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「Wikipedia:コメント依頼/森藍亭」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
第三者のコメント: コメント。
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::{{返信|湖紫陽(koshi2016)氏}} もうそのくらいでいいでしょう。自分の主張が一貫しているのなら繰り返し同主旨のコメントばかりする必要はありません。低質な意見調整、第三者コメント者に対しての逐次返答等がすでに議論妨害とみなされていますが、そろそろ意見調整やまとめは第三者にお任せになってはいかが。コミュニティがこのコメント依頼で[[利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)]]氏に期待することは、第一に「人のふり見て我がふり直せ」です。湖紫陽(koshi2016)氏の[[Wikipedia:コメント依頼/Koshi2016|過去の暴言や振る舞い]]をコミュニティは忘れていません。かえって森藍亭氏の口の悪さを矮小化することで、過去の自分の暴言に対する問題点を矮小化しようとしているようにも見えますよ。少し落ち着いて下さい。空気を読みましょう。これが、サイレントマジョリティの声です。--[[特別:投稿記録/119.104.18.97|119.104.18.97]] 2016年10月4日 (火) 06:11 (UTC)
::{{返信|湖紫陽(koshi2016)氏}} もうそのくらいでいいでしょう。自分の主張が一貫しているのなら繰り返し同主旨のコメントばかりする必要はありません。低質な意見調整、第三者コメント者に対しての逐次返答等がすでに議論妨害とみなされていますが、そろそろ意見調整やまとめは第三者にお任せになってはいかが。コミュニティがこのコメント依頼で[[利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)]]氏に期待することは、第一に「人のふり見て我がふり直せ」です。湖紫陽(koshi2016)氏の[[Wikipedia:コメント依頼/Koshi2016|過去の暴言や振る舞い]]をコミュニティは忘れていません。かえって森藍亭氏の口の悪さを矮小化することで、過去の自分の暴言に対する問題点を矮小化しようとしているようにも見えますよ。少し落ち着いて下さい。空気を読みましょう。これが、サイレントマジョリティの声です。--[[特別:投稿記録/119.104.18.97|119.104.18.97]] 2016年10月4日 (火) 06:11 (UTC)
:::{{コ}} 小生は、他者の意見及び参加をつぶすことを目的しているのではなく、論点に基づく議論による本件依頼の解決を求める議論がかわされることが本来の趣旨であることから、[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]氏、及び[[特別:投稿記録/119.104.18.97|119.104.18.97]] 氏の発言にならい、今後は議論を静観し、コミュニティーにより議論がまとめへ向かうことを願うこととします。--[[利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)]]([[利用者‐会話:Koshi2016|会話]]) 2016年10月4日 (火) 06:30 (UTC)
:::{{コ}} 小生は、他者の意見及び参加をつぶすことを目的しているのではなく、論点に基づく議論による本件依頼の解決を求める議論がかわされることが本来の趣旨であることから、[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]氏、及び[[特別:投稿記録/119.104.18.97|119.104.18.97]] 氏の発言にならい、今後は議論を静観し、コミュニティーにより議論がまとめへ向かうことを願うこととします。--[[利用者:Koshi2016|湖紫陽(koshi2016)]]([[利用者‐会話:Koshi2016|会話]]) 2016年10月4日 (火) 06:30 (UTC)
*{{コメント}} 湖紫陽(koshi2016)さんによる議論妨害でわかりにくくなってしまったので、再度同じ事をコメントします。実は、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの指摘による、''発言者本人は「何処が言い過ぎなのか」や「何処に誤解の余地があるのか」と思っている可能性''については考慮していませんでした。そのため、感情的になってあえてその表現を使ったものとばかり思っていました。これについては、このコメント依頼で新たに発見したことであり、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに感謝をしています。もし、被依頼者が、''「何処が言い過ぎなのか」''とか''「何処に誤解の余地があるのか」''と思っている場合は、同じ事が再発してしまう可能性が高いですが、コメント内容からはそれがよく判断できませんでした。なので、ぱたごんさんやはるみエリーらに対する、言い過ぎという批判がある過去の発言について、被依頼者がどのように考えいるのか、具体的なコメントを求めています。被依頼者に改善の意志があることは確認できていますが、もし、過去のぱたごんさんやはるみエリーらに対する被依頼者の発言について、''「何処が言い過ぎなのか」''や''「何処に誤解の余地があるのか」''とまだ思っているようであれば、単に、方針を説明するだけで被依頼者に不適切な発言だったことをわかってもらったことにはならず、世界最狂の魔法使いCray-Gさんがおっしゃるように十分な説明を行う必要があると思います。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年10月5日 (水) 06:33 (UTC)

<!-- == まとめ == -->
<!-- == まとめ == -->

2016年10月5日 (水) 06:34時点における版

利用者:森藍亭会話 / 投稿記録 / 記録さんの参加姿勢等についてのコメントを求めます。

依頼者として個人的には、森藍亭さんは、利用者の行為についての御意見番的存在として、これまでにとても参考になるご指摘、アドバイスなどを拝見し、責任感ある真っ直ぐな方だと感じておりました。また、依頼系での参加では、多少の依頼不備や参加者同士で意見がまとまらないとき、感覚的にではありますが、問題の本質をずばり言い当てたり、見通しの良い意見の集約に務めてこられた心強い方であると思っております。しかしながら、ここ最近、Wikipedia:コメント依頼/ぽてから 20160722にはじまり、Wikipedia:投稿ブロック依頼/ぽてから 2016831、さらにWikipedia:井戸端/subj/投稿ブロック依頼の提出に「コメント依頼での合意」が必要なのかにて、森藍亭さんへの風当たりが強くなってきている傾向を見て、ここらへんで森藍亭さんについて誤解があれば、それを解く意味で、また、これ以上の議論と対立の拡散を防ぐ意味でも、みなさまのご意見をいただけたらと考え、本依頼の提出をいたした次第であります。

これまでの経緯

森藍亭さんは、2008年4月29日にアカウントを登録、参加を始められ、現在まで約8年半が経っております。総編集回数は6,731、内訳は、Wikipedia名前空間が約31%、利用者‐会話が約27%、 利用者({{Sockpuppeter}}の貼り付け等)が約20%、標準名前空間が約12%、標準名前空間における(リダイレクトを除く)新規作成は3項目となっています。

管理系への参加を主目的にされているようですが、いわゆる低質な管理行為にあたる要素はないと考えています。標準名前空間の編集割合は、極端に少ないと感じられますが、だからといって、たとえ標準名前空間の編集の割合が過半数を超えていても、特定分野の記事に張り付いて、差し戻しやタグ貼り付けなどの管理行為に没頭されている、他のケースも極端な編集傾向・参加目的のタイプであると思います。

本依頼の趣旨は森藍亭さんに限らず、参加目的が議論や依頼系への出入りがメインである、利用者同士のぶつかり合いを第三者はどう捉えているのか、といったことの確認でもあります。何かを糾弾するような前提での依頼ではありません。

参考資料

--市井の人会話2016年9月23日 (金) 09:03 (UTC)[返信]

--市井の人会話2016年9月23日 (金) 11:30 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

126.0.234.196のIPユーザーさんご指摘の件について、普通は「○○からの風当たり」とするところを、あえて特定せず「風当たり(反発)」と表現しています。それ以上の意味はございません。宜しくお願いいたします。--市井の人会話2016年9月24日 (土) 14:06 (UTC)[返信]

JapaneseAさんご指摘の件ですが、「本題であろう」については、井戸端で結論は出ていると思いました。話を蒸し返すのは想定外です。しかし、その過程で、上記IPユーザーさんからのご指摘にコメントしたとおり、森藍亭さんに対する反発が強くなってきたので、本依頼を提出いたしました。これを井戸端でやるのは同じことの繰り返しだと思います。森藍亭さんについてのコメント依頼としたのは、他の利用者の行為についてコメントを求めたい場合に該当したからです。被依頼者として方針違反が疑われるとか、なんらかの非があるとかでなければ、出すものではないとは考えませんでした。本依頼では、正直言って「あえて特定せず」「第三者はどう捉えているのか」が本当の狙いです。これまでの当事者以外の第三者の方からコメントをいただけたのは感謝しています。--市井の人会話2016年9月26日 (月) 07:53 (UTC)[返信]
Vigorous actionさん、コメントありがとうございます。
「利用者の行為についてのコメント依頼」の場合、利用者名必須のようですから、JapaneseAさんご指摘のように、森藍亭さんと森藍亭さんに反発していると見られる主要人物についてのコメント依頼とするのが筋ではないか、と依頼者が非難されても仕方がありません。言葉を濁した内容の依頼を出して、依頼者は安全なところから見ているつもりか、これは何かの釣りか、のような捉え方をされるかもしれません。Vigorous actionさんのようなご理解がないまま、森藍亭さんと森藍亭さんに反発していると見られる主要人物についてのコメント依頼とすれば、JapaneseAさんが考えられた「問題がある」を前提とした名指しと捉えられ、特定された利用者は何らかの抗議をする可能性は高いと思います。Wikipedia:コメント依頼/森藍亭・その他でも良かったのかもしれませんが、「その他」では依頼不備にならないのか根拠となる文書や議論がなかったように思います。依頼者としては、この依頼のように、一般的とは言えない出し方をした自覚はあります。「利用者の行為についてのコメント依頼」は、このケースのように悪用してはならないでしょう。そうでない分には何でもありとまでは考えてませんが、Vigorous actionさんがおっしゃられた顕彰目的での依頼など、実現に至ったなら第一号はどなたになるか楽しみです。
依頼内容で述べたとおり森藍亭さんは、心強い方であると思っております。ところが、Wikipedia:投稿ブロック依頼/ぽてから 2016831では、森藍亭さんがいつもらしくないわけではないのに、森藍亭さんを上回る力を強く感じました。力というより人徳でしょうか。ですから「何かを糾弾するような前提での依頼ではありません。」としました。後出しで申し訳なく思いますが、依頼者への苦情も覚悟しております。--市井の人会話2016年9月26日 (月) 21:18 (UTC)[返信]
井戸端でやろうかと思いましたが、議論を拡散させてしまうか、第三者だけでまったりと議論できるか微妙なのでここに書かせていただきます。
Law somaさんが以前コメントされた内容の一部を引用させていただきます。
Wikipediaのコミュニティは同目的のために共闘するには多少効率の悪い緩やかな対等関係から成り立っている組織(?)です。そこにはヒエラルキーもリーダーもありません。更にいえば、繰り返しになるようですが念のため言及すると、「両立」は心の中でして頂くものであり、このコミュニティは善意にとるを基本的な原理としているということをご理解ください。
次が、“投稿ブロック依頼の提出に「コメント依頼での合意」が必要なのか”で私が書いたコメントの一部です。
Vigorous actionさんによる「なお、WP:RFCで合意形成を必須とした場合WP:MEATによる多数派工作なども行えますから、」とのご指摘については、別途議論が必要な重要課題であると最近感じています。
しかしながら、合意形成を待つ/待たない以前に、WP:MEATWP:CAN、単なる意気投合の線引きは議論してもいいはずです。ミートは絶対的な繋がりがあるのに対し、カンバスや意気投合は「一抜けた」ありだと考えています。また、被依頼者に代わり、参加者の発言をもとに対人論証を執拗に行い、話の腰を折るのを審議妨害と、参加傾向をWP:MEATと、みなす根拠にできるかどうかというのがあります。
Law somaさんのコメントは正常をあらわすと考えています。私のコメントはVigorous actionさんのコメントをきっかけに、今まで感じていた異常をあらわしたつもりです。異常と言っても私が首を突っ込まないという選択があり、余計なお世話かもしれません。--市井の人会話2016年9月27日 (火) 00:18 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

