「三重県立図書館」の版間の差分
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|延床面積 = 5,332 |
|延床面積 = 5,332{{sfn|清水|1996|p=12}} |
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|開館 = [[1939年]](昭和14年 |
|開館 = [[1939年]](昭和14年)[[7月20日]]{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1019}} |
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|所在地郵便番号 = 514-0061 |
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'''三重県立図書館'''(みえけんりつとしょかん、Mie Prefectural Library)は、[[三重県]][[津市]]にある三重県立の[[公共図書館]]。[[1987年]]に[[津市図書館]]が開館するまでは、津市民の公共図書館としての役割も果たしてきた |
'''三重県立図書館'''(みえけんりつとしょかん、Mie Prefectural Library)は、[[三重県]][[津市]]にある三重県立の[[公共図書館]]。[[1939年]](昭和14年)の開館以来、三重県における中心的な図書館として機能し{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1019}}、[[1987年]](昭和62年)に[[津市図書館]]が開館する{{Sfn|清水|1996|pages=41-42}}までは、津市民の公共図書館としての役割も果たしてきた{{Sfn|中野|1978|p=35, 37}}。高度な専門書の収集は県立図書館が担い、津市図書館では日常的に利用する図書の収集を行うという役割分担が実施されている{{Sfn|山田|2011|p=11}}。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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=== 三重県立図書館の成立と大戦(1939-1945) === |
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[[1933年]](昭和8年)12月に[[三重県議会]]が図書館の建設費を承認、[[1937年]](昭和12年)4月に三重県教育会館図書館から10,714冊を引き継いで仮事務所を津市工芸学校跡に開設した<ref name="ml">清水(1996):12ページ</ref>。[[1939年]](昭和14年)7月、津市西裏塔世川河畔に図書館が開館、同年9月より貸し出し業務を開始した<ref name="ml"/>。[[1940年]](昭和15年)には当時としては珍しい[[巡回文庫]]を始めるなど、活発な活動を展開したが、[[1945年]](昭和20年)7月の[[空襲]]で建物を全焼、19,000冊の図書を焼失した<ref name="ml"/>。 |
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[[1880年]](明治13年)、官製の三重県教育会が発足し、その後県内各郡に郡教育会が設立されていった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1980|p=1176}}。教育会は附属図書館を設け、地域の文化向上に貢献した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1980|p=1176}}。三重県教育会も三重県教育会図書館を運営していたが、開館時期は不明である{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=490}}。[[1916年]](大正5年)から[[1917年]](大正6年)頃には津公園にあり、その後津市丸之内本町通りにあった津商工会議所跡地へ移った{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=490}}。図書館の建物は3階建ての洋風建築で、1階が書庫・新聞閲覧室、2階が一般閲覧室に充当されていた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=490}}。 |
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[[1933年]](昭和8年)[[6月30日]]の[[図書館令]]・[[公立図書館職員令]]改正による図書館に対する一般人の認識向上などを受け、県立図書館設置を求める声が高まり、同年[[12月10日]]に[[三重県議会]]が図書館の建設費55,000円を承認、3年計画で費用を拠出することを決定した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1009}}。[[1937年]](昭和12年)[[1月16日]]、[[文部省]]は三重県立図書館の設立を認可し{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}、同年4月に三重県教育会館図書館から10,714冊を引き継いで仮事務所を津市工芸学校跡に開設した{{sfn|清水|1996|p=12}}。仮事務所は津市愛宕町の[[塔世川]]沿いにあった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}。職員は尾鍋館長以下計11人であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}。同年[[11月19日]]に「三重県立図書館則」が発布され、翌[[11月20日]]より閲覧業務を開始した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}。なお、蔵書を三重県立図書館に寄贈した三重県教育会図書館はこの年に閉館した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=490}}。 |
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[[第二次世界大戦]]終結後、[[1958年]](昭和33年)12月に熊野分館を[[熊野市]]の木本公会堂に設置し、熊野市中央公民館図書部(現・[[熊野市立図書館]])に業務を委託した<ref name="kh">熊野市史編纂委員会 編『熊野市史 中巻』[[熊野市]]、1983年3月31日、1377p. {{全国書誌番号|88024262}}(855ページより)</ref>。熊野分館は[[1964年]](昭和39年)に閉館した<ref name="kh"/>。[[1967年]](昭和42年)3月に津市広明町に新館が完成した<ref name="ml"/>。[[1978年]](昭和53年)7月の郷土資料室開設<ref>[http://www.library.pref.mie.lg.jp/gaiyou/enkaku.htm 三重県立図書館公式ホームページ、「沿革」(2015年10月15日)、2015年12月12日閲覧]</ref>、[[1984年]](昭和59年)の巡回文庫再開、[[1985年]](昭和60年)の協力車巡回事業開始と[[同和問題]]関係図書コーナー開設を行い、利便性を向上させてきた<ref name="ml"/>。 |
