「Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician 20161024」の版間の差分
→第三者のコメント: 自分の見解のまとめ |
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そして最後に、もし上記の推測が正しいのなら、被依頼者にお願いがあります。どんな崇高な目的があるにせよ、ウィキペディア上で他人を欺いて、何かを試すような行いはやめていただきたいと存じます。この依頼で取り上げられているように、Alice OPPさんやジャム・パンナさんは精神的に大きなダメージを負いました。たとえ正しいことを為すためだったとしても、他人を傷つけることは可能な限り避けなければなりません。今後は論争相手に対しても誠実に、寛大な心を持って接していただきたいと存じます。--[[利用者:有足魚|有足魚]]([[利用者‐会話:有足魚|会話]]) 2016年11月10日 (木) 11:50 (UTC) |
そして最後に、もし上記の推測が正しいのなら、被依頼者にお願いがあります。どんな崇高な目的があるにせよ、ウィキペディア上で他人を欺いて、何かを試すような行いはやめていただきたいと存じます。この依頼で取り上げられているように、Alice OPPさんやジャム・パンナさんは精神的に大きなダメージを負いました。たとえ正しいことを為すためだったとしても、他人を傷つけることは可能な限り避けなければなりません。今後は論争相手に対しても誠実に、寛大な心を持って接していただきたいと存じます。--[[利用者:有足魚|有足魚]]([[利用者‐会話:有足魚|会話]]) 2016年11月10日 (木) 11:50 (UTC) |
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{{コメント}} 被依頼者による{{User|金融の専門家}}に対する議論態度について、被依頼者はどのように考えておられるのかコメントを求めます。なぜ、二重の人格を演じられているかのような対応をされたのでしょうか。また、安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったことをご理解されましたでしょうか。現時点ではソックパペットの動きは停止していますが、被依頼者が関係していた時点ではまったく問題の解決は図られていませんでした。被依頼者以外の誰もが誰一人として問題解決であるとは考えていない時点での、あの安易な解決宣言はかなり異質です。被依頼者の見解を聞かせてもらわないことには、被依頼者の問題点をどうやって自覚していただけばよいのかなど改善に向かっての話は困難であると思います。一部、被依頼者による問題点の自覚は無理ではないか、とのコメントも見られますが、現時点では無理なのかどうか判断つきかねます。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年11月10日 (木) 12:27 (UTC) |
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== まとめ == |
== まとめ == |
2016年11月10日 (木) 12:27時点における版
利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの参加姿勢について議論の場を設けたいと思います。--ぽてから(会話) 2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)
経緯
Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論における、利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの議論姿勢について大きな問題を感じました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で、利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんについてコメント依頼の場を設けるべきという指摘も見られたために、改めて議論の場を設けた次第です。
Wikipedia‐ノート:中立的な観点における利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんによる「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない[1]」、「西洋人以外は西洋人に劣っていると考えている者が西洋人のみに利益を与える行為[2]」という発言は論争相手の社会的立場を決めつける批判であり、Wikipedia:個人攻撃はしないに違反していませんでしょうか。
結局、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに激しく反論された利用者:Alice OPP(会話 / 投稿記録 / 記録)さんは、「もう怒る気力すらないorz 正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ」とまで追い込まれ、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagicianを提出されましたが、不適切な行為であったことを謝罪され、現在は議論から半分撤退したような状態となってしまいました。
Wikipedia‐ノート:中立的な観点における議論はつい最近閲覧したのですが、Alice OPPさんの提案に賛意を持ちました。しかし、気が付いた時には、Alice OPPさんは心身共にくたびれておられ残念に思った次第です。もし、世界最狂の魔法使いCray-Gさん等に問題があって、Alice OPPさんが完全に撤退されされた場合、Wikipedia‐ノート:中立的な観点において本来あるべき議論から遠のいてしまう懸念もありえるため、早急に議論すべき課題であると感じました。
利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、個人的対立を起こしやすい発言をされるため、たびたび問題点を指摘されても個人的対立の延長線上(どっちもどっち)であると捉えられやすい傾向が高いように感じます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008ではまさにそういう指摘がされてます。そのため、逆に、問題の本質が隠れてしまっていたのではないかと考えています。よって、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限らず、これまでの活動という長いスパンの行動について情報を寄せていただく場を設けることで、改善が可能かどうかについて議論が出来ればと思います。
利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、以前から暴言をされる傾向を指摘されていますが[3]、改善ができているかどうか、また、激しい反論スタイルと言いますか、議論姿勢について適切かどうかなどコメントをお願いします。--ぽてから(会話) 2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)
- Wikipedia‐ノート:中立的な観点
- Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician
- Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician
- Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606
- Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008
依頼者のコメント
利用者:Maddestmagician(会話 / 投稿記録 / 記録)(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、甚だしく不適切な発言をされる傾向があり、Wikipedia‐ノート:中立的な観点等の各種方針や井戸端等への議論は控えていただいたほうが良いのではないかと感じました。各種方針や井戸端などは、方針をきちんと理解している参加者によるコメントを求める場であると言えるでしょう。まずは、自分が方針をきちんと理解することに時間をかけていただきたいと思います。Wikipedia:コメント依頼/MaddestmagicianやWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606で指摘された問題について、改善の努力をされているようには見えませんでした。
また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もあると感じました。
たとえば、Alice OPPさんが世界最狂の魔法使いCray-Gさんにより社会的立場を決めつけられたことを個人攻撃だと指摘したことについて、このように発言されています。
「Wikipedia:個人攻撃はしないの内容を確認することを要する」と主張しました。ですが、その個人攻撃が発言のいづれの部分であるのかを具体的に指摘していません。「Alice OPP氏は私ことCray-Gが方針違反をしていると無根拠に人格攻撃をしています」。せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには個人攻撃と看做さざるを得ません。人格攻撃は詭弁の一種であり、論点をすりかえる効果を持ちます。つまり議論が霍乱され合意の形成を妨げることになります。それだけでも充分に問題があるのに、その上それを無根拠に行なっているとなれば、流石に個人攻撃と看做さざるを得ません。ですが、それを直ちに方針違反だと騒ぎ立てることを私は望みません。何故ならば、それはきっとちょっとした手違いであって、きっとAlice OPP氏は私ことCray-Gに対し先の無根拠な人格攻撃の全ての根拠を明らかにするに違いないからです。そしてきっと人格攻撃の全てを取り下げて、誠意を以って対話してくれるものと信じているからです。
論旨としては「自分の発言のどれが個人攻撃であるのか具体的な指摘をお願いしたい。具体的な指摘もなく個人攻撃だと指摘される行為こそが、個人攻撃ではないか」と、冷静にかつ簡潔に述べることも可能な内容です。これ以前に、Alice OPPさんは何度も「個人攻撃だ」と直ちに指摘されているのに、なぜ、「根拠が明確にしていない」などという堂々巡りになってるのか理解に苦しみました。一方的に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが理解を拒んでいるようにしか感じられません。さらに、「>せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには」以降のくだりは、いちいちこの場で言う必要があるんでしょうか? 感情的に理屈っぽく文句を書き連ねているだけであり、まったく議論に不要な発言でしょう。
世界最狂の魔法使いCray-Gさんは冗長な発言が多いのですが、できるだけ論理的で冷静に、感情的になって議論に不要な理屈っぽい表現を書き連ねることを停止し、適切な分量のコメントを心がけていただけませんかね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントがわかりづらい(読むことさえつらい)ことは、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限ったことではないです。議論から脇道にそれた理屈っぽい反論を長々とされることは、世界最狂の魔法使いCray-Gさん自身は精神衛生上スッキリできるのかもしれませんが、その他の人々に多大な負担を強いる行為であり、議論を正常な方向へ進むことを妨げる効果しかありません。複雑で微妙な内容を議論するときほど、論理的で明確で、かつ、冷静でわかりやすい発言(議論から脇道に逸れた発言を延々と言わない)をするように心がけてもらいたいと思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんと意思疎通を図るのは非常に困難ですし、根拠を明確にしてもまったく理解されないとなると堂々巡りを繰り返すだけだと感じますね。あまりにも過度で、かつ、攻撃的で暴言を伴うとなると関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。—ぽてから(会話) 2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)
返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) Alice OPPさんが重罪に値する不始末を犯したけれども、もう切腹したのだから、これ以上、Alice OPPさんの名誉を貶めるような発言はせずに静かに弔おうとかいう発言についてですが、なにかの悪い冗談ですよね?--ぽてから(会話) 2016年11月4日 (金) 10:59 (UTC)
返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) 世界最狂の魔法使いCray-Gさんの比喩から、私のように考える人が出てもおかしくない、ということを伝えたいために、あえて、上記のように表現しました。比喩とはそういうものです。なにかの冗談ではなく本気の比喩であったようですね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんがこれを知的に理解し消化できるかどうかが、重要になってくるでしょう。さて、「はるみエリー氏宛」の返信内に、なぜか私の名前が持ち出され、いきなりなんの根拠も示されることなく攻撃され始めました。こういう議論態度は、関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。一切自覚はないということでしょうかね?--ぽてから(会話) 2016年11月7日 (月) 13:20 (UTC)
被依頼者のコメント
今回のコメント依頼に関してはこれまでと異なり書きたいことがあるのですが、数日程度遅れる見込みです。遅くとも週末には書けると思います。
#経緯の最終段落の「改善ができているかどうか」、「議論姿勢について適切かどうか」に関しては、私自身もコミュニティーの見解を確認したいと考えておりますので、忌憚無きご意見を賜れればと思います。
宜しくお願い致します。
世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年10月24日 (月) 02:48 (UTC)