さて、本コメント依頼から1週間が経過しましたので、簡単にコメントしたいと思います。

本依頼は、これまでの私の活動について、今、自分自身で改善を図っている他に問題点はないのか、他利用者から見てどうなのか、を認識する良い機会であったと考えています。

世界最狂の魔法使いCray-G氏が、2016年9月27日 (火) 04:30 (UTC) 及び 2016年9月27日 (火) 04:49 (UTC) のコメントで指摘した問題点、

  • 他の観点に立脚する利用者に対する許容力/想像力の不足
  • 使用する単語の選定センス

については、以前にも指摘を受けており[1][2]改善を図っていたものですが、その努力は十分なものでなかったが故に、今以て改善に至っていないという認識を新たにしました。指摘に感謝いたします。これらの点について、劇的に改善できるとは口が裂けても言えるものではありません。情けないことですが。とは言え「今後改善するつもりはない」などと言う気もありません。今後も改善への努力は続けていきます。

以下、感想。

ご自分は翻訳も自然科学系の記事も書かない[3][4]のに、私の編集した記事、編集・翻訳中の記事について、とやかく言っている方もいらっしゃいます。手が遅いのは事実なので「そのとおりですね」としか言いようがありません。記事の分野について上下の差はないと私は考えていますが、ただまあ、日本語文献が比較的多い分野における編集頻度の基準をそのまま適用し、基本、日本語文献が他分野に比べ非常に少ない分野の記事の編集について「あまり知らない人にズバズバ言われても」困惑するだけです(ちなみに、GSSP一覧の翻訳にあたって使用している原資料は、要約欄にも明示しているように、ICSの発表した最新のものだったりします。よって、「古い情報を元に編集している」というのは正しくありません。)。また、そのような見識を持つ方のコメントを、果たして真っ正直に受け止めてよいか、非常に迷います。

先の指摘を踏まえれば、「そのような方もいるのだなあ」と思う程度にとどめるのが、最善かもしれませんね。--森藍亭会話) 2016年10月1日 (土) 10:49 (UTC) 少しだけ修正--森藍亭会話2016年10月3日 (月) 12:35 (UTC)[返信]

先程、草食系マッチョ 氏により第三者コメントの一部がノートに移されました[5][6]ので、これを差し戻しました。話の流れを押さえるためにも、移動するならば、そもそもの発端である、はるみエリー 氏による2016年9月24日 (土) 01:49 (UTC) のコメントから移すべきでありましょう。なぜあの位置から切り取ったのか、その根拠は何なのでしょうか。疑問に思います。--森藍亭会話2016年10月3日 (月) 12:35 (UTC)[返信]

第三者のコメント

コメント 依頼者があげている依頼における森藍亭さんのコメントにおいては、事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言をされることが多々あったという印象を持っております。森藍亭さんの活動について今回初めて確認をいたしましたが、作業場の翻訳作業は、全てが1年以上も半分放置されているような状況で非常に残念です。

作業状況を公開されていることにより、他の利用者が「森藍亭さんが新規記事作成をはじめているから自分はこの記事作成は遠慮しよう」と思い、森藍亭さんの新規記事がアップされるまで誰も執筆をしない可能性が考えられます。また、1年以上も古い版で翻訳をされても、その後の英語版の編集を誰かが加筆修正せねばならず、他人の編集をアテにしていることを前提とした編集行動であるようにも感じました。自分のやりかけの記事を長期間放っておいてまで、他の議論に首を突っ込むという議論姿勢については、優先順位を変えたほうが良いと思います。一般論として、1年とか1年半とか4年以上前の英語版からの翻訳よりも、スタブであっても最新版から少しずつ翻訳するほうが、信頼できる記事といえると思います。古い版からの翻訳である場合、初めから最新の英語版と比較作業をしなければ内容の確認ができません。また、森藍亭さんの発言について、非常に反感を買うような言い方をされることがあることも気になっています。他人についていろいろ指摘する前に、まず、ご自分のやりかけの記事を長年放置したまま他の議論にばかり首を突っ込むという議論姿勢を変えない限り、それほど説得力を発揮しない場面もあると思いました。--はるみエリー会話2016年9月24日 (土) 01:49 (UTC)[返信]

