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「ロード・ウォリアー・アニマル」の版間の差分

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== ファミリー ==
== ファミリー ==
* かつて[[全日本プロレス]]で活躍していたプロレスラーの[[ジョン・ロウリネイティス|ジョニー・エース]]と、タッグチーム「レッキング・クルー」の[[マーク・ロウリネイティス]](ターミネーター / フューリー)は実弟。
* かつて[[全日本プロレス]]で活躍していたプロレスラーの[[ジョン・ロウリネイティス|ジョニー・エース]]と、タッグチーム「レッキング・クルー」の[[マーク・ロウリネイティス]](ターミネーター / フューリー)は実弟。
* 息子の[[ジェームズ・ロウリネイティス]](James Laurinaitis)<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/1721.html |title=父はロード・ウォリアーズ、LBロウリネイティス |publisher=NFL JAPAN |date=2009-02-22 |accessdate=2010-11-20}}</ref>は、[[オハイオ州立大学]]で[[アメリカンフットボール]]選手として活躍。ポジションはラインバッカー。大学時代は全米選抜に3度選ばれ、2年時には全米最優秀守備選手、1年時には全米最優秀LBの各賞をそれぞれ受賞という輝かしい経歴を持ち、[[2009年]]2月に[[NFL]]が開催した[[スカウティング・コンバイン]]に参加。同年4月25日にドラフト2巡目、全体35番目という高評価で[[セントルイス・ラムズ]]に指名され入団した。
* 息子の[[ジェームズ・ロウリネイティス]](James Laurinaitis)<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/1721.html |title=父はロード・ウォリアーズ、LBロウリネイティス |publisher=NFL JAPAN |date=2009-02-22 |accessdate=2010-11-20}}</ref>は、[[オハイオ州立大学]]で[[アメリカンフットボール]]選手として活躍。ポジションはラインバッカー。大学時代は全米選抜に3度選ばれ、2年時には全米最優秀守備選手、1年時には全米最優秀LBの各賞をそれぞれ受賞という輝かしい経歴を持ち、[[2009年]]2月に[[NFL]]が開催した[[スカウティング・コンバイン]]に参加。同年4月25日にドラフト2巡目、全体35番目という高評価で[[ロサンゼルス・ラムズ|セントルイス・ラムズ]]に指名され入団した。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2019年10月30日 (水) 11:58時点における版

ロード・ウォリアー・アニマル
プロフィール
リングネーム ロード・ウォリアー・アニマル
アニマル・ウォリアー
ザ・ロード・ウォリアー
ジョー・ローレン
本名 ジョセフ・マイケル・ロウリネイティス[1](ジョー・ロウリネイティス)
ニックネーム 暴走戦士
身長 189cm
体重 135kg(全盛時)
誕生日 (1960-01-26) 1960年1月26日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ペンシルベニア州の旗 ペンシルベニア州
フィラデルフィア郡フィラデルフィア
トレーナー エディ・シャーキー
デビュー 1982年11月[2]
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ロード・ウォリアー・アニマルRoad Warrior Animal)のリングネームで知られるジョー・ロウリネイティスJoe Laurinaitis、本名:Joseph Michael Laurinaitis[1]1960年1月26日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーペンシルベニア州フィラデルフィア出身。

ギミックの上ではイリノイ州シカゴ出身を自称し、ロード・ウォリアー・ホークとのタッグチームロード・ウォリアーズのメンバーとして活躍した。日本ではアニマル・ウォリアーAnimal Warrior)と呼ばれ、ジョニー・エースことジョン・ロウリネイティス、ザ・ターミネーターことマーク・ロウリネイティスの実兄としても知られる。息子は元NFL選手のジェームズ・ロウリネイティスである。

来歴

トレーナーのエディ・シャーキージョージア・チャンピオンシップ・レスリングブッカーだったオレイ・アンダーソンを紹介され、アンダーソンの斡旋により1982年11月にNWAジョージア地区にてデビュー[3]ザ・ロード・ウォリアーリングネームに、バイカーギミックヒールとしてノースカロライナジム・クロケット・プロモーションズにも出場したが芽が出ず[4]、ホームタウンのミネソタに帰郷後の1983年6月、幼馴染のマイク・ヘグストランドと共に再びジョージアに登場[5]。ヘグストランドはロード・ウォリアー・ホーク、自身はロード・ウォリアー・アニマルを名乗り、兄弟子でもあるポール・エラリングマネージャーに迎えたタッグチームロード・ウォリアーズリージョン・オブ・ドゥーム)として再デビューを果たす[6]。以降、日米の各団体を転戦し、各地で爆発的な人気を獲得した。

2002年全日本プロレス世界最強タッグ決定リーグ戦武藤敬司とのコンビで出場。優勝は逸したものの、ビッグネームとしての貫録を見せた。

2005年WWEと再契約してスマックダウンに所属。ハイデンライクと新生リージョン・オブ・ドゥームを結成し、同年7月28日にWWEタッグ王座を奪取した。2006年1月17日にハイデンライクが解雇された後はシングルプレイヤーとなり、ヒールのポジションでマット・ハーディーなどと抗争するが、同年6月26日に自身もWWEを離脱、以降はフリーとなった。

2007年、久々の来日が実現し、9月1日の健介office自主興行に出場。かつてホークとチームを組んでいたパワー・ウォリアーこと佐々木健介と「ヘル・ウォリアーズ」を結成し、ドゥームズデイ・デバイス(ダブル・インパクト)で勝利。

2011年、ホークとのロード・ウォリアーズとして、初代マネージャーのポール・エラリングと共にWWE殿堂に迎えられた。2012年7月20日放送のスマックダウンでは久々にリングに上がり、レジェンド達と連戦していたヒース・スレイターに勝利。翌週のRAW1000回記念放送にも、ボブ・バックランドロディ・パイパーサージェント・スローターシッド・ビシャスベイダーらレジェンド達と共に登場した。

ファミリー

参考文献

  • アニマル・ウォリアー、アンドリュー・ウィリアム・ライト『ロード・ウォリアーズ 破滅と絶頂』東邦出版、2011年。ISBN 4809409511 

得意技

獲得タイトル

WWF / WWE
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWA世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
  • NWA世界6人タッグ王座 : 3回(w / ロード・ウォリアー・ホーク&ダスティ・ローデス×2、ロード・ウォリアー・ホーク&天龍源一郎×1)
  • ジム・クロケットSr. メモリアル・カップ優勝:1986年(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
  • アイアンチーム・トーナメント優勝:1989年(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
アメリカン・レスリング・アソシエーション
全日本プロレス
インディー
  • i-ジェネレーション・タッグ王座 : 2回(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
  • IPWハードコア・タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・ホーク)
  • PCW世界タッグ王座 : 1回(w / ロード・ウォリアー・ホーク)

脚注

関連項目

外部リンク