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「フランス料理」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2017年3月}}
{{出典の明記|date=2017年3月}}
[[File:Pot au feu2.jpg|thumb|250px|[[ポトフ]]]]
[[File:Pot-au-feu2.jpg|thumb|250px|[[ポトフ]]]]
'''フランス料理'''(フランスりょうり)は、[[フランス]]で発祥した様々な食文化の総称。現代では[[世界三大料理]]の一つに数えられている。
[[File:Terrine de saumon au basilic.JPG|thumb|250px|サーモンとバジルの[[テリーヌ]]]]
'''フランス料理'''(フランスりょうり)は、[[16世紀]]に[[トスカーナ州|トスカーナ地方]]の料理の影響を受け、[[フランス王国]]の宮廷[[料理]]として発達した[[献立]]の[[総称]]。[[ソース (調味料)|ソース]]の体系が高度に発達していることが特徴で、各国で外交儀礼時の正餐として採用されることが多い。


中世後期には源流となるメニューが存在していたとされ、その概形は14世紀当時のレシピを編纂したという「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」から窺い知る事が出来る。16世紀になると[[イタリア料理]]の大きな影響を受ける事になったが、17世紀前半からフランス本来の料理様式を確立する運動が始まり、宮廷料理モデルの[[オートキュイジーヌ]]の誕生とワインとチーズ文化の開明などを経て、後世に継承される伝統的なフランス料理文化が形成されていった。
狭義としては、こうした正餐に用いる厳格な作法にのっとった[[オートキュイジーヌ]]と呼ばれる料理を指す。もちろん[[フランス]]の各地方には一般庶民に親しまれている特徴ある[[郷土料理]]が数多くあり、広義には高級料理だけでなくこうしたフランスの伝統料理全般も含める。


20世紀に入ると[[オーギュスト・エスコフィエ]]によって体系化されたフランス料理の国際的知名度は飛躍的に高まったが、高級料理としての一面ばかりが脚光を浴びる事にもなった。フランス料理の代表的なメニューはローカルな郷土料理から発展したものが多く、各地方の食文化を抜きにして語る事は出来なかった。こうした点が見直される中で20世紀半ばからは、いわゆるカントリーサイドの料理にも焦点が置かれるようになり、多様性に富んだ食文化の総合体であるフランス料理本来の姿が世界中に知られるようになった。2010年に[[ガストロノミー|フレンチガストロノミー(フランス美食学)]]は、[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web |url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437 |title=Gastronomic meal of the French |publisher=ユネスコ |accessdate=2013-10-27}}</ref>。
[[フランス語]]では「{{読み仮名|{{lang|fr|la cuisine française}}|ラ・キュイズィーヌ・フランセーズ}}」と呼ぶ。[[日本]]でフランス料理を「フレンチ」と呼ぶ場合があるが、英語では「{{読み仮名|{{lang|en|French cuisine}}|フレンチ・クィズィーン}}」と呼ぶことが多く、「料理」を意味する[[名詞]]「クィズィーン」<ref>フランス語発音ではキュイジーヌ。</ref>を省略する習慣は[[口語]]以外ではあまりない。

「フランスの美食術」は、2010年に[[ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]に登録された<ref>{{Cite web |url=http://www.unesco.org/culture/ich/index.php?lg=en&pg=00011&RL=00437 |title=Gastronomic meal of the French |publisher=ユネスコ |accessdate=2013-10-27}}</ref>。


==歴史==
==歴史==
=== 中世 ===
[[中世]]の料理はヨーロッパ共通で、フランスで食べられていた料理も食材を焼いて大皿に乗せ、手づかみで食事を行うという非常にシンプルなものであった(詳しくは[[中世料理]]を参照)。当時の料理の詳細は[[ヴァロワ朝]]の宮廷料理人[[ギヨーム・ティレル]]の著作により伺い知れる。現在のフランス料理の原型は、[[ルネサンス]]期のフィレンツェから当時のフランス王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に輿入れした[[カトリーヌ・ド・メディシス]]とその専属料理人(イタリア系)によってもたらされたと言われるが、文献に証拠がなく、学者の意見は分かれている<ref name="松本・持田">[[#松本・持田(2003)|松本・持田(2003)]]</ref>。カトリーヌの輿入れを契機に16世紀イタリアの食文化の影響を受けたという意見もあれば、フランス料理の変化は17世紀に始まり、カトリーヌの影響はないとする学者もいる<ref name="松本・持田"/>。どちらにせよ、イタリア料理がフランス料理に影響を与えたということは否定されていない<ref name="松本・持田"/>。ナイフ・フォークで食事するといった作法が持ち込まれるなど大きく変化し、[[ブルボン朝|ブルボン王朝]]の最盛期に発達した。
[[ファイル:Tombe Guillaume Tirel.jpg|サムネイル|221x221ピクセル|[[ギヨーム・ティレル|ティレル]]]]
中世のフランス料理は宮廷内の専売特許であり、明確な作法はまだ存在せず特に規則性の無い雑多なメニューが次々とあるいは一斉にテーブルに並べられていた。当時の食文化の中で特徴的なものを挙げると、食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされる事が多く、皿は使われず平べったいカリカリのパンの上に料理は置かれて、それを手づかみで食べていた。スープやシチューはテーブルのくぼみに注がれ、パンを浸すかスプーンまたは手のひらですくって飲んでいた。中世フランス料理の代表的なシェフは'''[[ギヨーム・ティレル]]'''であり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「''{{仮リンク|Viandier|fr|Viandier|}}''」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の原型と見なされている。


