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|名称 = 九段会館 |
|名称 = 九段会館 |
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|旧名称 = 軍人会館 |
|旧名称 = 軍人会館 |
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|画像 = [[File:Kudan Kaikan 2010.jpg|280px]] |
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|用途 = |
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|旧用途 = |
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|設計者 = |
|設計者 = 川元良一 |
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|構造設計者 = |
|構造設計者 = |
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|施工 = 清水組(現・[[清水建設]])<ref name="kenchiku-mag_587">{{Cite journal|和書 |date=1934-07-05 |title=巻末附図「軍人会館(4)」 |journal=建築雑誌 |issue=587 |page=818 |publisher=建築学会 |url=http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id=ART0004791921&type=pdf&host=cinii&lang=jp |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |quote=建築様式「日本趣味を基調とせる近代式」}}{{リンク切れ|date=2018-12-07}}</ref> |
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|施工 = 清水組 |
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|建築主 = 財団法人軍人会館 |
|建築主 = 財団法人軍人会館 |
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|事業主体 = |
|事業主体 = [[在郷軍人会|帝国在郷軍人会]](建設時) |
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|管理運営 = 財団法人軍人会館(戦前・戦中)<br />一般財団法人[[日本遺族会]](戦後) |
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|管理運営 = |
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|構造形式 = 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
|構造形式 = 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
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|敷地面積 = 1,844.66坪 |
|敷地面積 = 6098.0496 |敷地面積備考 = 原表記「1,844.66坪」<ref name="kenchiku-mag_587" /> |
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|建築面積 = 941 |
|建築面積 = 3113.2397 |建築面積備考 = 原表記「941.755坪」<ref name="kenchiku-mag_587" /> |
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|延床面積 = 4,370.523坪 |
|延床面積 = 14448.0099 |延床面積備考 = 原表記「4,370.523坪」<ref name="kenchiku-mag_587" /> |
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|階数 = 地下1階、地上4階、塔屋付 |
|階数 = 地下1階、地上4階、塔屋付 |
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|高さ = 軒高64尺 |
|高さ = 軒高64尺(19.39m)<ref name="kenchiku-mag_587" /><br />塔屋最高部まで90尺9寸7分(27.57m)<ref name="kenchiku-mag_587" /> |
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|着工 = 1932年(昭和7年)2月 |
|着工 = 1932年(昭和7年)2月 |
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|竣工 = 1934年(昭和9年)3月 |
|竣工 = 1934年(昭和9年)3月20日 |
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|開館開所 = |
|開館開所 = |
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|改築 = |
|改築 = |
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|所在地郵便番号 = |
|所在地郵便番号 = 102-0074 |
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|所在地 = 東京都千代田区[[九段南]]一丁目6番5号 |
|所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[九段南]]一丁目6番5号 |
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|位置 = {{coord|35|41|39.99|N|139|45|4.44|E|region:JP}} |
|位置 = {{coord|35|41|39.99|N|139|45|4.44|E|region:JP}} |
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|文化財指定 = |
|文化財指定 = |
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|指定日 = |
|指定日 = |
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|備考 = 最寄り駅<br />[[東京地下鉄|東京メトロ]]「[[東京メトロ東西線|東西線]]・[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]」・[[都営地下鉄新宿線|都営新宿線]]<br />[[九段下駅]](4番出口より徒歩約1分) |
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|備考 = |
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'''九段会館'''(くだんかいかん)は、[[東京都]][[千代田区]][[九段南]]に所在した施設。旧称は'''軍人会館'''。[[多目的ホール|ホール]]([[講堂]]){{refnest|group="注"|1934年(昭和9年)3月の竣工当時には「講堂」と称していた<ref name="kenchiku-mag_587" />。}}や[[レストラン]]、[[宿泊施設]]などを備え、[[結婚式]]や[[イベント]]各種などに使用されていたが、[[2011年]](平成23年)3月11日に発生した[[東日本大震災]]による天井崩落事故の影響で同年4月に廃業した。 |
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[[File:KudanKaikan.JPG|thumb|牛ヶ淵越しに九段会館を望む(2010年12月)]] |
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[[2022年]](令和4年)10月1日に九段会館の[[ファサード]]の一部を残した上で<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=震災で天井崩落の九段会館 建て替え工事の様子公開 |url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000233455.html |website=テレ朝news |accessdate=2022-01-16 |language=ja |publisher=[[テレビ朝日]] |date=2021-10-29 |archiveurl=https://megalodon.jp/2022-0116-1528-18/https://news.tv-asahi.co.jp:443/news_economy/articles/000233455.html |archivedate=2022-01-16}}</ref>、地上17階建て(高さ約75m)の複合ビル「[[九段会館テラス]]」に建て替え<ref>{{Cite news |title=東急不、九段会館を建て替え 城郭風は保存 |newspaper=日本経済新聞 朝刊 |date=2017-10-26 |at=東京面 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22682380V21C17A0L83000/ |accessdate=2017-10-29}}</ref>、再開業した<ref>{{Cite news |title=九段会館、建て替え完了 東日本大震災で天井崩落、耐震性を強化|newspaper=毎日新聞|date=2022-09-08 |at= |url=https://mainichi.jp/articles/20220908/k00/00m/040/208000c|accessdate=2022-09-09}}</ref>。 |
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'''九段会館'''(くだんかいかん)は、[[東京都]][[千代田区]]にある施設である。旧称は'''軍人会館'''(ぐんじんかいかん)。[[二・二六事件]]では戒厳司令部が置かれた。[[ホール]]や[[レストラン]]、[[宿泊施設]]などを備え、[[結婚式]]、各種公演、会議、試写会などに使用されていたが、後述の死亡事故を受けて、2011年4月12日付で廃業した。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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[[1928年]](昭和3年)11月10日に挙行された[[昭和天皇]]の[[即位の礼]]<ref>{{Cite web|和書|author=上永哲矢|url=http://www.rekishijin.jp/rekishijincalender/rekishijincalender201311/1110-2/|title=昭和天皇「即位の礼」が執り行われる(昭和3年=1928年)|work=歴史人(rekishijin.jp)|publisher=[[ベストセラーズ]]|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011013849/http://www.rekishijin.jp/rekishijincalender/rekishijincalender201311/1110-2/|archivedate=2015-10-11}}</ref>を記念する「'''昭和御大礼記念事業'''」の一環として{{refnest|group="注"|建設途上の旧・軍人会館をとらえた大判写真を載せた時事写真速報〔昭和8年(1933年)7月1日付;題目「九段の偉観 [[上棟式]]が迫る軍人会館」〕の解説文の冒頭のところに「昭和御大礼記念事業として…」と記述されているのが見える<ref>{{Cite web|和書|url=http://ohoshisama.info/syowakarano/04syouwaB/syouwaB40gunjin.htm|title=4-40.昭和8年・軍人会館|work=昭和からの贈りもの(『お星さまの贈りもの』内)|publisher=(株)スポージック・お星さま事務局|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130311005909/http://ohoshisama.info/syowakarano/04syouwaB/syouwaB40gunjin.htm|archivedate=2013-03-11}}</ref>}}<ref name="kokkai016-shuk_19530718">{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101604237X02119530718 |title=厚生委員会(衆議院) |volume=21 |date=1953-07-18 |conference=第016回国会 |accessdate=2015-10-11}}</ref>、「軍人会館」の名称にて当施設の建造が計画されたのが始まり。[[在郷軍人会]]が計画を主導し、同会主催の[[建築設計競技|コンペ]]で選定された設計案<ref name="repo-yokokoku_060331">{{Cite thesis|和書|author=佐藤嘉明 |title=神奈川県庁本庁舎と大正・昭和初期の神奈川県営繕技術者に関する建築史的研究 |url=https://hdl.handle.net/10131/425 |volume=横浜国立大学 |series=博士 (工学) 乙第264号 |year=2006 |hdl=10131/425 |id={{naid|500000348343}} |quote=第3章 神奈川県庁舎設計コンペ一等当選者・小尾嘉郎とその他の入選者達}}</ref>を基にした実施設計を経て1932年(昭和7年)に起工、2年余りの歳月を費やして完成させた。完成後は計画の主導役を務めた在郷軍人会が自らの本部を当施設内に設置した{{refnest|group="注"|旧「軍人会館」が出版していた[[在郷軍人会]]関連書籍の[[奥付]]において、戦前に当施設を管理・運営していた「財団法人軍人会館」<ref name="sankei-b_140225">{{Cite news|title=【視点】産経新聞論説委員長・樫山幸夫 二・二六事件の年と同じ大雪に思う|newspaper=[[フジサンケイ ビジネスアイ|SankeiBiz]]|publisher=日本工業新聞社|date=2014-02-25|author=樫山幸夫|url=http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/140225/cpd1402250503004-n1.htm|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150925084509/http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/140225/cpd1402250503004-n1.htm|archivedate=2015年9月25日}}</ref><ref>{{cite conference |url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101504237X02119530314 |title=厚生委員会(衆議院) |volume=21 |date=1953-03-14 |conference=[[第15回国会|第015回国会]] |accessdate=2015-10-11}}</ref>の本拠地と、軍人会館建設を主導した在郷軍人会の本部の両住所表記が同一となっている<ref>{{Cite book |和書 |editor=帝国在郷軍人会本部 |origdate=1935-10-15 |title=国策の遂行 |publisher=軍人会館事業部 |id={{NDLJP|1093293}} |accessdate=2015-10-11}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |editor=帝国在郷軍人会本部 |origdate=1942-06-25 |title=会計経理ニ関スル件達・帝国在郷軍人会会計事務整理要領 |publisher=軍人会館図書部 |id={{NDLJP|1455144}} |accessdate=2015-10-11}}</ref>ことからも、在郷軍人会が本部を軍人会館内に設置していたことを窺い知ることが出来る}}ほか、戦前・戦中期を通じては主に軍の[[予備役]]・[[役種|後備役]]の訓練、宿泊に供された。 |
