「イスパーン賞」の版間の差分
Oncorhynchus (会話 | 投稿記録) m →近年の優勝馬 |
工事中解除、Wikipedia:記事どうしをつなぐ#リンクすべきでないものにもとづき日付のリンクを解除、レース結果節に要出典 |
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{{競馬の競走 |
{{競馬の競走 |
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|馬場 = 芝 |
|馬場 = 芝 |
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'''イスパーン賞'''(''{{lang|en|Prix d'Ispahan}}'')は[[フランス]]の[[パリ]]にある[[ロンシャン競馬場]]で開催される芝1850[[メートル]]の[[競馬]]の[[競走]]である。グループ制では[[競馬の競走格付け|G1]]に類される。出走条件は4歳以上馬。 |
'''イスパーン賞'''(''{{lang|en|Prix d'Ispahan}}'')は[[フランス]]の[[パリ]]にある[[ロンシャン競馬場]]で開催される芝1850[[メートル]]の[[競馬]]の[[競走]]である。グループ制では[[競馬の競走格付け|G1]]に類される。出走条件は4歳以上馬。 |
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競走名は[[サファヴィー朝]][[ペルシャ]]の[[首都]]であった[[エスファハーン]]に因む。これは第1回開催にあたり、当時ヨーロッパ歴訪中だった[[ガージャール朝]]の皇帝(シャー)[[ナーセロッディーン・シャー]]が招待されたことによる。<!--英語版を参照--> |
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{| style="float:right;width:200px;margin-left:1em;margin-top:0.5em;font-size:80%;background:#f9f9f9;" |
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|{{File clip2 | Nasser-ed-Din Shah.jpg | width = 200 | 10 | 0 | 15 | 0 | w = 342 | h = 513 |align=center|ペルシャ皇帝[[ナーセロッディーン・シャー|ナーセロッディーン]]}} |
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|{{File clip2 | Naghshe Jahan Square Isfahan modified.jpg | width = 200 | 0 | 0 | 0 | 0 | w = 800 | h = 561 |align=center|イスファハン(イスパーン)の宮殿}} |
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|{{File clip2 | Edgar Germain Hilaire Degas 059.jpg | width = 200 | 0 | 0 | 0 | 0 | w = 757 | h = 600 |align=center|[[エドガー・ドガ|ドガ]]の「ロンシャン競馬場」(1873-1875年頃の作品)}} |
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===レース名の由来=== |
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「イスパーン賞(Prix d'Ispahan)」という競走が最初に行われたのは1873年7月13日である。本来その時期は[[ロンシャン競馬場]]の開催時期ではないのだが、[[パリ]]を訪問したイラン皇帝([[ガージャール朝]]の[[シャー]])[[ナーセロッディーン・シャー]]を歓待するために特別に開催が行われた<ref name="Gallop_Dispahan"/>。 |
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この開催のメインレースとして3000メートルの平地競走が行われた。そのレースの名称は、当時のガージャール朝([[ペルシャ]])の首都[[エスファハーン]]にちなんで、「エスファハーン賞」を意味するフランス語「Prix de Ispahan」(フランス語では「de Ispahan」は[[エリジオン]]の結果「d'Ispahan」と綴る)として行われた。これが今のイスパーン賞の起源とされている。このときは同年の[[ディアヌ賞]](フランスオークス)に優勝馬したカンペシュ(Campêche)という3歳牝馬が勝っている<ref name="Gallop_Dispahan"/>。 |
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例年[[5月]]に開催され、その距離から[[距離 (競馬)#マイル|マイル]]、[[距離 (競馬)#中距離|中距離]]のトップホースが集うことが多い。過去には[[1974年]]に[[アレフランス]]、[[1984年]]に[[クリスタルグリッターズ]]、[[1988年]]に[[ミエスク]]、[[1999年]]にクロコルージュ、[[2000年]]に[[センダワール]]、[[2003年]]に[[ファルブラヴ]]、[[2007年]]に[[マンデュロ]]といった名馬が優勝している。 |
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なお、この日は午前中に平地競走を済ませたあと、昼休みを利用して置き障害が設置され、午後は障害レースが行われた。午後の障害レースのメインレースが「ファリスタン賞(Prix du Faristan)」といった<ref name="Gallop_Dispahan"/>。 |
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[[日本]]調教馬としては、[[1999年]]に[[エルコンドルパサー]]が2着(優勝馬[[クロコルージュ]])、[[2016年]]に[[エイシンヒカリ]]が優勝している。 |