=== 近世(16〜18世紀) ===
フランス料理は[[ハプスブルク家]]の興隆と共に、[[ロシア帝国|ロシア]]、[[ドイツ]]などの宮廷に広まった。また、[[フランス革命|革命]]以後、宮廷から職を追われた料理人たちが街角で[[レストラン]]を開き始めたことから、市民の口にも入るようになった。
[[ファイル:Cuisinierfrancois.jpg|サムネイル|314x314ピクセル|ヴァレンヌの著書]]
16世紀から17世紀にかけてのフランス料理は[[イタリア料理]]の大きな影響を受けており、これは[[カトリーヌ・ド・メディシス]]が[[ヴァロワ朝]]の[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]に輿入れした際に連れて来たイタリア料理人に起因するという説もあれば、自然にもたらされたとする見方もある<ref name="松本・持田">[[フランス料理#松本・持田(2003)|松本・持田(2003)]]</ref>。この頃にナイフとフォークを用いる食事作法が一般的となった。17世紀になるとイタリア料理の影響から離れる方向でフランス料理の改革が進められるようになり、フランス宮廷料理の定型とされる「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」が誕生した。これは今日ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認知されている。17世紀の高名なシェフである'''{{仮リンク|ラ・ヴァレンヌ|fr|François Pierre de La Varenne|}}'''はフランス初の正式レシピ書となる「''Le cuisinier françois''」を1651年に上梓して当時の料理事情を伝えている。その後も様々な宮廷料理人が調理技術の創意工夫を加え、上品で繊細なフランス式の料理スタイルは[[ブルボン朝]]期を通して確立されていった。なお、当時は[[ギルド|ギルド(同業組合)]]の統制により食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、宮廷内で育まれていたフランス料理文化が市民の間にまで広まるには[[アンシャン・レジーム|封建制度]]の消滅まで待たねばならなかった。


=== 近代(19世紀) ===
[[19世紀]]に入り、[[アントナン・カレーム|カレーム]]、彼の弟子である[[ジュール・グッフェ|グッフェ]]、そして[[ユルバン・デュボワ|デュボワ]]により大きく改革された。例えば、それまで多くの料理を同時に食卓に並べていたのを改め、一品ずつ食卓に運ばせる方式を採用した。これは、寒冷なロシアで料理がすぐに冷めてしまうので、フランス料理の料理人が工夫したものだったが、そのほうが料理を美味しい状態で食べられるので、それがフランスに逆輸入されたといわれ、[[ロシア料理|ロシア式]]サービス([[:en:Service à la russe|en]])と称される。これを紹介したのは[[帝政ロシア]]の政治家で「ダイヤモンド公爵」と呼ばれた[[アレクサンドル・クラーキン]]とされる。
[[ファイル:M-A-Careme.jpg|サムネイル|211x211ピクセル|[[アントナン・カレーム|カレーム]]]]

18世紀末に[[フランス革命]]が勃発すると宮廷での職を失った料理人たちが各地に流出し、また[[アンシャン・レジーム]]の崩壊に伴う[[ギルド|ギルド(同業組合)]]制度の消滅によって、彼らが街角で自由にレストランを開けるようになった事から、フランス料理は市民の間にも大々的に広まり始めた。19世紀前半にシェフの帝王と称えられた'''[[アントナン・カレーム]]'''は「[[オートキュイジーヌ|オートキュイジーヌ(至高料理)]]」の芸術性と美食性を更に高め、また「''L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle''」を始めとする様々な著書を残し、その中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介してフランス料理の発展に大きく貢献した。カレームはいわゆる[[シェフ|セレブシェフ]]の元祖でもあった。
そしてその流れは[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]へと引き継がれた。彼はコース料理を考案したり、フランス料理のバイブルといわれる『[[料理の手引き]]』<ref>{{lang-fr-short|Le Guide Culinaire}}</ref>を[[1903年]]に刊行した。この本は現在でもプロのシェフにとって手放せない本となっている。

その後、[[1930年代]]に、[[フェルナン・ポワン|ポワン]](「ラ・ピラミッド」)、[[アレクサンドル・デュメーヌ|アレクサンドル]](「ラ・コート・ドール」)、[[アンドレ・ピック|ピック]]らが、エスコフィエの料理を受け継ぎながら、さらに時代にあった料理へと改良していった。

ポワンたち3人の理念は、ポワンの弟子である[[ポール・ボキューズ|ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、[[ルイ・ウーティエ|ウーティエ]]らに受け継がれた。フランス料理は、[[イタリア料理]]、[[スペイン料理]]、[[トルコ料理]]、[[モロッコ料理]]など歴史的に[[ヨーロッパ]]・[[北アフリカ]]・[[西アジア]]料理の影響を受けてきたが、[[1970年代]]にボキューズたちは[[日本]]の[[懐石料理]]の要素を取り入れて、さらっとしたソースや新鮮な素材を活かした調理など「新しい料理」を創造し、[[ゴー・ミヨ|ミヨ]]がこれを「[[ヌーベル・キュイジーヌ]]」と呼んで、世界中に広まった。

[[1980年代]]に入ると、[[ジョエル・ロブション|ロブション]]、[[ピエール・ガニェール|ガニェール]]、[[アラン・デュカス|デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー|ロワゾー]]、[[ベルナール・パコー|パコー]]らが、エスコフィエの精神を生かしながら、[[キュイジーヌ・モデルヌ]]と呼ばれる、さらに新しい料理を創造している。

料理法の発達とともに、[[食器]]、作法なども洗練され、味の良し悪しを批評する職業としての[[食通]]も生まれ、19世紀前半に、[[ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン|ブリア・サヴァラン]]が『[[美味礼讃]]』を著して美食学([[ガストロノミー]])と美食文学の伝統を確立した。『[[ギド・ミシュラン|ミシュランガイド]]』、『[[ゴー・ミヨ]]』などのレストランの格付けを行うガイドブックが発行されるようになった。[[世界三大料理]]の一つとされる。

===日本===
フランス料理の日本への輸入は、[[明治維新]]の際に行われた。日本国外の来賓への接待としてフランス料理が使用されるようになったのは、[[1873年]]からという<ref>『宮廷柳営豪商町人の食事誌』児玉定子 1985年10月</ref>。<!--『【人生食あり】フランス料理(上)欧化政策から庶民へ』2006年12月4日付配信 産経新聞より孫引き-->

