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「北越急行ほくほく線」の版間の差分

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T:トンネル
T:トンネル
|}<!-- トンネル長はほくほく博士5「ほくほく線の高速運転を支える設備」、橋梁長はほくほく博士10「ほくほく線の中の不思議」より -->
|}<!-- トンネル長はほくほく博士5「ほくほく線の高速運転を支える設備」、橋梁長はほくほく博士10「ほくほく線の中の不思議」より -->
'''北越急行ほくほく線'''(ほくえつきゅうこうほくほくせん)は、[[新潟県]][[南魚沼市]]の[[六日町駅]]を起点とし、新潟県[[上越市]]の[[犀潟駅]]までを結ぶ[[北越急行]]の[[鉄道路線]]である。
[[ファイル:hk100_20040718.jpg|thumb|250px|right|[[北越急行HK100形電車]] [[虫川大杉駅]]<br />ほくほく線内の普通・快速に運用される]]

[[ファイル:Hokuhoku Line 001.JPG|thumb|250px|right|車窓からの田園風景<br/>[[犀潟駅]] - [[くびき駅]]]]
路線名は、北陸方面への短絡線として[[1968年]]に着工され、[[1982年]]に建設工事が凍結されていた<ref name="rj368-54"/>、[[日本国有鉄道]](国鉄)の予定線である北越北線に由来する<ref name="rj368-47"/>。運営を引き継ぐべく設立された北越急行によって[[1985年]]から建設が再開され<ref name="rj368-55"/>、[[1989年]]からは[[運輸省]](当時)が打ち出した「幹線鉄道活性化」の方針を受けて高規格化の対象となり<ref name="rj368-55"/>、難工事を経て[[1997年]]3月22日より営業を開始した<ref name="rj368-54"/>。開業以来、[[上越新幹線]]に連絡する列車の運行が行われており、特に[[1998年]]12月からは在来線最高速度となる150 km/h運転が<ref name="rj428-33"/>、[[2002年]]3月以降はさらに高速となる160 km/h運転が開始されている<ref name="rj428-33"/>。
'''ほくほく線'''(ほくほくせん)は、[[新潟県]][[南魚沼市]]の[[六日町駅]]と新潟県[[上越市]]の[[犀潟駅]]を結ぶ[[北越急行]]の[[鉄道路線]]である。

本項では特段の説明がない限り、「高速走行」とした場合は130 km/hを超える速度による走行をさすものとする。


== 概要 ==
== 概要 ==
本来は[[鉄道敷設法#改正鉄道敷設法別表|改正鉄道敷設法別表]]第55号の3に「新潟縣直江津ヨリ松代(現 まつだい駅)附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐡道」として規定された路線で<ref name="rj368-54"/>、[[日本国有鉄道|国鉄]]北越北線として敷設が計画された路線である<ref name="rj368-54"/>。
{{出典の明記|section=1|date=2012年6月}}
ほくほく線には[[上越新幹線]]と接続して[[越後湯沢駅]]と北陸地方の各都市を結ぶ[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」が運行されている。[[1997年]]にほくほく線が開業して以来、[[新潟県]][[上越地方]]北部、[[富山県]]・[[石川県]]方面と[[関東地方|関東]]方面を鉄道で移動する場合は、本路線を通る特急「はくたか」と上越新幹線を越後湯沢駅で乗り継いで利用する方法が最も短時間であることが多い。


現在の「ほくほく線」は、この北越北線を略して平仮名書きしたものだが、愛称ではなく、正式な路線名称である<ref name = "hokuhoku_enkaku"/>。開業前に正式路線名を決定するにあたり、北越急行と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートにおいて「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つが上位を占めた<ref name = "hokuhoku_enkaku"/>。そして選考の結果「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で「ほくほく線」が選ばれた<ref name = "hokuhoku_enkaku"/>。
日本の地方私鉄は全国的に赤字になっている路線も多いが、ほくほく線は毎年数億円の黒字となっており、地方の鉄道会社の路線としては利益の大きい部類に入る。2001年度の営業収支率は73.0%であり、[[第三セクター鉄道]]の中では経営状態は良好であるが、全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。2014年度に[[北陸新幹線]]の[[長野駅]] - [[金沢駅]]間が延伸開業する際に、利用者が新幹線へ大幅に移行することが確実視されており、沿線利用者の確保や活性化が課題となる。


ほくほく線には[[上越新幹線]]と接続して[[越後湯沢駅]]と北陸地方の各都市を結ぶ[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」が運行されている。ほくほく線が開業する以前は、首都圏と北陸地方を結ぶ手段は東海道新幹線で米原を経由するルートが一般的であった<ref name="rj428-23"/>が、ほくほく線が開業してからは上越新幹線と「はくたか」を乗り継ぐルートのほうが有利になる範囲が拡大された<ref name="rj557-32"/>。
構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていた。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い[[機関車]]の入線は不可能となっている<ref name = "dr.hokuhoku_13" />。ただし[[雪かき車]]の通行は想定されており、設計に際して[[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]・[[国鉄DD53形ディーゼル機関車|DD53形]]の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮されている<ref name = "工事誌_71-72" />。


ほくほく線は10日間しか営業していなかった初年度を除いて毎年数億円の黒字となっている<ref name="rj392-41"/>。[[2001年]]度の営業収支率は73.0%であり、[[第三セクター鉄道]]の中では経営状態は良好であるが、全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。[[2014年]]度に[[北陸新幹線]]の[[長野駅]] - [[金沢駅]]間が延伸開業すると、ほくほく線は幹線ではなくローカル線となる<ref name="rj557-44"/>が、[[2012年]]時点で「はくたか」利用者の22%から25%が北陸新幹線でも乗換えを要する直江津で乗降している<ref name="rj557-45"/>。これらのことから、北越急行では「ほくほく線経由の需要も残るのではないか」と予測しており<ref name="rj557-45"/>、事業を継続することは可能であるという見通しをもっている<ref name="rj557-45"/>。
[[踏切]]が両端の起点・終点にあたる犀潟駅付近と六日町駅付近に各1か所あるのみで他の区間にはないことが高速走行を支えており、特急は在来線では[[京成成田空港線]]の「[[スカイライナー]]」とともに日本一速い最高速度160 km/hで運転される。また、普通列車は高速・高加減速性能を持つ車両(最高110 km/h)で運転され、駅構内を除き全線単線であるほくほく線内で、後続の特急に追いつかれることを極力防ぐダイヤが設定されている。それでも速度差があるため、ほくほく線内で追い越しが行われる場合もあるが、駅以外にも、トンネルの中で特急列車が普通列車を追い越すことが可能な[[信号場]]が線内に3箇所存在する。なお、トンネル内に追い越し設備があるのは、高速で走行できるようにできるだけ[[線形 (路線)|線形]]を直線に近くした結果、トンネル区間の割合が多くなったためだが、沿線は[[豪雪地帯]]であることから、雪によるポイントの不転換、待避停車中の[[集電装置|パンタグラフ]]への着雪を防止するといったメリットもある。


== 歴史 ==
起点・終点駅である六日町駅・[[犀潟駅]]と[[十日町駅]]以外は、すべて[[無人駅]]である。また、それらの駅では列車通過の際にそれぞれの駅ごとに違った「通過警告メロディ」が流れる。
===前史 ===
昭和初期、ほくほく線沿線となる新潟県の上越・中越地方では[[バス (交通機関)|バス]]の運行が開始されたが、当時は道路の除雪体制がまったく整っておらず、冬季には運行できなくなり各集落は完全に孤立状態となるのが常であった。このためかえって鉄道への熱望が高まることになり、大正時代に開通した[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]と連絡して[[北陸本線]]と[[上越線]]を短絡する鉄道を実現する運動が開始された。当初は上越線との連絡点は六日町とされたのに対して、西側は[[信越本線]]の[[高田駅 (新潟県)|高田]]とする案と、直江津とする案があった。しかし上越線と北陸本線を短絡する路線の機能を考えて、最終的に直江津案にまとまった。一方[[1940年]](昭和15年)になると、上越線側を越後湯沢とする案が出され、当時の[[鉄道省]]も両案を実際に比較測量している。この越後湯沢と接続する案が鉄道敷設法の同号に「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤(現 越後湯沢駅)ニ至ル鐡道」として規定される北越南線であった。こうして「南北戦争」と称される激しい誘致合戦が始まった<ref name="rj392-38"/>。[[1944年]](昭和19年)に一度は[[信濃川発電所]]の工事[[専用鉄道|専用線]]を転用する形で北越北線が採択されて工事予算がついたが、[[第二次世界大戦]]の戦況悪化に伴い工事は中止された<ref name = "新線_140-142" />。


第二次世界大戦後は、[[1950年]](昭和25年)から誘致運動が再開されたが、相変わらず南北の対立は残ったままであった。北線の利点は、より大きな都市を通過するため採算性がよく沿線の発展にも貢献すること、[[地すべり]]地帯がなく防災上有利なことで、南線の利点は距離が短く勾配も緩く、未開発の資源や温泉地帯を通過することなどとされた。これらの両線を合わせて「上越西線」とも称されていた。南線のルートは[[うらがわら駅|浦川原]]で分岐して、[[松之山町]]を通り、[[飯山線]]と[[越後鹿渡駅]] - [[越後田沢駅]]間を共用して[[信濃川]]を渡り、越後湯沢へつなぐ、道路の[[国道353号]]に近いものであった。[[1953年]](昭和28年)2月の鉄道建設審議会では、地元の意見が未統一との理由で着工案を保留とした。南北両派の合意により、新潟県知事に裁定を一任することとなったが、同年8月に新潟県知事が北線採択の裁定を下すと、9月の期成同盟会総会を南線側がボイコットする事態となった。それからさらに両派の争いは続き、事態が動いたのは1962年(昭和37年)のこととなった。この頃、[[松之山町]]の中心部で地すべり災害が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった。[[1964年]](昭和39年)4月22日に北越北線が調査線に昇格し、9月28日に工事線となって、北越北線が正式に採択されることになった<ref name = "新線_144-149" />。
なお、正式な起点は六日町駅だが、列車運行および旅客案内では犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。


===着工から凍結、工事再開===
=== 路線データ ===
1968年(昭和43年)8月14日にまず六日町 - 十日町間で着工した<ref name="rj392-38"/>。概算工事費は50億1800万円とされた。さらに[[1973年]](昭和48年)3月24日に十日町 - 犀潟間に着工し<ref name="rj392-38"/>、この区間の概算工事費は239億3400万円とされた。国鉄との協議により、将来的な優等列車や貨物列車の運行を想定することになっていた。当初の仮称駅名は、六日町、西六日町、赤倉信号場、津池、十日町、薬師峠信号場、松代、儀明信号場、頸城大島、沢田、増田、犀潟とされていた。さらに当初は非電化で計画されていたが、途中で将来の[[鉄道の電化|電化]]に備えることになり、工事費は511億8600万円と見積もられるようになった。しかし[[鍋立山トンネル]]の難工事などにより工事は見込みよりかなり遅れることになった。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として[[1980年]](昭和55年)に[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法]](国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった<ref name="rf577-46"/>。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600 人/日であった<ref name="rj392-39"/>。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗しており、工事費は415億円が投じられていた<ref name = "新線_150-153" />。
* 路線距離([[営業キロ]]): 59.5 [[キロメートル|km]]
* [[軌間]]: 1,067 [[ミリメートル|mm]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 駅数(起終点を含む): 12
* 最高速度: 160 [[キロメートル毎時|km/h]](特急、右記の区間以外。[[京成成田空港線]]と共に営業在来線日本国内最速)、140 km/h(薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間)、110 km/h(普通・快速)
* 複線区間: なし(全線[[単線]])
* 電化区間: 全線([[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]])<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最小曲線半径: 400 [[メートル|m]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最急勾配: 33 [[パーミル]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 設計[[活荷重]]: KS-16(国鉄時代に完成した区間)、KS-12(第三セクター化後に完成した区間)
* 最長トンネル: [[赤倉トンネル]](10,472 m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、[[地下鉄]]・[[JR線]]以外では日本最長の鉄道トンネル<ref name = "dr.hokuhoku_5" />)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]: 単線自動閉塞式<ref name = "工事誌_7-8" />
* 保安装置: [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* [[運転指令所]]: 六日町指令所<ref name = "工事誌_7-8" />


国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクターを設立して引き受けることが可能であると定めていた。[[1983年]](昭和58年)に元首相の[[田中角栄]]の働きによりこの方向で動き出した<ref name="rj368-55"/>。ただし、当時の[[君健男]]新潟県知事は第三セクター化に慎重であり<ref name="rj368-55"/>、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行うことと、国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた。コンサルタントも、[[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]]に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した。こうして[[1984年]](昭和59年)8月30日に北越急行が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された<ref name = "新線_154-155_284" />。
== 歴史 ==
本来は[[鉄道敷設法#改正鉄道敷設法別表|改正鉄道敷設法別表]]第55号の3に「新潟縣直江津ヨリ松代(現 まつだい駅)附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐡道」として規定された路線で、[[日本国有鉄道|国鉄]]北越北線として敷設が計画された路線である。


工事を中断した時点で鍋立山トンネルは中央部で645 mの未掘削区間が残されていた<ref name="rj368-49"/>。しかしこのわずかな区間に、さらに10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることになった。当初の中央導坑先進工法では強大な土圧により支保工が座屈するなどの問題を生じた<ref name="rj368-49"/>。続いて[[トンネルボーリングマシン]]を導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった<ref name="rj368-49"/>。さらに注入剤を入れて<ref name="rj368-49"/>、最終的には手掘りも実施する<ref name="rj428-23"/>などして、645 mを掘るために実に29の工法が駆使された。[[1992年]](平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工に漕ぎ着けた<ref name = "新線_216-221" />。
現在の「ほくほく線」は、この北越北線を略して平仮名書きしたものだが、愛称ではなく、正式な路線名称である。開業前に正式路線名を決定するにあたり、北越急行と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートにおいて「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つが上位を占めた。そして選考の結果「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で「ほくほく線」が選ばれ、正式な路線名となった。