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===変遷=== |
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== 開催競馬場 == |
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翌年からは2400メートルに距離を短縮して行われるようになり、1891年から2200メートル、1903年から2100メートルと徐々に距離は短くなっていった。その間、[[第一次世界大戦]](1914年7月から1918年11月)があり、フランスはドイツ軍に攻め込まれて競馬開催ができなくなり<ref group="注">このときは、主にフランス国内の馬主の多くが、軍馬に挑発されることを嫌って所有馬を安全なイギリスやアメリカ、スペインなどに移してしまい、フランス国内は競馬をできるような状況ではなくなった。</ref>、1915年から1918年の4年はイスパーン賞も行われなかった<ref name="Gallop_Dispahan"/><ref name="GS_dIspahan"/>。 |
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*ロンシャン競馬場([[1873年]]~[[1942年]]、[[1945年]]~[[1990年]]、[[1992年]]~[[2015年]]) |
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*トランブレイ競馬場([[1943年]]~[[1944年]]) |
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*[[メゾンラフィット競馬場]]([[1991年]]) |
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戦後に競馬が再開してまもない1921年からは1850メートルに短縮になり、以後は代替開催を除いてこの距離で行われている。1939年夏にはじまった第二次世界大戦では、当初はフランス国内の競馬も平穏に行われていたが、1940年春にドイツ軍がフランスへ侵攻、6月にはパリも落城して競馬どころではなくなった。翌1941年からは占領軍であるドイツ軍の許可のもとでロンシャン競馬が再開されたが、1943年には連合軍側の空襲が激しくなり、特に対空砲が設置されたロンシャン競馬場は空爆の標的となった。そのため1943年・1944年は近隣のトランブレー競馬場で代替開催になり、2000メートルで行われている。このほか1991年と2016年にも[[シャンティイ競馬場]](1800メートル)で代替開催になった<ref name="Gallop_Dispahan"/><ref name="GS_dIspahan"/>。 |
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*芝3000メートル(1873年) |
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*芝2400メートル([[1874年]]~[[1890年]]) |
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*芝2200メートル([[1891年]]~[[1902年]]) |
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*芝2100メートル([[1903年]]~[[1920年]]) |
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*芝2000メートル([[1943年]]~[[1944年]]) |
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*芝1850メートル([[1921年]]~[[1942年]]、[[1945年]]~[[2015年]]) |
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*芝1800メートル([[2016年]] - シャンティイ競馬場での代替開催のため) |
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1960年代までは夏(主に7月)に行っていて、3歳馬を含めて春競馬で活躍した馬が集うレースだった。1988年に条件が大きく変わり、開催時期は春(主に5月)に変わり、それまでの「3歳以上」から「4歳以上」となって古馬のレースに様変わりした<ref name="Gallop_Dispahan"/><ref name="GS_dIspahan"/>。 |
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===過去の主な勝ち馬=== |
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過去のイスパーン賞優勝馬の中でも特筆されるのが1889年優勝のルサンシー(Le Sancy)、1923年のエピナール([[:en:Épinard|Épinard]])、1988年の[[ミエスク]]、2003年の[[ファルブラヴ]]だとされている。これらはイスパーン賞優勝を契機に世界的な名馬へと飛躍していった<ref name="Gallop_Dispahan"/>。ほかにも、1974年の[[アレフランス]]や1985年の[[サガス]]は、春にイスパーン賞を勝ち、その秋に[[凱旋門賞]]を制している<ref name="Gallop_Dispahan"/>。 |
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フランス国外からの挑戦は珍しいが、2014年までに<!--出典が2014年時点のものなので-->10頭が優勝している<ref name="Gallop_Dispahan"/>。2016年には日本の[[エイシンヒカリ]]が優勝した<ref name="LP20160524"/>。このときエイシンヒカリは2着に10馬身差をつけており、これは21世紀のG1競走のなかで歴代9位(2016年5月時点)のものである<ref name="EQD20160524"/>{{refnest|group="注"|1位は2009年[[ドバイワールドカップ]]での14馬身(Well Armed)、2位は2008年[[アイリッシュセントレジャー|アイルランドセントレジャー]]での13馬身(Septimus)、3位に11馬身差が6頭いる<ref name="EQD20160524"/<ref name="RP20160524"/>>。}}。 |