==食事作法==
フランス料理のコースでは、出される料理の順番の定義が決まっている。
===主な料理と供される料理の順序===
{|class=wikitable
! nowrap="nowrap" |順番
! nowrap="nowrap" |名前
!内容
|-
| nowrap="nowrap" |1
| nowrap="nowrap" |[[オードブル]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Entrée}}|アントレ}}
|オードブルの前に[[アミューズブーシュ]](小前菜)が出されることもある。
|-
| nowrap="nowrap" |2
| nowrap="nowrap" |[[スープ]]<br>{{lang|fr|Soupe}}
|主に[[コンソメ]]、[[ブイヨン]]の澄ましたものが多い。冷温。<ref>日本ホテル・レストランサービス技能協会 『西洋料理料飲接遇サービス技法』職業訓練教材研究会、2013年</ref>
|-
| nowrap="nowrap" |3
| nowrap="nowrap" |[[魚料理]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Poisson}}|ポワソン}}
|魚料理と肉料理の間に[[ソルベ]]や[[グラニテ]]と呼ばれる口直し用の[[氷菓]]が出されることがある。
|-
| nowrap="nowrap" |4
| nowrap="nowrap" |[[肉料理]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Viande}}|ヴィアンド}}
|
* 肉料理(1) [[家畜]]肉か獣肉([[ジビエ]])か[[家禽]]類の肉を、[[煮る|煮込む]]か[[焼く (調理)|焼いた]]物
* 肉料理(2) 肉料理1で出たものを除く一品
|-
| nowrap="nowrap" |5
| nowrap="nowrap" |[[サラダ]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Sorbet}}|ソルベ}}<br>または{{読み仮名|{{lang|fr|Granité}}|グラニテ}}
|
* 肉料理(3) 肉料理1・2で出たものを除く一品の料理と合わせて[[サラダ]]
|-
| nowrap="nowrap" |6
| nowrap="nowrap" |[[チーズ]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Fromage}}|フロマージュ}}
|ここで別室へ移動、もしくは[[テーブル (家具)|テーブル]]の整理
|-
| nowrap="nowrap" |7
| nowrap="nowrap" |[[デザート]]<br>{{読み仮名|{{lang|fr|Dessert}}|デセール}}
|デザート前のメニューを食べ終わると[[プチフール|プティフール]](小さな焼き[[菓子]])と温かい飲み物([[エスプレッソ]]、[[紅茶]]など)が供される。
|}

時系列的に食べることに馴れているので、[[機内食]]でもフランス人は時系列に食べる<ref>[[玉村豊男]]『食卓は学校である』([[集英社新書]] [[2010年]])pp.46-49は「間然するところのない、教科書どおりの時系列食法です。彼らは、すべての料理が最初から並んでいる弁当箱のようなトレイを与えられても、ひとつひとつの料理を時系列のポジションに置き換えて、順番どおりに時間差で食べるのです」と書いている。</ref>。

フランス人に限ったことではないが、西洋人の中には一緒に食べていても食物をシェアしない文化がある<ref>玉村豊男『食卓は学校である』pp.50-56では「フランス人にとっては、夫婦といえでも自分の皿の上にある料理を決してたがいに分け与えないのは、疑う余地もない共通の了解事項なのです」と書いている。</ref>。

===代表的なマナー===
{{Main|マナー}}
* [[ナプキン]]は全員が着席し、主賓が手にしてから他の人も取る。途中で中座するときはナプキンを椅子の上に置く。
* [[ナイフ]]や[[フォーク (食器)|フォーク]]などは外側から順に使う(複数テーブルに並んでいる場合)。
* とりあえず皿へナイフ・フォークを置く場合は、八の字の形にする。
* 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
* 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。


=== 近現代(1900年前後) ===
高級料理店のような厳格な作法が求められない安価なフレンチレストランやビストロでも、[[前菜]]、メイン、デザートという流れはいずれも持っている。しかし前菜を省略することもできるし、デザートの替わりにコーヒーやお茶だけで済ますこともある。
[[ファイル:Auguste Escoffier 01.jpg|サムネイル|225x225ピクセル|[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]]]
19世紀後半になるとシェフの偉人・'''[[オーギュスト・エスコフィエ]]'''によってフランス料理は新たな時代を迎える事になった。エスコフィエは、[[アントナン・カレーム|カレーム]]によって生み出されたレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化してより実用的に調理出来るよう各種メニューを再構築した。また「[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード・ド・キュイジーヌ]]」と呼ばれる組織構造を厨房に導入して調理作業の効率化を図った。更に厨房内に規律と礼節を行き渡らせて料理人達の社会的地位をも向上させた。本来はチーフを意味する「[[シェフ]]」が西洋コックの代名詞となったのは、[[ブリゲード・ド・キュイジーヌ|ブリガード]]内の各調理責任者にシェフの呼称が当てられていた事に由来している。エスコフィエが編み出したフランス料理知識の総体系は1903年刊行の「''{{仮リンク|Le guide culinaire|en|Le guide culinaire|}}''」にまとめられた。


=== 現代(20世紀) ===
1930年代に入ると[[戦間期|大戦間期]]の三大シェフと言われる[[フェルナン・ポワン]]、[[アレクサンドル・デュメーヌ]]、[[アンドレ・ピック]]らが、[[オーギュスト・エスコフィエ|エスコフィエ]]の料理体系を受け継ぎながらも更に時代に合わせた形へと進化させていった。1970年代になると、濃厚な味付けを避けて新鮮な素材の風味を活かした調理技法が、ポワンの弟子である[[ポール・ボキューズ|ボキューズ]]、[[アラン・シャペル|シャペル]]、[[トロワグロ兄弟]]たちを中心にして指向されるようになり、これは「[[ヌーベルキュイジーヌ|ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)]]」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流となった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰のメニューが見直されて本来の主流に戻り始めた。現在もシェフ達による新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な[[アバンギャルド|前衛性]]を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。