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軍の[[予備役]]・後備役の訓練、宿泊を目的に建設される。[[太平洋戦争]]後の運営は財団法人[[日本遺族会]]。「[[財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律]]」(昭和28年法律第200号)<ref>{{cite web |
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| author = |
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| authorlink = |
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| date = |
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| url = http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S28/S28HO200.html |
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| title = 財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律(昭和二十八年八月十二日法律第二百号) |
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| publisher = [[法令データ提供システム]] |
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| accessdate = 2011-06-01 |
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}}</ref>により、本来は国の財産であるが会に無償貸与していた<ref name="asahi20110507">震災で2人死亡の九段会館、閉館へ 遺族会が国に返還 [[朝日新聞]] 2011年5月7日</ref>。 |
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終戦後「財団法人軍人会館」の解散により[[国有財産|国有資産]]とされたが<ref name="sankei-b_140225" /><ref name="isao-okayamaizoku1156">{{Cite news |title=時局に思う「九段会館の昔ばなし」 |newspaper=いさお新聞(第1156号) |publisher=岡山県遺族連盟 |date=2011-08-15 |author=森田次夫(日本遺族会副会長) |url=http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1156.pdf#page=4 |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011014828/http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1156.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]進駐に伴い[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]に[[鹵獲|接収]]され、「アーミーホール」の名称の下、進駐軍宿舎として使用された<ref name="rotary2750_070313">{{Cite journal |和書|author=山下正昭(東京八王子南RC) |title=2007-08年度・会長エレクト研修セミナー(PETS) |date=2007-03-13 |publisher=[[国際ロータリー]]第2750地区(ガバナー・谷島昶) |journal=ガバナー月信 |issue=10 |page=4 |url=http://www.rotary.cds.ne.jp/rc2007/gesshin/07_04.pdf#page=4 |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011014931/http://www.rotary.cds.ne.jp/rc2007/gesshin/07_04.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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2014年5月、老朽化により取り壊されることとなった。跡地には新しいビルが立つ。新築される建物も、一部は事務所として日本遺族会に貸し出される予定である<ref>{{cite news |title=九段会館取り壊しへ 歴史見つめた80年に幕 |newspaper=[[東京新聞]] |date=2014-5-24 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014052402000120.html|accessdate=2014-5-24}}</ref>。 |
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進駐軍撤退に伴い接収解除となった後、国は当施設の払い下げを公示、最終的に[[日本遺族会]]に対し無償払い下げを行うことになったものの、[[不動産取得税]]の納付にも事欠くほどだったという同会の財務状況を鑑みた国は「'''財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律'''」(昭和28年法律第200号)(現在の「'''一般財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律'''(昭和28年法律第200号)」)を別途公布かつ施行<ref name="japan-law_200">{{Cite web|和書|url=https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=328AC0000000200 |title=一般財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付け等に関する法律 |accessdate=2015-10-11 |work=e-Gov法令検索 |publisher=総務省行政管理局}}</ref>、これに基づき同会に対し当施設を無償貸与するに至った<ref name="isao-okayamaizoku1156" />。名称も「九段会館」に改められ1957年(昭和32年)に再開業、無償貸与を受けた日本遺族会が[[宿泊]]・[[結婚式場]]・貸し[[多目的ホール|ホール]]等の各事業を運営してきた。しかし、[[東日本大震災]]発災時にホールの天井崩落事故で死傷者が出たことから、土地・建物共々日本国政府に返還、廃業に追い込まれた。 |
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== 歴史 == |
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屋上には[[靖国神社]]の[[分霊|分神]]が祀られている<ref>{{Cite news |title=日本遺族会 戦後60年 曲がり角に |newspaper=[[東京新聞]] |date=2005-09-06 |author=田原拓治 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050906/mng_____tokuho__000.shtml |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051111224613/http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050906/mng_____tokuho__000.shtml |archivedate=2005年11月11日 }} ※現在は[[インターネットアーカイブ]]に残存</ref>ほか、[[陸軍大将]]・[[乃木希典]]の[[石碑|歌碑]]も建てられている<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/2235/Default.aspx|title=第1章 「騎兵の父」となった男の足跡を残した町、そして多くの文学者の住んだ町〜飯田橋・九段・麹町|work=千代田を駆け巡る、坂の上の雲|publisher=千代田区観光協会|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150316125717/http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/2235/Default.aspx#13|archivedate=2015-03-16}}</ref>。このうち靖国神社の分神に関しては、戦時中に靖国神社が戦災に見舞われた場合に備えたものであったとされている。 |
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== 沿革 == |
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* [[1928年]](昭和3年) - 昭和御大礼記念事業の一環として建設計画が持ち上がる。 |
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* [[1930年]](昭和5年) |
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** 9月 - [[在郷軍人会]]主催による軍人会館懸賞設計競技(コンペ)の実施を発表<ref name="repo-yokokoku_060331" />。 |
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** [[12月15日]] - 同競技応募締切<ref name="repo-yokokoku_060331" />。 |
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** [[12月26日]] - 審査結果発表。小野武雄設計作品が「1等賞」を受賞《のちに川元良一が小野設計作品を基に実施設計着手》{{refnest|group="注"|公式には“「昭和5年(1930年)12月15日正午」応募受付締切→「昭和6年(1931年)1月中旬」入選発表”とされているが、実際には受付締切の8日後にあたる1930年12月23日に審査を終え、更に3日後の同年12月26日に審査結果が公表された。また入賞者に対しては審査を終えた時点で内示が為されていたという<ref name="repo-yokokoku_060331" />。}} |
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* [[1932年]](昭和7年)2月 - 着工<ref name="kenchiku-mag_587" />。 |
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* [[1934年]](昭和9年) |
* [[1934年]](昭和9年) |
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** [[3月20日]] - 竣工<ref name="kouji-T_193405">{{Cite journal |和書 |title=工事タイムス(軍人会館建築摘要) |date=1934-05 |publisher=工事画報社 |journal=土木建築工事画報 |volume=10 |issue=5 |page=249 |url=http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/10-05/10-05-1987.pdf |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011024105/http://library.jsce.or.jp/Image_DB/mag/gaho/kenchikukouji/10-05/10-05-1987.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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** [[3月25日]] - 落成式。在郷軍人会総裁、[[閑院宮載仁親王]]、[[林銑十郎]]陸軍大臣、[[大角岑生]]海軍大臣が参加。 |
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** [[3月25日]] - 落成式<ref name="kouji-T_193405" />。在郷軍人会総裁、[[閑院宮載仁親王]]、[[林銑十郎]][[陸軍大臣]]、[[大角岑生]][[海軍大臣]]が出席。 |
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** [[7月22日]] - [[昭和神聖会]]結成式が開かれる。統管は[[新宗教]]「[[大本|皇道大本]]」指導者[[出口王仁三郎]]。 |
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* [[1936年]](昭和11年 |
* [[1936年]](昭和11年)2月27日 - '''[[二・二六事件]]''' の勃発をうけ、軍人会館に[[戒厳令|戒厳司令部]]が設置される。 |
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* 1937年(昭和12年)4月3日‐[[愛新覚羅溥傑]]、[[嵯峨浩]]の結婚披露宴が取り行われる。 |
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* [[1945年]](昭和20年)9月 - [[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) により接収 |
* [[1945年]](昭和20年)9月 - [[連合国軍最高司令官総司令部]] (GHQ) により接収。以降「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎として使用<ref name="rotary2750_070313" />。 |
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* [[1953年]](昭和28年)接収解除。8月12日、「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」公布・施行<ref name="japan-law_200" />。[[日本遺族会]]への無償貸与を開始すると共に、施設名称を「九段会館」に変更<ref name="isao-okayamaizoku1156" /><ref>{{Cite web|和書|author=千代田区環境まちづくり部景観・都市計画課景観主査 |date=2003-06-09 |url=https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/kekan/documents/1-kudankaikanhonkan.pdf |title=1:九段会館本館 |format=PDF |work=千代田区景観まちづくり重要物件指定一覧表 |publisher=[[千代田区|千代田区役所]]([[東京都]]) |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011024632/https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/machizukuri/kekan/documents/1-kudankaikanhonkan.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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* [[1953年]](昭和28年)8月 - 国有化の際に名称を「九段会館」と改める。上記法律により、日本遺族会に貸出。 |
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* [[1957年]](昭和32年) |
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** [[7月9日]] - 宿泊・食堂両部門先行開業<ref name="isao-okayamaizoku1156" /> |