- 被依頼者です。ずいぶんと遅くなってしまいました。幾度か書こうと試みたのですが、指摘を行なうと自分でも「冷静な発言」とは言い難い内容となることからクールダウンをしておりました。ですが今以ってなお、「冷静な発言」と呼べる内容にはなりませんでした。なので、以下の二点を指摘するに留めて、引き続きコミュニティーの見解を確認するべく忌憚無きご意見を賜わり続けるようにしたいと考えます。
- ぽてから氏へ:Alice OPP氏は「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。武士道が如き潔さであり責任感のある称賛されるべき行為です。それを「消耗した」からだの中途半場に「半分撤退したよう」だのと侮蔑されるべきではありません。無論、議論に於いては最後まで参加して合意を形成してもらうことこそが「責任を取る」ことであるのは当然です。ですがだからと言って侮蔑されるべきではありません。
- 有足魚氏へ:議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
- 以上です。引き続きコミュニティーの見解を確認すべく、諸賢の忌憚無きご意見を賜わりたいと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月4日 (金) 08:39 (UTC)
返信 (ぽてから氏宛) どういう前提があると一言も言っていないことに其処まで想像力が働かせられるのかがわかりません。
- >重罪に値する不始末を犯した
- そんなことは一言も言っていません。むしろ、特に罰を受けるに値しない「些細な出来事」でしかなく、端的に言ってAlice OPP氏が責任感が強過ぎ潔よ過ぎたことで「完全に撤退した」のだと考えています。
- >静かに弔おう
- そんなことは一言も言っていません。むしろ、ノートでも述べた通り、私はAlice OPP氏に議論に戻ってきてもらいたいと考え「是非とも提案者に戻ってきて戴き積極的に議論に参加して戴きたい」と言っています。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月7日 (月) 06:42 (UTC)
返信 (はるみエリー氏宛) 私の方からは私の見解をノートにて説明しました。それに反論も無く自身の主張を繰り返すだけでは、いつまでも事態は変化せず、互いに同じ主張を繰り返し続けるだけの永遠の水掛け論にしかなりません。「議論は共同作業ではない」と主張しているはるみエリー氏には不可能なことなのかも知れませんが、私としては事態を前進させる為に協力的になって戴きたいと考えます。
- 思い付くままに方針・ガイドラインから以下に引用してみました。
大半の人には不要と思われるので折りたたんでおきます。
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- これだけの数の方針・ガイドラインがwikipediaを編纂することが共同作業であると述べていて、また特にWikipedia:合意形成#合意に向けた作業に於いては「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます」とあります。その努力を怠ることは結果として、まさに其処に書いてある通りに「議論が決裂して対立した怒鳴り合いになる場合には、そこに合意の可能性はなく、記事の品質に悪影響を及ぼ」すこととなるでしょう。
- 議論が共同作業ではないと考えているのであれば、この際それでも文句を言いませんから、もう少し方針やガイドラインを重視して戴けないものでしょうか。つまり「努力が求められている」のだということをご理解戴きたいのです。私独りがどれだけ努力をしても合意の可能性は無いままです。
- ◆現状、私は最後に引用した二つにある「他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「共同作業を行う上で必要な技能の欠如」を指摘されているところです。
- これは言い換えると、「
他の利用者はるみエリー氏やぽてから氏と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「(はるみエリー氏やぽてから氏と)共同作業を行う上で必要な技能はるみエリー氏やぽてから氏が立脚する観点への理解の欠如」を指摘されているわけです。 - で、「欠如を指摘されている」ことは理解出来ました。が、それを「異論は認めない」とばかりに「欠如を指摘」することを繰り返されるだけでは、「如何なる」欠如があるのかを私は理解出来ないままです。このままでは、既に述べた「永遠の水掛け論」にしかならず、互いに(どころか第三者まで巻き込んで)消耗し続ける以外の未来はありません。
- wikipediaは共同作業により成り立っています。その中で議論だけは例外だと主張するのならそれでも文句を言いませんから「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月7日 (月) 08:59 (UTC)
返信 (むよむよ氏宛) 言いたいことはいくらもあるのですが……
- >こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。
- 「異様な雰囲気」ですか。今後はその「異様な雰囲気」なるものを察知出来るようになれるよう留意しておきたいと思います。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月8日 (火) 09:32 (UTC)
返信 (Husa氏宛) その指摘は不当と考えます。が、誤っているわけではありません。分析の途中で下記の二点が不足していることにより、分析が不充分な状態で早計な結論が導き出されてしまっているだけです。
- 挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている
- 説得ですので、金融の専門家氏さえ理解出来れば良く、またそれが確実に果たせなければなりません。それは、金融の専門家氏の立脚する観点とは異なる観点に立脚する人(以下「他の人」と言う)にも理解出来るように記述することに優先します。なので「他の人」の中には正確に理解出来ない人が居る表現である可能性を完全に無視した発言です。なので次に示す点に基づいて、それがHusa氏(と言うか「他の人」)に詭弁であると認識されることは当然です。
- 上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である
- 討論はともかく「共同作業であるところの議論」に於いては、その「詭弁」となっている部分を「反論と言う形で指摘」することで、同じ内容である「詭弁ではない表現」へと修正させ、それによって認識の相違点を明らかにする作業です。なので私(と言うか金融の専門家氏)にとって「詭弁ではない適切で正しい内容」をHusa氏(と言うか「他の人」)が「詭弁であり誤った不当な内容」と認識することは当然のことであり、其処から「共同作業であるところの議論」が始まるのです。異なる観点に立脚する人の発言が「詭弁であること自体」には問題はありません。ですが、指摘されてもそれを修正しないのであれば(認識の相違点が不明なままで水掛け論をしても認識の相違点が発見される可能性は極めて低いので)問題があります。
- ノートでも同様に「詭弁である」と主張されていますが、「反論と言う形で指摘」されていませんし、「詭弁である証明」もされていません。なので私には、私の主張を「Husa氏から見ても詭弁ではない表現」へと変更することが出来ません。私にとっては当然以前の当たり前である大前提に対して見解の相違が存在する(=立脚する観点が異なる)のでしょうが、何処にどのような相違があるのかが私独りでは決してわかりません。私はHusa氏の協力を必要としています。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月9日 (水) 01:13 (UTC)
返信 (はるみエリー氏宛)
- >詭弁とは説得を目的として行われることが前提
- その行為は「丸め込む」と呼ばれます。丸め込んだ場合は説得と異なり、後で冷静さを取り戻した時に元に戻ってしまいます。
- >読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません
- 起きます。特に充填された語と藁人形論法、そして省略三段論法で頻出します。
- 充填された語のBで挙げられている「回復した」は、その土地が「かつての我が国の領土」であり「不当に奪われた」と認識している人と、その土地は「相手方の正当な領土」であると認識している人とで「詭弁でなかったり詭弁であったり」します。
- 藁人形論法のストローマン#簡単な例の「雨の日が嫌いだ」では、「『嫌いなもの』は『全て無くなったほうが良い』と誰もが考えている」と考えている人は、Yの発言を詭弁であるとは思わないことでしょう。
- 省略三段論法では前文にある「省略三段論法で、前提の一部を述べないのは、それが推定されるものだからである。」が問題で、「推定出来る人」には詭弁ではありません。ですが「推定出来ない人」には詭弁です。
- 省略三段論法については、以前に井戸端ではるみエリー氏に話したことがあります。森藍亭氏にとっては「他の可能性を考えることが出来ない=推定出来る」前提だったので詭弁ではありません。ですがはるみエリー氏には「他の可能性を考えることが出来た=推定出来ない」前提だったので詭弁です。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月9日 (水) 05:13 (UTC)
- >論理展開に誤りを含んでいる、ということは状況によって変化しません
- はい、その通りです。
- >後からどう理屈を補っても誤っています
- そうです。その通りです。あぁ、漸く此処まで来られました。
- その「誤っている」ことを愚かにも「誤っていると想像することさえ出来ない程に信じ込んでいる」人が世の中には居るのです。その「信じ込んでいる」ことが「誤っている」ことを理解してもらう為に行なうのが議論です。
- 此処で、その「「信じ込んでいる」ことが「誤っている」事実」を「伝えるだけ」では「理解してもらう」ことは普通は難しいです。伝えただけで理解出来るような単純な問題であれば、普通は対立が明らかになった頃には理解が出来、問題が大きくならないからです。問題が大きくなり対立から論争へと発展しているならば、それは伝えただけでは理解出来ない「複雑な問題」である場合か、乃至は、一方が理解出来ない「振り」を装って秘密の目的を達成しようとする「目的外利用者」である場合です。
- はるみエリー氏が現在行なっていることは、私に対して、「私が信じ込んでいること」が「誤っている事実」を「伝えているだけ」です。「何処がどのように誤っているのか」を説明していません。いや努力をして下さっていることは解ります。ですがその「努力」が「誤っている事実を何度も繰り返して伝えているだけ」なので、私には「はるみエリー氏が誤っていると主張していることはわかりました。が、何処がどのように誤っているかを主張していませんので、『はるみエリー氏が誤っていると考えている』事実までしか伝わっていません。如何なる根拠があろうが関係無く『はるみエリー氏が誤っていると考えていることは誤っている』と主張しているのでないのであれば、何処がどのように誤っているかを説明して下さい」と繰り返すより他に無いのです。
- このままではお互いに消耗するのみで、事態は全く進展しません。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月9日 (水) 07:09 (UTC)
- もしかしたら誤解をされてしまうのではないかと危惧し、付記します。前記内容は井戸端で私がはるみエリー氏に返信して以来、私がはるみエリー氏へ伝えようと繰り返してきた内容と同じ内容です。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月9日 (水) 10:18 (UTC)
返信 (赤羽さん氏宛) 「結婚式の例えは上手い」と思った、とのことなので伺います。
- >長文となり比喩表現と相まって相手に圧迫感を与え~~怖いと感じるのかも
- これは、「長文を投下する相手を恐れる人」が存在する可能性を「赤羽さん氏は」認めることが可能である、とのことで宜しいでしょうか?
- いや申し訳ありません、誤解をしないで欲しいのですが、これは決して「長文を投下する相手を恐れる人が存在し得る、と赤羽さん氏が主張している」とか何とか断定しているのではありません。単に「私にはそのようにしか読み取れません」と主張しているに過ぎません。この誤解を糺すことにご協力をお願いしたいのみです。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月10日 (木) 00:41 (UTC)
返信 (Aoioui氏宛) 有足魚氏の発言の件なのですが。「記事を改善する時」と全く同じで、意見の対立があろうと心象が悪かろうと、協力的に行動する限り改善に問題は無いと考えます。
- 私自身は、件の発言はジャム・パンナ氏へ向けた発言であると考えているので、私自身に影響はありません。また有足魚氏は既に私への評価を私に伝えていて、その評価と相反していませんので、件の発言により有足魚氏の提案や氏自身への評価が変動することもありません。単にジャム・パンナ氏に同情し慰めの言葉を掛けただけだとしか考えられず、有足魚氏が何等かの批難を浴びる要素が見当たりません。はるみエリー氏の言うように「話題にする必要もない」ことだと考えます。
- にも拘わらず、Aoioui氏が批難したこと及び有足魚氏が直ちに除去を行なった事実を、私は脅威に感じています。
- 余談ではありますが、この場で話題にしたことで私のみならず他の参加者や、今後(があったとして)私のコメント依頼やブロック依頼、或いはその他の議論の場で私のことを調べようとした利用者の目に触れさせることになってしまったことの方が話をややこしくするのではないかと危惧します。単に黙っている以外にも、有足魚氏の会話ページで伝えるという方法もあったのではないかと愚考します。
- 世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月10日 (木) 10:52 (UTC)
第三者のコメント
- コメント
- Maddestmagicianさんが議論慣れしてしているという事実はわたしのような議論が下手な者には羨ましい限りですが、確かに、ぽてからさんの言うように、「長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しい」と思います。これは改善というレベルでは難しいかもしれませんし、詳しく説明しようとしているからこそ長文になっているかもしれないという可能性もあるのですが、もうちょっと簡潔にしてほしいです。一方でご自身の発言の後にこのようなまとめ[5]をされているのは読みやすく感じました。暴言については、どうでしょう、少なくともWikipedia‐ノート:中立的な観点を見る限り、過去のコメント依頼や投稿ブロック依頼でピックアップされた発言よりもひどい発言はしていないように見えます。そもそもが差別的表現に対しての議論ですので、表現そのものが差別的かどうかということを論じるに際し、一定の差別的(と誰かが考えるような)表現が出てくることは仕方ありません。問題はその差別的ニュアンスが「表現そのもの」から「個人」へ移動する場合でしょう。