==代表的なメニュー==
これらの地方料理は高級レストランなどに限らず一般家庭でも親しまれているものである。
フランス料理の献立はオードブル(''hors d'œuvre / entrée'')、メインディッシュ(''plat principal'')、デザート(''dessert'')の三構成でしばしば提供される。
{{Main|フルコース}}
;オードブル / アントレ / プラ プランシパル
<gallery perrow="6">
ファイル:Terrine de saumon au basilic.JPG|[[テリーヌ]]
ファイル:Foie gras en cocotte.jpg|''[[フォアグラ]]''
ファイル:Lobster bisque.jpg|[[ビスク]]
ファイル:Pot-au-feu2.jpg|[[ポトフ]]
ファイル:Flickr - cyclonebill - Bøf med pommes frites (1).jpg|[[フレンチフライ|ステーキフライ]]
ファイル:Croque monsieur.jpg|[[クロックムッシュ]]
ファイル:Baguette mie.jpg|[[フランスパン|バゲット]]
</gallery>
;デザート
<gallery perrow="6">
ファイル:200501 - 6 fromages.JPG|[[フロマージュ]]
ファイル:Lille Meert2.JPG|[[ペイストリー]]
ファイル:Mille-feuille 20100916.jpg|[[ミルフィーユ]]
ファイル:Arc-en-ciel comestible.jpg|[[マカロン]]
ファイル:Eclairs at Fauchon in Paris.jpg|[[エクレア]]
ファイル:Creme Brulee.jpeg|''[[クレームブリュレ]]''
ファイル:Chocolate mousse.jpg|[[ムース (食品)|ムース]]
ファイル:Crêpe Suzette au Citron.jpg|''[[クレープ]]''
ファイル:Café Liégeois.jpg|[[パフェ]]
</gallery>


==各地域の料理==
;[[シャンパーニュ]]、[[ロレーヌ地域圏|ロレーヌ]]、[[アルザス地域圏|アルザス]]料理
:その名の通り[[シャンパン]]の名産地であるシャンパーニュ地方は、良質な各種食肉とハムの生産地としても知られている。ロレーヌ地方はパイ風料理の[[キッシュ]]が有名であり、また新鮮な[[ジャム|フルーツジャム]]も特産品としている。アルザス地方は隣接するドイツ・アレマニアの食文化の影響を受けて[[シュークルート|シュークロート]]とビールが人気であり、地元の果物から作ったドイツ風蒸留酒の[[シュナップス]]でも有名である。
;[[プロヴァンス料理]]
;[[プロヴァンス料理]]
:[[プロヴァンス]]地方の料理。[[南イタリア]]料理や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]料理と同じく[[トマト]]や[[オリーブ・オイル]]、[[オリーブ]]を多く用いる他、[[エルブ・ド・プロヴァンス]]と呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。[[地中海]]に面した[[マルセイユ]]などの町では[[ブイヤベース]]などの魚料理も多い。[[カマルグ]]の{{仮リンク|ガルディアンヌ・ド・トロ|fr|Gardianne}}など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他[[アイオリソース]]もプロヴァンス料理の特色の一つである。
:[[プロヴァンス]]地方の料理。[[南イタリア]]料理や[[カタルーニャ州|カタルーニャ]]料理と同じく[[トマト]]や[[オリーブ・オイル]]、[[オリーブ]]を多く用いる他、[[エルブ・ド・プロヴァンス]]と呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。[[地中海]]に面した[[マルセイユ]]などの町では[[ブイヤベース]]などの魚料理も多い。[[カマルグ]]の{{仮リンク|ガルディアンヌ・ド・トロ|fr|Gardianne}}など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他[[アイオリソース]]もプロヴァンス料理の特色の一つである。
120行目: 89行目:
:[[サヴォイア|サヴォワ]]地方は山岳地帯で[[スイス]]国境に近く、[[チーズフォンデュ|フォンデュ・オ・フロマージュ]]や[[ラクレット]]など乳製品を多用した料理が多い。
:[[サヴォイア|サヴォワ]]地方は山岳地帯で[[スイス]]国境に近く、[[チーズフォンデュ|フォンデュ・オ・フロマージュ]]や[[ラクレット]]など乳製品を多用した料理が多い。


==飲食店の形態==
==近現代において新たに生まれた料理==
[[File:Jacques Lameloise, escabèche d'écrevisses sur gaspacho d'asperge et cresson.jpg|thumb|200px|ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け]]
;ヌーヴェル・キュイジーヌ(新しい料理)
:担い手のシェフたち - [[ポール・ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、{{仮リンク|ルイ・ウーティエ|en|Louis Outhier}}、[[アラン・サンドランス]]、{{仮リンク|ミッシェル・ゲラール|fr|Michel Guérard}}、[[アラン・シャペル]]
;キュイジーヌ・モデルヌ(現代の料理)
:担い手のシェフたち - [[ジョエル・ロブション]]、[[ピエール・ガニェール]]、[[アラン・デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー]]、{{仮リンク|ベルナール・パコー|fr|Bernard Pacaud}}


