「美しく青きドナウ」の版間の差分
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Pierre Parisot (会話 | 投稿記録) m →逸話 |
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{{Otheruseslist|ヨハン・シュトラウス2世のワルツ楽曲|アメリカのアニメ作品|美しく青きドナウ (アニメーション)|[[宝塚歌劇団]]の作品|美しく青きドナウ (宝塚歌劇)|[[テレビ朝日]]のバラエティ番組|美しき青木・ド・ナウ}} |
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{{Infobox |
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|above = 『美しく青きドナウ』 |
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|subheader = {{lang-de|''An der schönen, blauen Donau''}} |
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|image = [[File:Donauwalzer Spina 01.jpg|300px]] |
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|caption = ピアノ初版譜の表紙(C.A.シュピーナ社出版) |
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|image2 = {{sound|Strauss, An der schönen blauen Donau.ogg|美しく青きドナウ(抜粋)}} |
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|image3 = {{sound|Polyphon - Donau-Walzer (Johann Strauss).ogg|美しく青きドナウ(オルゴール版)}} |
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|label1 = ジャンル |
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|data1 = [[ウィンナ・ワルツ]] |
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|label2 = 作曲者 |
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|data2 = [[ヨハン・シュトラウス2世]] |
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|label3 = 作品番号 |
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|data3 = op.314 |
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|label4 = 初演 |
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|data4 = [[1867年]]2月15日(合唱版)<br />1867年3月10日(管弦楽版) |
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}} |
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{{External media |
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| width = 310px |
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| topic = 全曲を試聴する |
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| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=fHzhDKwYP2s An der schönen blauen Donau] - [[ズービン・メータ]]指揮、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]による演奏。「EuroArtsChannel」公式YouTube。 |
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}} |
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{{External media |
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| width = 310px |
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| topic = 曲の一部を視聴する |
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| audio1 = [https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/1328527 碧きドナウ] - [[日本ビクター管弦楽団]]による演奏。[[日本ビクター]]発売 |
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|audio2=[https://rekion.dl.ndl.go.jp/pid/3568084 碧きドナウ] - [[山田耕筰]]指揮、[[NHK交響楽団|日本交響楽協会]]による演奏。[[日本コロムビア]]発売}} |
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{{Portal クラシック音楽}} |
{{Portal クラシック音楽}} |
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『'''美しく青きドナウ'''』(うつくしくあおきドナウ、{{lang-de|''An der schönen, blauen Donau''}})[[作品番号|作品314]]は、[[ヨハン・シュトラウス2世]]が[[1867年]]に作曲した[[合唱]]用の[[ウィンナ・ワルツ]]。 |
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[[File:Donauwalzer.jpg|210px|thumb|right|ピアノ譜の表紙絵。描かれているのは、[[ドナウ川]]のほとりに佇む男女三人。]] |
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{{sound|Strauss, An der schönen blauen Donau.ogg|{{PAGENAME}}(抜粋)}} |
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『'''美しく青きドナウ'''』(うつくしくあおきドナウ、{{lang-de-short|''An der schönen blauen Donau''}})[[作品番号|作品314]]は、[[ヨハン・シュトラウス2世]]が[[1867年]]に作曲した[[ワルツ]]。『美しき青きドナウ』『美しく碧きドナウ<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.325"> 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』([[音楽之友社]]、昭和34年) p.325</ref><ref name="團(1977) p.86"> [[#團(1977)|團(1977)]] p.86</ref>』などと日本語表記される場合もある。邦題は原題のうちの「An」を無視したものであり、正確に訳すと『'''美しく青きドナウのほとりに'''』となる<ref name="加藤(2003) p.146">[[#加藤(2003)|加藤(2003)]] p.146</ref>。また、[[オーストリア]]では正式な曲名ではなく『'''ドナウ・ワルツ'''』と呼ぶことが多い<ref name="河野(2009) p.76"> [[#河野(2009)|河野(2009)]] p.76</ref>。 |
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『[[ウィーンの森の物語]]』と『[[皇帝円舞曲]]』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ<ref>CD『クラシック名曲大全集』解説書 p.130「52 ウィーンの休日」</ref>、その中でも最も人気が高い{{#tag:ref|管弦楽法については後期作品ほどの巧緻さはなく、日本でも吉田秀和や宇野功芳らがその単純さを指摘する一文を書いているが、この曲はそもそもが合唱曲だったのである。また、録音を残さなかったフルトヴェングラーのほか、クレンペラー、シューリヒト、クナッパーツブッシュがこの曲を外したウインナワルツ集を録音しており、カラヤンも一度ウィーンフィルと同様の試みを行っている。|group=注釈}}。作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。[[オーストリア]]においては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の[[国歌]]」と呼ばれている<ref name="河野(2009) p.73"> 河野(2009) p.73</ref>。 |
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シュトラウスの「十大ワルツ」のひとつとされ、その中でも最高傑作との評価を受けている。オーストリアでは公式なものではないが「'''第二の国歌'''」とも呼ばれ、何事につけても演奏される<ref name="河野(2009) p.73"> [[#河野(2009)|河野(2009)]] p.73</ref>。大晦日から新年に代わるとき、オーストリアのテレビ各局は[[シュテファン大聖堂]]の鐘の音に続いてこの曲のメロディーを流し、また[[ニューイヤーコンサート|ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート]]では、3つのアンコール枠のうちの2番目として必ず演奏される<ref name="河野(2009) p.73"/>。 |
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== 邦題 == |
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『美し'''き'''青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字を用いることがある。当記事では『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』([[日本ヨハン・シュトラウス協会]]、[[2006年]])記載の『美しく青きドナウ』に従う。オーストリアでは単に『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer<ref>Wiener Institut für Strauss-Forschung ''[http://www.johann-strauss.at/wissen/donau.shtml Donauwalzer]''</ref>、Donau-Walzer<ref>[[:de:Peter W. Schulze|Peter W. Schulze]] ''[https://books.google.co.jp/books?id=GoeyCwAAQBAJ&pg=PA186 Strategien »kultureller Kannibalisierung«: Postkoloniale Repräsentationen vom brasilianischen Modernismo zum Cinema Novo]'' (2015) p.186</ref>{{#tag:ref|[[Duden]]の定める正書法によれば、地名を含む合成語では[[ハイフン]]を入れないのが通則だが、場合によってはハイフンで繋いでもよい<ref>[http://www.duden.de/sprachwissen/rechtschreibregeln/namen#K143 Duden | Sprachwissen | Rechtschreibregeln | Namen | Regel 143]</ref><ref>[http://www.duden.de/sites/default/files/downloads/amtliche_Regelungen.pdf Die amtliche Regelung der deutschen Rechtschreibung - Duden]</ref>。|group=注釈}})と呼ばれることも多い<ref name="河野(2009) p.76"> 河野(2009) p.76</ref>。 |
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[[File:Donauwalzer Spina 01.jpg|210px|thumb|right|ピアノ譜の表紙絵。]] |
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[[File:50 Schilling 1967 100 Jahre Donauwalzer.jpg|150px|thumb|right|作曲後100年を祝って発行された記念銀貨。]] |
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1866年の[[普墺戦争]]で大敗し、失望の底に沈んだウィーン市民を慰めるために作曲される。シュトラウスに作曲を持ちかけたのは『ウィーン男声合唱協会』の指揮者[[ヨハン・ヘルベック|ヨハン・フランツ・フォン・ヘルベック]]だった<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.325"/>。当初シュトラウスは声楽曲を書いたことがなかったために断ったが、しかし執拗なヘルベックの求めに折れて作曲を引き受けることになった<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"> 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』([[音楽之友社]]、昭和34年) p.327</ref>。シュトラウスはかつて読んだことのある{{仮リンク|カール・イシドール・ベック|de|Karl Isidor Beck}}の詩の一節を思い浮かべ、[[ドナウ川]]についての作品とすることに決定した<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"/>。まず題名を『美しく青きドナウ』に決定したシュトラウスは、このことを詩人{{仮リンク|フランツ・フォン・ゲルネルト|de|Franz von Gernerth}}に話し、改めてドナウ川を讃える詩を書いてもらい、それに乗せる形で作曲することにした<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"/>。 |
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ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語の[[by]]に相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに<ref>[[堀内敬三]]、[[野村良雄]]『音楽辞典 人名篇』(昭和30年2月15日、[[音楽之友社]])p.242</ref><ref name="加藤(2003) p.146"> 加藤(2003) p.146</ref>』といった題になる。原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。 |