- そういった意味合いでは、Alice OPPさんの暴言の方が目立っているように感じました。例えば議論開始後すぐの発言[6]、「西洋人を侮辱する発言が見られます。これはいけない。」までは「表現そのもの」への差別的懸念でしょうけども、それが後半の「世界最狂の魔法使いCray-G氏の認識の甘さ憂いております。」で突然「個人」へ矛先が向いています。ここから、「詭弁」「あなたの書き込みは異常」「ブロックの時が近づいております」[7]、「正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ。」[8]、「9年以上にわたり活動していながらウィキペディアにおける実績がほぼ皆無の「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏につきましては、今回のブロック依頼が「卒業式」になるものと思われます。」[9]、「「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏の活動はウィキペディアにおいて有害」[10]という発言などが飛び出している。このような発言の後にAlice OPPさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician_20161008を提出しているのだから、こと暴言とその行動に関してはAlice OPPさんの方が問題が大きかったのだ、と考えます。--Aoioui. 2016年10月24日 (月) 05:48 (UTC)
- 自分も依頼者と同じような懸念を長年抱いていましたが、自分が対象になるのが怖くて今まで見て見ぬふりをしてきた面があります。端的に言えば、被依頼者は非常にコミュニケーションにかかるコストが高いです。コミュニケーションが全くできないわけではないので、今まで特に大きな対処はされてこなかったのだと思うのですが、しかしそれをいつまで許容し続けるかという問題はあります。初心者なら様子見が最善の策でしょうが、もう何年もこの調子ですからね。
- 「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある」という依頼者の指摘はもっともであり、字面だけ追っていると論理的にふるまっているように見えるので、論争相手が論破されて感情的になっていると思われてしまうのです。Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論でも、最初の「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない」という被依頼者の主張は攻撃的なレッテル張りですし、その論理も屈折していてわかりにくいことがAlice OPPさんをいら立たせてしまった原因だと思います。たしかに感情的になってしまった方が悪いと言ってしまえばそうですが、他人を不快にするような議論の展開をすることが責められないのはおかしいです。被依頼者にはよく反省していただきたいと思います。このようなやり方で論争相手に「勝利」しても、それは健全な合意とは言えません。--有足魚(会話) 2016年10月24日 (月) 10:02 (UTC)
コメント へのいちと申します。
- 世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、並外れた洞察力をお持ちなのですが、とても謙虚な方で、ご自分の洞察力を過小評価しているのだと思います。つまり、自分が知っていたり気付いたりしたことは、他の方にとっても明白だろうと思うのでしょう。「そこを説明しないと通じないだろうな」ということを説明しないことがあると思います。今回のWikipedia‐ノート:中立的な観点についていえば、最初のコメントがそうでした。
- Cray-Gさんは、Alice OPPさんが件の文面について「西洋から東洋を見下す表現になっているから改めよう」と主張するのを聞いて、じつは件の文面が逆に西洋人の視野の狭さを表すような表現になってしまっていることにAliceさんが気付いていないか、気づいているのにあえてそのことを隠しているのだ(少なくともそう見える)と思ったわけですから、まず初めに「実は件の文面は西洋人の視野の狭さを表すような表現になっている」ということを共通認識として持てるように、陽に指摘すればよかったのだと思います。Cray-Gさんは、そんなのはあたりまえのことだと感じたのか、その説明を省いてしまいました。そこから噛み合わないやり取りが始まってしまいました。
- とはいえ、このようなことはいま振り返ってわかることで、対話の相手にどんな思い込みがあるのか、どんな説明が効果的かというのを短いやり取りの中で正確にとらえるのは難しいものですから、Cray-Gさんばかりを責められないですよね。また、Cray-Gさんのコメントにはたしかに長文が多いですが、百科事典を作ろうというウィキペディア参加者にとってみれば、読解が難しいというほどにはなっていないと思います。--へのいち(会話) 2016年10月25日 (火) 12:01 (UTC)
- 続けてもう一点。Cray-Gさんがしばしば論点から外れて人格攻撃に及ぶという指摘がありますが、誤解だと思います。
- 例えば、「1+2=5である」という人がいたら嘘つきですが、「1+2=5だとすれば1+3=6である」という人がいても嘘つきということにはならないでしょう。そこには「1+2=5」だけでなく「1+3=6」などという嘘まで含まれているのに、です。
- Cray-Gさんの発言の中には、そこだけ取り出すと人格攻撃のように見えるものがあるとは思いますが、冷静になって前後の文脈を読めば人格攻撃になってはいないと思えるものばかりではないでしょうか。--へのいち(会話) 2016年10月25日 (火) 12:20 (UTC)
コメント 私が被依頼者と関わったのはWikipedia‐ノート:中立的な観点のみですからその中での話ですが、被依頼者は少なくとも「無能」とは無縁の方です。同ページで議論のまとめを行う際にも非常にわかりやすいまとめを作ってくださいました。また、全言動が攻撃的なわけではなく、いわゆる愉快犯でもありません。
しかし、Wikipediaは共同作業で成り立つコミュニティですので、周囲の平均的な執筆者の力量や思考方法を推し量ることが出来ずに軋轢が生じるのは、このコミュニティにおいてはマイナスですし、被依頼者にとっても益が少ないでしょう。また、被依頼者は数度コメント依頼やブロック依頼が出され、言動に苦言を呈する利用者も多くおられます。もし被依頼者が「ブロック判定などではシロだが、出来れば関わりたくない人物」だという世評が定着してしまえば、被依頼者との議論を忌避する利用者が増え、被依頼者のWikipedia活動にも影響が出てきてしまうのではないか、と思います。--Susuka(会話) 2016年10月25日 (火) 13:30 (UTC)
世界最狂の魔法使いCray-G様とは、何度か袖刷りあった者です。まず、暴言については、ブロック依頼でコメントした通りです。次に、依頼者や他の方のコメントにあるように、議論での御発言には難解な表現が多々あると思います。表現は人それぞれなので責めるつもりはありませんが、私のようなバカにも理解できるようにシンプルに仰って頂きたく思います。--JapaneseA(会話) 2016年10月27日 (木) 05:53 (UTC)
Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家における被依頼者の発言[11]については、大きな疑問を感じます。被依頼者は、利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)について、「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと大げさに擁護しています[12]。しかし、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などという、被依頼者なりのユーモア精神の発揮を狙った大言壮語的な演説については、なにも面白くありませんし、まったくなにが言いたいのかわかりません。被依頼者は、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について、間違った知識を持っているという自覚がないまま、何もかも知っていると思い込んで発言をされているとしか考えられません。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家で被依頼者が、「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[13]」と発言した直後に、JapaneseAさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/金融の専門家20160930を提出し、被依頼者とは正反対の認識による合意が形成され、金融の専門家さんが無期限ブロックとなりましたが、それでも、まったく本件問題は解決することなく、次々とソックパペットが作成されました。つい、数日前に、続々とソックパペットの実態が明らかとなっていき、今は、やっと、ノート:ヘッジファンドダイレクトの議論妨害が数日なくなったというところです。いよいよこれから、ノート:ヘッジファンドダイレクトやノート:高岡壮一郎でまともな議論を再開しようとしているところであり、被依頼者は、いったいどんな根拠を提示して「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[14]」と発言されていたのか、いまだもって理解ができません。もちろん、前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」[15]という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。被依頼者は、議論が好きでコメント意欲の高い方だと思いますが、被依頼者のような発言をされる方がいると、ただでさえソックパペット対応で疲労しているシャム・パンナさんなどを、ますます疲弊させることにつながると思います。被依頼者は、その後、ソックパペットに対して不適切な発言を行って削除依頼に提出されましたが、結局、Wikipediaで言葉遊びを楽しんでいるだけなのでしょうか。被依頼者による、誤った問題認識によるコメント依頼での発言は、まったく問題解決に結びつかないと思いました。こんな発言を多数のノートで行っているとしたら、多くの利用者の疲弊を生むことにつながると思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月4日 (金) 09:13 (UTC)
- 被依頼者のコメントを読み、大きな不快感を感じました。いったい、「腹切り」をなんだと思っているのでしょうか。また、被依頼者は、議論で対立した相手が全面的に悪いとしか思っていないということもわかりました。こんな認識しか持てないということであれば、今後、一切の議論には関わってもらいたくありません。Wikipediaと、「人類数千年の歴史[16]」、「共産主義[17]」、「腹切り」はなんの関係もありません。軽々しくそんな誇大表現を出して議論を茶化すのはやめてください。被依頼者なりのユーモアは、不快感しか生みません。--はるみエリー(会話) 2016年11月4日 (金) 09:40 (UTC)
- へのいちです。上にコメントした通り、Cray-Gさんのコメントは読解が難しいほどではないと思っているので、「なにが言いたいのかわかりません」と仰られると、放っておけません。
- > 前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。
- とありましたので、私が理解したところをご説明させていただこうと思います。
- まず、はるみエリーさんは誤読しているのだと思いますが、Cray-Gさんは、初心者が井戸端で暴れまわることを指して「歴史の大前提」だと言っていたのではないでしょう。Cray-Gさんが「歴史の大前提」だといっていたのは、どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない、というようなことではないでしょうか。私は一読してそのように理解しました。確かに大げさな表現ではあると思いますし、「大前提」というのが何を指すのかはっきりとは書かれていませんが、文脈から論旨を推し量ればまあ理解できる範囲かと思います。「腹切り」については、確かに穏やかではないので他の言葉を選んだ方がよかったかとは思います。--へのいち(会話) 2016年11月4日 (金) 12:16 (UTC)
- へのいちさん、解説ありがとうございます。
- > どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない
- このようなことを言いたかった可能性はあったと思います。ただし、その根拠を示すために、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと発言されたのかどうかについては、いまだに理解できません。おそらく、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について無知だから適当に凄そうな単語を並べただけなのだと考えて、自分を納得させています。--はるみエリー(会話) 2016年11月4日 (金) 12:40 (UTC)
- へのいちです。ご返答いただきありがとうございます。私は私の読み取りで腑に落ちたということでしたが、どうにも意図が読み取れないようなときには訊き返してみればいいということですよね。初めからすべての人に誤解なく伝えるのは、そもそも誰にとっても難しいのですから。--へのいち(会話) 2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)
- へのいちさん、解説ありがとうございます。
- へのいちです。上にコメントした通り、Cray-Gさんのコメントは読解が難しいほどではないと思っているので、「なにが言いたいのかわかりません」と仰られると、放っておけません。