===高規格化・開業===
昭和初期にこの地方に[[バス (交通機関)|バス]]の運行が開始されたが、当時は道路の除雪体制がまったく整っておらず、冬季には運行できなくなり各集落は完全に孤立状態となるのが常であった。このためかえって鉄道への熱望が高まることになり、大正時代に開通した[[頸城鉄道線|頸城鉄道]]と連絡して北陸本線と上越線を短絡する鉄道を実現する運動が開始された。当初は上越線との連絡点は六日町とされたのに対して、西側は信越本線の[[高田駅 (新潟県)|高田]]とする案と、直江津とする案があった。しかし上越線と北陸本線を短絡する路線の機能を考えて、最終的に直江津案にまとまった。一方1940年(昭和15年)になると、上越線側を越後湯沢とする案が出され、当時の[[鉄道省]]も両案を実際に比較測量している。この越後湯沢と接続する案が鉄道敷設法の同号に「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤(現 越後湯沢駅)ニ至ル鐡道」として規定される北越南線であった。こうして「南北戦争」と称される激しい誘致合戦が始まった。1944年(昭和19年)に一度は[[信濃川発電所]]の工事[[専用鉄道|専用線]]を転用する形で北越北線が採択されて工事予算がついたが、[[第二次世界大戦]]の戦況悪化に伴い工事は中止された<ref name = "新線_140-142" />。
[[1988年]](昭和63年)になり、[[整備新幹線]]問題の関係で[[北陸新幹線]]の建設の見通しが立たなかったことから、北越北線を高速化して[[スーパー特急]]を走らせる計画が[[運輸省]]から打ち出された<ref name="rj392-39"/>。もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出した。これにより、JRと直通の特急列車を走らせるために電化が実施されることになった<ref name="rj368-55"/>。建設に要するとされた310億円は、建設に当たっていた[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた<ref name = "新線_156-207" />。


当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越急行に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった<ref name="rj428-29"/>。十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であった<ref name="rj428-29"/>が、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった<ref name="rj428-29"/>。犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた<ref name="rj428-29"/>。また、高速化の制約となっていた[[分岐器]]の通過速度制限を緩和するために、[[一線スルー]]にする改良を実施した<ref name="rj392-40"/>。さらに[[カント (路線)|カント]]の向上を行った<ref name = "新線_156-207" />。
第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)から誘致運動が再開されたが、相変わらず南北の対立は残ったままであった。北線の利点は、より大きな都市を通過するため採算性がよく沿線の発展にも貢献すること、[[地すべり]]地帯がなく防災上有利なことで、南線の利点は距離が短く勾配も緩く、未開発の資源や温泉地帯を通過することなどとされた。これらの両線を合わせて「上越西線」とも称されていた。南線のルートは[[うらがわら駅|浦川原]]で分岐して、[[松之山町]]を通り、[[飯山線]]と[[越後鹿渡駅]] - [[越後田沢駅]]間を共用して[[信濃川]]を渡り、越後湯沢へつなぐ、道路の[[国道353号]]に近いものであった。1953年(昭和28年)2月の鉄道建設審議会では、地元の意見が未統一との理由で着工案を保留とした。南北両派の合意により、新潟県知事に裁定を一任することとなったが、同年8月に新潟県知事が北線採択の裁定を下すと、9月の期成同盟会総会を南線側がボイコットする事態となった。それからさらに両派の争いは続き、事態が動いたのは1962年(昭和37年)のこととなった。この頃、[[松之山町]]の中心部で地すべり災害が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった。1964年(昭和39年)4月22日に北越北線が調査線に昇格し、9月28日に工事線となって、北越北線が正式に採択されることになった<ref name = "新線_144-149" />。


1997年(平成9年)3月22日に開業した<ref name="rj428-32"/>。首都圏では「北陸新線」という名で宣伝された。同時に本路線を経由する[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」の運転が開始された<ref name="rj428-32"/>。当初から160 km/h運行に対応する設備で開業したが、さらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにしたため、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた<ref name="rj428-32"/>。その後、段階的な検証を行い、[[1998年]](平成10年)12月から「はくたか」が150 km/h運転を開始し<ref name="rj428-33"/>、続いて2002年(平成14年)3月から当初の予定通りの160 km/h運転が開始されている<ref name="rj428-33"/>。なお、ほくほく線開業後、まつだい駅から松之山温泉を訪れる行楽客が増えたという<ref name="rj392-38"/>。
1968年(昭和43年)8月14日にまず六日町 - 十日町間で着工した。概算工事費は50億1800万円とされた。さらに1973年(昭和48年)3月24日に十日町 - 犀潟間に着工し、この区間の概算工事費は239億3400万円とされた。国鉄との協議により、将来的な優等列車や貨物列車の運行を想定することになっていた。当初の仮称駅名は、六日町、西六日町、赤倉信号場、津池、十日町、薬師峠信号場、松代、儀明信号場、頸城大島、沢田、増田、犀潟とされていた。さらに当初は非電化で計画されていたが、途中で将来の[[鉄道の電化|電化]]に備えることになり、工事費は511億8600万円と見積もられるようになった。しかし[[鍋立山トンネル]]の難工事などにより工事は見込みよりかなり遅れることになった。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に[[日本国有鉄道経営再建促進特別措置法]](国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600 人/日であった。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗しており、工事費は415億円が投じられていた<ref name = "新線_150-153" />。


[[2004年]](平成16年)10月23日の[[新潟県中越地震]]では発生後全線で運転を見合わせた。10月26日より被害の少なかった[[犀潟駅|犀潟]] - [[まつだい駅|まつだい]]間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開。11月2日に全線で運転を再開した。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している。また、[[2005年]](平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって[[急行列車|急行]]「[[能登 (列車)|能登]]」がほくほく線を経由して運転された<ref name = "dr.hokuhoku_13" />。
国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクターを設立して引き受けることが可能であると定めていた。1983年(昭和58年)に元首相の[[田中角栄]]の働きによりこの方向で動き出した。ただし、当時の[[君健男]]新潟県知事は第三セクター化に慎重であり、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行うことと、国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた。コンサルタントも、[[秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線]]に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した。こうして1984年(昭和59年)8月30日に北越急行が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された<ref name = "新線_154-155_284" />。


[[2007年]](平成19年)7月16日に発生した[[新潟県中越沖地震]]では、特急「はくたか」が終日運休となる。翌17日から運転を再開した<ref name = "dr.hokuhoku_b2"/>。
工事を中断した時点で鍋立山トンネルは中央部で645 mの未掘削区間が残されていた。しかしこのわずかな区間に、さらに10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることになった。当初の中央導坑先進工法では強大な土圧により支保工が座屈するなどの問題を生じた。続いて[[トンネルボーリングマシン]]を導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった。さらに注入剤を入れて、最終的には手掘りも実施するなどして、645 mを掘るために実に29の工法が駆使された。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工に漕ぎ着けた<ref name = "新線_216-221" />。


==施設==
1988年(昭和63年)になり、[[整備新幹線]]問題の関係で[[北陸新幹線]]の建設の見通しが立たなかったことから、北越北線を高速化して[[スーパー特急]]を走らせる計画が[[運輸省]]から打ち出された。もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出した。これにより、JRと直通の特急列車を走らせるために電化が実施されることになった。建設に要するとされた310億円は、建設に当たっていた[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた<ref name = "新線_156-207" />。
===軌道===
ほくほく線は全線が単線で、[[軌条]](レール)は全線に渡り60kgレール{{refnest|group="注釈"|name="60kgレール"|1mあたりの重さが60kgのレール。}}である<ref name="rj557-27"/>。構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていた。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い[[機関車]]の入線は不可能となっている<ref name="rj557-45"/>。ただし[[雪かき車]]の通行は想定されており、設計に際して[[国鉄DD14形ディーゼル機関車|DD14形]]・[[国鉄DD53形ディーゼル機関車|DD53形]]の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮されている<ref name = "工事誌_71-72" />。


本線上において高速走行の列車が通過する場所にある[[分岐器]]12組をノーズ可動クロッシングとした<ref name="rj557-28"/>が、これは開業時点では、新幹線以外の日本の鉄道ではほくほく線を含めても20組程度しか導入されていなかった特殊な分岐器である<ref name="rj557-28"/>。ただし、十日町駅構内については、駅前後の曲線で速度制限を受けることによって130 km/h以下の速度での通過となる<ref name="rj557-30"/>ため、ノーズ可動クロッシングを使用していない<ref name="rj557-30"/>。また、交換設備はすべて1線スルー方式で<ref name="rj392-40"/>、直進側を通過する際には最高速度のままで通過可能である<ref name="rj392-40"/>。
当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越急行に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった。十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であったが、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった。犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた。また、高速化の制約となっていた[[分岐器]]の通過速度制限を緩和するために、[[一線スルー]]にする改良を実施した。さらに[[カント (路線)|カント]]の向上を行った<ref name = "新線_156-207" />。


魚沼丘陵と東頸城丘陵を横断する線形からトンネルが14箇所と多く<ref name="rj368-54"/>、すべてのトンネルの長さを合計すると40,292mとなり<ref name="rj392-33"/>、これは路線長59.5kmの68%に相当する<ref name="rj392-33"/>。
1997年(平成9年)3月22日に開業した。首都圏では「北陸新線」という名で宣伝された。同時に本路線を経由する[[特別急行列車|特急]]「[[はくたか (列車)|はくたか]]」の運転が開始された。当初から160 km/h運行に対応する設備で開業したが、さらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにしたため、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた<ref name = "official_history" />。


[[架線]]支持方式は、地上区間では新幹線と同様のコンパウンドカテナリ方式を使用している<ref name="rj557-28"/>が、もともと非電化路線として建設されたため断面積の小さいトンネル内では、上下寸法の小さいツインシンプルカテナリ方式を採用しており<ref name="rj557-28"/>、さらに吊架には長幹碍子という特殊な[[碍子]]を使用している<ref name="rj557-28"/>。
1998年(平成10年)12月から「はくたか」が150 km/h運転を開始し、続いて2002年(平成14年)3月から当初の予定通りの160 km/h運転が開始されている<ref name = "official_history" />。


===駅・信号場===
2004年(平成16年)10月23日の[[新潟県中越地震]]では発生後全線で運転を見合わせた。10月26日より被害の少なかった[[犀潟駅|犀潟]] - [[まつだい駅|まつだい]]間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開。11月2日に全線で運転を再開した。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している。また、2005年(平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって[[急行列車|急行]]「[[能登 (列車)|能登]]」がほくほく線を経由して運転された<ref name = "dr.hokuhoku_13" />。
列車の行き違いを行う交換設備は、起終点を除くと十日町・まつだい・虫川大杉・くびきの4駅と、赤倉・薬師峠・儀明の3信号所にあり、すべて10両編成同士の列車交換が可能である<ref name="rj392-40"/>。駅数は両端の六日町駅・犀潟駅を含めて12駅で<ref name="rj368-54"/>、自社管理の駅員配置駅は十日町駅だけで<ref name="rj368-54"/>、起点・終点駅である六日町駅・[[犀潟駅]]と[[十日町駅]]以外は、すべて[[無人駅]]である。また、特急の停車しない駅のプラットホームはすべて2両分のみである<ref name="rj368-53"/>が、虫川大杉駅の下り線に限り9両分の長さである<ref name="rj368-53"/>。また、信号場は3箇所ともトンネル内にある<ref name="rj368-54"/>。


「はくたか」・快速が停車しない駅では、列車が高速で通過して危険であることから、[[プラットホーム|ホーム]]への入口にはスイングゲートが付いていて、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがしてある<ref name="rj392-37"/>。特に[[美佐島駅]]はホームがトンネル内にあり、通過列車が接近した場合、風圧によって飛ばされる危険が高い{{refnest|group="注釈"|name="美佐島風速"|特急が140 km/hでトンネルに進入した場合、トンネル内を吹き抜ける風は、風速25mにも及ぶ<ref name="rj368-53"/>。}}ことから、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、無人駅ながら危険防止のため、ホーム部分は常に[[監視カメラ]]によって管理されており、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される<ref name="rj557-39"/>。
2007年(平成19年)7月16日に発生した[[新潟県中越沖地震]]では、特急「はくたか」が終日運休となる。翌17日から運転を再開した。


車両基地は六日町駅に隣接しており<ref name="rj557-36"/>、2両編成×3編成が収容可能な収容庫と、検修庫に分かれている<ref name="rj557-36"/>。
=== 年表 ===
* 1931年(昭和6年)9月 - 地元の関係者による鉄道敷設運動が始まる。
* 1940年(昭和15年) - 北越南線の計画が持ち上がって「南北戦争」勃発。
* 1953年(昭和28年)
** 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留。
** 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択。
** 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット。
* 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結。
* 1962年(昭和37年)
** 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択。
** 5月12日 - 鉄道敷設法別表第55の3号により、予定路線に編入。
* 1964年(昭和39年)
** 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示。
** 9月28日 - 工事線に昇格、[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)に対して工事実施計画の指示。
* 1968年(昭和43年)
** 2月23日 - 北越北線六日町 - 十日町間工事実施計画の認可申請。
** 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可。
** 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工。
* 1972年(昭和47年)
** 8月21日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画の認可申請。
** 10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可。
* 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工。
* 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、[[スラブ軌道]]の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更。
* 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事凍結。
* 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される。
* 1984年(昭和59年)
** 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立。
** 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催。
** 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記。
** 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示。
* 1985年(昭和60年)
** 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける。
** 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示。
** 3月16日 - 鉄道公団により工事再開。
* 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱。
* 1989年(平成元年)
** 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結。
** 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから160 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ。
** 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示。
** 10月2日 - 高規格化対応工事に着手。
* 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業。
* 1998年(平成10年)12月 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ。
* 2002年(平成14年)3月 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ。
* 2004年(平成16年)
** 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる。
** 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開。
** 11月2日 - 全線で運転を再開。
* 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止。


== 運行形態 ==
===閉塞方式===
閉塞方式は単線自動閉塞式で<ref name="rj392-40"/>、出発信号機8機と閉塞信号機22機を使用<ref name="rj392-40"/>、1閉塞平均の距離は1,566mである<ref name="rj392-40"/>。[[列車集中制御装置]] (CTC) とプログラム式進路制御 (PRC) を併用し<ref name="rj392-40"/>、進路設定の上で支障となる要因がなくなると30秒で進路を設定できる<ref name="rj392-40"/>。
{{出典の明記|section=1|date=2012年6月}}
上越新幹線越後湯沢駅と北陸方面とを結ぶ特急「[[はくたか (列車)|はくたか]]」が、ほくほく線を経由する。「はくたか」は[[2002年]](平成14年)3月からほくほく線内で[[最高速度#日本の最高速度(鉄道)|最高速度]]160 km/hでの営業運転を行っており、これは日本の[[狭軌]]の鉄道では最も速い速度である。


