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「壱岐焼酎」の版間の差分

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'''壱岐焼酎'''(いきしょうちゅう)は、[[長崎県]][[壱岐市]]で生産される[[麦焼酎]]。[[オオムギ|大麦]]由来のさわやかな香りと、[[麹|米こうじ]]の甘く厚みのある味わいが特長とされる<ref name="nta_2018_web"/>。麦を原料とした焼酎としては最も古くに記録があり、壱岐は麦焼酎[[日本の食文化の発祥地一覧|発祥の地]]とされている<ref name="nta_2018_web"/>。[[国税庁]]の[[地理的表示]]に登録されている<ref name="nta_2018_web">{{Cite web|和書|date=2018-02-27 |url=https://www.nta.go.jp/taxes/sake/hyoji/chiri/180223_besshi01.htm |title=地理的表示「壱岐」生産基準 |publisher=国税庁 |accessdate=2020-06-19}}</ref>。
'''壱岐焼酎'''(いきしょうちゅう)は、[[長崎県]][[壱岐市]]において醸造される[[焼酎|麦焼酎]]の総称である。


==特徴==
==特徴==
[[国税庁]]の[[地理的表示]]の対象となるためには、以下の要件がある<ref name="nta_2018_web"/>。[[大分麦焼酎]]などと異なり、麦麹ではなく米麹を用いる<ref name="nta_2018_web"/>。
[[米麹]]と[[大麦]]を1:2の割合で仕込み、もろみを熟成させた後蒸留して醸造されている。
*原料
**穀類に[[オオムギ|大麦]]のみを用いる
**[[麹]]として米麹のみを用いる
**麹と穀類の重量比を概ね1:2として[[もろみ]]を仕込む
**[[壱岐市|壱岐市内]]で採水した水のみを用いる


*製法
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]末期から[[廃藩置県]]時まで[[壱岐島]]は[[肥前国]][[平戸藩]]の領地となっていた。島内で生産された米は平戸藩に[[年貢]]として納めなければならなかったが、大麦については年貢の対象となっていなかったため、食用のみならず余裕があるときには焼酎の原料としても使っており、島内各地で自家用に醸造されていたものが現在の壱岐焼酎の原型となっている。
**壱岐市内で原料の発酵および蒸留を行う
**米麹および水を原料とした一次もろみに、蒸した穀類と水を加えて二次もろみをさらに発酵させ、[[単式蒸留器]]をもって蒸留する
**貯蔵は壱岐市内で行う
**消費者向けの容器には壱岐市内で詰める


壱岐では伝統的に[[日本酒|清酒]]がハレの飲み物とされ、焼酎は[[晩酌]]など日常的に消費する飲み物であった<ref name="jouzou_1976_172">{{Harvnb|目良亀久|1976|p=172}}</ref>。農家では来客に焼酎を出すのが通例となっていた<ref name="jouzou_1976_172"/>。また、[[盂蘭盆会|盂蘭盆]]に飲む焼酎は盆焼酎と呼ばれ、既婚者は妻の実家に素麺や焼酎を持参して盆礼に行く風習があった<ref name="jouzou_1976_172"/>。新盆を迎えた家では18[[リットル]]以上の焼酎を用意して親類や知人を迎えたという<ref name="jouzou_1976_172"/>。
==現状==
現在、島内には7つの[[蔵元]]があり、それぞれ上記の割合を守りつつ醸造している。[[1995年]](平成7年)には[[国税庁]]から[[沖縄県]]の[[泡盛]]や[[熊本県]]の[[球磨焼酎]]と並んで「[[地理的表示]]」が認められた。原産地を特定する表示をすることが公認されたもので、産地ブランドとして一定の地位が認められたことになる。なお、地理的表示の要件は上記の米麹と大麦の比率と壱岐島内の地下水を使って醸造されたものであることとなっている。


