愛知県第3区 (中選挙区)
愛知県第3区(あいちけんだい3く)は、かつて存在した衆議院の選挙区。1947年の第23回衆議院議員総選挙から設置された。廃止まで定数は3。海部俊樹元総理の選出区である。現在の小選挙区では、9区、10区全域と、16区の一部に該当する。
概要
[編集]地勢
[編集]愛知県北西部の選挙区である。農村部ではあるものの、繊維工業が盛んで工場労働者も多い。更に高度経済成長以降は名古屋への通勤圏となったことから選挙区内の人口が急増し、ホワイトカラー労働者やその家族も少なからず居住している。
勢力の推移
[編集]最初の1947年・第23回総選挙では、大選挙区時代の第22回総選挙(1946年)で当選した江﨑真澄(自由党)・河野金昇(国民協同党)と、日本社会党から初当選した佐藤観次郎で議席を分け合った。その後、第24回総選挙で初当選した鈴木幹雄を交えた4人が3議席を争う状況が続くものの、鈴木は1955年の第27回総選挙で落選・引退。1958年には河野が死去し、未亡人の孝子が1期務めた後、秘書の海部俊樹が地盤を継承する。
その後は江﨑真澄→鐵磨・佐藤観次郎→観樹・海部の3人が、ほぼ指定席として議席を分け合うことが、小選挙区導入まで続いた。多党化の傾向が見られた1970年代からは民社党が繊維労働者の組織などを背景に候補を擁立し、第39回総選挙と第40回総選挙には津島市長を務めた井桁克が出馬するなど、それなりの得票があったものの現職(前職)独占の壁を崩せずに終わった。なお小選挙区導入直後の第41回総選挙では、海部・佐藤が愛知9区で、江﨑が愛知10区から出馬したが、佐藤は第42回総選挙から10区に鞍替えしている。
区域
[編集]※自治体の名称は第40回衆議院議員総選挙時点のものである。
1950年(昭和25年)公職選挙法施行当時の区域は以下のとおりである(定数3)[1]。
- 一宮市
- 津島市
- 丹羽郡
- 葉栗郡
- 中島郡
- 海部郡
選出議員
[編集]選挙名 | 年 | #1 | #2 | #3 |
---|---|---|---|---|
第23回衆議院議員総選挙 | 1947年 | 江﨑真澄 (日本自由党) |
河野金昇 (国民協同党) |
佐藤観次郎 (日本社会党) |
第24回衆議院議員総選挙 | 1949年 | 江﨑真澄 (民主自由党) |
鈴木幹雄 (民主党) |
河野金昇 (国民協同党) |
第25回衆議院議員総選挙 | 1952年 | 江﨑真澄 (自由党) |
佐藤観次郎 (左派社会党) |
河野金昇 (改進党) |
第26回衆議院議員総選挙 | 1953年 | 佐藤観次郎 (左派社会党) |
河野金昇 (改進党) |
鈴木幹雄 (改進党) |
第27回衆議院議員総選挙 | 1955年 | 江﨑真澄 (自由党) |
河野金昇 (日本民主党) |
佐藤観次郎 (左派社会党) |
第28回衆議院議員総選挙 | 1958年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
河野孝子 (自由民主党) |
佐藤観次郎 (日本社会党) |
第29回衆議院議員総選挙 | 1960年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観次郎 (日本社会党) |
海部俊樹 (自由民主党) |
第30回衆議院議員総選挙 | 1963年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観次郎 (日本社会党) |
海部俊樹 (自由民主党) |
第31回衆議院議員総選挙 | 1967年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
海部俊樹 (自由民主党) |
佐藤観次郎 (日本社会党) |
第32回衆議院議員総選挙 | 1969年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
海部俊樹 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
第33回衆議院議員総選挙 | 1972年 | 江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
海部俊樹 (自由民主党) |
第34回衆議院議員総選挙 | 1976年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
第35回衆議院議員総選挙 | 1979年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
第37回衆議院議員総選挙 | 1983年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
江﨑真澄 (自由民主党) |
第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 | 海部俊樹 (自由民主党) |
江﨑鐵磨 (新生党) |
佐藤観樹 (日本社会党) |
選挙結果
[編集]第35回〜第40回 (1979年〜1993年)
[編集]解散日:1993年(平成5年)6月18日 投票日:1993年(平成5年)7月18日
当日有権者数:788,890人 最終投票率:66.07%(前回比:7.68ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 62 | 自由民主党 | 前 | 194,863票 | 37.87% | |