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このような経緯で[[男声合唱]]曲として書かれ、1867年2月15日にディアナ・ザールで初演されたが、「くよくよするなよ!」「悲しいのかい?」などといった歌詞が図星を指したためか、反響は好ましいものではなかった<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"/>。しかし[[パリ万国博覧会 (1867年)|1867年のパリ万博]]の会場における演奏では一転して高い評価を受け、合唱なしの[[管弦楽]]用としても各地で演奏されるようになった<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"/>。シュトラウス自身はこの曲をさほど評価していなかった節があるが、やがて「オーストリア第二の国歌」「シュトラウスの最高傑作」としての名誉を博するようになった。当時の音楽評論家[[エドゥアルト・ハンスリック]]は、この曲を「愛国的な国民の歌」と称えた<ref name="河野(2009) p.76"/>。 |
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== 作曲の経緯 == |
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シュトラウスと親交の深かった[[ヨハネス・ブラームス]]は、後年シュトラウスの妻アデーレから彼女の扇子へサインを頼まれた際、この曲の一節を五線譜で書き「残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作品にあらず」と脇に書き添えた<ref name="團(1977) p.86"/><ref>渡辺(1989年4月) p.19</ref>。 |
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[[1865年]]初頭、シュトラウス2世は、{{仮リンク|ウィーン男声合唱協会|de|Wiener Schubertbund}}から協会のために特別に[[合唱曲]]を作ってくれと依頼された。この時シュトラウス2世は断ったが、次のように約束した。 |
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{{cquote|今はできないことの埋め合わせを、まだ生きていればの話ですが、来年にはしたいと、ここでお約束します。尊敬すべき協会のためなら、特製の新曲を提供することなど、おやすい御用です<ref name="ケンプ(1987) p.104"> ケンプ(1987) p.104</ref>。}} |
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約束の[[1866年]]、新曲の提供はされなかったが、シュトラウス2世は合唱用のワルツのための主題のいくつかをスケッチし始めた<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。[[1867年]]、シュトラウス2世にとって初めての合唱用のワルツが、未完成ではあったが協会にようやく提供された。シュトラウス2世はまず[[無伴奏]]の四部合唱を渡しておいたが、その後、急いで書いたピアノ伴奏部を次のお詫びの言葉とともにさらに送った<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。 |
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なお、本作品の23年後の1890年に同じくシュトラウスが作曲したワルツ『{{仮リンク|市庁舎舞踏会|it|Rathausball-Tänze}}』の冒頭部分などにおいて、本作品で登場するメロディがいくつか引用されている。 |
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{{cquote|汚い走り書きで恐れ入ります。二、三分で書き終えないといけなかったものですから。ヨハン・シュトラウス<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。}} |
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シュトラウス2世からピアノ伴奏部が協会に送付されてきたとき、この曲には四つの小ワルツがワンセットになっていて、それに序奏と短い[[コーダ (音楽)|コーダ]]が付いていた<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。この四つの小ワルツとコーダに歌詞を付けたのは、アマチュアの詩人である{{仮リンク|ヨーゼフ・ヴァイル|de|Josef Weyl}}という協会関係者であった<ref name="小宮(2000) p.124"> 小宮(2000) p.124</ref>。歌詞を付ける作業は一筋縄ではいかなかった。ヴァイルが四つの小ワルツにすでに歌詞を乗せた後で、シュトラウス2世がさらに五番目の小ワルツを作ったからである。シュトラウス2世はヴァイルに四番目の歌詞の付け替えと、五番目の小ワルツの歌詞、コーダの歌詞の改訂を要求した<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。 |
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本作品の作曲から100年後の[[1967年]]、オーストリアでは記念銀貨が発行された。額面は50[[オーストリア・シリング]]。 |
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[[File:Gefecht zwischen k.k. Husaren und preußischen Kürassieren in der Schlacht von Königgrätz (A. Bensa 1866).jpg|210px|thumb|right|[[普墺戦争]]の勝敗を決した[[ケーニヒグレーツの戦い]]。ここでオーストリア・[[ザクセン王国|ザクセン]]連合軍はプロイセン軍に致命的な大敗北を喫した([[1866年]]7月3日)]] |
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== 作品について == |
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普段のヴァイルは警察官として働く人物であり、彼の詩は猥雑で愉快なものとして知られていた<ref name="小宮(2000) p.124"/>。前年の1866年に[[普墺戦争]]があり、わずか7週間で[[プロイセン王国]]との戦いに敗れたことによって、当時[[オーストリア帝国]]の人々はみな意気消沈していた。ヴァイルはこうした世相において、プロイセンに敗北したことはもう忘れようと明るく呼びかける内容の愉快な歌詞を付けた<ref name="小宮(2000) p.125"> 小宮(2000) p.125</ref><ref name="加藤(2003) p.147"> 加藤(2003) p.147</ref>。 |
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=== 編成 === |
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{| class="wikitable" |
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[[フルート]]2(2は[[ピッコロ]]持ち替え)、[[オーボエ]]2、[[クラリネット]]2、[[ファゴット]]2、[[ホルン]]4、[[トランペット]]2、[[バストロンボーン]]、[[チューバ]]、[[ティンパニ]]、[[バスドラム]]、[[トライアングル]]、[[スネアドラム]]、[[ハープ]]、[[弦楽合奏|弦五部]] |
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(ドイツ語歌詞)<br />''[[バス (声域)|B]]: Wiener, seid froh …<br />[[テノール|T]]: Oho, wieso?<br />B: No-so bli-ickt nur um -<br />T: I bitt, warum?<br />B: Ein Schimmer des Lichts …<br />T: Wir seh'n noch nichts!<br />B: Ei, Fasching ist da!<br />T: Ach so, na ja!<br />B: Drum trotzet der Zeit …<br />T: ''(kläglich):'' O Gott, die Zeit …<br />B: Der Trübseligkeit.<br />T: Ah! Das wär' g'scheit!<br /> Was nutzt das Bedauern,<br /> das Trauern,<br /> Drum froh und lustig seid!'' |
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(日本語訳<ref name="小宮(2000) p.125"/><ref name="加藤(2003) p.147"/><ref name="河野(2009) p.74"> 河野(2009) p.74</ref>)<br />ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ!<br />おう、どうして?<br />見回してみろよ!<br />だから、どうして?<br />ほら、ほのかな光だ<br />そんなもの、見えないぜ!<br />ほら、[[謝肉祭]]さ!<br />ああ、そうだった!<br />ご時世なんて気にするな…<br />こんな、時世なんざ!<br />悲しんだって、どうしようもないさ<br />そうだな、その通りよ!<br />苦しんだって、悩んだって、<br />何の役にも立ちゃしない<br />だから、楽しく愉快にいこうぜ! |
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|} |
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== 曲名決定 == |
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[[File:Karl Isidor Beck.jpg|210px|thumb|right|{{仮リンク|カール・イシドール・ベック|de|Karl Isidor Beck}}]] |
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曲は[[弦楽器]]の[[トレモロ]]に乗って[[ホルン]]が静かに主題旋律を奏し、[[ドナウ川]]の源流([[ドナウエッシンゲン]]にある「ドナウの泉」)と[[シュヴァルツヴァルト|黒い森]]の情景が描かれる。次第にワルツに発展し、[[ニ長調]]の有名な主部となる。その後、明るい5つのワルツが連結された後、主部が再現され、華やかなコーダとなり、終わる。演奏時間はおよそ9分<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、昭和三十四年) p.327"/>。 |
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[[File:Ottensheim, Upper Austria, Austro-Hungary-LCCN2002708443.jpg|210px|thumb|right|[[オーストリア=ハンガリー帝国]]時代の[[ドナウ川]]([[1890年]]から[[1905年]]の間に撮影)]] |
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協会の記録や議事録、パート譜のセットや1867年2月15日以前の新聞には、『美しく青きドナウ』という曲名は一切出ておらず<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>、初演の直前になって曲名が決められたようである<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。最終的に[[ハンガリー]]の詩人{{仮リンク|カール・イシドール・ベック|de|Karl Isidor Beck}}の作品『''An der Donau''』の一節を曲名として拝借することになったが、誰がこの曲名に決めたのかは明らかでない<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>。 |
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『''An der Donau''』<br />''Und ich sah Dich reich an Schmerzen<br />Und ich sah Dich jung und hold<br />Wo die Treue wächst im Herzen<br />Wie im Schacht das edle Gold,<br />An der Donau,<br />'''An der schönen, blauen Donau'''''. |
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(日本語訳<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.327"> 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.327</ref><ref name="小宮(2000) p.127"/><ref name="加藤(2003) p.146"/><ref name="河野(2009) p.75"> 河野(2009) p.75</ref>)<br />憂いに満ちた君が見える。<br />若く美しい君が見える。<br />変わらぬ思いが心の中で大きくなっていく、<br />高貴なる黄金のごとく。<br />[[ドナウ川]]のほとりで、<br />'''美しく青きドナウのほとりで。''' |
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|} |
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[[ウィーン]]から眺めるドナウ川の色は、濁った茶色かせいぜい深緑色といったところであり、『美しく青きドナウ』という曲名のイメージには程遠い<ref name="小宮(2000) p.127"> 小宮(2000) p.127</ref>。ドナウ川が美しい青色に見えるのは[[プスタ|ハンガリー平原]]に入ってからといわれ<ref name="小宮(2000) p.127"/>、ベックがハンガリー人であることからも推測できるが、この詩はそもそもハンガリー(おそらく国土の南部<ref name="河野(2009) p.75"/>)を流れるドナウ川のほとりを舞台にした恋の詩だと考えられている<ref name="小宮(2000) p.127"/><ref name="加藤(2003) p.146"/>{{#tag:ref|ただし、ベックはハンガリーで生まれウィーンで没している<ref name="河野(2009) p.74"/>。|group=注釈}}。(もともとはウィーンから見ても綺麗な川だったが、皇帝[[フランツ・ヨーゼフ1世 (オーストリア皇帝)|フランツ・ヨーゼフ1世]]の治世下で治水工事が行われた結果、景観がすっかり変わってしまったとする説もある<ref name="倉田(2006) p.180"> 倉田(2006) p.180</ref>) |
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== 編曲 == |
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=== 合唱版 === |
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「美しく青きドナウ」は最初は全く別の歌詞を伴う男声合唱曲として書かれたが、後に歌詞を改めて現在のヴァージョンになった。[[ウィーン少年合唱団]]による歌唱で有名である。 |
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シュトラウス2世の父[[ヨハン・シュトラウス1世]]のワルツ『[[ドナウ川の歌]]』(作品127)の旋律が、このワルツに似て「ソ・ド・ミ・ソ・ソ」で始まることも、ドナウ川に関する曲名に決まった理由の一つだと指摘される<ref name="小宮(2000) p.126"> 小宮(2000) p.126</ref>。おそらく、『ドナウ川の歌』のおかげでまずドナウの題名とすることが決まり、そしてベックの詩の一節から『美しく青きドナウ』に決まったのであろう。いずれにせよ、歌詞が先行して付けられ、最後の土壇場で歌詞とはまったく無関係な曲名が付けられたということは疑いようがない。なぜならば、初演の直前まで『美しく青きドナウ』という曲名が出てこないのに加えて、ヴァイルの歌詞には「ドナウ」という文字が一度たりとも出てこない<ref name="ケンプ(1987) p.105"/><ref name="小宮(2000) p.127"/><ref name="河野(2009) p.74"/>からである。 |
