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「ザ・ヒットパレード (テレビ番組)」の版間の差分

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*1981年に[[ザ・ヴィーナス]]が、この番組のオープニングテーマで始まる1960年代ポップスカヴァーのメドレー『THE HIT PARADE』をリリースした。
*1981年に[[ザ・ヴィーナス]]が、この番組のオープニングテーマで始まる1960年代ポップスカヴァーのメドレー『THE HIT PARADE』をリリースした。
*オープニングテーマは、1980年 - 1981年に同系列局で放送された『[[花の金曜ゴールデンスタジオ]]』のテーマ曲に採用された。さらに、1994年 - 1996年には『[[ボキャブラ天国|タモリのSUPERボキャブラ天国]]』の「ボキャブラ THEヒットパレード」のタイトルテーマに採用された。
*オープニングテーマは、1980年 - 1981年に同系列局で放送された『[[花の金曜ゴールデンスタジオ]]』のテーマ曲に採用された。さらに、1994年 - 1996年には『[[ボキャブラ天国|タモリのSUPERボキャブラ天国]]』の「ボキャブラ THEヒットパレード」のタイトルテーマに採用された。
*オープニングテーマは、しばしば替え歌にしたものが他の媒体で使われている。主なところでは『[[北野ファンクラブ]]』の亀有ブラザーズのオープニングテーマなど、またCMではアサヒビール(現在の[[アサヒ飲料]]の部分)の機能性飲料のCMや「志乃ぶ寿司」(現・[[シノブフーズ]])「おにぎりQ」のCM(関西・東海地方でオンエア、歌詞が殆ど同じ)、[[東芝]]掃除機の「ひっぱれ」、[[リクルート]]のインターネット情報サービス「[[ポンパレ]]」のCMなど。また、[[東京読売巨人軍応援団|読売ジャイアンツの私設応援団]]が1999年頃から[[チャンステーマ]]として採用。ファンがオレンジ色のタオル<ref>使用当初は[[千葉ロッテマリーンズ]]の応援スタイルと同じ白色のタオルを使用していた。</ref>を振り回しながら応援することで有名になった。最近では[[サッカー日本代表]]・[[岡崎慎司]](元・[[清水エスパルス]]。現・[[レスター・シティFC]])の[[チャント]]にも使われている。
*オープニングテーマは、しばしば替え歌にしたものが他の媒体で使われている。主なところでは『[[北野ファンクラブ]]』の亀有ブラザーズのオープニングテーマなど、またCMではアサヒビール(現在の[[アサヒ飲料]]の部分)の機能性飲料のCMや「志乃ぶ寿司」(現・[[シノブフーズ]])「おにぎりQ」のCM(関西・東海地方でオンエア、歌詞が殆ど同じ)、[[東芝]]掃除機の「ひっぱれ」、[[リクルートホールディングス]]のインターネット情報サービス「[[ポンパレ]]」のCMなど。また、[[東京読売巨人軍応援団|読売ジャイアンツの私設応援団]]が1999年頃から[[チャンステーマ]]として採用。ファンがオレンジ色のタオル<ref>使用当初は[[千葉ロッテマリーンズ]]の応援スタイルと同じ白色のタオルを使用していた。</ref>を振り回しながら応援することで有名になった。最近では[[サッカー日本代表]]・[[岡崎慎司]](元・[[清水エスパルス]]。現・[[レスター・シティFC]])の[[チャント]]にも使われている。


== ネット局 ==
== ネット局 ==

2019年9月13日 (金) 06:12時点における版

ザ・ヒットパレード
ジャンル 音楽番組
企画 渡辺晋
演出 椙山浩一
出演者

司会
歴代司会者を参照


レギュラー
ザ・ピーナッツ
スマイリー小原とスカイライナーズ
オープニング 「ザ・ヒットパレード」
(作曲:すぎやまこういち
製作
制作 フジテレビ
放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1959年6月17日 - 1970年3月31日
放送分30 - 60分

特記事項:
1967年4月4日放送分よりカラー放送。
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ザ・ヒットパレード』 (The Hit Parade) とは、1959年6月17日から1970年3月31日までフジテレビ系列局生放送された音楽番組である。

綱要

1959年、当時の渡辺プロダクション社長の渡辺晋フジテレビディレクターだった椙山浩一(すぎやまこういち、現・作曲家)の主導で企画されて放送を開始。開局間もなかった後発テレビ局のフジテレビでは賄えないほどのスケールであったが、渡辺プロダクションが制作費を肩代わりすることで乗り切っていた。