== 製法と原料 ==
===蔵元===
米麹:[[オオムギ|大麦]]=1:2が伝統的な壱岐焼酎の配合であり、1[[トン]]の[[米]]から8トンの2次醪が得られ、最終的に5.2[[キロリットル]]の[[アルコール度数]]25度の焼酎となる<ref name="jouzou_2009_745">{{Harvnb|山内賢明|2009|p=745}}</ref><ref name="jouzou_2009_746">{{Harvnb|山内賢明|2009|p=746}}</ref>。現代の所要日数は下記の通りとなっており、約23日間で蒸留まで完了する<ref name="jouzou_2009_745"/>。その後、2年以上かけて熟成させる<ref name="jouzou_2009_746"/>。
*[http://www.amanokawashuzo.com/ 天の川酒造]
*麹づくり:2日間
*[[壱岐の華]]
*一次仕込み:約1週間
*[[壱岐の蔵酒造]](旧:壱岐焼酎協業組合)
*二次仕込み:約2週間
*[[玄海酒造]]
*蒸留:1日
*熟成:2~20年

麹米には[[タイ米]]の破砕米や国産米が用いられる<ref name="kinki_2011_19"/>。[[オーストラリア]]産の二条大麦が主に使われる<ref name="kinki_2011_19">{{Harvnb|戸井田克己|2011|p=19}}</ref>一方、壱岐市では二条大麦のニシノホシが[[2017年]]には[[二毛作]]として[[水田]]153[[ヘクタール]]に作付けされ、その全量が壱岐焼酎の原料となっている<ref name="alic_2018_45">{{Harvnb|豊智行|2018|p=45}}</ref>。[[玄武岩]]層によってろ過された[[地下水]]は[[ミネラル]]を豊富に含み、厚みのある味わいやキレのある飲み口を支えている、とされる<ref name="nta_2018_web"/>。

=== 麹づくり ===
自動製麹機に1トンの米を投入し、洗米させたのちに水に漬けて吸水させる<ref name="jouzou_2009_745"/>。これを蒸して放冷し、主に白麹菌である種麹を均一に混合して一晩おく<ref name="jouzou_2009_745"/>。翌朝に製麹機から取り出して三角室に移し、米の[[デンプン]]を栄養源として麹菌を夕方まで成長させる<ref name="jouzou_2009_745"/>。この間に[[菌糸]]が伸びて絡まり[[酸欠]]になることがあるため、手でほぐして温度を下げて再び一晩おく<ref name="jouzou_2009_745"/>。この間に[[クエン酸]]が生成され、甘酸っぱい香りが生じる<ref name="jouzou_2009_745"/>。

=== 一次仕込み ===
米麹と水を仕込み用タンクに入れると、沈んだ麹が[[発酵]]とともに浮き上がってくる<ref name="jouzou_2009_745"/>。発酵によって液温は25~30℃になるので、[[櫂]]で時々かきまぜて[[酸素]]を供給しながら温度を調整する<ref name="jouzou_2009_746"/>。1週間ほどたつと[[甘酒]]のような[[醪]]が得られる<ref name="jouzou_2009_746"/>。

=== 二次仕込み ===
米と同様に洗浄や吸水を行って蒸した大麦2トンを、醪および水とともに二次仕込み用のタンクに投入する<ref name="jouzou_2009_746"/>。3~4日目が発酵が最も激しく、その後は静かに進行して麦の粒も溶けて液体状になっていく<ref name="jouzou_2009_746"/>。2週間経つと、アルコールの匂いが強いアルコール度数17度ほどの醪8トンが得られる<ref name="jouzou_2009_746"/>。