当 | 江﨑鐵磨 | 49 | 新生党 | 新 | 113,958票 | 22.15% | |
当 | 佐藤観樹 | 51 | 日本社会党 | 前 | 83,052票 | 16.14% | |
森治男 | 47 | 民社党 | 新 | 81,204票 | 15.78% | ||
岸野知子 | 43 | 日本共産党 | 新 | 28,586票 | 5.56% | ||
井桁克 | 53 | 無所属 | 新 | 10,598票 | 2.06% | ||
石黒勝 | 37 | 国民党 | 新 | 1,024票 | 0.20% | ||
斉藤潤 | 43 | 雑民党 | 新 | 730票 | 0.14% | ||
小野里勉 | 30 | 国民党 | 新 | 564票 | 0.11% |
解散日:1990年(平成2年)1月24日 投票日:1990年(平成2年)2月18日
当日有権者数:739,309人 最終投票率:73.75%(前回比:3.43ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 59 | 自由民主党 | 前 | 195,713票 | 36.19% | |
当 | 佐藤観樹 | 48 | 日本社会党 | 前 | 120,728票 | 22.32% | |
当 | 江﨑真澄 | 74 | 自由民主党 | 前 | 105,980票 | 19.60% | |
森治男 | 44 | 民社党 | 新 | 83,189票 | 15.38% | ||
祖父江儀男 | 54 | 日本共産党 | 新 | 24,509票 | 4.53% | ||
井桁克 | 50 | 無所属 | 新 | 10,707票 | 1.98% |
解散日:1986年(昭和61年)6月2日 投票日:1986年(昭和61年)7月6日
当日有権者数:697,207人 最終投票率:70.32%(前回比:6.76ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 55 | 自由民主党 | 前 | 133,829票 | 28.09% | |
当 | 江﨑真澄 | 70 | 自由民主党 | 前 | 131,763票 | 27.66% | |
当 | 佐藤観樹 | 44 | 日本社会党 | 前 | 94,912票 | 19.92% | |
森治男 | 40 | 民社党 | 新 | 83,575票 | 17.54% | ||
祖父江儀男 | 50 | 日本共産党 | 新 | 32,335票 | 6.79% |
解散日:1983年(昭和58年)11月28日 投票日:1983年(昭和58年)12月18日
当日有権者数:675,707人 最終投票率:63.56%(前回比:10.49ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 52 | 自由民主党 | 前 | 123,415票 | 29.00% | |
当 | 江﨑真澄 | 68 | 自由民主党 | 前 | 107,918票 | 25.36% | |
当 | 佐藤観樹 | 41 | 日本社会党 | 前 | 91,540票 | 21.51% | |
森治男 | 37 | 民社党 | 新 | 73,301票 | 17.23% | ||
祖父江儀男 | 48 | 日本共産党 | 新 | 29,348票 | 6.90% |
解散日:1980年(昭和55年)5月19日 投票日:1980年(昭和55年)6月22日
当日有権者数:648,030人 最終投票率:74.05%(前回比:8.49ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 49 | 自由民主党 | 前 | 145,322票 | 30.96% | |
当 | 江﨑真澄 | 64 | 自由民主党 | 前 | 126,648票 | 26.99% | |
当 | 佐藤観樹 | 38 | 日本社会党 | 前 | 93,208票 | 19.86% | |
前山茂 | 48 | 民社党 | 新 | 68,984票 | 14.70% | ||
祖父江儀男 | 44 | 日本共産党 | 新 | 35,162票 | 7.49% |
解散日:1979年(昭和54年)9月7日 投票日:1979年(昭和54年)10月7日
当日有権者数:640,572人 最終投票率:65.56%(前回比:0.10ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 48 | 自由民主党 | 前 | 119,049票 | 28.62% | |
当 | 江﨑真澄 | 63 | 自由民主党 | 前 | 117,928票 | 28.35% | |
当 | 佐藤観樹 | 37 | 日本社会党 | 前 | 84,244票 | 20.25% | |
前山茂 | 47 | 民社党 | 新 | 63,698票 | 15.31% | ||
祖父江儀男 | 44 | 日本共産党 | 新 | 31,112票 | 7.48% |
第29回〜第34回 (1960年〜1976年)
[編集]任期満了日: 投票日:1976年(昭和51年)12月5日
当日有権者数:621,403人 最終投票率:65.46%(前回比:1.75ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 海部俊樹 | 45 | 自由民主党 | 前 | 151,151票 | 37.69% | |