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なお、この合唱版と管弦楽版の一番の違いは、歌唱が終わると直ちに[[イ長調]]の短い[[コーダ (音楽)|コーダ]]で曲が終わってしまうことである。現在広く親しまれている管弦楽版は、合唱版のあとに長いコーダをつけて主題再現部を伴い、[[ニ長調]]で終止する。 |
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== 初演 == |
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[[File:Programm Faschings-Liedertafel-1867-Donauwalzer.jpg|210px|thumb|right|初演時のプログラム。「[[宮廷舞踏会音楽監督 (オーストリア)|宮廷舞踏会音楽監督]]ヨハン・シュトラウスによる合唱とオーケストラのためのワルツ。{{仮リンク|ウィーン男声合唱協会|de|Wiener Schubertbund}}に献呈(新曲)<ref name="ケンプ(1987) p.105"> ケンプ(1987) p.105</ref>」]] |
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|- valign=top |
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[[初演]]の直前、曲に[[オーケストラ]]伴奏を付けることが決まり、シュトラウス2世は急ピッチで作曲の筆を進めた<ref name="ケンプ(1987) p.104"/>。ドナウ川をイメージしたと伝えられる序奏部分も、初演の直前に急いで書き足されたものである<ref name="小宮(2000) p.127"/>。 |
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|lang=de| |
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そして1867年2月15日、ウィーンの「ディアナザール」で初演された。当日夜、シュトラウス2世とシュトラウス楽団は宮廷で演奏していたため、合唱指揮者{{仮リンク|ルドルフ・ワインヴルム|de|Rudolf Weinwurm}}の指揮のもと、当時ウィーンに暫定的に駐留していた[[ハノーファー王国|ハノーファー]]王歩兵連隊管弦楽団の演奏で初演された<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>{{#tag:ref|普墺戦争でオーストリア側についたことによってハノーファーは1866年9月にプロイセンに併合され、ハノーファー国王[[ゲオルク5世 (ハノーファー王)|ゲオルク5世]]とその家族や臣下はみなオーストリアに逃れていた。|group=注釈}}。この日の合唱には、当時11歳だった[[ヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世]]も参加している{{sfn|若宮|2013|p=170}}。 |
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Donau so blau,<br> |
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so schön und blau,<br> |
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durch Tal und Au<br> |
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wogst ruhig du hin,<br> |
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dich grüßt unser Wien,<br> |
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dein silbernes Band<br> |
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knüpft Land an Land,<br> |
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und fröhliche Herzen schlagen<br> |
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an deinem schönen Strand.<br> |
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初演は不評に終わったと言われることが多いが、実際のところ当時のウィーンの新聞の多くはこの初演の成功を報じている。 |
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Weit vom Schwarzwald her<br> |
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{{quotation|覚えやすいリズムを持ったかわいいワルツは、多作の舞曲作曲家の作品のなかでも一番人気の高いものにじきになるに違いない<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>。|『{{仮リンク|ディー・プレッセ|de|Die Presse}}』紙、1867年2月17日付}} |
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eilst du hin zum Meer,<br> |
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{{quotation|[[宮廷舞踏会音楽監督 (オーストリア)|宮廷舞踏会音楽監督]]シュトラウスは彼のワルツ『美しき青きドナウ(ママ)』で価値ある勝利を収めた<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>。|『{{仮リンク|ディー・デバッデ|label=ディー・デバッデ・ウント・ロイト|de|Die Debatte}}』紙、1867年2月17日付}} |
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spendest Segen<br> |
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{{quotation|ワルツはほんとにすばらしかった。(中略)この曲は大喝采を受け、嵐のようなアンコール要求のため、もう一度演奏しなければならなかった<ref name="ケンプ(1987) p.105"/>。|『{{仮リンク|フレムデンブラット|de|Fremden-Blatt}}』紙、1867年2月17日付}} |
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allerwegen,<br> |
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ostwärts geht dein Lauf,<br> |
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nimmst viel Brüder auf:<br> |
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Bild der Einigkeit<br> |
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für alle Zeit!<br> |
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Alte Burgen seh'n<br> |
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nieder von den Höh'n,<br> |
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grüssen gerne<br> |
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dich von ferne<br> |
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und der Berge Kranz,<br> |
|||
hell vom Morgen glanz,<br> |
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spiegelt sich in deiner Wellen Tanz.<br> |
|||
けっして不評というわけではなかったが、しかしアンコールがわずか1回だけだったことは作曲者にとって期待外れだった。{{仮リンク|イグナーツ・シュニッツァー|De|Ignaz Schnitzer}}{{#tag:ref|のちにオペレッタ『[[ジプシー男爵]]』の台本を書いた人物である。|group=注釈}}に宛ててシュトラウス2世はこう書いている。 |
|||
Die Nixen duf dem Grund,<br> |
|||
{{cquote|ワルツは迫力不十分だったかもしれない。しかし合唱曲を作ろうとして、その声楽パートを考えるとき、ダンスのことばかり念頭に置くわけにもいかない。聴衆が私からなにか違ったものを期待していたとしたら、このワルツはそうそう客を満足させてやれないよ<ref name="ケンプ(1987) p.106"> ケンプ(1987) p.106</ref>。}} |
|||
die geben's flüsternd kund,<br> |
|||
was Alles du erschaut,<br> |
|||
seit dem über dir der Himmel blaut.<br> |
|||
Drum schon in alter Zeit<br> |
|||
ward dir manch' Lied geweiht;<br> |
|||
und mit dem hellsten Klang<br> |
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preist immer auf's Neu' dich unser Sang.<br> |
|||
男声合唱協会がこのワルツを歌ったのは、その後の23年間でわずか7回だけであった<ref name="加藤(2003) p.148"> 加藤(2003) p.148</ref>。敗戦を受けて付けられた風刺的な歌詞は、時が経ってウィーン市民が敗戦のショックから立ち直るにつれて時代に合わなくなったのである<ref name="加藤(2003) p.148"/>。2月15日の初演は失敗ではなかったものの、大成功を収めたとは到底いえなかった。シュトラウス2世はとりあえず合唱版から長いコーダを省き、3月10日に{{仮リンク|label=フォルクスガルテン|フォルクスガルテン (ウィーン)|de|Volksgarten (Wien)}}でオーケストラのみの版を初演した<ref name="ケンプ(1987) p.106"/>。 |
|||
Halt' an deine Fluten bei Wien,<br> |
|||
es liebt dich ja so sehr!<br> |
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Du findest, wohin du magst zieh'n,<br> |
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ein zweites Wien nicht mehr!<br> |
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Hier quillt aus voller Brust<br> |
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der Zauber heit'rer Lust,<br> |
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und Treuer, deutscher Sinn<br> |
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streut aus seine Saat von hier weithin.<br> |
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== 「第二の国歌」へ == |
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Du kennst wohl gut deinen Bruder, den Rhein<br> |
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[[File:Johann Strauss Jr Paris 1867.jpg|210px|thumb|right|[[ヨハン・シュトラウス2世]]([[1867年]]、[[パリ]]において撮影)]] |
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an seinen Ufern wächst herrlicher Wein,<br> |
|||
1867年4月、[[パリ万国博覧会 (1867年)|パリ万博]]が開催されると、シュトラウス2世は弟の[[ヨーゼフ・シュトラウス|ヨーゼフ]]と[[エドゥアルト・シュトラウス1世|エドゥアルト]]にウィーンを任せて単身パリに向かった{{sfn|若宮|2014|p=79}}。そして万博会場においてしばらく遠ざかっていた『美しく青きドナウ』を演奏すると、今度は期待以上に高い評価を受けた<ref name="加藤(2003) p.154"> 加藤(2003) p.154</ref>。5月28日、パリのオーストリア大使館でのイベントでは、臨席したフランス皇帝[[ナポレオン3世]]からも賞賛を受けたという{{sfn|若宮|2014|p=79}}。{{仮リンク|ジュール・バルビエ|fr|Jules Barbier}}によってフランス語の新しい歌詞が贈られ、やがて人々はこの歌詞を口ずさむほどになった<ref name="加藤(2003) p.154"/>。このパリでの大成功の後、8月上旬にシュトラウス2世は[[ロンドン]]に渡ったが、こちらでもパリと同様に絶賛された{{sfn|若宮|2014|p=79}}。また、こうした評判がウィーンにも届くとウィーンでも演奏されるようになり、たちまち世界各地で演奏されるようになった。 |
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Dort auch steht bei Tag und bei Nacht<br> |
|||
die feste treue Wacht.<br> |
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Doch neid' ihm nicht jene himmlische Gab',<br> |
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bei dir auch strömt reicher Segen herab,<br> |
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und es schützt die tapfere Hand<br> |
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auch unser Heimatland!<br> |
|||
各国ごとに大量の楽譜が印刷され、そのいずれもが好調な売り上げを記録した<ref name="小宮(2000) p.130"/>。当時シュトラウス一家の楽譜出版を一手に担っていたC.A.シュピーナ社は、一万部印刷可能な銅板を『美しく青きドナウ』のために100枚も必要としたという<ref name="加藤(2003) p.155"> 加藤(2003) p.155</ref>。これはラジオ誕生以前の楽譜の売れ行きとしては最高の数字であった<ref name="加藤(2003) p.155"/>。シュトラウス2世は演奏旅行の際には必ずこの曲を披露するようになった<ref name="小宮(2000) p.130"> 小宮(2000) p.130</ref>。[[1872年]]6月17日にシュトラウス2世を招いて[[アメリカ合衆国]][[ボストン]]で催された「{{仮リンク|世界平和記念国際音楽祭|en|World's Peace Jubilee and International Musical Festival}}」では、2万人もの歌手、1000人のオーケストラ、さらに1000人の[[軍楽隊]]によって、10万人の聴衆の前でこのワルツも演奏された<ref name="シュヴァープ(1986) p.140"> シュヴァープ(1986) p.140</ref>。 |