=== 蒸留・貯蔵 ===
[[単式蒸留機]]により[[蒸留]]を行い、得られた[[アルコール]]は検定タンクに移してアルコール度数および数量を計量する<ref name="jouzou_2009_746"/>。蒸留後に発生する[[焼酎粕]]は[[2016年|2016年度]]には年間2,272トンとなっており、そのうち1,061トンが壱岐牛の[[飼料]]として利用されている<ref name="alic_2018_45"/>。蒸留直後の[[原酒]]はアルコール度数はおよそ45度で、アルコールの刺激臭が強く大麦の香りなどは弱い<ref name="jouzou_2009_746"/>。しばらく原酒のまま貯蔵した後、割水をしてさらに[[ステンレス]]や[[琺瑯]]のタンクで貯蔵し、容器内の自然対流による熟成を進行させる<ref name="jouzou_2009_746"/>。このほか、[[甕]]や[[カシ|樫]]樽なども利用される<ref name="jouzou_2009_746"/>。2~20年熟成させたのち、瓶詰めして出荷される<ref name="jouzou_2009_746"/>。

== 生産 ==
[[File:MugiShochu Pref 2017.png|thumb|right|400px|九州における麦焼酎の県別課税移出数量]]
[[2018年]]現在、壱岐焼酎を生産する7つの[[蔵元]]が壱岐酒造組合を結成しており、すべて[[壱岐島]]に位置する<ref name="alic_2018_49">{{Harvnb|豊智行|2018|p=49}}</ref>。組合を通じて原料となる[[オオムギ|大麦]]や[[米]]の手配、イベントの実施などが行われている<ref name="alic_2018_49"/>。焼酎生産時に発生する[[焼酎粕]]の数量で見ると、[[玄海酒造]]と[[壱岐の蔵酒造]]がそれぞれ全体のおよそ50%と30%をそれぞれ占め、残り5社は同程度である<ref name="alic_2018_49"/>。

* [http://www.amanokawashuzo.com/ 天の川酒造]
* [[壱岐の華]]
*壱岐の蔵酒造(旧:壱岐焼酎協業組合)
*玄海酒造
*山の守酒造場
*山の守酒造場
*[http://www.omoyashuzo.com/ 重家酒造]
* [http://www.omoyashuzo.com/ 重家酒造]
*猿川伊豆酒造場
*猿川伊豆酒造場

[[長崎県]]全体では[[2004年]]に15社が計4,453[[キロリットル]]の[[焼酎]]を生産しており、そのうち壱岐市の7社が2,646キロリットルと約59.4%を占めている<ref name="nagasaki_2007_web">{{Harvnb|長崎県|2007}}</ref>。また、[[2017年]]の[[九州]]7県における[[麦焼酎]]の課税移出数量では、長崎県の占める割合は1.8%となっている<ref name="nta_2020_3">{{Harvnb|国税庁課税部酒税課|2020|p=3}}</ref>。

== 歴史 ==
=== 近世以前 ===
[[File:Iki Sake Production.png|thumb|400px|壱岐市における酒類生産量の推移]]
壱岐は古くから[[朝鮮半島]]と[[日本]]の交易ルート上にあり、[[朝鮮]]から[[蒸留酒]]の製造技術が[[15世紀]]以降に伝わった可能性が示唆される<ref name="nta_2018_web"/>。[[永禄]]6年([[1563年]])に[[壱岐島]]は[[松浦氏]]の領地となり、[[江戸時代]]に入るとそのまま[[平戸藩]]の一部となった。文献で[[壱岐島]]の焼酎が確認されるのは、[[寛政]]7年([[1791年]])の『町方仕置帳』における「荒生の焼酎」についての記述からとなる<ref name="jouzou_1976_169">{{Harvnb|目良亀久|1976|p=169}}</ref>。これは麦焼酎ではなく[[酒粕]]を原料として酒屋が製造した[[粕取焼酎]]とみられ、壱岐の方言では「カラスス」と呼ばれていた<ref name="jouzou_1976_169"/>。