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[[1939年]](昭和14年)5月、官舎2棟のあった津市西裏(現・津市北丸之内)の塔世川沿いに2階建て{{#tag:ref|当初は3階建ての予定であったが、物価高により2階建てに規模を縮小した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}。|group="注"}}の[[タイル]]張りの図書館が落成し、[[7月20日]]に業務を開始した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1010}}。開館直前の[[7月14日]]に三重県の[[図書館#図書館をめぐる法の歴史|中央図書館]]に指定されている{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1019}}。貸し出し業務は同年9月より開始した{{sfn|清水|1996|p=12}}。[[1940年]](昭和15年)には当時としては珍しい[[巡回文庫]]を始め{{sfn|清水|1996|p=12}}、尾鍋館長が自ら三重県内を踏破し郷土資料の収集を進める{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1020}}など、活発な活動を展開した{{sfn|清水|1996|p=12}}。また中央図書館指定を受けて県内の各図書館との結び付きができたことから、同年5月に三重県図書館協会を結成し、読書の普及と職員研修を推進した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1020}}。 |
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[[1994年]](平成6年)10月、広明町の図書館が手狭になったとして郊外に移転、三重県総合文化センター内にのべ5,332[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]の新図書館が開館した<ref name="ml"/>。 |
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しかし[[第二次世界大戦]]による戦局の悪化に伴い、三重県立図書館でも蔵書の[[疎開]]に踏み切らざるを得なくなり、三重県立津中学校(現・[[三重県立津高等学校]])の生徒の奉仕により、津市近隣の寺院などへ貴重書や郷土資料を疎開した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1020}}。[[1945年]](昭和20年)7月15日、疎開を終えて残った蔵書の閲覧業務を再開するも、[[7月28日]]夜の[[津空襲]]で建物を焼失{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1981|p=1020}}、19,000冊の図書を失った{{sfn|清水|1996|p=12}}。疎開した図書も焼失を避けることはできず、残ったのは[[安濃郡 (三重県)|安濃郡]][[安濃村]]の来照寺など8か所に移したわずかな図書だけであった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=645}}。 |
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=== 戦後復興(1946-1950) === |
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戦災で建物を失った三重県立図書館は、[[一志郡]][[大三村]]に事務所を置いて執務する状態であったが、[[1946年]](昭和21年)になると図書館再開を望む声が上がり始め、[[三重師範学校]]附属国民学校{{#tag:ref|2017年現在の[[津市役所]]の位置にあった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=645}}。|group="注"}}(現・[[三重大学教育学部附属小学校]])の教室の一部を借用して再開する方針を[[三重県庁]]内政部教育課が固めた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=645}}。そして新規購入したものを含めた自館所有9,000冊、県立図書館への委託図書8,300冊の計17,300冊をもって1946年(昭和21年)8月に附属国民学校内で業務を開始、[[9月2日]]より閲覧業務を再開した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=645-647}}。9月の閲覧者数は1,014人、貸出冊数は1,528冊であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=647}}。 |
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[[1947年]](昭和22年)7月の三重県議会で[[三重県知事|知事]]の[[青木理 (三重県知事)|青木理]]は、県立図書館を総合的な文化施設とし、三重県における文化運動の中心とする構想を表明した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=648-649}}。この構想は議会でも図書館関係者の間でも受け入れられ、早速新館の建設場所が検討された{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=649}}。その結果、当時の県立図書館長であった富山好一が提案した津市[[丸之内 (津市)|丸之内]]の[[津城]]跡が選ばれ、[[地主]]であった元[[津藩]]主家の[[藤堂氏]]から15万円で4,846[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]の土地を[[1948年]](昭和23年)[[5月8日]]に購入、同年[[6月10日]]から波多野喜太郎が請け負って建設工事を開始した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=649}}。新館は同年[[12月11日]]に竣工し、総工費は2,736,417円であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=649}}。 |
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新館は鈴鹿海軍工廠の食堂や寮として使われていた古材の払い下げを受けた木造2階建て、延[[床面積]]1,150m<sup>2</sup>の建物で、1階に閲覧室、館長室、書庫、製本室、喫茶室などを設け、2階は展示室、研究室、講堂として利用した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=649-650}}。落成式は[[1949年]](昭和24年)[[2月15日]]に挙行したが、一足早く[[1月31日]]から閲覧業務を開始していた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=650}}。講堂では音楽会や映写会などの文化行事が開かれ、研究室は[[青年団]]などに利用されるなど、青木知事の構想は実現することとなった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=650-651}}。1949年(昭和24年)度の蔵書数は23,664冊、1日平均閲覧者数は97人といずれも三重県内の図書館では首位であり、図書館経費は[[四日市市立図書館]]に次ぐ第2位であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=646}}。翌[[1950年]](昭和25年)度には蔵書数26,489冊、1日平均閲覧者数219人に成長し、2階施設の利用は年間380件、展示室での展覧会は年12回計12,928人の来場者を集め、大いに利用されていた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=651}}。 |
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==== 三重CIE文庫(1947-1949) ==== |