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D'rum laßt uns einig sein,<br> |
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Schließt Brüder fest den Reig'n,<br> |
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Froh auch in trüber Zeit,<br> |
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Mut, wenn Gefahr uns dräut!<br> |
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Heimat am Donaustrand,<br> |
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Bist uns'rer Herzen Band;<br> |
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dir sei für alle Zeit<br> |
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Gut und Blut geweiht!<br> |
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日増しに高まる名声を受けて、初演から7年後([[1874年]]か)、[[エドゥアルト・ハンスリック]]はこう論評している。 |
|||
Das Schifflein fährt auf den Wellen so sacht,<br> |
|||
{{cquote|皇帝と王室を祝った[[神よ、皇帝フランツを守り給え|パパ・ハイドンの国歌]]と並んで、わが国土と国民を歌ったもう一つの国歌、シュトラウスの『美しき青きドナウ(ママ)』ができたわけだ<ref name="ケンプ(1987) p.106"/>。}} |
|||
still ist die Nacht,<br> |
|||
die Liebe nur wacht,<br> |
|||
der Schiffer flüstert der Liebsten ins Ohr,<br> |
|||
daß längst schon sein Herz sie erkor.<br> |
|||
O Himmel sei gnädig dem liebenden Paar,<br> |
|||
Schütz' vor Gefahr es immerdar!<br> |
|||
Nun fahren dahin sie in seliger Ruh'<br> |
|||
O Schifflein immer nur zu!<br> |
|||
[[File:Donauwalzer Cranz 01.jpg|210px|thumb|right|新版のピアノ譜表紙絵。右側に{{仮リンク|フランツ・フォン・ゲルネルト|de|Franz von Gernerth}}の名前があるため、[[1890年]]以後の出版である]] |
|||
Junges Blut,<br> |
|||
このハンスリックの論評は、歌詞の内容をまったく考慮していない、曲名とメロディーだけを評価したものであったが、やがて「国歌」にふさわしい歌詞が伴うようになる。[[1890年]]、{{仮リンク|フランツ・フォン・ゲルネルト|de|Franz von Gernerth}}による現行の歌詞に改訂されたのである<ref name="ケンプ(1987) p.106"/><ref name="加藤(2003) p.149"> 加藤(2003) p.149</ref>。ゲルネルトもやはりヴァイルと同様にウィーン男声合唱協会の会員で、彼は作曲や詩作をたしなむ裁判所の判事であった<ref name="河野(2009) p.75"/>。新たに付けられた歌詞は、かつてヴァイルが付けたものとはまったく異なる荘厳な[[抒情詩]]であった<ref name="小宮(2000) p.129"> 小宮(2000) p.129</ref>。 |
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frischer Mut,<br> |
|||
O wie glücklich macht,<br> |
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dem vereint ihr lacht!<br> |
|||
Lieb und Lust<br> |
|||
schwellt die Brust,<br> |
|||
hat das Größte in der Welt vollbracht.<br> |
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{| class="wikitable" |
|||
Nun singst ein fröhliches seliges Lied,<br> |
|||
|- class="hintergrundfarbe5" |
|||
das wie Jauchzen die Lüfte durchzieht,<br> |
|||
|- valign="top" |
|||
von den Herzen laut wiederklingt<br> |
|||
| |
|||
und ein festes Band um uns schlingt.<br> |
|||
(ドイツ語)<br />''Donau so blau,<br />so schön und blau<br />durch Tal und Au<br />wogst ruhig du hin,<br />dich grüßt unser Wien,<br />dein silbernes Band<br />knüpft Land an Land,<br />und fröhliche Herzen schlagen<br />an deinem schönen Strand.'' |
|||
| |
|||
(日本語訳<ref name="小宮(2000) p.129"/><ref name="加藤(2003) p.149"/><ref name="河野(2009) p.76"/>)<br />いとも青きドナウよ、<br />なんと美しく青いことか<br />谷や野をつらぬき、<br />おだやかに流れゆき、<br />われらがウィーンに挨拶を送る、<br />汝が銀色の帯は、<br />国と国とを結びつけ、<br />わが胸は歓喜に高鳴りて、<br />汝が美しき岸辺にたたずむ。 |
|||
|} |
|||
改訂新版が初めて歌われたのは1890年7月2日で<ref name="河野(2009) p.75"/>、この後広く「[[ハプスブルク君主国|ハプスブルク帝国]]第二の国歌」と呼ばれるようになった<ref name="小宮(2000) p.130"/>。ウィーンを流れるドナウ川をヨーロッパの国々に繋がる一本の帯に見立てた、国土を謳う立派な歌詞が付けられたことで、このワルツはハプスブルク帝国およびその帝都ウィーンを象徴する曲に生まれ変わったのである。合唱団はいずれもこの新しい歌詞のほうを好み、ヴァイルによる歌詞は歌われなくなった<ref name="小宮(2000) p.130"/><ref name="河野(2009) p.76"/>。現行の歌詞は、[[ウィーン少年合唱団]]による歌唱でも有名である。 |
|||
Frei und treu in Lied und Tat,<br> |
|||
bringt ein Hoch der Wienerstadt,<br> |
|||
die aufs Neu' erstand voller Pracht<br> |
|||
und die Herzen erobert mit Macht. <br> |
|||
Und zum Schluß bringt noch einen Gruß<br> |
|||
uns'rer lieben Donau, dem herrlichen Fluß!<br> |
|||
Was der Tag uns auch bringen mag<br> |
|||
Treu und Einigkeit<br> |
|||
Soll uns schützen zu jeglicher Zeit<br> |
|||
<!---自動翻訳そのままのあまりにひどい対訳!どなたかまともな訳をお願いします。 |
|||
とてもとても青くて、明るくて青いドナウ川、<br> |
|||
谷と野原を通って、あなたはとても穏やかな状態で流れます。<br> |
|||
私たちのウィーンがあなたに挨拶して、あなたがすべての<br> |
|||
陸を通る銀の流れである、あなた、陽気である、<br> |
|||
あなたの美しい岸がある心臓。<br> |
|||
オーストリアでは帝政が廃止された後、ハイドンによる皇帝讃歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』から別の国歌に変更され、さらに紆余曲折を経て[[1946年]]には(かなり疑わしいが)[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]の作品とされる『[[山岳の国、大河の国]]』に変更された。その一方で『美しく青きドナウ』は、[[オーストリア=ハンガリー帝国]]時代と変わらず「第二の国歌」としての立ち位置を維持した。[[1945年]]4月にオーストリアは[[ナチス・ドイツ]]支配から解放されたが、独立後の国歌が未定だったことから、オーストリア議会はとりあえず正式な国歌が決まるまでの代わりとして『美しく青きドナウ』を推奨した。<!---この部分、ドイツ語版とハンガリー語版の翻訳。いずれも出典なし。!---> |
|||
遠くにあなたが祝福する<br> |
|||
海に急がせる<br> |
|||
黒い森からすべてまで。<br> |
|||
時間中にあなたの兄弟、<br> |
|||
平和の絵を歓迎して、<br> |
|||
東向きにあなたは流れます!<br> |
|||
古い城々が高みより見下ろす、<br> |
|||
それらの急で岩の多い丘の上、<br> |
|||
および山の見通しの鏡からあなたの<br> |
|||
ダンス波で微笑みながら、<br> |
|||
あなたに挨拶してください。<br> |
|||
戦後20年ほどが経過した[[1964年]]、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]とともに[[テアトロ・コロン]]へ客演旅行に出た[[カール・ベーム]]は、最後の演奏会で「ここで我々は感謝のためにさらにオーストリア国歌を演奏いたします」と述べて、国歌と聞いて反射的に起立した聴衆の前で『美しく青きドナウ』を演奏した<ref name="ベーム(1970) p.184"> ベーム(1970) p.184</ref>。ベームはこの曲のことをのちに出版した回想録のなかでも「三拍子のオーストリア国歌」と表現している。現在のオーストリアでも、このワルツは依然として「第二の国歌」と呼ばれ続けている。 |
|||
あなたが流れるのでささやいて、<br> |
|||
川床からの人魚の声<br> |
|||
は上の青空の下ですべて<br> |
|||
によって聞かれます。<br> |
|||
あなたが通る雑音は昔からの歌です、<br> |
|||
そして、最も明るい音と共に、<br> |
|||
あなたの歌は<br> |
|||
あなたを導きます。<br> |
|||
== 逸話 == |
|||
ウィーンで潮を止めてください、そして、<br> |
|||
[[File:Strauss und Brahms.jpg|thumb|210px|シュトラウス2世と[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]([[1894年]]撮影)]] |
|||
それはあなたをとても愛しています!<br> |
|||
シュトラウス2世の親友であった[[ヨハネス・ブラームス|ブラームス]]は、このワルツの讃美者だったことで知られる。シュトラウス2世の継娘アリーチェ{{#tag:ref|アリスとも。のちに画家[[フランツ・フォン・バイロス]]の妻となる。|group=注釈}}から彼女の扇子にサインを求められた際、ブラームスはこの『美しく青きドナウ』の冒頭の数小節を書き<ref name="門馬(1965) p.120"> 門馬(1965) p.120</ref><ref name="ディートリヒ(2004) p.225"> ディートリヒ(2004) p.225</ref>、その下にこう書き添えた。 |
|||
見るかもしれないときはいつも、あなたは<br> |
|||
{{cquote|残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作品にあらず<ref name="門馬(1965) p.120"/><ref name="ディートリヒ(2004) p.225"/>。}} |
|||
ウィーンのようにどこにも見つけないでしょう!<br> |
|||
幸福の魅力が願っている<br> |
|||
いっぱいの胸がここをどんどん流れて、<br> |
|||
心からのドイツの願望は<br> |
|||
あなたの水域の遠くの流れです。<br> !---> |
|||
|} |
|||
上のブラームスの言葉は非常に有名なものであるが、その他にもこのワルツを讃えるブラームスの言動がいくつか伝わっている。ブラームスはシュトラウス2世夫人アデーレに写真を贈った際、写真の裏に自分の『[[交響曲第4番 (ブラームス)|交響曲第4番]]』の最初の数小節を書き、さらに[[対位法]]で『美しく青きドナウ』の冒頭を組み合わせて書き、自分とシュトラウス2世の芸術の結びつきを示したという逸話がある<ref name="門馬(1965) p.120"/>。 |
|||
=== 室内楽版 === |
|||
[[アルノルト・シェーンベルク]]が編曲した室内楽版がある。これはシェーンベルクら[[新ウィーン楽派]]が、前衛的な自作を理解のある限定された聴衆にのみ公開する予約演奏会形式を好んで室内楽編成の曲を多く書いたが、同時に収入目的のお楽しみコンサートとして、同じ室内楽編成用に親しみやすい演目を編曲して演奏したことによる。 |
|||
[[1892年]]、[[プラーター公園]]において「[[ウィーン国際音楽演劇博覧会]]」が開催されることとなり、ブラームスは開催委員会から祝祭[[カンタータ]]の作曲を持ちかけられた。このとき彼は「イベント関係には関わりたくない」という理由で、自分ではなく[[アントン・ブルックナー|ブルックナー]]を推薦した<ref name="ホイベルガー(2004) p.80"> ホイベルガー(2004) p.80</ref>{{#tag:ref|ブルックナーはこの嘱託を受けて『[[詩篇第150番 (ブルックナー)|詩篇第150番]]』を作曲した<ref name="ホイベルガー(2004) p.80"/>。|group=注釈}}。ブルックナーを推薦した一方で、ブラームスはこの祝祭カンタータについて大真面目にこう提案したという。 |
|||
== 特記事項 == |
|||
{{cquote|≪美しく青きドナウ≫に美しい文学的な詩をつけて[[混声合唱]]用に編曲する。どうだ良いだろう<ref name="ホイベルガー(2004) p.80"/>。}} |
|||
毎年[[1月1日]]に行われる、[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]の[[ニューイヤーコンサート]]のアンコールの定番曲でもあり、この曲の序奏部を少し奏した後、拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている<ref name="河野(2009) p.73"/>。 |
|||
ブラームスの他、[[リヒャルト・ワーグナー|ワーグナー]]もこのワルツが大のお気に入りであった<ref name="増田(2003) p.156"> 増田(2003) p.156</ref>。ワーグナーもシュトラウス2世のワルツを好んだ者の一人で、彼が最も好きだったのはこの『美しく青きドナウ』、次いで好きだったのは『[[酒、女、歌]]』(作品333)だったと伝わる<ref name="増田(2003) p.156"/>。また、『[[高雅で感傷的なワルツ]]』や『[[ラ・ヴァルス]]』などで知られる[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]も、このような言葉を残している。 |
|||