藩は壱岐の[[開墾]]を奨励し、[[米]]だけでなく[[コムギ|小麦]]、[[ダイズ|大豆]]、[[カラシナ|辛子の種子]]、[[ゴマ|胡麻]]の[[年貢|貢納]]を義務付けた<ref name="jouzou_1976_171">{{Harvnb|目良亀久|1976|p=171}}</ref>。農民は米を食糧にできず、[[オオムギ|大麦]]や[[ハダカムギ|裸麦]]を食用とし、余裕があるときには焼酎の原料として利用した可能性が示唆される<ref name="jouzou_1976_171"/>。なお、[[対馬]]など近隣地域では[[サツマイモ]]による[[芋焼酎]]が製造されるようになったが、壱岐では前述の穀類の栽培が義務づけられ、サツマイモを栽培する余裕が少なかった<ref name="jouzou_1976_171"/><ref name="jouzou_1957_191"/>。

=== 近代 ===
[[1883年]]9月30日付で芦辺浦の住民が[[長崎県知事]]宛に送った自家消費用の免許鑑札願には[[どぶろく|濁酒]]0.428[[石_(単位)|石]]と焼酎0.56石と記載があり、焼酎については米麹0.16石、麦:0.4石、水0.32石を使うとあり、麦焼酎の生産が明確に確認できる<ref name="jouzou_1976_170">{{Harvnb|目良亀久|1976|p=170}}</ref>。明治初期の壱岐島内の農家には各戸にカブト釜があり、自家用の麦焼酎を製造することができた<ref name="kinki_2011_17">{{Harvnb|戸井田克己|2011|p=17}}</ref>。[[1900年]]に[[酒税法]]により焼酎製造は5石を最低限とした免許制となり、[[1902年]]には焼酎専業が38名、清酒との兼業17名の計55名が壱岐で免許を取得していた<ref name="jouzou_1976_170"/>。同年には壱岐で清酒2,486石(448[[キロリットル]])、焼酎788石(142キロリットル:麦および粕取焼酎)が生産されている<ref name="jouzou_1957_191">{{Harvnb|重久政範|1957|p=191}}</ref>。[[1906年]]には焼酎製造者は23名まで集約された<ref name="jouzou_1976_170"/>が、焼酎の生産量は漸増していき[[昭和]]に入ると壱岐での生産量は清酒を上回るようになった<ref name="jouzou_1957_191"/>。また、[[1938年]]には麦焼酎1,690石(305キロリットル)のほか粕取焼酎78石(14キロリットル)も市内で生産されている<ref name="jouzou_1976_170"/>。

明治まで麹米には壱岐産の丸米が使用されていたが、[[大正]]には朝鮮から移入した破砕米、[[1942年]]からは外米が使用されるようになった<ref name="jouzou_1957_190">{{Harvnb|重久政範|1957|p=190}}</ref>。1942年には仕込みも従来の米麹に蒸米を加えて最初に酒母を作る日本酒式から、[[鹿児島県]]の[[芋焼酎]]などと同様に米麹のみを一次仕込みで作り、二次仕込みで蒸麦を加える現代と同じ形に変化している<ref name="jouzou_1957_190"/>。同年に、麹菌も芋焼酎と同じく黄麹菌から黒麹菌に切り替えたことで[[クエン酸]]による腐造防止の効果が生まれており、1941年から1942年にかけて製法の大きな変化が見られる<ref name="jouzou_1957_190"/>。[[第二次世界大戦]]のため[[1943年]]に[[食糧管理法]]の統制で麦と麹米の供給が激減し、[[アワ|粟]]やサツマイモ、[[コーリャン]]、[[エンバク|燕麦]]が麦を補うために、麦麹が米麹の代わりにそれぞれ使用されたが、焼酎の生産量は減少した<ref name="jouzou_1957_190"/>。