当 | 佐藤観樹 | 34 | 日本社会党 | 前 | 100,427票 | 25.04% | |
当 | 江﨑真澄 | 61 | 自由民主党 | 前 | 97,643票 | 24.35% | |
祖父江儀男 | 41 | 日本共産党 | 新 | 41,782票 | 10.42% | ||
伊藤清 | 29 | 無所属 | 新 | 9,984票 | 2.49% |
解散日:1972年(昭和47年)11月13日 投票日:1972年(昭和47年)12月10日
当日有権者数:574,977人 最終投票率:67.21%(前回比:11.57ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江﨑真澄 | 57 | 自由民主党 | 前 | 104,397票 | 27.29% | |
当 | 佐藤観樹 | 30 | 日本社会党 | 前 | 94,413票 | 24.68% | |
当 | 海部俊樹 | 41 | 自由民主党 | 前 | 87,733票 | 22.94% | |
川上照彦 | 36 | 民社党 | 新 | 62,231票 | 16.27% | ||
花木善市 | 48 | 日本共産党 | 新 | 33,716票 | 8.81% |
解散日:1969年(昭和44年)12月2日 投票日:1969年(昭和44年)12月27日
当日有権者数:511,954人 最終投票率:55.64%(前回比:8.73ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江﨑真澄 | 54 | 自由民主党 | 前 | 101,397票 | 36.21% | |
当 | 海部俊樹 | 38 | 自由民主党 | 前 | 82,695票 | 29.53% | |
当 | 佐藤観樹 | 27 | 日本社会党 | 新 | 67,806票 | 24.21% | |
安藤光明 | 41 | 日本共産党 | 新 | 28,132票 | 10.05% |
解散日:1966年(昭和41年)12月27日 投票日:1967年(昭和42年)1月29日
当日有権者数:444,200人 最終投票率:64.37%(前回比:3.62ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江﨑真澄 | 51 | 自由民主党 | 前 | 102,372票 | 36.39% | |
当 | 海部俊樹 | 36 | 自由民主党 | 前 | 80,874票 | 28.75% | |
当 | 佐藤観次郎 | 65 | 日本社会党 | 前 | 77,107票 | 27.41% | |
安藤光明 | 38 | 日本共産党 | 新 | 20,941票 | 7.44% |
解散日:1963年(昭和38年)10月23日 投票日:1963年(昭和38年)11月21日
当日有権者数:384,540人 最終投票率:67.99%(前回比:7.39ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江﨑真澄 | 47 | 自由民主党 | 前 | 107,761票 | 41.67% | |
当 | 佐藤観次郎 | 62 | 日本社会党 | 前 | 72,224票 | 27.93% | |
当 | 海部俊樹 | 32 | 自由民主党 | 前 | 57,586票 | 22.27% | |
佐藤義金 | 32 | 無所属 | 新 | 11,566票 | 4.47% | ||
安藤光明 | 35 | 日本共産党 | 新 | 9,441票 | 3.65% |
解散日:1960年(昭和35年)10月24日 投票日:1960年(昭和35年)11月20日
当日有権者数:350,170人 最終投票率:75.38%(前回比:ポイント)
当落 | 氏名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧 | 得票 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江﨑真澄 | 44 | 自由民主党 | 前 | 96,902票 | 37.07% | |
当 | 佐藤観次郎 | 59 | 日本社会党 | 前 | 51,230票 | 19.60% | |
当 | 海部俊樹 | 29 | 自由民主党 | 新 | 49,767票 | 19.04% | |
加藤正見 | 38 | 自由民主党 | 新 | 33,853票 | 12.95% | ||
朝見清道 | 37 | 民主社会党 | 新 | 24,447票 | 9.35% | ||
安藤光明 | 32 | 日本共産党 | 新 | 4,117票 | 1.58% | ||
柴田捨吉 | 49 | 無所属 | 新 | 1,069票 | 0.41% |
第23回〜第28回 (1947年〜1958年)
[編集]第28回衆議院議員総選挙 (1958年(昭和33年)5月22日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江崎真澄 | 42 | 自由民主党 | 前 | 79,883票 | 29.8% |
当 | 河野孝子 | 44 | 自由民主党 | 新 | 65,486票 | 24.4% |
当 | 佐藤観次郎 | 56 | 日本社会党 | 前 | 50,820票 | 18.9% |