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** [[10月1日]] - 結婚式場・宴会場・ホール各部門も開業し、全面開業となる<ref name="isao-okayamaizoku1156" />{{refnest|group="注"|「九段会館」として再開業させるにあたっては、戦没者遺族に対し1世帯あたり100円の拠出を要請、更に8900万円の借り入れを別途実行、これらによって再開業に向けての改修費用を賄った<ref name="isao-okayamaizoku1156" />。}} |
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* [[2011年]](平成23年) |
* [[2011年]](平成23年) |
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** [[3月11日]] - [[東京観光専門学校]]の卒業式の最中に[[東 |
** [[3月11日]] - [[東京観光専門学校]]の[[卒業式]]の最中に[[東北地方太平洋沖地震]]発生。天井崩落事故により2名死亡。この日以降休館に追い込まれる<ref>{{Cite news|title=九段会館が閉館|newspaper=東京新聞|date=2011-05-10|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011051002100003.html|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150925083823/http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011051002100003.html|archivedate=2015年9月25日}}</ref>。 |
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** [[4月12日]] - 日本遺族会の理事会・評議員会を緊急開会。この日を以て廃業とし、土地・建物の国への返還を正式決議<ref name="isao-okayamaizoku1153">{{Cite news |title=戦没者遺族の心の拠り所 九段会館の閉館決まる |newspaper=いさお新聞(第1153号) |publisher=岡山県遺族連盟 |date=2011-05-15 |url=http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1153.pdf |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011025524/http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1153.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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http://www.shikoku-np.co.jp/national/main/article.aspx?id=20110311000345|title =都内で4人死亡、けが60人超/九段会館の天井崩落| | publisher = 四国新聞社SHIKOKU NEWS|date = 2011-03-11|accessdate = 2011-03-12}}</ref>。この事故を受け、日本遺族会は会館の営業を終了し、建物を国に返還することを決定した<ref name="asahi20110507"/>。占領軍が接収した日本の施設である事情から、取り壊しや[[ファサード]]保存、建て替え工事ができずにそのまま放置されている状態であったものの、2014年に老朽化のため取り壊されることが決定した。 |
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** [[5月9日]]- 当施設の運営廃止(廃業)および土地・建物の国への返還を報道発表<ref>{{Cite news|title=九段会館「閉館」を決定 天井崩落事故で|newspaper=J-CASTニュース|publisher=[[ジェイ・キャスト]]|date=2011-05-09|url=http://www.j-cast.com/2011/05/09095020.html|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150928203805/http://www.j-cast.com/2011/05/09095020.html|archivedate=2015年9月28日}}</ref>。 |
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** [[5月12日]] - 犠牲者の遺族が[[業務上過失致死罪]]で[[古賀誠]]・日本遺族会会長と会館支配人を告訴<ref>【東日本大震災】九段会館の天井崩落事故 遺族ら業務上過失致傷で告訴 [[産経新聞]] 2011年5月12日</ref>。 |
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** [[6月30日]] - 従業員全員解雇<ref name="isao-okayamaizoku1154">{{Cite news |title=九段会館閉館に伴う今後の遺族会の方針を協議 |newspaper=いさお新聞(第1154号) |publisher=岡山県遺族連盟 |date=2011-06-15 |url=http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1154.pdf |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011025645/http://izoku-okayama.jp/jigyo_gohokoku/1154.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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* [[2013年]](平成25年)[[11月8日]] - 古賀と元総支配人の起訴を見送り<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013110800452 九段会館崩落事故、立件見送り=起訴求めず送検-東日本大震災で33人死傷・警視庁] - 時事ドットコム、2013年11月8日</ref>。 |
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* [[2016年]](平成28年)6月2日 - 関東財務局の有識者委員会が、歴史的価値を生かしながら高度利用を図る方針を決定<ref>{{Cite web|和書|url=http://kantou.mof.go.jp/kokuyuuti/kudan.htm |title=九段会館の保存・活用方針について |accessdate=2017-10-29 |publisher=関東財務局}}</ref>。 |
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* [[2017年]](平成29年)9月20日 - 土地・建物を東急不動産が落札。九段会館の一部を残し、地上17階建てのオフィスビルに建て替える(施工は[[鹿島建設]]。2022年に完工予定)<ref name=":0" />。 |
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[[File:Kudan Kaikan 210324a.jpg|thumb|九段下交差点から見た工事中の九段会館(2021年3月)]] |
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[[File:Kudan Kaikan 210324b.jpg|thumb|牛ヶ淵側から見た工事中の九段会館(2021年3月)]] |
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* [[2019年]](令和元年)9月11日 - 登録有形文化財(建造物)に登録。 |
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* [[2022年]](令和4年) |
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** 9月8日 - 建て替えが完了し、報道陣に内部を公開。 |
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** 10月1日 - 「九段会館テラス」として再開業<ref>ただし、公式サイトではトップページにて「2022.'''11'''.1 GRAND OPEN」とある。</ref>。オフィスには建て替え前に旧会館を管理していた日本遺族会の事務局も入居。 |
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== 建 |
== 建物概要 == |
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=== 建築概要 === |
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昭和初期に流行した[[帝冠様式]]の建物である。設計は[[同潤会アパート]]の[[川元良一]]、技術顧問として[[伊東忠太]]。工事費約250万円。 |
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[[File:Three elevations Military Hall 1931.png|thumb|原案]] |
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* 設計原案…小野武雄 |
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{{Indent|在郷軍人会が主催した当施設に係る懸賞設計競技で「1等賞」を受賞<ref name="repo-yokokoku_060331" />}} |
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* 技術顧問…[[伊東忠太]](工学博士)<ref name="kenchiku-mag_587" /> |
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{{Indent|小野が「一等賞」を受賞した前記懸賞設計競技に於ける審査員のひとり<ref name="repo-yokokoku_060331" />}} |
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* 技師長(実施設計)…川元良一<ref name="kenchiku-mag_587" /><ref name="repo-yokokoku_060331" />(同潤会建設部長<ref>{{Cite journal |和書|author=大月敏雄 |authorlink=大月敏雄 |title=まちなみ図譜・文献逍遙 其ノ十五(最終回)『建築寫眞類聚 木造小住宅』 |date=2012-03-21 |publisher=住宅生産振興財団 |journal=『家とまちなみ』第65号 |issn=0287-8968 |volume=31 |issue=1 |page=66 |url=http://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinami065_16.pdf#page=3 |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011025743/http://www.machinami.or.jp/contents/publication/pdf/machinami/machinami065_16.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>) |
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* 建設費…250万円<ref name="kenchiku-mag_587" />{{refnest|group="注"|当初予定されていた建設費は、付帯諸設備関連費用および事務諸経費を除いて「約145万円」だった<ref>{{Cite book |和書 |editor=洪洋社編輯部 |title=軍人会館競技設計図集 |origdate=1931-04 |id={{NDLJP|1705788}} |accessdate=2015-10-11 |publisher=洪洋社 |ncid=BA42345283 |quote=国立国会図書館デジタルコレクションから}}</ref>。}}{{refnest|group="注"|「軍人会館」として建設された当施設の建設費250万円のうちの軍人拠出分(計100万円)について、軍人1人につき1円の拠出があった<ref name="isao-okayamaizoku1156" />とされているが、終戦後の昭和28年7月に開かれた[[衆議院]]厚生委員会に於いて、[[政府参考人|政府委員]]の一人として出席していた[[厚生省]](現・[[厚生労働省]])社会局長・[[安田巌|安田巖]]は「在郷軍人300万人、現役軍人を含めて各自30銭以上を拠出」と発言<ref name="kokkai016-shuk_19530718"/>。また、当施設の建設費そのものについても安田は、先述の軍人拠出分に加え「[[南満州鉄道|満鉄]]からの寄付金100万円、その他一般の寄付金とを合せて260万円だったと思う」と発言している<ref name="kokkai016-shuk_19530718"/>。}} |
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{{Indent|軍人(現役軍人・在郷軍人合わせて100万円)、[[南満州鉄道]](100万円)、一般人からの寄付で賄われたほか、[[昭和天皇]]からの御下賜金(5万円)もあった<ref name="rotary2750_070313" />}} |
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* 特徴…日本趣味建築([[帝冠様式]])<ref name="kenchiku-tuhshin_b150920">{{Cite web|和書|date=2012-11-30|url=http://kensetsunewspickup.blogspot.jp/2012/11/blog-post_30.html|title=【けんちくのチカラ】フォークシンガー細坪基佳氏と九段会館|work=建設通信新聞・公式記事ブログ|publisher=日刊建設通信新聞社|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011025951/http://kensetsunewspickup.blogspot.jp/2012/11/blog-post_30.html|archivedate=2015-10-11}}</ref> |
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== 施設概要 == |
=== 施設概要 === |
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; ホテル |
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: 客室(162室・定員340名) |
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; 結婚式場 |
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* 和・洋大宴会場 |
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: 神殿、[[チャペル]] |
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; 食堂 |
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: くだん亭([[寿司]]・その他[[和食]]・[[中華料理]]) |
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: 味の店 千成 |
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: 九段迎賓館(創作[[フランス料理|フレンチ]]・[[イタリア料理|イタリアン]]) |