=== 現代 ===
終戦後も穀類の需給は逼迫しており、[[1947年]]には[[宮崎県]]産の二条大麦・ゴールデンメロンを使用し、同年に食糧管理法の統制から麦が外れた後も[[1953年]]からは輸入した大麦を原料とするようになった<ref name="jouzou_1957_190"/>。この頃には島内の需要を満たすだけの生産が行えず、[[1949年]]には[[ホワイトリカー|新式焼酎]]58キロリットルを他地域から移入していたが、[[1955年]]には戦前の最大生産量にほぼ並ぶまで回復して島内の需要を賄っている<ref name="jouzou_1976_172"/><ref name="jouzou_1957_191"/>。[[壱岐郡]]外への出荷は長らく[[対馬]]に少量を出すのみだったが、焼酎ブームの影響もあって[[1974年]]には149キロリットルが郡外に移出されている<ref name="jouzou_1976_172"/>。[[1976年]]には清酒製造場が7場、焼酎製造場が専業6場・兼業1場の計7場あった<ref name="jouzou_1976_170"/>が、[[1984年]]には市内の清酒製造者はいなくなっている<ref name="kinki_2011_18">{{Harvnb|戸井田克己|2011|p=18}}</ref>。[[1995年]]に壱岐焼酎は[[国税庁]]の[[地理的表示]]に登録された<ref name="nta_2018_web"/>。また、[[2013年]]には[[壱岐市]]で壱岐焼酎の、[[2015年]]には長崎県で長崎県産酒の[[乾杯条例]]がそれぞれ制定されている<ref>{{Cite web|和書|author=長崎県 物産ブランド推進課 |url=https://www.pref.nagasaki.jp/bunrui/kenseijoho/kennojorei-koho/kanpai/index.html |title=長崎県産酒による乾杯の推進に関する条例 |publisher=長崎県 |accessdate=2020-06-21}}</ref>。

== 脚注 ==
{{Reflist|3}}

== 参考文献 ==
* {{Cite report
| 和書
| author= 国税庁課税部酒税課
| date= 2020-03
| title= 単式蒸留焼酎製造業の概況(平成29年度調査分)
| url= https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shochu/h29/pdf/all.pdf
| publisher= 国税庁
| format = pdf
| edition =
| docket =
|accessdate= 2020-06-20
}}
* {{Cite journal |和書
|author = 豊智行
|title = 壱岐島における酒造会社からの麦焼酎粕を肉用牛繁殖農家で利用する取り組み
|url = https://lin.alic.go.jp/alic/month/domefore/2018/jul/spe-01.htm
|year = 2018
|journal = 畜産の情報
|volume =
|issue = 345
|pages = 43-50
|publisher = 農畜産業振興機構調査情報部
|naid = 40021621757
|doi =
|ref = harv}}
* {{Cite journal |和書
|author = 戸井田克己
|title = 壱岐の焼酎
|url = http://id.nii.ac.jp/1391/00013429/
|year = 2011
|journal = 近畿大学総合社会学部紀要
|volume = 1
|issue = 1
|pages = 3 - 21
|publisher = 近畿大学総合社会学部
|naid = 120005730097
|doi =
|ISSN=2186-6260
|ref = harv}}
* {{Cite journal |和書
|author = 山内賢明
|title = 壱岐焼酎の歴史と本格焼酎業界の抱える課題
|url = https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010781610
|year = 2009
|journal = 日本醸造協会誌
|volume = 104
|issue = 10
|pages = 743-748
|publisher = 日本醸造協会
|naid=10025582366
|doi = 10.6013/jbrewsocjapan.104.743
|ISSN=09147314
|ref = harv}}
* {{Cite report
| 和書
| author= 長崎県
| date= 2007-02
| title= ちょっと気になるこんなデータ 焼酎生産量
| url= http://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2014/08/1407888492.pdf
| publisher= 長崎県
| format = pdf
| edition =
| docket =
|accessdate= 2020-06-20
}}
* {{Cite journal |和書
|author = 目良亀久
|title = 壱岐の麦焼酎物語
|url = https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1915.71.169
|year = 1976
|journal = 日本釀造協會雜誌
|volume = 71
|issue = 3
|pages = 169-172
|publisher = 日本醸造協会
|naid=130004324197
|doi = 10.6013/jbrewsocjapan1915.71.169
|ISSN=0369-416X
|ref=harv}}
* {{Cite journal |和書
|author = 重久政範
|title = 壱岐の麦燒酎について
|url = https://doi.org/10.6013/jbrewsocjapan1915.52.191
|year = 1957
|journal = 日本釀造協會雜誌
|volume = 52
|issue = 3
|pages = 191-188
|publisher = 日本醸造協会
|naid=130004321615
|doi = 10.6013/jbrewsocjapan1915.52.191
|ISSN=0369-416X
|ref=harv}}


