コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

浅井久仁臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あさい くにおみ

浅井 久仁臣
生誕 (1947-09-17) 1947年9月17日(77歳)
愛知県岡崎市
国籍 日本の旗 日本
出身校 愛知県立岡崎高等学校
職業 ジャーナリスト
活動期間 1971年 -
配偶者 神直子
公式サイト 浅井久仁臣の人生劇場
テンプレートを表示

浅井 久仁臣(あさい くにおみ、1947年9月17日 - )は、日本のジャーナリスト。中近東情勢、災害対策・防災などを専門とする[1][2][3]

来歴・人物

[編集]

愛知県岡崎市生まれ[4]。1歳のとき、職業軍人だった父親を結核で亡くす[5]。母親は西三河で最初の女性校長に就任した浅井千代子[6][7][8]岡崎市立男川小学校[9]岡崎市立美川中学校[10]愛知県立岡崎高等学校卒業[11]。1浪後の1967年、獨協大学外国語学部英語学科に入学するが、半年で退学[12]

1970年に渡英。同年9月、皿洗いとして働いていたホテルのテレビでPFLP旅客機同時ハイジャック事件のニュースを見たことがきっかけで、パレスチナ問題に興味を抱く。1971年ヨルダンシリアに入り、パレスチナ難民キャンプなどの取材を始めた[13][5]

毎日新聞ロンドン支局で助手を務めた後、1973年AP通信に入社[5]。アジア総局の記者として、日本国内および中国、朝鮮半島を担当した。1976年2月6日、ロッキードのコーチャン副会長が日本への航空機売り込み工作の内容をチャーチ委員会で証言[14]。AP通信のジャパン・デスクでこのニュースを受け取った浅井は「ロッキード番担当」を編集長に申し出る。それから半年間、ロッキード事件の取材にかかりきりになった[15]。同年、AP通信を退職後、フリーランス・ジャーナリストとしてレバノン内戦を取材[4]。テレビ・ラジオ・雑誌などに取材報告を発表。

記者活動と並行して、1977年2月、埼玉県浦和市(現・さいたま市南区南浦和)に英会話教室(ASE英会話スクール)を開校した[12]

1981年10月、アラファトPLO議長の初来日の密着取材を行う。1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻を、TBSの契約特派員として現地取材。この頃から民生用のビデオカメラを使っての単独取材を始めた。

TBS特派員として天安門事件湾岸戦争を現地取材。1993年、数度にわたりユーゴスラビア紛争を取材。「サラエボのロミオとジュリエット」の射殺現場を世界で初めて撮影し、TBSテレビ『報道特集』で発表した。

1995年1月、阪神・淡路大震災の発生直後に防災・災害支援ボランティア団体「アクト・ナウ(ACT NOW)」を設立した[2]。被災現場に軽トラックを持ち込み、神戸市長田区に若者達とテント基地を設け、救援・支援活動を行った。埼玉県地震対策課は阪神大震災でボランティアが果たした役割を重視し、防災ボランティア登録制度を始めた[16]。「アクト・ナウ」はその後、浦和市消防本部(現・さいたま市消防局)の訓練指導を受け、「帰宅難民ウォーク」[17]「外国籍住民向け防災訓練」「図上想定訓練」など訓練の普及活動を行う。

2002年テレビ朝日と契約し、当時、軍事占領下にあったパレスチナに潜入取材[4]2003年3月のイラク戦争では解説者としてテレビ出演。同年春から「メディア塾」を東京都内などで開設した[12]2006年1月、「アクト・ナウ」の活動を停止。

2007年4月8日投開票のさいたま市議会議員選挙(南区選挙区)に無所属で出馬するも、落選。公約を「災害に強い街づくり」に絞っての立候補であった[18][19]。同年7月、戦争犠牲者の証言の記録に取り組むNPO法人ブリッジ・フォー・ピース代表の女性と結婚[20]

2012年5月、郷里の愛知県岡崎市に移住[21]。妻と共にアジアの平和構築を目的とする活動を続ける[22][23][24][25]。近年は日韓交流にも力を入れている[26][27]

2017年4月、市内康生通東に、英会話教室と訪日外国人向けの観光案内所の機能を兼ねたカフェ「グローバルスタディーズカフェ」[28]をオープンした。同年7月より、戦地取材の経験をもとに講演会、勉強会を開始[13]。同年12月6日に米国のトランプ大統領がエルサレムイスラエルの首都と認める発言をした際は、年末にエルサレムに飛び取材を行った[29]

著作

[編集]

書籍

[編集]
  • 『レバノン内戦従軍記』 三一書房、1977年。
  • 『パレスチナは戦争館―硝煙の街角15年のグラフィティ』 情報センター出版局、1985年。
  • 『魔術的カケヒキ学―国際舞台で磨いた交渉術のノウハウ』 センチュリープレス、情報センター出版局、1986年。

