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「インターコンチネンタルカップ (サッカー)」の版間の差分

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2017年8月29日 (火) 09:27時点における版

インターコンチネンタルカップ
(トヨタカップ)
開始年 1960年
終了年 2004年
主催 FIFA
UEFA
CONMEBOL
参加チーム数 2
加盟国 UEFA
CONMEBOL
最多優勝 スペインの旗 レアル・マドリード
ウルグアイの旗 ペニャロール
イタリアの旗 ミラン
ウルグアイの旗 ナシオナル
アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ
(3回)
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インターコンチネンタルカップ: Intercontinental Cup)は、国際サッカー連盟(FIFA)、欧州サッカー連盟(UEFA)、南米サッカー連盟(CONMEBOL)の主催により1960年から2004年まで行われていた、UEFAチャンピオンズリーグコパ・リベルタドーレスの優勝クラブによるサッカークラブチーム世界一決定戦である。

歴史

インターコンチネンタルカップ時代

1950年代、当時のサッカーの二大勢力であった欧州と南米のサッカークラブ世界一決定戦の計画が持ち上がるようになる。1956年から開かれていた欧州のUEFAチャンピオンズカップの南米版として、コパ・リベルタドーレスウルグアイの提案で1960年より始まり、その年に第1回インターコンチネンタルカップが開催された。

当初はホーム・アンド・アウェー方式で行われていたがサポーターの過熱化、特に南米でかつての宗主国への反感が増幅され、頻繁に暴動が起こるようになった。選手の移動スケジュール等も次第に問題とされるようになり、また1970年代から欧州チャンピオンのクラブが遠征の負担などを理由に出場を次々と辞退する事態も起こり、1975年1978年には開催自体が中止に追い込まれるようになってしまった。

トヨタカップへの移行

そこで1980年頃に「中立な第三国での一発勝負であれば、安全面やスケジュールの問題もクリアできるのではないか」という話が持ち上がり、その試合の開催地として日本が浮上する。この話に日本テレビ電通が乗る形で企画がスタートし、電通がトヨタ自動車冠スポンサーにつけることで本格的に開催準備が始まった[1]

当初日本テレビと電通では1981年12月に第1回大会を開催する方向で調整を進めていたが、その最中に当時のヨーロッパチャンピオンであるノッティンガム・フォレストがUEFAチャンピオンズカップの1回戦でいきなり敗北しスケジュールが空いたことなども重なり、結局予定を繰り上げて同年2月に第1回大会を開催することに決定。大会名もトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップTOYOTA European/South American Cup)、通称:トヨタカップとなった[2]

ちなみに大会の開催に当たっては、試合開催地のサッカー協会である日本サッカー協会(JFA)の承認が必要だが、第1回大会ではJFA内部で「大会の開催は時期尚早」として理事会で承認を否決したというエピソードが残っている[3]。ただこの時点で日本テレビ・電通では具体的な大会の開催準備を始めてしまっていたこともあり、両社は関係者に懸命の説得を行い、次回の理事会で何とか承認を受け開催にこぎつけている[4]

第2回大会(1981年)からは、元々日本テレビと電通が計画していた12月開催に移行した。また第15回大会(1994年)以降は夜間開催となった。

第6回大会(1985年)でユヴェントスが来日した以降、一気に大会の注目度が高まったが、一方で大会中止を求める声も上がるようになっていた。そのような状況の中行われた第8回大会(1987年)では、雪の降る中の大会となり、主審は前半が終わった段階で試合を中止させようとしたが、ポルトペニャロールの両チームの選手たちは「絶対に決着をつける」と試合続行を要求。選手たちの要求通り、試合は続行され、延長戦にもつれ込む熱戦となった(試合は2-1でポルト勝利)。試合後、トヨタの全国各地のディーラーや海外の関係者から「実に感動的な試合だった。これこそがトヨタがやるべきスポーツイベントだ」と大会継続の要望が寄せられた。さらに大会スポンサーのトヨタ自動車社長(当時)の豊田章一郎自身がこの試合を見て大会継続を決意したこともあり、トヨタカップは継続された[5]

2004年の大会を最後に、それまで2000年に第1回大会を開催して以降中断していたFIFAクラブ世界選手権(その後FIFAクラブワールドカップに改称)に統合される形で終了した。

大会MVPに選ばれた選手にはトヨタ自動車から副賞として同社製の自動車が贈られていた(例:セリカカリーナエスティマランドクルーザーなど)。第2回大会(1981年)当時、ブラジルでは外貨の流出防止や国内の産業保護のため、外国産車の輸入に厳しい規制がかけられていたが、その大会でMVPになったジーコは当時の大統領に電話一本で輸入許可を取りつけ長年愛用していた。

