海兵団
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海兵団(かいへいだん)は、大日本帝国海軍において、軍港の警備防衛、下士官、新兵の補欠員の艦船部隊への補充、また海兵団教育と称するその教育訓練のために練習部を設け、海軍四等兵たる新兵、海軍特修兵たるべき下士官などに教育を施すために、鎮守府、警備府に設置されていた陸上部隊である。
概要
[編集]新兵教育
[編集]志願兵、徴兵として海軍兵に採用された新兵は、海兵団に入団すると、数ヶ月間基礎教育を受ける。軍隊教育の基礎であり、海軍兵として進むべき基礎であるから、海軍の一般教育と同じく精神教育、技術教育、体育に分けて課せられる。精神教育は軍人精神の涵養が主眼である。技術教育は将来、海上勤務に必要な一般概念を会得させるほか、兵種によって必要な技能、概念を教える。体育は武技、体技に区別し、厳格な訓練を実施する。
練習部教育
[編集]新兵教育のほか、工術、軍楽術、船匠術補習生、普通科、高等科信号術練習生、掌厨術練習生、特修科軍楽術練習生に区別され、5ヶ月ないし2箇年間の教育を行ない、特修兵たるべき下士官兵の教育を施す。四等軍楽兵、軍楽術補習生、高等科信号術練習生、特修科軍楽術練習生の教育は横須賀海兵団のみで行われる。
他
[編集]徴用した建物の掃除など、臨時の雑用にもかり出された[1]。
所在地
[編集]※団長は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 横須賀海兵団
当初は神奈川県三浦郡横須賀町逸見に設置、大正6年に横須賀市楠ヶ浦に移転した。戦後は米軍基地に転用。
- 団長
- 今井兼昌 大佐:1905年12月12日 - 1906年11月22日
- 野元綱明 大佐:1906年11月22日 - 1907年3月12日
- 西紳六郎 大佐:1907年3月12日 - 1908年5月15日
- 仙頭武央 大佐:1908年5月15日 - 1910年1月27日
- 奥宮衛 大佐:1910年1月27日 - 1910年12月1日
- 久保田彦七 大佐:1910年12月1日 - 1911年5月22日
- 矢島純吉 大佐:1911年5月22日 - 12月1日
- 東郷静之介 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
- 今井兼胤 大佐:1912年12月1日 - 1914年5月29日
- 岡田三善 大佐:1914年5月29日 -
- 村上鋠吉 大佐:1918年12月1日[2] - 1919年11月20日[3]
- 増田幸一 大佐:1919年11月20日[3] -
- 勝木源次郎 大佐:1920年11月20日[4] - 1922年8月1日[5]
- 兼坂隆 大佐:1922年8月1日[5] -
- 松平保男 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年4月15日[7]
- 鹿江三郎 大佐:1925年4月15日[7] -
- 三矢四郎 大佐:1927年12月1日[8] -
- 松本忠左 大佐:不詳 - 1931年12月1日[9]
- 秋山虎六 少将:1931年12月1日[9] - 1933年9月18日[10]
- 柴山昌生 大佐:1933年9月18日[10] - 1934年11月15日[11]
- 宮田義一 大佐:1934年11月15日[11] -
- 後藤英次 大佐:1935年11月15日[12] - 1936年12月1日[13]
- 副島大助 大佐:1936年12月1日[13] -
- 武山海兵団
昭和16年11月20日神奈川県三浦郡武山村に「横須賀第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は陸自武山駐屯地・海自横須賀教育隊に転用。
- 浜名海兵団
昭和19年9月15日静岡県新居町に設置。戦後は農地に転用。
呉鎮守府管轄
[編集]- 呉海兵団
呉鎮守府設置と同時に鎮守府用地内に設置。戦後は海自呉教育隊に転用。
- 団長
- 徳久武宜 大佐:不詳 - 1905年12月12日
- 野元綱明 大佐:1905年12月12日 - 1906年11月22日
- 長井群吉 大佐:1906年11月22日 - 1908年9月15日
- 矢島純吉 大佐:1908年9月15日 - 1910年1月27日
- 仙頭武央 大佐:1910年1月27日 - 12月1日
- 広瀬順太郎 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
- 向井弥一 大佐:1911年12月1日 - 1912年6月29日
- 山崎米三郎 大佐:1912年6月29日 - 9月27日
- 松岡修蔵 大佐:1912年9月27日 - 1913年4月1日
- 水町元 大佐:1913年4月1日 - 1913年12月1日
- 荒西鏡次郎 大佐:1913年12月1日 - 1914年4月17日
- (兼)松岡修蔵 大佐:1914年4月17日 - 5月27日
- 秋沢芳馬 大佐:1914年5月27日 - 不詳
- 本田親民 大佐:不詳 - 1916年12月1日
- 糸川成太郎 大佐:1916年12月1日 - 1919年4月18日[14]
- 正木義太 大佐:1919年4月18日[14] -
- 古川弘 大佐:不詳 - 1922年8月1日[5]
- 三上良忠 大佐:1922年8月1日[5] -
- 矢野馬吉 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年7月10日[15]
- 近藤直方 大佐:1925年7月10日[15] -
- 小森吉助 大佐:1927年12月1日[8] - 1928年4月1日[16]
- 瀬崎仁平 大佐:1928年4月1日[16] -
- 蔵田直 大佐:1930年12月1日[17] -
- 宍戸好信 大佐:1934年11月15日[11] -
- 大竹海兵団
昭和16年11月20日広島県佐伯郡大竹町に「呉第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は引揚援護局を経て大竹港の港湾施設に転用。
- 安浦海兵団
昭和19年9月1日広島県賀茂郡安浦町に設置。戦後は安浦中学校や住宅地・農地に転用。
佐世保鎮守府管轄
[編集]- 佐世保海兵団
佐世保鎮守府設置と同時に鎮守府用地内に設置。戦後は米軍基地に転用。
- 団長
- 佐々木広勝 大佐:不詳 - 1905年12月12日
- 高木助一 大佐:1905年12月12日 - 1908年4月7日
- 宮地貞辰 大佐:1908年4月7日 - 12月10日
- 釜屋忠道 大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
- 荒川規志 大佐:1909年12月1日 - 1910年12月1日
- 森越太郎 大佐:1910年12月1日 - 1912年2月1日
- 上村経吉 大佐:1912年2月1日 - 1913年5月24日
- 堀輝房 大佐:1913年5月24日 - 1915年6月30日
