コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Peccafly (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:「イスタンブール」記事改名に伴うリンク修正依頼 - log
11行目: 11行目:
|EBU page = http://www.eurovision.tv/page/history/by-country/country?country=10
|EBU page = http://www.eurovision.tv/page/history/by-country/country?country=10
}}
}}
[[ファイル:Tie Break - Austria 2004.jpg|thumb||right|200px||[[:en:Tie Break|Tie Break]]、[[イスタンブル]]での[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2004|2004年大会]]にて。]]
[[ファイル:Tie Break - Austria 2004.jpg|thumb||right|200px||[[:en:Tie Break|Tie Break]]、[[イスタンブル]]での[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2004|2004年大会]]にて。]]
[[ファイル:ESC 2007 Austria - Eric Papilaya - Get a life Get alive.jpg|thumb||right|200px||[[:en:Eric Papilaya|Eric Papilaya]]、[[ヘルシンキ]]での[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007|2007年大会]]にて。]]
[[ファイル:ESC 2007 Austria - Eric Papilaya - Get a life Get alive.jpg|thumb||right|200px||[[:en:Eric Papilaya|Eric Papilaya]]、[[ヘルシンキ]]での[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2007|2007年大会]]にて。]]
'''オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト'''では、[[オーストリア]]における[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]について述べる。オーストリアは過去にユーロビジョン・ソング・コンテストには数多く出場しているが、目立って良い実績は得られなかった。オーストリアは、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2014]]で[[コンチータ・ヴルスト]]が優勝するまでの間、40年以上にわたって優勝経験は[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1966|1966年大会]]の[[ウド・ユルゲンス]]「{{lang|fr|[[:en:Merci Chérie|Merci Chérie]]}}」の1度限りという状態が続いた<ref>{{citeweb|url=http://www.diggiloo.net/?1966at|title=1968 Austria|author=Diggiloo Thrush|accessdate=2006-12-10}}</ref>。
'''オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテスト'''では、[[オーストリア]]における[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト]]について述べる。オーストリアは過去にユーロビジョン・ソング・コンテストには数多く出場しているが、目立って良い実績は得られなかった。オーストリアは、[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト2014]]で[[コンチータ・ヴルスト]]が優勝するまでの間、40年以上にわたって優勝経験は[[ユーロビジョン・ソング・コンテスト1966|1966年大会]]の[[ウド・ユルゲンス]]「{{lang|fr|[[:en:Merci Chérie|Merci Chérie]]}}」の1度限りという状態が続いた<ref>{{citeweb|url=http://www.diggiloo.net/?1966at|title=1968 Austria|author=Diggiloo Thrush|accessdate=2006-12-10}}</ref>。

2016年10月18日 (火) 12:09時点における版

オーストリア
オーストリア
加盟放送局 ORF
国内選考大会 Song Festival
出場
出場回数 48
初出場 1957
最高順位 優勝: 1966, 2014
最低順位 最下位: 1957, 1961, 1962, 1979, 1984, 1988, 1991
外部リンク
Eurovision.tvのページ
Tie Breakイスタンブールでの2004年大会にて。
Eric Papilayaヘルシンキでの2007年大会にて。

オーストリアのユーロビジョン・ソング・コンテストでは、オーストリアにおけるユーロビジョン・ソング・コンテストについて述べる。オーストリアは過去にユーロビジョン・ソング・コンテストには数多く出場しているが、目立って良い実績は得られなかった。オーストリアは、ユーロビジョン・ソング・コンテスト2014コンチータ・ヴルストが優勝するまでの間、40年以上にわたって優勝経験は1966年大会ウド・ユルゲンスMerci Chérie」の1度限りという状態が続いた[1]

過去にダンス・ポップの楽曲で成功してきたのと対照的に、2000年代のオーストリアの参加曲には、ユーモラスなものを選ぶ傾向にある。2003年大会では、コメディアンで芸能人のアルフ・ポイヤーAlf Poier)は家畜に関する楽曲「Weil Der Mensch Zählt」を大会で披露した[2]2005年大会では、民俗音楽のグループグローバル・クライナーGlobal Kryner)がラテン風の楽曲「Y así」を披露した[3]。これはオーストリアにとって初の準決勝への参加となったが、決勝への進出はかなわなかった。オーストリアは代表曲を、毎年開催されるSong Festivalで選出している。

不参加

オーストリアは複数回にわたって大会を欠場している。最初の欠場は、マドリードで行われた1969年大会であった。当時のスペインフランシスコ・フランコ政権の統治下にあり、オーストリアは大会のボイコットを決定した。しかし、大会の歴史に詳しいジョン・ケネディ・オコナーJohn Kennedy O'Connor)は、前年の1968年大会でオーストリアがスペインに2得点を与え、これによってスペインが1得点差で優勝したことから、このボイコットの理由を政治上のものとしているのは建前に過ぎない可能性があるとしている[4]

翌年の1970年大会でもオーストリアは欠場した。これは1969年大会で同率で複数の優勝国が選ばれたためであり、これによってオーストリア以外にも複数の国が1970年大会の不参加を決定している[4]