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: [[カフェ|コーヒーラウンジ]] |
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: 屋上ガーデン |
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; ホール(講堂) |
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: [[観客席|客席]]数 1112<ref name="kenchiku-tuhshin_b150920" />(1階614席・2階168席・3階330席)。座席の列番号表記は「いろは順」。 |
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: 2001年度(平成13年度)・2003年度(平成15年度)中に改修工事実施{{refnest|group="注"|2001年度(平成13年度)中にスクリーン改修工事を、更に2003年度(平成15年度)中にはケーブル交換および床面改修工事を、それぞれ実施している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.stage-system.co.jp/publics/index/51/|title=平成15年〜11年|work=工事経歴|publisher=ステージシステム(株)|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011030056/http://www.stage-system.co.jp/publics/index/51/|archivedate=2015-10-11}}</ref>}} |
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; その他 |
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: [[美容所|美容室]](主に婚礼美容)<ref>{{Cite web|和書|date=2010-04-21 |url=http://www.henshukaigi.com/desire/000632.html |title=原良子美容室 國見大さん |work=修了生レポート〜編集会議.com |publisher=[[宣伝会議]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130120081439/http://www.henshukaigi.com/desire/000632.html |archivedate=2013-01-20 }}</ref> |
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== 使用実例 == |
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* 神殿 |
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* チャペル |
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=== 戦前・戦中「軍人会館」 === |
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=== レストラン === |
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[[File:226 Martial Law HQ.JPG|thumb|軍人会館に設置された戒厳司令部と、立哨する近衛兵]] |
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* くだん亭(和・寿し・中華料理) |
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* [[1934年]](昭和9年)[[7月22日]] - 新宗教「[[大本]]」の二大教祖の一人とされる[[出口王仁三郎]]が自らを“統管”とする「[[昭和神聖会]]」の発会式を当施設に於いて挙行、[[内務大臣]]の[[後藤文夫]]や[[衆議院]][[議長]]の[[秋田清]]など各界の名士3000人以上を集めた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=29|title=神聖運動とは何か|work=大本〜身魂の立替え立直し|publisher=大本信徒連合会|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011030241/http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=29|archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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* 味の店 千成 |
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* [[1936年]](昭和11年)[[2月27日]] - 前日(2月26日)発生した「[[二・二六事件]]」に対する[[戒厳|戒厳令]]発令に伴い、戒厳司令部が当施設内に設置された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki18/index-j.html|title=第18回 二・二六事件と鹿島|work=鹿島の軌跡〜歴史の中から見えてくるものがある|publisher=鹿島|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011030419/http://www.kajima.co.jp/gallery/kiseki/kiseki18/index-j.html|archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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* 九段迎賓館(創作フレンチ・イタリアン) |
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* [[1937年]](昭和12年)[[4月3日]] - [[満州国皇帝]]・[[愛新覚羅溥儀]]の弟・[[愛新覚羅溥傑|溥傑]]と、[[侯爵]]・[[嵯峨実勝]]の長女・[[嵯峨浩|浩]]の[[結婚式]]を当施設にて挙行{{refnest|group="注"|この結婚は、当時[[満州国]]に駐屯していた[[関東軍]]の仲介により実現した[[政略結婚]]であった<ref>{{Cite web|和書|date=2008-10 |url=http://ifsa.jp/index.php?aishinkakurahiro |title=現代日本の源流「愛新覚羅浩〜国境を越えた夫婦愛」 |work=向学新聞 |publisher=NPO法人 国際留学生協会 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011030557/http://ifsa.jp/index.php?aishinkakurahiro |archivedate=2015-10-11 }}</ref>。その背景として、日満一体化を強めたいという関東軍の思惑があった<ref name="suginami_080328">{{Cite web|和書|author=八巻俊雄|date=2008-03-28|url=http://www.suginamigaku.org/2014/10/post-302.html|title=ラストエンペラーの実弟に嫁いだ侯爵令嬢|work=すぎなみ学倶楽部|publisher=杉並区産業振興センター観光係|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011030842/http://www.suginamigaku.org/2014/10/post-302.html|archivedate=2015-10-11}}</ref>。当初関東軍は、[[清|清朝]]最後の[[皇帝]]・[[愛新覚羅溥儀]]の弟で、日本の[[陸軍士官学校 (日本)|陸軍士官学校]]に留学して優秀な成績で卒業([[恩賜の軍刀]]授受)し、その後千葉の[[陸軍歩兵学校]]で学んでいた[[愛新覚羅溥傑|溥傑]]と日本の皇族王女を結婚させる腹積もりであったが、[[皇室典範]]の壁に阻まれ、やむなく公卿華族や大名華族の娘たちの中から極秘に花嫁捜しをすることとなった。一方で嵯峨家でも浩の見合い写真を配り回ることで花婿捜しに奔走。そうした中、その見合い写真の1枚が溥傑の目にも止まったところから浩が花嫁候補の筆頭とされ、嵯峨家そして浩本人の意志とは無関係に縁談が進んだ。最終的に縁談はまとまり、1937年(昭和12年)2月6日に在日本満州国大使館が婚約を発表、そして日本の[[陸軍省]]が結婚式の日取りを決めた<ref name="suginami_080328" />。なお、結婚式当日には、現在の東京都[[杉並区]]内に存在した[[嵯峨実勝|嵯峨侯爵]]邸から式場である当施設に向かう[[日本における自動車#歴史|自動車]]の長い列が出来、当時の地元住民を驚かせたという<ref name="suginami_080328" />。}}。 |
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* コーヒーラウンジ |
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* [[1938年]](昭和13年)[[9月19日]] - [[大日本回教協会]]発足を当施設にて発表。各界の名士200余名が発起人に名を連ねる{{refnest|group="注"|1938年(昭和13年)5月に設立準備会をつくり、約4か月の準備期間を経て「大日本回教協会」の発足に至った。その初代会長には、この当時陸軍大将かつ前首相でありイスラム通としても知られていた林銑十郎が選ばれている<ref>{{Cite journal |和書|author=島田大輔 |title=昭和戦前期における回教政策に関する考察 |date=大日本回教協会を中心に |publisher=[[同志社大学]]一神教学際研究センター(CISMOR) |journal=一神教世界 |volume=6 |issn=21850380 |naid=120005647594 |pages=73-75 |url=http://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2015/05/289e8e634d48252b9a6be487f1f387f8.pdf#page=66 |format=PDF |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011032609/http://www.cismor.jp/uploads-images/sites/2/2015/05/289e8e634d48252b9a6be487f1f387f8.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。}}。 |
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* 屋上ラウンジ(花見・ビアガーデン) |
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*[[1940年]](昭和15年)[[11月23日]] - [[大日本産業報国会]]中央本部創立総会が開催<ref>中央本部創立総会(『大阪毎日新聞』昭和15年11月24日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p426 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年</ref>。 |
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* [[1942年]](昭和17年)[[2月2日]] - [[愛国婦人会]]・大日本連合婦人会・[[国防婦人会|大日本国防婦人会]]の3団体を統合した大日本婦人会の結成式を当施設にて挙行<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ndl.go.jp/modern/cha4/description15.html |title=4-15 翼賛体制 |work=史料にみる日本の近代 |publisher=[[国立国会図書館]] |accessdate=2015-10-11 |quote=第4章 立憲政治の危機 (c)政党の解消と翼賛政治 4-15 翼賛体制}}</ref> |
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=== 戦後「九段会館」 === |
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[[日本遺族会]]運営の下、貸しホール、[[宿泊]]、[[結婚式場]]などの各事業が展開されてきている。 |
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* 客席数 1112 |
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** 1階 614席 |
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** 2階 168席 |
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** 3階 330席 |
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** 座席の列番号は「いろは順」。 |
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* 映画『[[ALWAYS 続・三丁目の夕日]]』でヒロインの星野六子([[堀北真希]])が観に行った映画館のロケ地として使用された。 |
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* 映画『[[クローズド・ノート]]』で、ヒロインの堀井香恵([[沢尻エリカ]])が所属するマンドリンクラブのコンサートロケ地として使用された。 |
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桜開花シーズンには、皇居の桜を眺望出来ることから<ref>{{Cite web|和書|date=2008-03-24|url=http://machi-log.jp/spot/?spot=100973|title=休業中:九段会館 【お花見特集】|work=街ログ|publisher=[[ジャパンケーブルキャスト]]|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150926095001/http://machi-log.jp/spot/?spot=100973|archivedate=2015-09-26}}</ref>、花見を兼ねて食事が出来るプランを設定、<ref>{{Cite web|和書|year=2010 |url=http://www.kudankaikan.or.jp/restaurant/sakura/index.html |title=お花見 |work=レストラン〜九段会館Webサイト |publisher=九段会館 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100326190727/http://www.kudankaikan.or.jp/restaurant/sakura/index.html |archivedate=2010-03-26 }} ※現在はインターネット・アーカイブ内に残存</ref>、5月から9月は屋上ガーデンスペースを利用して[[ビアガーデン]]を開設<ref>{{Cite web|和書|year=2010 |url=http://www.kudankaikan.or.jp/restaurant/beer/index.html |title=屋上緑のビアガーデン |work=レストラン〜九段会館Webサイト |publisher=九段会館 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100515122147/http://www.kudankaikan.or.jp/restaurant/beer/index.html |archivedate=2010-05-15 }} ※現在はインターネット・アーカイブ内に残存</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c01104kudan.htm|title=九段会館(閉館)|work=ポータル東京(PORTAL TOKYO)|publisher=(株)ポータル東京|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130423232443/http://www.portaltokyo.com/guide_23/contents/c01104kudan.htm|archivedate=2013-04-23}}</ref>。 |