開催方式

1960年から1979年まではホーム・アンド・アウェー方式の2試合で行われ、勝ち点制が導入された。2試合を行って勝ち点が同じの場合は2試合目を行ったチームのホームでプレーオフが開催された。しかし、その制度は第2戦を行ったチームに有利なものであったため1967年からプレーオフの開催地を第2戦を行った大陸の第三国とし、1968年からはアウェーゴール・ルールも導入された。

1980年からは国立霞ヶ丘競技場(2002年より横浜国際総合競技場)の1戦のみで勝敗を決するようになり、90分で決着がつかない場合にはシルバーゴール方式で試合が行われた。

結果

インターコンチネンタルカップ

年度 優勝 結果 準優勝 会場
1960 スペインの旗 レアル・マドリード 0 - 0
5 - 1
ウルグアイの旗 ペニャロール センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウスペインの旗 マドリード
1961 ウルグアイの旗 ペニャロール 0 - 1
5 - 0
2 - 1
ポルトガルの旗 ベンフィカ ダ・ルスポルトガルの旗 リスボン
センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
1962 ブラジルの旗 サントス 3 - 2
5 - 2
ポルトガルの旗 ベンフィカ マラカナンブラジルの旗 リオデジャネイロ
ダ・ルスポルトガルの旗 リスボン
1963 ブラジルの旗 サントス 2 - 4
4 - 2
1 - 0
イタリアの旗 ミラン サン・シーロイタリアの旗 ミラノ
マラカナンブラジルの旗 リオデジャネイロ
マラカナンブラジルの旗 リオデジャネイロ
1964 イタリアの旗 インテル 0 - 1
2 - 0
1 - 0 aet
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ リベルタドーレスアルゼンチンの旗 アベジャネーダ
サン・シーロイタリアの旗 ミラノ
サンティアゴ・ベルナベウスペインの旗 マドリード
1965 イタリアの旗 インテル 3 - 0
0 - 0
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ サン・シーロイタリアの旗 ミラノ
リベルタドーレスアルゼンチンの旗 アベジャネーダ
1966 ウルグアイの旗 ペニャロール 2 - 0
2 - 0
スペインの旗 レアル・マドリード センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
サンティアゴ・ベルナベウスペインの旗 マドリード
1967 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ 0 - 1
2 - 1
1 - 0
スコットランドの旗 セルティック ハムデン・パークスコットランドの旗 グラスゴー
エル・シリンドロアルゼンチンの旗 アベジャネーダ
センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
1968 アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス 1 - 0
1 - 1
イングランドの旗 マンチェスターU. ラ・ボンボネーラアルゼンチンの旗 ブエノスアイレス
オールド・トラッフォードイングランドの旗 マンチェスター
1969 イタリアの旗 ミラン 3 - 0
1 - 2
アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス サン・シーロイタリアの旗 ミラノ
ラ・ボンボネーラアルゼンチンの旗 ブエノスアイレス
1970 オランダの旗 フェイエノールト 2 - 2
1 - 0
アルゼンチンの旗 エストゥディアンテス ラ・ボンボネーラアルゼンチンの旗 ブエノスアイレス
デ・カイプオランダの旗 ロッテルダム
1971 ウルグアイの旗 ナシオナル 1 - 1
2 - 1
ギリシャの旗 パナシナイコス[注 1] センテナリオウルグアイの旗 モンテビデオ
カライスカキスギリシャの旗 アテネ
1972 オランダの旗 アヤックス 1 - 1
3 - 0
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ リベルタドーレスアルゼンチンの旗 アベジャネーダ
オリンピスフオランダの旗 アムステルダム
1973 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 1 - 0 イタリアの旗 ユヴェントス[注 2] オリンピコイタリアの旗 ローマ
1974 スペインの旗 アトレティコ・マドリード[注 3] 0 - 1
2 - 0
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ リベルタドーレスアルゼンチンの旗 アベジャネーダ
ビセンテ・カルデロンスペインの旗 マドリード
1975 西ドイツの旗バイエルン・ミュンヘン 中止 アルゼンチンの旗インデペンディエンテ
1976 西ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 2 - 0
0 - 0
ブラジルの旗 クルゼイロ ミュンヘン・オリンピア西ドイツの旗 ミュンヘン
ミネイロンブラジルの旗 ベロオリゾンテ
1977 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 2 - 2
3 - 0
西ドイツの旗 ボルシアMG[注 4] ラ・ボンボネーラアルゼンチンの旗 ブエノスアイレス
ヴィルトパルク西ドイツの旗 カールスルーエ
1978 イングランドの旗リヴァプール 中止 アルゼンチンの旗ボカ・ジュニアーズ
1979 パラグアイの旗 オリンピア 1 - 0
2 - 1
スウェーデンの旗 マルメ[注 5] マルメ・スタディオンスウェーデンの旗 マルメ
ディフェンソーレスパラグアイの旗 アスンシオン

トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップ

年度 優勝 結果 準優勝 会場
1980 ウルグアイの旗 ナシオナル 1 - 0 イングランドの旗 ノッティンガム・フォレスト 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1981 ブラジルの旗 フラメンゴ 3 - 0 イングランドの旗 リヴァプール 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1982 ウルグアイの旗 ペニャロール 2 - 0 イングランドの旗 アストン・ヴィラ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1983 ブラジルの旗 グレミオ 2 - 1 aet 西ドイツの旗 ハンブルガーSV 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1984 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 1 - 0 イングランドの旗 リヴァプール 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1985 イタリアの旗 ユヴェントス 2 - 2 aet
(PK 4 - 2)
アルゼンチンの旗 アルヘンティノス・ジュニアーズ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1986 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 1 - 0 ルーマニアの旗 ステアウア・ブカレスト 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1987 ポルトガルの旗 ポルト 2 - 1 aet ウルグアイの旗 ペニャロール 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1988 ウルグアイの旗 ナシオナル 2 - 2 aet
(PK 7 - 6)
オランダの旗 PSV 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1989 イタリアの旗 ミラン 1 - 0 aet コロンビアの旗 アトレティコ・ナシオナル 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1990 イタリアの旗 ミラン 3 - 0 パラグアイの旗 オリンピア 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1991 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 レッドスター・ベオグラード 3 - 0 チリの旗 コロコロ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1992 ブラジルの旗 サンパウロ 2 - 1 スペインの旗 バルセロナ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1993 ブラジルの旗 サンパウロ 3 - 2 イタリアの旗 ミラン[注 6] 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1994 アルゼンチンの旗 ベレス 2 - 0 イタリアの旗 ミラン 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1995 オランダの旗 アヤックス 0 - 0 aet
(PK 4 - 3)
ブラジルの旗 グレミオ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1996 イタリアの旗 ユヴェントス 1 - 0 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1997 ドイツの旗 ドルトムント 2 - 0 ブラジルの旗 クルゼイロ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1998 スペインの旗 レアル・マドリード 2 - 1 ブラジルの旗 ヴァスコ・ダ・ガマ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
1999 イングランドの旗 マンチェスターU. 1 - 0 ブラジルの旗 パルメイラス 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
2000 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 2 - 1 スペインの旗 レアル・マドリード 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
2001 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 1 - 0 aet アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 国立霞ヶ丘競技場日本の旗 東京
2002 スペインの旗 レアル・マドリード 2 - 0 パラグアイの旗 オリンピア 横浜国際総合競技場日本の旗 横浜
2003 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 1 - 1 aet
(PK 3 - 1)
イタリアの旗 ミラン 横浜国際総合競技場日本の旗 横浜
2004 ポルトガルの旗 ポルト 0 - 0 aet
(PK 8 - 7)
コロンビアの旗 オンセ・カルダス 横浜国際総合競技場日本の旗 横浜

2005年以後、大会をFIFAクラブワールドカップに継承。

※注

  1. ^ UEFAチャンピオンズカップの覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝のパナシナイコスが出場した。
  2. ^ UEFAチャンピオンズカップの覇者アヤックスが出場辞退したため、準優勝のユヴェントスが出場した。
  3. ^ UEFAチャンピオンズカップの覇者バイエルン・ミュンヘンが出場辞退したため、準優勝のアトレティコ・マドリードが出場した。
  4. ^ UEFAチャンピオンズカップの覇者リヴァプールが出場辞退したため、準優勝のボルシアMGが出場した。
  5. ^ UEFAチャンピオンズカップの覇者ノッティンガム・フォレストが出場辞退したため、準優勝のマルメが出場した。
  6. ^ UEFAチャンピオンズリーグの覇者オリンピック・マルセイユ八百長事件の責任で、優勝者としての活動を禁止された(ただし優勝記録自体は有効)ため、準優勝のミランが出場した。

エピソード

脚注

関連項目

外部リンク