「パトリック・エムボマ」の版間の差分
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2020年2月4日 (火) 12:43時点における版
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名前 | ||||||||||||||
本名 |
アンリ・パトリック・ンボマ・デム Henri Patrick Mboma Dem | |||||||||||||
愛称 | 浪速の黒豹、ボマちゃん | |||||||||||||
ラテン文字 | Patrick MBOMA | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
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生年月日 | 1970年11月15日(53歳) | |||||||||||||
出身地 |
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身長 | 185cm | |||||||||||||
体重 | 85kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | FW (CF) | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
-1990 |
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1990-1997 |
![]() | 16 | (2) | |||||||||||
1992-1994 |
→![]() | 48 | (22) | |||||||||||
1995-1996 |
→![]() | 17 | (4) | |||||||||||
1997-1998 |
![]() | 34 | (29) | |||||||||||
1998-2000 |
![]() | 40 | (15) | |||||||||||
2000-2001 |
![]() | 24 | (5) | |||||||||||
2002 |
→![]() | 9 | (1) | |||||||||||
2002-2003 |
![]() | 28 | (12) | |||||||||||
2003-2004 |
![]() | 35 | (17) | |||||||||||
2004-2005 |
![]() | 10 | (2) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
1995-2004 |
![]() | 57 | (33) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月2日現在。 2. 2014年12月2日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
パトリック・エムボマ(Henri Patrick Mboma Dem, 1970年11月15日 - )は、カメルーン出身の元同国代表サッカー選手。
唇を閉じて「ンボマ」と発音するのが正しいが、フランス時代に誤って「M'boma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされる。
来歴
カメルーンのドゥアラで生まれるが、2歳の時に家族と共にフランスに移住したためフランスとの2重国籍。そのため、EU圏内では外国人選手扱いにならなかった。代表ではカメルーン代表を選択した。
パリのスタード・ドゥレスト(Stade de l'Est Pavillonnais)でキャリアをスタート、後にパリ・サンジェルマンFCに移籍。1993-94シーズンには3部リーグのLBシャトールーに貸し出され、ここでは29試合出場17得点と活躍。パリ・サンジェルマンに戻るも出番には恵まれず、1995-96シーズンには1部リーグのFCメスに貸し出される。
1997年にJリーグのガンバ大阪に移籍。圧倒的な身体能力を発揮し、28試合出場25得点の大活躍、強烈な存在感を示した。「浪速の黒豹」と呼ばれ、応援スタンドには「神様 仏様 エムボマ様」の垂れ幕が踊った。ベルマーレ平塚戦では驚異的なリフティングシュートを決めた。エムボマを抑えることのできるディフェンダーは当時の日本には存在せず、中田英寿は「あんなやつがサッカーやっているなんて反則だよ 」とコメントしており、秋田豊は「ガブリエル・バティストゥータよりもエムボマのほうが凄かった」とコメントしている。これと並行するように、カメルーン代表でもエースとしてフランスW杯・アフリカ予選で活躍した。1998年に行われたFIFAワールドカップ・フランス大会にもレギュラーとして出場するが、この時はチーム事情によりボランチとしての出場であったため、グループリーグ第3戦での得意のヘッドによる1得点のみにとどまってしまった。Jリーグでは1998年4月18日レイソル戦にてハットトリックを達成した[1]。
1998-99シーズンからは再びヨーロッパに舞台を移し、イタリア・セリエAのカリアリやパルマ、イングランド・プレミアリーグのサンダーランドでもプレイするが、個人能力の高さがあだとなったか、イタリアでは戦術になじめず、その影響からかイングランドでもついに本領を発揮することはできなかった。しかし、カメルーン代表としては着々とキャリアを積み、2000年にはシドニーオリンピックにオーバーエイジで出場し金メダルに導き、またアフリカ年間最優秀選手賞も受賞。代表の兄貴分として、サミュエル・エトオをはじめ選手にも慕われた。
2002年FIFAワールドカップ日韓大会にも出場。しかし、直前に両足踵を痛めてしまい、3試合1得点と、本来の動きを取り戻せないまま、1次リーグ敗退に終わった。2003年からはJリーグの東京ヴェルディ1969でプレー。今度は公募により制定された愛称「ボマちゃん」で親しまれる[2]。スピードや体力の衰えは感じられたものの、持ち前のテクニックと強烈なミドルシュートは健在で、経験に裏打ちされたプレーで多くのディフェンダーを圧倒した。
