コンテンツにスキップ

仲谷昇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ZairanTD (会話 | 投稿記録) による 2017年3月1日 (水) 00:27個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎来歴・人物)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

なかや のぼる
仲谷 昇
本名 仲谷 昇流(読み同じ)
生年月日 (1929-05-04) 1929年5月4日
没年月日 (2006-11-16) 2006年11月16日(77歳没)
出生地 日本の旗 日本東京府(現在の東京都
死没地 日本の旗 日本東京都港区
職業 俳優
ジャンル 舞台、テレビドラマ、映画など
活動内容 1953年:映画初出演
1963年:劇団雲結成
1975年:劇団雲退団、演劇集団 円結成
1981年 : 演劇集団 円代表就任
配偶者 岸田今日子1954 - 1978年
一般人(1980 - 1997年
一般人(2002 - 2006年
主な作品
テレビドラマ
天下御免
風と雲と虹と
草燃える
スパイダーマン
鬼平犯科帳
バラエティー番組など
カノッサの屈辱
 
受賞
第7回菊田一夫演劇賞
テンプレートを表示

仲谷 昇(なかや のぼる、本名;仲谷 昇流<なかや のぼる>、1929年5月4日 - 2006年11月16日)は、日本俳優である。東京府(現東京都)出身。

来歴・人物

麻布中学を経て1949年(昭和24年)に中央大学法学部に入学するが、大学在学中に演劇活動にのめり込み大学を中退して、1950年(昭和25年)に文学座演劇研究所に入る[1]1951年(昭和26年)、座員に昇格[1]1953年(昭和28年)、今井正監督『にごりえ』で映画に初出演し[2]中平康監督の『猟人日記』・『砂の上の植物群』では主演を務め以降、舞台、映画、テレビで貴重な存在として活躍を果たす。

1963年、劇団の体質への不満から芥川比呂志神山繁小池朝雄らと文学座を脱退し福田恆存を中心とした劇団雲の結成に参加。1975年には芥川、神山、中村伸郎らと劇団雲から離れ演劇集団 円を結成した。芥川亡き後、1981年からは同集団の代表及び株式会社円の社長を務めた。

文学座以来行動を共にしていた女優の岸田今日子1954年に結婚、一女をもうけるも1978年に離婚。1980年に再婚したが、その女性とも1997年に離婚。その後、2002年に再々婚した。

テレビドラマでは、教授役・首相役などの地位の高い役を担当することが多く、『カノッサの屈辱』では案内役「仲谷教授」でレギュラー出演した。

競馬好きで、競馬雑誌の連載を担当していたこともある。また野球も好きで、文学座時代は野球部のエースで橋爪功は新人時代に相当鍛えられたという。プロ野球読売ジャイアンツのファンである。また大の愛煙家であり、1日100本煙草を吸っていたという。

2006年11月16日7時22分、慢性閉塞性肺疾患のため東京都港区の病院で死去。77歳没。

機動刑事ジバン』の柳田誠一役は、当初は仲谷が演じる予定だった。

出演作品

テレビドラマ

映画

舞台

バラエティ

CM

脚注

  1. ^ a b 仲谷昇の演劇に対する飽くなきこだわり人生”. シネマズ. 松竹 (2016年4月10日). 2016年10月19日閲覧。
  2. ^ 仲谷 昇(ナカヤ ノボル)とは”. コトバンク. 2016年10月21日閲覧。

外部リンク