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そのほか[[日本]]馬<!--「調教国」については難しい面があるので、「日本馬」とぼやかした表現にします。当時のエルコンドルパサーはフランスに滞在して調教を受けており、日本で著供して直前入厩したわけではなく、現地ではエルコンドルパサーのようなパターンは「フランス調教」として扱われています。-->としては、[[1999年]]に[[エルコンドルパサー]]が2着(優勝馬[[クロコルージュ]]に入っている。 |
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===条件の変遷=== |
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|年||開催競馬場||距離(メートル)||その他 |
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|1873||ロンシャン競馬場||3000|| |
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|1874 - 1890||ロンシャン競馬場||'''2400'''|| |
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|1891 - 1902||ロンシャン競馬場||'''2200'''|| |
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|1903 - 1914||ロンシャン競馬場||'''2100'''|| |
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|1915 - 1918||'''中止'''|| ||第一次世界大戦 |
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|1919 - 1939||ロンシャン競馬場||2100|| |
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|1940||'''中止'''|| ||第ニ次世界大戦 |
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|1941 - 1942||ロンシャン競馬場||'''1850'''|| |
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|1943 - 1944||'''トランブレー競馬場'''||'''2000'''||第二次世界大戦 |
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|1945 - 1990||ロンシャン競馬場||1850|| |
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|1992 - 2015||ロンシャン競馬場||1850|| |
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|2016||'''シャンティイ競馬場'''||'''1800'''|| |
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*[[1873年]] - 創設。当時は出走条件3歳以上馬、開催時期は6月、7月だった。 |
*[[1873年]] - 創設。当時は出走条件3歳以上馬、開催時期は6月、7月だった。 |
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*[[1915年]]~[[1918年]] - 第一次世界大戦のため中止。 |
*[[1915年]]~[[1918年]] - 第一次世界大戦のため中止。 |
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*[[1940年]] - 第二次世界大戦の |
*[[1940年]] - 第二次世界大戦のにより中止。 |
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*[[1971年]] - グループ制の導入によりG1に格付け |
*[[1971年]] - グループ制の導入によりG1に格付け。 |
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*[[ |
*[[1988年]] - 出走条件が3歳以上から4歳以上に変更。 |
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*2016年 - ロンシャン競馬場改修工事のため、代替とし |
*2016年 - ロンシャン競馬場改修工事のため、代替としてシャンティイ競馬場で開催される。 |
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== 近年の優勝馬 == |
== 近年の優勝馬 == |
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<!--「回次」「開催日」「調教国」を一発で網羅できる出典はあるだろうか--> |
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{| class="wikitable" |
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!回!!施行日!!調教国・優勝馬!!日本語読み!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主 |
!回!!施行日!!調教国・優勝馬!!日本語読み!!性齢!!タイム!!優勝騎手!!管理調教師!!馬主 |