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1947年(昭和22年)[[1月22日]]、県立図書館分館として津市広明町に[[CIE図書館|CIE文庫]]が開設され、公募により「[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]文庫」と命名された{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。蔵書は県立図書館本館から移された教育書300冊、三重軍政部寄贈の英語図書743冊、雑誌16種247冊で構成され、1日平均35人の利用に供した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。マッカーサー文庫は1947年(昭和22年)[[3月20日]]に三重CIE文庫に改称、1949年(昭和24年)4月に県立図書館本館へ統合された{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。 |
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三重CIE文庫は[[民間情報教育局]](CIE)から派遣された2人の[[アメリカ人]]と4人の[[日本人]]事務員が運営にあたり、[[毎日新聞社]]津支局の局舎を転用していた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。1948年(昭和23年)には広報室やフィルムライブラリーを設置した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。本館への統合後の建物は毎日新聞社津支局に戻った{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=648}}。 |
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=== 図書館の充実と発展(1951-1967) === |
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設備が整った県立図書館が次に衝突した壁は、[[図書館法]]が定める最低基準であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=651-652}}。利用実績こそ好調であったものの、床面積は最低基準より85坪(≒281m<sup>2</sup>)不足し、41万円の図書費は三重県立津高等学校の図書購入費用(61万円)すら下回る有様で、[[1951年]](昭和26年)12月の県議会で議員から指摘を受けるに至った{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=651-652}}。これを受けた県は図書館予算の増額を進め、[[1952年]](昭和27年)度に472万円だったものが[[1954年]](昭和29年)度には725万円まで伸びたが、他の[[都道府県立図書館]]と比較すると最低水準であることに変わりはなかった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=652-653}}。 |
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一方、サービス面では1951年(昭和26年)11月に[[閉架式図書館|出納式]]から[[開架式図書館|開架式]]に切り替え、1952年(昭和27年)より[[日本十進分類法]]3版から6版への移行、蔵書目録の作成、貸出文庫の充実を実行し、[[1955年]](昭和30年)[[1月19日]]から[[移動図書館]]{{#tag:ref|県立図書館では「自動車文庫」と呼称していた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1036}}。|group="注"}}「ともしび号」の運行を開始し、県内各地に設けた43ステーションを巡回した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|pp=652-653, 1037}}。ステーションは[[1965年]](昭和40年)には94か所まで増加し、同年度の利用者は45,500人に及んだ{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1037}}。移動図書館は県内各地で読書グループが結成される契機ともなり、1965年(昭和40年)の記録によると113団体5,627人が三重県内で活動を行っていた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1038}}。県立図書館でも読書グループの利用に応えるため、同じ本を10冊セットにした読書会用のテキストを準備し、[[1959年]](昭和34年)からは読書グループの求めに応じて図書館職員が出張して指導を行うサービスを開始した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1038}}。更に[[1960年]](昭和35年)11月には県内の読書グループの交歓会が発足し、そこから派生して1963年(昭和38年)の『図書館だより』創刊、[[1964年]](昭和39年)の読書会[[機関誌]]『つどい』の創刊へとつながった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1038}}。 |
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また[[1958年]](昭和33年)3月には移動図書館と連動する配本所を県内7か所に設け、1959年(昭和34年)5月から1年間、[[近畿東海放送|ラジオ三重]]([[東海ラジオ放送]]の前身企業の1社)で県立図書館の新刊案内を放送した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1036}}。同年は[[伊勢湾台風]]が発生した年でもあったため、被災者のために「慰問文庫」を臨時で開設した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1036}}。 |
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1960年(昭和35年)度の蔵書数は51,866冊、閲覧者数は58,268人で、1965年(昭和40年)度の蔵書数は78,110冊、閲覧者数は76,904人で両年度とも蔵書数は[[神宮文庫]]に次ぐ県内第2位、閲覧者数は県内首位であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1034}}。しかし、1960年(昭和35年)時点で、三重県立図書館は都道府県立図書館の中で蔵書数が最下位であり、職員数は都道府県立図書館の全国平均の半分の16人しかおらず、依然として全国の最低水準を脱することはできていなかった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1036}}。また建物が図書館としての構造に不適格かつ老朽化していることも問題視された{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1036}}。 |
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==== 尾鷲と熊野の分館(1957-1964) ==== |
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[[1957年]](昭和32年)[[10月1日]]に尾鷲分館を[[尾鷲市立図書館]]内に設置し{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1033}}、翌1958年(昭和33年)[[12月27日]]に熊野分館を[[熊野市]]の木本公会堂に設置し{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1033}}、熊野市中央公民館図書部(現・[[熊野市立図書館]])に業務を委託した{{sfn|熊野市史編纂委員会 編|1983|p=855}}。[[1961年]](昭和36年)度の蔵書数は尾鷲が1,303冊、熊野が3,485冊で、閲覧者数は尾鷲が3,782人、熊野が9,554人であった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1033}}。尾鷲と熊野の両分館は[[1964年]](昭和39年)3月に県の財政問題により閉館した{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1033}}。 |
