「江戸橋駅」の版間の差分
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|ローマ字 = Edobashi |
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2020年2月14日 (金) 23:06時点における版
江戸橋駅 | |
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駅舎 | |
えどばし Edobashi (三重大学前) | |
◄E37 高田本山 (1.2 km) (1.2 km) 津 E39► | |
所在地 | 三重県津市上浜町三丁目137-1 |
駅番号 | E38 |
所属事業者 | 近畿日本鉄道(近鉄) |
所属路線 | E 名古屋線* |
キロ程 | 65.3 km(**近鉄名古屋起点) |
電報略号 | エト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面4線 |
乗車人員 -統計年度- |
4,825人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1917年(大正6年)1月1日 |
備考 |
* この他伊勢線(1961年廃止) ** 正式な起点は伊勢中川駅 |
江戸橋駅(えどばしえき)は、三重県津市上浜町三丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)名古屋線の駅である。「三重大学前」の副名称がある。駅番号はE38。
歴史
元々当駅は、四日市 - 津間の諸集落を結ぶために設立された伊勢鉄道(現存する第三セクター鉄道会社の伊勢鉄道とは異なる)が高田本山 - 津市(のちの部田)間を開業させた際、その一中間駅として設置されたものであった。この時は現在地より100メートル南方に設けられ、単式ホーム1本を有するだけの小駅であった。
その後、伊勢鉄道改め伊勢電気鉄道(伊勢電)は、大神宮前駅までの路線の建設による疲弊と昭和恐慌による乗客低迷で苦境に陥り、1936年(昭和11年)に現在の近鉄の直系母体である参宮急行電鉄(参急)に合併される。これに伴い伊勢電気鉄道の路線は同社の名古屋伊勢本線となったが、この段階では接続駅はまだ設けられず、参急津線の津駅と参急伊勢線の部田駅(元は伊勢電津駅)の間を徒歩で乗り換えることとしていた。
だが参急が伊勢電の保有していた免許・路盤を活用し、関西急行電鉄(関急)を設立して1938年(昭和13年)に桑名 - 名古屋間の路線を完成させると、津線と名古屋伊勢本線間で乗り換えの需要が高まるため、津線を江戸橋駅まで乗り入れさせることにした。これに伴い江戸橋駅は両線の接続駅としての使命を帯びるようになり、関急名古屋 - 大神宮前間の列車と上本町(現在の大阪上本町) - 津間の特急電車が日2往復接続を行って、名阪間の新ルートを形成した。
ただし、津線は1435mm、名古屋伊勢本線は1067mmと軌間が異なっており、直通運転は不可能であった。そのため参急では、接続駅を参急本線から津線が分岐する参急中川駅に改めることにし、同年末に津 - 中川間を1067mmに改軌した。関西急行鉄道発足後の路線名整理で津線および当駅以北の名古屋伊勢本線が統合されて名古屋線となり、当駅以南は伊勢線として分割された[1]。盲腸線と化した伊勢線は衰退の一途をたどり、戦後の1961年(昭和36年)には全線が廃線、江戸橋駅の乗換駅としての機能は失われた。
年表
- 1917年(大正6年)1月1日 - 伊勢鉄道の一身田町(のちの高田本山) - 津市(のちの部田)間開通時に開業[2]。
- 1926年(大正15年)9月11日 - 伊勢鉄道が伊勢電気鉄道に改称、伊勢電気鉄道の駅となる[2]。
- 1936年(昭和11年)9月15日 - 参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併[2]、参宮急行電鉄名古屋伊勢本線となる。
- 1938年(昭和13年)
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道との会社合併により関西急行鉄道の駅となる[2]。路線名整理により参急名古屋 - 江戸橋 - 参急中川間が名古屋線、江戸橋 - 大神宮前が伊勢線となる[1]。
- 1944年(昭和18年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道の合併により、近畿日本鉄道の駅となる[2]。
- 1959年(昭和34年)6月 - 100メートル北へ移転。
- 1961年(昭和36年)1月22日 - 伊勢線廃止[2]。
- 2017年(平成29年)1月1日 - 開業100周年を迎えた。朝10時より記念乗車券などが発売された[3]。
駅構造
島式ホーム2面4線を持つ待避可能な地上駅。東側南端に駅舎があり、各ホームとは構内踏切で連絡している。踏切による構内移動でかつ踏切からホームへはスロープになっているため車椅子での移動は容易である。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1・2 | E 名古屋線 | 下り | 津・大阪・神戸・鳥羽・賢島方面 |
3・4 | 上り | 四日市・桑名・名古屋方面 |
内側2線(2番線と3番線)が主本線、外側2線(1番線と4番線)が待避線である。
特徴
停車列車