  • コメント 翻訳なり記事執筆なりをどのようなペースで行うかはまったく編集者個人の裁量の問題であり、他のユーザがとやかくいうようなことではないでしょう。その件が個人の説得力に関係するとしたら、自分を棚に上げて「速く翻訳しろ」と他ユーザに強要するような場面くらいで、それは森藍亭さんの件には当てはまらないと思います。--アイザール会話2016年9月24日 (土) 01:57 (UTC)[返信]
森藍亭さんの執筆ペースについてとやかくいうつもりはありません。私も少しの執筆内容を考えるだけでも時間がかかることもあります。執筆ペースという点から、他人を評してはいませんし、翻訳なり記事執筆なりをどのようなペースで行うかについては、まったく個人の自由だと思います。しかし、森藍亭さんの場合は、4年前とか1年前半とか1年前の英語版をもとに翻訳作業を続けているので、完成したときには新規記事といえども数年前の古い情報からの翻訳記事になってしまいます。その点については、その都度、最新の版をもとに翻訳されれば起こらないことなので、残念に思います。森藍亭さんが、ご自分のやりかけの記事を長年未完成のままにされることで、森藍亭さんの作成記事の情報鮮度が落ちていくということをこれ以上は放置されるべきではないと思います。森藍亭さんが、非常に反感を買うような言い方をされなければまだいいのかもしれませんが、事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言をされたまま訂正しないこともありますし、あのような言い方では、自分の行動はどうなんだ、とかえって反感をもたれたりして、未完成記事の放置等が説得力に影響する場合はあると思います。--はるみエリー会話2016年9月24日 (土) 02:24 (UTC)[返信]
コメント 森藍亭さんが新規記事作成をはじめていると気付く方であれば、同じ様に長期間放置されている事や古い版で翻訳作業を行っている事にも気付くでしょうし、意欲のある人なら経過を見て「同じ記事の翻訳をしたいのだが引き継がせて頂けないか」ぐらいの問い合わせをするでしょう。さすがに苦しいと言うか所謂イチャモンの感が否めません。--61.86.153.11 2016年9月24日 (土) 02:54 (UTC)[返信]
コメント 森藍亭さんが新規記事作成をはじめているのはつい最近気が付きましたが、4年前とか1年前半とか1年前の古すぎる英語版からの翻訳作業を継続して行っていることについては、その都度、最新の版をもとに翻訳されればいいのにと思います。ウィキペディアは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト」ですが、森藍亭さんが情報鮮度の劣る翻訳作業を継続しつつ放置しつつというのは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という目的とは一致するとはいえない逆行する、「質の劣っている4年前や1年半前や1年前の英語版からの百科事典を一人で創り上げる」行動をとっておられることになります。Wikipedia:ウィキペディアについての精神とは一致しない逆行する行動をとっている人にウィキペディアの方針をなんでも知っているかのような強い口調でいろいろ言われても、反感をもつ人はいると思います。--はるみエリー会話2016年9月24日 (土) 03:34 (UTC)[返信]
残念ながら、新しい版が常に古い版より優れているとは限りません。また、何十年も前から使用されている学術用語の説明など、5年前でも昨日の版でも大して違いはありません。もちろん実際にアップする前に最近の修正がないかどうかチェックする必要はあるでしょう。しかし、スタート地点が古い版であること自体を非難される筋合いはありません。--Kojidoi会話2016年9月24日 (土) 03:52 (UTC)[返信]
コメント依頼の主旨から外れダラダラやるのもアレですので、これを最後に。Wikipediaへの参加においてはスタンスも思想もペースも各人それぞれ自由であり、それが保証されているかと思います。言い換えれば、こと記事の編集に関して強制はするべきでもされるべきでもありません。まして記事本体で書きかけを放置しているのであればともかく、自身の利用者ページに設置した作業場において翻訳作業が長期に中断されている事をもって他者から批難されたり、未完成記事の放置等が説得力に影響するなどあってはならないと感じます。Wikipediaへの貢献度によって発言に重みが出ることはあるでしょうし、記事も書かずに議論や管理行為に勤しんでいる利用者が批判される事は多々あり、そういった意見を否定はしませんが、利用者ページでの翻訳記事の作成中断状態を冒頭に据えた上での批判意見では、アラを探しての印象操作であると捉えられかねません。旧い版を元に翻訳した記事であってもJAWPに記事が無いよりは100万倍マシだと思いますし、いつでも誰でも鮮度の高い情報でそれを書き換えられるのがWikipediaです。仮に「記事空間以外での議論に首を突っ込んでる暇があるなら、書きかけの記事に注力されればどうでしょう」程度のイヤミなら許容出来たとしても、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という目的とは逆行する、「質の劣っている百科事典を一人で創り上げる」行動をとっておられるについては訂正・謝罪されるべきと感じます。--61.86.153.11 2016年9月24日 (土) 04:30 (UTC)[返信]
「質の劣っている」百科事典を一人で創り上げているかどうかは、個人の解釈や感想であり、事実であるかはわからないので、事実に即した表現に訂正をします。ただし、残念ながら、数日や数ヶ月単位ならまだしも、4年前とか1年前半とか1年前の古すぎる英語版のほうが最新よりも良記事である可能性は低いです。ウィキペディアは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という目的のもと、日々改善されているところだからです。また、今見たところでは、森藍亭さんは百科事典記事の執筆割合が非常に少ない方だと思います。森藍亭さんの作業については、ペース云々などはまったくあれこれ言うつもりはありませんが、長年にわたり「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という本来の目的を軽視しているというか、あまり重要視していないのかな、と思いました。記事への関与が非常に少ないということは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という目的にあまり重きをおいていない行動をとっておられるといえる思います。ウィキペディアへの参加の仕方は人それぞれであるのは言うまでもありませんが、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という本来の目的を軽視しているように見える人から、辛辣な言葉で(間違った内容も含む)批判を受けた人はどう感じるかということを、森藍亭さんは考えられたほうが良いと思います。森藍亭さんが、非常に反感を買うような言い方をされなければあまり注目を浴びることもなかったのかもしれませんが、最近でも、事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言をされたまま訂正しないなどの行動もあります。森藍亭さんが一人で古い版をもとに翻訳記事を執筆したり放置している現状からは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という本来の目的を重要視しているとは思えなかった、というのは、私の感想であり、第三者の方から森藍亭さんの代弁的な反論を受けることによって変わることはありません。もちろん、事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言をされることについても、過去の発言については訂正なさるべきですし、これ以上は行うべきではないと思います。--はるみエリー会話
コメント各々個人のペースで作業を行えばよいことであり、ウィキペディアはノルマによってページ作成を行うものではありません。「森藍亭さんが一人で古い版をもとに翻訳記事を執筆したり放置している現状」とあります。またしかし、(未確認ですが)一人での作業となっているのであれば、見方を変えれば同ページでの参加者がいないに過ぎないわけで、問題ありません。
個人的には、どのようなご意見を持っていようと構わないと思うのですが。はるみエリー氏は、「事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言をされること」に訂正を求めています。しかし、「(森藍亭氏が)「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という本来の目的を重要視しているとは思えなかった、というのは、私の感想」のはるみエリー氏の発言は、「客観的事実に基づき、導かれた結論」によるものと思えません。--Koshi2016会話) 2016年9月24日 (土) 09:32 (UTC)--Koshi2016会話2016年9月24日 (土) 09:45 (UTC)[返信]
コメント 英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー主催でふだん翻訳で記事を作成している者としてコメントしますが、アイザールさんやKoshi2016さんがおっしゃっているとおり、個々のウィキペディアンが翻訳を行うペースについて他のユーザがとやかく言うべきではないだろうと思います。また、利用者‐会話:さえぼー#Midnight's Childrenをご覧頂きたいのですが、もし誰かが下書きを作っている記事についてなかなか立項ができないので自分が作成したいと思った場合、ノートページで下書きを作っている人に連絡するなど、いくらでもやり方があるはずです。これに関して森藍亭さんが批判されるいわれはないだろうと思います。--さえぼー会話2016年9月24日 (土) 09:40 (UTC)[返信]
コメント Koshi2016さんのコメントは意味がよくわかりません。「個人的には、どのようなご意見を持っていようと構わない」としながらも、なぜ、人の意見を批判をしようとしているのでしょうか? どのようなご意見を持っていようとかまわないといいつつ、人の意見にかまっていますよね? コメント内の冒頭の文と最後の文が自己矛盾しています。それ以前にすみませんが、コメントの意味がよくわかりません。「見方を変えれば同ページでの参加者がいないに過ぎない」というコメントとについては、Koshi2016さんの個人的な考えであり、事実としては他人を排除して他者が書けないスペースで一人でやっているだけです。さえぼーさんのコメントについてですが、上記で説明済みですが、森藍亭さんの翻訳ペースについてとやかく言っているわけではありませんし、ペースについて批判していません。「これに関して森藍亭さんが批判されるいわれはないだろうと思います」というさえぼーさんのコメントを読むと、まるで、はるみエリーがそれについて批判したかのような印象を受けますが、事実としては批判していません。そういう、不適切な印象を他人に与えるコメントを、きちんと他人のコメントを読まずに行うのはお控えください。さえぼーさんは、以前もはるみエリーの発言を全て理解されないままのコメントをされていますが、横からコメントするのであればそれまでのコメントを読むなどは最低限行ってもらわないと何度も同じ話をしたり、余計な説明をしなければならなくなります。それは最低限のマナーとして気をつけて下さい。森藍亭さんの行動からは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という本来の目的を重要視している方であるとは思えませんでした。私としては、ウィキペディアの目的を重要視している方であれば、共同作業で創り上げるという行動を自然ととられるものだと思います。また、森藍亭さんは他人の発言を軽視し、不正確な内容で拡散するなどの不適切な行動も見られます。--はるみエリー会話2016年9月24日 (土) 10:09 (UTC)[返信]
これじゃすっかり「はるみエリー様」のコメント依頼ですな。--Keisotyo会話2016年9月24日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
ここで取り上げている「森藍亭さんが新規記事作成をはじめているから自分はこの記事作成は遠慮しよう」というのは全く考え過ぎで、その後も無駄な議論だと思います。一連の部分はノートに移されたほうがよろしいかと思います。読みにくいし新しい参加者が来ても問題点を理解するのが困難になります。--Manabuohara会話2016年9月25日 (日) 05:01 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリー氏宛) 先の私の投稿について説明します。
森藍亭氏の発言に対し納得できず、はるみエリー氏がWikipedia:コメント依頼/ぽてから 20160722Wikipedia:井戸端/subj/投稿ブロック依頼の提出に「コメント依頼での合意」が必要なのかWikipedia:コメント依頼/森藍亭に至るまで、執拗に言い分を敷衍する発言をしようとも、しまいとも、個人的には構わない。ご自由にどうぞということです。
小生は、森藍亭氏は自身の観点に立脚し事実(はるみエリー氏の発言)を判断した発言であり、はるみエリー氏は自身の観点に立脚し事実(森藍亭氏の発言)を判断した発言にすぎないものと考えています。また、森藍亭氏の作業活動に対し、はるみエリー氏が批判の根拠対象としているものは、事実なのではなく、自身のご意見により想定される作業活動の1ケースにすぎません。したがって、はるみエリー氏の発言は自身が重視されている「事実に基づかずご自身の想像で補って恣意的な発言」と同類のようなものと見ざるを得ないということです。--湖紫陽(koshi2016) 2016年9月25日 (日) 13:32 (UTC)--湖紫陽(koshi2016)会話2016年9月25日 (日) 15:20 (UTC)[返信]
コメント 僕も、ノートに移動することに賛成。特に、Koshi2016さんの2016年9月24日 (土) 09:32 以降のコメントくらいからこの上のコメントまでは、堂々巡りになっていると思う。あと、湖紫陽(koshi2016)さんの発言がよく理解できないけれども、ノートに移動すべきだとか、「そのくらいにされては」等の複数の発言をスルーしてまで被依頼者ではなく第三者に対してのコメントを継続しているのを見ると、Wikipedia:コメント依頼/Koshi2016Wikipedia:投稿ブロック依頼/Koshi2016で批判された相手だから、抽象的で誇大表現をとった批判を執拗に繰り返しているのかなと強く推測してしまうよ。—草食系マッチョ会話2016年9月25日 (日) 15:32 (UTC)[返信]
返信 (草食系マッチョ氏宛) 森藍亭氏が全く関わらない、小生への発言については、会話ページへの投稿をお勧めします。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年9月25日 (日) 20:47 (UTC)[返信]

コメント そのくらいにされては?ここは森藍亭氏のコメント依頼であって、参加者同士の意見のずれをとことんまで突き合わせ決着をつける場ではないでしょう。おかしくない意見であれば類似コメントが出るでしょうし、共有されない意見であればその意見が孤立するだけです。尚、森藍亭氏の参加態度についてですが、記事本体への貢献が皆無というのでなければそこまで目くじら立てるものではないと思います。--126.0.234.196 2016年9月24日 (土) 10:22 (UTC)依頼文を改めて読んでですが、「森藍亭さんへの風当たりが強くなってきている傾向を見て、」というのは語弊のある問題提起かと思います。問題の良し悪しはさておき、「(特定の人々と)軋轢が生じている」と「(周囲からの)風当りが強い」は似て非なるものです。--126.0.234.196 2016年9月24日 (土) 13:35 (UTC)追記[返信]

