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[[1989年のNFL|1989年]]のドラフト全体3位で[[バリー・サンダース]]を獲得した<ref name="ikushima">{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/column/8509.html |title=名声を捨てた「孤独なライオン」 バリー・サンダース |publisher=NFL JAPAN |author=[[生島淳]] |date=2009-05-13 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>。サンダースは、シーズンリーディングラッシャーにあと10ヤードの活躍を見せた。この年、ノーズタックルの[[ジェリー・ボール]]は73タックル、9サックをあげてプロボウルに選ばれた<ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history#/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history/page/5 |title=Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Jerry Ball, DL |publisher=bleacherreport.com |author=Chris Madden |date=2012-06-01 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>。
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[[1991年のNFL|1991年]]11月17日の[[セントルイス・ラムズ|ロサンゼルス・ラムズ]]戦でオフェンスラインの[[マイク・アトリー]]が試合中負傷し<ref>{{cite web|url=http://www.mikeutley.org/t-AboutUs-MikesBio.aspx?skinid=8&VM=_AboutUs |title=Mike's Biography |publisher=Mike Utley Foundations |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、半身不随となったが<ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history#/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history/page/10 |title=Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Mike Utley, OG |publisher=bleacherreport.com |author=Chris Madden |date=2012-06-01 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、これによりチームの団結力が高まり、1983年以来の[[NFC中地区]]優勝を果たした。プレーオフで[[ダラス・カウボーイズ]]に快勝したが[[NFCチャンピオンシップゲーム]]でシーズン開幕戦敵地で0-45と完封負けを喫した相手、[[ワシントン・レッドスキンズ]]に10-41で敗れ、初の[[スーパーボウル]]出場を逃している。[[1990年代]]には[[ランニングバック|RB]][[バリー・サンダース]]の活躍で6度のプレーオフ進出を果たした。
[[1991年のNFL|1991年]]11月17日の[[ロサンゼルス・ラムズ]]戦でオフェンスラインの[[マイク・アトリー]]が試合中負傷し<ref>{{cite web|url=http://www.mikeutley.org/t-AboutUs-MikesBio.aspx?skinid=8&VM=_AboutUs |title=Mike's Biography |publisher=Mike Utley Foundations |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、半身不随となったが<ref>{{cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history#/articles/1197593-detroit-lions-10-cult-heroes-in-team-history/page/10 |title=Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Mike Utley, OG |publisher=bleacherreport.com |author=Chris Madden |date=2012-06-01 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、これによりチームの団結力が高まり、1983年以来の[[NFC中地区]]優勝を果たした。プレーオフで[[ダラス・カウボーイズ]]に快勝したが[[NFCチャンピオンシップゲーム]]でシーズン開幕戦敵地で0-45と完封負けを喫した相手、[[ワシントン・レッドスキンズ]]に10-41で敗れ、初の[[スーパーボウル]]出場を逃している。[[1990年代]]には[[ランニングバック|RB]][[バリー・サンダース]]の活躍で6度のプレーオフ進出を果たした。


[[1998年のNFL|1998年]]シーズン終了後、契約を4年間残して、バリー・サンダースが引退した。引退後数年してからサンダースは負け癖に嫌気が差したことを理由としてあげた<ref name="ikushima"/>。
[[1998年のNFL|1998年]]シーズン終了後、契約を4年間残して、バリー・サンダースが引退した。引退後数年してからサンダースは負け癖に嫌気が差したことを理由としてあげた<ref name="ikushima"/>。
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2008年はその後も連敗を続け、史上初のシーズン16戦全敗を記録した。シーズン14試合制だった[[1976年のNFL|1976年]]に新規参入チームの[[タンパベイ・バッカニアーズ]]が全敗を記録しているが、16試合制になってからの全敗はライオンズが初めてだった。シーズン終了後、[[ロッド・マリネリ]]は解任され[[テネシー・タイタンズ]]のディフェンスコーディネーター、[[ジム・シュウォルツ]]が新ヘッドコーチ、[[スコット・リネハン]]がオフェンスコーディネーター、[[ガンサー・カニンガム]]がディフェンスコーディネーターとなった。
2008年はその後も連敗を続け、史上初のシーズン16戦全敗を記録した。シーズン14試合制だった[[1976年のNFL|1976年]]に新規参入チームの[[タンパベイ・バッカニアーズ]]が全敗を記録しているが、16試合制になってからの全敗はライオンズが初めてだった。シーズン終了後、[[ロッド・マリネリ]]は解任され[[テネシー・タイタンズ]]のディフェンスコーディネーター、[[ジム・シュウォルツ]]が新ヘッドコーチ、[[スコット・リネハン]]がオフェンスコーディネーター、[[ガンサー・カニンガム]]がディフェンスコーディネーターとなった。


[[2009年のNFL|2009年]]のドラフト全体1位指名権を得たチームはQBの[[マシュー・スタッフォード]]を指名6年7800万ドル(当時NFL史上最高の4170万ドルの保障つき)の契約を結んだ。当初はベテランQB[[ダンテ・カルペッパー]]の控えとして経験を積ませるのではという見方が有力であったが開幕直前にスタッフォードがエースQBに指名された<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/3567.html |title=全体1位QBスタッフォード、ライオンズの開幕QBに抜てき |publisher=NFL JAPAN |date=2009-09-08 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。開幕から[[ニューオーリンズ・セインツ]]、[[ミネソタ・バイキングス]]に連敗したが、9月27日、[[ワシントン・レッドスキンズ]]を19-14で破りチームの連敗を19で止めた。その後シーズン未勝利の[[セントルイス・ラムズ]]に敗れるなど、連敗を続け、第11週の[[クリーブランド・ブラウンズ]]戦で試合終了と同時に逆転TDが決まり38-37で2勝目をあげた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/10657.html |title=ライオンズQBスタッフォード、最優秀新人賞に初選出 |publisher=NFL JAPAN |date=2009-11-28 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>のみで2勝14敗でシーズンを終えた。
[[2009年のNFL|2009年]]のドラフト全体1位指名権を得たチームはQBの[[マシュー・スタッフォード]]を指名6年7800万ドル(当時NFL史上最高の4170万ドルの保障つき)の契約を結んだ。当初はベテランQB[[ダンテ・カルペッパー]]の控えとして経験を積ませるのではという見方が有力であったが開幕直前にスタッフォードがエースQBに指名された<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/3567.html |title=全体1位QBスタッフォード、ライオンズの開幕QBに抜てき |publisher=NFL JAPAN |date=2009-09-08 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。開幕から[[ニューオーリンズ・セインツ]]、[[ミネソタ・バイキングス]]に連敗したが、9月27日、[[ワシントン・レッドスキンズ]]を19-14で破りチームの連敗を19で止めた。その後シーズン未勝利の[[ロサンゼルス・ラムズ|セントルイス・ラムズ]]に敗れるなど、連敗を続け、第11週の[[クリーブランド・ブラウンズ]]戦で試合終了と同時に逆転TDが決まり38-37で2勝目をあげた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/10657.html |title=ライオンズQBスタッフォード、最優秀新人賞に初選出 |publisher=NFL JAPAN |date=2009-11-28 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>のみで2勝14敗でシーズンを終えた。


