北井佑季
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基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年1月27日(34歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
登録番号 | 015527 | |||||
所属 | 日本競輪選手会 神奈川支部 | |||||
ホーム | 平塚競輪場 | |||||
期別 | 119期 | |||||
脚質 | 逃 | |||||
登録地 | ||||||
2021- | 神奈川 | |||||
業績 | ||||||
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選手情報 KEIRIN.JP | ||||||
■最終更新日:2024年6月16日 ■テンプレートを表示 |
北井 佑季(きたい ゆうき、1990年1月27日 - )は、神奈川県横浜市出身の競輪選手、元サッカー選手。競輪選手としては、日本競輪選手会神奈川支部所属、ホームバンクは平塚競輪場。日本競輪選手養成所(以下、養成所)第119期生。師匠は高木隆弘。
来歴
[編集]サッカー選手時代
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名前 | ||||||
愛称 | ユウキ | |||||
カタカナ | キタイ ユウキ | |||||
ラテン文字 | KITAI Yuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1990年1月27日(34歳) | |||||
出身地 | 神奈川県横浜市[1] | |||||
身長 | 169cm | |||||
体重 | 62kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2005-2007 | 桐光学園高校 | |||||
2008-2009 | 近畿大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2010-2012 | FC町田ゼルビア | 80 | (11) | |||
2013-2015 | 松本山雅FC | 26 | (0) | |||
2015-2017 | カターレ富山 | 86 | (6) | |||
2018 | SC相模原 | 15 | (3) | |||
通算 | 207 | (20) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
サッカー選手時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。
3歳からサッカーを始め、横浜F・マリノスジュニアユース、桐光学園高校を経て近畿大学に進学、2年次の2010年に大学を中退して当時JFLのFC町田ゼルビアに加入[2]。2012年3月20日のJ2リーグ・ロアッソ熊本戦(町田市立陸上競技場)でJリーグ初得点を記録した。
2013年より松本山雅FCに完全移籍[1]。2015年にはカターレ富山へ(期限付き移籍後、2016年1月に完全移籍[3][4])、2018年にはSC相模原へ完全移籍した[5][6]。
相模原ではシーズン開幕から3試合連続ゴールを決めるなど好調ぶりを見せたが、その後は出場機会が減少。同年12月6日、SC相模原は契約期間の満了と来季に向けた契約を結ばないことを発表[7]。 同年12月12日、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した[8]。その後も新たな所属チームを決めないまま、2019年3月16日、現役を引退すると発表された[9]。
所属クラブ
[編集]- 横浜F・マリノスプライマリー
- 横浜F・マリノスジュニアユース
- 桐光学園高校
- 近畿大学
- 2010年 - 2012年 FC町田ゼルビア
- 2013年 - 2015年 松本山雅FC
- 2016年 - 2017年 カターレ富山
- 2018年 SC相模原
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 町田 | 26 | JFL | 12 | 0 | - | 1 | 0 | 13 | 0 | |
2011 | 19 | 30 | 6 | - | 2 | 0 | 32 | 6 | |||
2012 | J2 | 38 | 5 | - | 3 | 4 | 41 | 9 | |||
2013 | 松本 | 7 | 23 | 0 | - | 0 | 0 | 23 | 0 | ||
2014 | 3 | 0 | - | 0 | 0 | 3 | 0 | ||||
2015 | 富山 | 37 | J3 | 35 | 5 | - | - | 35 | 5 | ||
2016 | 7 | 24 | 1 | - | 1 | 0 | 25 | 1 | |||
2017 | 27 | 0 | - | 2 | 0 | 29 | 0 | ||||
2018 | 相模原 | 15 | 3 | - | - | 15 | 3 | ||||
通算 | 日本 | J2 | 64 | 5 | - | 3 | 4 | 67 | 9 | ||