===保安装置===
この速度で運転する[[JR西日本681系電車|681系]]・[[JR西日本683系電車#8000番台|683系8000番台]]に限り、同車に搭載した信号読替装置(トランスポンダ)により130 km/h以上の走行が許可され、[[鉄道信号機|信号機]]には青を上下に2灯点灯させた「[[日本の鉄道信号|高速進行]]」信号が現示される。
保安装置([[自動列車停止装置]])はATS-P形を採用した<ref name="rj557-29"/>。当初、運輸省では高速運転に際して、新幹線と同様に[[自動列車制御装置]] (ATC) の導入を求めていた<ref name="rj557-28"/>が、導入コストの問題のほか<ref name="rj557-28"/>、各地からの臨時列車の乗り入れが車種の制限なく行えるようにするため<ref name="rj557-28"/>、ATS-P形の導入となった。また、交換駅での同時進入は通常なら警戒現示により25km/h制限となるところ<ref name="rj392-40"/>、ATS-P形の導入によって本線側55km/h・分岐側45km/hに制限速度が緩和されている<ref name="rj392-40"/>。また、130 km/h以上での走行を許可する「高速進行現示」として主信号機では緑2灯の点灯、中継信号機では縦に6灯の点灯をもって、高速進行現示とする「GG信号」が導入された<ref name="rj557-29"/>。このGG信号は、ATS-Pトランスポンダを搭載した車両に限って現示されるもので、トランスポンダ搭載車が信号機を通過する数十秒前にG信号(進行現示)からの変換によりGG信号が現示される<ref name="rj368-47"/>。


===最高速度===
特急のほかに[[快速列車|快速]]・[[各駅停車]]も設定されており、快速列車2往復以外は全て各駅停車である。多くの列車が[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[信越本線]][[直江津駅]]や[[上越線]]越後湯沢駅まで乗り入れ、直江津 - 越後湯沢間を[[直通運転]]している。日中には六日町 - 虫川大杉間(平日のみ。土休日は直江津行き)、夜間には六日町 - まつだい間に各1往復ずつの区間列車が設定されているほか、六日町・犀潟発着の列車も設定されている。快速・各駅停車は「はくたか」の合間を縫って走ることや、駅間距離が長いことから、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hで運転され、普通列車用の車両である[[北越急行HK100形電車|HK100形]]は優れた加速性能を持つ。普通・快速列車は全列車が[[ワンマン運転]]である。
ほくほく線の最高速度は160 km/hで、これは新幹線を除く鉄道では[[京成成田空港線]]の「[[スカイライナー]]」とともに日本では最速である。160 km/hに設定された背景には、国鉄時代に湖西線で行われた高速走行試験の目標が160 km/hであったこと<ref name="rj428-23"/>や、「新幹線の在来線の軌間の比率を考えると、200 km/hに対して160 km/hとなる」という考えもあったことが挙げられる<ref name="rj557-29"/>。「140 km/hでも十分」という意見もあった<ref name="rj557-29"/>が、関係者や技術者の多くは「絶対に在来線鉄道の将来に役立つ」と協力を惜しまなかったという<ref name="rj557-29"/>。


しかし、1996年から開始された開業前の試運転の際には、高速走行時の車内で予想以上の気圧変動が発生しており<ref name="rj428-30"/>、気密構造でなかった681系を使用した試運転で窓の接着部分には指が入るほどの隙間ができてしまったことすらあった<ref name="rj557-29"/>。これらの現象は、ほくほく線のトンネルが単線断面であり、かつトンネル断面が複雑であることが要因であった<ref name="rj428-30"/>が、これに伴い、ほくほく線で高速運転を行う特急形車両については、扉が閉じた際に圧着させるなどの対策を施した簡易気密構造の車両に限定されることになった<ref name="rj428-30"/>。その後の半年にわたる試運転で安全性は立証された<ref name="rj428-32"/>ものの、万全を期して、開業当初の最高速度は140 km/hとした<ref name="rj428-32"/>。その2年後に行われた特急形車両の重要部検査時には、車両の構体に亀裂などがないかを微細に確認した上で<ref name="rj428-32"/>、1998年12月から150 km/h運転を開始した<ref name="rj428-33"/>。さらに2年後に行われた全般検査時にも構体に対して同様の確認を行い<ref name="rj428-33"/>、2000年11月21日には160 km/h運転の試運転を行った上で問題がないことを確認<ref name="rj428-33"/>、2002年3月から160 km/h運転が開始されている<ref name="rj428-23"/>。
JR線内へ乗り入れる快速・各駅停車はJR線内で通過運転を行っており、上越線の[[上越国際スキー場前駅]](冬期のみ)と[[塩沢駅]]に一部列車が停車するが、上越線の[[石打駅]]・[[大沢駅 (新潟県)|大沢駅]]と信越本線の[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]は全列車が通過となる。<!--理由は不明である。-->また開業当初、快速は[[虫川大杉駅]]を通過していた。


通常ダイヤであれば155km/h程度で定時運行が可能で<ref name="rj557-31"/>、160 km/hは列車が遅延した際の余裕と考えられている<ref name="rj557-31"/>。また、最高速度である160 km/hで走行できる区間は、下り列車が赤倉・鍋立山・霧ヶ岳の各トンネル内とくびき駅から犀潟駅までの高架橋区間<ref name="rj428-33"/>、上り列車では薬師峠トンネル内となっている<ref name="rj428-33"/>。さらに、気圧変動の緩和のため、ATS-Pによってトンネル進入時に130 km/hに速度を落とし、進入後のトンネル内で160 km/hまで加速させている<ref name="rj428-33"/>。
「はくたか」・快速が停車しない駅では、列車が高速で通過して危険であることから、[[プラットホーム|ホーム]]への入口にはスイングゲートが付いていて、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがしてある。特に[[美佐島駅]]はホームがトンネル内にあり、通過列車が接近した場合、風圧によって飛ばされる危険が高いことから、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、無人駅ながら危険防止のため、ホーム部分は常に[[監視カメラ]]によって管理されており、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される。


なお、うらがわら駅と大池いこいの森駅の間の曲線では135km/hに制限されている<ref name="rj557-31"/>が、これは在来線ではもっとも高速の速度制限である<ref name="rj557-31"/>。
ほくほく線ではトンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像を鑑賞できる「ゆめぞら号」(「[[北越急行HK100形電車]]」の項を参照)という車両が運行されている。この「ゆめぞら号」は主に土曜・日曜・祝日に運行中で、季節によって異なる映像が上映される。詳しい運行状況は北越急行株式会社のホームページで確認することができる<ref name = "ゆめぞら" /><ref name = "mee" />。


== 運行形態 ==
「はくたか」を優先したダイヤであり、その合間を普通、快速が走っていることから、ほくほく線と接続する[[北陸本線]]・[[飯山線]]・[[上越線]]は、いずれも限られた運行本数でありながら、普通列車同士の接続はきわめて悪く、上下線ともに数分差で乗り継げないダイヤ設定が多い。また、JR東日本、西日本のダイヤ改正日が異なることが多い一方で両社に合わせたダイヤを組まなくてはならないため、ダイヤ改正が行われる頻度が高い。
ほくほく線では、上越新幹線と接続して北陸方面を結ぶ特急列車<ref name="rj368-54"/>と、地域内利用を主眼とした普通列車が運行されている<ref name="rj368-55"/>。正式な起点は六日町駅だが、列車運行および旅客案内では犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている<ref name="rj368-44"/>。これは、特急「はくたか」がJR西日本主体の列車であり<ref name="rj368-44"/>、北陸本線に合わせたためである<ref name="rj368-44"/>。


===特徴===
[[ファイル:Linemap of Hokuetsu Express Corporation Hokuhoku Line.PNG|thumb|none|300px|直通先のJR上越線(越後湯沢 - 六日町)JR信越本線(犀潟 - 直江津)を含めた運行形態別停車駅一覧[[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/04/Linemap_of_Hokuetsu_Express_Corporation_Hokuhoku_Line.PNG 拡大して見る]]]]
開業当初から、越後湯沢での上越新幹線連絡を最優先にしたダイヤ設定が行われている<ref name="rj392-34"/>。


この結果、1999年時点では特急「はくたか」同士のすれ違いは、56回中24回がほくほく線内で行われていた<ref name="rj392-34"/>{{refnest|group="注釈"|name="はくたか1999"|この当時の特急「はくたか」は10往復<ref name="rj392-34"/>。}}。また、ほくほく線内のみを運転する普通列車は、数駅ごとに特急列車の待避や交換待ちなどで長時間停車する列車が多い<ref name="rj368-57"/>。1999年の時点では、通過駅のない普通列車で最も短い所要時間が直江津から六日町までで49分45秒であったのに対して<ref name="rj392-34"/>、最長の所要時間を要する列車では六日町から直江津までに1時間24分かかっていた<ref name="rj392-36"/>。
== 乗降方法 ==

JR線内へ乗り入れる快速・各駅停車はJR線内で通過運転を行っており、上越線の[[上越国際スキー場前駅]](冬期のみ)と[[塩沢駅]]に一部列車が停車する<ref name="rj368-53"/>が、上越線の[[石打駅]]・[[大沢駅 (新潟県)|大沢駅]]と信越本線の[[黒井駅 (新潟県)|黒井駅]]は全列車が通過となる<ref name="rj368-53"/>。これは、短い編成でワンマン運転を行うほくほく線の列車では、JR線内での突発的な需要に応じ切れないことが理由と考えられている<ref name="rj368-53"/>。

=== 列車の乗降方法 ===
駅員が配置されている六日町駅、十日町駅、犀潟駅ではすべてのドアが開き乗降が可能だが、これらの駅以外の駅で乗降する場合は、2両編成で運転される普通・快速列車の2両目のドアは開けず、1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する[[ワンマン運転#後乗り前降り|後乗り前降り]]方式を取っている<ref name="dr.hokuhoku_16" />。
駅員が配置されている六日町駅、十日町駅、犀潟駅ではすべてのドアが開き乗降が可能だが、これらの駅以外の駅で乗降する場合は、2両編成で運転される普通・快速列車の2両目のドアは開けず、1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する[[ワンマン運転#後乗り前降り|後乗り前降り]]方式を取っている<ref name="dr.hokuhoku_16" />。


== 使用車両 ==
===運行管理===
ほくほく線の運行管理は、六日町駅に隣接した運転指令所により行われている<ref name="rj392-41"/>。
すべて電車。
* 特急「[[はくたか (列車)|はくたか]]」
** [[JR西日本681系電車|681系0番台(W編成)]] - [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[金沢総合車両所]]所属
** [[JR西日本681系電車#2000番台|681系2000番台(N編成)]] - [[北越急行]]所属
** [[JR西日本683系電車#8000番台|683系8000番台(N編成)]] - 北越急行所属
** [[JR西日本683系電車#4000番台|683系4000番台(T編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属(主に代走)<ref name = "hobidas20110727" />
2011年5月中旬以降、従来の489系に代わって特急「[[サンダーバード (列車)|サンダーバード]]」用の683系4000番台がはくたかの異常時代走運用を担っている。但し、同線内の運転最高速度は制動装置などの関係で489系と同様130km/hに制限されるが、JR線内は所定のW・N編成と同等の性能で運転可能なため、489系と比べると遅延は大幅に削減される。
* 普通列車
** [[北越急行HK100形電車|HK100形]] - 北越急行所属
** [[北越急行HK100形電車#100番台|HK100形100番台]] - 北越急行所属


開業当初からJR東日本新潟支社の運転指令との連携が行われていたが、当初はJR西日本の区間での遅れ情報がJR東日本を通じて提供されるシステムであった<ref name="rj557-31"/>ため、ダイヤの乱れが大きい場合には情報の遅れが生じ<ref name="rj557-31"/>、ひどいときには越後湯沢行きの列車の遅れ状況が直江津に到着しないと判明しなかったことすらあった<ref name="rj557-31"/>。このため、他社線での遅れ状況を把握するためのディスプレイが運転指令所に設置され<ref name="rj557-31"/>、JR西日本エリアも含めた運行状況をリアルタイムで把握できるようになった<ref name="rj557-31"/>。
=== 過去の使用車両 ===

* 特急「はくたか」
また、運転通告についても、JRなどで行われている運転通告券による方式は無人駅の多いほくほく線では困難であるため<ref name="rj557-32"/>、無線伝達をもって運転通告としている<ref name="rj557-32"/>。このため、全線にわたって漏洩同軸ケーブル (LCX) が敷設され<ref name="rj392-40"/>、列車がほくほく線内のどの位置にいても運転指令所との通信が明瞭に行える<ref name="rj392-40"/>。
** [[国鉄485系電車|485系300番台(V編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属

** [[国鉄485系電車|485系3000番台(R編成)]] - [[東日本旅客鉄道|JR東日本]][[新潟車両センター]]所属
列車に乗務する乗務員(運転士・車掌)は、特急列車ではほくほく線内でもJR東日本・JR西日本が担当する<ref name="rj368-51"/>。ほくほく線区間の運転士はJR東日本直江津運輸区が担当し<ref name="rj368-51"/>、ほくほく線内では一切の指揮系統は北越急行の運転指令によるものとなる<ref name="rj557-23"/>。車掌については列車運行の全区間をJR東日本・JR西日本が担当する<ref name="rj368-51"/>。一方、普通列車については、JR東日本の区間も含めて北越急行の運転士が担当<ref name="rj368-51"/>、JR東日本区間ではJR東日本の指揮下となる<ref name="rj557-23"/>。
** [[国鉄485系電車|489系0番台(H編成)]] - JR西日本金沢総合車両所所属(代走、もしくは臨時列車)

