「諸法無我」の版間の差分
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'''諸法無我'''(しょほうむが、{{lang-pi-short|sabbe dhammā anattā}}、सब्बे धम्मा अनत्ता<ref name="Morya"/>)は、全てのものは[[因縁]]によって生じたものであって[[実体]]性がないという意味の[[仏教]]用語<ref name="kb927"/>。[[三法印]]・[[四法印]]の1つ<ref name=muga>{{Cite |和書|title=無我の見方 |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at=Kindle版,chapt.3 }}</ref><ref name="kb927"/><ref name="コトバンク四法印"/>。[[上座部仏教]]における[[三相 (仏教)|三相]]の1つ。 |
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'''諸法無我'''(しょほうむが、sarva-dharma-anaatman सर्व धर्म अनात्मन्)は、[[仏教]]の用語の一つであり、[[三法印]]・[[四法印]]の一つであり、[[釈迦]]の悟った項目の一つである。すべての存在には、主体とも呼べる「我」(が)がないことをいう。 |
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[[諸行無常]]と並べられるが、行は[[因縁]]によって起こるこの世の[[サンカーラ|現象]]を指すのに対し、諸法(sabbe dhammā)は涅槃すらも含むあらゆる事象([[一切法]])を指している<ref name=muga/>。 |
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[[諸行無常]]といわれるように、一切のものは時々刻々変化している。ところが我々は、変化を繰り返し続ける中に、変化しない何者かをとらえようとしたり、何者かが変化してゆくのだと考えようとする。その変化の主体を想定してそれを我(が)という。 |
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我とは「常一主宰」(常とは常住、一とは単独、主宰とは支配すること)のものといわれ、つまり常住である単独者として何かを支配するものを指す。 |
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== 抜粋 == |
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インド古来の考え方は、変化するものに主体としての変化しないものを想定した「有我論」(うがろん)である。ところが、仏教は、存在とは現象として顕われるのであり、変化そのものであり、変化する何者かという主体をとらえることはまちがいであると指摘する。そのような妄想された「我」に執着する執着を破るために諸法無我が説かれた。これは一般に有我論が説かれている最中に釈迦だけが主張した仏教の特色である。諸法無我は、インド在来の実体的な「我」の存在をも否定し、「我」を含むあらゆる存在は「実体」ではありえないことを主張する。 |
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比丘たちよ、[[色]]は無我、[[受]](Vedanā)は無我、[[想]](サムジャナ)は無我、[[サンカーラ]]は無我、[[識]](viññāṇa)は無我である。 |
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| {{SLTP|[[律蔵 (パーリ)|律蔵]]犍度, 大犍度, 38 Mahakkhandhakaṃ}} }} |
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我々人間は、しらずしらずの間に私自身の現存在を通じて、そこに幼い時から成長して現在にいたるまで肉体や精神の成長変化を認めながら、そこに「私」と呼ぶ実体的「我」を想定し、成長変化してきた私そのものをつかまえて、私は私であると考える。しかし、諸法無我はそれこそ[[我執]]であるとして退け、変化をその変化のままに、変化そのものこそ私なのだと説くのである。この意味で、諸法無我は、自己としてそこにあるのではなく、つねに一切の力の中に「関係そのもの」として生かされてあるという、[[縁起]]の事実を生きぬくことを教えるものである。 |
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アッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちを戒める。このように頻繁に語る。<br> |
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「比丘たちよ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。<br> |
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比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。<br> |
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すべての行は無常である、すべての法は無我である。」と。 |
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| {{SLTP| [[中部 (パーリ)|中部]] 35 [[薩遮迦小経]] }} <ref name=mugaqa>{{Cite |和書|title=無我の見方 |author=[[アルボムッレ・スマナサーラ]] |date=2012 |isbn=978-4905425069 |publisher=サンガ |at={{Kindle版|1930|1501-1522}} }}</ref>}} |
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== 脚注 == |
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一切のものには我としてとらえられるものはないという考え方を徹底して自己について深め、目に見えるもの見えないものを含めて一切の縁起によって生かされてある現実を生きることを教えている。このような共々に生かされて生きているという自覚の中にこそ、他者に対する[[慈悲]]の働きがありうるとする。 |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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== 神の存在について == |
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[[有為法]]だけでなく[[無為法]]を含めてすべての存在には主体とも呼べる我がないというのは、他の宗教に言われるような「神」などの絶対者もまた[[無我]]であることを意味する。これは絶対者の否定ではなく、神などもまた我々との関係の上にのみ存在することを意味している。 |
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仏典の中にも神が出てくる場面が多いが、絶対者としての神ではなく、縁起によって現れたものと見るべきであろう。その意味で、仏教は他の宗教と根本的な違いを持っている。 |
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=== 出典 === |
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<ref name="Morya"> |
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{{Cite book |author=Dviprasad Morya |authorlink= |coauthors= |others= |date=2009 |title=Jīvana kā yathārtha aura vartamāna jagata |edition= |publisher=Kalpaz Publications |volume= |page=89 |isbn= 8178357283}} |
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</ref> |
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<ref name="kb927"> |
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{{Cite book |和書 |author=中村元 |authorlink=中村元 (哲学者) |coauthors= |others= |date=2001-06 |title=広説佛教語大辞典 |edition= |publisher=東京書籍 |volume=中巻 |page=927 |isbn=}} |
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<ref name="コトバンク四法印"> |
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{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%9B%9B%E6%B3%95%E5%8D%B0-285484|title=四法印(しほういん)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-09-22}} |
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</ref> |
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}} |
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== 関連項目 == |
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* [[無我]] |
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* [[法 (仏教)]] |
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* [[我]] |
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* [[無常]] |
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* [[諸行無常]] |
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* [[涅槃]] |
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* [[涅槃寂静]] |
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{{Buddhism2}} |
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2024年12月1日 (日) 21:20時点における最新版
諸法無我(しょほうむが、巴: sabbe dhammā anattā、सब्बे धम्मा अनत्ता[2])は、全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語[3]。三法印・四法印の1つ[4][3][5]。上座部仏教における三相の1つ。
諸行無常と並べられるが、行は因縁によって起こるこの世の現象を指すのに対し、諸法(sabbe dhammā)は涅槃すらも含むあらゆる事象(一切法)を指している[4]。
抜粋
[編集]アッギヴェッサナよ、私はこのように弟子たちを戒める。このように頻繁に語る。
「比丘たちよ、色は無常、受は無常、想は無常、行は無常、識は無常である。
比丘たちよ、色は無我、受は無我、想は無我、行は無我、識は無我である。
すべての行は無常である、すべての法は無我である。」と。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方』サンガ、2012年、Kindle版、位置No.全1930中 1501-1522 / 78-79%。ISBN 978-4905425069。
- ^ Dviprasad Morya (2009). Jīvana kā yathārtha aura vartamāna jagata. Kalpaz Publications. p. 89. ISBN 8178357283
- ^ a b 中村元『広説佛教語大辞典』 中巻、東京書籍、2001年6月、927頁。
- ^ a b アルボムッレ・スマナサーラ『無我の見方』サンガ、2012年、Kindle版,chapt.3。ISBN 978-4905425069。
- ^ “四法印(しほういん)とは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2017年9月22日閲覧。