;レストラン
==副食品==
:パリには中級から最高級のランクに分かれた五千軒以上が存在する。その価格とメニューの品質は千差万別であり、来店用途も日々の外食から特別な晩餐専門など様々である。メニューブックから注文し、専門の訓練を受けたウェイターとウェイトレスが応待する。注文の選択肢は事実上コース料理だけに限られている。
[[フランスワイン]]と[[フランスのチーズ|フランスチーズ]]には各地方や細かな地域ごとにさまざまな特徴があり、[[アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ|AOC]]をはじめとするさまざまな規格で品質が保証されている。フランスのほとんどの地域においてワインが飲まれている。ワイン以外の酒では、ノルマンディー地方のシードルおよびその蒸留酒であるカルヴァドス、アルザス地方の[[ビール]]が挙げられる。
;[[ビストロ]]
:いわゆる大衆食堂であり、メニューは黒板にチョークで書かれている事が多く、給仕たちもカジュアルに対応する。庶民的な料理が出され、また地元の特産を活かした郷土料理が提供される事も多い。
;ビストロアヴァン(ワイン・ビストロ)
:[[キャバレー]]または[[酒場|タバーン]]に似た飲食店であり、主に安価なアルコール飲料を提供し、また産地記載の特別なワインを楽しむ事も出来る。ワインに合った軽食も出される。
;[[オーベルジュ]]
:レストランと宿泊施設がセットになったもの。こちらも中級から高級まである。
;[[ブラッスリー]]
:19世紀に[[アルザス=ロレーヌ]]地方からの難民たちが街角で開いた飲食店で、元々はドイツ人向けであった。ビールとドイツ産葡萄のワインが提供される。もっぱら軽食が出されて[[アルザス風シュークルート]]が有名である。
;ブーション
:[[リヨン|リヨン地方]]で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
;[[カフェ]]
:コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。[[クロックムッシュ]]、[[ムール・フリット|ムールフリット]]、サラダなどの軽食が出される。
;サロン・ド・ティ
:いわゆるティーハウス(茶店)であり、カフェに似ているがアルコール飲料は置かれてない事が多く、コーヒーと紅茶の他にホットチョコレートも提供される。サンドイッチやサラダなどの軽食とケーキが出される。午前中に開店し夕方後に閉店する事が多い。


==その他の知識==
[[フランスパン]]もまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的な[[バゲット]]のほか、「田舎風パン」を意味する[[パン・ド・カンパーニュ]]、[[全粒粉]]を用いた{{仮リンク|パン・コンプレ|fr|Pain complet}}<ref>アルザス地方に多い。</ref>、生[[カキ (貝)|カキ]]などに添えられる[[ライ麦パン]]の一種[[パン・オ・セグル]]<ref>{{lang-fr-short|pain au seigle}}</ref>などが挙げられる。[[パン生地]]にバターや[[牛乳]]を用いる[[クロワッサン]]や[[ブリオッシュ]]などは、[[ヴィエノワズリー]]([[菓子パン]])に分類される。


;* ガイドブックについて
==フランス料理のレストラン==
:タイヤ会社[[ミシュラン]]が出すガイドブック「[[ギド・ミシュラン]]」のレッド・ガイド(ギド・ルージュ)は、フランスにおけるレストランの指標に大きな影響力を与えており、現在ではフランスに限らず世界各国の都市のホテル・レストランガイドも出版している。星の数によって評価を表示しており、最高は3つ星である。[[ゴー・ミヨ]]のレストランガイドも同様に有名である。こちらは20点制だが、4つまでの帽子の数による指標もある。
===ガイドブック===
;* ワインとチーズについて
タイヤ会社[[ミシュラン]]が出すガイドブック「[[ギド・ミシュラン]]」のレッド・ガイド(ギド・ルージュ)は、フランスにおけるレストランの指標に大きな影響力を与えており、現在ではフランスに限らず世界各国の都市のホテル・レストランガイドも出版している。星の数によって評価を表示しており、最高は3つ星である。
:[[フランスワイン]]と[[フランスのチーズ|フランスチーズ]]には各地方や細かな地域ごとにさまざまな特徴があり、[[アペラシオン・ドリジーヌ・コントロレ|AOC]]をはじめとするさまざまな規格で品質が保証されている。フランスのほとんどの地域においてワインが飲まれている。ワイン以外の酒では、ノルマンディー地方のシードルおよびその蒸留酒であるカルヴァドス、アルザス地方の[[ビール]]が挙げられる。
;* パンについて
:[[フランスパン]]もまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的な[[バゲット]]のほか、「田舎風パン」を意味する[[パン・ド・カンパーニュ]]、[[全粒粉]]を用いた{{仮リンク|パン・コンプレ|fr|Pain complet}}<ref>アルザス地方に多い。</ref>、生[[カキ (貝)|カキ]]などに添えられる[[ライ麦パン]]の一種[[パン・オ・セグル]]<ref>{{lang-fr-short|pain au seigle}}</ref>などが挙げられる。[[パン生地]]にバターや[[牛乳]]を用いる[[クロワッサン]]や[[ブリオッシュ]]などは、[[ヴィエノワズリー]]([[菓子パン]])に分類される。
;*[[ヌーヴェル・キュイジーヌ]](新生料理)について
:[[File:Jacques Lameloise, escabèche d'écrevisses sur gaspacho d'asperge et cresson.jpg|thumb|200px|ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け]]1960年代から始まった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出す事を目指した。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用いた。その斬新さが評価されて70年代に一世を風靡した。担い手のシェフとなったのは、[[ポール・ボキューズ]]、[[トロワグロ兄弟]]、{{仮リンク|ルイ・ウーティエ|en|Louis Outhier}}、[[アラン・サンドランス]]、{{仮リンク|ミッシェル・ゲラール|fr|Michel Guérard}}、[[アラン・シャペル]]たちであった。
;* キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
:伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、80年代に入ると元の濃厚なソースを重視する古典料理への回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながら、更に新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持ったスタイルが誕生した。担い手となったのは、[[ジョエル・ロブション]]、[[ピエール・ガニェール]]、[[アラン・デュカス]]、[[ベルナール・ロワゾー]]、{{仮リンク|ベルナール・パコー|fr|Bernard Pacaud}}といった当時の若手シェフ達であり、彼らは古くから伝わるレシピを科学的観点から再分析して、より適切な材料配分と加工タイミングの発見に繋げるなどし、また電子レンジなど新しい器材も科学的立証を加えた上で有効活用した。これらの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。