== 雪対策 ==
前述の通り、ほくほく線は路線長の68%がトンネルであるが、沿線は1日の間に数十センチの積雪があるほどの豪雪地帯である<ref name="rj557-36"/>。このため、残る地上区間については数々の雪対策が施されている。
;高架橋:高架橋の中に雪が溜まらないようにする対策として、くびき付近では線路と側壁の間が吹き抜けとなっている「開床式高架橋」を採用している<ref name="rj428-29"/>ほか、周囲が田園地帯の区間の高架橋には、そもそも側壁自体が設けられていない<ref name="rj368-53"/>。一方、しんざ駅と十日町駅の間の高架橋では、赤倉トンネルの湧水をそのまま線路脇に流している<ref name="rj557-39"/>。
;消雪溝:車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内に設けられており、線路脇に溝を作って地下水を流す<ref name="rj557-37"/>。六日町では地下水汲み上げによる地盤沈下が激しく、地下水の利用には制限がある<ref name="rj557-37"/>ため、使用後の水は循環使用される<ref name="rj557-37"/>。
;融雪ピット:車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内の踏切脇に設けられており<ref name="rj557-37"/>、レールの間の枕木上にFRP製のトレーを置き、地下水を流すことによって列車に押された線路内の雪の量を減らす<ref name="rj557-37"/>。これによって線路から踏切内へ持ち込まれる雪が少なくなる<ref name="rj557-37"/>。前述の取水制限があるため、使用後の水は循環使用されている<ref name="rj557-37"/>。
;パネル式融雪装置:車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。地下水によって加温した不凍液をパネルの中に循環させるもので<ref name="rj557-37-38"/>、民家が周囲にあって除雪の際に投雪ができない場所に設けられている<ref name="rj557-37-38"/>。六日町駅構内では地下水は循環利用である<ref name="rj557-37"/>が、関越自動車道を跨ぐ場所では取水制限がないため地下水は循環利用していない<ref name="rj557-38"/>。
;スプリンクラー:六日町の車両基地構内、十日町駅構内などに設けられている。六日町では地下水を利用するが、前述の取水制限があるため使用後の水は循環使用されているほか、車両基地内も路盤をアスファルト舗装とし、その上にバラストを敷いた強化路盤としている<ref name="rj557-36"/>。十日町駅手前の飯山線を跨ぐ部分は赤倉トンネルの湧水を<ref name="rj557-39"/>、十日町駅構内では薬師峠トンネルの湧水を利用しており<ref name="rj557-40"/>、使用後の水は十日町の市街地道路の融雪に利用された後、信濃川へ放流されている<ref name="rj557-40"/>。
;熱風ヒーター:地下水脈が全くないため地下水を利用する手段が採れず<ref name="rj557-43"/>、水利権の関係で川の水も利用できない<ref name="rj557-43"/>まつだい駅構内の分岐器に装備される<ref name="rj557-43"/>。ボイラーで摂氏100度まで加温された温風をダクトで分岐器に導くもので<ref name="rj557-43"/>、温風噴射口では摂氏40度程度の温風となる<ref name="rj557-43"/>。なお、松代地区では道路の融雪も水が利用できず、ロードヒーティングが主体である<ref name="rj557-43"/>。
;温水ジェット噴射装置:分岐器の可動部分で雪氷が詰まることによって、分岐器の不転換を引き起こすことがある<ref name="rj557-42"/>。無人駅がほとんどのほくほく線では、直ちに人力で対応することは難しい<ref name="rj557-42"/>ため、不転換の分岐器があった場合には温水を噴射して氷雪を溶かす方法を採用した<ref name="rj557-42"/>。この装置は運行指令所から遠隔操作され、噴射口からは摂氏25度の温水が60秒間噴射される<ref name="rj557-43"/>。この装置は、ほくほく線の本線上にある全ての分岐器に装備されている<ref name="rj557-42"/>。降雪のないトンネル内の信号場にも設置されているのは、通過車両から落下した雪塊をも考慮したものである<ref name="rj557-43"/>。
;除雪機械(モーターカー):JRから譲受した旧式の排雪用のモーターカー1台のほか、ほくほく線開業時に新造した2台が用意されている<ref name="rj557-41"/>。新造したモーターカーは、犀潟寄りに雪を両脇に押し出すラッセルヘッド<ref name="rj557-41"/>、六日町寄りに線路脇の雪の壁を崩した上で投雪するロータリーヘッドを装備している<ref name="rj557-41"/>ほか、架線に付着している霜や雪を除去するためにパンタグラフを装備している<ref name="rj557-42"/>。
このような地上側での雪対策の装備について、定期点検を含めた総経費は年間約1億円である<ref name="rj557-43"/>。

地上側の設備に加え、線内列車に使用されるHK100形のスロープロウの先端部分は櫛の歯のような形状にしている<ref name="rj557-37"/>が、これは2本のレールの間の雪が圧雪状態の塊になると脱線事故の原因になりかねない<ref name="rj557-37"/>ため、この先端部分で雪をほぐし、圧雪状態にならないようにするためである<ref name="rj557-37"/>。また、六日町駅構内の車両基地では、冬季は屋外での車両留置は行わず、全て留置用の収容庫か検修庫を利用する<ref name="rj557-36"/>。このため、車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられている<ref name="rj557-36"/>。さらに、前述の運行体制の一環として、大雪であっても列車の運行を行うことによって、線路上への積雪を最小限に抑えている<ref name="rj557-44"/>。北越急行では、「最大の除雪手段は、列車を走らせ続けること」としている<ref name="rj557-44"/>。

こうしたさまざまな雪対策を開業当初から装備した<ref name="rj557-44"/>ことにより、ほくほく線は接続するJRの路線が不通になった時でも運休することはほとんどなく<ref name = "dr.hokuhoku_9"/>、雪対策で不備をきたしたことも皆無に近い<ref name="rj557-44"/>。


== 利用状況 ==
== 利用状況 ==
ほくほく線の沿線は大きく南魚沼地域(南魚沼市のうち旧[[六日町]])・中魚沼地域([[十日町市]])・東頸地域(十日町市のうち旧[[松代町 (新潟県)|松代町]])・平野部([[上越市]]のうち旧[[大島村 (新潟県)|大島村]]・[[浦川原村]]・[[頸城村]]・[[大潟町]])の4地域に分けられる<ref name="rj368-55"/>。それぞれの地域はもともと丘陵地帯によって隔てられていた<ref name="rj368-55"/>ため、平常時の流動はほくほく線のルートとは平野部以外は一致していない<ref name="rj368-55"/>。しかし、東頸地域はもともとの交通事情が悪かったため、ほくほく線の開業に伴い利便性が向上した<ref name="rj368-55"/>。また、十日町市にある十日町総合高等学校は新潟県全域を学区とする高校であり、ほくほく線開業により自宅らの通学が可能となった<ref name="rj368-55"/>。しかし、ほくほく線の沿線は最も過疎化と高齢化が進んでいる地域で<ref name="rj368-55"/>、マイカー保有率も1.5人に1台の割合で<ref name="rj368-55"/>、当初より線内需要は厳しいと見られていた<ref name="rj368-55"/>。

こうした事情もあり、ほくほく線開業と同時に公共交通体系の再構築が行われた。北越急行に出資するバス事業者である[[頸城自動車]]は、1996年10月に東頸地区自治体との共同出資による[[東頸バス]]の営業を開始し<ref name="rj368-56"/>、ほくほく線の開業後は各駅前に乗り入れる路線を設定した<ref name="rj368-56"/>。また、同様に北越急行に出資する[[越後交通]]は、ほくほく線の列車と競合する越後湯沢〰十日町の路線バスを減便している<ref name="rj368-56"/>。

越後湯沢〰十日町は峠越えとなるために自動車でも1時間程度の所要時間を要していた<ref name="rj368-56"/>が、ほくほく線が開業すると普通列車でも30分台で結ばれるようになった<ref name="rj368-56"/>。また、前述した雪対策によって安定した輸送を目指したことが評価され<ref name="rj557-44"/>、沿線の家庭では進学時にほくほく線沿線の高校を選ばせたり、上越線が不通になると越後湯沢と六日町のタクシー利用が増加する事例もみられるようになった<ref name="rj557-44"/>。現実の線内利用者数も、開業当初に年間65万人程度だったものが2012年には110万人に増加している<ref name="rj557-43"/>。

=== 輸送実績 ===
=== 輸送実績 ===
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== 駅一覧 ==
== 車両 ==
=== 車両の特徴 ===
ほくほく線の特急形車両は、JR西日本の保有する車両と同一形式である。これは、車両選定の段階で160 km/hの高速走行を考慮して設計されていたのがJR西日本の681系しかなかったこと<ref name="rf577-48"/>、全くの新形式を製造することは会社の体力的に無理であったことが理由として挙げられている<ref name="rf577-48"/>。その一方、他社からの乗り入れのみでなく自社の車両を保有することになったのは、各社間協議で「大規模な相互直通運転を行うには各社が初期の設備投資をするのが絶対条件」とされていたこと<ref name="rf577-47"/>、高速走行を実施するために長期にわたる試験が必要となった<ref name="rf577-48"/>が、JR西日本の車両を長期間借用するのは困難であった<ref name="rf577-48"/>ことが理由として挙げられる。

一方、ほくほく線内の普通列車は、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hで運転され、特急列車「はくたか」への影響を小さくするため<ref name="rj557-45"/>普通列車用の車両である[[北越急行HK100形電車|HK100形]]は優れた加速性能を持つ<ref name="rj557-45"/>。普通・快速列車は全列車が[[ワンマン運転]]である。ほくほく線ではトンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像を鑑賞できる「ゆめぞら号」という車両が運行されている<ref name="rj557-45"/>。この「ゆめぞら号」は主に土曜・日曜・祝日に運行中で、季節によって異なる映像が上映される。詳しい運行状況は北越急行株式会社のホームページで確認することができる<ref name = "ゆめぞら" /><ref name = "mee" />。

HK-100形は全車両が[[新潟鐵工所]]([[新潟トランシス]])製<ref name="rj557-45"/>、681系2000番台は[[川崎重工業]]製であるが一部車両は委託製造として[[近畿車輛]]・新潟鐵工所で製造した<ref name="rf577-49"/>。683系8000番台は構体と電装品を川崎重工業で製造し、最終組み立てを新潟トランシスで行っている<ref name="rf577-53"/>。

=== 車両各説 ===
==== 自社車両 ====
;[[北越急行HK100形電車|HK100形]]:ほくほく線内の普通列車として運用される車両で、開業時点では9両が製造された<ref name="rj368-54"/>。1999年に1両<ref name="rj392-41"/>、2003年に2両が増備された<ref name="rj557-45"/>。2003年に増備された車両のみ片運転台の2両編成で<ref name="rj557-45"/>、それ以外は両運転台の車両である<ref name="rj557-45"/>。
;[[JR西日本681系電車|681系2000番台]]:特急「はくたか」に運用される。[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の[[JR西日本681系電車|681系電車]]と同一仕様の車両で、「スノーラビットエクスプレス」という愛称を有する<ref name="rj368-51"/>。9両編成が2編成製造されたが、整備・検査などはすべてJR西日本に委託されており<ref name="rj368-51"/>、車両自体もJR西日本の金沢総合車両所に常駐である<ref name="rj368-51"/>。開業当初はJR西日本の車両とは運用が区別されていた<ref name="rj368-51"/>が、2002年3月ダイヤ改正以降はJR西日本681系との共通運用となっている<ref name="rf577-51"/>。
;[[JR西日本683系電車|683系8000番台]]:特急「はくたか」に運用される。JR西日本の[[JR西日本683系電車|683系電車]]とほぼ同一仕様で、2005年にJR東日本の車両を置き換える形で、9両編成が1編成導入された<ref name = "dr.hokuhoku_11"/>。簡易気密構造を有しており<ref name = "dr.hokuhoku_11"/>、高速走行に対応するためにブレーキ装置がキャリパー式ディスクブレーキとなっている<ref name="rj557-45"/>。681系2000番台・JR西日本681系との共通運用となっている<ref name="rj557-25"/>。

==== 乗り入れ車両 ====
;[[国鉄485系電車|JR東日本485系]]:開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ<ref name="rj368-51"/>。2005年のダイヤ改正で北越急行683系8000番台に置き換えられた<ref name = "dr.hokuhoku_11"/>。
;[[国鉄485系電車|JR西日本485系]]:開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ<ref name="rj368-51"/>。2002年のダイヤ改正で681系に置き換えられた<ref name="rj428-33"/>。
;[[国鉄489系電車|JR西日本489系]]:485系の代わりに特急「はくたか」で乗り入れてることがあったほか、急行「能登」が臨時にほくほく線経由で運行された際に乗り入れた<ref name = "dr.hokuhoku_13"/>。
;[[国鉄583系電車|JR西日本583系]]:冬季のみ「シュプール号」で乗り入れていた<ref name="rj392-39-40"/>。
;[[JR西日本681系電車|JR西日本681系]]:開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ<ref name="rj368-51"/>。簡易気密構造を有しており<ref name="rj368-51"/>、高速走行が可能。「ホワイトウイング」という愛称を有する<ref name="rf577-50"/>。開業当初は北越急行の車両とは運用が区別されていた<ref name="rj368-51"/>が、2002年3月のダイヤ改正以降は681系2000番台との共通運用となっている<ref name="rf577-51"/>。
;[[JR西日本683系電車|JR西日本683系]]:特急「サンダーバード」用の4000番台が、運用上の都合で681系の運用に入ることがある<ref name="rj557-24-25"/>。高速運転には対応しておらず、最高速度は130 km/hとなる<ref name="rj557-31"/>。