1915年から1920年まで現在の[[千葉県]][[習志野市|習志野市内]]に設置されていた[[習志野俘虜収容所]]に収容されていたドイツ軍捕虜たちによる文化活動の一環として、彼らにより結成された「習志野捕虜オーケストラ」が収容所内においてたびたびコンサートを開いており、その中で本作品も演奏されている(残存している1919年6月22日開催のコンサートプログラムの中に本作品の曲名が記載されているのが見える<ref>[http://www.city.narashino.chiba.jp/konnamachi/bunkahistory/rekishi/640120120510101326490.html 第一次世界大戦と習志野―大正8年の青きドナウ―] - 習志野市ホームページより</ref>)。 |
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{{cquote|ワルツは、あらゆる作曲家を誘惑する形式だ。だが成功したのはほんの一握りの作曲家だけだ。モーツァルトは[[レントラー]]を作曲したが、これはもうウィーン風のワルツ。[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]が作曲したのはドイツ舞曲だ。そしてもちろん[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、ブラームス、[[エマニュエル・シャブリエ|シャブリエ]]、[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]も作曲した。だが真に成功したのは誰だろう。それはヨハン・シュトラウスただ一人だ。彼は奇跡的に、皆が書きたいと思ったワルツを作曲し得たのだ。≪美しく青きドナウ≫だよ<ref>ロザンタール(1998) p.194・195</ref>。}} |
|||
<!-- |
|||
後年には「シュトラウス」といえば『美しく青きドナウ』というほどにワルツ王の代表作として定着していた。シュトラウス2世が死去した[[1899年]]6月3日の午後、ウィーンのフォルクスガルテンにおいて野外コンサートが催されていた<ref name="ケンプ(1987) p.230"> ケンプ(1987) p.230</ref>。シュトラウス2世の訃報が届くと、指揮者{{仮リンク|エドゥアルト・クレムザー|de|Eduard Kremser}}は、大勢の聴衆にこのことを手短に報告した後、静かにこのワルツを演奏し始めた<ref name="ケンプ(1987) p.230"/>。また、交響詩『[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]]』などで知られる同姓の作曲家[[リヒャルト・シュトラウス]]は、最晩年に[[ロンドン]]公演のために[[イギリス]]を訪れた際に「あなたがあの『美しく青きドナウ』の作曲者ですか?」と何度も尋ねられたという。 |
|||
* 映画『[[2001年宇宙の旅]]』で使用された。 |
|||
* 漫画「トムとジェリー」の「ワルツの王様」でトムがピアノで物凄い腕前で披露した曲。ジェリーがそれにあわせて踊っていたが、鍵盤に振れていないのに音楽が流れたりしていた。 |
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* キハ40系[[リゾートしらかみ]]などの特急の車内メロディーにも使用 |
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* 『戦国魔神ゴーショーグン』の登場人物、レオナルド・メディチ・ブンドルが第1話で初登場した際、この曲を戦艦から大音量で流していた。それを受けて、『第2次スーパーロボット大戦α』『第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ』では、ブンドルが戦闘するとこの曲が流れるようになっており、ゲームに登場するユニットの中でも特に異彩を放っている。ただし曲名は「美しき青きドナウ」と表示される。 |
|||
* テレビアニメ『[[みつどもえ]]』の9話にて使用された。 |
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* 宝塚歌劇の「ベルサイユのばら」でも使用されている。 |
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== 楽曲構成 == |
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1970年台から1980年台には[[青森テレビ]]のオープニング局名告知にも使用された。なお、2007年3月時点では、NTTコミュニケーションズ・「プラチナライン」や再春館製薬所・「ドモホルンリンクル」のCMでも、使用されている。 |
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=== 序奏 === |
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[[File:Donauwalzer Spina 03.jpg|thumb|210px|序奏部分のピアノ譜]] |
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[[アンダンティーノ]]、[[イ長調]]、8分の6拍子<br />[[トレモロ]]に乗せて、のちに登場する「ド・ミ・ソ・ソ」というワルツの主旋律がゆるやかに示される<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.327"/>。[[ニ長調]]、4分の3拍子の「テンポ・ディ・ヴァルス」に移り、「ワルツ」部分が準備される<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.327"/>。ドナウ川の穏やかな流れを思わせるこの序奏のメロディーは特に有名な部分であり、オーストリアの人々の挨拶(グリュースゴット{{#tag:ref|「神があなたに挨拶しますように」の意。[[カトリック教会]]への信仰が根強いオーストリアや[[バイエルン州|バイエルン]]などの南ドイツ地方では、「こんにちは」のことを「グーテンターク」ではなくこう言う。|group=注釈}})の代わりにもなったほどである<ref>倉田(1994) p.151</ref><ref name="倉田(2006) p.180"/>。 |
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== |
=== 第1ワルツ === |
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[[File:Donauwalzer Spina 04.jpg|thumb|right|210px|序奏の続きと第1ワルツ]] |
|||
* {{Cite book|和書|author=[[音楽之友社]]|date=昭和34年3月5日|title=名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)|publisher=[[音楽之友社]]}} |
|||
[[File:Bluedanubewaltz.jpg|210px|thumb|right|第1ワルツの最初の数小節(作曲者の自筆・署名入り)]] |
|||
*{{Cite book|和書|author=[[團伊玖磨]]||date=1977年1月14日|title=朝日小事典 オーケストラ|publisher=[[朝日新聞社]]|ref=團(1977)}} |
|||
ニ長調、二部形式(A・A’||:B:||) |
|||
* {{Cite book|和書|author=[[渡辺護]]|date=1989年4月20日|title=ウィーン音楽文化史(下) 付・ザルツブルク音楽史|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=4-276-11062-9}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=[[加藤雅彦]]|date=2003年12月20日|title=ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[日本放送出版協会]]|isbn=4-14-001985-9|ref=加藤(2003)}} |
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*{{Cite book|和書|author=[[河野純一]]|date=2009年11月|title=ハプスブルク三都物語|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4-12-102032-1|ref=河野(2009)}} |
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Aの中心となるのは次の楽譜の部分である。「ド・ミ・ソ・ソ」というメロディーから始まるこの第1ワルツは、曲全体のなかでも特によく知られる部分である。 |
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;Aパート |
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<!-- 現行の譜例は初版ピアノ譜 http://imslp.org/wiki/Special:ReverseLookup/311227 を参照したと思われますが、記事右掲載の楽譜に(プラスおそらく主流の記譜に)合わせて主旋律が保持される形にするべきでしょうか? |
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<score> |
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\\ |
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} |
|||
\new Staff { \key b \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
R1*3/4 d,,4\p <a' d fis> <a d fis> d, <a' d fis> <a d fis> d, <fis a d> <fis a> d <a' d> <a d fis> e <a cis g'> <a cis g'> e <a cis g'> <a cis g'> e <g a cis> <g a> e <g a cis> <g a cis> a, <a' cis g'> <a cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> a, <g' a cis> <g a> a, <g' a cis> <g a cis> d4 <a' d fis> <a d fis> d,4 <a' d fis> <a d fis> d, <fis a d> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
続くBではイ長調に移り、次の部分が中心となる。 |
|||
;Bパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
\partial 2 |
|||
<fis' d'>8 r <e cis'> r <e cis'> r <d b'> r <d b'> r r4 <d b'>8 r <cis ais'> r <cis ais'> r <d b'> r <d b'> r r4 e8\f r e r fis2( e4) r e8 r e r <b b'>2( <a a'>4) |
|||
} |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass \partial 2 |
|||
r2 e,4\p <gis d' e> <gis d' e> e <gis d' e> <g cis e> e <gis d' e> <gis d' e> e <gis d' e> <gis d' e> a, <a' cis e> <a cis e> a, <a' cis e> <a cis e> a, <a' cis e> <a cis e> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
=== 第2ワルツ === |
|||
[[File:Donauwalzer Spina 05.jpg|thumb|right|210px|第1ワルツの続きと第2ワルツ]] |
|||
ニ長調、三部形式(||:A:||B・A||) |
|||
Aは歯切れのよい次の楽譜に始まる。 |
|||
;Aパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key b \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
\partial 4 |
|||
<a' a'> <g g'> r <a a'> <g g'> r <a a'> <fis' fis'>2.~ <fis fis'>4 <e e'>( <a, a'>) fis' r <a a,> fis r <a a,> <e e'>2.~ <e e'>4 <d d'>( <a a'>) |
|||
} |
|||
\new Dynamics { |
|||
s\p |
|||
} |
|||
\new Staff { \key b \minor \time 3/4 \clef bass \partial 4 |
|||
r4 e,\p <a cis g'> <a cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> a <cis g'> <cis g'> a, <a' cis g'> <a cis g'> d, <a' d fis> <a d fis> a, <a' d fis> <a d fis> d, <a' d fis> <a d fis> a, <a' d fis> <a d fis> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
Bはいきなり三度の転調をおこなって[[変ロ長調]]に移行し、流れるようなメロディーが奏でられる<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"> 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328</ref>。 |
|||
;Bパート |
|||
<score> |
|||
\relative b' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key g \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
<d d'>2.~ <d d'>4 <ees ees'>( <d d'>) <c c'>( <bes bes'> <a a'>) <g g'>2. \slashedGrace g'8 <c, c'> r r4 <c c'>~ <c c'>8 f( \slashedGrace a8 g4. f8) |
|||
<< |
|||
{f4( <bes, d> <d f>) ~ f s} |
|||
\\ |
|||
{s2. <c ees>4( <bes d>)} |
|||
>> |
|||
} |
|||
\new Dynamics { |
|||
} |
|||
\new Staff { \key g \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
bes,,4 <bes' d f> <bes d f> bes,4 <bes' d f> <bes d f> ees, <g c ees> <g c ees> ees <g c ees> <g c ees> a <c ees f> <c ees f> f, <a ees' f> <a ees' f> bes <d f> <d f> f, f' |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
=== 第3ワルツ === |
|||
[[File:Donauwalzer Spina 06.jpg|right|thumb|210px|第3ワルツ]] |
|||
[[ト長調]]、二部形式(||:A:||:B:||) |
|||
Aは次の楽譜に始まる。 |
|||
;Aパート |
|||
<score> |
|||
\relative b' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key e \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
\partial 4 d,\p (\bar "||" <g b>) r <g b>~ <g b> <b d>4.->( <a c>8) <g b>4\mordent( <d b>) <d b> <d b>2 <d b>4( <g b>) r <g b>~ <g b> <c e>4.->( <b d>8) <c a>4\mordent( <d, fis>8) r8 <d fis>4 <d fis>2. <a' c>4 r <a c>~ <a c> <d fis>4.( <c e>8) \slashedGrace <c e> <e g>4-> <g, b>8 r <g b>4 <g b>2 <g b>4 <e a>-.\p( r <e a>-.) <e ais>-.( r <e ais>-.) <fis dis b'>2.~ <fis dis b'>4 r |