==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www.ikishochu.org/ 壱岐酒造組合]
* [http://www.ikishochu.org/ 壱岐酒造組合]
* [https://www.nta.go.jp/taxes/sake/hyoji/chiri/180223_besshi01.htm 国税庁 地理的表示「壱岐」生産基準]


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2023年11月17日 (金) 06:03時点における最新版

壱岐焼酎(いきしょうちゅう)は、長崎県壱岐市で生産される麦焼酎大麦由来のさわやかな香りと、米こうじの甘く厚みのある味わいが特長とされる[1]。麦を原料とした焼酎としては最も古くに記録があり、壱岐は麦焼酎発祥の地とされている[1]国税庁地理的表示に登録されている[1]

特徴

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国税庁地理的表示の対象となるためには、以下の要件がある[1]大分麦焼酎などと異なり、麦麹ではなく米麹を用いる[1]

  • 原料
    • 穀類に大麦のみを用いる
    • として米麹のみを用いる
    • 麹と穀類の重量比を概ね1:2としてもろみを仕込む
    • 壱岐市内で採水した水のみを用いる
  • 製法
    • 壱岐市内で原料の発酵および蒸留を行う
    • 米麹および水を原料とした一次もろみに、蒸した穀類と水を加えて二次もろみをさらに発酵させ、単式蒸留器をもって蒸留する
    • 貯蔵は壱岐市内で行う
    • 消費者向けの容器には壱岐市内で詰める

壱岐では伝統的に清酒がハレの飲み物とされ、焼酎は晩酌など日常的に消費する飲み物であった[2]。農家では来客に焼酎を出すのが通例となっていた[2]。また、盂蘭盆に飲む焼酎は盆焼酎と呼ばれ、既婚者は妻の実家に素麺や焼酎を持参して盆礼に行く風習があった[2]。新盆を迎えた家では18リットル以上の焼酎を用意して親類や知人を迎えたという[2]

製法と原料

[編集]

米麹:大麦=1:2が伝統的な壱岐焼酎の配合であり、1トンから8トンの2次醪が得られ、最終的に5.2キロリットルアルコール度数25度の焼酎となる[3][4]。現代の所要日数は下記の通りとなっており、約23日間で蒸留まで完了する[3]。その後、2年以上かけて熟成させる[4]

  • 麹づくり:2日間
  • 一次仕込み:約1週間
  • 二次仕込み:約2週間
  • 蒸留:1日
  • 熟成:2~20年

麹米にはタイ米の破砕米や国産米が用いられる[5]オーストラリア産の二条大麦が主に使われる[5]一方、壱岐市では二条大麦のニシノホシが2017年には二毛作として水田153ヘクタールに作付けされ、その全量が壱岐焼酎の原料となっている[6]玄武岩層によってろ過された地下水ミネラルを豊富に含み、厚みのある味わいやキレのある飲み口を支えている、とされる[1]

麹づくり

[編集]

自動製麹機に1トンの米を投入し、洗米させたのちに水に漬けて吸水させる[3]。これを蒸して放冷し、主に白麹菌である種麹を均一に混合して一晩おく[3]。翌朝に製麹機から取り出して三角室に移し、米のデンプンを栄養源として麹菌を夕方まで成長させる[3]。この間に菌糸が伸びて絡まり酸欠になることがあるため、手でほぐして温度を下げて再び一晩おく[3]。この間にクエン酸が生成され、甘酸っぱい香りが生じる[3]

