深浦町立深浦小学校
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深浦町立深浦小学校 | |
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校舎外観(2019年9月) | |
北緯40度38分23秒 東経139度55分38秒 / 北緯40.639611度 東経139.927306度座標: 北緯40度38分23秒 東経139度55分38秒 / 北緯40.639611度 東経139.927306度 | |
過去の名称 |
第七大学区第十五中学区四番小学 深浦小学 深浦村立深浦尋常小学校 深浦村立深浦尋常高等小学校 深浦町立深浦尋常高等小学校 深浦国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
深浦村(1873年 - 1926年) 深浦町(1926年 - ) |
併合学校 |
深浦村立広戸尋常小学校 深浦村立追良瀬尋常小学校 深浦村立三和尋常小学校 深浦町立深浦小学校(旧) 深浦町立深浦小学校東野分校 深浦町立艫作小学校 深浦町立横磯小学校 深浦町立広戸小学校 深浦町立長慶平小学校 深浦町立明道小学校 深浦町立風合瀬小学校 |
設立年月日 |
1873年4月3日(前身) 1988年4月1日(現行) |
閉校年月日 | 1988年3月31日(前身) |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 |
広戸分校(1951年独立) 1913年 - 1951年 追良瀬分校(1948年独立) 1914年 - 1948年 舮作分校(1948年独立) 1914年 - 1948年 横磯分校(1951年独立) 1914年 - 1951年 長慶平分校(1955年独立) 1948年 - 1955年 東野分校(1988年廃止) 1952年 - 1988年 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B102210001677 |
校舎面積 | 3,448 m2[1] |
所在地 | 〒038-2324 |
青森県西津軽郡深浦町大字深浦字寅平62-6 | |
外部リンク |
公式サイト (Wayback Machine) |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
深浦町立深浦小学校(ふかうらちょうりつ ふかうらしょうがっこう)は、青森県深浦町深浦にある公立小学校。略称は深小(ふかしょう)。
概要
[編集]旧深浦町域を学区とする。町内で最大の小学校であるが、一級へき地学校に認定されている[2]。
沿革
[編集]旧・深浦小学校
[編集]- 1873年(明治6年)4月3日 - 神明宮神殿を仮校舎として、第七大学区第十五中学区四番小学が開校[3]。
- 1874年(明治7年) - 「深浦小学」に改称[3]。
- 1877年(明治10年) - 神明宮境内に校舎を落成[3]。
- 1880年(明治13年) - 新校舎を落成し、2学級に編成。
- 1886年(明治19年) - 「深浦尋常小学校」に改称[3]。
- 1896年(明治29年)9月 - 深浦水産補習学校を併設[3]。
- 1897年(明治30年)10月 - 深浦字中沢2番地に新校舎を落成し、移転[3]。
- 1910年(明治43年)4月1日 - 入学式挙行中に2階の一部が崩落し、児童7名が負傷(いずれも軽傷)[4]。
- 1913年(大正2年)4月1日 - 広戸尋常小学校を統合し、広戸分教場へ移行[3]。
- 1914年(大正3年)4月1日 - 追良瀬尋常小学校と三和尋常小学校を統合し、追良瀬分教場と舮作分教場へ移行。三和尋常小学校横磯分教場を当校の分教場に移管[3]。
- 1916年(大正5年)2月11日 - 新校舎を落成[3]。
- 1922年(大正11年)6月1日 - 水産補習学校を廃止し、高等科を開設。「深浦村立深浦尋常高等小学校」に改称[3]。
- 1926年(大正15年)4月1日 - 町制施行に伴い、「深浦町立深浦尋常高等小学校」に改称。
- 1935年(昭和10年)4月 - 青年学校令施行に伴い、深浦青年学校と深浦女子青年学校を併設[5]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令に伴い、「深浦国民学校」に改称[3]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学校教育法施行に伴い、「深浦町立深浦小学校」に改称。高等科生を深浦中学校に移籍[3]。
- 1948年(昭和23年)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 広戸分校と横磯分校が、それぞれ広戸小学校・横磯小学校として独立[3]。