|||
} |
|||
\new Staff { \key e \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
r4 g,,\p <g' b d> <g b d> g, <g' b d> <g b d> g, g' g g, g' g g, <g' b d> <g b d> g, <g' b d> <g b d> a, <d fis c'> <d fis c'> a <d fis c'> <d fis c'> d <c' d fis> <c d fis> d, <c' d fis> <c d fis> g <b d> <b d> g, <g' b d> <g b d> <c, c'>-.( r <c c'>-.) <c c'>-.( r <c c'>-.) <b b'> dis fis b, r |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
Bは転調することなく、速度を[[ヴィヴァーチェ]]に速める<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。 |
|||
;Bパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key e \minor \time 3/4 \partial 4. |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
b'8\p(^\markup {\bold {Vivace.(Lebhaft.)} } c b) b( a gis a b a) a( g fis g d'4)->~ d8[ c] <c fis,>8-^ r <c fis,>8-^ r <c fis,>8-^ r <b g>8-^ r <b g>8-^ r |
|||
} |
|||
\new Staff { \key e \minor \time 3/4 \clef bass \partial 4. |
|||
R1*3/8 c,,4\p <a' c e> <a c e> d, <b' d> <b d> d, <a' c d> <a c d> g <b d> <b d> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
=== 第4ワルツ === |
|||
[[File:Donauwalzer Spina 07.jpg|thumb|right|210px|第4ワルツ]] |
|||
[[ヘ長調]]、二部形式(||:A:||:B:||A) |
|||
転調のために4小節からなる経過句が挟まれ、それに続いてAの主旋律が奏でられる<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。 |
|||
;経過句、Aパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key d \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
<bes d g>2.^\markup {\bold Eingang.} <bes des g>2. <bes c g'>4 c8 c c4 r r \tempo "" 2. = 48 c\p \bar "||" c8(^\markup {\bold Walzer.} f a c) f4(~ f <c e> <bes d>) <a cis>\<( <bes d> <c e>)\! <c e>2. <a cis>4\<( <bes d> <c e>)\! <c e>2. <gis b>4( <a c> <bes d>8) r <a c>2. c,8( f a c) <f a>4~( <f a> <e g> <d f>) <cis e>\<( <d f> <e g>8)\! r <e g>2. |
|||
} |
|||
\new Dynamics { |
|||
s\f |
|||
} |
|||
\new Staff { \key d \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
<g,, g,>2. <f f,>2. <e e,>4 r r r r2 f4\p <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> f <a c f> <a c f> bes, <bes' d g> <bes d g> bes, <bes' d g> <bes d g> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
Bは[[フルート]]を用いて演奏される<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。次の楽譜が中心となっている。 |
|||
;Bパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key d \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
r \slashedGrace d''8\f c4. b8 <c c,>2.~ <c c,>4 \slashedGrace d8 c4.( b8) <c c,>2.~ <c c,>4 <f f,>( a,) bes4.( <d d,>8 e,4) r8 <g g,>8 <g g,>4 <a a,> <bes bes,>4.( <d d,>8 e,4) r |
|||
} |
|||
\new Staff { \key d \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
<g,,, bes c e>8\fz r r4 r f' <c' f a> <c f a> c, <c' f a> <c f a> f, <c' f a> <c f a> c, <c' f a> <c f> g <bes c e> <bes c e> c, <bes' c e> <bes c e> g <bes c e> <bes c e> c, |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
=== 第5ワルツ === |
|||
[[File:Donauwalzer Spina 08.jpg|thumb|right|210px|第5ワルツ]] |
|||
[[イ長調]]、二部形式(A||:B・B’:||) |
|||
;経過部 |
|||
<score> |
|||
\relative b' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
<a c>2.\f^\markup {\bold Eingang.} <a d>2 <a dis>4 <a cis e> cis8 e a cis <e e,>8 r <d d,> r <cis cis,> r <cis cis,>4 \slashedGrace d8 cis8( bis cis d) <cis cis,> r <b b,> r <a a,> r <b, cis eis gis>8\f[ <b cis eis gis>] <b cis eis gis> r <b cis eis a>8 r <a cis fis>4 r r \slashedGrace eis''8( fis)\p r r4 r \slashedGrace eis8( fis) r r4 r |
|||
} |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
<f,,,, f'>2. <f f'>2 <f f'>4 <e e'>4 r4 r1 <eis' gis b>2.\p <fis a>4 r r <cis, cis'>4 <eis eis'> <cis cis'> <fis fis'> r r \clef treble \slashedGrace eis'''8( fis) r r4 r \slashedGrace eis8( fis) r r4 r |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
ヘ長調から経過部を通って、イ長調に移行し、Aに入る<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。 |
|||
;Aパート |
|||
<score> |
|||
\relative b' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
<< |
|||
{ |
|||
a4( b cis) d( fis,4. a8) d4( fis,4. a8) d2.~( d4 cis b) cis( e,4. a8) cis4( e,4. a8) |
|||
} |
|||
\\ |
|||
{ |
|||
a4( gis g) fis s4. s8 s4 s4. s8 r4 a g fis e d cis |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
\new Dynamics { |
|||
s4\p |
|||
} |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
r4 r2 d,4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a d> <fis a d> d4 <fis a> <fis a> e4 <a cis> <a cis> e4 <a cis> <a cis> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
Bは次の楽譜を中心とした、活発な部分である。 |
|||
;Bパート |
|||
<score> |
|||
\relative c' { |
|||
\new PianoStaff << |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 |
|||
\set Score.tempoHideNote = ##t \tempo "" 2. = 56 |
|||
<cis' cis'>4 r r <cis cis'>4 r r <cis cis'>2.~ <cis cis'>4 e8 gis a b <cis cis,>4 r r <cis cis,>4 r r <d d,>2.~ <d d,>4 fis,8 ais b cis <d, b' d>4 r r <d b' d> r r |
|||
} |
|||
\new Dynamics { |
|||
s\f |
|||
} |
|||
\new Staff { \key fis \minor \time 3/4 \clef bass |
|||
a,4 <cis e> <cis e> a <cis e> <cis e> a <cis e> <e, a cis e> a <cis e> <cis e> a <cis e> <cis e> fis, <ais e' fis> <ais e' fis> b <d fis> <fis, b d fis> b <d fis> <d fis> b, <b' d fis> <b d fis> b, <b' d fis> <b d fis> |
|||
} |
|||
>> |
|||
} |
|||
</score> |
|||
=== 後奏 === |
|||
一般的には、「第3ワルツ」のAの音型に導かれて「第2ワルツ」のAがニ長調で示され、続いて「第4ワルツ」のAがヘ長調で奏でられ、最後に「第1ワルツ」の主旋律がニ長調で現れて、変化が激しい結びの句に移って力強く終わる<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。 |
|||
合唱版では、「第5ワルツ」のBからいきなり力強い結びに入り、すぐに終わる<ref name="『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328"/>。 |
|||
{{gallery |
|||
|File:Donauwalzer Spina 09.jpg|[[コーダ (音楽)|コーダ]]1 |
|||
|File:Donauwalzer Spina 10.jpg|コーダ2 |
|||
|File:Donauwalzer Spina 11.jpg|コーダ3 |
|||
}} |
|||
== ニューイヤーコンサート == |
|||
[[File:Olga Esina and Roman Lazik (and others) - Belvedere, Vienna - 31 Dec. 2011.jpg|thumb|right|210px|ニューイヤーコンサート2012の『美しく青きドナウ』バレエ(画像はリハーサル時のもの)]] |
|||
大晦日から新年に代わるとき、公共放送局である[[オーストリア放送協会]]は、[[シュテファン大聖堂]]の鐘の音に続いてこのワルツを放映するのが慣例となっている<ref name="河野(2009) p.73"/>。それに続いて元日正午から始まる[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]の[[ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート|ニューイヤーコンサート]]では、3つのアンコール枠のうちの2番目としてこのワルツを演奏するのが通例である<ref name="河野(2009) p.73"/>{{#tag:ref|始まったばかりの頃には演奏されない年もあった。具体的には、1939年、1941年、1942年、1943年、1944年、1947年、1956年の7回。1957年からは毎年欠かさず演奏されている。(2016年現在)|group=注釈}}。つまりオーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのを聴くことができる。ニューイヤーコンサートでは、序奏部を少しだけ演奏した後、聴衆の拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている<ref name="河野(2009) p.73"/>。 |
|||
<!---これは、第二次世界大戦後の正式なオーストリア国歌が決まっていなかった時期に、指揮者が「この曲こそが我々オーストリア国民の心である」と聴衆に語りかけてから『美しく青きドナウ』を演奏しようとしたところ、感激した人々が[[スタンディングオベーション]]を行ったため、演奏が中止されるというハプニングがあったことに由来する{{要出典|date=2016年11月}}。!---> |
|||
父シュトラウス1世の『[[ラデツキー行進曲]]』も同コンサートを締めくくる定番の曲であるが、こちらも国家的な行事や式典でたびたび演奏される曲である。これら二つの曲が同コンサートにきまって取り上げられるのは、ただ人気が高いからというだけの理由ではなく、オーストリアを象徴する曲だということも大きな理由なのである。ちなみに、カラヤンとケンペはステレオ初期にウィーン・フィルを指揮して録音した「シュトラウス・アルバム」に、この曲を含めていない。 |
|||
日本においては、[[京都市交響楽団]]などがニューイヤーコンサートで演奏する事も多い。近年は特に[[京都市少年合唱団]]との共演で行なっている事も少なくない。 |
|||
{{-}} |
|||
== 脚注== |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Notelist}} |
|||
=== 出典 === |
=== 出典 === |
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{{ |
{{reflist|25em}} |
||
== |
== 参考文献 == |
||
{{commonscat|An der schönen blauen Donau}} |
|||
* [[KOTOKO]] - 彼女の楽曲「[[覚えてていいよ/DuDiDuWa*lalala|DuDiDuWa*lalala]]」は当曲をアレンジした部分が収録されている。 |
|||
*『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』([[音楽之友社]]、1959年3月5日) |
|||
* [[2001年宇宙の旅]] - [[スタンリー・キューブリック]]による1968年公開のSF映画。サウンドトラック及びクロージングクレジットで当曲が使用されている。 |
|||
*[[門馬直美]]『大音楽家 人と作品:10 ブラームス』([[音楽之友社]]、1965年10月30日) |
|||
*[[カール・ベーム]]著、[[高辻知義]]訳『回想のロンド』([[白水社]]、1970年5月13日) |
|||