- 野村房次郎 大佐:1915年6月30日 - 1916年12月1日
- 古川弘 大佐:1916年12月1日 - 1918年7月17日[18]
- 新納司 大佐:1918年7月17日[18] - 1919年2月12日[19]
- 平岩元雄 大佐:1919年2月12日[19] - 8月5日[20]
- 大見丙子郎 大佐:1919年8月5日[20] - 1920年11月20日[4]
- 井手元治 大佐:1920年11月20日[4] - 1921年11月20日[21]
- 牟田亀太郎 大佐:1921年11月20日[21] -
- 植村信男 大佐:1922年5月1日[22] - 11月10日[23]
- 匝瑳胤次 大佐:1922年11月10日[23] -
- 大寺量吉 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年4月15日[7]
- 湯地秀生 大佐:1925年4月15日[7] - 1926年12月1日[24]
- 瀧田吉郎 大佐:1926年12月1日[24] -
- 相良達夫 大佐:1928年12月10日[25] -
- 鈴木新治 大佐:1934年11月15日[11] -
- 佐倉武夫 大佐:1936年12月1日[13] -
- 坂本伊久太 少将:1938年4月20日 - 1939年11月15日[26]
- 相浦海兵団
昭和16年11月20日長崎県佐世保市相浦に「佐世保第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は陸自相浦駐屯地に転用。
- 針尾海兵団
昭和19年5月10日長崎県東彼杵郡江上村に「佐世保第三海兵団」設置。海軍兵学校針尾分校を併設。戦後は引揚援護局、陸自針尾駐屯地・農地を経てハウステンボスに転用。
舞鶴鎮守府管轄
[編集]- 舞鶴海兵団
舞鶴鎮守府設置と同時に中舞鶴に設置するが、要港部降格後は海軍機関学校に転用。昭和14年4月東舞鶴に再設置。戦後は保安庁警備隊舞鶴練習隊(現海上自衛隊舞鶴教育隊)に転用。
- 団長
- 池中小次郎 大佐:1905年12月12日 - 1908年4月7日
- 西山保吉 大佐:1908年4月7日 - 12月10日
- 羽喰政次郎 大佐:1908年12月10日 - 1909年5月22日
- 小花三吾 大佐:1909年5月22日 - 1910年3月9日
- 土屋光金 大佐:1910年3月9日 - 7月16日
- 上村経吉 大佐:1910年7月16日 - 1911年1月31日
- 今井兼胤 大佐:1911年1月31日 - 1912年12月1日
- 本田親民 大佐:1912年12月1日 - 1914年5月27日
- 三輪修三 大佐:1914年5月27日 - 不詳
- 有馬純位 大佐:不詳 - 1915年10月1日
- 大島正毅 大佐:1915年10月1日 - 12月13日
- 四元賢助 大佐:1915年12月13日 - 1917年5月8日
- 島内桓太 大佐:1917年5月8日 - 1917年12月1日[27]
- 篠崎真介 大佐:1917年12月1日[27] - 1918年5月3日[28]
- 安村介一 大佐:1918年5月3日[28] - 11月10日[29]
- 福地嘉太郎 大佐:1918年11月10日[29] - 1920年12月1日[30]
- 横地錠二 大佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日[31]
- 安村介一 大佐:不詳 - 1922年8月1日[5]
- (兼)加藤弘三 大佐:1922年8月1日[5] - 1922年11月20日[32]
- 江口金馬 大佐:1922年11月20日[32] -
- 勝野実 大佐:1939年12月1日 - 1940年11月15日[33]
- 平海兵団
昭和19年9月1日舞鶴市平に設置。戦後は引揚援護局を経て平工業団地に転用。
大湊警備府管轄
[編集]- 大湊海兵団
大阪警備府管轄
[編集]- 大阪海兵団
- 田辺海兵団
鎮海警備府管轄
[編集]- 鎮海海兵団
高雄警備府管轄
[編集]- 高雄海兵団
脚注
[編集]- ^ “<4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
- ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
- ^ a b c 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
- ^ a b c d e f 『官報』第3001号、大正11年8月2日。
- ^ a b c 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ a b c d 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
- ^ a b 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2017号、昭和8年9月19日。
- ^ a b c d 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ a b c 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2011号、大正8年4月19日。
- ^ a b 『官報』第3865号、大正14年7月11日。
- ^ a b 『官報』第376号、昭和3年4月2日。
- ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
- ^ a b 『官報』第1957号、大正8年2月13日。
- ^ a b 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
- ^ a b 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
- ^ 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
- ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『日本海軍史』第10巻、249頁。
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ a b 『官報』第1724号、大正7年5月4日。
- ^ a b 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『日本海軍史』第10巻、563頁。
- ^ a b 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
- ^ 『日本海軍史』第9巻、796頁。
参考文献
[編集]- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『官報』