コメント 森藍亭さんは、他人の批判はかなりズバズバ言うよね。どんなに凄い人なのかなと思ったら、他人の批判は多いけど自分はどうなの? って正直少しは思ったよ。はるみエリーさんがあげている「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」という目的についてだけど、他人の批判ばかりしていても、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」ことについての貢献はたいして多くない。他人が記事を書きやすいように補助してくれるなども助かるけど、他人の批判ばかりズバズバ言う回数が多くても、言われた人は「あなたに言われたくない」と思ったりして、かえって反発することもあると思う。それは、人間心理としては、普段どういう行動を取っている人に言われたかは、自然と関係してくることもあるだろうから、しかたないよね。出典を探したり記事を書くのは結構大変なのに、そういう大変さを知らない人に、知ったかぶりでズバズバと言われたくないよって思っても止めようがない。森藍亭さんは、「質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げる」ための行動の割合を多くしたほうが、他人との対話をスムーズにできるようになると思う。記事書くとか出典探す大変さがわかってる人にアドバイスをもらえたらうれしいけど、あまり知らない人にズバズバ言われても反発を招くことはあると思うよ。—草食系マッチョ会話2016年9月24日 (土) 10:37 (UTC)[返信]

お願いですが、一段下げて頂いて宜しいですか?マークアップのために一段下げて表示されており、当方コメントへの返信なのか、草食系マッチョ氏の独立したコメントかが分かりません。後者であればインデントが揃っていた方がいいでしょうし、仮に前者であれば「当方はこう思う」「草食系マッチョ氏はそう思う」以上のやり取りにはならないと思いますので不毛です。本コメント自体は、草食系マッチョ氏が御確認された時点で、お願いをお聞き入れ頂くか否かに関わらず除去して頂いて結構ですが、仮に前者としてもこれ以上の返信は致しかねますこと御承知おき下さい。--126.0.234.196 2016年9月24日 (土) 11:00 (UTC)[返信]
これでいいかな。--草食系マッチョ会話2016年9月24日 (土) 11:15 (UTC)[返信]
ありがとうございます。--126.0.234.196 2016年9月24日 (土) 11:16 (UTC)[返信]

コメント 森藍亭さんのコメントについてだけど、森藍亭さん自身の個人的な判断を事実であるかのように断言することが多いから、僕からすると、まったく理解できないとか言い過ぎじゃないかなと感じることがあった。

Wikipedia:コメント依頼/ぽてから 20160722から引用

はるみエリー氏は、裁定を行った Marine-Blue 氏のコメント後半を「管理者による個人的なコメントに過ぎません。」と切り捨てていますが、それこそ「自分の解釈をいれた不正確な表現」でありましょう。[7]
はるみエリーさんが「切り捨てている」・・・これは、森藍亭さんの個人的な判断にすぎない。僕の考えでは、はるみエリーさんは「個人的なコメントに過ぎないと切り捨てている」と断言することは、森藍亭さんによる「自分の解釈をいれた不正確な表現」だと思う。森藍亭さんが「自分の解釈をいれた不正確な表現」を根拠に、はるみエリーさんの発言を「自分の解釈をいれた不正確な表現」だと発言したことについては、人のことを言う前に自分が「自分の解釈をいれた不正確な表現」をしてるよね?と思ったよ。
当該コメント依頼で「コメント依頼の合意がない」ことを反対理由にした利用者を、異口同音に同じことを言っている[28][29][30]ことから、前掲コメントでは同調者として扱っています。草食系マッチョ氏も含みますね。[8]
この発言について、「異口同音に同じことを言っている」というのは、森藍亭さんによる「自分の解釈をいれた不正確な表現」なんだよね。これについて、はるみエリーさんの発言を無視して、森藍亭さんが「自分の解釈をいれた不正確な表現」であることを認めようとしないことは、対話拒否とも言えると思う。僕もいい気はしていない。

森藍亭さんの発言は、「自分の解釈をいれた不正確な表現」が多いと感じる。一番ひどいのは、「自分の解釈をいれた不正確な表現」を使って他人の発言について、こう言った、と断言することだと思う。そうやって、「自分の解釈をいれた不正確な表現」が事実であるかのような言い方をしてしまうと、それを読んだ人は、次々と、森藍亭さんが「自分の解釈をいれた不正確な表現」のほうが事実なのかなと思ってしまうよ。森藍亭さんは語調が強いから、より、人に与えるインパクトが強いと思う。さらに、森藍亭さんの発言について「自分の解釈をいれた不正確な表現」だと相手から指摘された場合に、いつまでも認めないのは問題だと思う。まず、自分の解釈については、「思う」「考える」などと表現してほしい。間違って事実であるかのように断言してしまったことを指摘されたら、「自分の解釈をいれた不正確な表現」だと認めて訂正すべきだし、場合によっては謝罪しなければならないこともあると思う。--草食系マッチョ会話2016年9月24日 (土) 14:00 (UTC)[返信]

コメント 森藍亭さんの発言については問題だと思っていたけど、少し具体例を述べるから、森藍亭さんによる反省、謝罪、訂正を期待するところ。

Wikipedia:コメント依頼/ぽてから 20160722によるHusaさんの発言から引用

森藍亭さんが、「>「被依頼者の報告内容は正しいのに、対応した管理者が確認すべき記事を間違えている」かのような印象を与える、ある意味卑劣な行為」と発言していますが、いついかなるときでも管理者の対応が100%正しいと信じて、管理者に抗議する自由な権利の行使を問題視するような風潮は望ましくありません。[9]

この発言を、森藍亭さんはスルーしてるけど、森藍亭さんは「自分の解釈をいれた不正確な表現」を利用して、絶対的な真実であるかのようにぽてからさんを「卑劣な行為」と糾弾したのは失礼だと思う。森藍亭さんが「卑劣」という意味を誤解して使っていたのかもしれないけど、「卑劣」という意味を理解して使っていたなら失礼すぎるだし、「自分の解釈をいれた不正確な表現」であることを認め、訂正と謝罪をするべきだと思う。ウィキペディアで正々堂々と対話することを「卑劣な行為」などと表現することはさすがに失礼すぎるし、暴言と言えると思う。森藍亭さんは、Wikipedia:礼儀を忘れないに反した発言をしていたことを認識して、ほかの人に対して丁寧にふるまって欲しいよ。僕が、森藍亭さんにお願いしたいのは、他者へ常識的な礼儀をもって発言することが第一かな。--草食系マッチョ会話2016年9月25日 (日) 00:02 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者の編集や発言そのものに問題があるとは思いませんが、そこまで言う必要あるのかと思うような発言があるように思います。例えばWikipedia - ノート:投稿ブロック依頼でのこういったコメントはちょっと言い過ぎじゃないかと思いました。--赤羽さん会話2016年9月25日 (日) 13:59 (UTC)[返信]

コメント これは、どこが「改悪」なのでしょうか? rvしなければならない必然性は全く感じません。どうも、被依頼者の基準は、ごく一般的な人とはズレているように思えます。--42.146.69.183 2016年9月26日 (月) 00:06 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者は、過去に多重アカウントを行い暴言が多いことで有名な古参利用者と言葉のセンスが類似しています。

被依頼者の対話の際に選択する語彙センスが暴言で批判を受けた利用者と近いことは、ご自覚いただいたほうが良いでしょう。被依頼者は、Wikipedia:善意にとるについて根本的理解の不足が見られます。

善意による過ちだとわかる時には、破壊行為だと決め付けたり、単にリバートせずに、その過ちを正してあげてください。意見が合わない時には、思い出して下さい。
善意にとるべきなのは、行為についてではなく、意思についてです。善良な人々でも間違いを犯しますし、間違いは正すべきです。しかし、間違いがわざとであるかのように反応すべきではありません。間違いは正して下さい。ただし、叱ってはいけません。ウィキペディアには、意見の合わない人もいることでしょう。たとえ彼らの方が間違っていたとしても、それは、彼らがプロジェクトを台なしにしようとしている、ということではありません。また、一緒にやりづらいと感じる編集者もいることでしょう。それも、その人がプロジェクトを台なしにしようとしている、ということではないのです。単にあなたの気に障るだけなのです。たとえ、明確な悪意を感じたとしても、ある編集者の行為を悪意のせいにする必要性は全くありません。なぜなら、あなたが、例えば差し戻しや投稿ブロックを用いて対抗しようとする場合、それは相手の意思ではなく相手の行為に基づいて行えるのですから。
以上、Wikipedia:善意にとるより。

「被依頼者の気に障る」というだけで善良な利用者へ𠮟りつけたり[10]、改悪と決めつけてリバートしたり[11]などは、Wikipedia:善意にとるに反した感情的反応といわざるをえないかと。--119.72.195.72 2016年9月26日 (月) 01:06 (UTC)[返信]