[[2010年のNFL|2010年]]には全体ドラフト2位で[[エンダムカン・スー]]を獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/15138.html |title=ライオンズ、全体2位指名DTスーと5年契約で合意 |publisher=NFL JAPAN |date=2010-08-04 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。開幕戦のシカゴ・ベアーズ戦で[[カルビン・ジョンソン]]がタッチダウンしたかに見えたプレーが判定によりボールを確保していないと判断されパス不成功に終わり、14-19で敗れた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/20021.html |title=2010年シーズン、大きな影響を与えた5試合 |publisher=NFL JAPAN |date=2011-02-23 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。この試合でスタッフォードが[[ジュリアス・ペパーズ]]にサックされた際、右肩を負傷<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/16050.html |title=ライオンズQBスタッフォードが右肩負傷、全治6週間か |publisher=NFL JAPAN |date=2010-09-13 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、第2週から[[ショーン・ヒル (アメリカンフットボール)|ショーン・ヒル]]が先発QBを務めた。スタッフォードは第7週まで欠場した<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/16882.html |title=【第8週プレビュー】ライオンズ、スタッフォード復帰で勝利なるか |publisher=NFL JAPAN |date=2010-10-29 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>。[[グリーンベイ]]での試合では1991年以来となる勝利が転がりかけたが終了間際にタッチダウンを奪われて負けた。しかし第14週の地元でのパッカーズ戦では2005年以来となる勝利をあげた。この年スタッフォードは故障がちでわずか3試合の出場にとどまり<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/20444.html |title=右肩手術のQBスタッフォードが投球練習を再開 |publisher=NFL JAPAN |date=2011-03-25 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、[[ドリュー・スタントン]]、[[ショーン・ヒル (アメリカンフットボール)|ショーン・ヒル]]の出場機会が多くなった。チームは6勝10敗でシーズンを終えた。この年スーは[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (NFL)|最優秀新人守備選手]]に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/22021.html |title=2011年シーズン、サプライズが期待できる5チーム |publisher=NFL JAPAN |author=ビッグ・カルーチ |date=2011-06-25 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。
[[2010年のNFL|2010年]]には全体ドラフト2位で[[エンダムカン・スー]]を獲得した<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/15138.html |title=ライオンズ、全体2位指名DTスーと5年契約で合意 |publisher=NFL JAPAN |date=2010-08-04 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。開幕戦のシカゴ・ベアーズ戦で[[カルビン・ジョンソン]]がタッチダウンしたかに見えたプレーが判定によりボールを確保していないと判断されパス不成功に終わり、14-19で敗れた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/20021.html |title=2010年シーズン、大きな影響を与えた5試合 |publisher=NFL JAPAN |date=2011-02-23 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。この試合でスタッフォードが[[ジュリアス・ペパーズ]]にサックされた際、右肩を負傷<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/16050.html |title=ライオンズQBスタッフォードが右肩負傷、全治6週間か |publisher=NFL JAPAN |date=2010-09-13 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、第2週から[[ショーン・ヒル (アメリカンフットボール)|ショーン・ヒル]]が先発QBを務めた。スタッフォードは第7週まで欠場した<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/16882.html |title=【第8週プレビュー】ライオンズ、スタッフォード復帰で勝利なるか |publisher=NFL JAPAN |date=2010-10-29 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>。[[グリーンベイ]]での試合では1991年以来となる勝利が転がりかけたが終了間際にタッチダウンを奪われて負けた。しかし第14週の地元でのパッカーズ戦では2005年以来となる勝利をあげた。この年スタッフォードは故障がちでわずか3試合の出場にとどまり<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/20444.html |title=右肩手術のQBスタッフォードが投球練習を再開 |publisher=NFL JAPAN |date=2011-03-25 |accessdate=2013-06-01 }}</ref>、[[ドリュー・スタントン]]、[[ショーン・ヒル (アメリカンフットボール)|ショーン・ヒル]]の出場機会が多くなった。チームは6勝10敗でシーズンを終えた。この年スーは[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (NFL)|最優秀新人守備選手]]に選ばれた<ref>{{cite web|url=http://www.nfljapan.com/headlines/22021.html |title=2011年シーズン、サプライズが期待できる5チーム |publisher=NFL JAPAN |author=ビッグ・カルーチ |date=2011-06-25 |accessdate=2011-12-25 }}</ref>。
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=== NFL西カンファレンス(1953年-1966年) ===
=== NFL西カンファレンス(1953年-1966年) ===
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=== NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年) ===
=== NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年) ===
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*括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝
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=== NFL西地区(1933年-1949年) ===
=== NFL西地区(1933年-1949年) ===
*1944年は、[[太平洋戦争]]の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。
*1944年は、[[太平洋戦争]]の影響により、スティーラーズとカージナルスが合同チームで西地区に参加した。
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2019年10月30日 (水) 12:00時点における版

