「新小平駅」の版間の差分
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|画像説明 = 駅舎(2019年9月) |
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|よみがな = しんこだいら |
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|ローマ字 = Shin-Kodaira |
|ローマ字 = Shin-Kodaira |
2020年2月15日 (土) 02:32時点における版
新小平駅 | |
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駅舎(2019年9月) | |
しんこだいら Shin-Kodaira | |
所在地 | 東京都小平市小川町二丁目1960 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | シイ |
駅構造 | 地上駅(半地下構造) |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
11,489人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1973年(昭和48年)4月1日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■武蔵野線 |
駅番号 | □JM 32 |
キロ程 |
36.2km(鶴見起点) 府中本町から7.4 km |
◄JM 33 西国分寺 (3.5 km) (5.6 km) 新秋津 JM 31► | |
所属路線 | 武蔵野線貨物支線(国立支線) |
キロ程 | 0.0* km(JR貨物・新小平起点) |
(5.0km) 国立 JC 18 ► | |
備考 | 業務委託駅 |
新小平駅(しんこだいらえき)は、東京都小平市小川町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線の駅である。
当駅は小平市内に唯一存在するJR線の駅である。
武蔵野線の本線のほか、旅客駅より西国分寺駅側で中央本線国立駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が分岐している[1][2]。この支線は主に貨物列車が走行するが、一部「むさしの号」や「ホリデー快速富士山号」などの旅客列車も経由する[2]。武蔵野線の駅番号はJM 32。
歴史
- 1973年(昭和48年)4月1日:日本国有鉄道(国鉄)の駅として開業[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
- 1991年(平成3年)
- 2001年(平成13年)
- 2007年(平成19年)2月22日:指定券自動券売機が使用を開始。トイレ改装工事も完了。
- 2009年(平成21年)
- 3月2日:構内コンビニエンスストアのNewDaysが出入口を改札外から改札内に移動して改装オープン。
- 12月:エレベーターを新設。
- 2012年(平成24年)6月30日:この日をもってみどりの窓口の営業が終了。
駅構造
2つのトンネル(小平トンネル、東村山トンネル)の間に挟まれた掘割の中に[1]相対式ホーム2面2線を有する[1]。駅舎は小平トンネルの上の地上にある(半地下構造)[1]。駅本屋の施工は鹿島建設による[4]。
JR東日本ステーションサービスが業務を受託する業務委託駅(西国分寺駅の被管理駅)。なお、みどりの窓口は2012年6月30日をもって営業終了した。自動改札機、指定券券売機設置駅。2015年9月30日より、この両トンネル内で携帯電話が使えるように整備された[5]。
駅カラーは緑色。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 武蔵野線 | 上り | 西国分寺・府中本町方面 | 中央線直通列車も発着 |
2 | 下り | 南浦和・新松戸・西船橋方面 | 大宮駅直通列車も発着 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
-
改札口(2019年9月)
-
ホーム(小平トンネル側)(2019年9月)
-
ホーム(東村山トンネル側)(2010年5月)
利用状況
2018年(平成30年)度の1日平均乗車人員は11,489人である。武蔵野線内26駅中25位である(最下位は2012年3月に開業した吉川美南駅)。
近年の推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
出典 |
---|---|---|
1990年(平成 | 2年)7,315 | [* 1] |
1991年(平成 | 3年)7,066 | [* 2] |
1992年(平成 | 4年)8,140 | [* 3] |
1993年(平成 | 5年)8,660 | [* 4] |
1994年(平成 | 6年)9,047 | [* 5] |
1995年(平成 | 7年)9,292 | [* 6] |
1996年(平成 | 8年)9,370 | [* 7] |
1997年(平成 | 9年)9,167 | [* 8] |
1998年(平成10年) | 9,118 | [* 9] |
1999年(平成11年) | 9,287 | [* 10] |
2000年(平成12年) | [JR 1]9,326 | [* 11] |
2001年(平成13年) | [JR 2]9,407 | [* 12] |
2002年(平成14年) | [JR 3]9,644 | [* 13] |
2003年(平成15年) | [JR 4]10,044 | [* 14] |
2004年(平成16年) | [JR 5]10,274 | [* 15] |
2005年(平成17年) | [JR 6]10,496 | [* 16] |
2006年(平成18年) | [JR 7]10,585 | [* 17] |
2007年(平成19年) | [JR 8]10,780 | [* 18] |
2008年(平成20年) | [JR 9]10,958 | [* 19] |
2009年(平成21年) | [JR 10]11,292 | [* 20] |