==食事作法==
[[ゴー・ミヨ]]のレストランガイドも同様に有名である。こちらは20点制だが、4つまでの帽子の数による指標もある。
{{Main|マナー}}

* [[ナプキン]]は全員が着席し、主賓が手にしてから他の人も取る。途中で中座するときはナプキンを椅子の上に置く。
===店舗形態===
* [[ナイフ]]や[[フォーク (食器)|フォーク]]などは外側から順に使う(複数テーブルに並んでいる場合)。
;高級レストラン
* とりあえず皿へナイフ・フォークを置く場合は、八の字の形にする。
:上述のように厳格な作法を持ち正式なコース料理を出す[[オートキュイジーヌ]]。
* 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
;[[ガストロノミー]]
* 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。
;[[ネオ・ビストロ]]
;[[大衆食堂#ビストロ|ビストロ]]
:大衆的な雰囲気を持つ食堂。食事作法なども高級レストランのように厳しく求められるものではない。
;[[ブラッスリー]]

==関連項目==
* {{仮リンク|レヴェイヨン|en|Réveillon}}([[:en:Réveillon|Réveillon]])- フランス語圏のクリスマスと年越しに行われる深夜か夜明けまで続くディナーである。


==脚注==
==脚注==
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==参考文献==
==参考文献==
*{{Cite journal ja-jp|author =松本孝徳、持田明子|year = 2003|title = ルネッサンス期フランス食文化に見るイタリアの影響 : カトリーヌ・ド・メディシスの結婚をとおして|journal = 九州産業大学国際文化学部紀要|serial = 24|publisher = 九州産業大学|naid =110006178810|pages = 129-153|ref=松本・持田(2003)}}
*{{Cite journal ja-jp|author =松本孝徳、持田明子|year = 2003|title = ルネッサンス期フランス食文化に見るイタリアの影響 : カトリーヌ・ド・メディシスの結婚をとおして|journal = 九州産業大学国際文化学部紀要|serial = 24|publisher = 九州産業大学|naid =110006178810|pages = 129-153|ref=松本・持田(2003)}}

==関連項目==
{{Commonscat|Cuisine of France}}
* {{仮リンク|レヴェイヨン|en|Réveillon}}([[:en:Réveillon|Réveillon]])- フランス語圏のクリスマスと年越しに行われる深夜か夜明けまで続くディナーである。


==外部リンク==
==外部リンク==
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*[http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/54928/1/p.6-14.pdf フランス料理の日仏交流150年]-宇田川悟、比較日本学教育研究センター研究年報、2014-03-10
*[http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/54928/1/p.6-14.pdf フランス料理の日仏交流150年]-宇田川悟、比較日本学教育研究センター研究年報、2014-03-10


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2019年2月23日 (土) 13:33時点における版

ポトフ

フランス料理(フランスりょうり)は、フランスで発祥した様々な食文化の総称。現代では世界三大料理の一つに数えられている。

中世後期には源流となるメニューが存在していたとされ、その概形は14世紀当時のレシピを編纂したという「Viandierフランス語版」から窺い知る事が出来る。16世紀になるとイタリア料理の大きな影響を受ける事になったが、17世紀前半からフランス本来の料理様式を確立する運動が始まり、宮廷料理モデルのオートキュイジーヌの誕生とワインとチーズ文化の開明などを経て、後世に継承される伝統的なフランス料理文化が形成されていった。

20世紀に入るとオーギュスト・エスコフィエによって体系化されたフランス料理の国際的知名度は飛躍的に高まったが、高級料理としての一面ばかりが脚光を浴びる事にもなった。フランス料理の代表的なメニューはローカルな郷土料理から発展したものが多く、各地方の食文化を抜きにして語る事は出来なかった。こうした点が見直される中で20世紀半ばからは、いわゆるカントリーサイドの料理にも焦点が置かれるようになり、多様性に富んだ食文化の総合体であるフランス料理本来の姿が世界中に知られるようになった。2010年にフレンチガストロノミー(フランス美食学)は、ユネスコ無形文化遺産に登録された[1]

歴史

中世

ティレル

中世のフランス料理は宮廷内の専売特許であり、明確な作法はまだ存在せず特に規則性の無い雑多なメニューが次々とあるいは一斉にテーブルに並べられていた。当時の食文化の中で特徴的なものを挙げると、食肉は加熱調理された後に厚くスライスされてマスタード風味の濃厚なソースで味付けされる事が多く、皿は使われず平べったいカリカリのパンの上に料理は置かれて、それを手づかみで食べていた。スープやシチューはテーブルのくぼみに注がれ、パンを浸すかスプーンまたは手のひらですくって飲んでいた。中世フランス料理の代表的なシェフはギヨーム・ティレルであり、14世紀に活躍した彼のレシピをまとめたとされる「Viandierフランス語版」は一部に後世の創作が疑われるものの、現在に繋がるフランス料理の原型と見なされている。

近世(16〜18世紀)

ヴァレンヌの著書

16世紀から17世紀にかけてのフランス料理はイタリア料理の大きな影響を受けており、これはカトリーヌ・ド・メディシスヴァロワ朝アンリ2世に輿入れした際に連れて来たイタリア料理人に起因するという説もあれば、自然にもたらされたとする見方もある[2]。この頃にナイフとフォークを用いる食事作法が一般的となった。17世紀になるとイタリア料理の影響から離れる方向でフランス料理の改革が進められるようになり、フランス宮廷料理の定型とされる「オートキュイジーヌ(至高料理)」が誕生した。これは今日ではフランスの伝統的な高級料理モデルとして認知されている。17世紀の高名なシェフであるラ・ヴァレンヌフランス語版はフランス初の正式レシピ書となる「Le cuisinier françois」を1651年に上梓して当時の料理事情を伝えている。その後も様々な宮廷料理人が調理技術の創意工夫を加え、上品で繊細なフランス式の料理スタイルはブルボン朝期を通して確立されていった。なお、当時はギルド(同業組合)の統制により食材業者と調理師の商業活動が制限されていたので、宮廷内で育まれていたフランス料理文化が市民の間にまで広まるには封建制度の消滅まで待たねばならなかった。

近代(19世紀)