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|style="text-align:center"|第131回||[[2008年]] |
|style="text-align:center"|第131回||[[2008年]]5月18日||{{flagicon|FRA}}Sageburg||[[セージバーグ]]||牡4||1:53.70||[[オリビエ・ペリエ|O.ペリエ]]||[[アラン・ド・ロワイエ=デュプレ|A・ド・ロワイエ=デュプレ]]||[[アーガー・ハーン4世]] |
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|style="text-align:center"|第132回||[[2009年]] |
|style="text-align:center"|第132回||[[2009年]]5月17日||{{flagicon|FRA}}Never on Sunday||[[ネヴァーオンサンデー]]||牡4||1:57.20||[[クリストフ・ルメール|C.ルメール]]||[[ジャン=クロード・ルジェ|J-C.ルジェ]]||ダニエル=イヴ・トレヴィス |
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|style="text-align:center"|第133回||[[2010年]] |
|style="text-align:center"|第133回||[[2010年]]5月23日||{{flagicon|FRA}}Goldikova||[[ゴルディコヴァ]]||牝5||1:49.40||O.ペリエ||[[フレディ・ヘッド|F.ヘッド]]||[[ヴェルテメール兄弟]] |
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|style="text-align:center"|第134回||[[2011年]] |
|style="text-align:center"|第134回||[[2011年]]5月22日||{{flagicon|FRA}}Goldikova||ゴルディコヴァ||牝6||1:51.00||O.ペリエ||F.ヘッド||ヴェルテメール兄弟 |
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|style="text-align:center"|第135回||[[2012年]] |
|style="text-align:center"|第135回||[[2012年]]5月27日||{{flagicon|FRA}}Golden Lilac||[[ゴールデンライラック]]||牝4||1:51.85||[[マキシム・ギュイヨン|M.ギュイヨン]]||[[アンドレ・ファーブル|A.ファーブル]]||ゲシュタット・アマーランド |
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|style="text-align:center"|第136回||[[2013年]] |
|style="text-align:center"|第136回||[[2013年]]5月26日||{{flagicon|FRA}}Maxios||[[マキシオス]]||牡5||1:56.55||[[ステファン・パスキエ|S.パスキエ]]||[[ジョナサン・ピース|J.ピース]]||[[スタブロス・ニアルコス|ニアルコス・ファミリー]] |
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|style="text-align:center"|第137回<ref>[http://www.racingpost.com/horses/result_home.sd?race_id=603821&r_date=2014-05-25&popup=yes#results_top_tabs=re_&results_bottom_tabs=ANALYSIS 2014年レース結果] - racingpost、2014年5月28日閲覧</ref>||[[2014年]][[5月25日]]||{{flagicon|FRA}}Cirrus Des Aigles||[[シリュスデゼーグル]]||セ8||1:57.98||C.スミヨン||C.バランド=バルブ||[[ジャン-クロード-アラン・デュプイ]] |
|style="text-align:center"|第137回<ref>[http://www.racingpost.com/horses/result_home.sd?race_id=603821&r_date=2014-05-25&popup=yes#results_top_tabs=re_&results_bottom_tabs=ANALYSIS 2014年レース結果] - racingpost、2014年5月28日閲覧</ref>||[[2014年]][[5月25日]]||{{flagicon|FRA}}Cirrus Des Aigles||[[シリュスデゼーグル]]||セ8||1:57.98||C.スミヨン||C.バランド=バルブ||[[ジャン-クロード-アラン・デュプイ]] |
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==脚注== |
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===注釈=== |
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<references group="注"/> |
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===出典=== |
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|refs= <!-- --> |
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*<ref name="Gallop_Dispahan">(フランス競馬会)L'ENCYCLOPÉDIE DES NOMS DE COURSES TOUT SUR L'UNIVERS DU GALOP [http://www.france-galop.com/L-encyclopedie-des-noms-de-cou.233+M54a708de802.0.html?&course_id=9110&no_cache=1&numero_id=15 PRIX D’ISPAHAN] 2016年5月25日閲覧。</ref> |