雑誌記事

[編集]
  • 「モロ民族独立闘争に栄光は」 (『現代の眼』1976年6月号)
  • 「レバノン内戦を追って-1・2-タール・ザータルの殺戮」(『現代の眼』1977年3・4月号)
  • 「レバノン内戦を追って-3完-アブデル・ハミド氏に聞く--PLOはいまなにを望んでいるか / インタビュー アブデル ハミド ; インタビュー」(『現代の眼』1977年5月号)
  • 「二極化進むパレスチナ解放運動--協調路線に反発する青年層」(『朝日ジャーナル』1977年10月号)
  • 「外国勢力にほんろうされるモザイク国家レバノン」(『朝日ジャーナル』1978年7月21日号)
  • 「中東・新たな対立の構造--またもイスラエルのお家芸電撃的『力の論理』 / 対談 牟田口義郎」(『朝日ジャーナル』1982年6月25日号)
  • 「ベイルート報告 アマル民兵(貧民武装集団)に虐殺されるパレスチナ難民--TWA機人質事件の陰で」(『朝日ジャーナル』1985年8月2日号)
  • 「ヨルダン川西岸地区ルポ--救急医療活動も妨害するイスラエル軍」(『朝日ジャーナル』1988年3月18日号)

脚注

[編集]
  1. ^ 中日新聞』2003年12月9日付夕刊、10面、「イラク基本計画 ジャーナリスト浅井久仁臣氏語る 外交官の悲劇『繰り返すな』」。
  2. ^ a b 朝日新聞』1995年12月25日付朝刊、埼玉版、「震災被災者に暖房具送って ボランティア『アクトナウ』 浦和/埼玉」。
  3. ^ 『朝日新聞』1997年8月29日付夕刊、25面、「落橋・道路封鎖...越えて帰ろう 大地震発生、あなたも帰宅難民」。
  4. ^ a b c 浅井久仁臣 プロフィール”. 講演依頼.com. 2021年1月28日閲覧。
  5. ^ a b c 森田真奈子 (2017年12月8日). “浅井久仁臣 ジャーナリスト”. 中日新聞. https://web.archive.org/web/20210202060518/https://www.chunichi.co.jp/article/2729 2017年12月9日閲覧。 
  6. ^ 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、515頁。 
  7. ^ 東海愛知新聞』1980年3月30日、2面、「『子供の幸せ考えたい』 秦梨小の女性校長、浅井さん」。
  8. ^ 柴田雅子「教育愛に変わりなし―この言葉を胸に刻んで― 浅井千代子」『岡崎文化』第17号、岡崎文化協会、1994年7月25日、129-136頁。 
  9. ^ 私の視点 罪を憎んで…”. 浅井久仁臣グラフィティ (2006年6月15日). 2018年12月4日閲覧。
  10. ^ スズメバチにご注意を”. 浅井久仁臣グラフィティ (2005年8月28日). 2018年12月4日閲覧。
  11. ^ 岡崎高校野球部よ、頑張れ!”. 浅井久仁臣グラフィティ (2010年7月22日). 2018年12月4日閲覧。
  12. ^ a b c プロフィール・経歴”. 浅井久仁臣の人生劇場. 2021年1月28日閲覧。
  13. ^ a b 森田真奈子「カフェで平和考えよう 岡崎の浅井さん 戦地取材の経験伝える」 『中日新聞』2017年7月5日付朝刊、西三河版、25面。
  14. ^ 村上吉男 (2011年11月). “ロッキード事件余話”. 日本記者クラブ. https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/23577 2020年10月4日閲覧。 
  15. ^ ロッキード事件の終焉”. 浅井久仁臣グラフィティ (2008年12月21日). 2018年12月4日閲覧。
  16. ^ 『朝日新聞』1998年1月17日付朝刊、埼玉、「今私たちにできることは 阪神大震災から3年のボランティア /埼玉」。
  17. ^ 東京新聞』1997年8月30日付夕刊、11面、「大地震...歩け歩け 新宿→川口 市民ら帰宅訓練」。
  18. ^ さいたま市議会議員選挙 - 南区候補者一覧 - 2007年04月08日投票”. 選挙ドットコム. 2020年3月22日閲覧。
  19. ^ 鳩山由紀夫と私”. 浅井久仁臣グラフィティ (2009年9月16日). 2018年12月4日閲覧。
  20. ^ 『中日新聞』2015年7月10日付夕刊、1面、「戦後70年 次世代に『平和』渡そう」。
  21. ^ 山村移住報告”. 浅井久仁臣グラフィティ (2012年5月27日). 2018年12月4日閲覧。
  22. ^ 『中日新聞』2015年8月18日付朝刊、西三河版、18面、「平和を願いつながる 岡崎 幼児から90代意見交換」。
  23. ^ 森田真奈子「わたしが編集長 (26) 通信使出迎えの地岡崎」 『中日新聞』2016年7月3日付朝刊、西三河版。
  24. ^ 『中日新聞』2016年8月11日付朝刊、西三河版、17面、「家康の平和外交考える 岡崎で13日 朝鮮通信使の功績解説」。
  25. ^ 『中日新聞』2016年8月16日付朝刊、西三河版、21面、「朝鮮通信使で相互理解 岡崎 家康の外交を学ぶ催し」。
  26. ^ 『中日新聞』2017年10月31日付夕刊、11面、「『朝鮮通信使』登録に喜びの声 友好の絆今こそ学んで」。
  27. ^ 細谷真里「朝鮮通信使お手本に 日韓学生、岡崎で交流」 『中日新聞』2018年8月18日付朝刊、西三河版、18面。
  28. ^ 細谷真里「日本文化 茶摘みで学ぶ 岡崎 『宮ザキ園』で米国人が研修」 『中日新聞』2019年5月31日付朝刊、西三河版、14面。
  29. ^ 森田真奈子 (2018年1月7日). “エルサレムの現状紹介 浅井久仁臣さん、岡崎で取材報告”. 中日新聞. オリジナルの2018年1月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180115185320/http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20180107/CK2018010702000052.html 2022年1月20日閲覧。 

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]