== データ ==
=== 年表 ===
* 1931年(昭和6年)9月 - 地元の関係者による鉄道敷設運動が始まる。
* 1940年(昭和15年) - 北越南線の計画が持ち上がって「南北戦争」勃発。
* 1953年(昭和28年)
** 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留。
** 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択。
** 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット。
* 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結。
* 1962年(昭和37年)
** 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択。
** 5月12日 - 鉄道敷設法別表第55の3号により、予定路線に編入。
* 1964年(昭和39年)
** 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示。
** 9月28日 - 工事線に昇格、[[日本鉄道建設公団]](鉄道公団)に対して工事実施計画の指示。
* 1968年(昭和43年)
** 2月23日 - 北越北線六日町 - 十日町間工事実施計画の認可申請。
** 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可。
** 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工。
* 1972年(昭和47年)
** 8月21日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画の認可申請。
** 10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可。
* 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工。
* 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、[[スラブ軌道]]の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更。
* 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事凍結。
* 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される。
* 1984年(昭和59年)
** 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立。
** 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催。
** 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記。
** 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示。
* 1985年(昭和60年)
** 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける。
** 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示。
** 3月16日 - 鉄道公団により工事再開。
* 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱。
* 1989年(平成元年)
** 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結。
** 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから160 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ。
** 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示。
** 10月2日 - 高規格化対応工事に着手。
* 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業。
* 1998年(平成10年)12月 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ。
* 2002年(平成14年)3月 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ。
* 2004年(平成16年)
** 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる。
** 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開。
** 11月2日 - 全線で運転を再開。
* 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止。

=== 路線データ ===
* 路線距離([[営業キロ]]): 59.5 [[キロメートル|km]]
* [[軌間]]: 1,067 [[ミリメートル|mm]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 駅数(起終点を含む): 12
* 最高速度: 160 [[キロメートル毎時|km/h]](特急、右記の区間以外。[[京成成田空港線]]と共に営業在来線日本国内最速)、140 km/h(薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間)、110 km/h(普通・快速)
* 複線区間: なし(全線[[単線]])
* 電化区間: 全線([[直流電化|直流]]1,500 [[ボルト (単位)|V]])<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最小曲線半径: 400 [[メートル|m]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 最急勾配: 33 [[パーミル]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* 設計[[活荷重]]: KS-16(国鉄時代に完成した区間)、KS-12(第三セクター化後に完成した区間)
* 最長トンネル: [[赤倉トンネル]](10,472 m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、[[地下鉄]]・[[JR線]]以外では日本最長の鉄道トンネル<ref name = "dr.hokuhoku_5" />)
* [[閉塞 (鉄道)|閉塞方式]]: 単線自動閉塞式<ref name = "工事誌_7-8" />
* 保安装置: [[自動列車停止装置#ATS-P形(デジタル伝送パターン形)|ATS-P]]<ref name = "工事誌_7-8" />
* [[運転指令所]]: 六日町指令所<ref name = "工事誌_7-8" />

=== 駅一覧 ===
* 全線[[新潟県]]内に所在。
* 全線[[新潟県]]内に所在。
* 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線・信越本線の区間も合わせて記載する。なおJRの普通列車は上越国際スキー場前駅を除き下表のJRの駅すべてに停車する。
* 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線・信越本線の区間も合わせて記載する。なおJRの普通列車は上越国際スキー場前駅を除き下表のJRの駅すべてに停車する。
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== 脚注 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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<ref name = "工事誌_7-8">[[#工事誌|『北越北線工事誌』pp.7 - 8]]</ref>
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695行目: 755行目:
<ref name = "新線_156-207">[[#新線|『三セク新線高速化の軌跡』pp.156 - 207]]</ref>
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<ref name = "新線_216-221">[[#新線|『三セク新線高速化の軌跡』pp.216 - 221]]</ref>
<ref name = "新線_216-221">[[#新線|『三セク新線高速化の軌跡』pp.216 - 221]]</ref>
<ref name="rf577-46">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.46]]</ref>
<ref name = "official_history">{{Cite web | url=http://www.hokuhoku.co.jp/3annai/03kaisya/top2.html | title=開業までの経緯・沿革 | accessdate=2010-06-19 | publisher=北越急行}}</ref>
<ref name="rf577-47">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.47]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_5">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/01-10/4-5sita.html | title = ほくほく博士 5 ほくほく線の高速運転を支える設備 | accessdate = 2010-06-19 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="rf577-48">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.48]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_13">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/11-20/13.html | title = ほくほく博士 13 新潟県中越震災および豪雪でこんなことがありました | accessdate = 2010-06-19 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="rf577-49">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.49]]</ref>
<ref name = "dr.hokuhoku_16">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/hakase/4hakase/11-20/16.html | title = ほくほく博士 16 ワンマン運転士の泣き笑い | accessdate = 2013-12-10 | publisher = [[北越急行]]}}</ref>
<ref name="rf577-50">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.50]]</ref>
<ref name = "hobidas20110727">{{Cite web | url = http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2011/07/jr6834000t52.html | title = 【JR西】683系4000番代T52編成 出場試運転 | date = 2011-07-27 | accessdate = 2012-07-15 | publisher = [[ネコ・パブリッシング]](鉄道ホビダス)}}</ref>
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<ref name="rf577-53">[[#大熊577|鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.53]]</ref>
<ref name="rj368-44">[[#鶴368-1|鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.44]]</ref>
<ref name="rj368-47">[[#鶴368-1|鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.47]]</ref>
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<ref name="rj368-51">[[#鶴368-1|鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.51]]</ref>
<ref name="rj368-53">[[#鶴368-2|鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔』 (1997) p.53]]</ref>
<ref name="rj368-54">[[#鈴木368|鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.54]]</ref>
<ref name="rj368-55">[[#鈴木368|鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.55]]</ref>
<ref name="rj368-56">[[#鈴木368|鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.56]]</ref>
<ref name="rj368-57">[[#鈴木368|鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.57]]</ref>
<ref name="rj392-33">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.33]]</ref>
<ref name="rj392-34">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.34]]</ref>
<ref name="rj392-36">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.36]]</ref>
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<ref name="rj392-38">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.38]]</ref>
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<ref name="rj392-39-40">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) pp.39-40]]</ref>
<ref name="rj392-40">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.40]]</ref>
<ref name="rj392-41">[[#種村392|鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.41]]</ref>
<ref name="rj428-23">[[#鶴428|鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.23]]</ref>
<ref name="rj428-29">[[#鶴428|鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.29]]</ref>
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<ref name="rj428-32">[[#鶴428|鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.32]]</ref>
<ref name="rj428-33">[[#鶴428|鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.33]]</ref>
<ref name="rj557-23">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.23]]</ref>
<ref name="rj557-24-25">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) pp.24-25]]</ref>
<ref name="rj557-25">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.25]]</ref>
<ref name="rj557-27">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.27]]</ref>
<ref name="rj557-28">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.28]]</ref>
<ref name="rj557-29">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.29]]</ref>
<ref name="rj557-30">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.30]]</ref>
<ref name="rj557-31">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.31]]</ref>
<ref name="rj557-32">[[#鶴557|鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.32]]</ref>
<ref name="rj557-36">[[#RJ557|鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.36]]</ref>
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<ref name="rj557-38">[[#RJ557|鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.38]]</ref>
<ref name="rj557-39">[[#RJ557|鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.39]]</ref>
<ref name="rj557-40">[[#RJ557|鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.40]]</ref>
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<ref name = "ゆめぞら">{{Cite web | url = http://www.hokuhoku.co.jp/5yumezora/top.html | title = ほくほく線 ゆめぞら | publisher = [[北越急行]] | accessdate = 2012-07-15}}</ref>
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<ref name = "mee">{{Cite web | url = http://www.mee.co.jp/sales/system-solution/ei-sol/case/case01.html | title = 北越急行「ゆめぞら号」天井映像 事例 | publisher = [[三菱電機エンジニアリング]] | accessdate = 2012-07-15}}</ref>
<ref name = "mee">{{Cite web | url = http://www.mee.co.jp/sales/system-solution/ei-sol/case/case01.html | title = 北越急行「ゆめぞら号」天井映像 事例 | publisher = [[三菱電機エンジニアリング]] | accessdate = 2012-07-15}}</ref>
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
===工事誌===
* {{Cite book | 和書 | editor = [[日本鉄道建設公団]] | title = 北越北線工事誌 | publisher = [[日本鉄道建設公団]] | year = 1998 | month = 3 | ref = 工事誌}}
* {{Cite book | 和書 | editor = [[日本鉄道建設公団]] | title = 北越北線工事誌 | publisher = [[日本鉄道建設公団]] | year = 1998 | month = 3 | ref = 工事誌}}
===書籍===
* {{Cite book | 和書 | editor = [[日本鉄道建設公団]]高速化研究会 | title = 三セク新線高速化の軌跡 | publisher = [[交通新聞社]] | date = 1998-10-20 | edition = 初版 | isbn = 4-87513-077-5 | ref = 新線}}
* {{Cite book | 和書 | editor = [[日本鉄道建設公団]]高速化研究会 | title = 三セク新線高速化の軌跡 | publisher = [[交通新聞社]] | date = 1998-10-20 | edition = 初版 | isbn = 4-87513-077-5 | ref = 新線}}

===雑誌記事===
* {{Cite journal|和書|author=大熊孝夫 |year=2009 |month=5 |title=雪国を駆けぬける「スノーラビット」|journal=[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]] |issue=577 |pages= 46-55 |publisher=[[交友社]] |ref = 大熊577}}
* {{Cite journal|和書|author=[[鈴木文彦]] |year=1997 |month=6 |title=北越急行開業の経緯と沿線|journal=[[鉄道ジャーナル]] |issue=368 |pages=54-57 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鈴木368}}
* {{Cite journal|和書|author=[[種村直樹]] |year=1999 |month=6 |title=在来線初の150km/h特急 快走|journal=鉄道ジャーナル |issue=392 |pages=31-41 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 種村392}}
* {{Cite journal|和書|author=鶴通孝 |year=1997 |month=6 |title=681系電車特急はくたか発車!|journal=鉄道ジャーナル |issue=368 |pages=42-51 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鶴368-1}}
* {{Cite journal|和書|author=鶴通孝 |year=1997 |month=6 |title=高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔|journal=鉄道ジャーナル |issue=368 |pages=52-53 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鶴368-2}}
* {{Cite journal|和書|author=鶴通孝 |year=2002 |month=6 |title=在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ|journal=鉄道ジャーナル |issue=428 |pages=20-33 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鶴428}}
* {{Cite journal|和書|author=鶴通孝 |year=2013 |month=3 |title=在来線最速特急の誇り|journal=鉄道ジャーナル |issue=557 |pages=18-33 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = 鶴557}}
* {{Cite journal|和書|author= |year=2013 |month=3 |title=北越急行の16年と将来|journal=鉄道ジャーナル |issue=557 |pages=34-45 |publisher=鉄道ジャーナル社 |ref = RJ557}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2014年2月26日 (水) 13:23時点における版

北越急行ほくほく線
683系8000番台とHK100形
683系8000番台とHK100形
683系8000番台とHK100形
北越急行ほくほく線の路線図
北越急行ほくほく線の路線図
路線総延長59.5 km
軌間1,067 mm
電圧1,500 V(直流
最高速度160 km/h
STR
上越線(↑高崎方)
STR STRrg
上越新幹線
HST HST
越後湯沢駅
LUECKE TUNNELa
STRrg ABZrf tSTR
BHF BHF tSTR
0.0 六日町駅
STRrf BRÜCKEa tSTR
上越線(←宮内方)
hBHF tSTR
3.6 魚沼丘陵駅
TUNNELa tSTR
赤倉T 10,471.50m[1]
tSTRq tKRZt tSTRrf
tDST
8.5 赤倉信号場
tBHF
12.2 美佐島駅
TUNNELe
hBHF
14.4 しんざ駅
STRq hKRZ STRlg
飯山線(←越後川口方)
hBHF BHF
15.9 十日町駅
TUNNELa STRlf
飯山線(豊野方→)
TUNNELe
十日町T 1,695.10m[1]
WBRÜCKE
信濃川 406.7 m
TUNNELa
薬師峠T 6,199.17m[1]
tDST
23.8 薬師峠信号場
TUNNELe
TUNNEL2
犬伏T 667.30m[1]
TUNNEL1
第一田沢T 125.00m[2]
TUNNEL1
第二田沢T 1,934.00m[1]
WBRÜCKE
渋海川 148.0 m
TUNNEL2
松代T 295.00m[2]
hBHF
29.2 まつだい駅
TUNNELa
鍋立山T 9,129.50m[1]
tDST
34.1 儀明信号場
TUNNELe
hBHF
38.6 ほくほく大島駅
TUNNEL1
深沢T 1,585.40m[1]
TUNNEL1
霧ヶ岳T 3,732.98m[1]
hBHF
44.8 虫川大杉駅
TUNNEL2
有島T 697.50m[1]
hBHF
46.8 うらがわら駅
TUNNEL1
第一飯室T 3,287m[1]
TUNNEL1
第二飯室T 272.50m[2]
hBHF
51.7 大池いこいの森駅
TUNNEL2
中島T 250.00m[2]
hBHF
53.6 くびき駅
hAKRZo
北陸自動車道
STRq hKRZ STRlg
信越本線(←新潟方)
BRÜCKEe STR
BHF BHF
59.5 犀潟駅
ABZrg STRrf
LUECKE
HST
直江津駅
ABZlf STRq
信越本線(篠ノ井方→)
STR
北陸本線(↓米原方)

T:トンネル

北越急行ほくほく線(ほくえつきゅうこうほくほくせん)は、新潟県南魚沼市六日町駅を起点とし、新潟県上越市犀潟駅までを結ぶ北越急行鉄道路線である。

路線名は、北陸方面への短絡線として1968年に着工され、1982年に建設工事が凍結されていた[3]日本国有鉄道(国鉄)の予定線である北越北線に由来する[4]。運営を引き継ぐべく設立された北越急行によって1985年から建設が再開され[5]1989年からは運輸省(当時)が打ち出した「幹線鉄道活性化」の方針を受けて高規格化の対象となり[5]、難工事を経て1997年3月22日より営業を開始した[3]。開業以来、上越新幹線に連絡する列車の運行が行われており、特に1998年12月からは在来線最高速度となる150 km/h運転が[6]2002年3月以降はさらに高速となる160 km/h運転が開始されている[6]

本項では特段の説明がない限り、「高速走行」とした場合は130 km/hを超える速度による走行をさすものとする。

概要

本来は改正鉄道敷設法別表第55号の3に「新潟縣直江津ヨリ松代(現 まつだい駅)附近ヲ經テ六日町ニ至ル鐡道」として規定された路線で[3]国鉄北越北線として敷設が計画された路線である[3]

