「豊後竹田駅」の版間の差分
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|画像説明 = 駅舎。後ろは[[落門の滝]]。2005年(平成17年)3月 |
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2020年2月15日 (土) 03:16時点における版
豊後竹田駅 | |
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駅舎。後ろは落門の滝。2005年(平成17年)3月 | |
ぶんごたけた* Bungo-Taketa | |
◄玉来 (3.1 km) (5.9 km) 朝地► | |
所在地 | 大分県竹田市大字会々[1] |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
所属路線 | ■豊肥本線 |
キロ程 | 88.0 km(熊本起点) |
電報略号 | ケタ |
駅構造 | 地上駅(盛土上) |
ホーム | 1面2線[1] |
乗車人員 -統計年次- |
374人/日(降車客含まず) -2016年[2]- |
乗降人員 -統計年次- |
743人/日 -2016年[2]- |
開業年月日 | 1924年(大正13年)10月15日[3] |
備考 |
直営駅 みどりの窓口 有[1] |
豊後竹田駅 配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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豊後竹田駅(ぶんごたけたえき)は、大分県竹田市大字会々にある、九州旅客鉄道(JR九州)豊肥本線の駅である[1]。
竹田市の代表駅で全列車が停車し、竹田市の表玄関にもなっている[1]。普通列車は昼の大分発阿蘇行きを除き当駅で運行系統が分断され、大分方面と熊本方面への列車は当駅で乗り換えとなる。大分方面の列車は比較的多いが、熊本方面の列車は1日に下り7本・上り6本のみの運転である。また、夜間には当駅で滞泊する列車の設定がある。
歴史
開業当初から豊後竹田駅の名前であったが読みは「ぶんごたけだえき」と濁音だった。これは竹田の地名の読みとは異なるものであったために1969年10月1日に現在の「ぶんごたけたえき」に改められた[4]。かつては駅弁が販売されていた時期もあった。
- 1924年(大正13年)10月15日 - 豊後竹田駅(ぶんごたけだえき)として鉄道省が開設[3]。
- 1951年(昭和26年)5月14日 - 列車の発着時に瀧廉太郎作曲の歌曲「荒城の月」を流し始める[5][6]。
- 1969年(昭和44年)10月1日 - 駅名の読みを現在の「ぶんごたけたえき」に改める[4]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承[7]。同時に駅舎を武家屋敷風に改修[注 1]。
- 1988年(昭和63年)7月19日 - 「荒城の月」を竹田市少年少女合唱団が歌う瀧廉太郎の原曲に変更[5][8]。
- 2012年(平成24年)3月14日 - ホーム改築[注 2]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)3月17日 - ダイヤ改正で大分駅からの最終列車発車時刻の繰り下げにより当駅終着時刻が日付を跨ぐようになる。
荒城の月
1951年(昭和26年)、当時の竹田町民から寄贈されたレコードを使って、改札を担当する駅員が列車の発着時に瀧廉太郎作曲の歌曲「荒城の月」を流しており[6]、現在の発車メロディ・接近メロディにあたるものとなっていた。当時は同じ瀧作曲の「菊」も流していた[6]。
そのため、川端康成が1953年(昭和28年)に発表した「波千鳥」中に当駅で「荒城の月」の唱歌が流れることが登場している[5]。
また、長年にわたり駅で流れてきたことから、地元の市民の間では竹田に帰ってきたことを感じさせる曲にもなっている[5]。
当初は山田耕筰が編曲したものが流されていたが、1987年(昭和62年)秋に当駅で曲を聞いた小沢昭一が竹田市長に「廉太郎ゆかりの地には原曲がふさわしい」と要請[8]。これを受けた市は1988年(昭和63年)瀧廉太郎の原曲で、竹田市少年少女合唱団が歌ったものを作成、それを駅に依頼して流している[5][8]。
自動放送導入後は、音声合成の接近放送鳴動後に引き続き、流れる。
駅構造
築堤上に島式ホーム1面2線を有する地上駅である[1]。ホームは10両編成分あるが(未使用部分も含む)、臨時列車や回送列車以外では使用されることは無い。ホームの脇には夜間滞泊に使用される、車両留置用の側線が並んでいる[1]。駅舎とは地下通路で連絡している[1]。
駅舎は、瀧廉太郎作曲の歌曲「荒城の月」で有名な岡城にちなみ武家屋敷風にしたものとなっている[7]。直営駅でみどりの窓口がある[1]。駅舎内部には待合所のほか、竹田観光案内所があり自動券売機が設置されている。ただし、自動改札機は設置されていない。
また、駅舎内のショーケースには瀧廉太郎が作曲した歌曲集『四季』の中から「花」の楽譜が展示されている。
駅の横に駐車場と、乗務員宿泊所と通信機器室が併設されており、駅の奥には「竹田保線区」と呼ばれる保線基地がある。また、入れ換えのため構内の熊本方にはY字形の引き上げ線が設置されている。その他、駅裏に「落門の滝」という滝がありプラットホームからも望見される[1]。
10年近く駅に住み着いて観光客の癒しとなっている駅猫「ニャー」(♀)の駅長待望論があった。駅猫「ニャー」は、2017年9月、豊後竹田駅の観光案内所長に就任[16]。2018年3月には、豊後竹田駅の駅長に就任[17]。
のりば
1・2 | ■豊肥本線 | (上り) | 宮地・熊本方面 |
---|---|---|---|
(下り) | 三重町・大分方面 |
利用状況
- 2012年度の1日平均乗車人員は399人(前年度比-1人)である。
- 利用客は大分方面に通う高校生や専門学校生が多い。県立竹田高等学校の生徒も多く利用する。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2000 | 528 |
2001 | 559 |
2002 | 540 |
