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「パルマ・カルチョ1913」の版間の差分

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パルマ・カルチョ1913
原語表記 Società Sportiva Dilettantistica Parma Calcio 1913
愛称 Crociati十字軍騎士)
Ducali公爵
Gialloblù(黄と青)
Parmensiパルマ人)
クラブカラー 白と黒 / 黄と青
創設年 1913年
所属リーグ セリエA
所属ディビジョン 1部
ホームタウン パルマ
ホームスタジアム スタディオ・エンニオ・タルディーニ
収容人数 22,352
代表者 中華人民共和国の旗 蒋立章英語版
監督 イタリアの旗 ロベルト・ダヴェルサ英語版
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ソチェタ・スポルティーヴァ・ディレッタンティスティカ・パルマ・カルチョ1913 (イタリア語: Società Sportiva Dilettantistica Parma Calcio 1913) は、イタリアエミリア=ロマーニャ州パルマをホームタウンとするサッカークラブである。

ニックネームはクロチャーティ十字軍戦士)とジャッロブルー(黄色と青)。

歴史

1913年7月27日、パルマ公国出身の音楽家ジュゼッペ・ヴェルディの名を取り、ヴェルディ・フットボール・クラブ (Verdi Football Club) として創設。

パルマAC

パルマACのロゴ(1968年)

1968年にパルマAC (Parma Associazione Calcio s.p.a.) に改称。1990年代に入ってパルマの食品会社パルマラット代表のカリスト・タンツィ英語版がオーナーに就任。また、1990年にネヴィオ・スカラが監督に就任してセリエAへ昇格。1996年にスカラが退任するまで何度もリーグ優勝を争い、国内および国際タイトルも獲得。「ミラクル・パルマ」と呼ばれた。

パルマFC

2003年にパルマラットが破産、クラブは破産管財人の管理下に置かれた。2004年にパルマFC (Parma Football Club SpA) に改称。2005年に前レアル・マドリード会長のロレンソ・サンスが買収を試みるも、資金不足が露呈し買収は不成立。また、スイスの起業家であるガエターノ・バレンツァや、ACカルペネドロ英語版の元オーナーで鉄鋼業を営むトンマゾ・ギラルディ英語版などの名前が挙がり、競売の末に2007年1月24日にギラルディが買収した。

2007-08シーズンにセリエBに降格したが、2008-09シーズンは、フランチェスコ・グイドリン監督の下で、1年でセリエAへ復帰した。


2013-14シーズンに創立100周年を迎え、エンブレムに「100」を加えた。リーグ戦は6位となりUEFAヨーロッパリーグへの出場権を獲得したが、所得税の納付遅延を理由にイタリアサッカー連盟はUEFAライセンスを認可せず、リーグ戦7位のトリノFCが繰り上がりで出場した[1]。この決定を不服としたギラルディは、会長職の辞任とクラブの売却を表明した[2]

2014年12月にロシアキプロス複合企業に買収された[3]が、財政難は解消されず、給料未払いを理由にアントニオ・カッサーノフェリペら合計8人の選手が2014-15シーズンの冬に移籍した[4]

2015年2月、ジャンピエトロ・マネンティがクラブを買収して会長に就任[4]したが、2月22日のウディネーゼ・カルチョ戦の試合開催費用が払えず(試合は延期)、資金の逼迫が表面化[5]。3月19日に破産を申請した。負債総額は2億1,844万6,754.61ユーロ(約281億円)[6]。なお、破産後も公式戦は開催された[7]

経営面でのサポートを請け負ったデメトリオ・アルベルティーニは、2015-16シーズンにセリエBからスタートできるように手を尽くすとした[8]が、6月22日午後2時の締め切り時刻までに負債の弁済に目処が付かなかったため破産が確定し、「パルマFC」は消滅した[9]

「パルマFC」の消滅に伴い所属選手は、全員リーグの規定により自由契約(移籍金発生なし)となった。同様の事例としてACFフィオレンティーナ2002年)、SSCナポリ2004年)がある[10]

SSDパルマ・カルチョ1913

2015年7月、ネヴィオ・スカラが代表者となってSSDパルマ・カルチョ1913 (Società Sportiva Dilettantistica Parma Calcio 1913) が創設され、セリエD(4部)へ所属することとなった[11]

2015-2016シーズンは、28勝10分0敗の成績で優勝し、レガ・プロ(3部)へ自動昇格した[12]。2016-2017シーズンはレガ・プロのジローネBで2位となり、昇格プレーオフに進出。プレーオフ決勝ではUSアレッサンドリア・カルチョ1912に勝利して、セリエBへの昇格を決めた[13]

