「京橋 (大阪市)」の版間の差分
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京橋駅は[[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[大阪環状線]]・[[片町線]](学研都市線)・[[JR東西線]]、[[京阪本線]]、[[Osaka Metro長堀鶴見緑地線]]が乗り入れる大阪屈指のターミナル駅となっており、現在、京橋といった場合は当駅周辺を指すことが多い。 |
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2020年3月23日 (月) 15:44時点における版
京橋(きょうばし)は、大阪府大阪市にある橋梁、旧町名、地域名。
概要
東京都中央区の京橋とは違って、尻下がりのアクセントで「きょうばし」と発音される[1]。
具体的には以下のものを指す。
京橋(橋梁)
京橋 | |
---|---|
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 大阪市都島区 - 中央区間 |
交差物件 | 寝屋川 |
建設 | ? - 1924年 |
座標 | 北緯34度41分26.8秒 東経135度31分20.8秒 / 北緯34.690778度 東経135.522444度 |
構造諸元 | |
形式 | 単純プレートガーダー構造桁橋 |
材料 | 鋼、コンクリート |
全長 | 55.1m |
幅 | 9m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
京橋(橋梁)は京街道の起点(のち高麗橋に変更)、また東海道五十七次の終点(江戸日本橋から137里4町1間)であり、大坂では数少ない公儀橋であった。江戸時代の擬宝珠には「元和九年造立」(1623年)の銘があった。 現在と異なり、最長時には100メートルをこえる長さを誇っていた。[2]
北詰には京街道沿いに相生西町・相生東町・野田町といった町並が形成され、川魚市場もあり、大坂の玄関口のひとつとして賑わった。南詰は大坂城の虎口のひとつである京橋口となる。
1924年に現在の鋼橋が架橋され、1981年には拡幅工事が施された。
京橋(旧町名)
もとは、京橋南詰 - 天満橋南詰 - 天神橋南詰 - 今橋東詰にかけて京橋1 - 6丁目という町名であった。1724年の享保の大火後、京橋1丁目(現在の上町筋以東)が火除地となったため、京橋2 - 6丁目となり、町名の由来である京橋(橋梁)を含まない町域となった。
明治に入り、京橋1 - 3丁目に再編され、区政施行後は東区の町名として存在した。また、火除地となっていた箇所は京橋前之町という町名となった。平成に入り、京橋1 - 3丁目は中央区大手前1丁目、天満橋京町、北浜東の各一部となり、京橋という町名は姿を消した。同時に京橋前之町も大手前1丁目の一部となり姿を消した。
京橋(地域)
京橋駅はJR西日本大阪環状線・片町線(学研都市線)・JR東西線、京阪本線、Osaka Metro長堀鶴見緑地線が乗り入れる大阪屈指のターミナル駅となっており、現在、京橋といった場合は当駅周辺を指すことが多い。
京橋駅周辺が繁華街として発展するに伴い、「京橋」は京橋駅周辺の地域名となり、都島区片町2丁目・東野田町全域・都島南通2丁目、城東区新喜多1丁目・蒲生1 - 2丁目・野江1丁目などを指すようになった。広義には寝屋川の対岸(南岸)に位置する中央区城見2丁目、城東区鴫野西1丁目などを含む場合もある。
JRと京阪および地下鉄を含め、京橋駅は1日50万人以上の乗降客があり、京阪グループなどが拠点を置いていることから商業施設が集積しており、飲食店街や歓楽街も発展していることから大阪の東の玄関口とも呼ばれ、梅田界隈のキタ、難波・心斎橋界隈のミナミに対して、時折大阪ビジネスパークを含む同地区界隈をヒガシと呼ぶことがある。[要出典]ただ、キタやミナミとは違い、ヒガシという呼称は一般にあまり浸透していないのが実状である。
現在の京橋駅界隈の大半は東野田町にあり、この町名は東成郡野田村に由来する。大阪市域にはもうひとつ西成郡野田村(現 福島区野田など)があり、1897年に両村は大阪市北区(当時)に編入され東成野田・西成野田となり、1900年に東野田・西野田となった。また、1969年まで京橋駅北西の東野田町交差点に大阪市電「東野田駅」があった。