2004年のアフリカ選手権では得点王を獲得。2004年シーズンは膝の古傷が完治せず、途中出場が続くようになり、当時の監督オズワルド・アルディレスと関係がこじれてしまう。結局、ヴェルディを退団し、ヴィッセル神戸に移籍するものの、最後まで本来の輝きを取り戻せなかった。
2005年は度重なる故障のため4試合出場0得点と精彩を欠き、5月16日に現役を引退した。
現在は、カメルーン代表のアドバイザーを経て、実業家として会社を経営。また、2008年1月にはMF鈴木規郎がフランスのクラブチーム、アンジェに短期留学した際のコーディネイターを務めるなど、FIFA公認代理人としての活動もしている。
2010年9月、2022 FIFAワールドカップを日本で開催するための「招致アンバサダー」に就任した。
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
フランス | リーグ戦 | F・リーグ杯 | フランス杯 | 期間通算 | |||||||
1990-91 | パリSG | アン | 0 | 0 | |||||||
1991-92 | 0 | 0 | |||||||||
1992-93 | シャトールー | ドゥ | 19 | 5 | |||||||
1993-94 | 全国 | 29 | 17 | ||||||||
1994-95 | パリSG | アン | 8 | 1 | |||||||
1995-96 | メス | 17 | 4 | ||||||||
1996-97 | パリSG | 8 | 1 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1997 | G大阪 | 9 | J | 28 | 25 | 5 | 4 | 1 | 0 | 34 | 29 |
1998 | 6 | 4 | - | - | 6 | 4 | |||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1998-99 | カリアリ | 9 | セリエA | 13 | 7 | ||||||
1999-00 | 27 | 8 | |||||||||
2000-01 | パルマ | 70 | 20 | 5 | |||||||
2001-02 | 4 | 0 | |||||||||
イングランド | リーグ戦 | FLカップ | FAカップ | 期間通算 | |||||||
2001-02 | サンダーランド | 7 | プレミア | 9 | 1 | ||||||
リビア | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2002-03 | アル・イテハド | 28 | 12 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 東京V | 9 | J1 | 23 | 13 | 3 | 3 | 3 | 0 | 29 | 16 |
2004 | 12 | 4 | 5 | 4 | - | 17 | 8 | ||||
神戸 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | |||
2005 | 4 | 0 | 0 | 0 | - | 4 | 0 | ||||
通算 | フランス | アン | 35 | 6 | |||||||
フランス | ドゥ | 19 | 5 | ||||||||
フランス | 全国 | 29 | 17 | ||||||||
日本 | J1 | 79 | 48 | 13 | 11 | 4 | 0 | 96 | 59 | ||
イタリア | セリエA | 64 | 20 | ||||||||
イングランド | プレミア | 9 | 1 | ||||||||
リビア | 28 | 12 | |||||||||
総通算 | 263 | 109 |
- Jリーグ初出場 - 1997年4月12日 Jリーグ 1st第1節 vsベルマーレ平塚 (万博記念競技場)
- Jリーグ初得点 - 1997年4月12日 Jリーグ 1st第1節 vsベルマーレ平塚 (万博記念競技場)
獲得タイトル
クラブ・代表
オリンピック | ||
---|---|---|
サッカー | ||
金 | 2000 | 男子サッカー |
- 1994 - 1995 フランスリーグカップ (メス)
- 2000年 アフリカネイションズカップ 優勝 (カメルーン代表)
- 2000年 シドニーオリンピック 金メダル (カメルーンU-23代表・オーバーエイジ枠での参加)
- 2002年 アフリカネイションズカップ 優勝 (カメルーン代表)
個人タイトル
- 1997年 Jリーグ得点王、Jリーグベストイレブン (ガンバ大阪)
- 1997年 JOMOオールスターサッカー MVP
- 2000年 アフリカネイションズカップ ナイジェリア・ガーナ大会得点王 (カメルーン代表)
- 2000年 アフリカ年間最優秀選手賞 (CAF)
- 2000年 BBCアフリカ年間最優秀サッカー選手賞
- 2002年 アフリカネイションズカップ マリ大会得点王 (カメルーン代表)
- 2003年 JOMOオールスターサッカー MVP
- 2004年 アフリカネイションズカップ チュニジア大会得点王 (カメルーン代表)
関連項目
出典
- ^ ハットトリック一覧-Jleague Data site 2018年2月10日
- ^ “東京ヴェルディのパトリック・エムボマ選手の愛称が「ボマちゃん」に。”. Narinari.com (2003年3月3日). 2013年9月21日閲覧。
- カメルーンのサッカー選手
- フランスのサッカー選手
- サッカーカメルーン代表選手
- パリ・サンジェルマンFCの選手
- LBシャトールーの選手
- FCメスの選手
- ガンバ大阪の選手
- カリアリ・カルチョの選手
- パルマ・カルチョ1913の選手
- サンダーランドAFCの選手
- 東京ヴェルディ1969の選手
- ヴィッセル神戸の選手
- FIFAワールドカップカメルーン代表選手
- 1998 FIFAワールドカップ出場選手
- 2002 FIFAワールドカップ出場選手
- FIFAコンフェデレーションズカップ2001出場選手
- オリンピックサッカーカメルーン代表選手
- サッカーのオリンピックメダリスト
- カメルーンのオリンピック金メダリスト
- アフリカ年間最優秀選手賞受賞者
- ドゥアラ出身の人物
- 1970年生
- 存命人物