- 1952年(昭和27年)12月1日 - 東野分校を開設[3]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 長慶平分校が長慶平小学校として独立[3]。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 5月 - 体育館を落成。
- 6月10日 - 落成式を挙行。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 養護教諭を配置。
- 1968年(昭和43年)
- 1971年(昭和46年)
- 1973年(昭和48年)9月13日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1976年(昭和51年)10月 - プールを落成[7]。
- 1988年(昭和63年)
新・深浦小学校
[編集]- 1988年(昭和63年)
- 1990年(平成2年)5月 - 校舎西側に教材観察園を設置[8]。
- 1991年(平成3年)3月14日 - 校訓を制定[8]。
- 1994年(平成6年)8月11日 - グラウンドを大規模改修[8]。
- 1996年(平成8年)4月1日 - ひまわり学級を設置(2001年3月まで)[8]。
- 1997年(平成9年)9月1日 - コンピューター室を設置[8]。
- 2002年(平成14年)4月1日 - 長慶平小学校を統合[8]。
- 2008年(平成20年)4月1日 - 明道小学校と風合瀬小学校を統合[9]。
施設概要
[編集]主な施設を掲載。なお、括弧内の面積は延床面積である。
学区
[編集]横磯、月屋、広戸、上長慶平、深浦、長慶平、追良瀬、風合瀬(字上砂子川、字中砂子川、字下砂子川、字砂子川)、舮作、驫木
進学先の中学校
[編集]ほとんどの児童が、学区内の深浦町立深浦中学校に進学する。
アクセス
[編集]- 弘南バス深浦線で、「磯崎橋前」停留所より、
- 弁天行のりばから、徒歩約520m・約8分。
- 鰺ヶ沢営業所行のりばから、徒歩約520m・約8分。
- JR東日本五能線深浦駅から、徒歩約1.9km・約30分。
- 学校敷地から深浦駅まで最短直線距離は約1kmほどだが、学校正門の位置と道路形状の関係で、約2倍の距離となる。
周辺
[編集]- 深浦町立深浦公民館
- 社会福祉法人西浜福祉会青い鳥保育園 - 進学前保育園のひとつ。
- ふかうら文学館
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “深浦町学校施設個別施設計画”. 深浦町 (2021年3月). 2024年2月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
- ^ “全国へき地学校<東北ブロック>”. 全国へき地教育研究連盟. 2021年6月19日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 青森県教育史編集委員会 1973, p. 770.
- ^ 『深浦町史年表 ふるさと深浦の歩み』(深浦町・1985年7月30日発行)565頁「明治期 年表」から。
- ^ 文部省社会教育局『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年3月30日、111頁。doi:10.11501/1278127 。2024年2月16日閲覧。
- ^ 青森県教育史編集委員会 1973, p. 771.
- ^ 『深浦町史』下巻228頁「第四章合併後の深浦のあゆみ・六 五代松浦武町長の時期 ・(一) 一期目 昭和五十年八月~五十四年八月」から。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “沿革の概要”. 深浦町立深浦小学校. 深浦町. 2008年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
- ^ “広報ふかうら No.37 - 明道小学校・風合瀬小学校最後の卒業式”. 深浦町 (2008年4月). 2010年7月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年2月16日閲覧。
参考文献
[編集]- 『深浦町史 下巻』(深浦町・1977年3月3日発行)465頁~468頁「第六章 教育・六 小・中学校の沿革・(三)深浦小学校」
- 青森県教育史編集委員会 編『青森県教育史 別巻 年表 学校沿革』青森県教育委員会、1973年12月20日。doi:10.11501/12116772。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 深浦町立深浦小学校(Wayback Machine・2008年5月17日アーカイブ分)