現在の「ほくほく線」は、この北越北線を略して平仮名書きしたものだが、愛称ではなく、正式な路線名称である[7]。開業前に正式路線名を決定するにあたり、北越急行と沿線自治体が沿線住民を対象に実施したアンケートにおいて「ほくほく線」と「北越ロマン線」の2つが上位を占めた[7]。そして選考の結果「温かいイメージで親しみやすく、呼びやすい」という理由で「ほくほく線」が選ばれた[7]

ほくほく線には上越新幹線と接続して越後湯沢駅と北陸地方の各都市を結ぶ特急はくたか」が運行されている。ほくほく線が開業する以前は、首都圏と北陸地方を結ぶ手段は東海道新幹線で米原を経由するルートが一般的であった[8]が、ほくほく線が開業してからは上越新幹線と「はくたか」を乗り継ぐルートのほうが有利になる範囲が拡大された[9]

ほくほく線は10日間しか営業していなかった初年度を除いて毎年数億円の黒字となっている[10]2001年度の営業収支率は73.0%であり、第三セクター鉄道の中では経営状態は良好であるが、全体の9割が特急による収益で普通列車の収益は全体の1割にも満たない。2014年度に北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間が延伸開業すると、ほくほく線は幹線ではなくローカル線となる[11]が、2012年時点で「はくたか」利用者の22%から25%が北陸新幹線でも乗換えを要する直江津で乗降している[12]。これらのことから、北越急行では「ほくほく線経由の需要も残るのではないか」と予測しており[12]、事業を継続することは可能であるという見通しをもっている[12]

歴史

前史

昭和初期、ほくほく線沿線となる新潟県の上越・中越地方ではバスの運行が開始されたが、当時は道路の除雪体制がまったく整っておらず、冬季には運行できなくなり各集落は完全に孤立状態となるのが常であった。このためかえって鉄道への熱望が高まることになり、大正時代に開通した頸城鉄道と連絡して北陸本線上越線を短絡する鉄道を実現する運動が開始された。当初は上越線との連絡点は六日町とされたのに対して、西側は信越本線高田とする案と、直江津とする案があった。しかし上越線と北陸本線を短絡する路線の機能を考えて、最終的に直江津案にまとまった。一方1940年(昭和15年)になると、上越線側を越後湯沢とする案が出され、当時の鉄道省も両案を実際に比較測量している。この越後湯沢と接続する案が鉄道敷設法の同号に「及松代附近ヨリ分岐シテ湯澤(現 越後湯沢駅)ニ至ル鐡道」として規定される北越南線であった。こうして「南北戦争」と称される激しい誘致合戦が始まった[13]1944年(昭和19年)に一度は信濃川発電所の工事専用線を転用する形で北越北線が採択されて工事予算がついたが、第二次世界大戦の戦況悪化に伴い工事は中止された[14]

第二次世界大戦後は、1950年(昭和25年)から誘致運動が再開されたが、相変わらず南北の対立は残ったままであった。北線の利点は、より大きな都市を通過するため採算性がよく沿線の発展にも貢献すること、地すべり地帯がなく防災上有利なことで、南線の利点は距離が短く勾配も緩く、未開発の資源や温泉地帯を通過することなどとされた。これらの両線を合わせて「上越西線」とも称されていた。南線のルートは浦川原で分岐して、松之山町を通り、飯山線越後鹿渡駅 - 越後田沢駅間を共用して信濃川を渡り、越後湯沢へつなぐ、道路の国道353号に近いものであった。1953年(昭和28年)2月の鉄道建設審議会では、地元の意見が未統一との理由で着工案を保留とした。南北両派の合意により、新潟県知事に裁定を一任することとなったが、同年8月に新潟県知事が北線採択の裁定を下すと、9月の期成同盟会総会を南線側がボイコットする事態となった。それからさらに両派の争いは続き、事態が動いたのは1962年(昭和37年)のこととなった。この頃、松之山町の中心部で地すべり災害が発生しており鉄道の通過ルートとしてふさわしくないとされたことと、道路交通の発達でそれほど鉄道にこだわる必要がなくなったことなどから、一方の路線が採択された際にはもう一方の路線側から鉄道へ連絡する道路を整備するということを条件に、国鉄に裁定を一任することになった。1964年(昭和39年)4月22日に北越北線が調査線に昇格し、9月28日に工事線となって、北越北線が正式に採択されることになった[15]

着工から凍結、工事再開

1968年(昭和43年)8月14日にまず六日町 - 十日町間で着工した[13]。概算工事費は50億1800万円とされた。さらに1973年(昭和48年)3月24日に十日町 - 犀潟間に着工し[13]、この区間の概算工事費は239億3400万円とされた。国鉄との協議により、将来的な優等列車や貨物列車の運行を想定することになっていた。当初の仮称駅名は、六日町、西六日町、赤倉信号場、津池、十日町、薬師峠信号場、松代、儀明信号場、頸城大島、沢田、増田、犀潟とされていた。さらに当初は非電化で計画されていたが、途中で将来の電化に備えることになり、工事費は511億8600万円と見積もられるようになった。しかし鍋立山トンネルの難工事などにより工事は見込みよりかなり遅れることになった。そうしているうちに国鉄の経営悪化が進み、その対策として1980年(昭和55年)に日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の施行により鉄道新線の工事は凍結されることになった[16]。国鉄再建法での工事続行基準は、推定輸送密度が4,000 人/日以上とされていたが、北越北線の推定輸送密度は1,600 人/日であった[17]。この時点で用地取得は73%、路盤工事は58%まで進捗しており、工事費は415億円が投じられていた[18]

国鉄再建法では、建設が中断された地方鉄道新線について、地元が第三セクターを設立して引き受けることが可能であると定めていた。1983年(昭和58年)に元首相の田中角栄の働きによりこの方向で動き出した[5]。ただし、当時の君健男新潟県知事は第三セクター化に慎重であり[5]、第三者のコンサルタントを入れて経営分析を行うことと、国鉄への乗り入れを行うことを条件としてつけた。コンサルタントも、秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線に対して「永久に黒字転換する見込みがない」と厳しい診断を下した会社に依頼した。ところが新潟県の予想に反し、コンサルタントは「5年で単年度黒字、10年で累積黒字」との報告書を出し、また国鉄も直通運転を了承した。こうして1984年(昭和59年)8月30日に北越急行が設立され、1985年(昭和60年)2月1日に鉄道事業の免許を取得し、3月16日に工事が再開された[19]

工事を中断した時点で鍋立山トンネルは中央部で645 mの未掘削区間が残されていた[20]。しかしこのわずかな区間に、さらに10年余りの歳月と146億円の工費が投入されることになった。当初の中央導坑先進工法では強大な土圧により支保工が座屈するなどの問題を生じた[20]。続いてトンネルボーリングマシンを導入したが、これも掘削中に土圧により発進地点より手前まで押し戻されてしまう事態となった[20]。さらに注入剤を入れて[20]、最終的には手掘りも実施する[8]などして、645 mを掘るために実に29の工法が駆使された。1992年(平成4年)10月29日にようやく先進導坑が貫通し、1995年(平成7年)3月7日に掘削完了、11月7日に竣工に漕ぎ着けた[21]

高規格化・開業

1988年(昭和63年)になり、整備新幹線問題の関係で北陸新幹線の建設の見通しが立たなかったことから、北越北線を高速化してスーパー特急を走らせる計画が運輸省から打ち出された[17]。もともと優等列車の運転を想定して高い規格で建設されていたこともあり、翌1989年(平成元年)5月31日に高速化に伴う工事実施計画の変更が申請され、高速化事業が動き出した。これにより、JRと直通の特急列車を走らせるために電化が実施されることになった[5]。建設に要するとされた310億円は、建設に当たっていた日本鉄道建設公団(鉄道公団)の地方新線工事費から70億円、幹線鉄道活性化事業費補助金が42億円、北越急行出資金が40億円、JR東日本の負担金が158億円とされた[22]

当初計画では、六日町駅では北越急行専用プラットホームよりも高崎方でJRとの線路の接続を行うことになっていたが、専用プラットホームで発着する普通列車とは別に、越後湯沢からの特急列車が北越急行に直接進入できるようにする渡り線が追加されることになった[23]。十日町駅では、JR線を乗り越した後に地上に降りてプラットホームを設ける計画であった[23]が、プラットホーム前後に生じる急勾配と急曲線を解消するために高架上にプラットホームを設置することになった[23]。犀潟駅では、高架でJR線を乗り越した後に海側に北越急行専用プラットホームを設ける計画であったが、信越本線の上下線の間に降りてJR線に乗り入れる構造に改めた[23]。また、高速化の制約となっていた分岐器の通過速度制限を緩和するために、一線スルーにする改良を実施した[24]。さらにカントの向上を行った[22]

1997年(平成9年)3月22日に開業した[25]。首都圏では「北陸新線」という名で宣伝された。同時に本路線を経由する特急はくたか」の運転が開始された[25]。当初から160 km/h運行に対応する設備で開業したが、さらなる技術的な検討を待ってから実際の160 km/h運転を開始することにしたため、当初の特急列車の最高速度は140 km/hとされた[25]。その後、段階的な検証を行い、1998年(平成10年)12月から「はくたか」が150 km/h運転を開始し[6]、続いて2002年(平成14年)3月から当初の予定通りの160 km/h運転が開始されている[6]。なお、ほくほく線開業後、まつだい駅から松之山温泉を訪れる行楽客が増えたという[13]

2004年(平成16年)10月23日の新潟県中越地震では発生後全線で運転を見合わせた。10月26日より被害の少なかった犀潟 - まつだい間で普通列車に限った臨時ダイヤによる運転を再開。11月2日に全線で運転を再開した。当初は速度制限つきの運転で、12月17日から160 km/h運転を再開している。また、2005年(平成17年)2月11日より上越線が全面復旧する3月24日までの間、週末を中心にのべ13日にわたって急行能登」がほくほく線を経由して運転された[26]

2007年(平成19年)7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、特急「はくたか」が終日運休となる。翌17日から運転を再開した[27]

施設

軌道

ほくほく線は全線が単線で、軌条(レール)は全線に渡り60kgレール[注釈 1]である[28]。構想当初から首都圏と北陸を結ぶ優等列車や貨物列車の運転が考えられていた。しかし国鉄再建法に伴う工事中断とその後の第三セクター方式での建設再開に際して、旅客専用線として計画を改めており、重い機関車の入線は不可能となっている[12]。ただし雪かき車の通行は想定されており、設計に際してDD14形DD53形の両ロータリー式雪かき車の重量が考慮されている[29]

本線上において高速走行の列車が通過する場所にある分岐器12組をノーズ可動クロッシングとした[30]が、これは開業時点では、新幹線以外の日本の鉄道ではほくほく線を含めても20組程度しか導入されていなかった特殊な分岐器である[30]。ただし、十日町駅構内については、駅前後の曲線で速度制限を受けることによって130 km/h以下の速度での通過となる[31]ため、ノーズ可動クロッシングを使用していない[31]。また、交換設備はすべて1線スルー方式で[24]、直進側を通過する際には最高速度のままで通過可能である[24]

魚沼丘陵と東頸城丘陵を横断する線形からトンネルが14箇所と多く[3]、すべてのトンネルの長さを合計すると40,292mとなり[32]、これは路線長59.5kmの68%に相当する[32]

架線支持方式は、地上区間では新幹線と同様のコンパウンドカテナリ方式を使用している[30]が、もともと非電化路線として建設されたため断面積の小さいトンネル内では、上下寸法の小さいツインシンプルカテナリ方式を採用しており[30]、さらに吊架には長幹碍子という特殊な碍子を使用している[30]

駅・信号場

列車の行き違いを行う交換設備は、起終点を除くと十日町・まつだい・虫川大杉・くびきの4駅と、赤倉・薬師峠・儀明の3信号所にあり、すべて10両編成同士の列車交換が可能である[24]。駅数は両端の六日町駅・犀潟駅を含めて12駅で[3]、自社管理の駅員配置駅は十日町駅だけで[3]、起点・終点駅である六日町駅・犀潟駅十日町駅以外は、すべて無人駅である。また、特急の停車しない駅のプラットホームはすべて2両分のみである[33]が、虫川大杉駅の下り線に限り9両分の長さである[33]。また、信号場は3箇所ともトンネル内にある[3]

「はくたか」・快速が停車しない駅では、列車が高速で通過して危険であることから、ホームへの入口にはスイングゲートが付いていて、列車に乗降する時以外はホームに入らないようにとの注意書きがしてある[34]。特に美佐島駅はホームがトンネル内にあり、通過列車が接近した場合、風圧によって飛ばされる危険が高い[注釈 2]ことから、列車到着後2分以内にホームから出る必要がある。このため、無人駅ながら危険防止のため、ホーム部分は常に監視カメラによって管理されており、列車が発着した後もホームに残っているとアナウンスで注意される[35]

車両基地は六日町駅に隣接しており[1]、2両編成×3編成が収容可能な収容庫と、検修庫に分かれている[1]

閉塞方式

閉塞方式は単線自動閉塞式で[24]、出発信号機8機と閉塞信号機22機を使用[24]、1閉塞平均の距離は1,566mである[24]列車集中制御装置 (CTC) とプログラム式進路制御 (PRC) を併用し[24]、進路設定の上で支障となる要因がなくなると30秒で進路を設定できる[24]

保安装置

保安装置(自動列車停止装置)はATS-P形を採用した[36]。当初、運輸省では高速運転に際して、新幹線と同様に自動列車制御装置 (ATC) の導入を求めていた[30]が、導入コストの問題のほか[30]、各地からの臨時列車の乗り入れが車種の制限なく行えるようにするため[30]、ATS-P形の導入となった。また、交換駅での同時進入は通常なら警戒現示により25km/h制限となるところ[24]、ATS-P形の導入によって本線側55km/h・分岐側45km/hに制限速度が緩和されている[24]。また、130 km/h以上での走行を許可する「高速進行現示」として主信号機では緑2灯の点灯、中継信号機では縦に6灯の点灯をもって、高速進行現示とする「GG信号」が導入された[36]。このGG信号は、ATS-Pトランスポンダを搭載した車両に限って現示されるもので、トランスポンダ搭載車が信号機を通過する数十秒前にG信号(進行現示)からの変換によりGG信号が現示される[4]

