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河野孝子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
河野 孝子
こうの たかこ
生年月日 1913年9月26日
出生地 大阪府
没年月日 1994年1月22日
出身校 大阪府立生野高等女学校(現・大阪府立勝山高等学校
所属政党 自由民主党
称号 勲四等宝冠章
配偶者 河野金昇(衆議院議員)

選挙区 旧愛知3区
当選回数 1回
在任期間 1958年5月22日 - 1960年10月24日
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河野 孝子(こうの たかこ、1913年9月26日[1] - 1994年1月22日[2])は、日本の政治家自由民主党衆議院議員(1期)。政治家河野金昇の妻。

経歴

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大阪府出身[注 1]1931年、大阪府立生野高等女学校(後の大阪府立勝山高等学校)卒業[1][3]。河野金昇と結婚する。

1946年、夫の金昇が国会議員となる。金昇の当選は6回を数えた。1958年3月29日、夫が急死。その後継者として同年5月の第28回衆議院議員総選挙愛知3区から自由民主党公認で立候補して当選した。党内では幹事、婦人局生活部長、全国組織委員会婦人対策部長を歴任した[3]。衆議院議員は1期務め、1960年の総選挙には出馬せず、秘書だった海部俊樹(後・内閣総理大臣)が後継者となった[4]。1993年、勲四等宝冠章受章[5]

1994年1月22日、死去。日本赤十字社婦人会愛知県役員を務めた[3]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』259頁には「東京都出身」と記載。

出典

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  1. ^ a b 『日本人事録 第6版』全国篇、306頁。
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』478頁。
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』259頁。
  4. ^ 『中部日本新聞』1960年9月17日付朝刊、尾張版、5面、「海部俊樹氏が出馬 衆院選第三区 河野現代議士に代わり」。
  5. ^ 「93年秋の叙勲(都内分) 努力今むくわれて喜びの受章者」『読売新聞』1993年11月3日朝刊

参考文献

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  • 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。