デトロイト・ライオンズ
Detroit Lions
創設 1930
所属地区
  • NFL(1930-現在)
  • NFC(1970-現在)
北地区(2002-現在)
中地区(1970-2001)
  • 西カンファレンス(1953-1969)
中地区(1967-1969)
地区分けなし(1953-1966)
  • ナショナル・カンファレンス(1950-1952)
  • 西地区(1933-1949)
  • 地区分けなし(1930-1932)
  • 独立チーム(1929)
チームデザイン
チームロゴ
水色のライオンシルエット
チームカラー
  ホノルルブルー
  シルバー
ユニフォーム
{{{ユニフォーム}}}
ホームタウン
デトロイト・ライオンズの位置(アメリカ合衆国内)
デトロイト・ライオンズ

ミシガン州デトロイト


フォード・フィールド
(2002-)
ポンティアック・シルバードーム
(1975年 - 2001年)
タイガー・スタジアム
(1935年 - 1974年)[1]

永久欠番
獲得タイトル
スーパーボウル創設(1966年)以降
スーパーボウル・チャンピオン (0回)
カンファレンス・チャンピオン (0回)
NFC
地区優勝 (3回)
NFC中地区
  • 1983
  • 1991
  • 1993
ワイルドカード(8回)
  • 1970
  • 1994
  • 1995
  • 1997
  • 1999
  • 2011
  • 2014
  • 2016
プレーオフ進出(12/58回)
  • 1970
  • 1982
  • 1983
  • 1991
  • 1993
  • 1994
  • 1995
  • 1997
  • 1999
  • 2011
  • 2014
  • 2016
AFL合併(1969年)以前
NFLチャンピオン
  • 1935
  • 1952
  • 1953
  • 1957
カンファレンス・チャンピオン
NFLナショナル
  • 1952
NFL西
  • 1953
  • 1954
  • 1957
地区優勝
NFL西地区
  • 1935
ワイルドカード
  • 1952
  • 1953
  • 1954
  • 1957
球団組織
オーナー マーサ・ファイアストーン・フォード
GM ボブ・クイン
ヘッドコーチ マット・パトリシア

デトロイト・ライオンズ英語: Detroit Lions、略称: DET)は、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本拠地をおくNFLチーム。NFC北地区に所属している。NFCで唯一スーパーボウルの出場経験がない。

概要

チーム名の由来は、同じデトロイトが本拠地であるMLBデトロイト・タイガース(「タイガー」=虎)に対抗してライオンにしたと言われている。また、1934年から第二次世界大戦による中断をはさみサンクスギビングデーに長年ゲームを行っている。

歴史

1929年、オハイオ州ポーツマスを本拠地にポーツマス・スパルタンズとして創設。1年間の独立チームとしての経験を経て1930年にNFL入りを果たした。1932年にはディフェンディングチャンピオンのグリーンベイ・パッカーズに19-0で勝利した。このゲームを通してライオンズは11人の選手しか起用しなかった。シーズンを6勝1敗4分で終えたチームは6勝1敗6分のシカゴ・ベアーズとその年のプレーオフで対戦することとなった。試合が行われたシカゴブリザードが吹き荒れて試合会場はリグレー・フィールドから屋内競技場であり両エンドゾーン間が80ヤードしかないシカゴ・スタジアムに変更された。この試合は0-9でスパルタンズが敗れた。1934年、スパルタンズはデトロイトのラジオ局のオーナーであるジョージ・リチャーズに売却され本拠地もデトロイトに移転した。リチャーズは新チーム名をデトロイト・ライオンズと名づけた。リチャーズはサンクスギビングデーに試合を行うことを決定しこれは第二次世界大戦中の数シーズンを除き現在もライオンズで引き継がれている。1935年にはQBダッチ・クラークのもと、チームは初のNFLチャンピオンとなった。

1950年代にはQBボビー・レーンを擁してチームは黄金期を迎えた。チームは1952年、1953年、1957年と3度ともクリーブランド・ブラウンズを破りNFLチャンピオンとなった[2]。またブラウンズに敗れたが1954年にもNFLチャンピオンシップゲームへの出場を果たした。

1957年のプレーオフ、サンフランシスコ・フォーティナイナーズとの試合では第3Qに7-27とリードされたところからQBのトビン・ロートはチームを引っ張り24点をあげて31-27と大逆転を果たした[3]。ライオンズはその後NFLチャンピオンシップゲームでクリーブランド・ブラウンズに59-14と圧勝した。この試合後、1991年シーズンのダラス・カウボーイズとのプレーオフまでライオンズはポストシーズンの勝利から見放されることとなった。

1958年10月6日、チームは前年のチャンピオンシップゲームで負傷していたボビー・レーンをピッツバーグ・スティーラーズにトレードした。レーンはこれでライオンズがこの先50年優勝することはないだろうと言い残してチームを去った。これはボビー・レーンの呪いと言われた。その後50年間でライオンズがプレーオフに出場したのは9回、地区優勝は3回だけであり、プレーオフで勝ったのは1958年だけであった[2]

チームはその後長期低迷し1960年にプレーオフ出場0回、1970年代もプレーオフ出場はわずか1回であった。

1963年に現オーナーのウィリー・クレイ・フォードによってチームは買収された。彼のチーム買収以降の50シーズンでプレーオフではわずか1勝しかあげることができていない。

1963年、アレックス・カラスが1年間の出場停止処分を受けた[4]

1967年のドラフト1巡7位で獲得したRBメル・ファーは、その年の新人王に選ばれた[5]

1970年、デュエットパートナーのタミ・テレルを亡くしたソウルシンガーのマーヴィン・ゲイがライオンズ入りを目指してトライアウトに参加した。彼はすぐにカットされたがメル・ファーレン・バーニーら多くの選手と友人となったゲイはバックコーラスに選手たちを起用して「ホワッツ・ゴーイン・オン」を1971年リリースした。