1973年大会から1975年大会まで、オーストリアは不参加をなった。その正確な理由は不明であるが、参加曲すべてに一定の得点を保障した得点方式が一部の大会で用いられることが理由ではないかと推測されている。

1998年大会2001年大会ではオーストリアは過去5年間の大会での順位が基準に満たなかったため、参加は認められなかった[4]

2006年大会に先立ち、オーストリアは過去の大会での順位が低いことを理由に不参加とする可能性を示唆し、参加アーティストの才能はコンテストでの成功に左右されないとした[5][6]ヘルシンキで行われた2007年大会には参加したものの、準決勝でワースト2となったことや、オーストリアの視聴者のユーロビジョンへの関心の低下から、2008年大会への参加を見送った。オーストリア放送協会(ORF)の番組ディレクターのヴォルフガング・ローレンツ(Wolfgang Lorenz)は、オーストリアは期限を定めず大会への不参加を続ける可能性を示唆し、「ORFは、チャンスの与えられない大会にこれ以上のアーティストを送る意思はない。状況が変化すれば、喜んで再び参加するだろう」と述べた[7]。不参加にも関わらず、2008年大会の決勝はORFによって放送され、よって翌年の大会に参加する権利を留保した[8]

しかし、ORFのエンターテイメント・ディレクターのエドガー・ベーム(Edgar Böhm)は、現行の準決勝の方式は「依然、投票に際して政治的選好によって動く一部の国々に対処したものとなっていない」とし、「欧州放送連合によって、準決勝の方式について定める明確なガイドラインが制定されない限り、オーストリアはモスクワでの2009年大会には参加しない」とした[9][10]。ORFは2009年大会には参加しないことを決定し、他方で2008年同様に決勝の模様を放送した[11]。その後もオーストリアは、ユーロビジョンの投票制度の不備を理由に不参加を続けていたが、2010年大会でドイツ代表が優勝を果たすと、同年7月に2011年大会への復帰を表明した。

参加者

アーティスト 言語 決勝 得点 準決勝 得点
1957 ボブ・マーティン
Bob Martin
ドイツ語 "Wohin, kleines Pony?" 10 3 準決勝なし
1958 リアネ・アウグスティン
Liane Augustin
ドイツ語 "Die ganze Welt braucht Liebe" 5 8
1959 フェリー・グラーフ
Ferry Graf
ドイツ語 "Der K und K Kalypso aus Wien" 9 4
1960 ハリー・ヴィンター
Harry Winter
ドイツ語 "Du hast mich so fasziniert" 7 6
1961 ジミー・マクリス
Jimmy Makulis
ドイツ語 "Sehnsucht" 15 1
1962 エレオノーレ・シュヴァルツ
Eleonore Schwarz
ドイツ語 "Nur in der Wiener Luft" 13 0
1963 カルメラ・コーレン
Carmela Corren
ドイツ語、英語 "Vielleicht geschieht ein Wunder" 7 16
1964 ウド・ユルゲンス
Udo Jürgens
ドイツ語 "Warum nur, warum?" 6 11
1965 ウド・ユルゲンス
Udo Jürgens
ドイツ語 "Sag ihr, ich laß sie grüßen" 4 16
1966 ウド・ユルゲンス
Udo Jürgens
ドイツ語 "Merci, Chérie" 1 31
1967 ピーター・ホルトン
Peter Horton
ドイツ語 "Warum es hunderttausend Sterne gibt" 14 2
1968 カレル・ゴット
Karel Gott
ドイツ語 "Tausend Fenster" 13 2
1969から1970まで不出場
1971 マリアンネ・メント
Marianne Mendt
ドイツ語ウィーン方言 "Musik" 16 66
1972 マイルストーンズ
Milestones
ドイツ語 "Falter im Wind" 5 100
1973から1975まで不出場
1976 ウォータールー&ロビンソン
Waterloo & Robinson
英語 "My Little World" 5 80
1977 シュメッターリンゲ
Schmetterlinge
ドイツ語、英語 "Boom Boom Boomerang" 17 11
1978 スプリングタイム
Springtime
ドイツ語 "Mrs. Caroline Robinson" 15 14
1979 クリスティナ・サイモン
Christina Simon
ドイツ語 "Heute in Jerusalem" 18 5
1980 ブルー・ダニューブ
Blue Danube
ドイツ語 "Du bist Musik" 8 64
1981 マーティ・ブレム
Marty Brem
ドイツ語 "Wenn du da bist" 17 20
1982 メッス
Mess
ドイツ語 "Sonntag" 9 57
1983 ウエストエンド
Westend
ドイツ語 "Hurricane" 9 53
1984 アニータ・シュパナー
Anita
ドイツ語 "Einfach weg" 19 5
1985 ゲイリー・ラックス
Gary Lux
ドイツ語 "Kinder dieser Welt" 8 60
1986 ティムナ・ブラウアー
Timna Brauer
ドイツ語 "Die Zeit ist einsam" 18 12
1987 ゲイリー・ラックス
Gary Lux
ドイツ語 "Nur noch Gefühl" 20 8
1988 ヴィルフリート・ショイツ
Wilfried
ドイツ語 "Lisa Mona Lisa" 21 0
1989 トーマス・フォルストナー
Thomas Forstner
ドイツ語 "Nur ein Lied" 5 97
1990 シモーネ・シュテルツァー
Simone
ドイツ語 "Keine Mauern mehr" 10 58
1991 トーマス・フォルストナー
Thomas Forstner
ドイツ語 "Venedig im Regen" 22 0
1992 トニー・ヴェガス
Tony Wegas
ドイツ語 "Zusammen geh'n" 10 63
1993 トニー・ヴェガス
Tony Wegas
ドイツ語 "Maria Magdalena" 14 32 予選なし
1994 ペトラ・フライ
Petra Frey
ドイツ語 "Für den Frieden der Welt" 17 19 準決勝なし
1995 シュテラ・ジョーンズ
Stella Jones
ドイツ語 "Die Welt dreht sich verkehrt" 13 67
1996 ジョージ・ヌスバウマー
George Nussbaumer
フォアアールベルク語 "Weil's dr guat got" 10 68 6 80
1997 ベッティーナ・ゾーリアット
Bettina Soriat
ドイツ語 "One Step" 21 12 準決勝なし
1998 不出場
1999 ボビー・シンガー
Bobbie Singer
英語 "Reflection" 10 65
2000 ラウンダー・ガールズ
The Rounder Girls
英語 "All To You" 14 24
2001 不出場
2002 マヌエル・オルテガ
Manuel Ortega
英語 "Say a Word" 18 26
2003 アルフ・ポイヤー
Alf Poier
ドイツ語 "Weil der Mensch zählt" 6 101
2004 タイ・ブレイク
Tie Break
ドイツ語 "Du bist" 21 9 シード
2005 グローバル・クライナー
Global Kryner
英語、スペイン語 "Y así" 準決勝敗退 21 30
2006 不出場
2007 エリック・パピラヤ
Eric Papilaya
英語 "Get a Life – Get Alive" 準決勝敗退 27 4
2008から2010まで不出場
2011 ナディーネ・バイラー
Nadine Beiler
英語 "The Secret Is Love" 18 64 7 69
2012[12] トラックシッターズ
Trackshittaz
ドイツ語 "Woki mit deim Popo" 準決勝敗退 18 8
2013 ナターリア・ケリー
Natália Kelly
英語 "Shine" 14 27
2014 コンチータ・ヴルスト
Conchita Wurst
英語 "Rise Like a Phoenix" 1 290 1 169
2015 ザ・メイクメイクス
The Makemakes
英語 "I Am Yours" 26 0 主催国
2016 ゾーエ・シュトラウプ
Zoë
フランス語 "Loin d'ici"