  • コメント 当事者の方が多々コメントされているようなので、私もコメントします。まず、下書きについては、記事への編集を早急に行った方がより良いのは申すまでもありませんが、それを他者がどうのこうの言うべきではないでしょう。見方を変えれば、荒らしや方針無理解者対応のせいで、その時間が取れないとも判断できます。次に、口調が厳しいのは、人の事は全く言えませんので、コメントは控えます。さて、本題であろうWikipedia:コメント依頼/ぽてから 20160722での「コメント依頼での合意なしのブロック依頼」について。対象となった各氏の投票でのコメントを私見で判断すると次のようになります。
    • [12]。「コメント依頼で合意していない」ので「即時終了にも反対しない」(他にも反対理由あり)
    • [13]。「依頼文が憶測」と「コメント依頼で合意していない」の2つの理由で「反対・即時終了」(他に反対理由なし)
    • [14]。「コメント依頼で合意していない」が感想(依頼文への不満)なのか「逸脱する依頼」の根拠としているのかわからない(どちらとも取れる)。(他に反対理由あり)
最初の2つは、どう見ても「コメント依頼で合意していない」事を反対・即時終了理由の1つとしています。一方、3つめ(草食系マッチョ様の票)は、不満・理由どちらとも取れます(私的には、依頼文への不満と判断します)。
なお、利用者のコメント依頼とした意図が理解できかねます。第3者がコメント依頼を出すような問題がある方とは思えませんし、本題であろう「コメント依頼での合意なしのブロック依頼」に対しては、関係者全員を被依頼者とすべきでしたし、「本依頼の趣旨は森藍亭さんに限らず、参加目的が議論や依頼系への出入りがメインである、利用者同士のぶつかり合いを第三者はどう捉えているのか」であれば、井戸端で議論提起すべきだったように思います。--JapaneseA会話2016年9月26日 (月) 04:52 (UTC)[返信]
コメント 依頼者の追加コメントに被るんですが、コメント依頼って確かに問題の多いとか仲裁的な使われ方が多いけど、例えばFA、GAの作成が多い利用者を褒め称えようって目的のものが作成されることを禁止する条項とかも無かったはずです。逆に被依頼者ではなく依頼者に対して苦言ばかりがくるコメント依頼ってのもいくつかありましたし、柔らか頭で行きましょうよ。--Vigorous actionTalk/History2016年9月26日 (月) 13:13 (UTC)[返信]
依頼者が「井戸端の話を蒸し返すのは想定外」と発言しているにも関わらず、
井戸端の話を元にコメントが書いてあります。
先ず、ブロック依頼の審議の過程で「コメント依頼での合意を得て提出されたものではない」ことを主たる理由の一つに挙げた利用者が、複数ありました。これが反対の主たる理由の一つであることに問題は無いものと考えます。
しかしこれに疑問を持った被依頼者は、件の利用者に対し質問を行ない、それがWikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文に基づく発言であるとの主張を得ました。
これを被依頼者は、
  • Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求している(A)=コメント依頼での合意が無いことが手続き不備となる(B)
という主張と受け取りました。しかしこれは
  • 既存の投稿ブロック依頼には、合意どころかコメント依頼すら無いものも少なくなく、それらは手続き不備を指摘されていない
という反例があり、(A)≠(B)であることは明らかです。となると(B)が真である為には(A)が満たされなければならない以上は矛盾が存在することになります。被依頼者はこの矛盾を議論により解決しようとしたが、まともに議論に応じる者は無く自己の主張を繰り返すばかりであったことから、
と結論せざるを得ない事態となりました。此処に至っても対話者は「森藍亭さんは他者の考えについて相手方の確認を取らずにまとめてしまう方だということは理解しました」と、議論を避けて人格攻撃に基づく対話拒否とも受け取れる発言を行ないました。
その後、困り果てた被依頼者は井戸端で話題提起することとなり、最終的に本件コメント依頼に至るまで騒ぎが大きくなりました。
◆此処までが経緯
此処で被依頼者が抱えていた問題は、「Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文に基づく発言であるとの主張」を(A)=(B)と誤認したことに起因しています。
これは実際には(A)⊆(B)であり、(A)≠(B)であることから(A)⊂(B)であることが判明したに過ぎません。此処に矛盾は存在していません。
即ち、「Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求」していなくとも「コメント依頼での合意が無いことが手続き不備」となるケースが考えられる、ということです。
言い換えると(B)が真となれる条件としては、
  1. Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求している
  2. Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求していないし、実際にコメント依頼での合意を要求しないケース
  3. Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求していないが、コメント依頼での合意を要求するし、無ければ依頼不備となるケース
  4. Wikipedia:投稿ブロック依頼の冒頭文が提出にコメント依頼での合意を要求していないが、コメント依頼での合意を要求するが、無くとも努力目標として努力を尽くしたと看做して依頼不備としないケース
という考えられるパターンの内、1.と3.の条件下で(B)が真となります。
この内、1.と2.のみしか想定出来ず3.を認める観点の存在可能性に思い至らなかった被依頼者には、他の観点に立脚する利用者に対する許容力/想像力の不足を指摘します
が、実際問題としてそれは圧倒的大多数のウィキペディアンが抱えている問題であり、これを解決する為に議論と呼ばれる手順により対話を行ない合意を形成するのがwikipediaの基本方針です。故に被依頼者が、他の観点に立脚する利用者に対する許容力/想像力の不足という問題を抱えている現実は問題が無いわけではないが大きな問題ではないと考えます。
つまり議論が正常に進行するならば。
◆此処までが被依頼者に対するコメント
対して被依頼者への「風当り」側は、対話軽視の問題があると考えます。
吊し上げる気はありませんのであまり微に入り細を穿つような具体的な指摘はしません。件の井戸端も本件コメント依頼も、議論を分断しその「吊し上げ」をより強調することが目的なのではないかという疑惑があるからです。
  • 一行一文で意図通りに伝わらなかったからと「他者の考えについて相手方の確認を取らずにまとめてしまう方だ」と人格攻撃を始める
  • 観点の相違を「恣意的」や「決めつけられている」などの悪意があるとの前提で話を進める
  • さらには同じく「間違った解釈を信じ込んで「同調者」として扱い、Wikipediaから排除しようとしている」と批難するに至っては上記二つの両方
  • 挙句の果てには「自身が求める回答を誘導尋問のように導き出すことを狙った井戸端提議」でありその為に被依頼者の支持者をミートパペットが如き扱いをする印象操作
と、全く議論になっていません。
こんな状態では、類似する観点に立脚する者同士ならばともかくも、異なる観点に立脚するウィキペディアンと合意を形成することは(妥協する以外には)難しいと考えます。wikipediaは妥協の産物を目指しているのではありません。
なお「同調者呼ばわり」に関しては、少なくとも字義として間違っている以上、被依頼者の最初の「同調者呼ばわり」には不正確な使用であるという意味で被依頼者に非があると考えます。私如きが言うことでもありませんが、被依頼者はもう少し使用する単語に関して気を使った方が色々と利便性が高まると考えます。ですが「相手がやったから俺もやっていい」という主張は受け入れられませんし、「正しい意味」で使っている以上は人格攻撃や印象操作の非を免れないものと考えます。
例え「同調者呼ばわり」され冷静さを失ったにせよ、落ち着いて議論を行なわなければならないと考えます。討論技術や弁論術の有無ではなく、誠意を以って対話する必要がある、ということです。冷静さを失って議論軽視に陥ることは、wikipediaの存在意義の根幹に関わる深刻な違反です。
以って、被依頼者にも些少ながら問題がある以上に深刻な問題が「風当り」側にあると考える旨をコメント致しました。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月27日 (火) 04:30 (UTC)[返信]
(追記)結果まで折り畳みの中に書いてしまいました。
被依頼者には下記の些少な問題があると考えます。
  • 他の観点に立脚する利用者に対する許容力/想像力の不足
  • 使用する単語の選定センス
また「風当り」側による下記の深刻な問題により問題が拡大しているものと考えます。
  • 異なる観点に立脚する利用者に対する対話軽視
以上が、本件依頼前文の「風当たりが強くなってきている」問題の発生源であると考える旨をコメント致しました。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月27日 (火) 04:49 (UTC)[返信]
コメント世界最狂の魔法使いCray-G氏の説明を支持します。氏の論理学的な説明により議論本来の目的が明らかにされました。今後本依頼では、本来の目的に対する建設的なコメントが展開されるか、本依頼の終了へと向かうべきものと考えます。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年9月28日 (水) 15:18 (UTC)[返信]
「本来の目的」とは井戸端の議論の本来の目的を指すものと思われます。だとすれば、その「建設的なコメント」とやらは井戸端にて展開されなければならないと考えます。本件依頼の場に於いて継続することは議論の分断であり、また井戸端で件の議論を目にした全てのウィキペディアンを軽視し蚊帳の外へと追い出すこととなり著しく礼を失する行ないです。それでもなおこの場にて展開すべきと主張するのであれば、最低でも井戸端の件の議論の場に於いて本件依頼にて議論の続きが継続している旨の誘導を要求します。
また本件依頼は「誤解を解く/議論と対立の拡散を防ぐ」意味で被依頼者の「参加姿勢等」を問うものであるので、「建設的なコメント」が井戸端で展開されることは本件依頼を終了する事由にはならないと主張します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 07:58 (UTC)[返信]
返信 (世界最狂の魔法使いCray-G氏宛) 小生の意図とする「本来の目的」とは、井戸端での議論の目的を指すものではありません。井戸端での経緯に導かれる結果により「被依頼者」と「風当り」側の発言の問題が明確にされたことによって、本件依頼で問うべき被依頼者の「参加姿勢等」を「本来の目的」と意図したものです。また、本来の目的に対し、「風当り」側の結果により導かれる望まれる建設的なコメントが展開されるべきであり、展開されないのであればある程度の時間をもって本依頼の終了へと向かうべきと考えています。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年9月29日 (木) 10:27 (UTC)[返信]
なるほど、誤解であった旨を理解しました。うっかり侮辱と受け取って怒り狂って滅茶苦茶に罵倒する言葉を書いたのですが我慢して丸っと消去した甲斐がありました。他にも色々と言いたいことがありますが、それも恐らくは私の誤解なのだろうということにしたいと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 10:50 (UTC)[返信]
返信 (世界最狂の魔法使いCray-G氏宛) 小生のコメントは、言葉足らずで、皮肉を込めたものと誤解されたのでしょうか。誤解が晴れ、よかったと思います。
蛇足となるかもしれませんが、世界最狂の魔法使いCray-G氏のコメントである「井戸端に関わる説明」の意図が単に「井戸端」の議論の本来の目的を示しているのであれば井戸端でコメントするべきでしょうが、先の小生のコメントのような思考を求めたものであったため、本件依頼にコメントしたものと理解していることをお伝えします(本コメントに誤解があるようでしたら、会話ページ等へのコメントをお願いします。問題なければ返信は不要です)。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年9月30日 (金) 11:37 (UTC)[返信]