2017年6月、中国のデスポルツ(Desports)グループがクラブの株式の6割を取得した[14]。これによりリーガ・エスパニョーラグラナダCFも保有するデスポルツグループがオーナーとなり、クラブの会長には代表の蒋立章英語版(Jiang Lizhang)が就任した。2017年7月にはクラブOBで歴代最多得点者である元アルゼンチン代表エルナン・クレスポが副会長に就任することが発表された。

2017-18シーズンのリーグ最終節で、スペツィア・カルチョを2-0で下したことで2位となり、3シーズンぶりにセリエAへ復帰することが決定した[15]が、その試合前にFWエマヌエーレ・カライオイタリア語版がスペツィアの2選手に「激しいコンタクトプレーは避けてくれ」とテキストメッセージを送ったことが八百長行為であるとイタリアサッカー連盟イタリア連邦裁判所に提訴、7月23日、同裁判所により八百長が認定され、カライオ本人には2年間の出場停止と罰金2万ユーロ、クラブには2018-19シーズン開幕時に勝点5を減点する厳罰が科された。クラブはこの判決を不服とし、即座に再審請求を行った[16]

タイトル

スタディオ・エンニオ・タルディーニ

国内タイトル

国際タイトル

過去の成績

シーズン ディビジョン コッパ・イタリア
リーグ 順位
1945–46 セリエB 22 12 4 6 36 20 28 3位
1946–47 セリエB 40 14 10 16 41 45 38 14位
1947–48 セリエB 34 12 14 8 33 28 38 7位
1948–49 セリエB 42 12 13 17 42 59 37 19位
1949–50 セリエC・ジローネB 40 21 9 10 64 28 52 2位
1950–51 セリエC・ジローネB 38 21 7 10 57 32 49 3位
1951–52 セリエC・ジローネB 34 21 10 3 75 24 52 2位
1952–53 セリエC 34 14 8 12 47 31 36 6位
1953–54 セリエC 34 17 9 8 45 23 43 1位
1954–55 セリエB 34 8 17 9 37 40 33 9位
1955–56 セリエB 34 10 8 16 36 46 28 15位
1956–57 セリエB 34 9 13 12 33 38 31 12位
1957–58 セリエB 34 5 14 15 25 49 24 18位
1958–59 セリエB 38 10 12 16 41 64 32 18位 2回戦敗退
1959–60 セリエB 38 9 16 13 38 50 34 14位 ベスト32
1960–61 セリエB 38 12 11 15 36 36 35 13位 ベスト32
1961–62 セリエB 38 9 17 12 25 33 35 12位 1回戦敗退
1962–63 セリエB 38 12 11 15 32 44 35 13位 1回戦敗退
1963–64 セリエB 38 8 16 14 31 43 32 15位 ベスト16
1964–65 セリエB 38 7 9 22 23 54 23 20位 ベスト16
1965–66 セリエC・ジローネA 34 3 19 12 15 28 25 17位
1966–67 セリエD・ジローネC 34 14 11 9 39 29 39 6位
1967–68 セリエD・ジローネB 34 10 14 10 28 23 34 6位
1968–69 セリエD・ジローネB 34 8 13 13 21 31 29 14位
1969–70 セリエD・ジローネB 34 23 6 5 40 15 52 1位
1970–71 セリエC・ジローネA 38 14 13 11 50 39 41 5位
1971–72 セリエC・ジローネB 38 17 16 5 48 26 40 2位
1972–73 セリエC・ジローネA 38 19 14 5 40 15 52 1位
1973–74 セリエB 38 10 19 9 39 32 39 5位 GS敗退
1974–75 セリエB 38 9 15 14 30 37 30 20位 GS敗退
1975–76 セリエC・ジローネA 38 16 14 8 42 25 46 2位
1976–77 セリエC・ジローネB 38 16 14 8 46 33 46 2位
1977–78 セリエC・ジローネB 38 16 14 8 50 37 46 4位
1978–79 セリエC1・ジローネA 34 16 12 6 43 16 48 2位
1979–80 セリエB 38 7 13 18 27 49 27 19位 GS敗退
1980–81 セリエC1・ジローネA 34 8 14 12 25 32 30 13位
1981–82 セリエC1・ジローネA 34 9 13 12 30 32 31 9位
1982–83 セリエC1・ジローネA 34 10 14 10 28 26 34 6位
1983–84 セリエC1・ジローネA 34 18 12 4 47 20 48 1位 GS敗退
1984–85 セリエB 38 6 14 18 25 47 26 18位 準々決勝敗退
1985–86 セリエC1・ジローネA 34 16 15 3 39 14 47 1位 GS敗退
1986–87 セリエB 38 11 18 9 30 26 40 7位 準々決勝敗退
1987–88 セリエB 38 9 20 9 33 33 38 11位 ベスト16
1988–89 セリエB 38 8 21 9 29 31 37 9位 GS敗退
1989–90 セリエB 38 16 14 8 49 30 46 4位 1回戦敗退
1990–91 セリエA 34 13 12 9 35 31 38 6位 2回戦敗退
1991–92 セリエA 34 11 16 7 32 28 38 6位 優勝
1992–93 セリエA 34 16 9 9 47 34 41 3位 準々決勝敗退
1993–94 セリエA 34 17 7 10 50 35 41 5位 準決勝敗退
1994–95 セリエA 34 18 9 7 51 31 63 3位 準優勝
1995–96 セリエA 34 16 10 8 44 31 58 5位 2回戦敗退
1996–97 セリエA 34 18 9 7 41 26 63 2位 2回戦敗退
1997–98 セリエA 34 15 12 7 55 39 57 5位 準決勝敗退
1998-99 セリエA 34 15 10 9 55 36 55 4位 優勝
1999–00 セリエA 34 16 10 8 52 37 58 5位 ベスト16
2000–01 セリエA 34 16 8 10 51 31 56 4位 準優勝
2001–02 セリエA 34 12 8 14 43 47 44 10位 優勝
2002–03 セリエA 34 15 11 8 55 36 56 5位 2回戦敗退
2003–04 セリエA 34 16 10 8 57 46 58 5位 準々決勝敗退
2004–05 セリエA 38 10 12 16 48 65 42 17位 ベスト16
2005–06 セリエA 38 12 9 17 46 60 45 7位 ベスト16
2006–07 セリエA 38 10 12 16 41 56 42 12位 準々決勝敗退
2007–08 セリエA 38 7 13 18 42 62 34 19位 ベスト32
2008–09 セリエB 42 19 19 4 65 34 76 2位 ベスト32
2009–10 セリエA 38 14 10 14 46 51 52 8位 ベスト32
2010–11 セリエA 38 11 13 14 39 47 46 12位 準々決勝敗退
2011–12 セリエA 38 15 11 12 54 53 56 8位 ベスト32
2012–13 セリエA 38 13 10 15 45 46 49 10位 ベスト16
2013–14 セリエA 38 15 13 10 58 46 58 6位 ベスト16
2014–15 セリエA 38 6 8 24 33 75 19 20位 準々決勝敗退
2015–16 セリエD・ジローネD 38 28 10 0 82 17 94 1位
2016–17 レガ・プロ・ジローネB 38 20 10 8 55 36 70 2位
2017–18 セリエB 42 21 9 12 57 37 85 2位 2回戦敗退
2018-19 セリエA 38 10 11 17 41 61 41 14位 3回戦敗退
2019-20 セリエA 38