1970年のプレーオフ、ダラス・カウボーイズ戦はディフェンス勝負の末、0-5で敗れた。1971年から1978年までは地区2位か3位の平凡な成績が続き、1979年には2勝14敗に終わった。この間、1974年11月18日のサンクスギビングデーの試合を最後にチームはタイガー・スタジアムを離れてポンティアック・シルバードームに移った。

1970年代、当時現在とは異なり、タイトエンドにレシーブ能力が求められていない時代、チームに所属したチャーリー・サンダースはブロックだけでなく、パスターゲットとしても活躍した。2007年に彼はプロフットボール殿堂入りを果たした。彼はヘアスタイルとフー・マンチューのようなヒゲでも人気者であった[6]

1980年、ドラフト全体1位でハイズマン賞受賞者のビリー・シムズを獲得した[7]

エースQBのゲイリー・ダニエルソンが負傷、第2QBのジェフ・コムロも結果を出せなかったことから、エリック・ヒップルが先発QBとなった[8]

1981年10月19日のシカゴ・ベアーズとのマンデーナイトフットボールで、ヒップルはレナード・トンプソンへ94ヤードのTDパスを成功させた[9]

1982年1983年には連続してプレーオフ出場を果たした。しかし1984年にシムズがひざを負傷してわずか5シーズンで引退を余儀なくされると[7]、チーム成績は下降し、負け越しシーズンが続いた。

1989年のドラフト全体3位でバリー・サンダースを獲得した[10]。サンダースは、シーズンリーディングラッシャーにあと10ヤードの活躍を見せた。この年、ノーズタックルのジェリー・ボールは73タックル、9サックをあげてプロボウルに選ばれた[11]

1991年11月17日のロサンゼルス・ラムズ戦でオフェンスラインのマイク・アトリーが試合中負傷し[12]、半身不随となったが[13]、これによりチームの団結力が高まり、1983年以来のNFC中地区優勝を果たした。プレーオフでダラス・カウボーイズに快勝したがNFCチャンピオンシップゲームでシーズン開幕戦敵地で0-45と完封負けを喫した相手、ワシントン・レッドスキンズに10-41で敗れ、初のスーパーボウル出場を逃している。1990年代にはRBバリー・サンダースの活躍で6度のプレーオフ進出を果たした。

1998年シーズン終了後、契約を4年間残して、バリー・サンダースが引退した。引退後数年してからサンダースは負け癖に嫌気が差したことを理由としてあげた[10]

"FIRE MILLEN!!!(ミレンをクビにしろ!)"(2005年)
ミレンを解雇するな!(ライバルのグリーンベイ・パッカーズのファン)

しかし、2001年マット・ミレンMatt Millen)がCEO(事実上のGM)に就任してから成績は下降し始めた。2001年から2003年にかけてロードゲーム24連敗を記録。ドラフト上位指名権を得るものの2002年全体3番目に指名したQBジョーイ・ハリントンなど[14]、失敗を繰り返し、ファンから「Fire Millen」をスローガンに解任運動が起こるほどだった。2008年シーズン、開幕から3連敗を喫し、ミレンは解任された。在任中の通算成績は31勝84敗だった。

2008年はその後も連敗を続け、史上初のシーズン16戦全敗を記録した。シーズン14試合制だった1976年に新規参入チームのタンパベイ・バッカニアーズが全敗を記録しているが、16試合制になってからの全敗はライオンズが初めてだった。シーズン終了後、ロッド・マリネリは解任されテネシー・タイタンズのディフェンスコーディネーター、ジム・シュウォルツが新ヘッドコーチ、スコット・リネハンがオフェンスコーディネーター、ガンサー・カニンガムがディフェンスコーディネーターとなった。

2009年のドラフト全体1位指名権を得たチームはQBのマシュー・スタッフォードを指名6年7800万ドル(当時NFL史上最高の4170万ドルの保障つき)の契約を結んだ。当初はベテランQBダンテ・カルペッパーの控えとして経験を積ませるのではという見方が有力であったが開幕直前にスタッフォードがエースQBに指名された[15]。開幕からニューオーリンズ・セインツミネソタ・バイキングスに連敗したが、9月27日、ワシントン・レッドスキンズを19-14で破りチームの連敗を19で止めた。その後シーズン未勝利のセントルイス・ラムズに敗れるなど、連敗を続け、第11週のクリーブランド・ブラウンズ戦で試合終了と同時に逆転TDが決まり38-37で2勝目をあげた[16]のみで2勝14敗でシーズンを終えた。

2010年には全体ドラフト2位でエンダムカン・スーを獲得した[17]。開幕戦のシカゴ・ベアーズ戦でカルビン・ジョンソンがタッチダウンしたかに見えたプレーが判定によりボールを確保していないと判断されパス不成功に終わり、14-19で敗れた[18]。この試合でスタッフォードがジュリアス・ペパーズにサックされた際、右肩を負傷[19]、第2週からショーン・ヒルが先発QBを務めた。スタッフォードは第7週まで欠場した[20]グリーンベイでの試合では1991年以来となる勝利が転がりかけたが終了間際にタッチダウンを奪われて負けた。しかし第14週の地元でのパッカーズ戦では2005年以来となる勝利をあげた。この年スタッフォードは故障がちでわずか3試合の出場にとどまり[21]ドリュー・スタントンショーン・ヒルの出場機会が多くなった。チームは6勝10敗でシーズンを終えた。この年スーは最優秀新人守備選手に選ばれた[22]

2011年、第2週のカンザスシティ・チーフス戦ではチーム記録の48得点(それまでの記録は1995年の45点)をあげるなど、開幕からスタッフォードとジョンソンとのホットラインなどの活躍で、1956年以来となる5連勝を果たした[23]。その後は、RBジャービッド・ベスト脳震盪によりシーズン絶望[24]、スーが相手選手をふみつけて2試合出場停止になるなどし、7試合中5試合で敗れたが[25]、第16週のサンディエゴ・チャージャーズ戦に勝利し1999年以来となるプレーオフ出場を果たした[26][27]