最高速度

ほくほく線の最高速度は160 km/hで、これは新幹線を除く鉄道では京成成田空港線の「スカイライナー」とともに日本では最速である。160 km/hに設定された背景には、国鉄時代に湖西線で行われた高速走行試験の目標が160 km/hであったこと[8]や、「新幹線の在来線の軌間の比率を考えると、200 km/hに対して160 km/hとなる」という考えもあったことが挙げられる[36]。「140 km/hでも十分」という意見もあった[36]が、関係者や技術者の多くは「絶対に在来線鉄道の将来に役立つ」と協力を惜しまなかったという[36]

しかし、1996年から開始された開業前の試運転の際には、高速走行時の車内で予想以上の気圧変動が発生しており[37]、気密構造でなかった681系を使用した試運転で窓の接着部分には指が入るほどの隙間ができてしまったことすらあった[36]。これらの現象は、ほくほく線のトンネルが単線断面であり、かつトンネル断面が複雑であることが要因であった[37]が、これに伴い、ほくほく線で高速運転を行う特急形車両については、扉が閉じた際に圧着させるなどの対策を施した簡易気密構造の車両に限定されることになった[37]。その後の半年にわたる試運転で安全性は立証された[25]ものの、万全を期して、開業当初の最高速度は140 km/hとした[25]。その2年後に行われた特急形車両の重要部検査時には、車両の構体に亀裂などがないかを微細に確認した上で[25]、1998年12月から150 km/h運転を開始した[6]。さらに2年後に行われた全般検査時にも構体に対して同様の確認を行い[6]、2000年11月21日には160 km/h運転の試運転を行った上で問題がないことを確認[6]、2002年3月から160 km/h運転が開始されている[8]

通常ダイヤであれば155km/h程度で定時運行が可能で[38]、160 km/hは列車が遅延した際の余裕と考えられている[38]。また、最高速度である160 km/hで走行できる区間は、下り列車が赤倉・鍋立山・霧ヶ岳の各トンネル内とくびき駅から犀潟駅までの高架橋区間[6]、上り列車では薬師峠トンネル内となっている[6]。さらに、気圧変動の緩和のため、ATS-Pによってトンネル進入時に130 km/hに速度を落とし、進入後のトンネル内で160 km/hまで加速させている[6]

なお、うらがわら駅と大池いこいの森駅の間の曲線では135km/hに制限されている[38]が、これは在来線ではもっとも高速の速度制限である[38]

運行形態

ほくほく線では、上越新幹線と接続して北陸方面を結ぶ特急列車[3]と、地域内利用を主眼とした普通列車が運行されている[5]。正式な起点は六日町駅だが、列車運行および旅客案内では犀潟駅から六日町駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている[39]。これは、特急「はくたか」がJR西日本主体の列車であり[39]、北陸本線に合わせたためである[39]

特徴

開業当初から、越後湯沢での上越新幹線連絡を最優先にしたダイヤ設定が行われている[40]

この結果、1999年時点では特急「はくたか」同士のすれ違いは、56回中24回がほくほく線内で行われていた[40][注釈 3]。また、ほくほく線内のみを運転する普通列車は、数駅ごとに特急列車の待避や交換待ちなどで長時間停車する列車が多い[41]。1999年の時点では、通過駅のない普通列車で最も短い所要時間が直江津から六日町までで49分45秒であったのに対して[40]、最長の所要時間を要する列車では六日町から直江津までに1時間24分かかっていた[42]

JR線内へ乗り入れる快速・各駅停車はJR線内で通過運転を行っており、上越線の上越国際スキー場前駅(冬期のみ)と塩沢駅に一部列車が停車する[33]が、上越線の石打駅大沢駅と信越本線の黒井駅は全列車が通過となる[33]。これは、短い編成でワンマン運転を行うほくほく線の列車では、JR線内での突発的な需要に応じ切れないことが理由と考えられている[33]

列車の乗降方法

駅員が配置されている六日町駅、十日町駅、犀潟駅ではすべてのドアが開き乗降が可能だが、これらの駅以外の駅で乗降する場合は、2両編成で運転される普通・快速列車の2両目のドアは開けず、1両目の後部のドアより乗車し、1両目の前部のドアより降車する後乗り前降り方式を取っている[43]

運行管理

ほくほく線の運行管理は、六日町駅に隣接した運転指令所により行われている[10]

開業当初からJR東日本新潟支社の運転指令との連携が行われていたが、当初はJR西日本の区間での遅れ情報がJR東日本を通じて提供されるシステムであった[38]ため、ダイヤの乱れが大きい場合には情報の遅れが生じ[38]、ひどいときには越後湯沢行きの列車の遅れ状況が直江津に到着しないと判明しなかったことすらあった[38]。このため、他社線での遅れ状況を把握するためのディスプレイが運転指令所に設置され[38]、JR西日本エリアも含めた運行状況をリアルタイムで把握できるようになった[38]

また、運転通告についても、JRなどで行われている運転通告券による方式は無人駅の多いほくほく線では困難であるため[9]、無線伝達をもって運転通告としている[9]。このため、全線にわたって漏洩同軸ケーブル (LCX) が敷設され[24]、列車がほくほく線内のどの位置にいても運転指令所との通信が明瞭に行える[24]

列車に乗務する乗務員(運転士・車掌)は、特急列車ではほくほく線内でもJR東日本・JR西日本が担当する[44]。ほくほく線区間の運転士はJR東日本直江津運輸区が担当し[44]、ほくほく線内では一切の指揮系統は北越急行の運転指令によるものとなる[45]。車掌については列車運行の全区間をJR東日本・JR西日本が担当する[44]。一方、普通列車については、JR東日本の区間も含めて北越急行の運転士が担当[44]、JR東日本区間ではJR東日本の指揮下となる[45]

雪対策

前述の通り、ほくほく線は路線長の68%がトンネルであるが、沿線は1日の間に数十センチの積雪があるほどの豪雪地帯である[1]。このため、残る地上区間については数々の雪対策が施されている。

高架橋
高架橋の中に雪が溜まらないようにする対策として、くびき付近では線路と側壁の間が吹き抜けとなっている「開床式高架橋」を採用している[23]ほか、周囲が田園地帯の区間の高架橋には、そもそも側壁自体が設けられていない[33]。一方、しんざ駅と十日町駅の間の高架橋では、赤倉トンネルの湧水をそのまま線路脇に流している[35]
消雪溝
車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内に設けられており、線路脇に溝を作って地下水を流す[46]。六日町では地下水汲み上げによる地盤沈下が激しく、地下水の利用には制限がある[46]ため、使用後の水は循環使用される[46]
融雪ピット
車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。六日町駅構内の踏切脇に設けられており[46]、レールの間の枕木上にFRP製のトレーを置き、地下水を流すことによって列車に押された線路内の雪の量を減らす[46]。これによって線路から踏切内へ持ち込まれる雪が少なくなる[46]。前述の取水制限があるため、使用後の水は循環使用されている[46]
パネル式融雪装置
車両が排雪した後も線路脇に雪の壁を作らないようにするための装備。地下水によって加温した不凍液をパネルの中に循環させるもので[47]、民家が周囲にあって除雪の際に投雪ができない場所に設けられている[47]。六日町駅構内では地下水は循環利用である[46]が、関越自動車道を跨ぐ場所では取水制限がないため地下水は循環利用していない[48]
スプリンクラー
六日町の車両基地構内、十日町駅構内などに設けられている。六日町では地下水を利用するが、前述の取水制限があるため使用後の水は循環使用されているほか、車両基地内も路盤をアスファルト舗装とし、その上にバラストを敷いた強化路盤としている[1]。十日町駅手前の飯山線を跨ぐ部分は赤倉トンネルの湧水を[35]、十日町駅構内では薬師峠トンネルの湧水を利用しており[49]、使用後の水は十日町の市街地道路の融雪に利用された後、信濃川へ放流されている[49]
熱風ヒーター
地下水脈が全くないため地下水を利用する手段が採れず[50]、水利権の関係で川の水も利用できない[50]まつだい駅構内の分岐器に装備される[50]。ボイラーで摂氏100度まで加温された温風をダクトで分岐器に導くもので[50]、温風噴射口では摂氏40度程度の温風となる[50]。なお、松代地区では道路の融雪も水が利用できず、ロードヒーティングが主体である[50]
温水ジェット噴射装置
分岐器の可動部分で雪氷が詰まることによって、分岐器の不転換を引き起こすことがある[51]。無人駅がほとんどのほくほく線では、直ちに人力で対応することは難しい[51]ため、不転換の分岐器があった場合には温水を噴射して氷雪を溶かす方法を採用した[51]。この装置は運行指令所から遠隔操作され、噴射口からは摂氏25度の温水が60秒間噴射される[50]。この装置は、ほくほく線の本線上にある全ての分岐器に装備されている[51]。降雪のないトンネル内の信号場にも設置されているのは、通過車両から落下した雪塊をも考慮したものである[50]
除雪機械(モーターカー)
JRから譲受した旧式の排雪用のモーターカー1台のほか、ほくほく線開業時に新造した2台が用意されている[52]。新造したモーターカーは、犀潟寄りに雪を両脇に押し出すラッセルヘッド[52]、六日町寄りに線路脇の雪の壁を崩した上で投雪するロータリーヘッドを装備している[52]ほか、架線に付着している霜や雪を除去するためにパンタグラフを装備している[51]

このような地上側での雪対策の装備について、定期点検を含めた総経費は年間約1億円である[50]

地上側の設備に加え、線内列車に使用されるHK100形のスロープロウの先端部分は櫛の歯のような形状にしている[46]が、これは2本のレールの間の雪が圧雪状態の塊になると脱線事故の原因になりかねない[46]ため、この先端部分で雪をほぐし、圧雪状態にならないようにするためである[46]。また、六日町駅構内の車両基地では、冬季は屋外での車両留置は行わず、全て留置用の収容庫か検修庫を利用する[1]。このため、車両洗浄機や洗浄台も収容庫内に設けられている[1]。さらに、前述の運行体制の一環として、大雪であっても列車の運行を行うことによって、線路上への積雪を最小限に抑えている[11]。北越急行では、「最大の除雪手段は、列車を走らせ続けること」としている[11]

こうしたさまざまな雪対策を開業当初から装備した[11]ことにより、ほくほく線は接続するJRの路線が不通になった時でも運休することはほとんどなく[53]、雪対策で不備をきたしたことも皆無に近い[11]

利用状況

ほくほく線の沿線は大きく南魚沼地域(南魚沼市のうち旧六日町)・中魚沼地域(十日町市)・東頸地域(十日町市のうち旧松代町)・平野部(上越市のうち旧大島村浦川原村頸城村大潟町)の4地域に分けられる[5]。それぞれの地域はもともと丘陵地帯によって隔てられていた[5]ため、平常時の流動はほくほく線のルートとは平野部以外は一致していない[5]。しかし、東頸地域はもともとの交通事情が悪かったため、ほくほく線の開業に伴い利便性が向上した[5]。また、十日町市にある十日町総合高等学校は新潟県全域を学区とする高校であり、ほくほく線開業により自宅らの通学が可能となった[5]。しかし、ほくほく線の沿線は最も過疎化と高齢化が進んでいる地域で[5]、マイカー保有率も1.5人に1台の割合で[5]、当初より線内需要は厳しいと見られていた[5]

こうした事情もあり、ほくほく線開業と同時に公共交通体系の再構築が行われた。北越急行に出資するバス事業者である頸城自動車は、1996年10月に東頸地区自治体との共同出資による東頸バスの営業を開始し[54]、ほくほく線の開業後は各駅前に乗り入れる路線を設定した[54]。また、同様に北越急行に出資する越後交通は、ほくほく線の列車と競合する越後湯沢〰十日町の路線バスを減便している[54]

越後湯沢〰十日町は峠越えとなるために自動車でも1時間程度の所要時間を要していた[54]が、ほくほく線が開業すると普通列車でも30分台で結ばれるようになった[54]。また、前述した雪対策によって安定した輸送を目指したことが評価され[11]、沿線の家庭では進学時にほくほく線沿線の高校を選ばせたり、上越線が不通になると越後湯沢と六日町のタクシー利用が増加する事例もみられるようになった[11]。現実の線内利用者数も、開業当初に年間65万人程度だったものが2012年には110万人に増加している[50]

輸送実績

収入実績

車両

車両の特徴

ほくほく線の特急形車両は、JR西日本の保有する車両と同一形式である。これは、車両選定の段階で160 km/hの高速走行を考慮して設計されていたのがJR西日本の681系しかなかったこと[55]、全くの新形式を製造することは会社の体力的に無理であったことが理由として挙げられている[55]。その一方、他社からの乗り入れのみでなく自社の車両を保有することになったのは、各社間協議で「大規模な相互直通運転を行うには各社が初期の設備投資をするのが絶対条件」とされていたこと[56]、高速走行を実施するために長期にわたる試験が必要となった[55]が、JR西日本の車両を長期間借用するのは困難であった[55]ことが理由として挙げられる。

一方、ほくほく線内の普通列車は、ローカル線の普通列車としては高速の部類に入る最高速度110 km/hで運転され、特急列車「はくたか」への影響を小さくするため[12]普通列車用の車両であるHK100形は優れた加速性能を持つ[12]。普通・快速列車は全列車がワンマン運転である。ほくほく線ではトンネルが多くあまり景色が見られないという路線特徴を逆手に取り、トンネル走行時に車内にて映像を鑑賞できる「ゆめぞら号」という車両が運行されている[12]。この「ゆめぞら号」は主に土曜・日曜・祝日に運行中で、季節によって異なる映像が上映される。詳しい運行状況は北越急行株式会社のホームページで確認することができる[57][58]

HK-100形は全車両が新潟鐵工所新潟トランシス)製[12]、681系2000番台は川崎重工業製であるが一部車両は委託製造として近畿車輛・新潟鐵工所で製造した[59]。683系8000番台は構体と電装品を川崎重工業で製造し、最終組み立てを新潟トランシスで行っている[60]