投票履歴(1957年 - 2015年)

オーストリアから高得点が送られた国々:

順位 得点
1 イギリスの旗 イギリス 188
2 アイルランドの旗 アイルランド 164
3 スウェーデンの旗 スウェーデン 150
4 フランスの旗 フランス 135
5 ドイツの旗 ドイツ 126

オーストリアに高得点を送った国々:

順位 得点
1 イギリスの旗 イギリス 111
2 ベルギーの旗 ベルギー 95
3 アイルランドの旗 アイルランド 90
4 スペインの旗 スペイン 80
5 スウェーデンの旗 スウェーデン 79

得点の合計は決勝のときのもののみであり、準決勝のものは含まない。

主催

場所 会場 司会
1967 オーストリアの旗 ウィーン ホーフブルク宮殿 Erika Vaal
2015 ヴィーナー・シュタットハレ(Wiener Stadthalle Mirjam WeichselbraunAlice TumlerArabella Kiesbauer

脚注

  1. ^ Diggiloo Thrush. “1968 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
  2. ^ Diggiloo Thrush. “2003 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
  3. ^ Diggiloo Thrush. “2005 Austria”. 2006年12月10日閲覧。
  4. ^ a b c O'Connor, John Kennedy (2005). The Eurovision Song Contest: The Official History 
  5. ^ Philips, Roel (June 18, 2005). “Austria withdraws from 2006 Eurovision Song Contest”. 2006年12月10日閲覧。
  6. ^ Philips, Roel (June 20, 2005). “Austrian Broadcaster explains withdrawal”. 2006年12月12日閲覧。
  7. ^ Holyer, Steve (20 November 2007). “Austria will not go to Belgrade”. 2007年11月20日閲覧。
  8. ^ Klier, Marcus (2 January 2008). “ORF likely to broadcast Eurovision Song Contest 2008”. 2008年3月1日閲覧。
  9. ^ Solloso, Jaime. “Austria to not be in Moscow 2009?”. Oikotimes. 2008年7月23日閲覧。
  10. ^ Kuipers, Michael (2008年6月3日). “Austria: ORF will decide in the Autumn”. ESCToday. 2008年6月3日閲覧。
  11. ^ Klier, Marcus (2008年9月18日). “Austria: No return to Eurovision in 2009”. ESCToday. 2008年9月18日閲覧。
  12. ^ http://www.nachrichten.at/nachrichten/kultur/art16,620990

外部リンク