一次仕込み

[編集]

米麹と水を仕込み用タンクに入れると、沈んだ麹が発酵とともに浮き上がってくる[3]。発酵によって液温は25~30℃になるので、で時々かきまぜて酸素を供給しながら温度を調整する[4]。1週間ほどたつと甘酒のようなが得られる[4]

二次仕込み

[編集]

米と同様に洗浄や吸水を行って蒸した大麦2トンを、醪および水とともに二次仕込み用のタンクに投入する[4]。3~4日目が発酵が最も激しく、その後は静かに進行して麦の粒も溶けて液体状になっていく[4]。2週間経つと、アルコールの匂いが強いアルコール度数17度ほどの醪8トンが得られる[4]

蒸留・貯蔵

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単式蒸留機により蒸留を行い、得られたアルコールは検定タンクに移してアルコール度数および数量を計量する[4]。蒸留後に発生する焼酎粕2016年度には年間2,272トンとなっており、そのうち1,061トンが壱岐牛の飼料として利用されている[6]。蒸留直後の原酒はアルコール度数はおよそ45度で、アルコールの刺激臭が強く大麦の香りなどは弱い[4]。しばらく原酒のまま貯蔵した後、割水をしてさらにステンレス琺瑯のタンクで貯蔵し、容器内の自然対流による熟成を進行させる[4]。このほか、樽なども利用される[4]。2~20年熟成させたのち、瓶詰めして出荷される[4]

生産

[編集]
九州における麦焼酎の県別課税移出数量

2018年現在、壱岐焼酎を生産する7つの蔵元が壱岐酒造組合を結成しており、すべて壱岐島に位置する[7]。組合を通じて原料となる大麦の手配、イベントの実施などが行われている[7]。焼酎生産時に発生する焼酎粕の数量で見ると、玄海酒造壱岐の蔵酒造がそれぞれ全体のおよそ50%と30%をそれぞれ占め、残り5社は同程度である[7]

長崎県全体では2004年に15社が計4,453キロリットル焼酎を生産しており、そのうち壱岐市の7社が2,646キロリットルと約59.4%を占めている[8]。また、2017年九州7県における麦焼酎の課税移出数量では、長崎県の占める割合は1.8%となっている[9]

歴史

[編集]

近世以前

[編集]
壱岐市における酒類生産量の推移

壱岐は古くから朝鮮半島日本の交易ルート上にあり、朝鮮から蒸留酒の製造技術が15世紀以降に伝わった可能性が示唆される[1]永禄6年(1563年)に壱岐島松浦氏の領地となり、江戸時代に入るとそのまま平戸藩の一部となった。文献で壱岐島の焼酎が確認されるのは、寛政7年(1791年)の『町方仕置帳』における「荒生の焼酎」についての記述からとなる[10]。これは麦焼酎ではなく酒粕を原料として酒屋が製造した粕取焼酎とみられ、壱岐の方言では「カラスス」と呼ばれていた[10]

藩は壱岐の開墾を奨励し、だけでなく小麦大豆辛子の種子胡麻貢納を義務付けた[11]。農民は米を食糧にできず、大麦裸麦を食用とし、余裕があるときには焼酎の原料として利用した可能性が示唆される[11]。なお、対馬など近隣地域ではサツマイモによる芋焼酎が製造されるようになったが、壱岐では前述の穀類の栽培が義務づけられ、サツマイモを栽培する余裕が少なかった[11][12]