石川辰正 | 42 | 日本社会党 | 新 | 31,917票 | 11.9% | |
中西竹太 | 53 | 無所属 | 新 | 31,135票 | 11.6% | |
加藤正見 | 35 | 無所属 | 新 | 6,568票 | 2.4% | |
安藤光明 | 29 | 日本共産党 | 新 | 2,672票 | 1.0% |
- 前回の総選挙後海部郡富田町、南陽町が名古屋市と合併により愛知1区に選挙区が移り愛知県第3区から離れた。
第27回衆議院議員総選挙 (1955年(昭和30年)2月27日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江崎真澄 | 39 | 自由党 | 元 | 71,520票 | 29.7% |
当 | 河野金昇 | 45 | 日本民主党 | 前 | 53,251票 | 22.1% |
当 | 佐藤観次郎 | 53 | 社会党左派 | 前 | 47,410票 | 19.7% |
鈴木幹雄 | 50 | 日本民主党 | 前 | 42,099票 | 17.5% | |
滝正明 | 41 | 自由党 | 新 | 20,028票 | 8.3% | |
柳沢彦三郎 | 49 | 社会党右派 | 新 | 3,547票 | 1.5% | |
大森諄治 | 35 | 日本共産党 | 新 | 3,332票 | 1.4% |
第26回衆議院議員総選挙 (1953年(昭和28年)4月19日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 佐藤観次郎 | 51 | 社会党左派 | 前 | 52,455票 | 23.2% |
当 | 河野金昇 | 43 | 改進党 | 前 | 50,165票 | 22.2% |
当 | 鈴木幹雄 | 48 | 改進党 | 元 | 47,842票 | 21.1% |
江崎真澄 | 37 | 分党派自由党 | 前 | 43,228票 | 19.1% | |
滝正明 | 39 | 自由党 | 新 | 25,865票 | 11.4% | |
倉知武雄 | 44 | 社会党右派 | 新 | 3,052票 | 1.3% | |
大森諄治 | 33 | 日本共産党 | 新 | 2,801票 | 1.2% | |
前川健太郎 | 42 | 無所属 | 新 | 960票 | 0.4% |
第25回衆議院議員総選挙 (1952年(昭和27年)10月1日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江崎真澄 | 36 | 自由党 | 前 | 67,033票 | 29.3% |
当 | 佐藤観次郎 | 51 | 社会党左派 | 元 | 56,428票 | 24.6% |
当 | 河野金昇 | 42 | 改進党 | 前 | 55,628票 | 24.3% |
鈴木幹雄 | 47 | 改進党 | 前 | 43,959票 | 19.2% | |
大森諄治 | 32 | 日本共産党 | 新 | 3,150票 | 1.4% | |
今井金平 | 67 | 無所属 | 新 | 2,893票 | 1.3% |
第24回衆議院議員総選挙 (1949年(昭和24年)1月23日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江崎真澄 | 35 | 民主自由党 | 前 | 74,637票 | 33.6% |
当 | 鈴木幹雄 | 46 | 民主党 | 新 | 46,071票 | 20.7% |
当 | 河野金昇 | 40 | 国民協同党 | 前 | 44,474票 | 20.0% |
佐藤観次郎 | 49 | 日本社会党 | 前 | 32,242票 | 14.5% | |
加藤進 | 41 | 日本共産党 | 新 | 17,404票 | 7.8% | |
大脇彦雄 | 46 | 日本革新党 | 新 | 7,613票 | 3.4% |
第23回衆議院議員総選挙 (1947年(昭和22年)4月25日執行)
当日有権者数:人 投票率:%(前回比:)
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 |
---|---|---|---|---|---|---|
当 | 江崎真澄 | 33 | 日本自由党 | 前 | 60,722票 | 28.3% |
当 | 河野金昇 | 38 | 国民協同党 | 前 | 47,625票 | 22.2% |
当 | 佐藤観次郎 | 46 | 日本社会党 | 新 | 36,342票 | 16.9% |
内藤守正 | 70 | 民主党 | 元 | 28,673票 | 13.4% | |
大野正直 | 56 | 民主党 | 新 | 22,146票 | 10.3% | |
平野辰三 | 57 | 民主党 | 新 | 13,899票 | 6.5% | |
加藤進 | 39 | 日本共産党 | 新 | 5,323票 | 2.5% |
脚注
[編集]- ^ “衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第007回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法 法律第百号(昭二五・四・一五)”. 衆議院 (1950年4月15日). 2022年1月23日閲覧。地名は1950年(昭和25年)当時のものである。