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=== 広明町から県文へ(1967-) === |
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津城内の県立図書館は、構造上図書館に不向きで、なおかつ老朽化が進行していたため、1962年(昭和37年)に当時の館長・井崎清雄が自ら新図書館建設計画と[[設計図]]を作成し新館建設を迫ったが、1964年(昭和39年)に尾鷲・熊野分館を閉鎖せねばならないほど三重県の財政事情は厳しかったため、実現しなかった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1033, 1039}}。県立図書館側はこの1件で諦めたわけではなく、次の境貞一館長が計画を引き継いだ{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1039}}。こうした折に[[都市公園法]]の規定により[[1966年]](昭和41年)[[10月15日]]までに土地を明け渡さねばならないことが判明し、1965年(昭和40年)6月の県議会は三重県図書館協会などから提出された陳述書を採択する形で建設計画を検討し始めた{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1039}}。同年[[7月13日]]に[[毎日新聞]]の記者が同紙で「[[三重県庁舎]]の立派さに対して図書館の貧弱さが目立ち、文化行政の貧困さが痛感される」と書き、図書館建設に向けた世論を喚起したことも援護射撃となり、[[三重県教育委員会]]は同年9月に新築移転を決定、紆余曲折を経て[[偕楽公園]]にあった三重県立博物館([[三重県総合博物館]]の前身)隣接地に建設することとなった{{Sfn|三重県総合教育センター 編|1982|p=1039}}。 |
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こうして[[1967年]](昭和42年)3月に津市広明町に新館が完成した{{sfn|清水|1996|p=12}}。[[1978年]](昭和53年)7月の郷土資料室開設<ref>[http://www.library.pref.mie.lg.jp/gaiyou/enkaku.htm 三重県立図書館公式ホームページ、「沿革」(2015年10月15日)、2015年12月12日閲覧]</ref>、[[1984年]](昭和59年)の巡回文庫再開、[[1985年]](昭和60年)の協力車巡回事業開始と[[同和問題]]関係図書コーナー開設を行い、利便性を向上させてきた{{sfn|清水|1996|p=12}}。 |
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[[1994年]](平成6年)10月、広明町の図書館が手狭になったとして郊外に移転、三重県総合文化センター(県文)内にのべ5,332[[平方メートル|m<sup>2</sup>]]の新図書館が開館した{{sfn|清水|1996|p=12}}。1999年(平成11年)には「三重県図書館情報ネットワーク」(MILAI)を立ち上げ、インターネットを利用して県内の図書館の蔵書を一括で検索し、最寄り図書館に取り寄せできるシステムを構築した{{sfn|松上|2011|p=11}}。 |
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== 施設 == |
== 施設 == |
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=== 地階 === |
=== 地階 === |
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* 閉架書庫 - 非公開。収納力はおよそ100万冊である。 |
* 閉架書庫 - 非公開。収納力はおよそ100万冊である。書庫に収納されている最も古い新聞は1885年(明治18年)のもので、[[江戸時代]]の[[和装本]]や[[巻物]]も収蔵している{{sfn|松上|2011|p=11}}。 |
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=== 1階 === |
=== 1階 === |
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* 開架閲覧室 - 約10万冊の一般図書がある。 |
* 開架閲覧室 - 約10万冊の一般図書がある。 |
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* 参考資料コーナー - [[辞典]]・[[年鑑]]など調査・研究のための参考図書およそ6000冊、全て禁帯出。 |
* 参考資料コーナー - [[辞典]]・[[年鑑]]など調査・研究のための参考図書およそ6000冊、全て禁帯出。 |
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* 地域資料コーナー - 三重県に関するさまざまなジャンルの資料を閲覧可能。[[歴史学|歴史]]・[[地理学|地理]]の他、[[産業]]・[[民俗学|民俗]]・文学等の多岐にわたり、三重県内発行の雑誌や三重県と各市町村の刊行物も所蔵する。全て禁帯出。 |
* 地域資料コーナー - 三重県に関するさまざまなジャンルの資料を閲覧可能{{sfn|松上|2011|p=11}}。[[歴史学|歴史]]・[[地理学|地理]]の他、[[産業]]・[[民俗学|民俗]]・文学等の多岐にわたり{{sfn|松上|2011|p=11}}、三重県内発行の雑誌や三重県と各市町村の刊行物も所蔵する。全て禁帯出。 |
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* 三重でくらす くらしコーナー - 3ヶ月毎に日常生活に身近なテーマを設定し、関連書籍や行政のパンフレットなどが集められている。 |
* 三重でくらす くらしコーナー - 3ヶ月毎に日常生活に身近なテーマを設定し、関連書籍や行政のパンフレットなどが集められている。 |
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* 児童コーナー - [[絵本]]、児童書などがある。 |
* 児童コーナー - [[絵本]]、児童書などがある。 |
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* お話コーナー - 第1 - 4土曜日に絵本(英語の絵本もある)の読み聞かせや |
* お話コーナー - 第1 - 4土曜日に絵本(英語の絵本もある)の読み聞かせや、おはなし会ボランティアとのおはなし会が行われる。 |
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* マイクロリーダー室 - [[伊勢新聞]]・[[朝日新聞]]の三重版、三重県統計書・公報、和漢籍・[[古文書]]などの[[マイクロフィルム]]に記録された画像を閲覧・複写(有償)できる。使用機器が1台しかないため、事前予約が推奨されている。 |
* マイクロリーダー室 - [[伊勢新聞]]・[[朝日新聞]]の三重版、三重県統計書・公報、和漢籍・[[古文書]]などの[[マイクロフィルム]]に記録された画像を閲覧・複写(有償)できる。使用機器が1台しかないため、事前予約が推奨されている。 |
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* 対面朗読室 - [[視覚障害者]]のために、職員がマンツーマンで図書を朗読する。予約制。 |
* 対面朗読室 - [[視覚障害者]]のために、職員がマンツーマンで図書を朗読する。予約制。 |