コメント 最近のトラブルは、結局、被依頼者による「同調者」呼ばわりが原因でいろいろとこじれたということになりましょうか。「同調者」などと、安易に糾弾する被依頼者の振る舞いは全く以ていただけません。三者三様の表現も見られる中、投票が関係する場で同調していると安易に判断してよい状況とはいえますまい。暗に無期限ブロックに値する行為だと、なんの根拠もないまま自分の感性だけで突っ走った発言をしたようにも見えます。被依頼者の「同調者」発言は、的を外した感のある放言と言えます。被依頼者自身に落ち度がある以上本来は自分自身でケツをふかなければならないところ、それを指摘されてもうんともかんとも答えないまま、逆に、自分の正当性を求めるかのように、事実として確定させようとした行動が井戸端での出来事、とみています。ただ、それよりもなによりも、被依頼者には、以前から、かなり口調が厳しく、ときには言い過ぎるという対話における特徴があることに異論はありますまい。根本的な原因は、被依頼者の口の悪さにあると思うのですが、まー、Wikipedia:善意にとるの無理解といえばそうなんでしょうね。それについての、被依頼者の改善がないままに、コメント依頼を急ぎ終わらせようとするのは、いささか問題の本質がわかっていないということになりましょう。被依頼者が、口の悪さで思わず口がすべった(と客観的に思われるほどの行き過ぎな発言をされた)後、自分の落ち度を決して認めないために、これだけの摩擦がコミュニティに生じはじめているということです。率直に言いますが、被依頼者は口の悪さについてなんとかするつもりはないんでしょうか。一回目や二回目の言い過ぎややり過ぎは大目に見てもらえますが、今回はいつもの言い過ぎの延長線上ということですよね。しかも、物事の核心を外した放言なので、完全に被依頼者に落ち度が認められるということになります。他の利用者は、対話の相手に常識の範囲内で気を遣っているのですから、自分だけ感情のままに放言をするのは許されない環境になってきているということを、そろそろしっかり認識するべき時期なのだろうと考えます。--2001:268:C077:2260:3088:BBDE:72E3:8132 2016年9月29日 (木) 08:19 (UTC)[返信]

 横から失礼 興味深い指摘があったので伺うのですが。
「同調者」呼ばわりすることに「糾弾」する含意はありません。なので「「同調者」などと、安易に糾弾」した事実が存在し得るともしたとも認識出来ませんし、現に「表現として同調者を用いた」旨の発言を被依頼者がしていることからも「単なる誤用」に過ぎないことは充分に認識可能と考えますし、他に糾弾したと看られる発言は見当たりません。
無論「美しい表現」ではないという意味で「口の悪さ」として指摘するに足ると思います。また現実問題として失礼となる場合がある含意がありますから「的を外した感のある放言」や「被依頼者自身に落ち度がある」という指摘も適切と考えます。総論として異論があるわけではありません。
ですが「「同調者」などと、安易に糾弾」したとか、況してや「暗に無期限ブロックに値する行為だと~~発言」したとか、「同調者呼ばわり」だけでは説明不能な解釈がなされているように見受けられます。そのように解釈した経緯を知りたいと考えます。
これには二つの意味があります。
一つには私自身が、日常生活で用いる一般的な言葉を用いたことを「暴言」と認識されて揉めた過去が一度ならずあること。この際には「呼ばわり」も「暴言」認定を受けましたが。
もう一つには、この「糾弾」する含意の無い単語を耳にして「糾弾」したと認識した経緯を知ることが出来れば、被依頼者(と前述の通り私自身)の「口の悪さ」の改善に資する情報を得られるのではないかと考えたからです。
その認識の経緯を推測し説明出来るのであれば他の方でも構いませんので、返信を戴ければと。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月29日 (木) 09:12 (UTC)[返信]
コメント 私見ですが、「同調者」といっても個人単位で主従(自他)に分かれると思います。辞書的には他人の主義・主張に同意する者です。しいて(けっこう強引です)言うなら個人を尊重する意味で適切な表現かどうかに疑問があります。同調圧力とまで言えば暴言になるかもしれません。同じ語彙を多用、共有して糾弾するのは、同調者の条件の一つになりがちですが、それぞれの発言者が以前から、どのような関係にあるか、感覚的にではなく、第三者が把握しているのが、第一の条件であると思います。同調者と言う場合、同じ語彙を多用し共有してディベートとなると、どこかに便乗が紛れ込んでいるのも区別しなければなりません。便乗は目的の一致、達成のみを重視し、議論を軽視した模倣をしているに過ぎません。そういうのと一緒にされたくないというのもあるでしょう。今回のケースそのものを言っているわけではありませんが、言葉の選び方として、「そういうのと一緒にしてはいない」意味で用いて、逆に誤解を招いたのではないかと思いました。--市井の人会話2016年9月30日 (金) 02:18 (UTC)[返信]
それぞれの発言者が以前から~~第一の条件であると思います
もしも市井の人氏の発言中の、引用文及びそれ以降の文にある「同調者」を全て「共謀者」と置き換えたならば、何等の困難無く意味がわかります。また「糾弾」の件も同様にすれば理解出来ます。
「同調者」と「共謀者」とでは、意味が著しく異なります。同調圧力という単語を出してきたからには「同調」の意味を正確に理解出来ているものと思われます。その上でなお、それを「共謀」と可換な解釈をすることで説明をなさったわけですから、不可解ではあるにせよ、そのような「曲解」をする人が居ると予断しておくべきだということはわかりました。
有難う御座居ました。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年9月30日 (金) 11:50 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさんによるコメントを機に、まとめに入る調整を行いたいと思います。「共謀者」は悪事寄りですから、やめておきましょう。また、「曲解」も安易に使わないほうが無難です。なお、その件について異論等ありましたら、私の会話ページにてお願いします。ところで、単なる「同調」の意味に今のところ、どなたからもご指摘はありませんでした。しかし、あえて「同調者」と言っているのにはわけがあります。すべての辞書がそうではないと思いますが、デジタル大辞泉によると「同調者」は「ある思想・運動などに賛同し支援する人。シンパサイザー。シンパ。」となっています。ですから便乗ではない(さらに集団とも違う)という意味で用いて、逆に誤解を招いたのではないか、というのが私の感想です。まとめとして、相手が嫌がる言葉は使わない、言われたほうも憤慨しない、としたいのですが、問題の本質をずばり言い当てているケースでは、相手が嫌がるかどうかは関係ないときもあると思います。--市井の人会話2016年10月1日 (土) 01:43 (UTC)[返信]
コメント 小生は、市井の人氏の「まとめとして、相手が嫌がる言葉は使わない、言われたほうも憤慨しない、としたいのですが、問題の本質をずばり言い当てているケースでは、相手が嫌がるかどうかは関係ないときもある」との発言を支持します。
今回の問題は、礼儀を忘れないとのルールを盾に、他者の発言に対する自分の主張のみの正統性を示していることにあると思われます。まずは、自他にありうる「誤解」を解くことが重要であり、ウィキペディアにおける基本的な行動原理である善意にとることを改めて重視する必要性があると感じられます。(この点は、今回の被依頼者の発言に限らず、被依頼者に対しコメントを繰り返す立場の方も同様でしょう)。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月1日 (土) 09:06 (UTC)[返信]

コメント 以前にも、言い過ぎに思えるこういったコメントや、改悪というのは言い過ぎなリバートをされている前例もあるので、感情的になって言い過ぎる傾向もお持ちだと思います。必要以上に言い過ぎたり、誤解を招きやすい言葉で相手に不快感を与えるほうが悪いです。不適切な発言について訂正をするべきだし、今後は行わない旨の宣言なりはあってしかるべきです。--はるみエリー会話2016年10月1日 (土) 02:43 (UTC)[返信]