欧州の成績

現所属メンバー

2019年7月18日現在[17]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK イタリア ピエルルイジ・フラッターリ
2 DF イタリア シモーネ・イアコポーニ
3 DF イタリア フェデリコ・ディマルコ
5 MF スロベニア レオ・シュトゥラツ
9 FW イタリア ファビオ・チェラヴォロ
10 FW ウルグアイ ニコラス・スキアッパカッセ ()
13 DF チリ フランシスコ・シエルラルタ
14 MF 赤道ギニア ペピン
17 MF イタリア アントニーノ・バリッラ
18 DF イタリア マッシモ・ゴッビ
21 MF イタリア マッテオ・スコッツァレッラ
22 DF ポルトガル ブルーノ・アルヴェス ()
23 DF イタリア マルチェッロ・ガッツォーラ
26 FW イタリア ルーカ・シリガルディ
27 FW コートジボワール ジェルヴィーニョ
28 DF イタリア リッカルド・ガリョーロ
32 MF イタリア ルカ・リゴーニ
No. Pos. 選手名
33 MF イタリア ヤコポ・デーツィ
45 FW イタリア ロベルト・イングレーゼ
55 GK イタリア ルイジ・セペ
56 GK イタリア ファブリツィオ・バゲリーア
77 FW フランス ジョナタン・ビアビアニー () ()
87 MF スロバキア ユライ・クツカ
88 MF イタリア アルベルト・グラッシ
93 FW イタリア マッティア・スプロカティ
95 DF イタリア アレッサンドロ・バストーニ
-- FW イタリア ワリド・シェディラ
-- DF フランス ヴァンサン・ローリニ
-- GK イタリア シモーネ・コロンビ
-- MF ブラジル エルナニ
-- FW フランス ヤン・カラモウ ()
-- FW デンマーク アンドレアス・コルネリウス
-- MF スウェーデン デヤン・クルゼフスキ () ★
-- MF ウルグアイ ガストン・ブルグマン
-- DF イタリア マッテオ・ダルミアン