2012年、シーズン開幕前、カルビン・ジョンソンがマッデンNFLのカバーアスリートに選ばれた[28]。この年、ミネソタ・バイキングスが1981年に作った709回を更新する740回(1試合あたり46.25回)のパスプレーを選択した。12月22日のアトランタ・ファルコンズ戦で、ジョンソンはジェリー・ライスのシーズンレシーブヤード記録を更新、最終週のシカゴ・ベアーズ戦では72ヤードのレシーブで終え、1,964ヤードと2,000ヤードレシーブにあと36ヤードでシーズンを終えた。チームはシーズン最後に8連敗し、4勝12敗でシーズンを終えた[29]

2013年、バリー・サンダースがマッデンNFLのカバーアスリートに選ばれた。レジー・ブッシュが自身のキャリア最高の成績を残し、ラン1000ヤード、レシーブ500ヤードを記録した。この年シーズン最後の7試合で6敗し、7勝9敗でプレーオフを逃すと、シーズン終了後、シュウォルツヘッドコーチは解任された[30]。2014年シーズンからはジム・コールドウェルがHCに就任し、QBスタフォードを擁して2014年2016年とワイルドカードでプレーオフ進出を果たすがいずれも初戦敗退。2017年は地区二位となったがプレーオフを逃してコールドウェルは解任された。後任にはニューイングランド・ペイトリオッツのオフェンシブ・コーディネーターだったマット・パトリシアが就任した。だが2018年は地区最下位となり、二年連続してプレーオフを逃した。

2024年シーズン

2024年シーズンのライオンズの対戦相手
AFC NFC
前年 西地区 南地区 北地区 東地区 西地区 南地区 北地区 東地区
1位 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2位 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3位 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4位 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1度対戦  :2度対戦

2023年シーズン及び過去10シーズンの成績
成績 地区 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点
2023 カンファレンス敗退 1位(3) 12 5 0 .706 4–2 8–4 461 395 27.1 23.2
2022 レギュラー敗退 2位 9 8 0 .529 5-1 7-5 453 427 26.6 25.1
2021 レギュラー敗退 4位 3 13 1 .206 2-4 3-9 325 467 19.1 27.5
2020 レギュラー敗退 4位 5 11 0 .313 1-5 4-8 377 519 23.6 32.4
2019 レギュラー敗退 4位 3 12 1 .219 0-6 2-10 341 423 21.3 26.4
2018 レギュラー敗退 4位 6 10 0 .375 2-4 4-8 324 360 20.3 22.5
2017 レギュラー敗退 2位 9 7 0 .563 5-1 8-4 410 376 25.6 23.5
2016 ワイルドカード敗退 2位(6) 9 7 0 .563 3-3 7-5 346 358 21.6 22.4
2015 レギュラー敗退 3位 7 9 0 .438 3-3 6-6 358 400 22.4 25.0
2014 ワイルドカード敗退 2位(6) 11 5 0 .688 5-1 9-3 321 282 20.1 17.6
2013 レギュラー敗退 3位 7 9 0 .438 4-2 6-6 395 376 24.7 23.5

()内はシード順

2023年シーズン成績

NFC北地区 2023
チーム 勝率 Div Con 総得点 総失点 平均得点 平均失点 得失差
(3)デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 461 395 27.1 23.2 3.9
(7)グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 383 350 22.5 20.6 1.9
ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 344 362 20.2 21.3 -1.1
シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 360 379 21.2 22.3 -1.1
NFC 2023

チーム
勝率 DIV CON SOS SOV
地区優勝
1[a] サンフランシスコ・49ers 西 12 5 0 .706 5–1 10–2 .509 .475
2[a] ダラス・カウボーイズ 12 5 0 .706 5–1 9–3 .446 .392
3[a] デトロイト・ライオンズ 12 5 0 .706 4–2 8–4 .481 .436
4[b] タンパベイ・バッカニアーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .481 .379
ワイルドカード
5 フィラデルフィア・イーグルス 11 6 0 .647 4–2 7–5 .481 .476
6 ロサンゼルス・ラムズ 西 10 7 0 .588 5–1 8–4 .529 .453
7[c][d] グリーンベイ・パッカーズ 9 8 0 .529 4–2 7–5 .474 .458
レギュラーシーズン敗退
8[c][d] シアトル・シーホークス 西 9 8 0 .529 2–4 7–5 .512 .392
9[b][c] ニューオーリンズ・セインツ 9 8 0 .529 4–2 6–6 .433 .340
10 ミネソタ・バイキングス 7 10 0 .412 2–4 6–6 .509 .454
11 シカゴ・ベアーズ 7 10 0 .412 2–4 6–6 .464 .370
12 アトランタ・ファルコンズ 7 10 0 .412 3–3 4–8 .429 .462
13 ニューヨーク・ジャイアンツ 6 11 0 .353 3–3 5–7 .512 .353
14 ワシントン・コマンダース 4 13 0 .235 0–6 2–10 .512 .338
15 アリゾナ・カージナルス 西 4 13 0 .235 0–6 3–9 .561 .588
16 カロライナ・パンサーズ 2 15 0 .118 1–5 1–11 .522 .500
タイブレーク
  1. ^ a b c カンファレンス勝率で1位が49ers、2位がカウボーイズ、3位がライオンズ
  2. ^ a b 共通の対戦相手における勝率でバッカニアーズがセインツを上回り、地区優勝
  3. ^ a b c カンファレンス勝率でセインツがパッカーズ・シーホークスを下回り、9位確定
  4. ^ a b 勝利した相手の勝率でパッカーズがシーホークスを上回る
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2024年1月15日
レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1月21日
フォード・フィールド
    1月28日
リーバイス・スタジアム
    2月11日
アレジアント・スタジアム
 5  イーグルス  9
 4  バッカニアーズ  32  
2024年1月14日
フォード・フィールド
 4  バッカニアーズ  23
   3  ライオンズ  31  
 6  ラムズ  23 NFC
 3  ライオンズ  24   1月20日
リーバイス・スタジアム
2024年1月14日
AT&Tスタジアム
 3  ライオンズ  31
   1  49ers  34  
NFCチャンピオンシップ
1月28日
M&Tバンク・スタジアム
 7  パッカーズ  48
 7  パッカーズ  21
 2  カウボーイズ  32    
 1  49ers  24  
2024年1月13日
アローヘッド・スタジアム
1月21日
ハイマーク・スタジアム
 N1  49ers  22
   A3  チーフス  25
 6  ドルフィンズ  7 第58回スーパーボウル
 3  チーフス  26  
2024年1月15日
ハイマーク・スタジアム
 3  チーフス  27
   2  ビルズ  24  
 7  スティーラーズ  17 AFC
 2  ビルズ  31   1月20日
M&Tバンク・スタジアム
2024年1月13日
NRGスタジアム
 3  チーフス  17
   1  レイブンズ  10  
AFCチャンピオンシップ
 5  ブラウンズ  14
 4  テキサンズ  10
 4  テキサンズ  45    
 1  レイブンズ  34  
  • 対戦カードはレギュラーシーズン成績に基づくシード順で決定され、上位シードチームのホームで対戦する。そのラウンドに残ったチームの内の最上位シードが最下位シードと対戦するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦カードはワイルドカードの結果により変動する。
  • スーパーボウル開催地は事前にオーナー会議で決定。その他の試合はシード上位のチームのホームで開催する。
  • チーム名の左の数字はシード順。
  • * 延長戦決着
  • 日付はアメリカ東部時間