日本 | J3 | 101 | 9 | - | 3 | 0 | 101 | 9 | |||
日本 | JFL | 42 | 6 | - | 3 | 0 | 45 | 6 | |||
総通算 | 207 | 20 | 0 | 0 | 9 | 4 | 213 | 24 |
競輪選手時代
[編集]身近な知人が現役の競輪選手だったこともあり、プロサッカー選手として現役だった頃から自身も競輪選手への転向を考えていたものの、少しでも長くサッカーを続けたいという思いから2018年までプロサッカー選手を続ける。30歳を迎える前のタイミングもあり、現役引退を表明後にまずは知人の競輪選手に話をし、平塚競輪場をホームバンクとする元Jリーガーで現役の競輪選手である河野淳吾を紹介され、河野の師匠である高木隆弘に弟子入り[10]。ただ、既に妻子がいたこともあり、養成所の受験は1回きりとし、受験に失敗したら警察官への転身を考えていた。
養成所第119回生(男子)入所試験に合格し[11]、2020年5月29日、妻子を残したまま[12]養成所119期生として入所[13]。同年9月上旬に行われた第2回記録会で、200mフライングダッシュ・400mフライングダッシュ・1000mタイムトライアル・3000mタイムトライアル全ての記録が能力区分基準タイムで最高基準を上回り、ゴールデンキャップを獲得した[14]。養成所在所中の競走訓練成績は、48戦1着1回の第55位[15]で、2021年3月1日に養成所を卒業。同日、神奈川支部所属の競輪選手として登録された。
同年5月1日、静岡競輪場での新人戦「競輪ルーキーシリーズ2021」でデビュー、第8レースに出走し3着[16]。初勝利は同開催最終日である5月3日第5レース(一般戦)。7月10日からの西武園競輪場FII(ミッドナイト競輪)で本格デビューし、同開催では初優勝を完全優勝で飾った。同年12月26日、佐世保競輪場で行われたレインボーカップチャレンジファイナルに勝利し、A級2班に特別昇班[17]。 翌2022年5月にはA級で3場所連続完全優勝(9連勝)を果たし、S級2班に特別昇級した[18][19]。
2022年下期(7月 - 12月)は1着回数が23回を数え、野口裕史とともにS級戦トップであったことから、2023年3月のGII・第7回ウィナーズカップ(別府)では、2班所属ながら出場権を獲得しただけでなく、初日の一次予選・特別選抜予選競走にシードされた[20][21]。
2023年2月の第38回読売新聞社杯全日本選抜競輪(高知競輪場)でGI初出場[22]。同年9月には向日町記念でGIII初制覇(Jリーグから転向した競輪選手としては初めて)[23][24]。同年末にはヤンググランプリに出場した。
2024年2月に開催された第39回読売新聞社杯全日本選抜競輪(岐阜競輪場)でGI初優出。決勝戦では3コーナーで先頭に立つも、最後は後続に交わされ3着となった[25]。6月16日、第75回高松宮記念杯競輪(岸和田競輪場)を優勝してGI初制覇。決勝では郡司浩平、北井、和田真久留の神奈川3車でラインを組み、郡司の先行を最終2コーナーからの番手捲りで押し切ってGI初優勝、初のKEIRINグランプリ出場並びに2025年のS級S班入りが確定した[26](元JリーガーによるGIタイトル獲得も史上初)。決勝線付近ではバランスを崩して滑入した古性優作の巻き添えとなり、落車をしながらの優勝となった[27]。8月に開催予定の第67回オールスター競輪(平塚競輪場)においてはファン投票で9位となり、一次予選の1走目は実質シードレースであるドリームレースに出場が決まった[28]。
人物
[編集]- 家族は、妻と1男1女。上述の通り養成所は全寮制であり、かつ新型コロナウイルス感染症対策のため、通常時は存在する日曜外出、盆と正月の一時帰省がともに認められなかったことから、妻と長男とは約1年会えなかっただけでなく、妻が長女を妊娠したことが判明したことは妻との電話で知らされたが出産時の立ち会いもできず、初めて顔を合わせたのは養成所を卒業して帰宅したときであった。さすがにこの時ばかりは養成所教官から「北井、ごめん…」と謝罪されたという[29]。
- 好きな食べ物は、肉と寿司。
主な獲得タイトルと記録
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 『北井佑季選手 松本山雅FCに完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)FC町田ゼルビア、2013年1月13日 。2020年7月11日閲覧。
- ^ “【富山新戦力】北井、得点量産し昇格できる雰囲気作る”. スポーツ報知 (2015年3月1日). 2016年2月20日閲覧。
- ^ 北井佑季選手 松本山雅FCより期限付き移籍加入のお知らせ - 2015年1月26日カターレ富山公式HP
- ^ 『北井佑季選手 カターレ富山へ完全移籍のお知らせ』(プレスリリース)松本山雅FC、2016年1月14日 。2020年7月11日閲覧。
- ^ “契約満了選手のお知らせ”. カターレ富山 (2017年11月22日). 2017年11月22日閲覧。
- ^ “北井佑季選手 新加入のお知らせ”. SC相模原 (2018年1月10日). 2018年1月10日閲覧。