人気ロカビリー歌手だったミッキー・カーチス長沢純の総合司会により、毎週人気歌手が多数出演してステージを繰り広げていた番組で、テレビが茶の間に浸透するきっかけを作った。この他に、司会は当時デビューしたばかりのザ・ピーナッツが務め、初期には「踊る指揮者」ことスマイリー小原が率いるスマイリー小原とスカイライナーズも毎週レギュラー出演。彼らは一躍スターダムにのし上がった。またコンボ・バンドとしてザ・ピーナッツのバックを務めていた「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」にも注目が集まるようになり、後年のグループ・サウンズ・ブームのきっかけともなる。

以後の『ミュージックフェア』『夜のヒットスタジオ』に代表されるフジテレビの音楽番組史の基礎を築いた番組であり、1970年3月まで10年半にわたって続いた。椙山作曲のメロディを用いたオープニングテーマも有名になり、後に数々の替え歌が各所で作られたりした(後述)。

長きにわたって火曜19時枠前半で人気を上げていたが、月 - 木の日替わりバラエティ『夜のゴールデンショー』開始のため、1969年10月4日(TBS8時だョ!全員集合』の開始した日)に土曜19時前半枠へ移動した。1970年1月6日には『エスカレーションクイズ「対決!1対10」』との枠交換で火曜21時前半枠へ移動するも、後に番組は11年9か月間の放送に幕を下ろした。

この番組で組まれたフジテレビと渡辺プロダクションの共同制作枠は、その後も『新春かくし芸大会』や『クイズ・ドレミファドン!』『ウチくる!?』などの人気番組を次々と生み出し、現在放送中の『なりゆき街道旅』に至るまで引き継がれている。

尚、この番組のカラー化は、フジテレビの番組の中でも最も早い方で、1967年4月4日放送分からカラー放送となっている[1]

歴代司会者

  • 初代:ミッキー・カーチス → ミッキー・カーチス・芳村真理(1959年6月 - 1959年9月)
  • 2代目:ミッキー・カーチス・坂井メイ子(当時フジテレビアナウンサー)(1959年10月 - 1961年3月)
  • 3代目:ミッキー・カーチス・豊原ミツ子(当時フジテレビアナウンサー)(1961年4月 - 1961年9月)
  • 4代目:長沢純・豊原ミツ子(1961年10月 - 1966年3月)
  • 5代目:尾藤イサオ・豊原ミツ子(1966年4月 - 1967年3月)
  • 6代目:尾藤イサオ・木の実ナナ(1967年4月 - 1968年9月) → 木の実ナナ(単独)(1968年10月 - 1969年2月)
  • 7代目:堺正章梓みちよ(1969年2月 - 1969年9月)
  • 8代目:布施明(単独)(1969年10月 - 1970年3月)

番組アラカルト

  • 番組開始当時は一部を除き、スタッフから企画者、出演者、さらには当の椙山など若い20代のメンバーを中心とした新世代番組と言われた[2]
  • 初代スポンサーは、ラジオ通信という小規模の広告代理店を通して付いた当時名古屋市にあったベルマン化粧品(のちに倒産、再建後は大阪市へ移転)であった[3]が、同社がスポンサーを降りた1961年4月以降は、電通を通して新たにキヤノン渡辺製菓[4]がスポンサーに付き、後に江崎グリコが付いた(この頃にはザ・ピーナッツが開始時に「グリコ ザ・ヒットパレード」の掛け声を行っていた)。1969年頃にはコカコーラ・ボトラーズが提供[5]となり(この頃には司会が「コカコーラ・ボトラーズ提供 ザ・ヒットパレード」の掛け声を行った)、土曜19時前半枠へ移動した1969年10月にコカコーラ・ボトラーズとシスコの2社提供となった[6]
    • なお、番組開始当初はスポンサーが付かず、渡辺プロダクションはノーギャラでタレントを出していた[3]。このスポンサー交替に伴い、男性司会者もミッキー・カーチスから長沢純に交代した。
  • 1961年、坂井が結婚によりフジテレビを退社する際、椙山は後任の女性アナウンサーをオーディションで選定したが、椙山が選んだのは豊原であったことにフジテレビは容姿面を理由に難色を示した。しかし、椙山は「可愛くない人間が売れないのであるならば、漫画のサザエさんは売れないはずだ」と逆に一蹴した[3]
  • 生放送であり当時ビデオテープが録画装置を含めて高価だったなどの理由があり、資料用のキネコ録画もされなかったことから映像は1本も現存していないとされて来たが、2013年11月27日に発売されたDVDBOX『ザ・タイガース フォーエヴァー DVD BOX-ライヴ&モア-』にザ・タイガース出演時の一部映像が収録された(『僕のマリー』歌唱シーン モノクロ)[7] 。なお、1959年公開の日活映画『可愛い花』にこの番組が映るシーンがあるが、キネコか新録かは不明。
  • 初期にはザ・ピーナッツがピーナッツを模したセットに入り込み、番組開始時間と同時にそのセットの中から2人が出てきて「ザ・ヒットパレード」と発してスタートする形態を採っていた。