私が言う以前に「同調者」が「付和雷同」と異なるのはご理解されていると思います。「付和雷同」は削除依頼によく見られますが、投稿ブロック依頼でもちらほら見かけます。そういうほうが糾弾されてしかるべきでしょう。そうではなく自分の考えがそれなりにあり、意見を述べるのは当たり前のことであると思います。ただ、思ったことを一度に全部出すのはどうかと思います。差し戻し・編集合戦も相手に対する確認不足が事態を悪化させます。とっさの判断で相手が悪いと考えるのは自由ですが、悪いと思うのならヒートアップせず落ち着いて、一息入れて第三者が気付くのを待つか、湖紫陽(koshi2016)さんの言葉を借りますが、“自他にありうる「誤解」を解く”意味で確認を行うのが望ましいと思うのです。ですが、ある程度のパワーは維持しておくのはむしろ推奨します。自信を失っては馴れ合いに結びついて、けっして建設的とはいえないと思います。平和であればよいというわけでもないでしょう。--市井の人会話2016年10月2日 (日) 19:43 (UTC)[返信]
はるみエリー氏は「必要以上に言い過ぎ」や「誤解を招きやすい言葉」と思っているかもわかりませんが、発言者本人は「何処が言い過ぎなのか」や「何処に誤解の余地があるのか」と思っている可能性も充分にあります。どうも被依頼者は感情的になって言い過ぎたのではなく、単にそれが適切と考えて冷静にその通りに発言してきたように思えます。それに対して、はるみエリー氏なりの表現で「斯々であるので云々と言うべきであり然々は言い過ぎである」や「然々と言う言葉は斯々であると考えるが本当に斯々とのつもりで発言したのか」と言えば、被依頼者だって色々と過ちに気付けるようになるものと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年10月2日 (日) 20:34 (UTC)[返信]
コメント  「依頼者により…」とは「被依頼者」の誤りでしょうか。
被依頼者からは、先の「被依頼者のコメント」にて自身の問題点に対する理解と、今後も改善への努力を宣言しています。まずはその点を評価するべきです。その評価が行われずに、はるみエリー氏が被依頼者の過去の発言に対し、繰り返し疑義を正そうとしても、問題の解決は見られないと思います。
小生の個人的見解からは、被依頼者の立脚する観点、及びはるみエリー氏の立脚する観点には大きな乖離があることはこれまでの議論の経緯から明らかです。したがって、自己の観点に基づいた主張に相手側の意見をいくら誘導しようとも、まず無理でしょう。先の、市井の人氏、世界最狂の魔法使いCray-G氏によるコメントを確認し、太刀を鞘におさめたような発言を行うべきと考えるところです。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 05:09 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者は、いろいろな依頼や議論において、非常に他者に対して厳しいコメントをされる方です。人に厳しくするのであればそれ以上に自分に厳しくするべきです。被依頼者が他者にそれほど厳しい人でなければ、また違ってくるのかもしれませんが、人に厳しく自分に甘いという姿勢であればダブルスタンダードと言えます。具体的に、過去の行動についての言及や訂正等が行われるまでは、改善の必要性を心から認識されたとは言えないと思います。まずは、被依頼者による考えを聞かせてもらいたいと思います。--はるみエリー会話2016年10月3日 (月) 06:40 (UTC)[返信]
コメント  まず、小生の見解を再度示します。
  • 被依頼者は言葉に厳しいものがありますが、自己にあまい活動があるとは思えません。自己にあまい活動があるのであれば、その点の提示がすでに行われていたはずです(その部分に関する説明が極端に不足しています)。他方、はるみエリー氏の発言は、本件依頼における発言の経緯から、自他にありうる「誤解」を解くことを怠り、「人に厳しく自分に甘いという姿勢であればダブルスタンダード」といえる発言が展開されていると判断しています。
  • 小生は、被依頼者が問題点の理解と、今後の発言の改善を示したことから、本件依頼の目的とされた議題はほぼ解決したものと判断しています。しかし、先日発言した通り、はるみエリー氏が他者の発言に対しどのように判断しようとそれは自由ですし、投稿を繰り返すことは、ご自由にどうぞということです。しかし、本件依頼の発言の経緯を確認する限り、本件依頼にて、はるみエリー氏が完全に納得のいく結論(解決)に至ることは不可能とは言えませんが、困難でしょう。
  • ところで、はるみエリー氏のこれまでの発言は、他者の意見を理解せず、他者のコメントに対する反駁(論駁)がなく、あくまで自己主張に終始していると判断していることをここに示しておきます。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年10月3日 (月) 07:57 (UTC) 細部編集--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年10月3日 (月) 08:15 (UTC) 編集、文意に変更はなし。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年10月3日 (月) 09:11 (UTC) 指摘があったことから、取消線の追加--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 09:15 (UTC)[返信]
コメント 被依頼者が自己にあまい活動をしているなどと言っていませんので、関連のない話は控えてください。被依頼者は、他人を厳しく諌める言葉づかいをされる傾向がありますが、自分のこととなると、言葉を濁したコメントをしています。他人についてそれほどまでに厳しい言葉を投げかけるのですから、自分自身についても言葉を濁すべきではないと思います。湖紫陽(koshi2016)さんへのお願いですが、被依頼者のコメントを聞きたいので、これ以上、いちゃもんを言ってこないでもらえますか。「自己にあまい活動をしている」などと言っていないのに、あたかも、そういうコメントをはるみエリーが言ったという勝手な設定を作った上で関係ないコメントを行うなどは、審議妨害としかいいようがありません。--はるみエリー会話2016年10月3日 (月) 09:07 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリー氏宛)  指摘があったことから、取消線を入れました。ただし、そのように発言するのであれば、先の投稿にあった「人に厳しくするのであればそれ以上に自分に厳しくするべきです。被依頼者が他者にそれほど厳しい人でなければ、また違ってくるのかもしれませんが、人に厳しく自分に甘いという姿勢であればダブルスタンダードと言えます。」との文意が全くもって不可解です。
加えて、「自己にあまい活動をしている」との発言は否定するのであれば、なぜ「自分のこととなると、言葉を濁したコメントをしています。」とのコメントが導かれるのでしょうか。基本的な日本語で文意で読み解けば、両者はほぼ同様の意味であり、その発言に矛盾があります。コメントの文意に一貫性が求められず、論理が崩壊していると判断せざるを得ません。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 09:55 (UTC)[返信]
湖紫陽(koshi2016)さんいつまで議論妨害を続けるつもりなの。はっきりいって、湖紫陽(koshi2016)さんの発言は上記のものも含め、すべて議論の妨害にしかなってないと思う。これ以上ここで続けるのはやめてほしいよ。「指摘があったことから、取消線を入れました。」じゃなくて、まず、はるみエリーさんに対して自分の勘違いから関係ない話をしたことについて謝罪するべきじゃないの。自分の勘違いは棚に上げて第三者に関するコメントを延々続けるのはここまでにしてください。これ以上、過去の私怨がらみで第三者に関するコメントばかり続けるようなら、今後は依頼にも顔を出さないでほしいくらい。上記のノートに移動することについて、誰からも反対がなかったけど、その意味がまるでわかっていないみたいだね。--草食系マッチョ会話2016年10月3日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
  • 報告 草食系マッチョさんによる上記発言(一方的な肩入れによる他者攻撃)、および意図不明な一部発言のノートページへの移動を本件に対する議論妨害と認め、投稿ブロックを実施したことをご報告いたします。議論はこのまま継続してください。--MaximusM4会話2016年10月3日 (月) 12:41 (UTC)[返信]
コメント  ここでの議論の重要なポイントは、被依頼者の作業活動の問題点の明確化(1)と被依頼者の問題点に対する意思表示(2)です。
(1)については世界最狂の魔法使いCray-G氏のコメントによって明確化にされました。
(2)については被依頼者のコメントにより、自己の問題点の理解をしており、また、今後の改善の努力も示しています。
上記2点を踏まえた議論を展開するべきであるし、その2点を無視したコメントは不毛な意見となる危険性があるのです。したがって、この2点を以て本件依頼をいかに評価することが必要であり、それに関係するコメントが求められるべきです。
改めて、小生は世界最狂の魔法使いCray-G氏によるコメント、市井の人氏の「まとめとして、相手が嫌がる言葉は使わない、言われたほうも憤慨しない、としたいのですが、問題の本質をずばり言い当てているケースでは、相手が嫌がるかどうかは関係ないときもある」との発言を支持し、議論が展開されることを願うところです。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 12:43 (UTC)[返信]
コメント  湖紫陽(koshi2016)さんは、「その2点を無視したコメントは不毛な意見となる危険性がある」とおっしゃっていますが、自分がその2点を無視した不毛な意見を延々行っていますね。発言がブレまくっておられるので真意が分かりかねるところもありますが、最終的には上記発言で落ち着いたと理解します。世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントを読み、まだ、被依頼者が気づいていないことがあるのかもしれないので、被依頼者から直接のコメントを聞かせてもらえればと思っています。湖紫陽(koshi2016)さんは、反駁がされていないとかかなり外れたコメントをされていますが、まずは、被依頼者の理解を具体的に理解した後に、必要であれば対話を行いたいと思っているので、被依頼者からのコメントをさせないようにするような議論妨害的なコメントは今後は慎んで下さい。被依頼者にはWikipedia:善意にとるの無理解も指摘されていますが、それについても言及されていません。被依頼者による具体的なコメントを是非お願いします。--はるみエリー会話2016年10月3日 (月) 13:45 (UTC)[返信]
コメント 小生の基本的な議論の方針および立ち位置の変化はありません。
現状の具体的な方針は、湖紫陽(koshi2016) 2016年9月29日 (木) 10:27 (UTC)以降一貫しており、被依頼者のコメント以降湖紫陽(koshi2016) 2016年10月3日 (月) 12:43 (UTC)に挙げた2点については常に提示し、その2点に基づいた方針によりコメントを展開しています。これまでの小生の議論でのコメントについて、はるみエリー氏が上記のように評価しようとも構いませんが、小生は一個人のみの意見でなく、コミュニティーおよびサイレント・マジョリティーによる評価を重視します。[返信]
ところで、被依頼者に対し一字一句重箱の隅をつくような糾弾する意見に生産的議論が求められるとは思えません、先日の被依頼者のコメントにより示された自己の問題点の理解と、今後の改善の努力の意思表示で十分評価できると判断します。本件依頼は議論が交わされたことにより、目的の解明、被依頼者の意思表示が得られたという評価が得られたものと判断します。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 14:41 (UTC)[返信]
コメント Koshi2016さんの行動は、もはや、議論妨害としか言いようがありません。自分のことについては会話ページに書け、というくせに、なぜ、はるみエリーさんについていつまでもいつまで延々とやってるんですかね? まあ、14回以上の確信的な名誉棄損の恐れのある加筆をされたなど、普通の利用者では考えられないようなことを行った過去があるのは承知しています。Wikipedia:コメント依頼/Koshi2016Wikipedia:投稿ブロック依頼/Koshi2016についての鬱憤をここで晴らしているようにしか思えませんね。著しく可読性を損ねています。また、「サイレント・マジョリティーによる評価を重視します」など不可能なことをする能力がKoshi2016さんに備わっているかのような理解不能な発言はお控えください。Koshi2016さんの「先日の被依頼者のコメントにより示された自己の問題点の理解と、今後の改善の努力の意思表示で十分評価できると判断します。」という主張を何度も繰り返す必要はありません。また、他人が自分と同じ意見に変えるまで執拗に返信を続ける必要もありません。コメント依頼は、全員がKoshi2016さんと同意見になるまで折伏する場ではありません。宗教背景を持つ人は、まれに、相手が認めるまでいつまでも持論を言い続ける人もいますので、もしそういう事情があるとするなら気をつけたほうが良いでしょう。そうでないのであれば、なおさらこれ以上、執拗な返信を行う理由はありません。Wikipedia:コメント依頼/Koshi2016Wikipedia:投稿ブロック依頼/Koshi2016で指摘があった問題が再発していますね。これ以上行うようであれば問題の再発について自覚がないと判断せざるをえませんね。--ぽてから会話) 2016年10月3日 (月) 17:06 (UTC)指摘を受け一部修正--ぽてから会話2016年10月4日 (火) 00:05 (UTC)[返信]
コメント様々な意見があることは理解しますが、「宗教背景を持つ人は、まれに、相手が認めるまでいつまでも持論を言い続ける人もいますので、もしそういう事情があるとするなら気をつけたほうが良いでしょう。」という言葉を添える必要はあったでしょうか?--Aoioui. 2016年10月3日 (月) 17:39 (UTC)[返信]
コメント  小生は、一個人の発言そのものの反論に重きを置いたコメントを述べているのではなく、議論でとらえるべき論点の提示に重きを置いたコメントを示しているのみです。その点の誤解なきよう。また、ぽてから氏による被依頼者が全く関わらない、小生に対するコメントは、会話ページにて投稿される事をお勧めします。--湖紫陽(koshi2016)会話) 2016年10月3日 (月) 19:01 (UTC) 一部追加--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月3日 (月) 20:20 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者には、他者を排除することにより問題を片付けようとする行動が多い傾向があると感じますね。ブロック依頼などにおける活動が、割合的に非常に多いことを知り納得といった感じです。自分の思想・価値観が異なる利用者に対して、排除を前提としたともとれる行動をとられる傾向がある方はいます。私は、被依頼者にも、同様の傾向があると認識しており、だいたいは方針と合致する価値観なのかもしれませんが、Wikipedia:善意にとると相反するなどの価値観もお持ちであり、皮肉としかとれない、慇懃無礼ともいえるコメントを行うことがありますね[15]。こういう皮肉は、表向き言葉が丁寧であってもかえって失礼ですが、それを指摘すると自分も今後言われるかもしれないので、なかなか指摘は難しいところがあります。口が悪いということもあるでしょうが、慇懃無礼という表現のほうが適切かもしれません。ウィキペディアは戦場ではありませんから、「自分とは意見が異なる人を侮辱したり、困らせたり、威嚇したり」せず「礼儀正しい議論に努め」なければなりませんが、慇懃無礼な態度は決して礼儀正しい議論ではありません。
また、被依頼者のコメントを読むと、随分と自分の問題点を棚上げして他人のことをいえるもんだという印象ももちました。
  • 他人へ「言葉を選ぶべき」等の注意を行う[16]
  • 「Wikipedia では、記事を編集する前提条件として、参加者に対し「各種方針・ガイドラインの理解と遵守」が求められます。」[17]
  • 「自分の無知を恥じ、方針・ガイドラインの熟読と理解につとめてください」[18]
「無知を恥じ」とまで言う必要あるんでしょうかね。ここまで人に厳しく言っておられると、自分自身に対しても「Wikipedia:善意にとるを遵守します」とか、「Wikipedia:善意にとるの無知を恥じ、方針・ガイドラインの熟読と理解につとめます」くらいの明確な、今後の行動方針くらいは掲げるべきじゃないのか、とやっぱり思われますよ。ダブルスタンダードとか、他人に厳しく自分に甘いという指摘は、被依頼者の発言から受ける率直な感想と言えるでしょうし、上記コメントを行った時点では、他者へ指摘した問題点が自分自身にも存在することをすっかりお忘れになっていませんかね。
なお、「提起された実際の論点のみに取り組んでそれ以外の不適当なコメントを無視するか、場合によっては完全にその利用者を無視してください」とある通り、本来、依頼者の依頼を受けて発言することが推奨されるコメント依頼において、勝手に第三者が独自な論点に従うように繰り返し求めたり、自分の意見と異なる利用者の意見を変えるまで執拗に第三者に反論を続けるなども不適当なコメントにあたるでしょう。--ぽてから会話2016年10月4日 (火) 00:05 (UTC)[返信]