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=== 2階 === |
=== 2階 === |
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[[File:Mie Prefectural Library 2F ac.jpg|thumb|2階の文学コーナー]] |
[[File:Mie Prefectural Library 2F ac.jpg|thumb|2階の文学コーナー]] |
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* 文学コーナー |
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* 文学コーナー - [[鳥羽市]][[神島 (三重県)|神島]]を舞台とした[[三島由紀夫]]『[[潮騒 (小説)|潮騒]]』の初版本など、三重県に縁のある文学者や文学作品に関する資料を所蔵、常設展示や企画展などを行っている。 |
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** 資料が所蔵されている主な文学者等 |
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*** [[俳句|俳人]]・[[俳諧|俳諧師]] |
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**** [[荒木田守武]] |
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**** [[島田青峰]] - (しまだ せいほう、[[1882年]](明治15年)[[3月8日]] - [[1944年]](昭和19年)[[5月31日]])[[志摩市]]出身 |
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**** [[橋本鶏二]] - (はしもと けいじ、[[1907年]](明治40年)[[11月25日]] - [[1990年]](平成2年))[[伊賀市]]出身、三重県民功労者 |
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**** [[長谷川素逝]] - (はせがわ そせい、[[1907年]] - [[1946年]])津市出身 |
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**** [[松尾芭蕉]] |
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**** [[山口誓子]] |
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*** [[和歌|歌人]] |
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**** [[生方たつゑ]] |
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**** [[佐佐木信綱]] |
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*** [[詩人]] |
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**** [[北園克衞]] - (きたその かつえ、[[1902年]](明治35年) - [[1978年]](昭和53年))[[伊勢市]](旧[[度会郡]][[四郷村 (三重県度会郡)|四郷村]])出身 |
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**** [[森三千代]] - (もり みちよ、[[1905年]](明治38年)[[4月19日]] - [[1977年]](昭和52年)[[6月29日]])小説家でもあった |
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* 読書振興室 - 読書会用に利用できる会議室。1ヶ月前までに要予約。 |
* 読書振興室 - 読書会用に利用できる会議室。1ヶ月前までに要予約。 |
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* セット文庫室 - 読書会や学校図書館での利用を図るため、同一図書を10冊単位で所蔵。貸出期間1ヶ月(貸出期間終了前に申請し、次の予約がなければ1ヶ月延長可能)。 |
* セット文庫室 - 読書会や学校図書館での利用を図るため、同一図書を10冊単位で所蔵。貸出期間1ヶ月(貸出期間終了前に申請し、次の予約がなければ1ヶ月延長可能)。 |
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* 資料研究室 |
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[[鳥羽市]][[神島 (三重県)|神島]]を舞台とした[[三島由紀夫]]『[[潮騒 (小説)|潮騒]]』の初版本など、三重県に縁のある文学者や文学作品に関する資料を所蔵、常設展示や企画展などを行っている。資料が所蔵されている主な文学者等は以下の通り。 |
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; [[俳句|俳人]]・[[俳諧|俳諧師]] |
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* [[荒木田守武]] |
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* [[島田青峰]] - (しまだ せいほう、[[1882年]](明治15年)[[3月8日]] - [[1944年]](昭和19年)[[5月31日]])[[志摩市]]出身 |
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* [[橋本鶏二]] - (はしもと けいじ、[[1907年]](明治40年)[[11月25日]] - [[1990年]](平成2年))[[伊賀市]]出身、三重県民功労者 |
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* [[長谷川素逝]] - (はせがわ そせい、[[1907年]] - [[1946年]])津市出身 |
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* [[松尾芭蕉]] |
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* [[生方たつゑ]] |
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* [[佐佐木信綱]] |
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* [[北園克衞]] - (きたその かつえ、[[1902年]](明治35年) - [[1978年]](昭和53年))[[伊勢市]](旧[[度会郡]][[四郷村 (三重県度会郡)|四郷村]])出身 |
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* [[森三千代]] - (もり みちよ、[[1905年]](明治38年)[[4月19日]] - [[1977年]](昭和52年)[[6月29日]])小説家でもあった |
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; [[小説家]]・[[随筆家]] |
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* [[伊藤桂一]] |
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* [[中谷孝雄]] |