ザ・ヒットパレードを題材にした作品

スペシャルドラマ

渡辺プロ創立50周年プロジェクトの一環として2006年5月26日27日に2夜連続で、フジテレビ系列にてスペシャルドラマザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』を放送した。渡辺晋役を柳葉敏郎、晋の妻・美佐(現・渡辺プロ会長)役を常盤貴子が演じていた。また、ザ・ピーナッツ役には安倍なつみ麻美が抜擢され、安倍姉妹としては初の姉妹共演であった。他にも『ザ・ヒットパレード』ディレクターだった椙山浩一役をネプチューン原田泰造が演じるなどキャスティングの面でも話題になり、オープニングシーンも忠実に再現されている。

ミュージカル

2006年に放送されたスペシャルドラマ(前述)の好評を受け、2007年にはミュージカルザ・ヒットパレード〜ショウと私を愛した夫〜』も上演された。ドラマでは渡辺晋の半生を描いたが、ミュージカルでは渡辺晋・美佐夫妻の夫婦愛を柱にした内容。脚本は鈴木聡、演出は山田和也がそれぞれ担当。渡辺晋役は原田泰造、美佐役は戸田恵子がそれぞれ演じたほか、ザ・ピーナッツ役は堀内敬子瀬戸カトリーヌが演じ、「恋のフーガ」などのヒット曲を劇中で熱唱。クレイジーキャッツ等役のRAG FAIRが渡辺プロタレントの懐かしのヒット曲を披露した。音楽担当は宮川彬良。2007年7月10日から31日まで東京・ル テアトル銀座で公演された。なお、2009年3月5日から25日まで東京(ル テアトル銀座)、4月1日から5日まで大阪シアターBRAVA!)にて再演された[8]

備考

ネット局

参考文献

脚注

  1. ^ 1967年4月4日 朝日新聞東京版(縮刷版)
  2. ^ CBSソニー発売CD「懐かしのテレビ・ラジオ番組主題歌大全集」解説書の説明より抜粋
  3. ^ a b c 荒俣宏「TV博物誌」(小学館 1997年1月)
  4. ^ 1963年2月12日の台本に記載。レトロメディア・囃ハルト商店 ザ・ヒットパレード
  5. ^ コカ・コーラは、直前まで火曜19:30で放送した『スターとデイト合戦→売込みハート作戦』を引き継いでの提供。
  6. ^ 毎日新聞縮刷版、1969年10月号より。
  7. ^ http://store.universal-music.co.jp/fs/artist/upby9006
  8. ^ 参照記事:【ヒューマン】RAG FAIR、大役再び - サンケイスポーツ、2009年2月7日
  9. ^ 使用当初は千葉ロッテマリーンズの応援スタイルと同じ白色のタオルを使用していた。
  10. ^ 本土―那覇間のマイクロ回線開通前は木曜20:30~21:00のVTR(キネコフィルム)による放送

関連項目

外部リンク

フジテレビ系列 水曜20時台後半枠(1959年6月17日 - 1962年3月28日)
前番組 番組名 次番組
ザ・ヒットパレード
フジテレビ系列 水曜20時台前半枠(1962年4月4日 - 1962年5月30日)
ガンスモーク
(第1期)
ザ・ヒットパレード
フジテレビ系列 火曜19時台前半(1962年6月5日 - 1969年9月30日)
ザ・ヒットパレード
夜のゴールデンショー
(月曜 - 木曜)
フジテレビ系列 コカ・コーラ一社提供枠(1969年4月1日 - 1969年9月30日)
ザ・ヒットパレード
親子を合わせるベシ!
(月曜 19:00 - 19:30)
※半年のブランクあり
フジテレビ系列 土曜19時台前半枠(1969年10月4日 - 1969年12月27日)
ザ・ヒットパレード
クイズ・キングにまかせろ!
※火曜21時から移動
『エスカレーションクイズ』の改題版
フジテレビ系列 火曜21時台前半枠(1970年1月6日 - 1970年3月31日)
エスカレーションクイズ「対決!1対10」
※土曜19時へ移動
『クイズ・キングにまかせろ!』に改題
ザ・ヒットパレード
テレビグランドスペシャル(第2期)
(20:00 - 21:26)
待ッテマシタ!
(21:26 - 21:30)
※30分繰り下げ