コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

熊延鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
熊延鉄道
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
熊本県熊本市春竹町961の1
設立 1912年(大正元年)11月10日
業種 鉄軌道業
事業内容 旅客鉄道事業、バス事業
代表者 社長 田副敏郎
資本金 60,000,000円
発行済株式総数 1,200,000株
特記事項:1962年度現在(『私鉄要覧 昭和37年度版』 123頁)
テンプレートを表示
佐俣 - 釈迦院間に残る第二津留川橋梁の橋脚
佐俣 - 釈迦院間に残る第二津留川橋梁の橋脚
概要
現況 廃止
起終点 起点:南熊本駅
終点:砥用駅
駅数 17駅
運営
開業 1915年4月6日 (1915-04-06)
廃止 1964年3月31日 (1964-3-31)
所有者 熊延鉄道
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線総延長 28.6 km (17.8 mi)
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
電化 全線非電化
路線図
HST
水前寺駅
国鉄豊肥本線
0.0 南熊本駅
POINTERg@g
exSTR+r
熊本市電春竹線
exBHF
熊本鉄工所前駅 -1945?
exBHF
2.5 田迎駅
exBHF
3.3 良町駅
exBHF
4.7 中ノ瀬駅
exhKRZWae
加勢川橋梁 加勢川
exBHF
6.3 鯰駅
exBHF
7.6 上島駅
exBHF
9.2 六嘉駅
exBHF
11.0 小坂村駅
exBHF
12.6 御船駅
exBHF
13.4 辺田見駅
exhKRZWae
御船川橋梁 御船川
exTUNNEL1
妙見坂隧道
exBHF
15.7 下早川駅
exBHF
18.0 浅井駅
exBHF
20.4 甲佐駅
exBHF
21.5 南甲佐駅
exhKRZWae
緑川橋梁 緑川
exTUNNEL1
八角トンネル
exhKRZWae
第一津留川橋梁 津留川
exBHF
24.9 佐俣駅
exWBRÜCKE1
第二津留川橋梁
exWBRÜCKE1
第三津留川橋梁
exWBRÜCKE1
第四津留川橋梁
exWBRÜCKE1
第五津留川橋梁
exBHF
26.6 釈迦院駅
exWBRÜCKE1
第六津留川橋梁
exKBHFe
28.6 砥用駅
テンプレートを表示

熊延鉄道(ゆうえんてつどう)は、かつて熊本県熊本市南熊本駅から同県下益城郡砥用町(現・美里町)の砥用駅までを結んでいた鉄道路線およびその運営会社である。1964年(昭和39年)に廃止された。

熊延鉄道という社名は本と宮崎県)を結ぶ鉄道を計画していたことに由来するが、実現には至らなかった。会社は現在、熊本バスとしてバス事業を営んでいる。

同地区では日本国有鉄道(国鉄)が宇土から浜町(現・上益城郡山都町)を経由して三田井(のちの高千穂駅)で国鉄日ノ影線(1972年に日ノ影駅から高千穂駅まで延伸され、高千穂線に改称)に接続する路線(延宇線)を計画していたが、宇土 - 佐俣 - 砥用間で路線バス(佐俣線)を運行しただけで着工には至らなかった。

なお、熊延鉄道線で使用されていた気動車江若鉄道玉野市営電気鉄道[注釈 1]へ、ディーゼル機関車は江若鉄道へ譲渡された。

路線データ

[編集]

運行形態

[編集]

1961年(昭和36年)9月当時

  • 運行本数:南熊本 - 砥用間直通列車12往復(内2往復は国鉄豊肥本線水前寺駅から直通)、南熊本 - 甲佐間区間列車3往復
  • 所要時間:全線1時間10分 - 20分程度

