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「六連島灯台」の版間の差分

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== 歴史 ==
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当初は石油灯であったが、[[1925年]]([[大正]]14年)に高圧式アセチレンガス灯に改められる。その後、[[1952年]](昭和27年)の電化による<ref name=07toudai>{{Cite web|和書|url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/gyoumu/kaiko/toudai/toudaimeguri/setumei/muture/framepage2.htm |title=標識名 六連島灯台 |work=[[第七管区海上保安本部]] |publisher=[[海上保安庁]] |accessdate=2017-05-21}}</ref>自家発電方式となり、[[1963年]](昭和38年)には[[海底ケーブル]]で本土より送電されるようなった<ref>{{Cite web|和書|url=http://blog.canpan.info/jananet/archive/58 |title=明治期に建設された灯台25 六連島灯台 |date=2008-02-06 |work=海の道しるべ |publisher=日本航路標識協会 |accessdate=2017-05-21}}</ref>。[[1969年]](昭和44年)4月に無人化される。[[1991年]]([[平成]]3年)3月、[[光度 (光学)|光度]]・[[光達距離]]を変更<ref name=07toudai />。現在、[[灯質]]は単閃白光、毎3秒に1閃光となり、実効光度3,700[[カンデラ|cd]]、光達距離12.0[[海里]]、光源は[[発光ダイオード|LED]]になっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/koutsu/card/cardimg/mutsurejima2.html |title=六連島灯台 灯台カード(うら) |publisher=第七管区海上保安本部 |accessdate=2017-06-10}}</ref>。
==歴史==
* [[1870年]]([[明治3年]]10月<ref name="kyureki" />)に着工。
* [[1872年]]([[明治4年]]11月21日<ref name="kyureki" />)に石油灯で初点灯した。
* [[1925年]]([[大正14年]])に高圧式アセチレンガス灯に改められる。
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[[1995年]](平成7年)6月、下関市指定文化財に指定された。[[2004年]](平成16年)4月、門司海上保安部の管理となる<ref name=07toudai />。2020年、国の重要文化財に指定された<ref name="bunkacho20201016"/><ref name="kanpo 2020"/>。
== 概要 ==
*航路標識番号- 5537[F5334]
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*構造・塗色- 白色塔形石造([[花崗岩]])
*高さ(地上~塔頂)- 10.6m
*標高(平均海面~灯火)- 27.9m
*レンズ- 40CmLB
*[[灯質]]- 単閃白光 毎10秒に1閃光 Fl W10s
*[[明弧]]- 140°から12°まで
*実効[[光度 (光学)|光度]]- 閃光39万[[カンデラ]]
*[[光達距離]]- 閃光15.5[[海里]](約29km)
*初点灯- 1872年([[明治4年]]11月21日<ref name="kyureki" />)
*所在地- 山口県下関市六連島
*管轄- 海上保安庁第七管区海上保安本部門司海上保安部


== 収録海図 ==
== 収録海図 ==
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== 文化財 ==
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*六連島灯台
**附 旧日時計
**附 石垣
**附 旧俎礁標


== 脚注 ==
== 脚注 ==
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<references />

=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/gyoumu/kaiko/toudai/meijiki/muture2.htm 概要]、[http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN7/toudai/toudai-pic/5537_musture.htm 写真] - 海上保安庁第七管区海上保安本部
* [https://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/gyoumu/kaiko/toudai/meijiki/muture2.htm 六連島灯台] - [[海上保安庁]] [[第七管区海上保安本部]]
* {{Cite web|和書|url=http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN7/toudai/toudai-pic/5537_musture.htm |title=六連島灯台(むつれしま) |year=2003 |work=第七管区海上保安本部 海洋情報部撮影 |accessdate=2017-05-21 |url-status=dead|url-status-date=2017-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040307135642/http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN7/toudai/toudai-pic/5537_musture.htm |archivedate=2004-03-07 }}
*[http://www.tokokai.org/archive/craft/PDF_paper-craft/001-050/P048_rokuren.pdf ペーパークラフト] - 燈光会
* [https://www.kaiho.mlit.go.jp/07kanku/moji/sub_page/07_toudai/07_toudai.htm 門司海保の灯台](写真)
*[http://blog.canpan.info/jananet/archive/58 明治期に建設された灯台25 六連島灯台]-海の道しるべ
* {{citation |url=https://www.kaiho.mlit.go.jp/info/lighthouse/card/0703rtsgydot.html |title=六連島灯台 |work=灯台カード |publisher=海上保安庁}}
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六連島灯台
六連島灯台の位置(山口県内)
六連島灯台
六連島灯台の位置(日本内)
六連島灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
5537 [F5334]
位置 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒 / 北緯33.97806度 東経130.867917度 / 33.97806; 130.867917座標: 北緯33度58分41秒 東経130度52分04.5秒 / 北緯33.97806度 東経130.867917度 / 33.97806; 130.867917
所在地 山口県下関市六連島
塗色・構造 白色 塔形 石造(花崗岩
レンズ LED灯器
灯質 単閃白光 毎3秒に1閃光
Fl W 3s
実効光度 閃光 3,700 cd
光達距離 閃光12.0海里(約22km)
明弧 140度 - 12度
塔高 10.6 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 27.9 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1872年明治4年11月21日[注 1]
管轄 海上保安庁
第七管区海上保安本部
門司海上保安部
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六連島灯台(むつれしまとうだい)は、山口県下関市六連島北埼に立つ石造の灯台関門航路・日本海側の重要なランドマーク海抜約20.3メートルに位置し、高さ約10.6メートルの塔の下部に半円形の付属舎を備える[1]明治時代に建てられた保存灯台(Bランク)[2]2020年令和2年)に国の重要文化財に指定された[3][4]