カレーム

18世紀末にフランス革命が勃発すると宮廷での職を失った料理人たちが各地に流出し、またアンシャン・レジームの崩壊に伴うギルド(同業組合)制度の消滅によって、彼らが街角で自由にレストランを開けるようになった事から、フランス料理は市民の間にも大々的に広まり始めた。19世紀前半にシェフの帝王と称えられたアントナン・カレームは「オートキュイジーヌ(至高料理)」の芸術性と美食性を更に高め、また「L'art de la cuisine française au dix-neuvième siècle」を始めとする様々な著書を残し、その中で洗練されたメニューと精緻を凝らしたレシピを数多く紹介してフランス料理の発展に大きく貢献した。カレームはいわゆるセレブシェフの元祖でもあった。

近現代(1900年前後)

エスコフィエ

19世紀後半になるとシェフの偉人・オーギュスト・エスコフィエによってフランス料理は新たな時代を迎える事になった。エスコフィエは、カレームによって生み出されたレシピの技巧に走り過ぎている部分を巧みに簡略化してより実用的に調理出来るよう各種メニューを再構築した。また「ブリガード・ド・キュイジーヌ」と呼ばれる組織構造を厨房に導入して調理作業の効率化を図った。更に厨房内に規律と礼節を行き渡らせて料理人達の社会的地位をも向上させた。本来はチーフを意味する「シェフ」が西洋コックの代名詞となったのは、ブリガード内の各調理責任者にシェフの呼称が当てられていた事に由来している。エスコフィエが編み出したフランス料理知識の総体系は1903年刊行の「Le guide culinaire英語版」にまとめられた。

現代(20世紀)

1930年代に入ると大戦間期の三大シェフと言われるフェルナン・ポワンアレクサンドル・デュメーヌアンドレ・ピックらが、エスコフィエの料理体系を受け継ぎながらも更に時代に合わせた形へと進化させていった。1970年代になると、濃厚な味付けを避けて新鮮な素材の風味を活かした調理技法が、ポワンの弟子であるボキューズシャペルトロワグロ兄弟たちを中心にして指向されるようになり、これは「ヌーベルキュイジーヌ(新生料理)」と呼ばれてフランス料理の新たな潮流となった。1980年代半ばになると、濃厚なソースを重視する古典回帰のメニューが見直されて本来の主流に戻り始めた。現在もシェフ達による新しい調理技法の探求は続けられており、古典重視の保守性と自由で柔軟な前衛性を持ち合わせたフランス料理文化は終わりのない進化の様相を呈している。

代表的なメニュー

フランス料理の献立はオードブル(hors d'œuvre / entrée)、メインディッシュ(plat principal)、デザート(dessert)の三構成でしばしば提供される。

オードブル / アントレ / プラ プランシパル
デザート

各地域の料理

シャンパーニュロレーヌアルザス料理
その名の通りシャンパンの名産地であるシャンパーニュ地方は、良質な各種食肉とハムの生産地としても知られている。ロレーヌ地方はパイ風料理のキッシュが有名であり、また新鮮なフルーツジャムも特産品としている。アルザス地方は隣接するドイツ・アレマニアの食文化の影響を受けてシュークロートとビールが人気であり、地元の果物から作ったドイツ風蒸留酒のシュナップスでも有名である。
プロヴァンス料理
プロヴァンス地方の料理。南イタリア料理やカタルーニャ料理と同じくトマトオリーブ・オイルオリーブを多く用いる他、エルブ・ド・プロヴァンスと呼ばれる当地独特のハーブを多く調合したものを用いる。地中海に面したマルセイユなどの町ではブイヤベースなどの魚料理も多い。カマルグガルディアンヌ・ド・トロフランス語版など、ごく一部の地域のみに伝わる伝統料理もある。この他アイオリソースもプロヴァンス料理の特色の一つである。
バスク料理
バスク地方もプロヴァンスと同じくトマトの使用量が多いが、同様にエスプレットというトウガラシも多く用いられる。カタルーニャ料理やその他のスペイン料理との共通点も多い。
ラングドック料理
ラングドック地方はフォアグラの生産が盛んなためガチョウ料理が多く、またヤマドリタケ(セップ茸)、アルマニャックなどが用いられる。カスレが有名。
アルザス料理
アルザス地方の料理。ドイツ文化圏と重なるためシュークルート(シュークルート)、クグロフなどドイツ料理との共通点が多く、国境のライン川を挟んで反対側の黒い森地方の料理にも似ている。
ピカルディー料理
ピカルディーノール県は北部国境を接するベルギー料理の影響を受けている。アンディーヴグラタンなど共通するメニューもある。ビールジャガイモも用いられる。
ノルマンディー料理
ノルマンディーは北大西洋に面しており、モン・サン=ミシェル付近では潮風に吹かれた牧草で育てた子羊の肉が名物とされる。シードルカルヴァドスの産地でもあり、リンゴを用いた味付けも多い。バター生クリームの使用量も多い。
ブルターニュ料理
ブルターニュは冷涼な気候のため作物は不作とされる。ソバ粉のクレープガレット)やクイニーアマンが有名であるほか、ケルト系のブルトン文化が料理にも残っており、同じケルト系のウェールズ地方の料理との共通点もある。
オーヴェルニュ料理
オーヴェルニュ地方の料理。食材としてはシンプルなものが多く[3]ソーセージや、地元のサレール牛英語版を使った料理が伝統料理である[4]。これらの付け合せとしてはアリゴという、チーズ入りのマッシュポテトのような料理がある。
ブルゴーニュ料理
ブルゴーニュはフランスの家庭料理を代表するブッフ・ブルギニョン、牛肉の赤ワイン煮込み)発祥の地でもある。
ロワール料理
ロワール渓谷地方は白ワインの産地であり、白ワインを使った魚料理が特徴的である。
サヴォワ料理
サヴォワ地方は山岳地帯でスイス国境に近く、フォンデュ・オ・フロマージュラクレットなど乳製品を多用した料理が多い。