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* 三島由紀夫 |
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* [[横光利一]] - 俳人でもあった |
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* [[伊勢自動車道]][[芸濃インターチェンジ]]・[[津インターチェンジ]]から約15分 |
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* 1,400台収容無料[[駐車場]]あり |
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== 参考文献 == |
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* 清水正明『三重県の図書館』1996年4月30日、357pp. ISBN 4-380-96229-6 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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* {{cite book|和書|author=清水正明|title=三重県の図書館|series=県別図書館案内シリーズ|publisher=[[三一書房]]|date=1996-04-03|page=357|ISBN=4-380-96229-6|ref={{SfnRef|清水|1996}}}} |
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* {{cite journal|和書|author=中野イツ|year=1978|title=津市立図書館設立運動と、市および県立図書館との関り|journal=図書館界|publisher=日本図書館研究会|volume=30|issue=1|pages=35-38|ref={{SfnRef|中野|1978}}|NAID=40002717055}} |
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* {{cite journal|和書|author=松上由貴子|date=2011-04-15|title=今、図書館がおもしろい。|journal=すばらしきみえ|publisher=[[百五銀行]]経営企画部広報CSR課|issue=161|pages=1-12|ref={{SfnRef|松上|2011}}}} |
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* {{cite journal|和書|author=山田万知代|date=2011-10|title=表紙の人が使った図書館 津市津図書館&三重県立図書館|journal=あうる|publisher=図書館の学校|issue=103|pages=10-13|ref={{SfnRef|山田|2011}}|NAID=40019053354}} |
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* {{cite book|和書|editor=熊野市史編纂委員会 編|title=熊野市史 中巻|publisher=[[熊野市]]|date=1983年3月31日|pages=1377|ref={{SfnRef|熊野市史編纂委員会 編|1983}}}}{{全国書誌番号|88024262}} |
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* {{cite book|和書|editor=三重県総合教育センター 編|title=三重県教育史 第一巻|publisher=[[三重県教育委員会]]|date=1980年3月30日|page=1235|ref={{SfnRef|三重県総合教育センター 編|1980}}}}{{全国書誌番号|80043033}} |
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* {{cite book|和書|editor=三重県総合教育センター 編|title=三重県教育史 第二巻|publisher=三重学校生活協同組合|date=1981年3月30日|page=1286|ref={{SfnRef|三重県総合教育センター 編|1981}}}}{{全国書誌番号|82025909}} |
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* {{cite book|和書|editor=三重県総合教育センター 編|title=三重県教育史 第三巻|publisher=三重県教育委員会|date=1982年3月30日|page=1107|ref={{SfnRef|三重県総合教育センター 編|1982}}}}{{全国書誌番号|84050499}} |
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== 関連項目 == |
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* [[三重県の図書館一覧]] |
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== 外部リンク == |
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2017年2月25日 (土) 03:57時点における版
三重県立図書館 Mie Prefectural Library | |
---|---|
施設情報 | |
正式名称 | 三重県立図書館 |
愛称 | 県立図書館 |
専門分野 | 総合 |
事業主体 | 三重県 |
管理運営 | 三重県 |
延床面積 | 5,332[1] m2 |
開館 | 1939年(昭和14年)7月20日[2] |
所在地 |
〒514-0061 三重県津市一身田上津部田1234 三重県総合文化センター内 |
位置 | 北緯34度44分37.5秒 東経136度30分2.8秒 / 北緯34.743750度 東経136.500778度座標: 北緯34度44分37.5秒 東経136度30分2.8秒 / 北緯34.743750度 東経136.500778度 |
ISIL | JP-1002003 |
統計情報 | |
蔵書数 | 853,114冊(2014年3月31日[3]時点) |
貸出数 | 338,450冊(2013年度[4]) |
来館者数 | 332,426人(2013年度[4]) |
年運営費 | 30,140千円(2014年度資料費予算[5]) |
条例 | 三重県総合文化センター条例(平成6年3月29日三重県条例第5号) |
公式サイト | 三重県立図書館 |
地図 | |
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館 |
三重県立図書館(みえけんりつとしょかん、Mie Prefectural Library)は、三重県津市にある三重県立の公共図書館。1939年(昭和14年)の開館以来、三重県における中心的な図書館として機能し[2]、1987年(昭和62年)に津市図書館が開館する[6]までは、津市民の公共図書館としての役割も果たしてきた[7]。高度な専門書の収集は県立図書館が担い、津市図書館では日常的に利用する図書の収集を行うという役割分担が実施されている[8]。
沿革
三重県立図書館の成立と大戦(1939-1945)
1880年(明治13年)、官製の三重県教育会が発足し、その後県内各郡に郡教育会が設立されていった[9]。教育会は附属図書館を設け、地域の文化向上に貢献した[9]。三重県教育会も三重県教育会図書館を運営していたが、開館時期は不明である[10]。1916年(大正5年)から1917年(大正6年)頃には津公園にあり、その後津市丸之内本町通りにあった津商工会議所跡地へ移った[10]。図書館の建物は3階建ての洋風建築で、1階が書庫・新聞閲覧室、2階が一般閲覧室に充当されていた[10]。