2010年(平成22年) | [JR 11]11,146 | [* 21] |
2011年(平成23年) | [JR 12]11,073 | [* 22] |
2012年(平成24年) | [JR 13]11,191 | [* 23] |
2013年(平成25年) | [JR 14]11,305 | [* 24] |
2014年(平成26年) | [JR 15]11,291 | [* 25] |
2015年(平成27年) | [JR 16]11,429 | [* 26] |
2016年(平成28年) | [JR 17]11,509 | [* 27] |
2017年(平成29年) | [JR 18]11,631 | [* 28] |
2018年(平成30年) | [JR 19]11,489 |
駅周辺
- 西武多摩湖線 青梅街道駅 - 東へ約700m。正式な乗換駅には設定されていない[1]が、武蔵野線が事故等で運転を見合わせている際は、振替乗車票を持って青梅街道駅から乗車するよう指示される。一方、西武国分寺線・拝島線の小川駅は西に1.5kmほど、西武新宿線・拝島線の小平駅は東に2.5kmほど離れている。
- 小平郵便局
- ゆうちょ銀行小平店
- 小平警察署
- 小平市中央図書館
- 津田塾大学
- 国際ビジネス専門学校
- 国際パティシエ調理師専門学校
- 小平市立小平第十五小学校
- 国立精神・神経医療研究センター
- 第一屋製パン本社・小平工場
- 平櫛田中彫刻美術館
- 石塔が窪
- 青梅街道(東京都道5号新宿青梅線)
- 鎌倉街道
- 府中街道(東京都道16号立川所沢線、東京都道17号所沢府中線)
- 小平グリーンロード
- 歴史と文化の散歩道 府中国分寺コース
- 小川用水
- 玉川上水
バス路線
- 東行(駅東側青梅街道上)
- 西行
1991年10月の水没事故
経緯
この年は8月から記録的な長雨が続いており、近接する所沢アメダスの積算降水量[6]は8月が394mm(観測史上8月として6位)、9月が447mm(観測史上4位、9月として2位)であり、10月も台風21号の接近に伴い活発化した前線により事故前日で既に200mmを超えていた。
このため、9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)により23時45分頃[注釈 2]ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって最大1.3m隆起[注釈 3]し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの地下水が大量(復旧時の計測で8t/分)に流入、駅全体が冠水[7]しただけでなく周辺で陥没が発生し、近隣住民が避難するに至った。
その後、多数の水中ポンプにより排水を試みるが流入量に全く追いつかず、地下水位を下げるため被災部周辺に深井戸8本を掘り、8t/分を下水道放流したがこれでも不十分だった。このため深井戸を19本(15t/分)に増強し、放流先も2km離れた空堀川へ変更された。11月半ばに地下水位が下がると工事は本格化し、12月11日に全面復旧された[3]。当初6ヶ月を要すると見積もられたが、武蔵野線が鉄道貨物輸送の大動脈である点から24時間体制の急ピッチで進められ、約1ヶ月で完工した。
この事故によるJR東日本の被害額は約35億円[8]に達した。
水没の原因
新小平駅は南北を長いトンネル(東村山トンネルと小平トンネル、ともに延長4km程度)に挟まれたU型RC構造の半地下式の駅で、関東ローム層下の武蔵野礫層上半分に食い込んでいる。武蔵野礫層には西から東へ伏流水が流れていて、その地下水位は降水の影響で大きく上下することが分かっている。事故当日の地下水位は地表下3m以上まで上昇し、これは75年程度の再現確率と見られている[9]。
この南北方向の路線がダムのように作用して伏流水を堰き止め、上昇した地下水位の浮力によって土被りが無く浮き上がりに最も弱かった駅北側が大音響とともに破壊に至った。深夜のため列車や乗客に被害は出ず、大惨事には至らなかった。
再発防止策
復旧にあたっては、地下水位が地表面付近に達しても耐えられるような強度計算を行っている。
浮力に対抗する、武蔵野礫層を貫通するアンカーを打設し、擁壁には水抜き用開口部と排水設備を設け、歪みセンサを設置した。また、地下水位を下げた後も1m近い隆起が残ったため、駅北側のU型RC構造の底部を切除してスラブ軌道からバラスト軌道に変更して修復された。このため、擁壁を支える鉄骨構造が追加されている[1]。ホームを含め駅構造物の大半は設置し直された。
なお、新小平駅南側には小平トンネルより長い国立支線のトンネルがあり、伏流水上流側の国分寺市西恋ヶ窪の住宅街では床上浸水など洪水が頻繁に発生していたが、新小平駅の水没事故に伴いJRも伏流水への対策に取り組むようになり[10]、こちらの洪水も収まった。
水没中の迂回経路
復旧までの2ヶ月間、武蔵野線は東京・新習志野~新秋津と西国分寺~府中本町の折り返し運転となり[3][11]、新秋津~新小平~西国分寺はバス代行となった[3][11]。しかし経由する府中街道沿いは久米川や恋ヶ窪など慢性的な渋滞が続く細い迂回路しかなく、ひと駅に1時間前後を要する状態だった。このため、徒歩で秋津駅に向かい、西武池袋線で所沢駅、西武新宿線で東村山駅、西武国分寺線[注釈 4]で国分寺駅、JR中央線で西国分寺駅へ至る迂回経路を利用する乗客も多かった。また、振替乗車や代行バスを走らせているとして定期券・回数券の延長措置は行わなかった[11]。
新秋津駅の新小平側には西武池袋線(秋津駅 - 所沢駅間)との連絡線があり[注釈 5]、国分寺駅でも西武国分寺線とJR中央線の連絡線跡があった[注釈 6]が、いずれも西武鉄道による振替輸送は行われなかった。また、迂回経路となった新秋津駅と西武線秋津駅間に不通期間限定で臨時通路を設置する案が計画されたが[12]、恒久設置となることを恐れた地元商店会からの反対により頓挫した[12]。
一方、貨物輸送は山手貨物線や八高線等へ迂回されたが、余力は限られ[13]、経由する中央線、常磐線、総武線にも制約があった[注釈 7]。このため、当時武蔵野線を走っていた113本の貨物列車のうち28本が連日運休し、その他はトラック輸送で代替した[13]。
隣の駅
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