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== 交通手段 == |
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* [[九段下駅]]下車、徒歩1分 |
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==== コンサート会場として ==== |
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== 周辺 == |
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[[ロック (音楽)|ロック]]や[[フォークソング|フォーク]]系統でホールを[[演奏会|コンサート]]会場として使用するケースは少なくなく<ref>{{Cite web|和書|author=野村邦丸(番組パーソナリティ) |date=2008-01-28 |url=http://www.joqr.co.jp/meister/kunimaru/080128.html |title=コンサートホール列伝(2008年1月28日〜2月1日各放送分) |work=サウンド オブ マイスター・PART1「くにまる東京歴史探訪」 |publisher=[[文化放送]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011051747/http://www.joqr.co.jp/meister/kunimaru/080128.html |archivedate=2015-10-11 }}</ref>、デビューコンサートを開くものも存在する。 |
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国内では、[[奥華子]]〔2006年(平成18年)9月22日〕<ref>{{Cite web |url=http://www.okuhanako.com/biography.htm |title=BIOGRAPHY |work=奥華子 OFFICIAL WEB SITE |publisher=[[奥華子|奥華子(シンガーソングライター)]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052054/http://www.okuhanako.com/biography.htm |archivedate=2015年10月11日 }}</ref>や[[BIGMAMA]]〔2010年(平成22年)12月25日〕<ref>{{Cite news |title=BIGMAMA、初ホール公演でツアー6公演を発表 |newspaper=[[Musicman (書籍)|Musicman-NET]] |date=2010-12-27 |url=http://www.musicman-net.com/artist/bigmama_3.html |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052207/http://www.musicman-net.com/artist/bigmama_3.html |archivedate=2015年10月11日 }}</ref>は、自身デビュー以来となる初ホール公演の会場として選択している。 |
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海外からは、[[フライング・ブリトー・ブラザーズ|フライング・ブリトウ・ブラザース]](1978年4月)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.vividsound.co.jp/item_show.php?lid=4571136377138 |title=フライング・ブリトウ・ブラザース『ライヴ・フロム・トーキョウ』 |publisher=[[VIVID SOUND]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052302/http://www.vividsound.co.jp/item_show.php?lid=4571136377138 |archivedate=2015-10-11 }} ※現在は当該ライヴ収録盤販売案内ページの類に具体的な公演データが掲載されているのみ</ref> [[XTC (バンド)|XTC]] (1979年) や [[ケヴィン・エアーズ]](1988年)<ref>{{Cite news |title=「燃えないと輝くことはできない」〜ケヴィン・エアーズが残したもの |newspaper=[[BARKS|BARKS音楽ニュース]] |date=2013-03-07 |author=Masataka Koduka |url=http://www.barks.jp/news/?id=1000088161 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052405/http://www.barks.jp/news/?id=1000088161 |archivedate=2015年10月11日 }}</ref>が 初来日公演の会場として使用してきている。 |
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[[フォークシンガー]]の[[細坪基佳]](元「[[ふきのとう (フォークグループ)|ふきのとう]]」[[ボーカル]])は「[[ステージ]]から3階のお客さんの顔が見える。とても身近で、安心感のようなものをもたらしてくれる」と印象を語るとともに、音響については「音が自然にはね返ってくる。ナチュラルな音の返りがあるので、『[[残響|リバーブ]]』を足したりすることをせずしても歌いやすい」と評価している{{refnest|group="注"|[[細坪基佳]]は、自身がボーカルを務めていたフォークデュオ「[[ふきのとう (フォークグループ)|ふきのとう]]」の結成から間もない1977年(昭和52年)頃に初めて当施設内ホールに於いて公演を行い、以後、1992年(平成4年)の「ふきのとう」解散を経て今日に至るまで、「ふきのとう」としての公演と自身のソロ公演とを合わせて十数回、当施設内ホールのステージに立ってきている<ref name="kenchiku-tuhshin_b150920" />}}。 |
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==== 映画上映会場として ==== |
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一般向け[[試写会]]である「プレミア試写会」<ref>{{Cite web|和書|author=町田忠(東スポ執行役員専門委員) |date=2013-01-30 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-matida/2101/ |title=日本語「プレミア」には3つの意味があるのに辞書には載ってない!? |work=言葉の旅人〜東スポWeb |publisher=[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052519/http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-matida/2101/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref>の会場として当施設が使われた例として、2007年(平成19年)1月公開の『[[ユメ十夜]]』<ref>{{Cite web|和書|date=2007-01-27 |url=http://eiga.com/movie/33829/ |title=ユメ十夜 |work=作品情報 |publisher=[[映画.com]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011052625/http://eiga.com/movie/33829/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2007-01-11|url=http://www.nikkatsu.com/report/200701/000008.html|title=『ユメ十夜』ドリームプレミア試写会 九段会館大ホール|work=イベントレポート〜日活レポート|publisher=[[日活]]|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://archive.is/20151007225419/http://www.nikkatsu.com/report/200701/000008.html|archivedate=2015-10-07}}</ref>、同年6月公開の『[[キサラギ]]』<ref>{{Cite web|和書|date=2007-06-16 |url=http://eiga.com/movie/1972/ |title=キサラギ |work=作品情報 |publisher=映画.com |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053053/http://eiga.com/movie/1972/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.tv-tokyo.co.jp/telecine/video/kisaragi/ |title=キサラギ 2008年1月9日(水)RELEASE! |work=最新DVD&Blu-ray情報〜CINEMA STREET |publisher=[[テレビ東京]] |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053129/http://www.tv-tokyo.co.jp/telecine/video/kisaragi/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref>、2009年(平成21年)3月日本公開の『[[パッセンジャーズ]]』〔2008年(平成20年)米国にて製作〕<ref>{{Cite web|和書|date=2009-03-07 |url=http://eiga.com/movie/53904/ |title=パッセンジャーズ |work=作品情報 |publisher=映画.com |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053223/http://eiga.com/movie/53904/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2009-02-25 |url=http://eiga.com/news/20090225/7/ |title=山本モナ、恋人の真実は追究しない?「パッセンジャーズ」試写会 |work=映画.com ニュース |publisher=映画.com |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053330/http://eiga.com/news/20090225/7/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref>、2010年(平成22年)6月公開の『[[チョルラの詩|チョルラの詩(うた)]]』(日韓合作)<ref>{{Cite web|和書|date=2010-06-12 |url=http://eiga.com/movie/55453/ |title=チョルラの詩(うた) |work=作品情報 |publisher=映画.com |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053424/http://eiga.com/movie/55453/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2010-06-05 |url=http://eiga.com/news/20100605/6/ |title=韓流スター、キム・ミンジュン「何よりも愛を優先させます」にため息 |work=映画.com ニュース |publisher=映画.com |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053452/http://eiga.com/news/20100605/6/ |archivedate=2015-10-11 }}</ref>などが存在する。 |
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2007年9月29日に公開された『[[クローズド・ノート]]』に於いてはヒロインの堀井香恵([[沢尻エリカ]])が所属する[[マンドリン]]クラブのコンサートロケ地として、同年11月3日に公開された『[[ALWAYS 続・三丁目の夕日]]』に於いてはヒロインの星野六子([[堀北真希]])が観に行った映画館のロケ地として、何れも当施設が使用されている。 |
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==== その他 ==== |
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*[[小林多喜二]]や[[宮本百合子]]の没後周年記念集会が何回か開かれた。 |
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*韓国の[[俳優]][[パク・シフ]]が2009年(平成21年)7月5日に初来日した際、初めての日本ファンミーティングを当施設にて開いている<ref>{{Cite news |title=パク・シフ来日! 東京で初のファンミーティング開催 |newspaper=Wow!Korea(ワウコリア) |date=2009-07-06 |url=http://www.wowkorea.jp/news/enter/2009/0706/10059420.html |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053526/http://www.wowkorea.jp/news/enter/2009/0706/10059420.html |archivedate=2015年10月11日 }}</ref>。 |
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*1960年代から1970年代にかけて、[[日本社会党]]の党大会が毎年3日間程度開かれていた。 |
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== ギャラリー == |
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{{Gallery |
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|align=center |
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|width=160 |
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|height=120 |
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|File:Kudankaikan1.JPG|入口より北面を見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan2.JPG|敷地内より北面を見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan3.JPG|公道より東面を見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan4.JPG|公道より東面を見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan5.JPG|ホールの車寄せ(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan6.JPG|ホールのエントランス(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan7.JPG|エントランス(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan8.JPG|エントランスホール(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan9.JPG|ホールの背面より見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan10.JPG|ホールの舞台(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan11.JPG|ホールの背面を見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan12.JPG|歩道よりエントランスを見る(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan13.JPG|九段会館エントランス(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan14.JPG|日本遺族会エントランス(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan15.JPG|エントランスホール(2010年3月撮影) |