被依頼者のコメントを読みました。自分の名前を挙げられたのでコメントしますが、残念ながら被依頼者の主張が本心からのものとは思えませんでした。なぜなら、被依頼者のAlice OPPさんへの態度は、自らの「勝利」を誇るものにしか見えなかったからです。要は自分の言い分が正しかったのだからAlice OPPさんが屈服したのだということですよね。しかもそれが「称賛される行為」とするのは意地の悪い皮肉のように思えます。このような態度は慎むべきです。--有足魚(会話) 2016年11月4日 (金) 11:28 (UTC)
- >議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
- これは、どういう意味で結婚式のケーキカットの話を出されているのでしょうか。議論と結婚式のケーキカットは、どちらも、「共同作業」だと言いたいのでしょうか? 果たして、2人の人生の幸福をともに切り開くという縁起を担ぐ儀式であるケーキカットと、他人の考えを批評したり自分の意見を主張する議論という行為が、同じような共同作業だと言えるでしょうか。結婚式でしか行わないケーキカットという儀式と、Wikipediaの記事をどうしようかという議論を、同じまな板の上に載せるという感覚について、共感できる人はほとんどいないのではないでしょうか。こういう不適切な発言を連発されると、発言される度に、こうやって議論の本題と関係ないところで突っ込んでいかないといけないので、どんどん脇道に逸れていくし余計に疲労感を感じるのだと思います。わざと茶化しているように見えますが、普通に発言して、こうなってしまうのでしょうか。そうであれば、求められてもいないのに、自発的に議論に関わるのは今後は遠慮してほしいです。--はるみエリー(会話) 2016年11月4日 (金) 12:57 (UTC)
- へのいちです。「これは、どういう意味で」とのことなので、こちらにも私が理解したところを。
- はるみエリーさんは、「議論」というものを「“他人の”考えを批評したり“自分の”意見を主張する」ものだというふうにとらえているのですね。Cray-Gさんは、まさにそのことについて、議論において取り扱われる考えや意見というものは“他人の”だとか“自分の”だとか属人的にとらえるものではなく、また、片方の側が一方的に批判したり主張するものでもなく、お互いに出し合ったいろいろな考えを、共同して批判的に検証し、参加者全体にとってより良い結論(妥協点になることもあるかも)を得るための共同作業だということを言っているのだと思います。まさに、二人で手を携えて幸福につながる道を切り拓くという比喩にふさわしくはないでしょうか。私はこの考えに共感します。私は一読してこのように理解したので、この比喩がふさわしいかどうか突っ込んでいったりする必要は感じませんでした。わき道にそれずに本論に集中できると思います。はるみエリーさんにとっては、共感できずに引っ掛かりを覚え、本論に集中できなくなるということですね。まあ、比喩というのは考え方の背景に共通点が多ければ伝わりやすいですが、そうでなければかえって伝わりにくいものですから、他人の使う比喩がわからないということもよくありますよね。そんなときには訊き返してみればいいということだと思います。--へのいち(会話) 2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)
- コメント 被依頼者は、議論に比喩を用いるきらいがあり、この比喩が原因で議論が錯綜し、結論への経路が複雑になってしまうと思われます。上記で「共同作業」の解釈について議論になったのもその一例でしょう。Wikipediaの編集は原則ユーザーの任意で成り立っているのですから、議論が不必要に複雑化するのは望ましくありません(議論への参加は義務でもなんでもないので、敬遠されかねません)。被依頼者に限らず、議論は正確な、しかし簡潔な表現を心がけるべきです。--Susuka(会話) 2016年11月4日 (金) 14:36 (UTC)
- コメント 被依頼者の発言の比喩は表現的に正直好ましくないものもあります。長文が多い点だけでなく,不適切に受け取られかねない発言(不適切な発言も含む)についても以前のブロック依頼の際にも様々な人から苦言が呈されたことは被依頼者本人は重々承知のはず(逆に言えば,そういうことが再発したら今度は後は無い立場だというのもわかっているはず)。なのに,なんで腹切ったとかそういう言い回しを使うんですかね? 少なくとも被依頼者は対話のためのエネルギーはかなり使わされる利用者だとは思います(ぶっちゃけ消耗させられたのでは? という指摘もあながち間違いではないでしょう)。最近は以前に比べれば長文は控えめになった感じはしますが,それでもまだまだ多いです。被依頼者は長文を読まされる立場のことをあんまり考えてないんでしょうかね。長文が続けば読み解くだけでも結構エネルギーをかけなければなりませんし,比喩や婉曲的な表現があればさらに読み解くのにエネルギーをかけなければなりません。もっと簡潔明瞭な文章を書いていただいて,読み手側の負担を減らしてほしいです(それと挑発的な文言や婉曲的な言い回し・解釈に戸惑う比喩など余計な言動は不要です)。あと,不適切な発言(もしくはそう受け取られかねない発言)は議論を合意から遠ざけるだけなので控えてほしいです。--かげろん(会話) 2016年11月4日 (金) 15:38 (UTC)
- コメント長文が読みにくいとは言いませんが、余分な比喩で膨らませるのは止めた方がいいのでは。比喩があった方が分かりやすいのではないか、という善意からだとは思いますが、多々指摘されているようにその比喩自体が難解、あるいはその比喩を読み解くのに必要な前提が共有されていないせいで話が横道に逸れるのは被依頼者にも、当然議論相手にも良いことではないでしょう。他方、分かりにくいって言う人は「これはこういう意味?」って聞けばいいだけじゃないですかね。そこら辺の手間惜しむこともないんじゃないかなと。
- ただ、十分な社会経験おありの方に対して釈迦に説法かもしれませんが、一読して理解できないような、あるいは誤読されるような、あるいは本旨以外が多く要点がぼけるようなプレゼンは、大体却下されるものだと自戒を込めて付言します。--126.0.234.196 2016年11月5日 (土) 02:32 (UTC)
- 追記。被依頼者は比喩のセンスがないと思います。センスと言っても2種類あって、一つは①その比喩が対象とする状況をちゃんと表現しているかという点、もう一つは②その比喩を用いることが自分の伝えたいことを伝えるのに適切であるかという点。①の意味では問題ないと思っています。善意をもって読解する限りにおいて被依頼者の言いたいことは(それなりの労力を要し、かつその労力を強いているという認識はして頂きたいですが)理解できますし、その比喩の意図しているところも理解できます。しかしながら②の意味では完全にナンセンスです。切腹などという言葉を使わずとも「過度な責任感からその必要はないのに議論から撤退した」と言えば済むだけの話。共産主義云々を言わずとも「後続の言辞にそこまで目くじら立てるつもりはない」と言えばいいだけの話。それを余計な比喩で飾り立てるから、その不適切な比喩自体に引っ張られて健全な議論ができないのは、誰に取っても良いことではないです。上記の理由から私は被依頼者の比喩は「不適切」で「センスがない」と思います。しかし、はるみエリー氏の難詰は余りにも悪意に取りすぎでしょう。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 11:43 (UTC)
- 「この比喩」については、人によって受ける印象が大きく異なるのは容易に想像できることであり、強い嫌悪感を感じる人はいるでしょう。その点については、はるみエリー氏が悪意にとっていると非難する理由にはならないと思われます(はるみエリー氏は女性であると思いますが、女性のほうがショッキングに感じやすいのではと)。被依頼者の突飛なコメントは、議場を攪乱し、翻弄して疲弊させることにより、「そこまで言うことはないんじゃないか」と逆に被依頼者に擁護する人が出るのを狙う効果も見込んでいると考えられます。結局、以前から指摘されている通り、被依頼者とまともな議論を交わすことは不可能だということですね。「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」を駆使して論争相手を圧迫する(有足魚氏発言より)ことを、やめるつもりはないのですから。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 12:44 (UTC)
- 被依頼者へのコメントではなく本題からずれるため寸評は控えますが、私のコメントにレスがついている形ですので一言だけ。第一文「のみ、限定で」賛同致します。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 14:17 (UTC)
- ブロック依頼提出ですか。そこまでして急ぐ逼迫した問題があるわけでもないと思いますが、まあいいです。
- 被依頼者の追加コメント及びノートでのやりとりを見る限り、被依頼者に「理解」してもらおうというのがアプローチとして間違っているのではないかと思っています。本コメント依頼で方々から指摘された問題点を解消するための「行動」として以下の努力の必要性を認めるか認めないか、質問させて下さい(そこまでの強制をする権限は誰にもありませんので、確約してくれとは言いません。)
- ①長文は控える。極端な話、3行程度に要約する。十分な内容を伝えるために長文化するのは仕方ないと思われるでしょうが、端的に制限をかけた方が改善されたことが分かりやすいでしょう。重要な点に限って要約することで、下記の点にもメリットがあると思います(言わずもがなですが、要約するというのは分かりやすい言葉で端的に伝えることであって、単純に言いたいことを短縮して理解困難な文章を作ることではないです。念のため)。
- ②不要な比喩は控え、直截的な発言を心がける。ただし被依頼者の判断基準自体が疑われている状況ですので、「必要」ではなく「説明上比喩を用いることが不可欠」なレベルまで控えて頂きたい。
- ③文脈から切り離して発言単独で悪意に取られかねない、または好印象を与えない言葉を採用しない。具体的には今回の「切腹」やそれ以外の皮肉に「取られかねない」発言の全て。被依頼者が皮肉を込めたかどうかに関わらず、皮肉に取られかねない発言になってないか、投稿前に一度と言わず二度三度、場合によっては時間を空けて読み直して下さい。
- ブロック依頼でも改善が見られれば解除して良い、という意見が見られますので、ブロック依頼の行先に関わらず有用であると思い提案させて頂きました。これらに対して必要性を認められない、有効だとは思わないと仰るのであれば、まあ読み捨てて下さい。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 10:23 (UTC)
- 被依頼者へのコメントではなく本題からずれるため寸評は控えますが、私のコメントにレスがついている形ですので一言だけ。第一文「のみ、限定で」賛同致します。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 14:17 (UTC)
- 「この比喩」については、人によって受ける印象が大きく異なるのは容易に想像できることであり、強い嫌悪感を感じる人はいるでしょう。その点については、はるみエリー氏が悪意にとっていると非難する理由にはならないと思われます(はるみエリー氏は女性であると思いますが、女性のほうがショッキングに感じやすいのではと)。被依頼者の突飛なコメントは、議場を攪乱し、翻弄して疲弊させることにより、「そこまで言うことはないんじゃないか」と逆に被依頼者に擁護する人が出るのを狙う効果も見込んでいると考えられます。結局、以前から指摘されている通り、被依頼者とまともな議論を交わすことは不可能だということですね。「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」を駆使して論争相手を圧迫する(有足魚氏発言より)ことを、やめるつもりはないのですから。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 12:44 (UTC)
- 追記。被依頼者は比喩のセンスがないと思います。センスと言っても2種類あって、一つは①その比喩が対象とする状況をちゃんと表現しているかという点、もう一つは②その比喩を用いることが自分の伝えたいことを伝えるのに適切であるかという点。①の意味では問題ないと思っています。善意をもって読解する限りにおいて被依頼者の言いたいことは(それなりの労力を要し、かつその労力を強いているという認識はして頂きたいですが)理解できますし、その比喩の意図しているところも理解できます。しかしながら②の意味では完全にナンセンスです。切腹などという言葉を使わずとも「過度な責任感からその必要はないのに議論から撤退した」と言えば済むだけの話。共産主義云々を言わずとも「後続の言辞にそこまで目くじら立てるつもりはない」と言えばいいだけの話。それを余計な比喩で飾り立てるから、その不適切な比喩自体に引っ張られて健全な議論ができないのは、誰に取っても良いことではないです。上記の理由から私は被依頼者の比喩は「不適切」で「センスがない」と思います。しかし、はるみエリー氏の難詰は余りにも悪意に取りすぎでしょう。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 11:43 (UTC)
- コメント 大変残念ではありますが、被依頼者は不適切な比喩についての多数の忌憚なき意見に耳を傾けることもないまま、不適切な比喩を撤回する意向もなく、いつまでも納得しないで自分が正しいと主張を重ねるだけです。さらに言えば、被依頼者は、自身の無知に帰因する不適切な比喩であることを認めないまま、逆に相手を見下し非論理的な演説をする始末です。こういう議論態度のどこが共同作業なのでしょうか。これ以上議論を重ねても被依頼者に改善の兆しが見られるとは思えません。「これはどういう意味ですか?」と聞き返した後、こんな議論をノートで延々と続けるなどは無駄に消耗するだけです。被依頼者は、コミュニティを消耗させる利用者であると判断せざるをえません。被依頼者による不適切な比喩の使用が継続する可能性がある限り、今後、被依頼者により疲弊させられる利用者が出ることのないよう、予防措置をとる必要があると思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 07:25 (UTC)
コメント 最近あったヘッジファンドダイレクトや高岡壮一郎がらみの論争に関わっていたので、僭越ながらコメント申し上げます……m(_ _)m。
「これは人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い……」という比喩が登場した書き込みでは、
- そしてwikipediaの認める、即ち目的に沿った行動の範囲内で行なわれている限り、「目的外利用」ではあり得ません。それはそれを逸脱した時に発生する事件なのであり、「きっといつか逸脱するに違いない」という「思い込み」で断ずるべきものではない、という話です。