1933年(昭和8年)6月30日の図書館令・公立図書館職員令改正による図書館に対する一般人の認識向上などを受け、県立図書館設置を求める声が高まり、同年12月10日に三重県議会が図書館の建設費55,000円を承認、3年計画で費用を拠出することを決定した[11]。1937年(昭和12年)1月16日、文部省は三重県立図書館の設立を認可し[12]、同年4月に三重県教育会館図書館から10,714冊を引き継いで仮事務所を津市工芸学校跡に開設した[1]。仮事務所は津市愛宕町の塔世川沿いにあった[12]。職員は尾鍋館長以下計11人であった[12]。同年11月19日に「三重県立図書館則」が発布され、翌11月20日より閲覧業務を開始した[12]。なお、蔵書を三重県立図書館に寄贈した三重県教育会図書館はこの年に閉館した[10]。
1939年(昭和14年)5月、官舎2棟のあった津市西裏(現・津市北丸之内)の塔世川沿いに2階建て[注 1]のタイル張りの図書館が落成し、7月20日に業務を開始した[12]。開館直前の7月14日に三重県の中央図書館に指定されている[2]。貸し出し業務は同年9月より開始した[1]。1940年(昭和15年)には当時としては珍しい巡回文庫を始め[1]、尾鍋館長が自ら三重県内を踏破し郷土資料の収集を進める[13]など、活発な活動を展開した[1]。また中央図書館指定を受けて県内の各図書館との結び付きができたことから、同年5月に三重県図書館協会を結成し、読書の普及と職員研修を推進した[13]。
しかし第二次世界大戦による戦局の悪化に伴い、三重県立図書館でも蔵書の疎開に踏み切らざるを得なくなり、三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校)の生徒の奉仕により、津市近隣の寺院などへ貴重書や郷土資料を疎開した[13]。1945年(昭和20年)7月15日、疎開を終えて残った蔵書の閲覧業務を再開するも、7月28日夜の津空襲で建物を焼失[13]、19,000冊の図書を失った[1]。疎開した図書も焼失を避けることはできず、残ったのは安濃郡安濃村の来照寺など8か所に移したわずかな図書だけであった[14]。
戦後復興(1946-1950)
戦災で建物を失った三重県立図書館は、一志郡大三村に事務所を置いて執務する状態であったが、1946年(昭和21年)になると図書館再開を望む声が上がり始め、三重師範学校附属国民学校[注 2](現・三重大学教育学部附属小学校)の教室の一部を借用して再開する方針を三重県庁内政部教育課が固めた[14]。そして新規購入したものを含めた自館所有9,000冊、県立図書館への委託図書8,300冊の計17,300冊をもって1946年(昭和21年)8月に附属国民学校内で業務を開始、9月2日より閲覧業務を再開した[15]。9月の閲覧者数は1,014人、貸出冊数は1,528冊であった[16]。
1947年(昭和22年)7月の三重県議会で知事の青木理は、県立図書館を総合的な文化施設とし、三重県における文化運動の中心とする構想を表明した[17]。この構想は議会でも図書館関係者の間でも受け入れられ、早速新館の建設場所が検討された[18]。その結果、当時の県立図書館長であった富山好一が提案した津市丸之内の津城跡が選ばれ、地主であった元津藩主家の藤堂氏から15万円で4,846m2の土地を1948年(昭和23年)5月8日に購入、同年6月10日から波多野喜太郎が請け負って建設工事を開始した[18]。新館は同年12月11日に竣工し、総工費は2,736,417円であった[18]。
新館は鈴鹿海軍工廠の食堂や寮として使われていた古材の払い下げを受けた木造2階建て、延床面積1,150m2の建物で、1階に閲覧室、館長室、書庫、製本室、喫茶室などを設け、2階は展示室、研究室、講堂として利用した[19]。落成式は1949年(昭和24年)2月15日に挙行したが、一足早く1月31日から閲覧業務を開始していた[20]。講堂では音楽会や映写会などの文化行事が開かれ、研究室は青年団などに利用されるなど、青木知事の構想は実現することとなった[21]。1949年(昭和24年)度の蔵書数は23,664冊、1日平均閲覧者数は97人といずれも三重県内の図書館では首位であり、図書館経費は四日市市立図書館に次ぐ第2位であった[22]。翌1950年(昭和25年)度には蔵書数26,489冊、1日平均閲覧者数219人に成長し、2階施設の利用は年間380件、展示室での展覧会は年12回計12,928人の来場者を集め、大いに利用されていた[23]。
三重CIE文庫(1947-1949)
1947年(昭和22年)1月22日、県立図書館分館として津市広明町にCIE文庫が開設され、公募により「マッカーサー文庫」と命名された[24]。蔵書は県立図書館本館から移された教育書300冊、三重軍政部寄贈の英語図書743冊、雑誌16種247冊で構成され、1日平均35人の利用に供した[24]。マッカーサー文庫は1947年(昭和22年)3月20日に三重CIE文庫に改称、1949年(昭和24年)4月に県立図書館本館へ統合された[24]。
三重CIE文庫は民間情報教育局(CIE)から派遣された2人のアメリカ人と4人の日本人事務員が運営にあたり、毎日新聞社津支局の局舎を転用していた[24]。1948年(昭和23年)には広報室やフィルムライブラリーを設置した[24]。本館への統合後の建物は毎日新聞社津支局に戻った[24]。
図書館の充実と発展(1951-1967)
設備が整った県立図書館が次に衝突した壁は、図書館法が定める最低基準であった[25]。利用実績こそ好調であったものの、床面積は最低基準より85坪(≒281m2)不足し、41万円の図書費は三重県立津高等学校の図書購入費用(61万円)すら下回る有様で、1951年(昭和26年)12月の県議会で議員から指摘を受けるに至った[25]。これを受けた県は図書館予算の増額を進め、1952年(昭和27年)度に472万円だったものが1954年(昭和29年)度には725万円まで伸びたが、他の都道府県立図書館と比較すると最低水準であることに変わりはなかった[26]。
一方、サービス面では1951年(昭和26年)11月に出納式から開架式に切り替え、1952年(昭和27年)より日本十進分類法3版から6版への移行、蔵書目録の作成、貸出文庫の充実を実行し、1955年(昭和30年)1月19日から移動図書館[注 3]「ともしび号」の運行を開始し、県内各地に設けた43ステーションを巡回した[28]。ステーションは1965年(昭和40年)には94か所まで増加し、同年度の利用者は45,500人に及んだ[29]。移動図書館は県内各地で読書グループが結成される契機ともなり、1965年(昭和40年)の記録によると113団体5,627人が三重県内で活動を行っていた[30]。県立図書館でも読書グループの利用に応えるため、同じ本を10冊セットにした読書会用のテキストを準備し、1959年(昭和34年)からは読書グループの求めに応じて図書館職員が出張して指導を行うサービスを開始した[30]。更に1960年(昭和35年)11月には県内の読書グループの交歓会が発足し、そこから派生して1963年(昭和38年)の『図書館だより』創刊、1964年(昭和39年)の読書会機関誌『つどい』の創刊へとつながった[30]。
また1958年(昭和33年)3月には移動図書館と連動する配本所を県内7か所に設け、1959年(昭和34年)5月から1年間、ラジオ三重(東海ラジオ放送の前身企業の1社)で県立図書館の新刊案内を放送した[27]。同年は伊勢湾台風が発生した年でもあったため、被災者のために「慰問文庫」を臨時で開設した[27]。
1960年(昭和35年)度の蔵書数は51,866冊、閲覧者数は58,268人で、1965年(昭和40年)度の蔵書数は78,110冊、閲覧者数は76,904人で両年度とも蔵書数は神宮文庫に次ぐ県内第2位、閲覧者数は県内首位であった[31]。しかし、1960年(昭和35年)時点で、三重県立図書館は都道府県立図書館の中で蔵書数が最下位であり、職員数は都道府県立図書館の全国平均の半分の16人しかおらず、依然として全国の最低水準を脱することはできていなかった[27]。また建物が図書館としての構造に不適格かつ老朽化していることも問題視された[27]。
尾鷲と熊野の分館(1957-1964)
1957年(昭和32年)10月1日に尾鷲分館を尾鷲市立図書館内に設置し[32]、翌1958年(昭和33年)12月27日に熊野分館を熊野市の木本公会堂に設置し[32]、熊野市中央公民館図書部(現・熊野市立図書館)に業務を委託した[33]。1961年(昭和36年)度の蔵書数は尾鷲が1,303冊、熊野が3,485冊で、閲覧者数は尾鷲が3,782人、熊野が9,554人であった[32]。尾鷲と熊野の両分館は1964年(昭和39年)3月に県の財政問題により閉館した[32]。