歴代成績

歴代ヘッドコーチ

主な所属選手

永久欠番

成績

NFC北地区(2002年-現在)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
2023 DET(3c) 12 5 0 GB (7d) 9 8 0 MIN 7 10 0 CHI 7 10 0
2022 MIN(3w) 13 4 0 DET 9 8 0 GB 8 9 0 CHI 3 14 0
2021 GB (1d) 13 4 0 MIN 8 9 0 CHI 6 11 0 DET 3 13 1
2020 GB (1c) 13 3 0 CHI(7w) 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 5 11 0
2019 GB (2c) 13 3 0 MIN(6d) 10 6 0 CHI 8 8 0 DET 3 12 1
2018 CHI(3w) 12 4 0 MIN 8 7 1 GB 6 9 1 DET 6 10 0
2017 MIN(2c) 13 3 0 DET 9 7 0 GB 7 9 0 CHI 5 11 0
2016 GB (4c) 10 6 0 DET(6w) 9 7 0 MIN 8 8 0 CHI 3 13 0
2015 MIN(3w) 11 5 0 GB (5d) 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0
2014 GB (2c) 12 4 0 DET(6w) 11 5 0 MIN 7 9 0 CHI 5 11 0
2013 GB (4w) 8 7 1 CHI 8 8 0 DET 7 9 0 MIN 5 10 1
2012 GB (3d) 11 5 0 MIN(6w) 10 6 0 CHI 10 6 0 DET 4 12 0
2011 GB (1d) 15 1 0 DET(6w) 10 6 0 CHI 8 8 0 MIN 3 13 0
2010 CHI(2c) 11 5 0 GB (6v) 10 6 0 DET 6 10 0 MIN 6 10 0
2009 MIN(2c) 12 4 0 GB (5w) 11 5 0 CHI 7 9 0 DET 2 14 0
2008 MIN(3w) 10 6 0 CHI 9 7 0 GB 6 10 0 DET 0 16 0
2007 GB (2c) 13 3 0 MIN 8 8 0 DET 7 9 0 CHI 7 9 0
2006 CHI(1s) 13 3 0 GB 8 8 0 MIN 6 10 0 DET 3 13 0
2005 CHI(2d) 11 5 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0
2004 GB (3w) 10 6 0 MIN(6d) 8 8 0 DET 6 10 0 CHI 5 11 0
2003 GB (4d) 10 6 0 MIN 9 7 0 CHI 7 9 0 DET 5 11 0
2002 GB (3w) 12 4 0 MIN 6 10 0 CHI 4 12 0 DET 3 13 0

NFC中地区(1970年-2001年)

  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。
  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム
2001 CHI(2d) 13 3 0 GB(4d) 12 4 0 TB(6w) 9 7 0 MIN 5 11 0 DET 2 14 0
2000 MIN(2c) 11 5 0 TB(5w) 10 6 0 GB 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 5 11 0
1999 TB(2c) 11 5 0 MIN(4d) 10 6 0 DET(6w) 8 8 0 GB 8 8 0 CHI 6 10 0
1998 MIN(1c) 15 1 0 GB(5w) 11 5 0 TB 8 8 0 DET 5 11 0 CHI 4 12 0
1997 GB(2s) 13 3 0 TB(4d) 10 6 0 DET(5w) 9 7 0 MIN(6d) 9 7 0 CHI 4 12 0
1996 GB(1v) 13 3 0 MIN(6w) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 6 10 0 DET 5 11 0
1995 GB(3c) 11 5 0 DET(5w) 10 6 0 CHI 9 7 0 MIN 8 8 0 TB 7 9 0
1994 MIN(3w) 10 6 0 GB(4d) 9 7 0 DET(5w) 9 7 0 CHI(6d) 9 7 0 TB 6 10 0
1993 DET(3w) 10 6 0 MIN(5w) 9 7 0 GB(6d) 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1992 MIN(3w) 11 5 0 GB 9 7 0 TB 5 11 0 CHI 5 11 0 DET 5 11 0
1991 DET(2c) 12 4 0 CHI(4w) 11 5 0 MIN 8 8 0 GB 4 12 0 TB 3 13 0
1990 CHI(4d) 11 5 0 TB 6 10 0 DET 6 10 0 GB 6 10 0 MIN 6 10 0
1989 MIN(3d) 10 6 0 GB 10 6 0 DET 7 9 0 CHI 6 10 0 TB 5 11 0
1988 CHI(1c) 12 4 0 MIN(4d) 11 5 0 TB 5 11 0 DET 4 12 0 GB 4 12 0
1987 CHI(2d) 11 4 0 MIN(5c) 8 7 0 GB 5 9 1 TB 4 11 0 DET 4 11 0
1986 CHI(2d) 14 2 0 MIN 9 7 0 DET 5 11 0 GB 4 12 0 TB 2 14 0
1985 CHI(1v) 15 1 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 DET 7 9 0 TB 2 14 0
1984 CHI(3c) 10 6 0 GB 8 8 0 TB 6 10 0 DET 4 11 1 MIN 3 13 0
1983 DET(3d) 9 7 0 GB 8 8 0 CHI 8 8 0 MIN 8 8 0 TB 2 14 0
1982 GB(3d) 5 3 1 MIN(4d) 5 4 0 TB(7w) 5 4 0 DET(8w) 4 5 0 CHI 3 6 0
1981 TB(3d) 9 7 0 DET 8 8 0 GB 8 8 0 MIN 7 9 0 CHI 6 10 0
1980 MIN(3d) 9 7 0 DET 9 7 0 CHI 7 9 0 TB 5 10 1 GB 5 10 1
1979 TB(2c) 10 6 0 CHI(5w) 10 6 0 MIN 7 9 0 GB 5 11 0 DET 2 14 0
1978 MIN(3d) 8 7 1 GB 8 7 1 DET 7 9 0 CHI 7 9 0 TB 5 11 0
1977 MIN(3c) 9 5 0 CHI(4d) 9 5 0 DET 6 8 0 GB 4 10 0 TB 2 12 0
1976 MIN(1s) 11 2 0 CHI 7 7 0 DET 6 8 0 GB 5 9 0
1975 MIN(1d) 12 2 0 DET 7 7 0 CHI 4 10 0 GB 4 10 0
1974 MIN(s) 10 4 0 DET 7 7 0 GB 6 8 0 CHI 4 10 0
1973 MIN(s) 12 2 0 DET 6 7 1 GB 5 7 2 CHI 3 11 0
1972 GB(d) 10 4 0 DET 8 5 1 MIN 7 7 0 CHI 4 9 1
1971 MIN(d) 11 3 0 DET 7 6 1 CHI 6 8 0 GB 4 8 2
1970 MIN(d) 12 2 0 DET(d) 10 4 0 GB 6 8 0 CHI 6 8 0