- ^ “J3相模原、3選手が契約満了に…辻尾真二は今季リーグ戦29試合出場”. サッカーキング (2018年12月6日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “2018 JPFAトライアウト”. sportsnavi (2018年12月12日). 2022年12月4日閲覧。
- ^ 『北井佑季選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)SC相模原、2019年3月16日 。2020年7月11日閲覧。
- ^ “元Jリーガー北井佑季、競輪選手へ。現役引退の決断と競輪転身への覚悟。「チャンスは一度きり。だからやるしかなかった」”. サッカーダイジェストweb (2020年7月16日). 2020年9月3日閲覧。
- ^ “日本競輪選手養成所第119回選手候補生入所試験合格者名簿” (PDF). KEIRIN.JP(JKA) (2020年1月16日). 2021年3月1日閲覧。
- ^ 養成所は自宅から通うことは認められていない。
- ^ “日本競輪選手養成所119回生・120回生入所式”. 月刊競輪WEB. (2020年6月10日) 2020年7月11日閲覧。
- ^ “第119回生(男子)及び第120回生(女子) 第2回記録会が行われました!”. KEIRIN.JP (2020年9月3日). 2020年9月3日閲覧。
- ^ “競走成績戦法別一覧表(第 119 回生)総合” (PDF). KEIRIN.JP(JKA) (2020年2月27日). 2021年3月1日閲覧。
- ^ “元Jリーガー北井佑季 3着デビューも「師匠に怒られますね」/静岡”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2021年5月1日) 2021年5月2日閲覧。
- ^ “【佐世保競輪・GⅢ九十九島争奪戦】元Jリーガー・北井佑季がレインボーカップV”. 東京スポーツ (2021年12月26日). 2022年1月1日閲覧。
- ^ “元Jリーガーの北井佑季がS級特昇を決めた A級決勝を制して3場所連続の完全V達成/弥彦”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2022年5月25日) 2022年5月25日閲覧。
- ^ “北井佑季選手S級2班特別昇級!”. KEIRIN.JP (2022年5月26日). 2022年5月26日閲覧。
- ^ “『第7回ウィナーズカップ“オランダ王国友好杯”』出場予定選手の決定について”. KEIRIN.JP (2023年1月26日). 2023年1月28日閲覧。
- ^ “第7回 ウィナーズカップ“オランダ王国友好杯” 特別選抜予選競走出場予定選手一覧表” (PDF). KEIRIN.JP (2023年1月26日). 2023年1月28日閲覧。
- ^ “北井佑季がG1初出場で準決進出「どこまでできるか楽しみ」郡司浩平の援護を得て躍動/高知G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2023年2月25日) 2023年2月26日閲覧。
- ^ 津波謙次「【競輪】北井佑季Jリーグから転向組初のG3制覇「気持ちも足も軽かったです」/向日町」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2023年9月3日。2023年9月3日閲覧。
- ^ “【平安賞】GIII初制覇を達成した北井佑季「今後もしっかり自分の先行を」 | 競輪ニュース”. netkeirin(ネットケイリン). 2023年9月3日閲覧。
- ^ “【競輪】北井佑季は3着、G1初制覇&完全優勝逃すも「悔いのないレースができた」/岐阜G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年2月12日) 2024年2月13日閲覧。
- ^ “【競輪】元Jリーガーの北井佑季が高松宮記念杯でG1初制覇 「取れると信じていたのでうれしい」”. デイリースポーツ (神戸新聞社). (2024年6月16日) 2024年6月16日閲覧。
- ^ “【競輪】北井佑季がゴール後落車のアクシデントもG1初優勝 和田真久留とワンツー/岸和田G1”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2024年6月16日) 2024年6月16日閲覧。
- ^ “『第67回オールスター競輪』出場予定選手の決定について”. JKA (2024年6月17日). 2024年6月18日閲覧。
- ^ 【北井佑季】“オールドルーキー”として競輪デビュー 変わったものと変わらなかったもの/2つのゴールを知る男・中編 - netkeirin・2023年10月25日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 競輪選手プロフィール - KEIRIN.JP
- 北井佑季 - Soccerway.com
- 北井佑季 - FootballDatabase.eu
- 北井佑季 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 北井佑季 - J.League Data Siteによる選手データ
- 北井佑季 - TheFinalBall.com
- 北井佑季 - ゲキサカ
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