と発言されています。上述の記事の論戦は2016年3月頃から始まっており、宣伝的な記述を書き込んだり否定的な記述を除去しようとする勢力だけなく、出典のない否定的な記述を書き込もうという勢力がいました(書き込みの例)。そして、実際に無期限ブロックを受けた利用者がいました。そこで思い出されるのがType casketos様です。この方は社会正義や業界人としての矜持として本件に関わられたような感じの方でしたが、結局ヘッジファンドダイレクト関連の活動実績しかなく、ある意味では目的外利用と言われても仕方ない状況だったと考えられます。ですが結局ブロックされずに今に至っており、これは世界最狂の魔法使いCray-G様が述べたことに基づいているのだと思います。「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という比喩については、当初理解に苦しみましたし、共産主義を持ち出すことに不快感を示す方がでかねない発言てはありますが、前後の流れでニュアンスはだいたい受け止められました。
なお、#被依頼者のコメントにある
- 「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。
あたりの書き込みについては、「腹を切った」が人によっては不快を持つ表現だったとはいえ、世界最狂の魔法使いCray-G様が抱いた認識と伝えたかったニュアンスがそれ程悪いとは思えません。Alice OPP様はWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で多くの編集者の方々から非難されており、散々な状況でブロック依頼を取り下げています(取り下げと謝罪)。鬼の首を取ったように依頼を出しものの、結局は自身が批判を受けるという例は多く、もっとひどい言われ方をしてもおかしくないケースでしょう。それに対して世界最狂の魔法使いCray-G様は「武士の情け」をかけたようなコメントをしたと思いますし、コメントする頻度が控えめなのも、感情的にならないよう配慮されてのものだと考えられます。
また、
- 結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
についても、へのいち様同様、自分も共感を覚えます。具体的な事例をあげると、自分が立項した記事のノートで指摘を受けたことがありますが、この時は双方冷静にやり取りをし、当初の版からこちらの版のようになりました。せっかく書いた記述が削減されてしまいましたが、結果的にすっきりして読みやすくなったと思い、指摘いただいた方に感謝した次第です。
なお、今年京都賞を受賞された金出武雄先生は、著書の中で「例え」と「例」は違うということを強調されていました。「たとえ(比喩)」は誤解や正しく伝わらないことが多く、具体的な「例題」を3つぐらい伝えるのが好ましいということだったと記憶しています(違っていたら申し訳ありません……)。世界最狂の魔法使いCray-G様は頭の切れる方だと思いますので、曖昧な比喩ではなく、歴史的な故事や過去のWikipediaの議論を踏まえて意見を伝えられると良いのかもしれません。
あとあえて被依頼者にならって例えさせていただくと、世界最狂の魔法使いCray-G様は鏡のようで、自身に攻撃的なところや至らない点があると、それが映し出されたり跳ね返ってくる方なのかもしれません。また、背景や考え方の違う人間や家が一緒になるということで、Wikipediaでの活動は結婚式の準備に例えることができると思いました。正論だけれども感情を考慮せずに意見を言うだけで、式場との調整なども相手に任せてしまうような人、もしくは当事者の感情を無視して家の都合を押し付ける親、のような存在になってしまうと、相手を怒らせてしまうでしょうし、三行半を突き付けられてしまうのかもしれません……。--Assemblykinematics(会話) 2016年11月7日 (月) 09:18 (UTC)
Vigorous actionさんのコメント依頼における発言を見ると、やはりどこか通常の利用者とは違う観点をお持ちであり、その思想信条を強くもったままWikipesiaに参加されているなとは思いました。多くの人に挑発や婉曲的な言い回しや、他人を揶揄する悪癖があると捉えられていても、根本的には直そうとはされていないように見えます。どの程度コミュニティを疲弊させているか、その影響の度合いはともかくとして、おそらくこのまま最後までいってしまうのではないかなという印象を受けました。ご自身では問題を問題と捉えられていないことが一番の問題であると思います。標準空間の編集が極端に少ない方ですので、かち合わない人は全く無縁で済むのかもしれませんが。--Aiwokusai(会話) 2016年11月7日 (月) 09:41 (UTC)
被依頼者の問題としてすでに「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」などが挙げられていますが、それら自体は直ちに大きな問題ではないと思います。しかし被依頼者は、それらすべてを駆使して論争相手を圧迫しており、それが非常に問題なのです。論争相手が疲弊して議論から去っても、自身が正しかったからで、合意形成のための努力をした結果だという態度であり、善意に取れば被依頼者は自分のしていることに無自覚なのでしょう。--有足魚(会話) 2016年11月7日 (月) 10:03 (UTC)
返信があったのでコメントします。被依頼者により、自分はそういう意味で比喩を用いたのではないという水掛け論が継続されており、「「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?[18]」などという発言が見られたことで、被依頼者は、自身の問題点に無自覚であることが改めて確認されました。被依頼者が、不適切な比喩を立て続けに発言したせいで水掛け論が勃発しているのです。被依頼者には、自身に反論してくる人には意味不明な比喩を持ち出した後に水掛け論を持ち出してうやむやにし、途中でなにかきれい事や正論を主張に混ぜることで自分の非を認めずにやり過ごすという一種の議論慣れ、みたいなものが見られると思います。結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」というそれだけのことだったと判断します。--はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 10:59 (UTC)
- 被依頼者コメントに返信するようなかたちでやむなく、再び新たな不適切な比喩の話についてコメントせざるをえませんでしたが、私にとっても、もともと不本意であったために、上記の一部コメントをノートに移動します。なお、私自身にとくに、落ち着きの点で問題は発生していません。被依頼者側にはその点においても問題の発生が見られると判断します。--はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 11:54 (UTC)
- 少し落ち着かれてはいかがでしょうか。被依頼者の不適切な比喩は問題ではありますが、それは表現の問題にすぎず、明らかな方針違反とは言えないものです(明らかな暴言であれば表現自体が大きな問題になりますが、この件ではそうではないです)。現にこのコメント依頼に寄せられたコメントでも、被依頼者の問題についての指摘がありますが、深刻にとらえている人は大勢とはいいがたいです。自分は深刻にとらえていますが、その理由は[19]ですでに述べたとおりです。これ以上比喩の話を続けても実りはないのではないでしょうか。--有足魚(会話) 2016年11月7日 (月) 11:14 (UTC)
- コメント 私も、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」と思います(本ページのノートにおける議論も詳しく読解する気はありません)。であればこそ被依頼者には、今後は議論が脇道に逸れかねないような不必要な比喩を避けていただきたいと考えます。--Susuka(会話) 2016年11月7日 (月) 11:24 (UTC)
- 結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」ということを述べており、比喩だけを取り上げてはいません。被依頼者の「腹切り」の比喩については、方針がどうのという以前に不謹慎極まりない発言であり、撤回して謝罪すべきであるという意見は変えません。--はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 11:40 (UTC)
言わずもがなであると思い発言していませんでしたが、はっきり言わないと被依頼者には通じない可能性があるので、追記します。はるみエリーは、「百科事典づくりが共同作業である」ことを否定する発言を行っていません。したがって、被依頼者による「はるみエリーが百科事典づくりが共同作業であることを否定している」ことを前提とした誹謗は、前提が間違っているため論理破綻しています。言い換えると、嘘を前提として攻撃している、といっても過言ではありません。このような根拠なき批判は、Alice OPPさんへの行為と同様に、Wikipedia:個人攻撃はしないに該当します。さらに、ぽてからさんについても同様に批判されていますが、これこそでっち上げ以外のなにものでもなく、完全にWikipedia:個人攻撃はしないに該当します。被依頼者の問題点が「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」の駆使により議論で相手を疲弊させ、それを合意形成のための努力をした結果だとアピールするのみにとどまらず、複数の人物に対して、でっち上げを前提として個人攻撃を行うということも今回確認できたと思っています。--はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 14:27 (UTC)
- コメント被依頼者については思うところが二点ございます。まず一つ目は「長い文をだらだらといくつも投下し続ける」、二点目は「他人とコミュニケーションを取るのが第一目的で、議論に結論を出す事や記事の改善は二の次のように見える」ところです。
- 一つ目の長文癖について。私もよく長いコメントを投下します。このコメントも長くてごめんなさい。ただ普通は長文投下したらしばらく黙るんですよ。自分だったら一つの議論に1~2つ長文投下したらもう黙ります。でも被依頼者は数千バイトレベルのコメントを何個も投下し続けるんですよね。一つのコメントに言いたい事を凝縮する努力を放棄してダラダラと連日書き殴る。こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。私はそういう人達を「連日長文投下マン」と名付けているのですが、その中でも被依頼者は際立つ強さを感じます。
- 二点目についてはより性質が悪いと思います。自分が書いたコメントに誰かが反応するのが楽しくってしょうがないから、被依頼者は議論を短くさっさと終結させようという気が無いんですよ。10万バイトかけるより1万バイトで結論が出た方が普通は良いじゃないですか。そういう感覚が無いんでしょうね。これが長文癖の諸悪の根源でもあります。これはもう治らないでしょうね。
- 被依頼者と直接関わりがあり、被依頼者への印象が決定的に悪くなった事例としてWikipedia:コメント依頼/金融の専門家をあげます。リアルタイムで見ていた人なら賛同していただけるかと思うんですが、被依頼者のせいで超がつくほど問題のある目的外利用者へのブロックが遅れて被害が拡大しています。利用者:金融の専門家と自己満足を満たすだけのしょーもない長文コメントのやり取りを連日続けて普通の人の議論参加を遠ざけ、突如「問題は解決した」などと宣言して幕引きを図ろうとしました。解決なんてしていないと異議が出ると屁理屈を並べ立て、他の場所へと移ってまた別の議論に精を出し始めたようです。肝心のヘッジファンドダイレクトでの記事改善には関わらず消えてしまい、自分を含めて関わっていた人達はソックパペット群の矢面に立ってボロクソに言われる始末です。そういう泥臭い作業はせずにコメント依頼で言いたい事だけ言って飽きたらさっさと去って行くのはどうなんでしょう。この人は殿様か何かなんでしょうか。
- 企業への暴言を吐いて削除されるなど他にも色々と言いたい事はあるのですが長くなったのでそろそろまとめます。「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり」という依頼者からの評はこれ以上無いぐらい的を射てますね。絶対に一緒の場にいたくない人です。ただし現在出されているブロック依頼に賛成するかというと、うーん…。この人は記事名前空間に関わる議論にはそれほど顔を出さないですしみんなでスルーしちゃえばそんなに害は無いんですよ。スルーできない他の人もどうかと思います。最後に一言、上の方で活発に行われている比喩表現云々については端的に申し上げてどうでもいい瑣末な問題じゃないですか。そういう本質じゃないところを突こうとするから、いつも問題がぼやけるんじゃないですか。ケーキカットの比喩の件を槍玉にあげればあげるほど「そんなしょーもないことどうでもいい」とブロック依頼で反対票が積み上がるでしょう。--むよむよ(会話) 2016年11月8日 (火) 08:10 (UTC)
多くの場足、すべての問題ですべての利用者の見解が一致するということは期待できなくて、意見が異なる人たちが出現することは大前提としてあって(そもそもそうでなければ議論がスタートしない)、その人たちが意見交換をして妥協点を探って合意を目指すという場合には、被依頼者のように一つ一つロジックをオープンにするようなやりかたはとても建設的です。被依頼者のやり方は、異なる意見を持っている人同士がお互いの妥協点を探るために不可欠なステップだと思いますが、残念ながら、被依頼者の相手方は「妥協点を探る」のではなく「自分の意見を押し通す」ことを目的に行動しており、そのために1つ1つ順番に確認していくような手法が嫌なんでしょう。そういう堅実な手法に対抗するために、言葉の端々を切り取って、本筋とは離れたところでやり玉にあげるというテクニックが使われているように見えます。
- 被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。過去のコメント依頼でも指摘されているように(Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606参照)、被依頼者の発言は、丁寧に一つ一つ順を追って説明した結果、それなりのボリュームになります。そのこと自体にはまったく何の問題もありません。それを長いとか妨害とか言っている側に、それだけ順を追って説明しなければならないような論理の飛躍があるのでしょう。お互いが、一つ一つの前提をしっかり確認しながら対話することで、主張の相違点を明確にしたり、妥協点を模索することが可能になります。それを拒むのは、理屈なんかどうでもいいから俺の言うとおりにせい、というに等しいです。長くて読むのがしんどいなら、じっくり時間をかけて読めばよろしい。途中で理解できなかったなら、ここのところが理解できなかったといえばよろしい。