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|File:Kudankaikan17.JPG|牛ヶ淵越しに九段会館を望む(2006年3月) |
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}} |
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== 東日本大震災後の動き == |
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=== 震災による天井崩落事故 === |
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[[東日本大震災]]に見舞われた2011年(平成23年)3月11日、当施設内ホールでは[[東京観光専門学校]]の[[卒業式]]を挙行していた。震度5強の地震によりホール前面のラスモルタル吊り天井が広範囲にわたり客席に崩落し、同卒業式の出席者593人のうち、客席に座っていた同校[[講師 (教育)|非常勤講師]]の女性2人が下敷きになり死亡、その他多数が重軽傷を負い、[[トリアージ]]が行われた<ref name="aijt.24.461">{{cite journal|和書 |last1=川口 |first1=健一 |last2=木村 |first2=勉 |last3=津村 |first3=泰範 |last4=大場 |first4=康史 |last5=中楚 |first5=洋介 |last6=川崎 |first6=香織 |last7=岡 |first7=建司 |last8=上村 |first8=一貴 |title=九段会館ホール天井落下事故に関する調査報告 |journal=日本建築学会技術報 |date=2018年2月 |volume=24 |issue=56 |pages=461-466 |doi=10.3130/aijt.24.461|url=https://doi.org/10.3130/aijt.24.461}}</ref><ref>{{Cite news |title=【東日本大震災】首都圏 恐怖覆う 九段会館天井崩落29人死傷 |newspaper=東京新聞 |date=2011-03-12 |url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011031202100022.html |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20170109185558/http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2011031202100022.html |archivedate=2017年1月9日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref><ref name="47news_110512">{{Cite news|title=遺族が九段会館の事故で告訴 「耐震措置怠った」|agency=[[共同通信社|共同通信]]|work=[[47NEWS]]|publisher=全国新聞ネット|date=2011-05-12|url=http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051201000962.html|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053711/http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011051201000962.html|archivedate=2015年10月11日}}</ref>。崩落した吊り天井の重量は{{convert|53|kN|kgf|lk=on|}}であったが、1934年(昭和9年)の竣工当時から吊り天井の改修や補修は行われておらず、フック状の金物を天井裏の骨組みに引っ掛ける簡易な構造であったことから、地震によりフックの一部が外れバランスを崩し、吊り天井がブランコのようにぶら下がり、客席に崩落したと推測されている<ref name="aijt.24.461" />。 |
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=== 閉館 === |
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当施設を運営する[[日本遺族会]]は2011年4月12日に緊急の理事会と評議員会を開いて事後の対応について協議した結果、同日付にて施設の運営を廃止し、土地も含めて国に返還することを決定〔[[厚生労働省]]に通知済〕<ref name="isao-okayamaizoku1153" /><ref>{{Cite news |title=震災で2人死亡の九段会館、閉館へ 遺族会が国に返還 |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2011-05-07 |url=http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105070199.html |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011053825/http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105070199.html |archivedate=2015年10月11日 }}</ref>、更に同年6月30日付で従業員全員を解雇することも決めた<ref name="isao-okayamaizoku1154" />。一方で、歴史的建造物であることに加え、全国の戦没者遺族にとって心の拠り所となっていることから、前記4月12日の緊急理事会・評議員会では建造物としての当施設の保存を国に対し要望していくことも決めている<ref name="isao-okayamaizoku1153" />。 |
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更に2012年(平成24年)2月28日には、約10年にわたり日本遺族会会長を務めてきた政治家で[[自由民主党 (日本)|自民党]]元幹事長の[[古賀誠]]が、前記天井崩落事故で死亡者を出した責任を取って、同会長を辞任している<ref>{{Cite news |title=自民党の古賀氏が遺族会長を退任 震災死亡事故で引責 |agency=共同通信 |work=47NEWS |publisher=全国新聞ネット |date=2012-02-28 |url=http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012022801001598.html |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://archive.is/Tw6Xj |archivedate=2015-10-07}}</ref>。 |
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=== 関係者に対する告訴 === |
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ホール吊り天井が崩落し、[[卒業式]]を挙行していた[[東京観光専門学校]]の非常勤講師2人が死亡したことを巡り、遺族が総支配人及び当施設を運営する日本遺族会・古賀誠会長の2人を崩落防止の義務を怠ったとして、東日本大震災から約2か月経過した2011年(平成23年)[[5月12日]]、[[業務上過失致死傷罪]]の容疑にて警視庁[[麹町警察署]]に[[告訴・告発|刑事告訴]]した<ref>{{Cite news |title=【東日本大震災】九段会館の天井崩落事故 遺族ら業務上過失致傷で告訴 |newspaper=[[産経新聞|MSN産経ニュース]] |date=2011-05-12 |url=http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110512/dst11051217010015-n1.htm |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514023036/http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110512/dst11051217010015-n1.htm |archivedate=2011年5月14日 }} ※現在はテキスト部分のみインターネット・アーカイブ内に残存</ref><ref name="47news_110512" />。 |
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刑事告訴を受けて、[[警視庁]]は捜査を進めてきたが事故発生当時、[[天井|吊り天井]]に関し明確な[[耐震基準]]が策定されておらず、その中で、日本遺族会は国が定めていた範囲の定期検査は実施していたとして死亡した2人について事故予見可能性は問えないと判断、そして2013年(平成25年)11月8日、警視庁は遺族らが求めていた前記2名の業務上過失致死傷罪での立件を見送ることを決め、[[起訴]]を求めない旨の意見書を付けて[[東京地方検察庁]]に書類送付した<ref>{{Cite news|title=大震災 九段会館死傷事故 管理者の立件見送り|newspaper=東京新聞|date=2013-11-08|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2013110802100014.html|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150814032441/http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tohokujisin/list/CK2013110802100014.html|archivedate=2015年8月14日}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG0801A_Y3A101C1CC0000/|title=元会長らの立件見送り 九段会館の天井崩落事故|newspaper=日本経済新聞|date=2013-11-08|accessdate=2024-02-26}}</ref>。 |
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刑事告訴した遺族は、同時に[[損害賠償]]の[[民事訴訟]]を提訴する考えも示している<ref>{{Cite news|title=震災での九段会館天井崩落、遺族が刑事告訴|newspaper=[[読売新聞]]|date=2011-05-12|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110512-OYT1T00983.htm|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110514001140/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110512-OYT1T00983.htm|archivedate=2011年5月14日}} ※ 現在はインターネット・アーカイブ内に残存</ref>。 |
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日本政府は吊り天井脱落防止の規制強化の必要性を認識し、建築基準法施行令改定を定めた「国土交通省平成25年告示第771号」が2013年8月5日に公布、翌年の4月1日に施行された<ref>[https://www.mlit.go.jp/common/001009484.pdf 国土交通省告示第七百七十一号]</ref>。脱落により重大な危害を生ずる恐れがある吊り天井を特定天井と定義し、新築建築物では新基準への適合、既存の特定天井にも落下防止対策や定期点検を行うことを義務付けた<ref>[https://www.mlit.go.jp/common/001009501.pdf 建築物における天井脱落対策の全体像]</ref>。 |
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=== 建て替えに向けて === |
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[[2013年]](平成25年)秋、閉鎖され建物がそのまま放置されている現状について、早急な解決を望む古賀の意を受けて、自民党[[衆議院]][[国会議員|議員]]で[[高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律]]や[[観光立国推進基本法]]などの成立に関わる等の実績を有する[[盛山正仁]]が、厚生労働省や[[財務省]]などと協議を重ねながら、法改正も含めた建替対応策を練り上げていった<ref name="jimin-moriyama">{{Cite web|和書|date=2014-11-28 |url=http://blog.goo.ne.jp/moriyama-hashiru/e/3dc9356c0353d85a9876af33a4fe1ac4 |title=九段会館の建て替えのための議員立法 |work=盛山正仁ブログ |publisher=[[盛山正仁]]([[自由民主党 (日本)|自民党]][[衆議院]][[国会議員|議員]]) |accessdate=2015-10-11}}</ref>。そして、[[企業|民間企業]]に[[国有財産|国有地]]を貸し付けて建設させるという、いわば[[PFI]]的手法を利用して[[高層建築物]]に建て替えた上で、その竣工した[[建築物]]の一部を[[日本国政府]]が取得して、日本遺族会に改めて無償貸与するという[[スキーム]]を纏め上げた<ref name="jimin-moriyama" /><ref>{{Cite news|title=九段会館を民間が建替え/自民党、議員立法で法改正|newspaper=建設通信新聞|date=2014-05-16|url=http://www.kensetsunews.com/?p=31726|accessdate=2015-10-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140811230420/http://www.kensetsunews.com/?p=31726|archivedate=2014年8月11日}} ※現在はインターネット・アーカイブ内にのみ残存</ref>。 |
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加えて、このスキームの実行に際し必要となる「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」の改正案も作成、同改正案は2014年(平成26年)5月15日に開かれた[[自由民主党政務調査会|自民党厚生労働部会]]で了承を取るなどした上で、[[第186回国会|第186通常国会]]の会期末が押し迫る同年6月17日に[[議員立法]]の形で衆議院に提出された<ref name="jimin-moriyama" /><ref>{{Cite news |title=自民が九段会館再建向け法案=震災で天井崩落 |agency=[[時事通信社|時事通信]]([[Yahoo!ニュース]]) |date=2014-05-15 |url=http://news.yahoo.co.jp/pickup/6116845 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://archive.is/20150925231207/http://news.yahoo.co.jp/pickup/6116845 |archivedate=2015年9月25日 }}</ref>。 |