- 武蔵野線
- 中央線直通(武蔵野線貨物支線(国立支線)経由)
- ■むさしの号(八王子発着)
- 新秋津駅 (JM 31) - 新小平駅 (JM 32) - 国立駅 (JC 18)
- 国立支線は、小平トンネル内のほぼ中央部で本線から分岐し、下り本線の下を潜って西進し中央本線と合流する線区である。JR東日本の所属であるが、同社では独立した線区としていない。一方JR貨物では独立した線区として営業キロ数(新小平 - 国立間、5.0キロ)を設定している。なお、「むさしの号」、「ホリデー快速富士山号」、「成田山初詣青梅号」などの旅客列車も運行しているが、運賃計算上の経路は西国分寺駅経由になる。
- ■むさしの号(八王子発着)
脚注
記事本文
注釈
- ^ 鳥や魚をモチーフに旅立ちや帰還をイメージした、武蔵野美術大学生による作品。なお、水没事故からの復旧工事に際して消去されて短命で終わった。
- ^ 日経新聞1991年10月12日夕刊より。発生時刻は文献によって15分や30分ともされている。
- ^ 路盤の隆起は数日後に最大となり、ホームの2号車位置で約2メートルに達した。
- ^ 当時、西武国分寺線は日中時間帯は4両編成での運転だったが、迂回利用する乗客の増加のため、終日6両編成で運転をした。
- ^ 同線は現存し、西武多摩川線の車両輸送などに利用されている。
- ^ 中央線ホームの2面4線化時に撤去された。
- ^ 山手貨物線は既に一杯(武蔵野線がその代替バイパス線)、八高線は全区間単線で非電化区間を含み交換設備の有効長が短い、中央線はダイヤが過密で特急快速が多く高速機関車が必要、常磐線は交直両用機関車か取手で機関車交換が必要、総武線は複線区間のダイヤが過密で支線に単線区間を含む上、当時は迂回区間の一部にATC区間が存在していた。
出典
- ^ a b c d e f g 武蔵野線まるごと探見、pp.34-36。
- ^ a b c 武蔵野線まるごと探見、p.37。
- ^ a b c d “JR武蔵野線、あす始発から運転を再開 災害復旧工事に30億円も”. 毎日新聞(朝刊/社会) (毎日新聞社): p. 26. (1991年12月11日)
- ^ 『鉄道建築ニュース 1973年4月』、鉄道建築協会、1973年4月。
- ^ 武蔵野線西国分寺~新秋津駅間のトンネルで携帯電話が利用可能になりました 2015年10月8日 JR東日本八王子支社
- ^ 観測史上1~10位の値 気象庁 気象統計情報
- ^ JR武蔵野線新小平駅の浮き上がり(社)東京都地質調査業協会 技術ノートNo.30
- ^ 平成3年災害別公益事業等被害集計表 東京都建設局
- ^ 1991年秋に発生した武蔵野台地における地下水位の異常上昇について 細野義純、地下水技術 (1993)
- ^ JR武蔵野線引込線トンネルの地下水を野川に導水 東京都環境局
- ^ a b c JR東日本課長・水沢洋 (1991年10月30日). “[気流]「不通の日数分定期券延長を」にお答えします”. 読売新聞(朝刊) (読売新聞社): p. 12
- ^ a b “西武線との連絡通路に「待った」 不通の武蔵野線(リポート多摩)”. 朝日新聞(朝刊) (朝日新聞社): p. 東京地方版. (1991年11月17日)
- ^ a b “不通1か月、貨物にも影響 う回も限界、毎日28本運休--JR武蔵野線”. 毎日新聞(朝刊/社会) (毎日新聞社): p. 27. (1991年11月18日)
広報資料・プレスリリースなど一次資料
利用状況
- JR東日本の2000年度以降の乗車人員
- ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- 東京都統計年鑑
- ^ 東京都統計年鑑(平成2年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成3年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成12年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成13年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成14年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成15年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成16年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成17年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成18年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成19年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成20年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成21年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成22年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成23年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成24年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成25年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成26年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成27年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成28年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成29年)
参考文献
- 三好好三、垣本泰宏『武蔵野線まるごと探見』JTBパブリッシング、2010年2月1日。
関連項目
外部リンク
- 駅の情報(新小平駅):JR東日本