- たとえば、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったと考えます。あれをしっかり読んで理解することができなかった側に問題があるでしょう。まあ、状況からして、相手側が丁寧な長文を落ち着いて冷静にしっかり読んで理解して鎮静に至る、というのはいかにも期待できなさそうであり、手っ取り早くぶん殴って黙らせる、という手法のほうが効率が良いというのはあるでしょうね。目的が善であれば手段は乱暴でもいいと考えるか、それはあかんとするのか、本音と建前で悩ましい部分ではありますけれど、まあ少なくとも「ちゃんと説明して助け舟も出したからね」っていう地盤を固める効果はあったと思います。そこらへんに関連してすごくどうでもいいことで、ちょっとあげ足を取るならば、アカウントと署名のことを指摘できるだろうと思います。井戸端で「アカウント名と署名が違うのはいかがなものか」という話題に対して被依頼者は反応してらっしゃいましたけども、被依頼者が「金融の専門家」氏に対して、貴殿のアカウント名には問題を引きこおこす要因がある、と指摘しています。それはまさに指摘通りでありますが、それは被依頼者にも同じようなことが言えて、「最狂」とか「クレイジー」とかいう表現が、いかにも私は荒らしに来てるんですよという印象や先入観を与えます。(以前のコメント依頼で、ギャップ狙いなのかも、といいましたけどね。)被依頼者風の皮肉やユーモアと受け取ってほしいのですが、『ワイマールのロッテ』に「初対面の人にユーモアのセンスがあることを前提にするのはどうかと思います」っていうセリフがあって(これはロッテの娘が、ゲーテに再会する前のロッテに向かって言うセリフなんですけど)、要するに、被依頼者がロジックの箸休めにニヤリとするような小ネタを挿入しても、相手には通じんときは通じんし、むしろ逆効果だったりするということです。
- トラブルの舞台がちょいちょいWikipedia:論争のある記事だったりして、私から見ると、そんなところに首を突っ込むと何をどうしたって問題がこじれて脱線して話の枝葉や言葉遣いでもめたあげく、コメント依頼だ、ブロック依頼だのにこじらせて、いつも似たような顔ぶれでもめているという印象です。そういうところに首を突っ込むとそうなる、ってとこですねえ。
- なかには、三段以上のロジックがあると考えるのをやめてしまう人たちがいて、その人たちのためにちょいちょい「比喩」が登場しており、それがかえって彼らを苛つかせているという面はあります。私から見ると、それは考えるのをやめた側が悪いのですが、帰結として苛ついた人々がコメント依頼やブロック依頼という実力行使で押しとおろうとすることになっており、その点では「比喩」は被依頼者さんの思うような効果はあげていないですねえ。「赤い」を説明しようとして血を例示したら不吉だと批難されたあげく、トカゲの血は青なんですけど?とか言われる、みたいな。
- というわけで「ブロック依頼」には反対票を投じました。ただまあそうはいっても、こうしばしば「長文」がトラブルを招いているのであれば、被依頼者さんの側でも、いくらか対策を講じたほうがいいかもしれませんね。私個人は被依頼者さんの「長文」は全く問題じゃないと思っていますけれど、問題だという人が少なからずいて、そのせいで論争がおかしな方向に暴走してしまうことがちょいちょいあるのであれば、やっぱりなにか手を打ったほうが賢明だとは思います。あまり賢そうな感じには見えないかもしれないし、もしかすると余計に馬鹿にしていると受け取られるかもしれないけれど、「A=B、B=C、C=D、D=E、E=F、F=GなのでA=Gです」というのではなく、「A=Bという点には同意できますか?」とかって刻んでいくとかね。少なくとも長文は回避できますが、相手方が「だから何だというんだ、今はGの話をしてるんだ」といいそうですけどね。--柒月例祭(会話) 2016年11月8日 (火) 12:51 (UTC)
- 「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事??? 耳を疑います。柒月例祭氏は議論のための議論を奨励する立場なのでしょうけど、ウィキペディアは議論するための場ではなく百科事典をつくる場です。「金融の専門家」をのさばらせておくことが最も害が大きく、それを阻止することが求められていたのです。ウィキペディアは、議論のための議論を継続して自己恍惚感に浸る場ではないということを、依頼対象者(と柒月例祭氏)は理解されていない、ということが問題点の自覚を妨げていると言えましょう。
- 三段以上のロジック??? これも耳を疑います。「腹切り」「ケーキカット」などという突飛な比喩の使用にはなんの論理もありません。「wikipediaを編纂することが共同作業」という方針持ち出しは意図不明すぎです。それについては、ぽてから氏の指摘
- >世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある
- のひと言で言い尽くされています。論理性が完全に欠如しているのは明らかであり、どう擁護しようとしても無理でしょうさすがに。「長文」だけがトラブルを招いているというわけではないので、問題を矮小化しないでください。
- 「ガチガチの理系なんで雰囲気とか言われても難しいのですが」などという論理的に成り立たない言い訳を続けていますが、どうして、こんな子どものような稚拙な言い訳が「筋が通っている」「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」」となるのでしょうか? ガチガチの理系でコミュニケーション能力の高い研究者は世界中にごまんといるのに、理系=雰囲気が察知できない、という決めつけが筋が通っているとは考えがたいものがあります。むよむよ氏はべつに「異様な雰囲気」を察知して欲しいと言ってるわけでもないでしょうに。被依頼者には、対話相手の発言をストレートに理解するというところから、つまり、アウトプットのみならずインプットの段階で問題があります。--106.154.92.202 2016年11月8日 (火) 13:26 (UTC)
- 流石に余りに酷いので一言。御自分の引用された文章くらいちゃんと理解して使って下さい。「非常に理屈っぽいが、常に論理的というわけでもなく」というのは通常の日本語では「論理的であるときもあるがないこともある」と読むべきです。その文を引用しつつ次の文で「論理性が”完全に”欠如しているのは明らか」と言ってしまうのは、それこそ「完全に」論理的ではありません。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 14:45 (UTC)
コメント 「被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。」という柒月例祭氏のコメントについてですが、「ただ単に長いというだけの理由」で読みもしないとか理解しようとしていない人とは、具体的にどなたをさしておられるのでしょうか。
どうも、被依頼者を擁護したいあまりに、感情的に「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」と発言しておられると拝見いたしましたが、なぜ、被依頼者に問題が無いのかという肝心の論理的説明はなされていません(問題ない、と感情的に繰り返されているだけです)。被依頼者のコメントは、三段論法にも演繹法にも帰納法にも頭括型・尾括型・双括型のいずれにも該当せず、論理的な形態を逸脱しているということだけは、はっきりと断言できます。度々引用されていますが、ぽてから氏による、
- >世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある
というコメントは実に的を射ているものであり、被依頼者のコメントは、論理性が著しく欠如している場合が多いということは否定しようのない厳然たる事実です。論理展開としては、詭弁に近い展開を用いておられます。たとえ多少長文ではあっても、むよむよ氏のコメントは詭弁ではありませんので理解が容易です。古い利用者ですから、これまでいろいろあったでしょうし、感情的になられる気持ちも察せられますが、事実と異なるコメントをしてまで擁護に終始することで事態が改善に向かうことはあり得ないと考えます。被依頼者のような能力のある方が今後ウィキペディアでご活躍いただくためにも、実際には誤りである論理展開が用いられていることをご自覚いただき、被依頼者が関わると必ず議論が紛糾するような事態とならないよう、今後は発言の際ロジックには最新の注意を払っていただくよう説得されるべきであると考えております。--Husa(会話) 2016年11月8日 (火) 15:17 (UTC)
- Husaさんと同意見です。被依頼者の発言は一見もっともらしいことを繰り返していますが、実質的に自身の行為や主張の説明になっていないことが多いです。--有足魚(会話) 2016年11月9日 (水) 11:25 (UTC)
ノート:ヘッジファンドダイレクトにおける被依頼者の以下の発言は、詭弁に類するものであり、ロジックが存在していません。以下の被依頼者の発言を拝見し、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったとする、柒月例祭氏の発言は完全に誤りであると認識いたしました。被依頼者のこの発言は議論の攪乱にしかなっていないものと考えます。 (以下、被依頼者の発言をノート:ヘッジファンドダイレクトのこの発言から引用)
- そしてウィキメディア・プロジェクトは広告収入を避ける為に寄付を募っていますが、これが昨年だけで七千万㌦(㌦100円換算で七十億円)にまで昇っています。何の為にそんなに資産を投じているのでしょうか。圧倒的大多数のウィキペディアンが広告にアレルギーを持っているのです。
- 良くても「とりあえずJapaneseA氏の内容にしておいて、その後は改めて合意形成が出来たらそれに差し替える」という形の表明が何件かある程度で、下手をすれば「議論は長いし何だかよくわかんないけど宣伝っぽいよね」で満場一致です。
- これは進言なんだか入れ知恵なんだかわかりませんが、本件では一旦受け入れておいて、先に投資顧問業者のプロジェクトだか何だかを立ち上げ、特筆性が認められる投資顧問業者のページをジャンジャンと「Wikipedia:スタブにならないように注意して」立項し実績を作れば、色々と主張の根拠に説得力が得られるものと考えます。
- 現時点では「何でヘッジファンドダイレクトだけ?」という単純な疑問に「素人目にもわかる説得力」を持って答えられません。なのに投票とか自滅行為です。
上記発言は、議論を無駄に長文にしただけでノート:ヘッジファンドダイレクトにおいては不要な見解であり、かつ、詭弁が含まれています。最大限善意に解釈しても、「説明が見事」と評価するのは不可能です。さらにいっそうまずいことに、被依頼者の対応が、ソックパペットによる被害を拡大させる効果を発揮したと考えられます。このような詭弁を駆使してソックパペットによる荒らし行為を助長されたことについて、被依頼者はなにひとつ問題を認識されていません。すでに2015年のWikipedia:コメント依頼/Maddestmagicianで「Maddestmagicianさんの巨大バイト数におよぶ、個人攻撃・虚飾表現・脱線が多分に含まれる編集行為」が指摘されています。しかし、結局、この時点から変わらず問題の多い編集行為を継続されていることが、金融の専門家氏とのコメント一つを拝見しただけでも容易に理解できるものであります。被依頼者は昔から活動されている方なので知己が多いという事情があるのは理解していますが、だからといって、事実を無視してまでも、ほとんど全く問題がない、などのひと言で片付けられる段階ではもはやありません。被依頼者を過度に批判するつもりはありませんが、問題が継続していることを否定するのは不可能です。ノートでの議論において、ウィキメディア・プロジェクトへの批判を展開される等の編集行為が、被依頼者が理想とされる「共同作業」であったり、「議論」であったりするというのでしょうか。実際の行動と発言に乖離が認められ、他人には理詰めで追及される一方、自分の発言の論理展開は詭弁を用いられるなどは、随分と自分に甘くはありませんか。自らの議論姿勢について反省を求める次第です。--Husa(会話) 2016年11月8日 (火) 18:43 (UTC)
- 被依頼者が、「挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている」と主張していますが、これは嘘です。そもそも、詭弁とは説得を目的として行われることが前提であり、Husaさんは説得目的であることを見落としていることは上記発言から証明できません。また、詭弁(「主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論」)が論理展開に誤りを含んでいる、ということは状況によって変化しません
は、読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません(上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である、という主張も嘘ということになります)。「実際には誤りである論理展開」は後からどう理屈を補っても誰から見ても誤っています。被依頼者は、「詭弁を用いて説得を続ける」行為を継続されていますが、これは、決して「共同作業」ではありません。ノートにおいても詭弁を用いた説得を続けています。対話相手に詭弁を用いることは議論における裏切り行為ともいえ、いつまでも納得しなければ、コミュニティを消耗させる効果しかありません。--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 04:24 (UTC)--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 05:39 (UTC) - 被依頼者は、少しは落ち着かれたほうが良いと思います。ノートにおいても、相手の発言を歪めた前提で議論を始めるのはストローマンという誤った論法であることは間違いありません。はるみエリーがしているように、正々堂々と誤りがない引用を前提として議論を始めてください。被依頼者に求められているのは、まずは、第三者のコメントを静かに聞いて咀嚼する、ということです。しかし、実際にとられている行動は、次々と説得を目的として詭弁等を繰り返す、という「共同作業」からはほど遠い行いです。--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 05:39 (UTC)