2003 | 533 |
2004 | 495 |
2005 | 492 |
2006 | 467 |
2007 | 442 |
2008 | 415 |
2009 | 391 |
2010 | 411 |
2011 | 400 |
2012 | 399 |
2013 | 400 |
2014 | 364 |
駅周辺
駅前には竹田市の中心市街地が広がっており、駅前の道路が国道502号で横切っている。
公共施設
- 竹田市役所
- 竹田市社会福祉センター
- 竹田直入教育会館
- 竹田市役所下木分庁舎
- 竹田駅前郵便局
- 竹田郵便局
- 竹田警察署竹田駅前交番
- 竹田消防署
教育
- 大分県立竹田高等学校
- 竹田市立竹田小学校
- 竹田市立竹田中学校 - 2009年(平成21年)8月に大字植木の校舎から旧竹田商業高等学校跡地に移転。
- 竹田市立竹田保育所
医療機関
- 加藤病院
- 老人保健施設 岡の苑
道路
その他
- 竹田温泉 花水月
- 竹田合同タクシー
- 大正公園
- 御宿 割烹一竹
- 西光寺
- 妙見寺
- 九州労働金庫竹田支店
- 岡城址 - 荒城の月
- 広瀬神社 - 日露戦争で戦死した広瀬武夫中佐を祀る神社
- 長湯温泉 - 有名な炭酸泉の一。当駅よりバスで50分程度。
- 奥渓文庫
バス路線
駅前に豊後竹田駅前バス停があり、大分バス(大野竹田バス)の路線バスが発着している。また、竹田温泉 花水月(駅前から川沿いを西に200m)には竹田温泉 花水月バス停がある。
- 大分バス(大野竹田バス)
- 豊後竹田駅前
- 玉来・竹田~久住~直入支所線
- 竹田交通/久住・長湯温泉経由 直入支所行 (平日は概ね1時間毎に運行されるが、土休のデータイムは2時間毎となる)
- 竹田~高伏・雉が平~直入支所線
- 竹田交通/雉が平・高伏・長湯温泉経由 直入支所行 (1日数便ずつのみ)
- 竹田~郷野~直入支所線
- 竹田交通/浅地・里野・長湯温泉経由 直入支所行 (平日3往復のみ)
- 玉来・竹田~久住~梅の木線
- 梅の木行/竹田交通経由玉来行 (平日・土曜2往復のみ)
- 玉来・竹田~久住~直入支所線
- 竹田市コミュニティバス
- 竹田駅
- 竹田交通~雉が平線
- 雉が平行/竹田交通行 (月・金に2往復運行)
- 玉来・竹田~高伏~直入支所線
- 高伏・長湯経由 直入支所行 (平日4便・土曜3便・休日2便の運行)
- 竹田交通・玉来行 (平日土曜3便・休日2便の運行)
- 竹田交通~雉が平線
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隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j 『週刊 JR全駅・全車両基地』 38号 大分駅・由布院駅・田主丸駅ほか、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2013年5月12日、25頁。
- ^ “竹田市統計書(平成29年度改訂)” (PDF). 竹田市. 2018年5月17日閲覧。
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 27号・豊肥本線/久大本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月24日、14-15頁。
- ^ a b c “「ぶんごたけた」に変わる 豊後竹田駅の呼称”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社): p. 4. (1969年10月2日(夕刊))
- ^ a b c d e 竹越萌子(2014年4月15日). “ひとえきがたり 豊後竹田駅 大分県、JR豊肥線 「荒城の月」に迎えられ故郷実感”. 朝日新聞(朝日新聞社)
- ^ a b c “好評の「荒城の月」豊後竹田駅 放送を始めて十二年”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社): p. 8. (1963年4月26日(朝刊))
- ^ a b c “歓迎ム−ドに人の波… JR九州 各地で祝賀行事 武家屋敷風の駅舎に 豊後竹田駅”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社): p. 9. (1987年4月2日(朝刊))
- ^ a b c ““原曲”を流します お客送迎の「荒城の月」/JR豊後竹田駅”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社): p. 11. (1988年7月21日(朝刊))
- ^ “城下町の風格漂う玄関 豊後竹田駅で改装記念式典”. 大分合同新聞 (大分合同新聞社): p. 16. (2012年3月15日(朝刊))
- ^ 台風18号に伴う、9月19日(火)の運転状況について 【9月19日3:30現在】 (PDF) - 九州旅客鉄道(2017年9月19日発表、同日閲覧)[リンク切れ]
- ^ "台風第18号による被害状況について(第3報)" (PDF) (Press release). 国土交通省. 19 September 2017. 2017年9月20日時点のオリジナル (pdf)よりアーカイブ。2017年9月23日閲覧。
鉄道関係
- ^ 鉄道代行輸送についてのご案内 (PDF) -九州旅客鉄道(2017年9月19日、同日閲覧)[リンク切れ]
- ^ “JR代行バス運行 利用者、早期復旧願う”. 大分合同新聞: p. 11(夕刊). (2017年9月19日)
- ^ 日豊本線・豊肥本線(大分~阿蘇間)の運転計画について(お知らせ) (PDF) 九州旅客鉄道(2017年9月22日発表、同日閲覧)[リンク切れ]
- ^ “豊肥本線の運休区間が縮小…阿蘇~三重町間再開”. Response. (株式会社イード). (2017年9月22日). オリジナルの2017年9月23日時点におけるアーカイブ。 2017年9月23日閲覧。
- ^ 駅利用者和ます「ニャー」、豊後竹田駅の観光案内所長に就任YOMIURI ONLINE
- ^ 「ニャー」が駅長に就任へ JR豊後竹田駅の名物猫大分合同新聞
関連項目
外部リンク
- 豊後竹田駅(駅情報) - 九州旅客鉄道