- 特急以外の全一般列車が停車しており、名古屋方面からの急行は当駅から伊勢中川駅まで各駅に停車する[4]。
- 名古屋線における急行の待避可能駅の一つで、塩浜駅や伊勢若松駅と同様に急行による特急待避が頻繁に行われる[4]。
駅設備・営業面
当駅乗降人員
近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[5]。
- 2018年11月13日:7,923人
- 2015年11月10日:8,019人
- 2012年11月13日:8,054人
- 2010年11月9日:7,957人
- 2008年11月18日:7,850人
- 2005年11月8日:7,399人
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 3,653 |
1998年 | 3,814 |
1999年 | 3,915 |
2000年 | 3,892 |
2001年 | 3,959 |
2002年 | 3,859 |
2003年 | 3,947 |
2004年 | 4,064 |
2005年 | 4,227 |
2006年 | 4,379 |
2007年 | 4,505 |
2008年 | 4,546 |
2009年 | 4,554 |
2010年 | 4,608 |
2011年 | 4,654 |
2012年 | 4,730 |
2013年 | 4,959 |
2014年 | 4,732 |
2015年 | 4,814 |
2016年 | 4,867 |
2017年 | 4,825 |
江戸橋駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(江戸橋駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 935,490 | ←←←← | 368,226 | 1,303,716 | |||
1951年(昭和26年) | 920,940 | ←←←← | 350,708 | 1,271,648 | |||
1952年(昭和27年) | 732,210 | ←←←← | 322,097 | 1,054,307 | |||
1953年(昭和28年) | 616,620 | ←←←← | 314,237 | 930,857 | |||
1954年(昭和29年) | 596,130 | ←←←← | 308,115 | 904,245 | |||
1955年(昭和30年) | 541,530 | ←←←← | 274,935 | 816,465 | |||
1956年(昭和31年) | 385,170 | ←←←← | 246,911 | 632,081 | |||
1957年(昭和32年) | 516,660 | ←←←← | 197,121 | 713,781 | |||
1958年(昭和33年) | 525,390 | ←←←← | 275,720 | 801,110 | |||
1959年(昭和34年) | 510,780 | ←←←← | 251,115 | 761,895 | |||
1960年(昭和35年) | 530,430 | ←←←← | 191,336 | 721,766 | |||
1961年(昭和36年) | 511,680 | ←←←← | 164,145 | 675,825 | |||
1962年(昭和37年) | 537,290 | ←←←← | 186,246 | 723,536 | |||
1963年(昭和38年) | 610,050 | ←←←← | 196,053 | 806,103 | |||
1964年(昭和39年) | 628,530 | ←←←← | 200,608 | 829,138 | |||
1965年(昭和40年) | 615,660 | ←←←← | 216,177 | 831,837 | |||
1966年(昭和41年) | 467,190 | ←←←← | 161,587 | 628,777 | |||
1967年(昭和42年) | 461,850 | ←←←← | 155,041 | 616,891 | |||
1968年(昭和43年) | 561,240 | ←←←← | 176,212 | 737,452 | |||
1969年(昭和44年) | 804,060 | ←←←← | 210,497 | 1,014,557 | |||
1970年(昭和45年) | 869,130 | ←←←← | 233,338 | 1,102,468 | |||
1971年(昭和46年) | 880,470 | ←←←← | 255,505 | 1,135,975 | |||
1972年(昭和47年) | 927,330 | ←←←← | 278,487 | 1,205,817 | |||
1973年(昭和48年) | 999,900 | ←←←← | 349,758 | 1,349,658 | |||
1974年(昭和49年) | 1,001,400 | ←←←← | 350,625 | 1,352,025 | |||
1975年(昭和50年) | 993,060 | ←←←← | 344,831 | 1,337,891 | |||
1976年(昭和51年) | 933,480 | ←←←← | 298,440 | 1,231,920 | |||
1977年(昭和52年) | 860,070 | ←←←← | 301,001 | 1,161,071 | |||
