「道修町」の版間の差分
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2020年3月23日 (月) 09:18時点における版
道修町 | |
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小林製薬本社 | |
北緯34度41分19.42秒 東経135度29分54.67秒 / 北緯34.6887278度 東経135.4985194度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 大阪府 |
市町村 | 大阪市 |
区 | 中央区 |
面積 | |
• 合計 | 0.097914587 km2 |
人口 | |
• 合計 | 272人 |
• 密度 | 2,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
541-0045[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
道修町(どしょうまち)は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は道修町一丁目から道修町四丁目。
地理
船場のうち北から5番目の町で、北は高麗橋・伏見町、南は平野町、東は東横堀川を挟んで東高麗橋、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区江戸堀・京町堀とそれぞれ接する。
製薬会社などが軒を連ねる「くすりの町」として知られる。
河川
歴史
1872年(明治5年)まで、現在の4丁目のうち御霊筋以西は古手町、西横堀川沿いは七郎右衛門町2丁目という町名だった。
江戸時代に、清やオランダからの輸入薬(唐薬種)を一手に扱う薬種問屋が店を出し、幕府公認の株仲間「薬種中買仲間」を結成する[5]。また、享保7年(1721年)には日本を産地とする薬(和薬種)を検査する和薬種改会所が設けられた。日本で商われる薬は、いったん道修町に集まり、品質と目方を保証されて全国に流通していった[5]。その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多いことで知られている。武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬が本社を構えている。薬種問屋には、コニシのように、狭義の医薬品でなく化成品の道に進んだ企業もある。医薬品業界に関しては外資系も近畿を拠点とするところが多く、バイエル(大阪府大阪市北区)、アストラゼネカ(大阪市北区)、P&G(兵庫県神戸市中央区)、イーライー・リリー(神戸市中央区)などが挙げられる。
道修町にある少彦名神社は、薬の神様(薬祖神)として安永9年(1780年)に勧請された[5]。人々はそれ以前から中国の薬神である神農を祀っていたため、双方を祀ることになった地元では少彦名命と合祀して「神農さん」と呼び、長く親しまれている[5]。
日本初の薬学専門学校(現在の薬科大学に相当する)が設置されたのも道修町である。
地名の由来
町名の由来は、このあたりに「道修寺」という寺院があったからとする説や[5]、江戸時代初期に北山道修(きたやま・どうしゅう)という薬学者がいたことにちなむとする説[5]、江戸時代中頃まで上町台地と洲島との谷間にあたる道修町一丁目周辺が「道修谷」と呼ばれていたことに由来するという説[5]、本願寺の教如上人がこの地に渡辺御堂という寺を建てたことから多くの堂衆が住むようになり、「堂衆」が「道修」に変じたという説などがある[5]。
祭事
毎年11月23日に少彦名神社の祭祀である神農祭があり、前日の11月22日が宵宮である。付近は大阪市の中心街でありオフィス街としての無機質な町並みに突如として堺筋から御堂筋までのおまつり屋台街が出現する。市街地ど真ん中であるため周囲はほとんど子供の居ない地域であり、屋台は大人向けの「居酒屋」的な屋台で占められており、その中に挟まれるように普通のお祭りらしい屋台が存在する。通りには道修町に本社やオフィスを構える製薬会社の製品が笹にぶら下げられ、11月23日は休日なので宵宮はスーツ姿のサラリーマンやOLで遅くまで賑わい異様な雰囲気がある。
世帯数と人口
2019年(平成31年)3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
道修町一丁目 | 62世帯 | 71人 |
道修町二丁目 | 41世帯 | 47人 |
道修町三丁目・四丁目 | 66世帯 | 154人 |
計 | 169世帯 | 272人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 75人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 61人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 41人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 157人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 260人 | [10] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 30世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 26世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 20世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 95世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 177世帯 | [10] |
施設
道修町にオフィスのある製薬会社
- カイゲンファーマ 本社
- 小林製薬 本社
- 塩野義製薬 本社
- 大日本住友製薬 大阪本社
- 武田薬品工業 大阪本社・大阪支店・大阪第一営業所・大阪第二営業所
- 武田コンシューマーヘルスケア 本店・大阪オフィス(武田薬品工業子会社)
- 田辺三菱製薬 本社・営業本部・大阪支店・ヘルスケア事業部
- 吉富薬品 本社・営業本部(田辺三菱製薬系列)
- 扶桑薬品工業 本社・大阪支店
- 丸善薬品産業 本社
- 富士フイルム和光純薬 本社・本社東館(富士フイルム系列)
- 伊藤由製薬
- 乾卯栄養化学
- イワキ
- エビス薬品
- 小野薬品工業 本店
- 関西薬品
- 小城製薬
- 金剛薬品
- シオエ製薬
- 鈴粉末薬品
- 関商
- 第一三共 大阪支店
- 第一三共ヘルスケア 大阪支店
- ダイト 大阪支店
- 大鵬薬品工業 大阪支店・コンシューマーヘルスケア京阪神支店
- 高砂薬業
- 田村薬品工業 本社
- 中間物商事 本社
- 東洋製薬化成
- 常盤植物化学研究所
- 日新化成
- ニプロファーマ 本社
- 日本新薬 大阪支店
- 日本製薬 大阪支店・京都支店(武田薬品工業系列と販売提携)
- 日本バルク薬品
- 日本粉末薬品
- 富士化学工業
- 富士カプセル
- 堀江生薬
- 丸三薬品
- 丸善製薬
- 三国
- 八ツ目製薬
- 山善製薬
- 横内製薬
- 米山薬品工業
交通
鉄道
地内に駅はなく、西側は地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅、東側は北浜駅が最寄り駅である。
道路
その他
日本郵便
脚注
- ^ “大阪府大阪市中央区の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “住民基本台帳人口・外国人人口”. 大阪市 (2019年7月26日). 2019年10月4日閲覧。
- ^ a b “道修町の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 山本麻衣『医薬を近代化した研究と戦略』 芙蓉書房出版 <シリーズ 情熱の日本経営史> 2010年、ISBN 978-4-8295-0475-8 pp.20-25.
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。