- ひさしぶりにログインしてみたら、わたしにも関係のある話がされていたので、蛇足だとは思いますが、当事者としてどう感じたかを書いておきます(わたしも被依頼者と同じように金融の専門家氏の対応から逃げているので、あまり説得力はないかもしれないですが・・・)
- わたしは金融の専門家氏らソックパペットの履歴をさかのぼって確認し、その投稿やノートでのやりとりをを見て、目的外利用者だと確信してブロック依頼を出し、依頼をお断りされてWikipedia:コメント依頼/金融の専門家を提出しました。私としてはヘッジファンドにヘッジファンドダイレクトを載せようとするなど、ここまであからさまなら誰にでもわかるだろうと思っていました。この時に、ちゃんと自分が見ていたパペットの履歴などをまとめていればよかったのですが、ノウハウを知らなかったので、とても不十分なものになってしまいました。
- わたしと金融の専門家氏が泥沼のような言い争いをしていた時、被依頼者が登場して説得を始めました。最初はとても論理的に話しているように見えて、目的相利用がだめだと説明してくれていると思ったので、お任せすれば大丈夫なんじゃないかなと思いました。
- 被依頼者はコメント依頼で、金融の専門家氏は名乗っているように金融の専門家であると扱い、ウィキペディアでのルールを理解させてまっとうな執筆者にしようと説得しました。なので、わたしは被依頼者が、金融の専門家氏を目的外利用者ではないと思っていて、本当に金融の専門家だと思っていて、わたしの現状理解とも期待とも違ってしまっていましたが、善意で説得しているのだと思いました。わたしには、あれだけ時間を割いて説得を続ける理由が、他に思いつかなかったからです。あと、金融の専門家氏への説得で、間接的にディスられているように感じる表現があり、それはやめてほしかったです。「正解は唯一、如何なる罵倒を受けようともひたすら耐え忍び、決して冷静さを失うことなく、根気良く、誠意を以って、合意形成の為の対話を続けることしかありません。」と言われていましたが、わたしは金融の専門家氏を罵倒していたでしょうか・・
- 被依頼者が金融の専門家氏に好意的に親身に対応し続けたので、金融の専門家氏はどんどん調子に乗りました。被依頼者は、金融の専門家氏の状態が、非依頼者が味方だと思って調子に乗っている状態だと理解していました(本人がそう言っていましたので)その結果、井戸端での提議が乱立し、私も金融の専門家氏から色々暴言を受けました。
- 被依頼者の説得で金融の専門家氏が自制したのは一瞬で、また問題行動を繰り返すようになりました。コメント依頼で問題解決と言われたことで、さらに大きな自信を持つようになりました。
- 被依頼者は、金融の専門家氏の行為は初心者だから目をつぶるべきと言われました。つまり私は金融の専門家氏の行為に甘んじ続けないといけないということでした。この時点で、わたしは被依頼者によって事態が改善することはないし、自分は金融の専門家と被依頼者を相手にしてどうにかしなければいけない状態だということに気がつきました。それは私にはハードすぎる難問で、とてもできるとは思えませんでした。
- わたしはストレスで不眠ぎみになり、そんな私への家族の心配もあって、問題を放置してウィキペディアで活動するのを止めました。無責任だとわかっていましたが、完全にキャパオーバーでした。
- 後ろめたくて顛末だけは追っていたので、被依頼者のWikipedia:コメント依頼/金融の専門家での発言(削除された内容も)読みました。「最初から「目的外利用者ではない」などとは思っていませんよ。誰がどう見たって「ヘッジファンドダイレクト」の利害関係者が乗り込んできた一員(雇われた外注)にしか見えないでしょう。」という発言と、ヘッジファンドダイレクトへの強い軽蔑(今は削除されているのかもしれませんが)を読んで、わたしは衝撃を受けました。目的外利用者だと確信しているという事実と、あの一連の説得が、全然かみ合わなかったからです。ステマーだと思って、「wikipediaをより素晴らしい百科事典に出来る専門知識所有者を歓迎します。wikipediaへようこそ!」と言っていた、わたしにはそれがどういうことか、理解できませんでした。わたしと金融の専門家氏は、非依頼者におちょくられていたのではないか、わたしが必死になっているのを見て笑っていたのではないか、そう思ってとてもつらい気持ちになりました。そして、そのわけのわからなさに恐怖を感じました。金融の専門家氏やソックパペットは「宣伝」というはっきりした目的があって、いらだったし怒りを感じたけど、「恐怖」はなかったです。ですが、被依頼者に対してわたしが感じているのは、本意がわからなさ過ぎてこわい、この人ともう一度関わることがあったどうしたらいいかわからない、ということです。正直、金融の専門家氏を説得しようとしていたのか、そうじゃないのかすら私にはわかりません。そして、この難解さが被依頼者の特徴だし、と言われても、そんなこと初めて関わる人にはわからないです。
- なので、自分のノートでAssemblykinematicsさんにあたたかいコメントをいただいたのですけど、「死ね」とか直接表現しなければ割と何でもオッケーなこの場所で、記事を執筆していけるのか、非依頼者とどこかで関わることになったらどうしようという思いもあって、ウィキペディアで活動していく自信があんまりありません。もちろん、こんな風に思うのは、自分の根性のなさが一番大きいのですけど。--ジャム・パンナ(会話) 2016年11月9日 (水) 10:42 (UTC)
- 被依頼者の特徴として、ウィキペディアの議論で実験めいた行動をとるというのがあります。ヘッジファンドダイレクト関係の行動はそう考えるとすっきりしますが、これは自分の推測に過ぎないのであまり強いことは言えないですね。ただ、被依頼者の言動を字面のまま解釈するとしても、自身の真意を隠して応対をしていたということですから、今後そういう言動は慎んでいただきたいと思います。--有足魚(会話) 2016年11月10日 (木) 08:23 (UTC)
- コメント ジャム・パンナさん、戻ってきてくださって本当に良かったです。やっとノート:ヘッジファンドダイレクトからソックパペットが撤退しましたので、気が向いたらお越し頂ければと思います(もちろん、来られなくても一向にかまいません)。私も、被依頼者と議論で関わることの辛さを何度か感じました。ジャム・パンナさんは、てっきり利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)に疲弊させられたとばかり思っていましたが、被依頼者の利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)に対する態度が、間接的にジャム・パンナさんを痛烈に攻撃しているようなかたちとなっていた、ということを初めて知りました。本当に大変おつらかったと思います。私も同じような目にあったことがあり、多少はお気持ちを理解できると思っています。しかし、ジャム・パンナさんは責任を感じることはありません。根性があるとかないとかも気にされる必要はありません。被依頼者による利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)への対応は適切ではなかった
最悪中の最悪であったと確認ができたと思います。被依頼者の議論態度により、ソックパペットの被害を拡大させコミュニティが消耗している実例が公になりましたが、被依頼者は、それでも自分に非はない、と言い続けられるおつもりでしょうか。--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 11:20 (UTC)--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 13:28 (UTC) - うーーーん。議論の仕方、意見の書き方については多くの人からすでにコメントがされており私から言うことは特にないですが、各種方針・ガイドラインを引用しながら立て板に水のように「ウィキペディアとはなんぞや」を語られるのに、肝心の通常記事での編集では「出典を付けながら記事を作っていく」ということをやってくれないのはちょっと残念です(eg. 誘導尋問)。--Yapparina(会話) 2016年11月9日 (水) 11:58 (UTC)
- 返信 (はるみエリーさん宛) 「被依頼者による利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)への対応は最悪中の最悪であったと確認ができた」という発言は必要ですか? ケーキカットのくだりもそうですけど、些細な言葉まで気にされるはるみエリーさんが、「最悪中の最悪」などというような乱暴な言葉で(それがたとえどんな人物であれ)話し合いの相手を格付けされるというのは、信じられないというか、目を疑うのですが。--Aoioui. 2016年11月9日 (水) 13:01 (UTC)
- 格付けしてはいませんが指摘を受け修正します。ケーキカットは全く意味が異なるということであり、誇張気味程度の問題とも異なります。被依頼者による利用者:金融の専門家(ノート / 履歴)への対応は適切ではなかった」という発言の主旨を変更するつもりも撤回するつもりもありません。--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 13:28 (UTC)
- で、あればどのように対応すれば適切であったか、についても言及すべきでは?ジャム・パンナ氏が疲弊したと仰っている以上、事実被依頼者の対応は適切ではなかったのでしょう。しかしそれは予見性がなければ結果論に過ぎません。ジャム・パンナ氏の見解に一つコメントするとすれば、被依頼者は金融の専門家氏を目的外利用者であると考えていたが、上手く説得できれば「特定企業の目的外利用者」から「専門知識を持った利用者」にできるのではないか、と考えていたと見れば別に一連の言動に違和感は感じませんでした。勿論見通しが甘かったこと(相手があまりにもアレだったこと)やそれによって問題を長期化させた一因となったことについては被依頼者は「結果的に」非難されて仕方ないと思いますし、安易に解決したと宣言したことなどは私も不適切と考えます。
- あとケーキカットはの比喩は「全く意味が異なるとはるみエリー氏が考えている」のであって、「全く意味が異なる」と断定はしないで頂きたい。事実、へのいち氏や-Assemblykinematics氏が共感を示されていますし、私も多少のずれは感じますが「全く」とまでは思いません。--126.0.234.196 2016年11月9日 (水) 13:57 (UTC)誤脱修正--126.0.234.196 2016年11月9日 (水) 13:59 (UTC)
- 被依頼者の問題はすでに指摘されている通りです。なかでも、ジャム・パンナさん等に対して非協力的で皮肉的なコメントがみられるのは残念でもあり不適切であったと思います。ノート:ヘッジファンドダイレクトの参加者を痛烈に批判し、自分のコメントだけが本来の議論なのだと主張しているようにも見えます。しかし実際は、被依頼者は安易に解決したとか現実とは正反対の独りよがりな発言をしておられ、たんに「最後まで現状を正確に把握していなかった」ことを自ら明らかにされるかたちになりました。被依頼者による最初のコメントも問題の本質から非常に遠い指摘であり、ここを出発点とされたことで、必然的に議論の長期化を招いてしまう状況となったと思います。利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)対策で大きな力を発揮したのは、LudwigSK氏による検証のような事実に基づく検証であり、被依頼者のような机上の空論は、逆に被害をうみ出す結果となってしまいます。被依頼者が間接的に批判しているジャム・パンナさん等の対応について、そこまで糾弾する必要があったのかなと疑問に感じます。被依頼者が、圧迫すべきではない相手に圧迫を与えるコメントを連発されたのは、被依頼者の現状把握が間違っていたためでもあったと思います。きちんと現状把握が出来ていないのにご意見番のように参加すると、逆に被害を発生させかねません。被依頼者の参加により議論の長期化や関係者の疲弊が生まれてしまったことに疑問の余地はなく、利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)のコメント依頼に参加されないほうが良かったと思います。被依頼者は、「共同作業」に必要なコミュニケーション能力に問題を抱えているということを自覚されていないままであれば、今後も同様のケースを回避できないと思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月10日 (木) 09:13 (UTC)
- 格付けしてはいませんが指摘を受け修正します。ケーキカットは全く意味が異なるということであり、誇張気味程度の問題とも異なります。被依頼者による利用者:金融の専門家(ノート / 履歴)への対応は適切ではなかった」という発言の主旨を変更するつもりも撤回するつもりもありません。--はるみエリー(会話) 2016年11月9日 (水) 13:28 (UTC)
発言に関して言えばWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606の頃に比べたら見やすくなっているとは思います。まあ確かに被依頼者のコメント中の一部分だけを見れば揶揄に見えなくもないですが、よく読んでみるとそうでないのが多いと思いますし、意図を掴むのが難しいという事についてもよく読めばある程度意図は掴めるかと思います。ただ、被依頼者は理詰めまでとはいかないですがそれに近いくらい自分の発言をつまびらかにされると思うので、それが結果的に長文となり比喩表現と相まって相手に圧迫感を与えているのかもしれないと思いますね。その点では有足魚さんが言われるように被依頼者と議論となったら怖いと感じるのかもしれません。私は被依頼者の言動はさほど問題だとは思いませんし結婚式の例えは上手いなと思っているのですが、長文だと読みづらいという方もいっしゃるので、なるべく簡潔に平易な表現を使われた方が良いと思います。--赤羽さん(会話) 2016年11月9日 (水) 18:48 (UTC)
今後の流れについて提案があるのですが、ひとまず第三者のコメントが落ち着くまで待った方がいいと思います。ブロック依頼は最終手段であって、被依頼者は過去のブロック依頼でブロックせずの判断が出ていることから、なおの事慎重であるべきだと思います。そのうえで、被依頼者の抱える問題のうち重大なものを議論の上整理して(小さな欠点まであげつらうことは、印象が悪くなるだけで逆効果です。)、解決方法も添えて被依頼者に理解を求める必要があると思います。それで改善が図られれはそれでよく、次の手段を考えるのはうまくいかなかったときにまた議論すればいいでしょう。--有足魚(会話) 2016年11月10日 (木) 08:23 (UTC)
- 問題の無い素晴らしい利用者
柒月例祭、へのいち
- 問題がほとんど無いのでブロックに絶対反対
いすか、Aoioui、Ashtray
- 問題を感じるがブロックまでせず