車両各説

自社車両

HK100形
ほくほく線内の普通列車として運用される車両で、開業時点では9両が製造された[3]。1999年に1両[10]、2003年に2両が増備された[12]。2003年に増備された車両のみ片運転台の2両編成で[12]、それ以外は両運転台の車両である[12]
681系2000番台
特急「はくたか」に運用される。JR西日本681系電車と同一仕様の車両で、「スノーラビットエクスプレス」という愛称を有する[44]。9両編成が2編成製造されたが、整備・検査などはすべてJR西日本に委託されており[44]、車両自体もJR西日本の金沢総合車両所に常駐である[44]。開業当初はJR西日本の車両とは運用が区別されていた[44]が、2002年3月ダイヤ改正以降はJR西日本681系との共通運用となっている[61]
683系8000番台
特急「はくたか」に運用される。JR西日本の683系電車とほぼ同一仕様で、2005年にJR東日本の車両を置き換える形で、9両編成が1編成導入された[62]。簡易気密構造を有しており[62]、高速走行に対応するためにブレーキ装置がキャリパー式ディスクブレーキとなっている[12]。681系2000番台・JR西日本681系との共通運用となっている[63]

乗り入れ車両

JR東日本485系
開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ[44]。2005年のダイヤ改正で北越急行683系8000番台に置き換えられた[62]
JR西日本485系
開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ[44]。2002年のダイヤ改正で681系に置き換えられた[6]
JR西日本489系
485系の代わりに特急「はくたか」で乗り入れてることがあったほか、急行「能登」が臨時にほくほく線経由で運行された際に乗り入れた[26]
JR西日本583系
冬季のみ「シュプール号」で乗り入れていた[64]
JR西日本681系
開業当初から特急「はくたか」で乗り入れ[44]。簡易気密構造を有しており[44]、高速走行が可能。「ホワイトウイング」という愛称を有する[65]。開業当初は北越急行の車両とは運用が区別されていた[44]が、2002年3月のダイヤ改正以降は681系2000番台との共通運用となっている[61]
JR西日本683系
特急「サンダーバード」用の4000番台が、運用上の都合で681系の運用に入ることがある[66]。高速運転には対応しておらず、最高速度は130 km/hとなる[38]

データ

年表

  • 1931年(昭和6年)9月 - 地元の関係者による鉄道敷設運動が始まる。
  • 1940年(昭和15年) - 北越南線の計画が持ち上がって「南北戦争」勃発。
  • 1953年(昭和28年)
    • 2月 - 第9回鉄道建設審議会で地元意見の不一致を理由として審議未了・保留。
    • 8月 - 新潟県知事裁定により北越北線採択。
    • 9月 - 期成同盟会総会を南線側がボイコット。
  • 1961年(昭和36年)2月23日 - 南北両派が一本化で協力推進する協約を締結。
  • 1962年(昭和37年)
    • 4月22日 - 鉄道建設審議会が上越西線(北越北線)を予定線に採択。
    • 5月12日 - 鉄道敷設法別表第55の3号により、予定路線に編入。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月22日 - 運輸大臣により、北越北線を調査線に指示。
    • 9月28日 - 工事線に昇格、日本鉄道建設公団(鉄道公団)に対して工事実施計画の指示。
  • 1968年(昭和43年)
    • 2月23日 - 北越北線六日町 - 十日町間工事実施計画の認可申請。
    • 3月28日 - 六日町 - 十日町間工事実施計画認可。
    • 8月14日 - 六日町 - 十日町間着工。
  • 1972年(昭和47年)
    • 8月21日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画の認可申請。
    • 10月11日 - 十日町 - 犀潟間工事実施計画認可。
  • 1973年(昭和48年)3月24日 - 十日町 - 犀潟間着工。
  • 1978年(昭和53年)7月20日 - 停車場有効長の延伸、スラブ軌道の採用、電化準備工事などを含めた工事実施計画変更。
  • 1980年(昭和55年)12月27日 - 日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により工事凍結。
  • 1983年(昭和58年)6月22日 - 北越北線建設促進期成同盟会総会において、田中角栄元首相から第三セクター化の構想が提示される。
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月1日 - 第三セクター設立準備会設立。
    • 8月27日 - 北越急行創立総会を新潟市で開催。
    • 8月30日 - 北越急行株式会社設立登記。
    • 11月8日 - 国鉄再建法第14条第1項に基づく国鉄新線の告示。
  • 1985年(昭和60年)
    • 2月1日 - 北越急行が地方鉄道業の免許を受ける。
    • 2月25日 - 運輸大臣により鉄道公団へ工事実施計画の指示。
    • 3月16日 - 鉄道公団により工事再開。
  • 1988年(昭和63年)8月 - 運輸省が「整備新幹線運輸省規格案」を発表、北陸新幹線と連携した幹線鉄道とするための、北越急行の電化・高規格化を提唱。
  • 1989年(平成元年)
    • 3月28日 - JR東日本と北越急行の間で北越北線高規格化に関する基本協定を締結。
    • 5月31日 - 北越急行、事業基本計画の変更申請、最高速度を95 km/hから160 km/hへ、動力方式を内燃から電気へ。
    • 7月31日 - 運輸大臣が鉄道公団に対して工事実施計画の変更指示。
    • 10月2日 - 高規格化対応工事に着手。
  • 1997年(平成9年)3月22日 - ほくほく線開業。
  • 1998年(平成10年)12月 - 「はくたか」を150 km/hにスピードアップ。
  • 2002年(平成14年)3月 - 「はくたか」を160 km/hにスピードアップ。
  • 2004年(平成16年)
    • 10月23日 - 新潟県中越地震発生、全線で運休となる。
    • 10月26日 - 犀潟 - まつだい間で運転再開。
    • 11月2日 - 全線で運転を再開。
  • 2007年(平成19年)7月16日 - 新潟県中越沖地震発生、「はくたか」の運転を1日休止。

路線データ

  • 路線距離(営業キロ): 59.5 km
  • 軌間: 1,067 mm[67]
  • 駅数(起終点を含む): 12
  • 最高速度: 160 km/h(特急、右記の区間以外。京成成田空港線と共に営業在来線日本国内最速)、140 km/h(薬師峠信号場 - まつだい間、虫川大杉 - くびき間)、110 km/h(普通・快速)
  • 複線区間: なし(全線単線
  • 電化区間: 全線(直流1,500 V[67]
  • 最小曲線半径: 400 m[67]
  • 最急勾配: 33 パーミル[67]
  • 設計活荷重: KS-16(国鉄時代に完成した区間)、KS-12(第三セクター化後に完成した区間)
  • 最長トンネル: 赤倉トンネル(10,472 m、魚沼丘陵 - しんざ間。トンネル内に赤倉信号場と美佐島駅があり、地下鉄JR線以外では日本最長の鉄道トンネル[2]
  • 閉塞方式: 単線自動閉塞式[67]
  • 保安装置: ATS-P[67]
  • 運転指令所: 六日町指令所[67]

駅一覧

  • 全線新潟県内に所在。
  • 便宜上、ほくほく線の列車が直通するJR上越線・信越本線の区間も合わせて記載する。なおJRの普通列車は上越国際スキー場前駅を除き下表のJRの駅すべてに停車する。
凡例
停車駅 … ●:全列車停車、|:全列車通過、*:一部の列車が停車、※:夏季・冬季のみ一部の列車が停車、△:一部の下り列車が通過。
線路 … ∥:複線区間、◇:単線区間(列車交換可能)、|:単線区間(列車交換不可)、∨:ここより下は単線、∧:ここより下は複線
運営会社 路線名 駅名 駅間キロ 六日町
からの
営業
キロ
北越急行普通 北越急行快速 特急はくたか 接続路線 線路 所在地
JR東日本 上越線 越後湯沢駅 - 17.6 東日本旅客鉄道上越新幹線上越線水上方面・ガーラ湯沢支線) 南魚沼郡
湯沢町
石打駅 6.4 11.2   南魚沼市
大沢駅 4.0 7.2  
上越国際スキー場前駅 1.0 6.2  
塩沢駅 2.3 3.9  
六日町駅 3.9 0.0 東日本旅客鉄道:上越線(小出方面)
北越急行 ほくほく線
魚沼丘陵駅 3.6 3.6  
赤倉信号場 - (8.5)   十日町市
美佐島駅 8.6 12.2  
しんざ駅 2.2 14.4  
十日町駅 1.5 15.9 東日本旅客鉄道:飯山線
薬師峠信号場 - (23.8)  
まつだい駅 13.3 29.2  
儀明信号場 - (34.1)  
ほくほく大島駅 9.4 38.6   上越市
虫川大杉駅 6.2 44.8  
うらがわら駅 2.0 46.8  
大池いこいの森駅 4.9 51.7  
くびき駅 1.9 53.6  
犀潟駅 5.9 59.5 東日本旅客鉄道:信越本線柏崎方面)
JR東日本 信越本線
黒井駅 4.4 63.9  
直江津駅 2.7 66.6 東日本旅客鉄道:信越本線(長野方面)
西日本旅客鉄道北陸本線(特急「はくたか」直通)

脚注

注釈

  1. ^ 1mあたりの重さが60kgのレール。
  2. ^ 特急が140 km/hでトンネルに進入した場合、トンネル内を吹き抜ける風は、風速25mにも及ぶ[33]
  3. ^ この当時の特急「はくたか」は10往復[40]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.36
  2. ^ a b c d e ほくほく博士 5 ほくほく線の高速運転を支える設備”. 北越急行 (2003年9月18日). 2010年6月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j 鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.54
  4. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.47
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.55
  6. ^ a b c d e f g h i j k 鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.33
  7. ^ a b c 開業までの沿革・経緯”. 北越急行. 2014年2月20日閲覧。
  8. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.23
  9. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.32
  10. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.41
  11. ^ a b c d e f g 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.44
  12. ^ a b c d e f g h i j k l 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.45
  13. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.38
  14. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.140 - 142
  15. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.144 - 149
  16. ^ 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.46
  17. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.39
  18. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.150 - 153
  19. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.154 - 155, 284
  20. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.49
  21. ^ 『三セク新線高速化の軌跡』pp.216 - 221
  22. ^ a b 『三セク新線高速化の軌跡』pp.156 - 207
  23. ^ a b c d e 鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.29
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.40
  25. ^ a b c d e f 鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.32
  26. ^ a b ほくほく博士 13 新潟県中越震災および豪雪でこんなことがありました”. 北越急行 (2005年5月27日). 2014年2月20日閲覧。
  27. ^ ほくほく博士 番外編2”. 北越急行 (2007年9月25日). 2013年12月10日閲覧。
  28. ^ 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.27
  29. ^ 『北越北線工事誌』pp.72 - 73
  30. ^ a b c d e f g h 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.28
  31. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.30
  32. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.33
  33. ^ a b c d e f g 鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔』 (1997) p.53
  34. ^ 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.37
  35. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.39
  36. ^ a b c d e f 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.29
  37. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻428号 鶴通孝『在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ』 (2002) p.30
  38. ^ a b c d e f g h i j 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.31
  39. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.44
  40. ^ a b c d 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.34
  41. ^ 鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.57
  42. ^ 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) p.36
  43. ^ ほくほく博士 16 ワンマン運転士の泣き笑い”. 北越急行 (2008年10月6日). 2013年12月10日閲覧。
  44. ^ a b c d e f g h i j k l m 鉄道ジャーナル 通巻368号 鶴通孝『681系電車特急はくたか発車!』 (1997) p.51
  45. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.23
  46. ^ a b c d e f g h i j k 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.37
  47. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) pp.37-38
  48. ^ 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.38
  49. ^ a b 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.40
  50. ^ a b c d e f g h i j 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.43
  51. ^ a b c d e 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.42
  52. ^ a b c 鉄道ジャーナル 通巻557号 『北越急行の16年と将来』 (2013) p.41
  53. ^ ほくほく博士 9 雪と闘うほくほく線”. 北越急行 (2004年3月11日). 2014年2月20日閲覧。
  54. ^ a b c d e 鉄道ジャーナル 通巻368号 鈴木文彦『北越急行開業の経緯と沿線』 (1997) p.56
  55. ^ a b c d 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.48
  56. ^ 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.47
  57. ^ ほくほく線 ゆめぞら”. 北越急行. 2012年7月15日閲覧。
  58. ^ 北越急行「ゆめぞら号」天井映像 事例”. 三菱電機エンジニアリング. 2012年7月15日閲覧。
  59. ^ 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.49
  60. ^ 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.53
  61. ^ a b 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.51
  62. ^ a b c ほくほく博士 11 新たに「はくたか」に仲間入りする特急車両(683系)について”. 北越急行 (2005年2月22日). 2014年2月20日閲覧。
  63. ^ 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) p.25
  64. ^ 鉄道ジャーナル 通巻392号 種村直樹『在来線初の150 km/h特急 快走』 (1999) pp.39-40
  65. ^ 鉄道ファン 通巻577号 大熊孝夫『雪国を駆けぬけるスノーラビット』 (2009) p.50
  66. ^ 鉄道ジャーナル 通巻557号 鶴通孝『在来線最速特急の誇り』 (2013) pp.24-25
  67. ^ a b c d e f g 『北越北線工事誌』pp.7 - 8

参考文献

工事誌

書籍

  • 日本鉄道建設公団高速化研究会 編『三セク新線高速化の軌跡』(初版)交通新聞社、1998年10月20日。ISBN 4-87513-077-5 

雑誌記事

  • 大熊孝夫「雪国を駆けぬける「スノーラビット」」『鉄道ファン』第577号、交友社、2009年5月、46-55頁。 
  • 鈴木文彦「北越急行開業の経緯と沿線」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、54-57頁。 
  • 種村直樹「在来線初の150km/h特急 快走」『鉄道ジャーナル』第392号、鉄道ジャーナル社、1999年6月、31-41頁。 
  • 鶴通孝「681系電車特急はくたか発車!」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、42-51頁。 
  • 鶴通孝「高規格第三セクター鉄道 北越急行ほくほく線の素顔」『鉄道ジャーナル』第368号、鉄道ジャーナル社、1997年6月、52-53頁。 
  • 鶴通孝「在来線高速化をリードする北越急行のチャレンジ」『鉄道ジャーナル』第428号、鉄道ジャーナル社、2002年6月、20-33頁。 
  • 鶴通孝「在来線最速特急の誇り」『鉄道ジャーナル』第557号、鉄道ジャーナル社、2013年3月、18-33頁。 
  • 「北越急行の16年と将来」『鉄道ジャーナル』第557号、鉄道ジャーナル社、2013年3月、34-45頁。 

外部リンク