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*<ref name="GS_dIspahan">Galopp-Sieger [http://www.galopp-sieger.de/galoppsieger/sieger?rennkz=FR-018 Prix d'Ispahan] 2016年5月25日閲覧。</ref> |
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*<ref name="EQD20160524">Equidia 2016年5月24日付 Prix d’Ispahan[http://www.equidia.fr/live/prix-dispahan-a-shin-hikari-ridiculise-lopposition/ A Shin Hikari ridiculise l’opposition] 2016年5月25日閲覧。</ref> |
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*<ref name="RP20160524">[[レーシング・ポスト]] 2016年5月24日付 [http://www.racingpost.com/news/horse-racing/masanori-sakaguchi-yutaka-take-royal-ascot-a-shin-hikari-hot-favourite-for-ascot-after-chantilly-romp/2088234/top/#newsArchiveTabs=last7DaysNews A Shin Hikari books Royal Ascot spot in style] 2016年5月25日閲覧。</ref> |
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*<ref name="LP20160524">[[ル・パリジャン]] 2016年5月24日付 [http://www.leparisien.fr/sports/hippisme/prix-d-ispahan-le-japon-a-l-honneur-24-05-2016-5825297.php Prix d'Ispahan. Le Japon à l'honneur] 2016年5月25日閲覧。</ref> |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2016年5月25日 (水) 09:46時点における版
イスパーン賞 Prix d'Ispahan | |
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開催国 | フランス |
主催者 | フランスギャロ |
競馬場 | ロンシャン競馬場 |
2014年の情報 | |
距離 | 芝1850メートル |
格付け | G1 |
賞金 | 賞金総額25万ユーロ[1] |
出走条件 | サラブレッド4歳以上 |
負担重量 | 定量戦(58kg、牝馬1.5kg減) |
イスパーン賞(Prix d'Ispahan)はフランスのパリにあるロンシャン競馬場で開催される芝1850メートルの競馬の競走である。グループ制ではG1に類される。出走条件は4歳以上馬。
小史
ペルシャ皇帝ナーセロッディーン
|
イスファハン(イスパーン)の宮殿
|
ドガの「ロンシャン競馬場」(1873-1875年頃の作品)
|
レース名の由来
「イスパーン賞(Prix d'Ispahan)」という競走が最初に行われたのは1873年7月13日である。本来その時期はロンシャン競馬場の開催時期ではないのだが、パリを訪問したイラン皇帝(ガージャール朝のシャー)ナーセロッディーン・シャーを歓待するために特別に開催が行われた[2]。
この開催のメインレースとして3000メートルの平地競走が行われた。そのレースの名称は、当時のガージャール朝(ペルシャ)の首都エスファハーンにちなんで、「エスファハーン賞」を意味するフランス語「Prix de Ispahan」(フランス語では「de Ispahan」はエリジオンの結果「d'Ispahan」と綴る)として行われた。これが今のイスパーン賞の起源とされている。このときは同年のディアヌ賞(フランスオークス)に優勝馬したカンペシュ(Campêche)という3歳牝馬が勝っている[2]。
なお、この日は午前中に平地競走を済ませたあと、昼休みを利用して置き障害が設置され、午後は障害レースが行われた。午後の障害レースのメインレースが「ファリスタン賞(Prix du Faristan)」といった[2]。
変遷
翌年からは2400メートルに距離を短縮して行われるようになり、1891年から2200メートル、1903年から2100メートルと徐々に距離は短くなっていった。その間、第一次世界大戦(1914年7月から1918年11月)があり、フランスはドイツ軍に攻め込まれて競馬開催ができなくなり[注 1]、1915年から1918年の4年はイスパーン賞も行われなかった[2][3]。
戦後に競馬が再開してまもない1921年からは1850メートルに短縮になり、以後は代替開催を除いてこの距離で行われている。1939年夏にはじまった第二次世界大戦では、当初はフランス国内の競馬も平穏に行われていたが、1940年春にドイツ軍がフランスへ侵攻、6月にはパリも落城して競馬どころではなくなった。翌1941年からは占領軍であるドイツ軍の許可のもとでロンシャン競馬が再開されたが、1943年には連合軍側の空襲が激しくなり、特に対空砲が設置されたロンシャン競馬場は空爆の標的となった。そのため1943年・1944年は近隣のトランブレー競馬場で代替開催になり、2000メートルで行われている。このほか1991年と2016年にもシャンティイ競馬場(1800メートル)で代替開催になった[2][3]。
1960年代までは夏(主に7月)に行っていて、3歳馬を含めて春競馬で活躍した馬が集うレースだった。1988年に条件が大きく変わり、開催時期は春(主に5月)に変わり、それまでの「3歳以上」から「4歳以上」となって古馬のレースに様変わりした[2][3]。
