年10月[7] - 2024年8月[10] 日本女子代表監督
表彰
[編集]- 2018年 AFC会長特別賞
脚注
[編集]- ^ a b “池田 太”. J.League Data Site. 2023年9月19日閲覧。
- ^ a b “池田 太 氏 トップチーム ヘッドコーチ就任のお知らせ”. アビスパ福岡公式サイト (2011年12月15日). 2012年3月10日閲覧。
- ^ 『浦和レッズ・オフィシャルハンドブック1995』34-35頁
- ^ a b 2017年度JFA第1回理事会を開催 - 2017年1月19日 JFA
- ^ U-19日本女子代表 大会連覇、5度目の優勝に輝く~AFC U-19女子選手権~ 日本サッカー協会
- ^ 『AFCアニュアルアワード2018 日本はインスパイアリング協会賞など6部門で受賞』(プレスリリース)日本サッカー協会、2018年11月29日 。2019年1月6日閲覧。
- ^ a b 『なでしこジャパン(日本女子代表)監督に池田太氏が就任』(プレスリリース)日本サッカー協会、2021年10月1日 。2021年10月2日閲覧。
- ^ “R-File”. URAWA RED DIAMONDS OFFICIAL WEBSITE. 2012年3月10日閲覧。
- ^ “2015 シーズン新体制 および 選手背番号決定のお知らせ”. アビスパ福岡公式サイト (2015年1月13日). 2015年1月14日閲覧。
- ^ 『なでしこジャパン 池田太監督が退任』(プレスリリース)日本サッカー協会、2024年8月21日 。
参考文献
[編集]- 三菱自動車フットボールクラブ『RED DIAMONDS OFFICIAL HANDBOOK 1994』南雲堂、1994年
- 浦和レッドダイヤモンズ『浦和レッズ・オフィシャルハンドブック1995』アストロ教育システム、1995年
- 『浦和レッズ10年史』ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- ナショナルコーチングスタッフ|日本代表|JFA |日本サッカー協会
- 池田太 - Soccerway.com
- 池田太 - FootballDatabase.eu
- 池田太 - WorldFootball.net
- 池田太 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 池田太 - Transfermarkt.comによる指導者データ
- 池田太 - J.League Data Siteによる選手データ