*{{Cite book|和書|author=ハインリヒ・W・シュヴァープ|date=1986年3月20日|title=人間と音楽の歴史 Ⅳ(1600年から現代まで) 第2巻 コンサート 17世紀から19世紀までの公開演奏会|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=4-276-01142-6}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=ピーター・ケンプ|translator=[[木村英二]]|date=1987年10月|title=シュトラウス・ファミリー:ある音楽王朝の肖像|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=4276-224241|ref=ケンプ(1987)}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=倉田稔|authorlink=倉田稔||date=1994年6月25日|title=ハプスブルク歴史物語|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[NHK出版|日本放送出版協会]]|isbn=4-14-001702-3}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=マニュエル・ロザンタール|authorlink=マニュエル・ロザンタル|editor=マルセル・マルナ|editor-link=マルセル・マルナ|translator=[[伊藤制子]]|date=1998年|title=ラヴェル : その素顔と音楽論|publisher=[[春秋社]]|isbn=4393931440|ref=ロザンタール(1998)}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=小宮正安|authorlink=小宮正安|date=2000年12月10日|title=ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=4-12-101567-3|ref=小宮(2000)}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=加藤雅彦|authorlink=加藤雅彦|date=2003年12月20日|title=ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[日本放送出版協会]]|isbn=4-14-001985-9|ref=加藤(2003)}} |
|||
*[[増田芳雄]]「ヨーゼフ・シュトラウス――ワルツのシューベルト」([[帝塚山大学]]『人間環境科学』第12巻、2003年) |
|||
*{{Cite book|和書|author1=アルベルト・ディートリヒ|authorlink1=アルベルト・ディートリヒ|author2=ジョージ・ヘンシェル等|authorlink2=ジョージ・ヘンシェル|translator=[[天崎浩二]]|date=2004年2月5日|title=ブラームス回想録集1 ヨハネス・ブラームスの思い出|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=978-4-276-20177-4|ref=ディートリヒ(2004)}} |
|||
* {{Cite book|和書|author1=リヒャルト・ホイベルガー|authorlink1=リヒャルト・ホイベルガー|author2=リヒャルト・フェリンガー等|authorlink2=リヒャルト・フェリンガー|translator=[[天崎浩二]]、[[関根裕子]]|date=2004年6月10日|title=ブラームス回想録集2 ブラームスは語る|publisher=[[音楽之友社]]|isbn=978-4-276-20178-1}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=倉田稔|authorlink=倉田稔||date=2006年5月30日|title=ハプスブルク文化紀行|series=[[NHKブックス]]|publisher=[[NHK出版|日本放送出版協会]]|isbn=4-14-091058-5}} |
|||
*{{Cite book|和書|author=河野純一|authorlink=河野純一|date=2009年11月25日|title=ハプスブルク三都物語|series=[[中公新書]]|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4-12-102032-1|ref=河野(2009)}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=若宮由美 |title=博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892) |url=http://id.nii.ac.jp/1354/00000293/ |journal=埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 |issn=1347-0515 |publisher=埼玉学園大学 |year=2013 |month=dec |issue=13 |pages=167-179 |naid=120005772404|ref={{sfnRef|若宮|2013}}}} |
|||
* {{Cite journal|和書|author=若宮由美 |title=ヨーゼフ・シュトラウスの〈ロメオとジュリエット〉 : グノーのオペラに基づくポプリ |url=http://id.nii.ac.jp/1354/00000262/ |journal=埼玉学園大学紀要. 人間学部篇 |issn=1347-0515 |publisher=埼玉学園大学 |year=2014 |month=dec |issue=14 |pages=75-87 |naid=120005768684|ref={{sfnRef|若宮|2014}}}} |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
* {{IMSLP2| |
* {{IMSLP2|work=An_der_sch%C3%B6nen_blauen_Donau,_Op.314_(Strauss_Jr.,_Johann)|cname=ワルツ『美しく青きドナウ』}} |
||
*[http://wjso.or.at/de-at/Home/Events/EventDetail?ConcertID=74&WerkID=54 Johann Strauss (Sohn) An der schönen blauen Donau / Walzer op. 314 (1867)] - [[ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団]](WJSO)による解説。 |
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*[http://www.johann-strauss.at/wissen/donau.shtml Johann Strauss (Sohn), An der schönen blauen Donau, op. 314.] - ウィーン・シュトラウス研究所(Wiener Institut für Strauss-Forschung、WISF)による解説。 |
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2024年12月21日 (土) 10:58時点における最新版
『美しく青きドナウ』 | |
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ドイツ語: An der schönen, blauen Donau | |
ピアノ初版譜の表紙(C.A.シュピーナ社出版) | |
ジャンル | ウィンナ・ワルツ |
作曲者 | ヨハン・シュトラウス2世 |
作品番号 | op.314 |
初演 |
1867年2月15日(合唱版) 1867年3月10日(管弦楽版) |
音楽・音声外部リンク | |
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全曲を試聴する | |
An der schönen blauen Donau - ズービン・メータ指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。「EuroArtsChannel」公式YouTube。 |
音楽・音声外部リンク | |
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曲の一部を視聴する | |
碧きドナウ - 日本ビクター管弦楽団による演奏。日本ビクター発売 | |
碧きドナウ - 山田耕筰指揮、日本交響楽協会による演奏。日本コロムビア発売 |
『美しく青きドナウ』(うつくしくあおきドナウ、ドイツ語: An der schönen, blauen Donau)作品314は、ヨハン・シュトラウス2世が1867年に作曲した合唱用のウィンナ・ワルツ。
『ウィーンの森の物語』と『皇帝円舞曲』とともにシュトラウス2世の「三大ワルツ」に数えられ[1]、その中でも最も人気が高い[注釈 1]。作曲者およびウィンナ・ワルツの代名詞ともいわれる作品である。オーストリアにおいては、正式なものではないが帝政時代から現在に至るまで「第二の国歌」と呼ばれている[2]。
邦題
[編集]『美しき青きドナウ』とも表記され、また「青」ではなく「碧」という漢字を用いることがある。当記事では『ヨハン・シュトラウス2世作品目録』(日本ヨハン・シュトラウス協会、2006年)記載の『美しく青きドナウ』に従う。オーストリアでは単に『ドナウ・ワルツ』(Donauwalzer[3]、Donau-Walzer[4][注釈 2])と呼ばれることも多い[7]。
ちなみに、『美しく青きドナウ』という邦題は、原題「An der schönen, blauen Donau」のうちの「An(英語のbyに相当)」を無視したもので、正確に訳すと『美しく青きドナウのほとりに[8][9]』といった題になる。原題と異なる邦題が定着しているのは日本だけではなく、たとえば英語圏では『The Blue Danube(青きドナウ)』となっている。
作曲の経緯
[編集]1865年初頭、シュトラウス2世は、ウィーン男声合唱協会から協会のために特別に合唱曲を作ってくれと依頼された。この時シュトラウス2世は断ったが、次のように約束した。
「 | 今はできないことの埋め合わせを、まだ生きていればの話ですが、来年にはしたいと、ここでお約束します。尊敬すべき協会のためなら、特製の新曲を提供することなど、おやすい御用です[10]。 | 」 |
約束の1866年、新曲の提供はされなかったが、シュトラウス2世は合唱用のワルツのための主題のいくつかをスケッチし始めた[10]。1867年、シュトラウス2世にとって初めての合唱用のワルツが、未完成ではあったが協会にようやく提供された。シュトラウス2世はまず無伴奏の四部合唱を渡しておいたが、その後、急いで書いたピアノ伴奏部を次のお詫びの言葉とともにさらに送った[10]。
「 | 汚い走り書きで恐れ入ります。二、三分で書き終えないといけなかったものですから。ヨハン・シュトラウス[10]。 | 」 |
シュトラウス2世からピアノ伴奏部が協会に送付されてきたとき、この曲には四つの小ワルツがワンセットになっていて、それに序奏と短いコーダが付いていた[10]。この四つの小ワルツとコーダに歌詞を付けたのは、アマチュアの詩人であるヨーゼフ・ヴァイルという協会関係者であった[11]。歌詞を付ける作業は一筋縄ではいかなかった。ヴァイルが四つの小ワルツにすでに歌詞を乗せた後で、シュトラウス2世がさらに五番目の小ワルツを作ったからである。シュトラウス2世はヴァイルに四番目の歌詞の付け替えと、五番目の小ワルツの歌詞、コーダの歌詞の改訂を要求した[10]。
普段のヴァイルは警察官として働く人物であり、彼の詩は猥雑で愉快なものとして知られていた[11]。前年の1866年に普墺戦争があり、わずか7週間でプロイセン王国との戦いに敗れたことによって、当時オーストリア帝国の人々はみな意気消沈していた。ヴァイルはこうした世相において、プロイセンに敗北したことはもう忘れようと明るく呼びかける内容の愉快な歌詞を付けた[12][13]。
(ドイツ語歌詞) |
(日本語訳[12][13][14]) |
曲名決定
[編集]協会の記録や議事録、パート譜のセットや1867年2月15日以前の新聞には、『美しく青きドナウ』という曲名は一切出ておらず[15]、初演の直前になって曲名が決められたようである[10]。最終的にハンガリーの詩人カール・イシドール・ベックの作品『An der Donau』の一節を曲名として拝借することになったが、誰がこの曲名に決めたのかは明らかでない[15]。
『An der Donau』 |
(日本語訳[16][17][9][18]) |
ウィーンから眺めるドナウ川の色は、濁った茶色かせいぜい深緑色といったところであり、『美しく青きドナウ』という曲名のイメージには程遠い[17]。ドナウ川が美しい青色に見えるのはハンガリー平原に入ってからといわれ[17]、ベックがハンガリー人であることからも推測できるが、この詩はそもそもハンガリー(おそらく国土の南部[18])を流れるドナウ川のほとりを舞台にした恋の詩だと考えられている[17][9][注釈 3]。(もともとはウィーンから見ても綺麗な川だったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世下で治水工事が行われた結果、景観がすっかり変わってしまったとする説もある[19])
シュトラウス2世の父ヨハン・シュトラウス1世のワルツ『ドナウ川の歌』(作品127)の旋律が、このワルツに似て「ソ・ド・ミ・ソ・ソ」で始まることも、ドナウ川に関する曲名に決まった理由の一つだと指摘される[20]。おそらく、『ドナウ川の歌』のおかげでまずドナウの題名とすることが決まり、そしてベックの詩の一節から『美しく青きドナウ』に決まったのであろう。いずれにせよ、歌詞が先行して付けられ、最後の土壇場で歌詞とはまったく無関係な曲名が付けられたということは疑いようがない。なぜならば、初演の直前まで『美しく青きドナウ』という曲名が出てこないのに加えて、ヴァイルの歌詞には「ドナウ」という文字が一度たりとも出てこない[15][17][14]からである。
初演
[編集]初演の直前、曲にオーケストラ伴奏を付けることが決まり、シュトラウス2世は急ピッチで作曲の筆を進めた[10]。ドナウ川をイメージしたと伝えられる序奏部分も、初演の直前に急いで書き足されたものである[17]。
そして1867年2月15日、ウィーンの「ディアナザール」で初演された。当日夜、シュトラウス2世とシュトラウス楽団は宮廷で演奏していたため、合唱指揮者ルドルフ・ワインヴルムの指揮のもと、当時ウィーンに暫定的に駐留していたハノーファー王歩兵連隊管弦楽団の演奏で初演された[15][注釈 4]。この日の合唱には、当時11歳だったヨーゼフ・ヘルメスベルガー2世も参加している[21]。
初演は不評に終わったと言われることが多いが、実際のところ当時のウィーンの新聞の多くはこの初演の成功を報じている。
けっして不評というわけではなかったが、しかしアンコールがわずか1回だけだったことは作曲者にとって期待外れだった。イグナーツ・シュニッツァー[注釈 5]に宛ててシュトラウス2世はこう書いている。
「 | ワルツは迫力不十分だったかもしれない。しかし合唱曲を作ろうとして、その声楽パートを考えるとき、ダンスのことばかり念頭に置くわけにもいかない。聴衆が私からなにか違ったものを期待していたとしたら、このワルツはそうそう客を満足させてやれないよ[22]。 | 」 |
男声合唱協会がこのワルツを歌ったのは、その後の23年間でわずか7回だけであった[23]。敗戦を受けて付けられた風刺的な歌詞は、時が経ってウィーン市民が敗戦のショックから立ち直るにつれて時代に合わなくなったのである[23]。2月15日の初演は失敗ではなかったものの、大成功を収めたとは到底いえなかった。シュトラウス2世はとりあえず合唱版から長いコーダを省き、3月10日にフォルクスガルテンでオーケストラのみの版を初演した[22]。
「第二の国歌」へ
[編集]1867年4月、パリ万博が開催されると、シュトラウス2世は弟のヨーゼフとエドゥアルトにウィーンを任せて単身パリに向かった[24]。そして万博会場においてしばらく遠ざかっていた『美しく青きドナウ』を演奏すると、今度は期待以上に高い評価を受けた[25]。5月28日、パリのオーストリア大使館でのイベントでは、臨席したフランス皇帝ナポレオン3世からも賞賛を受けたという[24]。ジュール・バルビエによってフランス語の新しい歌詞が贈られ、やがて人々はこの歌詞を口ずさむほどになった[25]。このパリでの大成功の後、8月上旬にシュトラウス2世はロンドンに渡ったが、こちらでもパリと同様に絶賛された[24]。また、こうした評判がウィーンにも届くとウィーンでも演奏されるようになり、たちまち世界各地で演奏されるようになった。
各国ごとに大量の楽譜が印刷され、そのいずれもが好調な売り上げを記録した[26]。当時シュトラウス一家の楽譜出版を一手に担っていたC.A.シュピーナ社は、一万部印刷可能な銅板を『美しく青きドナウ』のために100枚も必要としたという[27]。これはラジオ誕生以前の楽譜の売れ行きとしては最高の数字であった[27]。シュトラウス2世は演奏旅行の際には必ずこの曲を披露するようになった[26]。1872年6月17日にシュトラウス2世を招いてアメリカ合衆国ボストンで催された「世界平和記念国際音楽祭」では、2万人もの歌手、1000人のオーケストラ、さらに1000人の軍楽隊によって、10万人の聴衆の前でこのワルツも演奏された[28]。