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当該改正法案は衆議院[[本会議]]で[[議決|可決]]したものの、[[参議院]]に送られた段階で会期末を迎え[[継続審議]]扱いとされた。その後、[[第2次安倍内閣]]が[[第2次安倍内閣 (改造)|改造されて]]から最初に開会した[[第187回国会|第187臨時国会]]の、やはり会期末が押し迫る2014年(平成26年)11月18日に、継続審議扱いとされていた[[参議院]]に於いて、先に審議が行われ翌11月19日に参議院[[本会議]]に於いて可決、その日のうちに[[衆議院]]に差し戻され、2日後の11月21日に開かれた衆議院本会議にて可決・成立<ref name="jimin-moriyama" />。11月28日に法律として[[公布]]され、即日施行された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/187/meisai/m18705186045.htm |title=財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律の一部を改正する法律案《第187回国会(臨時会)》 |publisher=参議院 |work=議案情報 |accessdate=2015-10-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011061830/http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/gian/187/meisai/m18705186045.htm |archivedate=2015-10-11}}</ref><ref name="japan-law_200" />。 |
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2015年(平成27年)8月31日、[[関東財務局]]は当施設に係る建物調査等業務の[[一般競争入札]]を[[公示]]した。当時は、半月余り後の9月18日に入札並びに開札を行うこととされていた<ref>{{Cite press release |和書 |title=入札公告(九段会館にかかる建物調査等業務) |publisher=[[関東財務局]]東京財務事務所 |date=2015-08-31}} ※2015年8月頃閲覧。文書自体は既にネット上から削除済</ref>。 |
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前記2011年(平成23年)4月12日に開かれた、日本遺族会の緊急理事会・評議員会に於いて、施設の運営廃止等と共に決定された、建造物としての保存を日本国政府に対し要望する[[請願]]<ref name="isao-okayamaizoku1153" />については、可決・成立した前記改正案に、[[附帯決議]]を採択・添付する形で反映されている<ref>{{Cite report |title=第187回国会概観 |url=http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/old_gaiyo/187/1871100.pdf |format=PDF |publisher=[[参議院]] |pages=50-51 |accessdate=2015-10-11 |quote=財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律の一部を改正する法律案(第186回国会衆第45号) |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151011061926/http://www.sangiin.go.jp/japanese/gianjoho/old_gaiyo/187/1871100.pdf |archivedate=2015-10-11}}</ref>。 |
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== 周辺施設等 == |
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* [[昭和館]] |
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* [[九段坂病院]] |
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* [[千代田区役所]] |
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* [[靖国神社]] |
* [[靖国神社]] |
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* [[ |
* [[北の丸公園]] |
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* [[日本武道館]] |
** [[日本武道館]] |
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** [[科学技術館]] |
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** [[東京国立近代美術館|国立近代美術館]] |
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* [[皇居]] |
* [[皇居]] |
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=== 交通アクセス === |
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* [[科学技術館]] |
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* [[東京メトロ東西線]]・[[東京メトロ半蔵門線]]・[[都営地下鉄新宿線]]「[[九段下駅]]」下車、4番出口より徒歩約1分 |
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* [[東京国立近代美術館]] |
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* JR[[中央・総武緩行線]]「[[飯田橋駅]]」下車、東口より徒歩約10分 |
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==脚注== |
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{{reflist}} |
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== |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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* [http://www.jacar.go.jp/index.html アジア歴史資料センター(公式)] |
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=== 注釈 === |
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**Ref.A06050752500『軍人会館移転及電話ノ夜間使用区分変更ノ通牒』 |
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{{Notelist2|2}} |
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**Ref.C01001425300『英国舞踊団の軍人会館使用不許可に関する件』 |
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=== 出典 === |
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**Ref.C05023401800『官房第2858号 9.6.23 財団法人軍人会館へ行幸の件』 |
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{{Reflist|3}} |
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**Ref.C05023433900『9.6.28 財団法人軍人会館臨幸御次第書の件』 |
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== 外部リンク == |
|||
* 『建築雑誌』 [http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000215326_ja.html 第48集第587号]、建築學會、昭和9年(1934年)7月5日。 |
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{{Commonscat}} |
|||
** [http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id=ART0004791921&type=pdf&host=cinii&lang=jp 軍人会館] |
|||
* [https://www.tokyokudan.com/ 九段会館テラス] |
|||
* 九段会館Webサイト(現在は[[インターネットアーカイブ]]内に残存するのみ) |
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** {{Wayback |url=http://www.kudankaikan.or.jp/ |date=20010127061000}} - 残存分の中では最古のもの |
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** {{Wayback |url=http://www.kudankaikan.or.jp/ |date=20110220160657}} - メニュー表示される等の通常様態でアーカイブされた最後のもの |
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** {{Wayback |url=http://www.kudankaikan.or.jp/ |date=20110505052340}} - [[東日本大震災]]に見舞われてから最初にアーカイブされたもので、震災による休業告知が掲載されるのみとなっている |
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{{architecture-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:くたんかいかん}} |
{{DEFAULTSORT:くたんかいかん}} |
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[[Category:占領軍に接収された日本の建築物 |
[[Category:占領軍に接収された日本の建築物]] |
||
[[Category:帝冠様式]] |
[[Category:帝冠様式]] |
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[[Category:宿泊施設|廃くたんかいかん]] |
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2024年12月2日 (月) 08:59時点における最新版
九段会館 | |
---|---|
情報 | |
旧名称 | 軍人会館 |
設計者 | 川元良一 |
施工 | 清水組(現・清水建設)[1] |
建築主 | 財団法人軍人会館 |
事業主体 | 帝国在郷軍人会(建設時) |
管理運営 |
財団法人軍人会館(戦前・戦中) 一般財団法人日本遺族会(戦後) |
構造形式 | 鉄骨鉄筋コンクリート構造 |
敷地面積 |
6,098.0496 m² ※原表記「1,844.66坪」[1] |
建築面積 |
3,113.2397 m² ※原表記「941.755坪」[1] |
延床面積 |
14,448.0099 m² ※原表記「4,370.523坪」[1] |
階数 | 地下1階、地上4階、塔屋付 |
高さ |
軒高64尺(19.39m)[1] 塔屋最高部まで90尺9寸7分(27.57m)[1] |
着工 | 1932年(昭和7年)2月 |
竣工 | 1934年(昭和9年)3月20日 |
所在地 |
〒102-0074 東京都千代田区九段南一丁目6番5号 |
座標 | 北緯35度41分39.99秒 東経139度45分4.44秒 / 北緯35.6944417度 東経139.7512333度 |
備考 |
最寄り駅 東京メトロ「東西線・半蔵門線」・都営新宿線 九段下駅(4番出口より徒歩約1分) |
九段会館(くだんかいかん)は、東京都千代田区九段南に所在した施設。旧称は軍人会館。ホール(講堂)[注 1]やレストラン、宿泊施設などを備え、結婚式やイベント各種などに使用されていたが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災による天井崩落事故の影響で同年4月に廃業した。
2022年(令和4年)10月1日に九段会館のファサードの一部を残した上で[2]、地上17階建て(高さ約75m)の複合ビル「九段会館テラス」に建て替え[3]、再開業した[4]。
概要
[編集]1928年(昭和3年)11月10日に挙行された昭和天皇の即位の礼[5]を記念する「昭和御大礼記念事業」の一環として[注 2][7]、「軍人会館」の名称にて当施設の建造が計画されたのが始まり。在郷軍人会が計画を主導し、同会主催のコンペで選定された設計案[8]を基にした実施設計を経て1932年(昭和7年)に起工、2年余りの歳月を費やして完成させた。完成後は計画の主導役を務めた在郷軍人会が自らの本部を当施設内に設置した[注 3]ほか、戦前・戦中期を通じては主に軍の予備役・後備役の訓練、宿泊に供された。
終戦後「財団法人軍人会館」の解散により国有資産とされたが[9][13]、連合国軍進駐に伴いGHQに接収され、「アーミーホール」の名称の下、進駐軍宿舎として使用された[14]。
進駐軍撤退に伴い接収解除となった後、国は当施設の払い下げを公示、最終的に日本遺族会に対し無償払い下げを行うことになったものの、不動産取得税の納付にも事欠くほどだったという同会の財務状況を鑑みた国は「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」(昭和28年法律第200号)(現在の「一般財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律(昭和28年法律第200号)」)を別途公布かつ施行[15]、これに基づき同会に対し当施設を無償貸与するに至った[13]。名称も「九段会館」に改められ1957年(昭和32年)に再開業、無償貸与を受けた日本遺族会が宿泊・結婚式場・貸しホール等の各事業を運営してきた。しかし、東日本大震災発災時にホールの天井崩落事故で死傷者が出たことから、土地・建物共々日本国政府に返還、廃業に追い込まれた。
屋上には靖国神社の分神が祀られている[16]ほか、陸軍大将・乃木希典の歌碑も建てられている[17]。このうち靖国神社の分神に関しては、戦時中に靖国神社が戦災に見舞われた場合に備えたものであったとされている。
沿革
[編集]- 1928年(昭和3年) - 昭和御大礼記念事業の一環として建設計画が持ち上がる。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)2月 - 着工[1]。
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)2月27日 - 二・二六事件 の勃発をうけ、軍人会館に戒厳司令部が設置される。
- 1937年(昭和12年)4月3日‐愛新覚羅溥傑、嵯峨浩の結婚披露宴が取り行われる。
- 1945年(昭和20年)9月 - 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により接収。以降「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎として使用[14]。
- 1953年(昭和28年)接収解除。8月12日、「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」公布・施行[15]。日本遺族会への無償貸与を開始すると共に、施設名称を「九段会館」に変更[13][19]。
- 1957年(昭和32年)
- 2011年(平成23年)
- 2016年(平成28年)6月2日 - 関東財務局の有識者委員会が、歴史的価値を生かしながら高度利用を図る方針を決定[24]。
- 2017年(平成29年)9月20日 - 土地・建物を東急不動産が落札。九段会館の一部を残し、地上17階建てのオフィスビルに建て替える(施工は鹿島建設。2022年に完工予定)[2]。
