フレッシュボイス
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 |
フレッシュボイス | ||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年9月20日、中山競馬場(サンケイ賞オールカマー出走時) | ||||||||||||||||||
欧字表記 | Fresh Voice[1] | |||||||||||||||||
品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||||||||
性別 | 牡[1] | |||||||||||||||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||||||||||||||
生誕 | 1983年5月9日[1] | |||||||||||||||||
死没 | 2007年6月12日(24歳没) | |||||||||||||||||
父 | フィリップオブスペイン[1] | |||||||||||||||||
母 | シャトーハード[1] | |||||||||||||||||
母の父 | ダイハード[1] | |||||||||||||||||
生国 | 日本(北海道静内町)[1] | |||||||||||||||||
生産者 | 小笠原牧場[1] | |||||||||||||||||
馬主 | 円城和男[1] | |||||||||||||||||
調教師 | 境直行(栗東)[1] | |||||||||||||||||
競走成績 | ||||||||||||||||||
生涯成績 | 26戦7勝[1] | |||||||||||||||||
獲得賞金 | 3億3850万6000円[1] | |||||||||||||||||
|
フレッシュボイス(Fresh Voice、1983年5月9日 - 2007年6月12日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。1987年の安田記念など中央競馬の重賞競走を5勝した。直線一気の豪快な追い込みで人気を博した。
戦績
3歳(1985年)
デビューは1985年10月、マイナー血統のため11頭立ての7番人気と注目はされなかったが、「道悪」を物ともせず、且つその後の脚質とは異なる逃げで勝利する。この「道悪」というフレーズがフレッシュボイスの競走生活にとって大きなファクターとなる。続く400万条件でも勝ち、福島3歳ステークス(オープン特別)では3着に入った。
4歳(1986年)
明け4歳となった1986年1月のシンザン記念で重賞初制覇。続く3月の毎日杯では季節外れの雪が降る中、ポツンと離れたしんがりを進みながらも、後に京都新聞杯を勝つタケノコマヨシに3馬身半差をつける圧勝だった。この時関西テレビ放送の杉本清アナウンサーによる「雪は止んだ、フレッシュボイス1着!」は彼の名実況の一つとして有名になった。実際、レース中(向正面→第3コーナーを通る頃)に雪は急に小降りとなっていた(ポニーキャニオン 中央競馬重賞競走ビデオ 昭和61年前期版映像より)。
こうして臨んだ皐月賞では裏街道を歩んできた印象のため、4番人気と実績のわりに人気は薄かったが、レースでは完全に抜け出したダイナコスモスを、最後方からの追い込みでクビ差まで迫り、2着となった。その後外傷を負い東京優駿(日本ダービー)は回避。秋は神戸新聞杯で復帰し4着。続く菊花賞、有馬記念ではそれぞれ6着、5着とそこそこの結果に終わった。
5歳(1987年)
1987年、血統的には短距離向きだが、長距離戦線でまずまずの成績を残したことで春の目標を天皇賞(春)に定め、緒戦の日経新春杯を1番人気で快勝した。ちなみにこれが生涯唯一の1番人気での勝利であった。
次走阪神大賞典は勝ったスダホークから離されての4着に終わる。この結果を受けて陣営は相手が強化され、さらに距離が200m伸びる天皇賞では勝負にならないと判断し、目標を安田記念に切り替える。安田記念では、主戦騎手の田原成貴が天皇賞でニシノライデンに騎乗した際に進路妨害による失格でで騎乗停止となったので、鞍上は柴田政人に乗り替わった。前哨戦の京王杯スプリングカップでダイナアクトレスらを一蹴したニッポーテイオーが単枠に指定されて1番人気。中山記念を勝ったスズパレードが同じく単枠指定になって2番人気。フレッシュボイスは離れた3番人気だったが、重馬場の中、逃げ切りを狙うニッポーテイオーを大外一気の末脚でかわし、GI初制覇を飾った。
引退まで
この後は短距離〜中距離のレースを中心に使われ、1988年4月の大阪杯に勝ち、1989年6月の宝塚記念では勝ったイナリワンをクビ差にまで追い詰めるなどしたが、安定した成績を残すことは出来なかった。1989年12月の有馬記念7着を最後に現役を引退、種牡馬入りした。
引退後
90年にHBA軽種馬農協静内種馬場で種牡馬入り[2]。しかし7年の供用で血統登録されたのは16頭のみで、その数少ない産駒も目立った成績をあげられず、1997年以降は種牡馬としての供用の実態がなかった[3][2][4](種牡馬登録の抹消日は2001年9月16日[5])。その後、北海道門別町の名馬のふるさとステーションで乗馬になった[2][6]。2003年11月、同施設が経営難のため閉鎖され、乗馬を引退[2][6]。2004年以降は引退名馬繋養展示事業の助成を受けながら日高シルバーホースファームで余生を過ごした[2]。2007年6月12日に心不全のため死亡した[2]。
血統表
フレッシュボイスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | オーエンテューダー系 |
[§ 2] | ||
父 *フィリップオブスペイン Philip of Spain 1969 黒鹿毛 |
父の父 Tudor Melody1956 黒鹿毛 |
Tudor Minstrel | Owen Tudor | |
Sansonnet | ||||
Matelda | Dante | |||
Fairy Hot | ||||
父の母 Lerida1961 鹿毛 |
*マタドア | Golden Cloud | ||
Spanish galantry | ||||
Zepherin | Pylon | |||
Gulabi | ||||
母 シャトーハード 1973 栗毛 |
*ダイハード Die Hard 1957 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah | |
Singing Grass | ||||
Mixed Blessing | Brumeux | |||
Pot-Pourri | ||||
母の母 ヤマサンカツヒメ1964 栗毛 |
タカマガハラ | クリノハナ | ||
クモゼキ | ||||
セフトニヤ | *セフト | |||
第五デヴォーニア | ||||
母系(F-No.) | (FN:10-d) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Nearco5×5 | [§ 4] | ||
出典 |
|
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “フレッシュボイス”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年7月17日閲覧。
- ^ a b c d e f “87年安田記念馬フレッシュボイスが死亡”. 競馬ブック. 2022年5月5日閲覧。
- ^ “種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|フレッシュボイス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年5月5日閲覧。
- ^ “サラ系供用種牡馬一覧|トピックス|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年5月5日閲覧。
- ^ “公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル”. web.archive.org (2022年5月5日). 2022年5月5日閲覧。
- ^ a b “名馬のふるさとS、繋養馬の移動先決定 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2022年5月5日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ
- フレッシュボイス - 競走馬のふるさと案内所