過去の主な勝ち馬
過去のイスパーン賞優勝馬の中でも特筆されるのが1889年優勝のルサンシー(Le Sancy)、1923年のエピナール(Épinard)、1988年のミエスク、2003年のファルブラヴだとされている。これらはイスパーン賞優勝を契機に世界的な名馬へと飛躍していった[2]。ほかにも、1974年のアレフランスや1985年のサガスは、春にイスパーン賞を勝ち、その秋に凱旋門賞を制している[2]。
フランス国外からの挑戦は珍しいが、2014年までに10頭が優勝している[2]。2016年には日本のエイシンヒカリが優勝した[4]。このときエイシンヒカリは2着に10馬身差をつけており、これは21世紀のG1競走のなかで歴代9位(2016年5月時点)のものである[5][注 2]。
そのほか日本馬としては、1999年にエルコンドルパサーが2着(優勝馬クロコルージュに入っている。
条件の変遷
年 | 開催競馬場 | 距離(メートル) | その他 |
1873 | ロンシャン競馬場 | 3000 | |
1874 - 1890 | ロンシャン競馬場 | 2400 | |
1891 - 1902 | ロンシャン競馬場 | 2200 | |
1903 - 1914 | ロンシャン競馬場 | 2100 | |
1915 - 1918 | 中止 | 第一次世界大戦 | |
1919 - 1939 | ロンシャン競馬場 | 2100 | |
1940 | 中止 | 第ニ次世界大戦 | |
1941 - 1942 | ロンシャン競馬場 | 1850 | |
1943 - 1944 | トランブレー競馬場 | 2000 | 第二次世界大戦 |
1945 - 1990 | ロンシャン競馬場 | 1850 | |
1991 | シャンティイ競馬場 | 1800 | |
1992 - 2015 | ロンシャン競馬場 | 1850 | |
2016 | シャンティイ競馬場 | 1800 |
沿革
- 1873年 - 創設。当時は出走条件3歳以上馬、開催時期は6月、7月だった。
- 1915年~1918年 - 第一次世界大戦のため中止。
- 1940年 - 第二次世界大戦のにより中止。
- 1971年 - グループ制の導入によりG1に格付け。
- 1988年 - 出走条件が3歳以上から4歳以上に変更。
- 2016年 - ロンシャン競馬場改修工事のため、代替としてシャンティイ競馬場で開催される。
近年の優勝馬
回 | 施行日 | 調教国・優勝馬 | 日本語読み | 性齢 | タイム | 優勝騎手 | 管理調教師 | 馬主 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
第131回 | 2008年5月18日 | Sageburg | セージバーグ | 牡4 | 1:53.70 | O.ペリエ | A・ド・ロワイエ=デュプレ | アーガー・ハーン4世 |
第132回 | 2009年5月17日 | Never on Sunday | ネヴァーオンサンデー | 牡4 | 1:57.20 | C.ルメール | J-C.ルジェ | ダニエル=イヴ・トレヴィス |
第133回 | 2010年5月23日 | Goldikova | ゴルディコヴァ | 牝5 | 1:49.40 | O.ペリエ | F.ヘッド | ヴェルテメール兄弟 |
第134回 | 2011年5月22日 | Goldikova | ゴルディコヴァ | 牝6 | 1:51.00 | O.ペリエ | F.ヘッド | ヴェルテメール兄弟 |
第135回 | 2012年5月27日 | Golden Lilac | ゴールデンライラック | 牝4 | 1:51.85 | M.ギュイヨン | A.ファーブル | ゲシュタット・アマーランド |
第136回 | 2013年5月26日 | Maxios | マキシオス | 牡5 | 1:56.55 | S.パスキエ | J.ピース | ニアルコス・ファミリー |
第137回[7] | 2014年5月25日 | Cirrus Des Aigles | シリュスデゼーグル | セ8 | 1:57.98 | C.スミヨン | C.バランド=バルブ | ジャン-クロード-アラン・デュプイ |
第138回[8] | 2015年5月24日 | Solow | ソロウ | セ5 | 1:51.30 | M.ギュイヨン | F.ヘッド | ヴェルテメール兄弟 |
第139回[9] | 2016年5月24日 | A Shin Hikari | エイシンヒカリ | 牡5 | 1:53.29 | 武豊 | 坂口正則 | 栄進堂 |
脚注
注釈
- ^ このときは、主にフランス国内の馬主の多くが、軍馬に挑発されることを嫌って所有馬を安全なイギリスやアメリカ、スペインなどに移してしまい、フランス国内は競馬をできるような状況ではなくなった。
- ^ 1位は2009年ドバイワールドカップでの14馬身(Well Armed)、2位は2008年アイルランドセントレジャーでの13馬身(Septimus)、3位に11馬身差が6頭いる[6]>。
出典
- ^ IFHA Prix d'Ispahan2014年12月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i (フランス競馬会)L'ENCYCLOPÉDIE DES NOMS DE COURSES TOUT SUR L'UNIVERS DU GALOP PRIX D’ISPAHAN 2016年5月25日閲覧。
- ^ a b c Galopp-Sieger Prix d'Ispahan 2016年5月25日閲覧。
- ^ ル・パリジャン 2016年5月24日付 Prix d'Ispahan. Le Japon à l'honneur 2016年5月25日閲覧。
- ^ Equidia 2016年5月24日付 Prix d’IspahanA Shin Hikari ridiculise l’opposition 2016年5月25日閲覧。
- ^ レーシング・ポスト 2016年5月24日付 A Shin Hikari books Royal Ascot spot in style 2016年5月25日閲覧。
- ^ 2014年レース結果 - racingpost、2014年5月28日閲覧
- ^ 2015年レース結果レーシングポスト、2015年7月1日閲覧
- ^ 2016年レース結果レーシングポスト、2016年5月24日閲覧
関連項目
- サンタラリ賞 - 同日に施行されるG1競走