広明町から県文へ(1967-)
津城内の県立図書館は、構造上図書館に不向きで、なおかつ老朽化が進行していたため、1962年(昭和37年)に当時の館長・井崎清雄が自ら新図書館建設計画と設計図を作成し新館建設を迫ったが、1964年(昭和39年)に尾鷲・熊野分館を閉鎖せねばならないほど三重県の財政事情は厳しかったため、実現しなかった[34]。県立図書館側はこの1件で諦めたわけではなく、次の境貞一館長が計画を引き継いだ[35]。こうした折に都市公園法の規定により1966年(昭和41年)10月15日までに土地を明け渡さねばならないことが判明し、1965年(昭和40年)6月の県議会は三重県図書館協会などから提出された陳述書を採択する形で建設計画を検討し始めた[35]。同年7月13日に毎日新聞の記者が同紙で「三重県庁舎の立派さに対して図書館の貧弱さが目立ち、文化行政の貧困さが痛感される」と書き、図書館建設に向けた世論を喚起したことも援護射撃となり、三重県教育委員会は同年9月に新築移転を決定、紆余曲折を経て偕楽公園にあった三重県立博物館(三重県総合博物館の前身)隣接地に建設することとなった[35]。
こうして1967年(昭和42年)3月に津市広明町に新館が完成した[1]。1978年(昭和53年)7月の郷土資料室開設[36]、1984年(昭和59年)の巡回文庫再開、1985年(昭和60年)の協力車巡回事業開始と同和問題関係図書コーナー開設を行い、利便性を向上させてきた[1]。
1994年(平成6年)10月、広明町の図書館が手狭になったとして郊外に移転、三重県総合文化センター(県文)内にのべ5,332m2の新図書館が開館した[1]。1999年(平成11年)には「三重県図書館情報ネットワーク」(MILAI)を立ち上げ、インターネットを利用して県内の図書館の蔵書を一括で検索し、最寄り図書館に取り寄せできるシステムを構築した[37]。
施設
三重県総合文化センター生涯学習棟の地階・1階と2階の一部を占めている。
地階
1階
- 開架閲覧室 - 約10万冊の一般図書がある。
- 参考資料コーナー - 辞典・年鑑など調査・研究のための参考図書およそ6000冊、全て禁帯出。
- 地域資料コーナー - 三重県に関するさまざまなジャンルの資料を閲覧可能[37]。歴史・地理の他、産業・民俗・文学等の多岐にわたり[37]、三重県内発行の雑誌や三重県と各市町村の刊行物も所蔵する。全て禁帯出。
- 三重でくらす くらしコーナー - 3ヶ月毎に日常生活に身近なテーマを設定し、関連書籍や行政のパンフレットなどが集められている。
- 児童コーナー - 絵本、児童書などがある。
- お話コーナー - 第1 - 4土曜日に絵本(英語の絵本もある)の読み聞かせや、おはなし会ボランティアとのおはなし会が行われる。
- マイクロリーダー室 - 伊勢新聞・朝日新聞の三重版、三重県統計書・公報、和漢籍・古文書などのマイクロフィルムに記録された画像を閲覧・複写(有償)できる。使用機器が1台しかないため、事前予約が推奨されている。
- 対面朗読室 - 視覚障害者のために、職員がマンツーマンで図書を朗読する。予約制。
2階
- 文学コーナー
- 読書振興室 - 読書会用に利用できる会議室。1ヶ月前までに要予約。
- セット文庫室 - 読書会や学校図書館での利用を図るため、同一図書を10冊単位で所蔵。貸出期間1ヶ月(貸出期間終了前に申請し、次の予約がなければ1ヶ月延長可能)。
- 資料研究室
文学コーナー
鳥羽市神島を舞台とした三島由紀夫『潮騒』の初版本など、三重県に縁のある文学者や文学作品に関する資料を所蔵、常設展示や企画展などを行っている。資料が所蔵されている主な文学者等は以下の通り。
- 荒木田守武
- 島田青峰 - (しまだ せいほう、1882年(明治15年)3月8日 - 1944年(昭和19年)5月31日)志摩市出身
- 橋本鶏二 - (はしもと けいじ、1907年(明治40年)11月25日 - 1990年(平成2年))伊賀市出身、三重県民功労者
- 長谷川素逝 - (はせがわ そせい、1907年 - 1946年)津市出身
- 松尾芭蕉
- 山口誓子
- 北園克衞 - (きたその かつえ、1902年(明治35年) - 1978年(昭和53年))伊勢市(旧度会郡四郷村)出身
- 森三千代 - (もり みちよ、1905年(明治38年)4月19日 - 1977年(昭和52年)6月29日)小説家でもあった
貸出
- 図書・雑誌:15日間
開館時間
- 9:00-19:00
休館日
- 月曜日
- 月末(ただし、土曜日・日曜日の場合は最終金曜日)
- 国民の祝日の翌日
- 年末年始
交通アクセス
公共交通機関
自家用車
- 伊勢自動車道芸濃インターチェンジ・津インターチェンジから約15分
- 1,400台収容無料駐車場あり
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e f g h i 清水 1996, p. 12.
- ^ a b c 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1019.
- ^ “三重県立図書館/図書館の概要・統計 平成25年度利用統計”. 平成27年度三重県統計書. 三重県戦略企画部統計課分析・情報班. 2015年11月1日閲覧。
- ^ a b “201.公共図書館”. 三重県立図書館. 2015年11月1日閲覧。
- ^ “▼速報 都道府県立図書館と政令指定都市の図書館の2014年度資料費予算額”. 2015年11月1日閲覧。
- ^ 清水 1996, pp. 41–42.
- ^ 中野 1978, p. 35, 37.
- ^ 山田 2011, p. 11.
- ^ a b 三重県総合教育センター 編 1980, p. 1176.
- ^ a b c d 三重県総合教育センター 編 1981, p. 490.
- ^ 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1009.
- ^ a b c d e f 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1010.
- ^ a b c d 三重県総合教育センター 編 1981, p. 1020.
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- ^ 三重県立図書館公式ホームページ、「沿革」(2015年10月15日)、2015年12月12日閲覧
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参考文献
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- 中野イツ「津市立図書館設立運動と、市および県立図書館との関り」『図書館界』第30巻第1号、日本図書館研究会、1978年、35-38頁、NAID 40002717055。
- 松上由貴子「今、図書館がおもしろい。」『すばらしきみえ』第161号、百五銀行経営企画部広報CSR課、2011年4月15日、1-12頁。
- 山田万知代「表紙の人が使った図書館 津市津図書館&三重県立図書館」『あうる』第103号、図書館の学校、2011年10月、10-13頁、NAID 40019053354。
- 熊野市史編纂委員会 編 編『熊野市史 中巻』熊野市、1983年3月31日、1377頁。全国書誌番号:88024262
- 三重県総合教育センター 編 編『三重県教育史 第一巻』三重県教育委員会、1980年3月30日、1235頁。全国書誌番号:80043033
- 三重県総合教育センター 編 編『三重県教育史 第二巻』三重学校生活協同組合、1981年3月30日、1286頁。全国書誌番号:82025909
- 三重県総合教育センター 編 編『三重県教育史 第三巻』三重県教育委員会、1982年3月30日、1107頁。全国書誌番号:84050499
関連項目
外部リンク
座標: 北緯34度44分37.3秒 東経136度30分2.9秒 / 北緯34.743694度 東経136.500806度{{#coordinates:}}: 各ページで primary のタグは複数指定できません