※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

※6番はアレッサンドロ・ルカレッリ 永久欠番。

ローン移籍

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
3 DF イタリア フェデリコ・ディマルコ (インテル)
8 MF イタリア アレッサンドロ・デイオラ (カリアリ)
10 FW イタリア アマト・チチレッティ (ナポリ)
13 DF チリ フランシスコ・シエルラルタ (ウディネーゼ)
45 FW イタリア ロベルト・イングレーゼ (ナポリ)
55 GK イタリア ルイジ・セペ (ナポリ)
56 GK イタリア ファブリツィオ・バゲリーア (インテル)
No. Pos. 選手名
88 MF イタリア アルベルト・グラッシ (ナポリ)
93 FW イタリア マッティア・スプロカティ (ラツィオ)
95 DF イタリア アレッサンドロ・バストーニ (インテル)
-- MF ブラジル エルナニ (ゼニト)
-- FW デンマーク アンドレアス・コルネリウス (アタランタBC)
-- MF スウェーデン デヤン・クルゼフスキ (アタランタBC)
-- FW フランス ヤン・カラモウ (インテル)

歴代監督

ACパルマ、パルマFC
SSDパルマ・カルチョ1913

歴代所属選手

GK

DF

MF

FW

脚注

出典

  1. ^ “パルマ、欧州L出場権剥奪”. 日刊スポーツ. (2014年5月31日). http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20140531-1309854.html 2014年6月1日閲覧。 
  2. ^ “パルマ会長が激怒しクラブ売却へ「恥を知れ。私は自分の村に戻る」”. サンケイスポーツ. (2014年5月31日). http://www.sanspo.com/soccer/news/20140531/ser14053115590006-n1.html 2014年6月1日閲覧。 
  3. ^ 財政難のパルマ、クラブの売却がようやく決定”. Qoly Football Web Magazine (2014年12月12日). 2015年2月10日閲覧。
  4. ^ a b 瀕死の名門 2カ月間で2度も1ユーロで売却されたパルマ”. SoccerMagazine ZONE WEB (2015年2月10日). 2015年2月10日閲覧。
  5. ^ クラブ存続危機か…パルマ、試合開催費用捻出できず延期決定”. ゲキサカ (2015年2月21日). 2015年2月22日閲覧。
  6. ^ 名門の凋落…パルマの破産が決定 負債総額は281億円”. ゲキサカ (2015年3月20日). 2015年3月20日閲覧。
  7. ^ “失う物はないパルマ、ドローの次は勝利…ウディネーゼを下す”. goal.com. (2015年4月9日). http://www.goal.com/jp/match/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%9E-vs-%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%BC/1836577/report 2015年6月23日閲覧。 
  8. ^ “アルベルティーニ氏、パルマ支援に尽力「セリエBからの再出発に全力尽くす」”. サンケイスポーツ. (2015年4月4日). http://www.sanspo.com/soccer/news/20150404/ser15040415300012-n1.html 2015年6月23日閲覧。 
  9. ^ “パルマが破産発表。来季からアマリーグの4部へ”. フットボールチャンネル. (2015年6月22日). http://www.footballchannel.jp/2015/06/22/post93994/ 2015年6月23日閲覧。 
  10. ^ セリエAの名門パルマが破産 来季アマリーグ出直し”. 日刊スポーツ (2015年6月24日). 2015年7月23日閲覧。
  11. ^ パルマ破産から4ヶ月……新クラブ「パルマ1913」が4部から再出発”. フットボールチャンネル (2015年7月28日). 2015年8月17日閲覧。
  12. ^ 破産のパルマ、4部でスゴかった!無敗でグループ優勝→3部に昇格”. Qoly (2016年5月13日). 2017年6月18日閲覧。
  13. ^ 破産でセリエDに降格していたパルマ、2シーズン連続昇格でセリエBへ!”. SoccerKING (2017年6月18日). 2017年6月18日閲覧。
  14. ^ 破産から急上昇中のパルマ、中国資本が筆頭株式に”. サッカーキング (2017年6月22日). 2017年7月14日閲覧。
  15. ^ パルマのセリエA昇格が決定…2015年の破産、4部再スタートからわずか3年で1部復帰 - Goal.com 2018年5月19日
  16. ^ セリエAに激震! 昇格組パルマがイタリア人FWの「八百長認定」で勝点はく奪!”. サッカーダイジェストweb. 日本スポーツ企画出版社 (2018年7月24日). 2018年7月24日閲覧。
  17. ^ Parma Calcio 1913 Prima squadra”. 2018年9月10日閲覧。

外部リンク