歴史

[編集]
  • 1912年(明治45年)1月10日 熊本軽便鉄道[注釈 2]に対し鉄道免許状下付(春日-瀧川間 軌間762mm)[1]
  • 1912年(大正元年)11月10日 御船鉄道株式会社設立(取締役大淵龍太郎[2][3]
  • 1913年(大正2年)5月31日 鉄道免許状下付(上益城郡瀧川村-同郡濱町間)[4]
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)3月1日 小坂村 - 御船間が開業[7]
  • 1923年(大正12年)
    • 4月28日 御船 - 甲佐間が開業[8]
    • 5月1日 早川駅を下早川駅に改称[9]
  • 1924年(大正13年)2月2日 鉄道免許状下付(上益城郡甲佐町-同郡宮内村間)[10]
  • 1925年(大正14年)3月11日 鉄道免許失効(上益城郡甲佐町-同郡宮内村間 指定ノ期限内ニ工事施工認可申請ヲ為ササルタメ)[11]
  • 1927年(昭和2年)
    • 1月27日 御船鉄道が熊延鉄道に社名変更
    • 12月28日 鉄道免許取消(原町-濱町間 指定ノ期限マテニ工事竣工セサルタメ)[12]
  • 1928年(昭和3年)7月15日 瓦斯倫動力併用[3]
  • 1932年(昭和7年)12月25日 甲佐 - 砥用間が開業[13]
  • 1940年(昭和15年)5月1日 国鉄駅の改称に合わせ、春竹駅を南熊本駅に改称[9]
  • 1956年(昭和31年)12月10日 南甲佐駅が開業[9]
  • 1960年(昭和35年)
    • 5月1日 国鉄豊肥本線の水前寺駅まで、乗り入れを開始
    • 7月1日 良町駅開業[9]
  • 1964年(昭和39年)3月31日[14] 南熊本 - 砥用間が廃止。ただし、廃止日当日にも運賃無料の廃止記念列車を1往復運行している。

駅一覧

[編集]

駅名・接続路線の事業者名は廃止時点のもの。全駅熊本県に所在。

駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線・備考 所在地
南熊本駅 - 0.0 日本国有鉄道:豊肥本線
熊本市電春竹線 ⇒ 南熊本駅前電停
熊本市
田迎駅 2.5 2.5  
良町駅 0.8 3.3  
中ノ瀬駅 1.4 4.7  
鯰駅 1.6 6.3   上益城郡 嘉島村
上島駅 1.3 7.6  
六嘉駅 1.6 9.2  
小坂村駅 1.8 11.0   御船町
御船駅 1.6 12.6  
辺田見駅 0.8 13.4  
下早川駅 2.3 15.7   甲佐町
浅井駅 2.3 18.0  
甲佐駅 2.4 20.4 内大臣森林鉄道
南甲佐駅 1.1 21.5  
佐俣駅 3.4 24.9   下益城郡 中央村
釈迦院駅 1.7 26.6   砥用町
砥用駅 2.0 28.6  

廃止された駅

[編集]

鉄道事業廃止まで営業していた駅は前節参照。

  • 熊本鉄工所前駅[15](南熊本 - 田迎間) - 開業日不明、1945年以降廃止
    飽託郡田迎村大字出仲間(現在の熊本市南区出仲間)にあった熊本鉄工所田迎航空機製作所工場前に設置していた1面1線の駅であった[15]。駅廃止後の1947年(昭和22年)、駅跡を含む同工場跡地に「飽託郡御幸村・田迎村組合立(現・熊本市立)託麻中学校」が設置され同校の敷地になった[15]

車両

[編集]