1978年(昭和53年) | 819,300 | ←←←← | 301,094 | 1,120,394 | |||
1979年(昭和54年) | 822,870 | ←←←← | 293,755 | 1,116,625 | |||
1980年(昭和55年) | 828,900 | ←←←← | 300,432 | 1,129,332 | |||
1981年(昭和56年) | 835,560 | ←←←← | 291,065 | 1,126,625 | |||
1982年(昭和57年) | 858,330 | ←←←← | 298,078 | 1,156,408 | 11月16日 | 7,500 | |
1983年(昭和58年) | 852,900 | ←←←← | 291,508 | 1,144,408 | 11月8日 | 7,547 | |
1984年(昭和59年) | 881,640 | ←←←← | 281,601 | 1,163,241 | 11月6日 | 7,923 | |
1985年(昭和60年) | 880,230 | ←←←← | 289,814 | 1,170,044 | 11月12日 | 7,724 | |
1986年(昭和61年) | 868,560 | ←←←← | 302,184 | 1,170,744 | 11月11日 | 7,967 | |
1987年(昭和62年) | 907,350 | ←←←← | 294,155 | 1,201,505 | 11月10日 | 8,222 | |
1988年(昭和63年) | 889,500 | ←←←← | 305,050 | 1,194,550 | 11月8日 | 7,953 | |
1989年(平成元年) | 871,140 | ←←←← | 307,745 | 1,178,885 | 11月14日 | 8,018 | |
1990年(平成2年) | 839,640 | ←←←← | 309,425 | 1,149,065 | 11月6日 | 7,960 | |
1991年(平成3年) | 856,680 | ←←←← | 327,287 | 1,183,967 | |||
1992年(平成4年) | 839,130 | ←←←← | 340,489 | 1,179,619 | 11月10日 | 7,941 | |
1993年(平成5年) | 829,350 | ←←←← | 346,636 | 1,175,986 | |||
1994年(平成6年) | 844,530 | ←←←← | 336,442 | 1,180,972 | |||
1995年(平成7年) | 912,900 | ←←←← | 332,334 | 1,245,234 | 12月5日 | 7,748 | |
1996年(平成8年) | 959,310 | ←←←← | 339,965 | 1,299,275 | |||
1997年(平成9年) | 1,011,210 | ←←←← | 321,983 | 1,333,193 | |||
1998年(平成10年) | 1,074,030 | ←←←← | 318,156 | 1,392,186 | |||
1999年(平成11年) | 1,110,960 | ←←←← | 322,061 | 1,433,021 | |||
2000年(平成12年) | 1,106,130 | ←←←← | 314,514 | 1,420,644 | |||
2001年(平成13年) | 1,131,720 | ←←←← | 313,214 | 1,444,934 | |||
2002年(平成14年) | 1,105,560 | ←←←← | 303,084 | 1,408,644 | |||
2003年(平成15年) | 1,139,010 | ←←←← | 305,704 | 1,444,714 | |||
2004年(平成16年) | 1,176,570 | ←←←← | 306,726 | 1,483,296 | |||
2005年(平成17年) | 1,226,400 | ←←←← | 316,726 | 1,542,747 | 11月8日 | 7,399 | |
2006年(平成18年) | 1,270,440 | ←←←← | 327,914 | 1,598,354 | |||
2007年(平成19年) | 1,324,650 | ←←←← | 324,317 | 1,648,967 | |||
2008年(平成20年) | ←←←← | 11月18日 | 7,850 | ||||
2009年(平成21年) | 1,351,050 | ←←←← | 311,080 | 1,662,130 |
駅周辺
隣の駅
かつて存在した路線
- 近畿日本鉄道
- 伊勢線
- 江戸橋駅 - 部田駅
脚注
- ^ a b 近畿日本鉄道『近畿日本鉄道100年のあゆみ』2010年、p.156
- ^ a b c d e f 曽根悟(監修)『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日、18-23頁。ISBN 978-4-02-340132-7。
- ^ 江戸橋駅が2017年1月1日、開業100周年を迎えます。 - 近畿日本鉄道
- ^ a b c d e 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ 駅別乗降人員 名古屋線 - 近畿日本鉄道