近代

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1883年9月30日付で芦辺浦の住民が長崎県知事宛に送った自家消費用の免許鑑札願には濁酒0.428と焼酎0.56石と記載があり、焼酎については米麹0.16石、麦:0.4石、水0.32石を使うとあり、麦焼酎の生産が明確に確認できる[13]。明治初期の壱岐島内の農家には各戸にカブト釜があり、自家用の麦焼酎を製造することができた[14]1900年酒税法により焼酎製造は5石を最低限とした免許制となり、1902年には焼酎専業が38名、清酒との兼業17名の計55名が壱岐で免許を取得していた[13]。同年には壱岐で清酒2,486石(448キロリットル)、焼酎788石(142キロリットル:麦および粕取焼酎)が生産されている[12]1906年には焼酎製造者は23名まで集約された[13]が、焼酎の生産量は漸増していき昭和に入ると壱岐での生産量は清酒を上回るようになった[12]。また、1938年には麦焼酎1,690石(305キロリットル)のほか粕取焼酎78石(14キロリットル)も市内で生産されている[13]

明治まで麹米には壱岐産の丸米が使用されていたが、大正には朝鮮から移入した破砕米、1942年からは外米が使用されるようになった[15]。1942年には仕込みも従来の米麹に蒸米を加えて最初に酒母を作る日本酒式から、鹿児島県芋焼酎などと同様に米麹のみを一次仕込みで作り、二次仕込みで蒸麦を加える現代と同じ形に変化している[15]。同年に、麹菌も芋焼酎と同じく黄麹菌から黒麹菌に切り替えたことでクエン酸による腐造防止の効果が生まれており、1941年から1942年にかけて製法の大きな変化が見られる[15]第二次世界大戦のため1943年食糧管理法の統制で麦と麹米の供給が激減し、やサツマイモ、コーリャン燕麦が麦を補うために、麦麹が米麹の代わりにそれぞれ使用されたが、焼酎の生産量は減少した[15]

現代

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終戦後も穀類の需給は逼迫しており、1947年には宮崎県産の二条大麦・ゴールデンメロンを使用し、同年に食糧管理法の統制から麦が外れた後も1953年からは輸入した大麦を原料とするようになった[15]。この頃には島内の需要を満たすだけの生産が行えず、1949年には新式焼酎58キロリットルを他地域から移入していたが、1955年には戦前の最大生産量にほぼ並ぶまで回復して島内の需要を賄っている[2][12]壱岐郡外への出荷は長らく対馬に少量を出すのみだったが、焼酎ブームの影響もあって1974年には149キロリットルが郡外に移出されている[2]1976年には清酒製造場が7場、焼酎製造場が専業6場・兼業1場の計7場あった[13]が、1984年には市内の清酒製造者はいなくなっている[16]1995年に壱岐焼酎は国税庁地理的表示に登録された[1]。また、2013年には壱岐市で壱岐焼酎の、2015年には長崎県で長崎県産酒の乾杯条例がそれぞれ制定されている[17]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 地理的表示「壱岐」生産基準”. 国税庁 (2018年2月27日). 2020年6月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 目良亀久 1976, p. 172
  3. ^ a b c d e f g h 山内賢明 2009, p. 745
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 山内賢明 2009, p. 746
  5. ^ a b 戸井田克己 2011, p. 19
  6. ^ a b 豊智行 2018, p. 45
  7. ^ a b c 豊智行 2018, p. 49
  8. ^ 長崎県 2007
  9. ^ 国税庁課税部酒税課 2020, p. 3
  10. ^ a b 目良亀久 1976, p. 169
  11. ^ a b c 目良亀久 1976, p. 171
  12. ^ a b c d 重久政範 1957, p. 191
  13. ^ a b c d e 目良亀久 1976, p. 170
  14. ^ 戸井田克己 2011, p. 17
  15. ^ a b c d e 重久政範 1957, p. 190
  16. ^ 戸井田克己 2011, p. 18
  17. ^ 長崎県 物産ブランド推進課. “長崎県産酒による乾杯の推進に関する条例”. 長崎県. 2020年6月21日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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