- 2019年(令和元年)9月11日 - 登録有形文化財(建造物)に登録。
- 2022年(令和4年)
- 9月8日 - 建て替えが完了し、報道陣に内部を公開。
- 10月1日 - 「九段会館テラス」として再開業[25]。オフィスには建て替え前に旧会館を管理していた日本遺族会の事務局も入居。
建物概要
[編集]建築概要
[編集]- 設計原案…小野武雄
在郷軍人会が主催した当施設に係る懸賞設計競技で「1等賞」を受賞[8]
小野が「一等賞」を受賞した前記懸賞設計競技に於ける審査員のひとり[8]
施設概要
[編集]- ホテル
- 客室(162室・定員340名)
- 結婚式場
- 神殿、チャペル
- 食堂
- くだん亭(寿司・その他和食・中華料理)
- 味の店 千成
- 九段迎賓館(創作フレンチ・イタリアン)
- コーヒーラウンジ
- 屋上ガーデン
- ホール(講堂)
- 客席数 1112[28](1階614席・2階168席・3階330席)。座席の列番号表記は「いろは順」。
- 2001年度(平成13年度)・2003年度(平成15年度)中に改修工事実施[注 8]
- その他
- 美容室(主に婚礼美容)[30]
使用実例
[編集]戦前・戦中「軍人会館」
[編集]- 1934年(昭和9年)7月22日 - 新宗教「大本」の二大教祖の一人とされる出口王仁三郎が自らを“統管”とする「昭和神聖会」の発会式を当施設に於いて挙行、内務大臣の後藤文夫や衆議院議長の秋田清など各界の名士3000人以上を集めた[31]。
- 1936年(昭和11年)2月27日 - 前日(2月26日)発生した「二・二六事件」に対する戒厳令発令に伴い、戒厳司令部が当施設内に設置された[32]。
- 1937年(昭和12年)4月3日 - 満州国皇帝・愛新覚羅溥儀の弟・溥傑と、侯爵・嵯峨実勝の長女・浩の結婚式を当施設にて挙行[注 9]。
- 1938年(昭和13年)9月19日 - 大日本回教協会発足を当施設にて発表。各界の名士200余名が発起人に名を連ねる[注 10]。
- 1940年(昭和15年)11月23日 - 大日本産業報国会中央本部創立総会が開催[36]。
- 1942年(昭和17年)2月2日 - 愛国婦人会・大日本連合婦人会・大日本国防婦人会の3団体を統合した大日本婦人会の結成式を当施設にて挙行[37]
戦後「九段会館」
[編集]日本遺族会運営の下、貸しホール、宿泊、結婚式場などの各事業が展開されてきている。
桜開花シーズンには、皇居の桜を眺望出来ることから[38]、花見を兼ねて食事が出来るプランを設定、[39]、5月から9月は屋上ガーデンスペースを利用してビアガーデンを開設[40][41]。
コンサート会場として
[編集]ロックやフォーク系統でホールをコンサート会場として使用するケースは少なくなく[42]、デビューコンサートを開くものも存在する。
国内では、奥華子〔2006年(平成18年)9月22日〕[43]やBIGMAMA〔2010年(平成22年)12月25日〕[44]は、自身デビュー以来となる初ホール公演の会場として選択している。
海外からは、フライング・ブリトウ・ブラザース(1978年4月)[45] XTC (1979年) や ケヴィン・エアーズ(1988年)[46]が 初来日公演の会場として使用してきている。
フォークシンガーの細坪基佳(元「ふきのとう」ボーカル)は「ステージから3階のお客さんの顔が見える。とても身近で、安心感のようなものをもたらしてくれる」と印象を語るとともに、音響については「音が自然にはね返ってくる。ナチュラルな音の返りがあるので、『リバーブ』を足したりすることをせずしても歌いやすい」と評価している[注 11]。
映画上映会場として
[編集]一般向け試写会である「プレミア試写会」[47]の会場として当施設が使われた例として、2007年(平成19年)1月公開の『ユメ十夜』[48][49]、同年6月公開の『キサラギ』[50][51]、2009年(平成21年)3月日本公開の『パッセンジャーズ』〔2008年(平成20年)米国にて製作〕[52][53]、2010年(平成22年)6月公開の『チョルラの詩(うた)』(日韓合作)[54][55]などが存在する。
2007年9月29日に公開された『クローズド・ノート』に於いてはヒロインの堀井香恵(沢尻エリカ)が所属するマンドリンクラブのコンサートロケ地として、同年11月3日に公開された『ALWAYS 続・三丁目の夕日』に於いてはヒロインの星野六子(堀北真希)が観に行った映画館のロケ地として、何れも当施設が使用されている。
その他
[編集]- 小林多喜二や宮本百合子の没後周年記念集会が何回か開かれた。
- 韓国の俳優パク・シフが2009年(平成21年)7月5日に初来日した際、初めての日本ファンミーティングを当施設にて開いている[56]。
- 1960年代から1970年代にかけて、日本社会党の党大会が毎年3日間程度開かれていた。
ギャラリー
[編集]-
入口より北面を見る(2010年3月撮影)
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敷地内より北面を見る(2010年3月撮影)
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公道より東面を見る(2010年3月撮影)
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公道より東面を見る(2010年3月撮影)
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ホールの車寄せ(2010年3月撮影)
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ホールのエントランス(2010年3月撮影)
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エントランス(2010年3月撮影)
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エントランスホール(2010年3月撮影)
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ホールの背面より見る(2010年3月撮影)
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ホールの舞台(2010年3月撮影)
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ホールの背面を見る(2010年3月撮影)
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歩道よりエントランスを見る(2010年3月撮影)
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九段会館エントランス(2010年3月撮影)
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日本遺族会エントランス(2010年3月撮影)
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エントランスホール(2010年3月撮影)
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牛ヶ淵越しに九段会館を望む(2006年3月)
東日本大震災後の動き
[編集]震災による天井崩落事故
[編集]東日本大震災に見舞われた2011年(平成23年)3月11日、当施設内ホールでは東京観光専門学校の卒業式を挙行していた。震度5強の地震によりホール前面のラスモルタル吊り天井が広範囲にわたり客席に崩落し、同卒業式の出席者593人のうち、客席に座っていた同校非常勤講師の女性2人が下敷きになり死亡、その他多数が重軽傷を負い、トリアージが行われた[57][58][59]。崩落した吊り天井の重量は53キロニュートン (5,400 kgf)であったが、1934年(昭和9年)の竣工当時から吊り天井の改修や補修は行われておらず、フック状の金物を天井裏の骨組みに引っ掛ける簡易な構造であったことから、地震によりフックの一部が外れバランスを崩し、吊り天井がブランコのようにぶら下がり、客席に崩落したと推測されている[57]。
閉館
[編集]当施設を運営する日本遺族会は2011年4月12日に緊急の理事会と評議員会を開いて事後の対応について協議した結果、同日付にて施設の運営を廃止し、土地も含めて国に返還することを決定〔厚生労働省に通知済〕[21][60]、更に同年6月30日付で従業員全員を解雇することも決めた[23]。一方で、歴史的建造物であることに加え、全国の戦没者遺族にとって心の拠り所となっていることから、前記4月12日の緊急理事会・評議員会では建造物としての当施設の保存を国に対し要望していくことも決めている[21]。
更に2012年(平成24年)2月28日には、約10年にわたり日本遺族会会長を務めてきた政治家で自民党元幹事長の古賀誠が、前記天井崩落事故で死亡者を出した責任を取って、同会長を辞任している[61]。
関係者に対する告訴
[編集]ホール吊り天井が崩落し、卒業式を挙行していた東京観光専門学校の非常勤講師2人が死亡したことを巡り、遺族が総支配人及び当施設を運営する日本遺族会・古賀誠会長の2人を崩落防止の義務を怠ったとして、東日本大震災から約2か月経過した2011年(平成23年)5月12日、業務上過失致死傷罪の容疑にて警視庁麹町警察署に刑事告訴した[62][59]。
刑事告訴を受けて、警視庁は捜査を進めてきたが事故発生当時、吊り天井に関し明確な耐震基準が策定されておらず、その中で、日本遺族会は国が定めていた範囲の定期検査は実施していたとして死亡した2人について事故予見可能性は問えないと判断、そして2013年(平成25年)11月8日、警視庁は遺族らが求めていた前記2名の業務上過失致死傷罪での立件を見送ることを決め、起訴を求めない旨の意見書を付けて東京地方検察庁に書類送付した[63][64]。
刑事告訴した遺族は、同時に損害賠償の民事訴訟を提訴する考えも示している[65]。
日本政府は吊り天井脱落防止の規制強化の必要性を認識し、建築基準法施行令改定を定めた「国土交通省平成25年告示第771号」が2013年8月5日に公布、翌年の4月1日に施行された[66]。脱落により重大な危害を生ずる恐れがある吊り天井を特定天井と定義し、新築建築物では新基準への適合、既存の特定天井にも落下防止対策や定期点検を行うことを義務付けた[67]。
建て替えに向けて
[編集]2013年(平成25年)秋、閉鎖され建物がそのまま放置されている現状について、早急な解決を望む古賀の意を受けて、自民党衆議院議員で高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律や観光立国推進基本法などの成立に関わる等の実績を有する盛山正仁が、厚生労働省や財務省などと協議を重ねながら、法改正も含めた建替対応策を練り上げていった[68]。そして、民間企業に国有地を貸し付けて建設させるという、いわばPFI的手法を利用して高層建築物に建て替えた上で、その竣工した建築物の一部を日本国政府が取得して、日本遺族会に改めて無償貸与するというスキームを纏め上げた[68][69]。
加えて、このスキームの実行に際し必要となる「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」の改正案も作成、同改正案は2014年(平成26年)5月15日に開かれた自民党厚生労働部会で了承を取るなどした上で、第186通常国会の会期末が押し迫る同年6月17日に議員立法の形で衆議院に提出された[68][70]。
当該改正法案は衆議院本会議で可決したものの、参議院に送られた段階で会期末を迎え継続審議扱いとされた。その後、第2次安倍内閣が改造されてから最初に開会した第187臨時国会の、やはり会期末が押し迫る2014年(平成26年)11月18日に、継続審議扱いとされていた参議院に於いて、先に審議が行われ翌11月19日に参議院本会議に於いて可決、その日のうちに衆議院に差し戻され、2日後の11月21日に開かれた衆議院本会議にて可決・成立[68]。11月28日に法律として公布され、即日施行された[71][15]。
2015年(平成27年)8月31日、関東財務局は当施設に係る建物調査等業務の一般競争入札を公示した。当時は、半月余り後の9月18日に入札並びに開札を行うこととされていた[72]。
前記2011年(平成23年)4月12日に開かれた、日本遺族会の緊急理事会・評議員会に於いて、施設の運営廃止等と共に決定された、建造物としての保存を日本国政府に対し要望する請願[21]については、可決・成立した前記改正案に、附帯決議を採択・添付する形で反映されている[73]。
周辺施設等
[編集]交通アクセス
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1934年(昭和9年)3月の竣工当時には「講堂」と称していた[1]。
- ^ 建設途上の旧・軍人会館をとらえた大判写真を載せた時事写真速報〔昭和8年(1933年)7月1日付;題目「九段の偉観 上棟式が迫る軍人会館」〕の解説文の冒頭のところに「昭和御大礼記念事業として…」と記述されているのが見える[6]
- ^ 旧「軍人会館」が出版していた在郷軍人会関連書籍の奥付において、戦前に当施設を管理・運営していた「財団法人軍人会館」[9][10]の本拠地と、軍人会館建設を主導した在郷軍人会の本部の両住所表記が同一となっている[11][12]ことからも、在郷軍人会が本部を軍人会館内に設置していたことを窺い知ることが出来る
- ^ 公式には“「昭和5年(1930年)12月15日正午」応募受付締切→「昭和6年(1931年)1月中旬」入選発表”とされているが、実際には受付締切の8日後にあたる1930年12月23日に審査を終え、更に3日後の同年12月26日に審査結果が公表された。また入賞者に対しては審査を終えた時点で内示が為されていたという[8]。
- ^ 「九段会館」として再開業させるにあたっては、戦没者遺族に対し1世帯あたり100円の拠出を要請、更に8900万円の借り入れを別途実行、これらによって再開業に向けての改修費用を賄った[13]。
- ^ 当初予定されていた建設費は、付帯諸設備関連費用および事務諸経費を除いて「約145万円」だった[27]。
- ^ 「軍人会館」として建設された当施設の建設費250万円のうちの軍人拠出分(計100万円)について、軍人1人につき1円の拠出があった[13]とされているが、終戦後の昭和28年7月に開かれた衆議院厚生委員会に於いて、政府委員の一人として出席していた厚生省(現・厚生労働省)社会局長・安田巖は「在郷軍人300万人、現役軍人を含めて各自30銭以上を拠出」と発言[7]。また、当施設の建設費そのものについても安田は、先述の軍人拠出分に加え「満鉄からの寄付金100万円、その他一般の寄付金とを合せて260万円だったと思う」と発言している[7]。
- ^ 2001年度(平成13年度)中にスクリーン改修工事を、更に2003年度(平成15年度)中にはケーブル交換および床面改修工事を、それぞれ実施している[29]
- ^ この結婚は、当時満州国に駐屯していた関東軍の仲介により実現した政略結婚であった[33]。その背景として、日満一体化を強めたいという関東軍の思惑があった[34]。当初関東軍は、清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀の弟で、日本の陸軍士官学校に留学して優秀な成績で卒業(恩賜の軍刀授受)し、その後千葉の陸軍歩兵学校で学んでいた溥傑と日本の皇族王女を結婚させる腹積もりであったが、皇室典範の壁に阻まれ、やむなく公卿華族や大名華族の娘たちの中から極秘に花嫁捜しをすることとなった。一方で嵯峨家でも浩の見合い写真を配り回ることで花婿捜しに奔走。そうした中、その見合い写真の1枚が溥傑の目にも止まったところから浩が花嫁候補の筆頭とされ、嵯峨家そして浩本人の意志とは無関係に縁談が進んだ。最終的に縁談はまとまり、1937年(昭和12年)2月6日に在日本満州国大使館が婚約を発表、そして日本の陸軍省が結婚式の日取りを決めた[34]。なお、結婚式当日には、現在の東京都杉並区内に存在した嵯峨侯爵邸から式場である当施設に向かう自動車の長い列が出来、当時の地元住民を驚かせたという[34]。
- ^ 1938年(昭和13年)5月に設立準備会をつくり、約4か月の準備期間を経て「大日本回教協会」の発足に至った。その初代会長には、この当時陸軍大将かつ前首相でありイスラム通としても知られていた林銑十郎が選ばれている[35]。
- ^ 細坪基佳は、自身がボーカルを務めていたフォークデュオ「ふきのとう」の結成から間もない1977年(昭和52年)頃に初めて当施設内ホールに於いて公演を行い、以後、1992年(平成4年)の「ふきのとう」解散を経て今日に至るまで、「ふきのとう」としての公演と自身のソロ公演とを合わせて十数回、当施設内ホールのステージに立ってきている[28]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 「巻末附図「軍人会館(4)」」(PDF)『建築雑誌』第587号、建築学会、1934年7月5日、818頁、2015年10月11日閲覧。「建築様式「日本趣味を基調とせる近代式」」[リンク切れ]
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財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律の一部を改正する法律案(第186回国会衆第45号)