歴史

[編集]

大政奉還により江戸幕府最後の年となった1867年慶応3年4月[注 1])、兵庫開港に伴う外国船の安全航行を確保するため、幕府がイギリスとの間で締結した大坂約定(大坂条約)で設置を約束した5か所の灯台の1つである。明治新政府が事業を引き継ぎ、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、1870年明治3年10月[注 1])、関門海峡の北の日本海響灘口に建設が開始され[注 2]1872年1月1日(明治4年11月21日[注 1])に、神戸以西で3番目の灯台として点灯した[5]

1872年7月(明治5年6月12日[注 1])、明治天皇は、九州への地方巡幸の際に西郷隆盛らを従えて来島し、灯台行幸として初めて六連島灯台を訪れた[6]1936年昭和11年)には、「明治天皇行幸所六連島燈臺」として史蹟名勝天然紀念物保存法による史蹟に指定された(1948年〈昭和23年〉6月29日指定解除)。

当初は石油灯であったが、1925年大正14年)に高圧式アセチレンガス灯に改められる。その後、1952年(昭和27年)の電化による[7]自家発電方式となり、1963年(昭和38年)には海底ケーブルで本土より送電されるようなった[8]1969年(昭和44年)4月に無人化される。1991年平成3年)3月、光度光達距離を変更[7]。現在、灯質は単閃白光、毎3秒に1閃光となり、実効光度3,700cd、光達距離12.0海里、光源はLEDになっている[9]

1995年(平成7年)6月、下関市指定文化財に指定された。2004年(平成16年)4月、門司海上保安部の管理となる[7]。2020年、国の重要文化財に指定された[3][4]

収録海図

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海図番号 図名 縮尺 図積
W135 関門海峡 25,000
W1264 関門港北部 15,000 1/2

文化財

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以下の物件が国の重要文化財に指定されている[4]

  • 六連島灯台
    • 附 旧日時計
    • 附 石垣
    • 附 旧俎礁標

脚注

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注釈

[編集]
  1. ^ a b c d e グレゴリオ暦への改暦前の太陰太陽暦天保暦の日付。
  2. ^ 同じく大阪条約により南の瀬戸内海周防灘口に建設されたものが部埼灯台

出典

[編集]
  1. ^ 藤岡洋保、野口毅『ライトハウス - すくっと明治の灯台64基』バナナブックス、2015年、97頁。ISBN 978-4-902930-32-0 
  2. ^ 岡克己『ニッポン灯台紀行』世界文化社、2015年、160-161頁。ISBN 978-4-418-15214-8 
  3. ^ a b 国宝・重要文化財(建造物)の指定について”. 文化庁. 2020年10月18日閲覧。
  4. ^ a b c 令和2年12月23日文部科学省告示第140号
  5. ^ No-39 六連島灯台”. 関門“ノスタルジック”海峡. 構成文化財. 関門海峡日本遺産協議会. 2019年3月24日閲覧。
  6. ^ 日本交通公社 編『全国燈台と岬』日本交通公社、1971年、206頁。 
  7. ^ a b c 標識名 六連島灯台”. 第七管区海上保安本部. 海上保安庁. 2017年5月21日閲覧。
  8. ^ 明治期に建設された灯台25 六連島灯台”. 海の道しるべ. 日本航路標識協会 (2008年2月6日). 2017年5月21日閲覧。
  9. ^ 六連島灯台 灯台カード(うら)”. 第七管区海上保安本部. 2017年6月10日閲覧。

外部リンク

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