開業時に用意された車両は蒸気機関車2両、客車4両、貨車10両。すべて大淵龍太郎が取締役を務める大日本軌道鉄工部製であった。

蒸気機関車

[編集]
1, 2(初代)
開業用に用意された1913年大日本軌道鉄工部製の15 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。1は1941年に宇佐参宮鉄道へ譲渡、2は1936年に廃車。
3, 4
甲佐延伸開業時に増備された、1923年雨宮製作所製の18 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。3は1941年に名古屋鉄道へ譲渡、4は1950年に廃車。
5
砥用延伸開業時に増備された、1932年日本車輌製造製の25 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。1964年の廃線まで在籍し、廃止記念列車を牽いた。運転整備重量は25 t、弁装置ワルシャート式、軸配置はC、動輪直径800 mmである[16]
6
1936年に大同電力大井ダム建設線から譲受けた、1921年日本車輌製造製の25 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。旧番号は1。1952年廃車。国鉄1225形と同形。
7
1941年3月に飯山鉄道から譲受けた、1922年日本車輌製造製の27 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。旧番号は3。1953年廃車。国鉄1225形と同形。
2(2代)
1942年1月に小倉鉄道から譲受した、1915年ヘンシェル製の25 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。旧番号は4。1950年廃車。
1(2代)
1944年日本車輌製造製の28 t級車軸配置0-6-0形タンク機関車。1959年廃車。国鉄1760形と同形。運転整備重量は28 t、弁装置はワルシャート式、軸配置はC、動輪直径800 mmである[16]
8
太平洋戦争中に三角町海軍施設部から転入した1919年日本車輌製造製の13 t級車軸配置0-4-0形タンク機関車。1949年頃廃車されたと思われる。
10, 11,12
1949 - 1950年に国鉄から譲受けた43 t級車軸配置2-6-2形タンク機関車で、旧番号は3410(2代)、3405、3415(3400形)。1896年および1898年、アメリカ・ピッツバーグ製。運転整備重量は44.39 t、弁装置はスチーブンソン式、軸配置は1C1,動輪直径1,370 mmである。最後まで国鉄時代のナンバープレートのまま稼働していた[16]

車両数の変遷

[編集]
年度 機関車 ガソリンカー 客車 貨車
有蓋 無蓋
1915-1918 2 4 5 5
1919-1921 2 6 5 5
1922 2 8 5 8
1923-1924 4 8 5 8
1925 4 8 5 11
1926 4 10 5 11
1927 4 10 5 13
1928-1930 4 2 10 5 13
1931 4 3 10 5 13
1932 5 4 10 5 13
1933-1934 5 4 9 5 13
1935-1937 5 4 12 5 15
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

八角トンネル

[編集]
南甲佐駅 - 佐俣駅間にある鉄道遺構(南甲佐寄りから撮影)(2019年4月13日)
南甲佐駅 - 佐俣駅間にある鉄道遺構(佐俣寄りから撮影)(2019年4月13日)

八角トンネルは熊本県下益城郡美里町小筵にある熊延鉄道の遺構の通称である[17]。同鉄道の南甲佐駅跡と佐俣駅跡の間(北緯32度37分27秒 東経130度49分02秒 / 北緯32.624302度 東経130.817137度 / 32.624302; 130.817137 (HAKKAKUTONNERU))にある。断面が通常のトンネルで見られる馬蹄形ではなく八角形であることからこの名称で呼ばれる。六角トンネルと呼ばれることもある。「トンネル」と呼ばれるが、トンネルではなく、切通し箇所の擁壁を補強する構造物(バットレスフライング・バットレス)を連続して設けたものである。鉄道の跡地は歩道になっており「八角トンネル」付近は徒歩でのみ通行可能である。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 「電気鉄道」という名称であるが、同時期に電気運転を廃止し、譲り受けた気動車での運行に切り替えている。
  2. ^ 大日本軌道熊本支社になった熊本軽便鉄道とは別会社。
  3. ^ この本では3月31日を廃止日としている。

出典

[編集]
  1. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1912年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ a b 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1913年6月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年4月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年11月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1916年3月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1923年5月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ a b c d 今尾恵介監修『日本鉄道旅行地図帳』12号 九州沖縄、新潮社、2009年、p.46
  10. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1924年2月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「鉄道免許失効」『官報』1925年3月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「鉄道免許取消」『官報』1928年1月9日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年12月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 和久田康雄『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年、183頁。 [注釈 3]
  15. ^ a b c 古写真・米軍撮影による熊本鉄工所田迎航空機製作所への空襲の写真(昭和20年8月10日か) - まちかどの西洋館別館・古写真・古絵葉書展示室、 2020年2月16日(2024年2月4日閲覧)
  16. ^ a b c 高井薫平『小型蒸気機関車全記録』講談社、2012年、127頁。 
  17. ^ グーグルマップ「二俣橋」周辺

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]