日増しに高まる名声を受けて、初演から7年後(1874年か)、エドゥアルト・ハンスリックはこう論評している。
「 | 皇帝と王室を祝ったパパ・ハイドンの国歌と並んで、わが国土と国民を歌ったもう一つの国歌、シュトラウスの『美しき青きドナウ(ママ)』ができたわけだ[22]。 | 」 |
このハンスリックの論評は、歌詞の内容をまったく考慮していない、曲名とメロディーだけを評価したものであったが、やがて「国歌」にふさわしい歌詞が伴うようになる。1890年、フランツ・フォン・ゲルネルトによる現行の歌詞に改訂されたのである[22][29]。ゲルネルトもやはりヴァイルと同様にウィーン男声合唱協会の会員で、彼は作曲や詩作をたしなむ裁判所の判事であった[18]。新たに付けられた歌詞は、かつてヴァイルが付けたものとはまったく異なる荘厳な抒情詩であった[30]。
(ドイツ語) |
(日本語訳[30][29][7]) |
改訂新版が初めて歌われたのは1890年7月2日で[18]、この後広く「ハプスブルク帝国第二の国歌」と呼ばれるようになった[26]。ウィーンを流れるドナウ川をヨーロッパの国々に繋がる一本の帯に見立てた、国土を謳う立派な歌詞が付けられたことで、このワルツはハプスブルク帝国およびその帝都ウィーンを象徴する曲に生まれ変わったのである。合唱団はいずれもこの新しい歌詞のほうを好み、ヴァイルによる歌詞は歌われなくなった[26][7]。現行の歌詞は、ウィーン少年合唱団による歌唱でも有名である。
オーストリアでは帝政が廃止された後、ハイドンによる皇帝讃歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』から別の国歌に変更され、さらに紆余曲折を経て1946年には(かなり疑わしいが)モーツァルトの作品とされる『山岳の国、大河の国』に変更された。その一方で『美しく青きドナウ』は、オーストリア=ハンガリー帝国時代と変わらず「第二の国歌」としての立ち位置を維持した。1945年4月にオーストリアはナチス・ドイツ支配から解放されたが、独立後の国歌が未定だったことから、オーストリア議会はとりあえず正式な国歌が決まるまでの代わりとして『美しく青きドナウ』を推奨した。
戦後20年ほどが経過した1964年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともにテアトロ・コロンへ客演旅行に出たカール・ベームは、最後の演奏会で「ここで我々は感謝のためにさらにオーストリア国歌を演奏いたします」と述べて、国歌と聞いて反射的に起立した聴衆の前で『美しく青きドナウ』を演奏した[31]。ベームはこの曲のことをのちに出版した回想録のなかでも「三拍子のオーストリア国歌」と表現している。現在のオーストリアでも、このワルツは依然として「第二の国歌」と呼ばれ続けている。
逸話
[編集]シュトラウス2世の親友であったブラームスは、このワルツの讃美者だったことで知られる。シュトラウス2世の継娘アリーチェ[注釈 6]から彼女の扇子にサインを求められた際、ブラームスはこの『美しく青きドナウ』の冒頭の数小節を書き[32][33]、その下にこう書き添えた。
「 | 残念ながら、ヨハネス・ブラームスの作品にあらず[32][33]。 | 」 |
上のブラームスの言葉は非常に有名なものであるが、その他にもこのワルツを讃えるブラームスの言動がいくつか伝わっている。ブラームスはシュトラウス2世夫人アデーレに写真を贈った際、写真の裏に自分の『交響曲第4番』の最初の数小節を書き、さらに対位法で『美しく青きドナウ』の冒頭を組み合わせて書き、自分とシュトラウス2世の芸術の結びつきを示したという逸話がある[32]。
1892年、プラーター公園において「ウィーン国際音楽演劇博覧会」が開催されることとなり、ブラームスは開催委員会から祝祭カンタータの作曲を持ちかけられた。このとき彼は「イベント関係には関わりたくない」という理由で、自分ではなくブルックナーを推薦した[34][注釈 7]。ブルックナーを推薦した一方で、ブラームスはこの祝祭カンタータについて大真面目にこう提案したという。
「 | ≪美しく青きドナウ≫に美しい文学的な詩をつけて混声合唱用に編曲する。どうだ良いだろう[34]。 | 」 |
ブラームスの他、ワーグナーもこのワルツが大のお気に入りであった[35]。ワーグナーもシュトラウス2世のワルツを好んだ者の一人で、彼が最も好きだったのはこの『美しく青きドナウ』、次いで好きだったのは『酒、女、歌』(作品333)だったと伝わる[35]。また、『高雅で感傷的なワルツ』や『ラ・ヴァルス』などで知られるラヴェルも、このような言葉を残している。
「 | ワルツは、あらゆる作曲家を誘惑する形式だ。だが成功したのはほんの一握りの作曲家だけだ。モーツァルトはレントラーを作曲したが、これはもうウィーン風のワルツ。ベートーヴェンが作曲したのはドイツ舞曲だ。そしてもちろんシューベルト、シューマン、ブラームス、シャブリエ、ドビュッシーも作曲した。だが真に成功したのは誰だろう。それはヨハン・シュトラウスただ一人だ。彼は奇跡的に、皆が書きたいと思ったワルツを作曲し得たのだ。≪美しく青きドナウ≫だよ[36]。 | 」 |
後年には「シュトラウス」といえば『美しく青きドナウ』というほどにワルツ王の代表作として定着していた。シュトラウス2世が死去した1899年6月3日の午後、ウィーンのフォルクスガルテンにおいて野外コンサートが催されていた[37]。シュトラウス2世の訃報が届くと、指揮者エドゥアルト・クレムザーは、大勢の聴衆にこのことを手短に報告した後、静かにこのワルツを演奏し始めた[37]。また、交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』などで知られる同姓の作曲家リヒャルト・シュトラウスは、最晩年にロンドン公演のためにイギリスを訪れた際に「あなたがあの『美しく青きドナウ』の作曲者ですか?」と何度も尋ねられたという。
楽曲構成
[編集]序奏
[編集]アンダンティーノ、イ長調、8分の6拍子
トレモロに乗せて、のちに登場する「ド・ミ・ソ・ソ」というワルツの主旋律がゆるやかに示される[16]。ニ長調、4分の3拍子の「テンポ・ディ・ヴァルス」に移り、「ワルツ」部分が準備される[16]。ドナウ川の穏やかな流れを思わせるこの序奏のメロディーは特に有名な部分であり、オーストリアの人々の挨拶(グリュースゴット[注釈 8])の代わりにもなったほどである[38][19]。
第1ワルツ
[編集]ニ長調、二部形式(A・A’||:B:||)
Aの中心となるのは次の楽譜の部分である。「ド・ミ・ソ・ソ」というメロディーから始まるこの第1ワルツは、曲全体のなかでも特によく知られる部分である。
- Aパート
続くBではイ長調に移り、次の部分が中心となる。
- Bパート
第2ワルツ
[編集]ニ長調、三部形式(||:A:||B・A||)
Aは歯切れのよい次の楽譜に始まる。
- Aパート
Bはいきなり三度の転調をおこなって変ロ長調に移行し、流れるようなメロディーが奏でられる[39]。
- Bパート
第3ワルツ
[編集]ト長調、二部形式(||:A:||:B:||)
Aは次の楽譜に始まる。
- Aパート
Bは転調することなく、速度をヴィヴァーチェに速める[39]。
- Bパート
第4ワルツ
[編集]ヘ長調、二部形式(||:A:||:B:||A)
転調のために4小節からなる経過句が挟まれ、それに続いてAの主旋律が奏でられる[39]。
- 経過句、Aパート
Bはフルートを用いて演奏される[39]。次の楽譜が中心となっている。
- Bパート
第5ワルツ
[編集]イ長調、二部形式(A||:B・B’:||)
- 経過部
ヘ長調から経過部を通って、イ長調に移行し、Aに入る[39]。
- Aパート
Bは次の楽譜を中心とした、活発な部分である。
- Bパート
後奏
[編集]一般的には、「第3ワルツ」のAの音型に導かれて「第2ワルツ」のAがニ長調で示され、続いて「第4ワルツ」のAがヘ長調で奏でられ、最後に「第1ワルツ」の主旋律がニ長調で現れて、変化が激しい結びの句に移って力強く終わる[39]。
合唱版では、「第5ワルツ」のBからいきなり力強い結びに入り、すぐに終わる[39]。
-
コーダ1
-
コーダ2
-
コーダ3
ニューイヤーコンサート
[編集]大晦日から新年に代わるとき、公共放送局であるオーストリア放送協会は、シュテファン大聖堂の鐘の音に続いてこのワルツを放映するのが慣例となっている[2]。それに続いて元日正午から始まるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでは、3つのアンコール枠のうちの2番目としてこのワルツを演奏するのが通例である[2][注釈 9]。つまりオーストリアでは毎年元日に少なくとも2回は『美しく青きドナウ』が公共放送から流れてくるのを聴くことができる。ニューイヤーコンサートでは、序奏部を少しだけ演奏した後、聴衆の拍手によって一旦打ち切り、指揮者や団員の新年の挨拶が続くという習慣となっている[2]。
父シュトラウス1世の『ラデツキー行進曲』も同コンサートを締めくくる定番の曲であるが、こちらも国家的な行事や式典でたびたび演奏される曲である。これら二つの曲が同コンサートにきまって取り上げられるのは、ただ人気が高いからというだけの理由ではなく、オーストリアを象徴する曲だということも大きな理由なのである。ちなみに、カラヤンとケンペはステレオ初期にウィーン・フィルを指揮して録音した「シュトラウス・アルバム」に、この曲を含めていない。
日本においては、京都市交響楽団などがニューイヤーコンサートで演奏する事も多い。近年は特に京都市少年合唱団との共演で行なっている事も少なくない。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 管弦楽法については後期作品ほどの巧緻さはなく、日本でも吉田秀和や宇野功芳らがその単純さを指摘する一文を書いているが、この曲はそもそもが合唱曲だったのである。また、録音を残さなかったフルトヴェングラーのほか、クレンペラー、シューリヒト、クナッパーツブッシュがこの曲を外したウインナワルツ集を録音しており、カラヤンも一度ウィーンフィルと同様の試みを行っている。
- ^ Dudenの定める正書法によれば、地名を含む合成語ではハイフンを入れないのが通則だが、場合によってはハイフンで繋いでもよい[5][6]。
- ^ ただし、ベックはハンガリーで生まれウィーンで没している[14]。
- ^ 普墺戦争でオーストリア側についたことによってハノーファーは1866年9月にプロイセンに併合され、ハノーファー国王ゲオルク5世とその家族や臣下はみなオーストリアに逃れていた。
- ^ のちにオペレッタ『ジプシー男爵』の台本を書いた人物である。
- ^ アリスとも。のちに画家フランツ・フォン・バイロスの妻となる。
- ^ ブルックナーはこの嘱託を受けて『詩篇第150番』を作曲した[34]。
- ^ 「神があなたに挨拶しますように」の意。カトリック教会への信仰が根強いオーストリアやバイエルンなどの南ドイツ地方では、「こんにちは」のことを「グーテンターク」ではなくこう言う。
- ^ 始まったばかりの頃には演奏されない年もあった。具体的には、1939年、1941年、1942年、1943年、1944年、1947年、1956年の7回。1957年からは毎年欠かさず演奏されている。(2016年現在)
出典
[編集]- ^ CD『クラシック名曲大全集』解説書 p.130「52 ウィーンの休日」
- ^ a b c d 河野(2009) p.73
- ^ Wiener Institut für Strauss-Forschung Donauwalzer
- ^ Peter W. Schulze Strategien »kultureller Kannibalisierung«: Postkoloniale Repräsentationen vom brasilianischen Modernismo zum Cinema Novo (2015) p.186
- ^ Duden | Sprachwissen | Rechtschreibregeln | Namen | Regel 143
- ^ Die amtliche Regelung der deutschen Rechtschreibung - Duden
- ^ a b c 河野(2009) p.76
- ^ 堀内敬三、野村良雄『音楽辞典 人名篇』(昭和30年2月15日、音楽之友社)p.242
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- ^ a b 加藤(2003) p.147
- ^ a b c 河野(2009) p.74
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- ^ a b c d e f 小宮(2000) p.127
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- ^ a b 倉田(2006) p.180
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- ^ a b c d ケンプ(1987) p.106
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- ^ a b c d e f g 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』 p.328
参考文献
[編集]- 『名曲解説全集 第三巻 管弦楽曲(上)』(音楽之友社、1959年3月5日)
- 門馬直美『大音楽家 人と作品:10 ブラームス』(音楽之友社、1965年10月30日)
- カール・ベーム著、高辻知義訳『回想のロンド』(白水社、1970年5月13日)
- ハインリヒ・W・シュヴァープ『人間と音楽の歴史 Ⅳ(1600年から現代まで) 第2巻 コンサート 17世紀から19世紀までの公開演奏会』音楽之友社、1986年3月20日。ISBN 4-276-01142-6。
- ピーター・ケンプ 著、木村英二 訳『シュトラウス・ファミリー:ある音楽王朝の肖像』音楽之友社、1987年10月。ISBN 4276-224241。
- 倉田稔『ハプスブルク歴史物語』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、1994年6月25日。ISBN 4-14-001702-3。
- マニュエル・ロザンタール 著、伊藤制子 訳、マルセル・マルナ 編『ラヴェル : その素顔と音楽論』春秋社、1998年。ISBN 4393931440。
- 小宮正安『ヨハン・シュトラウス ワルツ王と落日のウィーン』中央公論新社〈中公新書〉、2000年12月10日。ISBN 4-12-101567-3。
- 加藤雅彦『ウィンナ・ワルツ ハプスブルク帝国の遺産』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2003年12月20日。ISBN 4-14-001985-9。
- 増田芳雄「ヨーゼフ・シュトラウス――ワルツのシューベルト」(帝塚山大学『人間環境科学』第12巻、2003年)
- アルベルト・ディートリヒ、ジョージ・ヘンシェル等 著、天崎浩二 訳『ブラームス回想録集1 ヨハネス・ブラームスの思い出』音楽之友社、2004年2月5日。ISBN 978-4-276-20177-4。
- リヒャルト・ホイベルガー、リヒャルト・フェリンガー等 著、天崎浩二、関根裕子 訳『ブラームス回想録集2 ブラームスは語る』音楽之友社、2004年6月10日。ISBN 978-4-276-20178-1。
- 倉田稔『ハプスブルク文化紀行』日本放送出版協会〈NHKブックス〉、2006年5月30日。ISBN 4-14-091058-5。
- 河野純一『ハプスブルク三都物語』中央公論新社〈中公新書〉、2009年11月25日。ISBN 978-4-12-102032-1。
- 若宮由美「博覧会的なピアノ曲集としての"Aus der Musikstadt"(1892)」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第13号、埼玉学園大学、2013年12月、167-179頁、ISSN 1347-0515、NAID 120005772404。
- 若宮由美「ヨーゼフ・シュトラウスの〈ロメオとジュリエット〉 : グノーのオペラに基づくポプリ」『埼玉学園大学紀要. 人間学部篇』第14号、埼玉学園大学、2014年12月、75-87頁、ISSN 1347-0515、NAID 120005768684。
外部リンク
[編集]- ワルツ『美しく青きドナウ』の楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
- Johann Strauss (Sohn) An der schönen blauen Donau / Walzer op. 314 (1867) - ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団(WJSO)による解説。
- Johann Strauss (Sohn), An der schönen blauen Donau, op. 314. - ウィーン・シュトラウス研究所(Wiener Institut für Strauss-Forschung、WISF)による解説。