NFL西カンファレンス・中地区(1967年-1969年)

地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム
1969 MIN(s) 12 2 0 DET 9 4 1 GB 8 6 0 CHI 1 13 0
1968 MIN(c) 8 6 0 CHI 7 7 0 GB 6 7 1 DET 4 8 2
1967 GB(v) 9 4 1 CHI 7 6 1 DET 5 7 2 MIN 3 8 3

NFL西カンファレンス(1953年-1966年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1966 GB(V) 12 2 0 BAL 9 5 0 LA 8 6 0 SF 6 6 2 CHI 5 7 2 DET 4 9 1 MIN 4 9 1
スーパーボウル開始
1965 GB(v) 10 3 1 BAL 10 3 1 CHI 9 5 0 SF 7 6 1 MIN 7 7 0 DET 6 7 1 LA 4 10 0
1964 BAL(n) 12 2 0 GB 8 5 1 MIN 8 5 1 DET 7 5 2 LA 5 7 2 CHI 5 9 0 SF 4 10 0
1963 CHI(v) 11 1 2 GB 11 2 1 BAL 8 6 0 DET 5 8 1 MIN 5 8 1 LA 5 9 0 SF 2 12 0
1962 GB(v) 13 1 0 DET 11 3 0 CHI 9 5 0 BAL 7 7 0 SF 6 8 0 MIN 2 11 1 LA 1 12 1
1961 GB(v) 11 3 0 DET 6 7 1 BAL 8 6 0 CHI 8 6 0 SF 7 6 1 LA 4 10 0 MIN 3 11 0
1960 GB(n) 8 4 0 DET 7 5 0 SF 7 5 0 BAL 6 6 0 CHI 5 6 1 LA 4 7 1 DAL 0 11 1
1959 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 7 5 0 SF 7 5 0 DET 3 8 1 LA 2 10 0
1958 BAL(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 LA 8 4 0 SF 6 6 0 DET 4 7 1 GB 1 10 1
1957 DET(v) 8 4 0 SF 8 4 0 BAL 7 5 0 LA 6 6 0 CHB 5 7 0 GB 3 9 0
1956 CHB(n) 9 2 1 DET 9 3 0 SF 5 6 1 BAL 5 7 0 GB 4 8 0 LA 4 8 0
1955 LA(n) 8 3 1 CHB 8 4 0 GB 6 6 0 BAL 5 6 1 SF 4 8 0 DET 3 9 0
1954 DET(n) 9 2 1 CHB 8 4 0 SF 7 4 1 LA 6 5 1 GB 4 8 0 BAL 3 9 0
1953 DET(v) 10 2 0 SF 9 3 0 LA 8 3 1 CHB 3 8 1 BAL 3 9 0 GB 2 9 1

NFLナショナル・カンファレンス(1950年-1952年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1952 DET(v) 9 3 0 LA 9 3 0 SF 7 5 0 GB 6 6 0 CHB 5 7 0 DAL 1 11 0
1951 LA(v) 8 4 0 DET 7 4 1 SF 7 4 1 CHB 7 5 0 GB 3 9 0 NYY 1 9 2
1950 LA(n) 9 3 x CHB 9 3 x NYY 7 5 x DET 6 6 x GB 3 9 x SF 3 9 x BAL 1 11 x

NFL西地区(1933年-1949年)