WDS487、むよむよ、森藍亭、市井の人
- 問題があるがブロックについては態度不明
Susuka、ジャム・パンナ
- 問題があるので短期ブロック
JapaneseA、MankasTempo
- 問題があるので長期ブロック
はるみエリー、ぽてから、Husa、有足魚、Aiwokusai、Senatsuki
このような状況ではまずブロックなどされない。2015年のブロック依頼でも賛成10反対6で却下されている。先走ったブロック依頼によりまともな議論が成立しなくなった状況を依頼者は真摯に反省し、今後は稚拙な管理活動は控えるといいだろう。--AllCutman(会話) 2016年11月10日 (木) 09:19 (UTC)
- 返信 (有足魚さん宛) 既にこのコメント依頼がかなり長くなっているので、まとめてみるのもいいかもしれませんね。わたしは少なくとも「比喩」の指摘後からMaddestmagicianさんが、少なくともこの依頼では比喩を抑えた表現をされているので、改善に向かっているのだと感じてはいますが。しかし、特別:差分/61862086において「世界最狂の魔法使いCray-Gさんについてですが、あまり深く考えすぎないほうがよろしいと思います。正直自分もあの屈折したものの考え方には付き合いきれないし、付き合う必要もないと思っています。」とおっしゃっていた有足魚さんがこのような提案をなさるのは、ちょっと疑問です。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:27 (UTC)
- 利用者‐会話:ジャム・パンナにおける自分の当該コメントは不適切なものであったので、訂正いたしました。--有足魚(会話) 2016年11月10日 (木) 09:47 (UTC)
- 妥当な提案であると思います。また、提案者が被依頼者をどのように感じているかは、提案内容とは関係がないので、提案内容に問題があるということでもなければ話題にする必要もないと思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月10日 (木) 09:34 (UTC)
- 返信 (はるみエリーさん宛) いや、わたしも提案内容に問題を感じているわけではないです。これは、当然ながら場と個人の改善に向けた手続きですよね? それなのに「付き合う必要もない」と考えている方がこのような提案をしたり、まして、「あの屈折したものの考え方」と中立的でない見方をされてる方が、改善に向けて何をするのだろうか、という話なんです。はるみエリーさんなら、分かっていただけると思うのですが……相手がどんな人物であれ、それを改善しようと努めるとき、また(外部サイトではない)他方で「あの屈折したものの考え方」と言っていた場合、はるみエリーさん的に本当に「話題にする必要もない」と考えるのですか。マズい表現だな、とは思わないですか? わたしは、改善に向かってともに努力するにあたり、このような発言を他方ですることに問題があると考えています。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:44 (UTC)
- 訂正がありましたので、問題は解消したと思います。--はるみエリー(会話) 2016年11月10日 (木) 09:52 (UTC)
- 追記 有足魚さんの訂正を確認しました。ありがとうございます。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:54 (UTC)
- 返信 (はるみエリーさん宛) いや、わたしも提案内容に問題を感じているわけではないです。これは、当然ながら場と個人の改善に向けた手続きですよね? それなのに「付き合う必要もない」と考えている方がこのような提案をしたり、まして、「あの屈折したものの考え方」と中立的でない見方をされてる方が、改善に向けて何をするのだろうか、という話なんです。はるみエリーさんなら、分かっていただけると思うのですが……相手がどんな人物であれ、それを改善しようと努めるとき、また(外部サイトではない)他方で「あの屈折したものの考え方」と言っていた場合、はるみエリーさん的に本当に「話題にする必要もない」と考えるのですか。マズい表現だな、とは思わないですか? わたしは、改善に向かってともに努力するにあたり、このような発言を他方ですることに問題があると考えています。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:44 (UTC)
- 基本的な前提として、コメント依頼に臨むにあたってのスタンスが違っているのかなあと思います。ウィキペディアというのは(現実社会と同じように)様々な人々が対等な立場で参加することで成り立っていて、多様な社会です。現実・ネット上いずれにせよその人の経験や執筆分野やそこでの慣習などが違っているので、同じものを見ても「長すぎる」という人もいれば「短すぎる」という人もいます。で、時として少数の利用者の間だけで議論していると煮詰まったりして閉塞感が出るので、第三者の見解を募るわけです。
- たとえばカレー屋を開こうとして毎日味見しているうちに、この味が良いんだか悪いんだか分からなくなったり、3人の間で意見が分かれたりしたときに、第三者をたくさん集めて味見してもらうわけです。最初の3人が「辛さが足りない」と考えていても、後から来た10人が「辛い」といえば辛いと考えたほうがいい(辛いから美味しいのかと、辛いから不味いのかは確認する必要があるけれども)。後から来た10人のうち、1人は「甘すぎる」といい、3人は「甘い」といい、2人は「辛い」といい、2人は「辛すぎて食えない」と言った、なんて場合には「人によって意見が分かれる」というのが結論です。10人全員が「甘い」というわけでも全員が「辛い」というわけでもないゾーンだということですね。
- そういうコメント依頼の場で、「甘い」と言った人に「あなたの味覚はおかしい、甘いというのは間違いだ」とか言い始めるのはちょっと違うんですよ。それは要するに、「辛い」と言ってくれる人が集まるまで納得しない、自分に賛同する意見を言ってくれる人を集めているだけです。むしろ、「へえ、自分とは違う意見の人もいるんだなあ」と感じ入るべきところです。また、「甘い」「辛い」で意見が分かれた場合に、辛みを足すことはある人にとっては「改善」かもしれないが、別の人には「改悪」なわけです。そういう場合は、「改善がみられる」のではなく「歩み寄ってくれている」とみるべきなんですよ。
- コメント依頼というのは、「A氏はおかしい」と言ってはじめるのではなく、「私とA氏でこう揉めてるんだけども皆さんどう思いますか」と始めて、あとは第三者の意見が数多く集まるまでは我慢してじっと待ってるべきなんです。そりゃまあ当事者であれば、自分にとって不利な意見が集まれば面白くなかったり反論したくなる気持ちはわかりますけど、そこはこらえなければいけません。(私が当事者だったとしても、そこまで耐えられるかは難しいかもしれません。)
- 今回は既にコメント依頼からブロック依頼に突き進んでいましたから、私はブロックに反対の立場を明確にする必要があると思ったし、だからこのコメント依頼でも「私は被依頼者の側だ」と立ち位置をはっきりさせました。
- が、本当はそうやって「自分はこっち側につくよ」とかって「陣営を分ける」みたいなことは避けるべきだと思っています。たとえば、イギリスとアルゼンチンの両方が領有権を主張している島があるとして、自分はイギリス人で、イギリスの領土だと思っているけれども、だからといって「自分の領土なんだから自分の思う通りにするぜ」みたいな態度でその島にイギリス軍を上陸させたら相手方が過激な対抗策をとってくるのは明らかなので、そういうことは自重し、できるだけそっとしておくとか、その島にはお互いに近づかないようにしておくとか、どうしても島に行く理由があるならば相手方に丁重に慎重に礼儀正しく根回しして、「どっちの領土だ」には言及しない形でふんわり回すとかですね、そういうやり方をすべきなんです。そこを「ここは俺らの領土だぜー!相手は追い出すぜー」なんて高らかに宣言して実力行使しようとしたら、それはもう戦争する気満々なんだなとみられるわけです。
- これは双方に対して申し上げることなんですが、私個人は被依頼者さんの主張や立場に賛同するけれども、そうではない人も少なからずいるということはわかったうえで、「このあたりの領域はそういうゾーンだぞ」ということを意識してふるまっていただければと思います。それを欠いてお互いが艦隊を並べて対峙するような情勢になってしまっちゃったら、私は仕方なくこっち側につくだろうけれど、正直「そもそもここまで加熱する前の時点で折り合っとけよ」と思うわけですよ。
- あと、「全く問題のない素晴らしい利用者」とまで括られてしまうと、私の前回の発言は、いくらか言葉足らずのところがあったかもしれません。私はブロック依頼のほうも念頭に、(ブロックによってしか解決できないような)問題は全く無い、というような趣旨で考えていました。丁寧に順を追って説明するやり方は良い、長いことなんて全く気にならないと私は思う(私は長いとさえ感じないが、これを長いという人がいるだろうなあとは思う)けれども、それを悪習だとか長くて読む気も起きないという人が現れるとか、ヒートアップしている人に「まあまずは『パイドン』読めよ」なんて本を渡しても読むわけないだろうなとか、そこらへんはスマートな立ち振る舞いはありうるかもねえとは思います。困った人にあたったときに、西部劇のガンマンみたいに撃ち殺してしまうのか、ソクラテスみたいに極論を持ち出して延々と論じてみたり、いろいろやり方はあるだろうけれど、どちらも結局死刑になってしまうわけで、まあ難しいシチュエーションは「これは難しいシチュエーションだなあ」と言っちゃえばいいのかなって思います。
- これは蛇足になりますけども、これまでのあちこちのやりとりは、どうも「言葉尻をとらえる」議論が多すぎると思います。「腹切り」だの「共産主義」だの単語に反応してみたり、「論理の積み重ね」という表現に対して論理学の用語を持ち出してみたり、それらはWikipedia:論争の解決でいうところのレベル2です。そういう枝葉のところにいちいち反応して論難するのではなく、発言の総体や要旨に絞って議論するべきです。(私のこの指摘自体がまさにそれ、という話はさておき。)--柒月例祭(会話) 2016年11月10日 (木) 11:00 (UTC)
- 返信 (柒月例祭さん宛) 比喩の使用は最小限としていただきますようにお願いします。このコメント依頼においては、被依頼者に比喩の使用を最小限とするようにお願いしている事情がありますので、他利用者も、できるだけ比喩の使用を控えているという状態です。申し訳ありませんが、人によって解釈が分かれる抽象的なたとえ話や比喩、まわりくどい表現等の使用は極力控えて頂き、できるだけ簡潔なコメントにするように心がけていただけますでしょうか。上記コメントにおかれましては、リライトされるほうが望ましいと思います。他利用者も気をつけている状況ですのでご協力お願いします。--はるみエリー(会話) 2016年11月10日 (木) 11:35 (UTC)
まとめを提案しておきながら、自分の意見をまとめないのはおかしいので、自分の考えを整理するために過去の被依頼者の言動などを改めて拝見し、自分なりの分析をしてみました。というのも、今までこの件にかかわっているうちに、自分の考え自体も変わってきたからです。
まず初めに、自分が当初抱いていた被依頼者に対しての印象についてです。自分にとって被依頼者は、失礼を承知で申し上げるならば非常識で、コミュニケーションに難がある人物であるように見えていました。しかし、詳しく調べてみると、意外にも常識的で素直にコミュニケーションをとっている場面もあることに気付きました。つまり、被依頼者の言動には二面性があるのです。例えば、Wikipedia:中立的な観点での議論では、最初に難解な論理を持ち出したかと思えば、その後冷静に議論をまとめています。ヘッジファンドダイレクト関連では、金融の専門家さんを熱心に説得したかと思えば、その後最初から彼が目的外利用者だったとわかっていたかのような発言をしています。そして、このコメント依頼では、自分の発言について冷静に自分の真意を見抜いています[20]。このような二面性は、被依頼者の評価を二分させることにつながっています。人によって評価が異なるのは、どちらの面を見ているかの違いによるものであると思います。
以上のことから、被依頼者は知的で常識もあり、他人とのコミュニケーションも問題なくこなせる能力がありながら、何らかの目的のために問題のある人格を演じているだけなのではないかと思うようになりました。もし自分のこの推測が正しいのならば、自分は誤解をしていたのですから、被依頼者に謝罪しなければなりません。
そして最後に、もし上記の推測が正しいのなら、被依頼者にお願いがあります。どんな崇高な目的があるにせよ、ウィキペディア上で他人を欺いて、何かを試すような行いはやめていただきたいと存じます。この依頼で取り上げられているように、Alice OPPさんやジャム・パンナさんは精神的に大きなダメージを負いました。たとえ正しいことを為すためだったとしても、他人を傷つけることは可能な限り避けなければなりません。今後は論争相手に対しても誠実に、寛大な心を持って接していただきたいと存じます。--有足魚(会話) 2016年11月10日 (木) 11:50 (UTC)
コメント 被依頼者による利用者:金融の専門家(会話 / 投稿記録)に対する議論態度について、被依頼者はどのように考えておられるのかコメントを求めます。なぜ、二重の人格を演じられているかのような対応をされたのでしょうか。また、安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったことをご理解されましたでしょうか。現時点ではソックパペットの動きは停止していますが、被依頼者が関係していた時点ではまったく問題の解決は図られていませんでした。被依頼者以外の誰もが誰一人として問題解決であるとは考えていない時点での、あの安易な解決宣言はかなり異質です。被依頼者の見解を聞かせてもらわないことには、被依頼者の問題点をどうやって自覚していただけばよいのかなど改善に向かっての話は困難であると思います。一部、被依頼者による問題点の自覚は無理ではないか、とのコメントも見られますが、現時点では無理なのかどうか判断つきかねます。--はるみエリー(会話) 2016年11月10日 (木) 12:27 (UTC)
まとめ
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161108を提出しました。--ぽてから(会話) 2016年11月8日 (火) 03:09 (UTC)
- 提出後に長文コメントが投稿されましたが、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」という意見に賛同し、将来的な消耗を避けられる状況には至っていないと判断したことを付記します。--ぽてから(会話) 2016年11月8日 (火) 03:48 (UTC)