コメント  本件依頼において、被依頼者の過去の発言を多数探すことができるのであれば、本件依頼の提出の目的から議論の経緯に至るまで認識することは可能でしょう。その点について理解した発言が求められるでしょう。

  • 小生の論点は異なっているとされる意見を持つのであれば、投稿者が考える本件依頼における議論の論点の提示と理由を説明するべきです。そうでなければ、どのような論点に基づいたコメントかは不明で、本件依頼において単なる自己主張の提示を行ったにすぎないわけです。
  • 本件依頼は議論であるのだから、投稿者から各々のコメント(肯定意見(A)あるいは否定意見(B))が提示されることは自然な話です(保留といえる意見(C)もあるでしょう)。ただ((A),(B).(C))に対する反駁(反論ではありません)(D)に対し、反駁する(E)ことができないのであれば、(D)に対する材料(意見)が用意できていないとみられ、そのコメント((A),(B),(C))コメントの意義は問われるものとなります。
  • ところで、有効な発言もあり、それは「提起された実際の論点のみに取り組んでそれ以外の不適当なコメントを無視するか、場合によっては完全にその利用者を無視してください」の提示であり、議論に対し論点のみに取り組んでいるとは言えないコメントについては、今後先の考えに則した対応を重視しようと考えています。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月4日 (火) 04:52 (UTC)[返信]
◆異論があります。
本件依頼は議論依頼ではありません。「単なる自己主張の提示」は即ちコメントです。確かにそれは無益なコメントですが、依頼に沿ったコメントを行なうことに瑕疵は存在しません。
その後に相互理解の為に議論を求められた場合でも、その求めに応じる義務があるわけではありません。応じなければ意味不明なコメントとして無視されることになりますが、応じるか否かの選択が被求者の任意であることに変わりはありません。応じないことを求めた側が云々言うべきものではありません。
審議をしているわけではないのですから、理不尽でも不可解でも自分勝手でも独善でも偏見でも思い込みでもコメントはコメントです。
湖紫陽氏の、被依頼者の問題を改善する為の努力には敬意を表します。ですが被依頼者の問題を改善することに非協力的な人物に協力を求める場合には、協力的な人に求める場合とは異なる手法が必要であることにご注意を戴ければ、と考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年10月4日 (火) 05:40 (UTC)[返信]
返信 (湖紫陽(koshi2016)氏宛) もうそのくらいでいいでしょう。自分の主張が一貫しているのなら繰り返し同主旨のコメントばかりする必要はありません。低質な意見調整、第三者コメント者に対しての逐次返答等がすでに議論妨害とみなされていますが、そろそろ意見調整やまとめは第三者にお任せになってはいかが。コミュニティがこのコメント依頼で湖紫陽(koshi2016)氏に期待することは、第一に「人のふり見て我がふり直せ」です。湖紫陽(koshi2016)氏の過去の暴言や振る舞いをコミュニティは忘れていません。かえって森藍亭氏の口の悪さを矮小化することで、過去の自分の暴言に対する問題点を矮小化しようとしているようにも見えますよ。少し落ち着いて下さい。空気を読みましょう。これが、サイレントマジョリティの声です。--119.104.18.97 2016年10月4日 (火) 06:11 (UTC)[返信]
コメント  小生は、他者の意見及び参加をつぶすことを目的しているのではなく、論点に基づく議論による本件依頼の解決を求める議論がかわされることが本来の趣旨であることから、世界最狂の魔法使いCray-G氏、及び119.104.18.97 氏の発言にならい、今後は議論を静観し、コミュニティーにより議論がまとめへ向かうことを願うこととします。--湖紫陽(koshi2016)会話2016年10月4日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
  • コメント 湖紫陽(koshi2016)さんによる議論妨害でわかりにくくなってしまったので、再度同じ事をコメントします。実は、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの指摘による、発言者本人は「何処が言い過ぎなのか」や「何処に誤解の余地があるのか」と思っている可能性については考慮していませんでした。そのため、感情的になってあえてその表現を使ったものとばかり思っていました。これについては、このコメント依頼で新たに発見したことであり、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに感謝をしています。もし、被依頼者が、「何処が言い過ぎなのか」とか「何処に誤解の余地があるのか」と思っている場合は、同じ事が再発してしまう可能性が高いですが、コメント内容からはそれがよく判断できませんでした。なので、ぱたごんさんやはるみエリーらに対する、言い過ぎという批判がある過去の発言について、被依頼者がどのように考えいるのか、具体的なコメントを求めています。被依頼者に改善の意志があることは確認できていますが、もし、過去のぱたごんさんやはるみエリーらに対する被依頼者の発言について、「何処が言い過ぎなのか」「何処に誤解の余地があるのか」とまだ思っているようであれば、単に、方針を説明するだけで被依頼者に不適切な発言だったことをわかってもらったことにはならず、世界最狂の魔法使いCray-Gさんがおっしゃるように十分な説明を行う必要があると思います。--はるみエリー会話2016年10月5日 (水) 06:33 (UTC)[返信]