優勝 2位 3位 4位 5位 6位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム
1949 LA(n) 8 2 2 CHB 9 3 0 CHC 6 5 1 DET 4 8 0 GB 2 10 0
1948 CHC(n) 11 1 0 CHB 10 2 0 LA 6 5 1 GB 3 9 0 DET 2 10 0
1947 CHC(v) 9 3 0 CHB 8 4 0 GB 6 5 1 LA 6 6 0 DET 3 9 0
1946 CHB(v) 8 2 1 LA 6 4 1 GB 6 5 0 CHC 6 5 0 DET 1 10 0
1945 CLE(v) 9 1 0 DET 7 3 0 GB 6 4 0 CHB 3 7 0 CHC 1 9 0
1944 GB(v) 8 2 0 CHI 6 3 1 DET 6 3 1 CLE 4 6 0 Card-Pitt 0 10 0
1943 CHB(v) 8 1 1 GB 7 2 1 DET 3 6 1 CHC 0 10 0
1942 CHB(n) 11 0 0 GB 8 2 1 CLE 5 6 0 CHC 3 8 0 DET 0 11 0
1941 CHB(v) 10 1 0 GB 10 1 0 DET 4 6 1 CHC 3 7 1 CLE 2 9 0
1940 CHB(v) 8 3 0 GB 6 4 1 DET 5 5 1 CLE 4 6 1 CHC 2 7 2
1939 GB(v) 9 2 0 CHB 8 3 0 DET 6 5 0 CLE 5 5 1 CHC 1 10 0
1938 GB(n) 8 3 0 DET 7 4 0 CHB 6 5 0 CLE 4 7 0 CHC 2 9 0
1937 CHB(n) 9 1 1 GB 7 4 0 DET 7 4 0 CHC 5 5 1 CLE 1 10 0
1936 GB(v) 10 1 1 CHB 9 3 0 DET 8 4 0 CHC 2 8 1
1935 DET(v) 7 3 2 GB 8 4 0 CHB 6 4 2 CHC 6 4 2
1934 CHB(n) 13 0 0 DET 10 3 0 GB 7 6 0 CHC 5 6 0 StL 1 2 0 CIN 0 8 0
1933 CHB(v) 10 2 1 POR 6 5 0 GB 5 7 1 CIN 3 6 1 CHC 1 9 1

NFL(1921年-1932年)





チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
チーム
1932 8 1 CHB 7 1 6 2 GB 10 3 1 3 POR 6 2 4 4 BOS 4 4 2 5 NY 4 6 2 7 CHC 2 6 2
1931 10 1 GB 12 2 0 2 POR 11 3 0 3 CHB 8 5 0 4 CHC 5 4 0 5 NY 7 6 1
1930 11 1 GB 10 3 1 2 NY 13 4 0 3 CHB 9 4 1 7 CHC 5 6 2 8 POR 5 6 3

脚注

  1. ^ 1935年から1937年はネビン・フィールド、1938年から1960年はブリッグス・スタジアムと呼ばれた。
  2. ^ a b Keith Shelton (2008年10月8日). “Detroit Lions: The Curse of Bobby Layne Expires!”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  3. ^ ビデオ 伝説の名勝負ベスト15 大逆転!NFL Number VIDEO ISBN 4-16-911614-3
  4. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Alex Karras, DL”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  5. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Mel Farr, RB”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  6. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Charlie Sanders, TE”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  7. ^ a b Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Billy Sims, RB”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  8. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Eric Hipple, QB”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  9. ^ MNF History: 1981”. ABC (2002年8月29日). 2013年6月1日閲覧。
  10. ^ a b 生島淳 (2009年5月13日). “名声を捨てた「孤独なライオン」 バリー・サンダース”. NFL JAPAN. 2013年6月1日閲覧。
  11. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Jerry Ball, DL”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  12. ^ Mike's Biography”. Mike Utley Foundations. 2013年6月1日閲覧。
  13. ^ Chris Madden (2012年6月1日). “Detroit Lions: 10 Cult Heroes in Team History Mike Utley, OG”. bleacherreport.com. 2013年6月1日閲覧。
  14. ^ QBスタッフォード指名は? 過去の失敗に悩むライオンズ”. NFL JAPAN (2009年3月22日). 2011年8月28日閲覧。
  15. ^ 全体1位QBスタッフォード、ライオンズの開幕QBに抜てき”. NFL JAPAN (2009年9月8日). 2011年12月25日閲覧。
  16. ^ ライオンズQBスタッフォード、最優秀新人賞に初選出”. NFL JAPAN (2009年11月28日). 2011年12月25日閲覧。
  17. ^ ライオンズ、全体2位指名DTスーと5年契約で合意”. NFL JAPAN (2010年8月4日). 2011年12月25日閲覧。
  18. ^ 2010年シーズン、大きな影響を与えた5試合”. NFL JAPAN (2011年2月23日). 2011年12月25日閲覧。
  19. ^ ライオンズQBスタッフォードが右肩負傷、全治6週間か”. NFL JAPAN (2010年9月13日). 2013年6月1日閲覧。
  20. ^ 【第8週プレビュー】ライオンズ、スタッフォード復帰で勝利なるか”. NFL JAPAN (2010年10月29日). 2013年6月1日閲覧。
  21. ^ 右肩手術のQBスタッフォードが投球練習を再開”. NFL JAPAN (2011年3月25日). 2013年6月1日閲覧。
  22. ^ ビッグ・カルーチ (2011年6月25日). “2011年シーズン、サプライズが期待できる5チーム”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。
  23. ^ 大観衆が5連勝を後押し、ライオンズQBも「しびれた」”. NFL JAPAN (2011年10月11日). 2011年12月25日閲覧。
  24. ^ 脳振とう回復せず、ライオンズRBベストが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年11月26日). 2011年12月25日閲覧。
  25. ^ 【第14週プレビュー】背水ライオンズ、取りこぼし厳禁の一戦”. NFL JAPAN (2011年12月8日). 2011年12月25日閲覧。
  26. ^ ライオンズ快勝、99年以来のプレイオフ進出決定”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
  27. ^ 「ベテランのために」若手が奮起、歓喜に沸くライオンズ”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。
  28. ^ マッデン最新作カバーにメガトロン、ニュートン下す”. NFL JAPAN (2012年4月26日). 2013年6月1日閲覧。
  29. ^ Noah Trister (2012年12月30日). “Bears Beat Lions 26-24 But Miss Playoffs”. ハフィントン・ポスト. 2013年6月1日閲覧。
  30. ^ 終盤失速のライオンズ、シュワルツHCを解任”. NFL JAPAN (2013年12月31日). 2014年1月1日閲覧。

外部リンク