飲食店の形態

レストラン
パリには中級から最高級のランクに分かれた五千軒以上が存在する。その価格とメニューの品質は千差万別であり、来店用途も日々の外食から特別な晩餐専門など様々である。メニューブックから注文し、専門の訓練を受けたウェイターとウェイトレスが応待する。注文の選択肢は事実上コース料理だけに限られている。
ビストロ
いわゆる大衆食堂であり、メニューは黒板にチョークで書かれている事が多く、給仕たちもカジュアルに対応する。庶民的な料理が出され、また地元の特産を活かした郷土料理が提供される事も多い。
ビストロアヴァン(ワイン・ビストロ)
キャバレーまたはタバーンに似た飲食店であり、主に安価なアルコール飲料を提供し、また産地記載の特別なワインを楽しむ事も出来る。ワインに合った軽食も出される。
オーベルジュ
レストランと宿泊施設がセットになったもの。こちらも中級から高級まである。
ブラッスリー
19世紀にアルザス=ロレーヌ地方からの難民たちが街角で開いた飲食店で、元々はドイツ人向けであった。ビールとドイツ産葡萄のワインが提供される。もっぱら軽食が出されてアルザス風シュークルートが有名である。
ブーション
リヨン地方で誕生した食堂スタイルで、リヨンの伝統的な料理が出される。ソーセージ、鴨肉のパテ、ローストポークなど濃厚な肉料理が中心となる。
カフェ
コーヒーとアルコール飲料が提供される。街路に面しておりテーブルと椅子が歩道にまでせり出して並べられている。朝早くに開店し夜9時頃には閉店するのが普通である。クロックムッシュムールフリット、サラダなどの軽食が出される。
サロン・ド・ティ
いわゆるティーハウス(茶店)であり、カフェに似ているがアルコール飲料は置かれてない事が多く、コーヒーと紅茶の他にホットチョコレートも提供される。サンドイッチやサラダなどの軽食とケーキが出される。午前中に開店し夕方後に閉店する事が多い。

その他の知識

  • ガイドブックについて
タイヤ会社ミシュランが出すガイドブック「ギド・ミシュラン」のレッド・ガイド(ギド・ルージュ)は、フランスにおけるレストランの指標に大きな影響力を与えており、現在ではフランスに限らず世界各国の都市のホテル・レストランガイドも出版している。星の数によって評価を表示しており、最高は3つ星である。ゴー・ミヨのレストランガイドも同様に有名である。こちらは20点制だが、4つまでの帽子の数による指標もある。
  • ワインとチーズについて
フランスワインフランスチーズには各地方や細かな地域ごとにさまざまな特徴があり、AOCをはじめとするさまざまな規格で品質が保証されている。フランスのほとんどの地域においてワインが飲まれている。ワイン以外の酒では、ノルマンディー地方のシードルおよびその蒸留酒であるカルヴァドス、アルザス地方のビールが挙げられる。
  • パンについて
フランスパンもまたフランスの食卓を特徴付ける重要な位置を占めている。代表的なバゲットのほか、「田舎風パン」を意味するパン・ド・カンパーニュ全粒粉を用いたパン・コンプレ[5]、生カキなどに添えられるライ麦パンの一種パン・オ・セグル[6]などが挙げられる。パン生地にバターや牛乳を用いるクロワッサンブリオッシュなどは、ヴィエノワズリー菓子パン)に分類される。
ヌーヴェル・キュイジーヌの盛り付け
1960年代から始まった料理スタイルであり、従来のフランス料理が重視する濃厚なソースをほぼ否定して、素材の風味を最大限に引き出す事を目指した。バターとクリームの使用を抑え、加熱時間も極力減らし、スパイスと各種調味料も注意深く用いた。その斬新さが評価されて70年代に一世を風靡した。担い手のシェフとなったのは、ポール・ボキューズトロワグロ兄弟ルイ・ウーティエ英語版アラン・サンドランスミッシェル・ゲラールフランス語版アラン・シャペルたちであった。
  • キュイジーヌ・モデルヌ(モダン料理)について
伝統の対極に位置するヌーヴェル・キュイジーヌの斬新性はしばらくすると飽きを引き起こす事にもなり、80年代に入ると元の濃厚なソースを重視する古典料理への回帰が支持されるようになった。その中でフランス料理の伝統を踏襲しながら、更に新しい技術をミックスさせるという保守性と前衛性を併せ持ったスタイルが誕生した。担い手となったのは、ジョエル・ロブションピエール・ガニェールアラン・デュカスベルナール・ロワゾーベルナール・パコーフランス語版といった当時の若手シェフ達であり、彼らは古くから伝わるレシピを科学的観点から再分析して、より適切な材料配分と加工タイミングの発見に繋げるなどし、また電子レンジなど新しい器材も科学的立証を加えた上で有効活用した。これらの調理体系は当世風(モデルヌ)と評論されるようになった。

食事作法

  • ナプキンは全員が着席し、主賓が手にしてから他の人も取る。途中で中座するときはナプキンを椅子の上に置く。
  • ナイフフォークなどは外側から順に使う(複数テーブルに並んでいる場合)。
  • とりあえず皿へナイフ・フォークを置く場合は、八の字の形にする。
  • 食べ終わったら、ナイフは刃を内側にして、フォークと共に先を上にして皿に並べておく。
  • 食事を終えたらナプキンはたたまず、やや丸めてテーブルの右上におく。

脚注

  1. ^ Gastronomic meal of the French”. ユネスコ. 2013年10月27日閲覧。
  2. ^ 松本・持田(2003)
  3. ^ オーヴェルニュ地方で Rendez-vous”. フランス観光開発機構公式サイト. 2013年2月閲覧。
  4. ^ サレール、村のレストラン”. グラムスリー. 2013年2月閲覧。
  5. ^ アルザス地方に多い。
  6. ^ : pain au seigle

参考文献

  • 松本孝徳、持田明子、2003、「ルネッサンス期フランス食文化に見るイタリアの影響 : カトリーヌ・ド・メディシスの結婚をとおして」、『九州産業大学国際文化学部紀要』(24)、九州産業大学、NAID 110006178810 pp. 129-153

関連項目

外部リンク